ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
緩やかに流れる時間、日々。それらは往々にして悪辣である。自覚やら知覚なんてものは、私の視界に映る景観から彩度を奪うには十分だった。酒を入れれば、長針と短針は途端に乱拍子を刻むが如く暴れ始める。必要なのは酒だった。だから、私が欲するものは何より、金だ。時間を短縮するために必要なのは科学でもなければ化学でもない。要するに私は、金が欲しい。
幸い、幼い頃のバカ喰いのおかげか、腹は空かなかった。もう何年かまともに食事を摂った記憶はないけれど、嫌になるほどに、私の体は健康そのものだ。だから余計に、流れる時間を穏やかに感じ取ってしまうというわけなのだ。ああ、何処かに金目のものは落ちてはいないか。そんな程度のふわっとした心持ちで、私は里の白昼を漂っている。
時折往来を見やれば、人を襲ってしまおうか、なんて考えが頭を過るが、今更それをするほど私は飢えてもいない。私は流れる人々を、何の気なしに見送り続けた。こんなに大勢の人がいて、人それぞれに目的の品を買い求めたり、無計画に茶屋で散財しているのにも関わらず、自分一人が無一文でふらついていることを思うと、やはり人間というのは薄情な生き物だな、なんて勝手な感慨が湧いた。私は別に人間に敵愾心なんか抱いてはいない。むしろ毎日毎日同じ働き先で同じような物を売り続けることが出来ることを尊敬しているぐらいだ。だから、胸中に湧いた勝手な感慨はあまりにも勝手で、可笑しかった。
「ほんと、殊勝だよな」
その様なことを呟きながら、私は里をぐるぐる、ぐるぐると、回り続けた。
気がつけば、また例の酒屋のある通りまで来ていた。けれど、私は未だ金を手にすることも出来ていなかったし、酒屋で店番をする若いやつの顔も見たくなかったので、例の如く、右上の方を見ながら通り過ぎることにした。そうして、並ぶ家屋の屋根の向こう、間抜けな青空に無感動を覚えている頃、恐らくは酒屋の前に差し掛かったときだ。私の聴覚に、聞き覚えのある声が聞こえた。
「いやー、知らないな。おにいさんみたいな知り合い、居なかったと思うけど」
「や、俺は覚えてるぜ。名前だって覚えてる。あんたたしか、リグル。リグルナイトバグだろう」
向けば、酒屋で店番をする若いのと、私の友人、リグルナイトバグが向かい合って、なにやら言い合っていた。
「うーん。リグルナイトバグ。その通りなんだけどさ、ごめん。やっぱおにいさんのこと、覚えてないや」
「なんだよあんたもか。あーあ。いいなぁ、あんたらみたいな奴らはさ、俺たち人間なんかよりよっぽど生きるし、そのくせなんでもすぐ忘れちまう」
そんなこと言われてもさ、なんて嘯くリグルの隣まで行くと、私に気付いたリグルは片手をあげて反応したので、私もそれに合わせた。
リグルはそのまま、酒屋の男に問いかける。
「じゃあさおにいさん。私とどこで知り合ったってのさ」
「あ? ああ、いやな。思えば知り合った、なんて言えるほどの事じゃないんだが。昔、よく見てたんだよ。あんたら、チルノとよく遊んでただろう? 寺子屋でさ」
男が言うと、リグルは合点がいった様子で声を上げる。
「あー! もしかして同級生だ? ……いやでも、それにしちゃ若いね、おにいさん」
「ああいや、俺は三つ四つ下の課程だったからな。でも、あんたらがチルノと遊ばなくなってから、よくあんたらの話を聞いたよ。チルノからさ。まあ、あいつも、そのうちそんな話はしなくなったけど。俺にはどーもそれが、記憶に残ってたんだな」
男はどこか懐かしげに、右上を眺めながらそんなことを話す。自分勝手に軟化した男の態度は、私を妙に苛立たせた。まあでも、怒ったって仕方がない。だいいち、何もそんなことで腹立てることもない。
「じゃあなに、あんた私がここに来る度〝知り合いかもな〟なんてミステリアスな態度取っておきながら、なんで今までこんな風に確認して来なかったのさ」
私が言うと、会計台の向こうで、男が多少たじろいだ。
「い、いや。実のところ、驚いてたんだ。たしかルーミアって言ったか、あんた。あんたは、ほら、変わったじゃないか。服装だってだいぶ違うし、背だって伸びてるわけだろ。似てる他人なんじゃないかな、って、思ってさあ」
あ、チャンスかも。
「それだけ?」
「あ、ああ」
「それだけの理由で他人かもしれない客に、あんな謎めいた接客してたわけ?」
「い、いや、悪かったよ」
無表情な笑みを浮かべるリグルを尻目に、私は捲し立てる。
「いやー見えないね。悪かった、その言葉に誠意が見えない。全くもって、見えません。どうしようかなー。あ、そうだ。店主のお爺ちゃんって、あんたのお爺ちゃんでしょ?」
「悪かった、悪かったって。いいよ分かった。なんでも一本持ってっていいからさ、爺さんには余計なこと、言わないでくれよな」
そうして私は、私とリグルの分の酒を獲得することに成功した。タダで。
「いやーちょっと、悪いことしちゃったかなー。私としたことが、お恥ずかしいところをお見せして」
「いいんじゃない? 別にさ」
その後、私とリグルは通りをそのまま歩いていた。酒屋を通り過ぎてそのまま進めば、もうすぐ私の家がある。なんとなく、だから、これは、なんとなく。私の家に向かって歩いているような気がするのだが。別に、リグルを家に入れたくないわけではない。ただ少し、リグルと会うのは久しぶりすぎて、なんだか気まずかった。先程酒屋で男が言った通り、私は自分自身だいぶ変わったように思える。私はもう、あの頃のようなスカートは穿かなかったし、喋り方だって、随分変わってしまった気もする。だから正直、気まずさよりも、気恥ずかしさが大きいのかもしれない。
「ルーミアお前さ、随分変わったね」
「そーかな?」
リグルは私の胸中を見透かしたような言葉を投げて来る。私は極力平然を繕って、それに答える。
「前は酒なんて、飲んでなかったじゃんか」
「あー、そうだっけ」
「それにしてもまた、珍しいの飲んでるね」
リグルが私の片手に下がった瓶を指して言った。
「ああこれ。安いんだよ」
「へえ。外の酒なのに?」
「うん。何故か安い。多分、名前の所為だと思うんだけど」
「なるほどねえ」
リグルも片手に瓶をぶら下げていたけれど、それを飲もうとはしなかった。私もリグルに倣って口をつけることはしなかったけど、なんとなく。なんとなくだけど、リグルも、私に倣っているような、気がする。そんな予感は、半ば確信に近いレベルで私の脳内を這い回っていた。
靴の下で砂が滑る。気付けば、既に我が家の近くまで来ていた。ここまでくると、何故か人通りがやけに減る。思えば、家にいる際、近隣の生活音を聞かない気がする。もしかすると、私の家を挟むように建っているボロの二軒も、周りの数十軒も、もうとっくにみんな、空き家なのではないか。今度はそんな、妙な想像に、私の思考は囚われる。
ああきっと、珍しいやつが隣を歩いてて、それでもって、片手に握った瓶のキャップを開けられないから。私はこんな妙なことを考えるんだ。いっそ、開けてしまおうか。
親指に、力を込める。
二つの足音のみが響く世界のしじまに、かちかち、と、音が響いた。
リグルの表情を窺うと、リグルは相変わらず前を向いたまま、笑顔とも無表情ともつかぬ顔をしていた。リグルの表情は昔から、形容しがたいものがあった。笑ってるような、キョトンとしてるような無表情。それがリグルの普段の表情だった。
そして、そんなリグルの普段通りの表情を見つめていると、不意に、かちかち、という音が聞こえた。それは間違いなく、瓶のキャップを開ける音だった。リグルの手元を見るまでもなく、私は瓶のキャップを完全に開け放った。するとやはり、リグルもそうした。瓶を呷り、一口流し込む。隣で、リグルも同様の動作をする。瓶から口を離すと、私たちは笑った。
「いやあ僕、もう一生飲めないかと思ったよ」
「あはは、私も。握りしめた酒瓶を遠く感じたね」
閑静な秋の宙に、私たちの声はよく響いた。
「いいのかよ、昼間っからさ。お前、勉強は?」
「勉強? ありゃダメだよ。アレは人を不幸にする」
言えてる、と、リグルが笑う。リグルが笑うのを見て、私は何だか、過去感じていたリグルへの侮蔑めいた感情が薄れていくのを感じた。
「あんたこそ、いいの? 昼間っからさ。仕事は? ほら、害虫駆除だっけ」
「ああ、休業期間なんだ。まあご贔屓さんのとこはぼちぼち行くけど。なんてったって秋だからね」
どこか軽妙さを感じさせるリグルの口調に、私は自然と笑ってしまう。リグルも、それを聞くとなんだか同調するように笑った。その時、私の心に一つの想念が浮かんだ。胸中曰く、いけるかも。浮かんだ言葉は、それだった。曖昧に笑い合う最中、第一声として、いやあ、を選択し、私は続けた。
「ところでさ、お金かしてくれない?」
「……え?」
秋風が、身にしみた。