ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
月の出ない夜だった。妖怪の山、その山中の、とりわけ平らで開けた場所にライブステージはあった。ステージは四つの照明で照らされていたけれど、そのうち一つは非等間隔で点滅を繰り返していたし、一つは完全に切れていた。ステージの上には既に機材が置かれていた。ドラムセット、ギターアンプ、ベースアンプ、PAスピーカー等々。出所不明のそれらは私に酷くそれっぽさを感じさせたが、ステージ全体で見ると、やはりどこかチープだった。しかしそんなステージを取り囲むように、そこそこの人集りがザワザワと蠢いている。客席から遠い後方にはどこから聞きつけたか河童たちが屋台を出しており、屋台の前にはテーブルやら椅子やらが設置されていて、ライブ会場はもはやちょっとしたビアガーデンの様相を呈していた。
椅子等に座り酒やらフランクフルトなどを食らってる奴らもライブを観に来たことには違いないのだろう。しかし、ステージ前で何かつんのめってる奴らこそが、とりわけファンと呼ぶに相応しい連中なのではないかと、私は思った。
「ビールでいいよね、フランクフルトなんかも買ってきたよ」
リグルは河童達の屋台から持ってきたそれらをテーブルの上に置いた。私たちはステージ前から後方の、ビアガーデンめいた席からミスティアのライブを見届けることにしたのだ。
「いや、一曲ぐらいは素面で聴かないと。なんか悪いでしょ」
たしかに、と言って、リグルはフランクフルトに噛り付いた。ステージ前の連中はそれなりに落ち着きを持って騒めいている様子だけれど、ここら辺に座って酒を飲んでる奴らは既に落ち着きを逸し喚いている。無関係かつプライベートな話で盛り上がっている奴らが大凡のウェイトを占めるこの近辺だが、それでも所々から〝鳥獣伎楽〟という単語が聞こえてくる。
「結構、人気だったみたいだね」
「ほんと。あ、リグルあんた、一曲ぐらい素面でって言ったじゃん」
「いやあ、フランクフルト、食べちゃったらもう無理だよ」
「も、いいや。私も飲んじゃえ。……たまらん! もう一杯買ってきてよ」
「えー、今度はそっちが買ってくる番だろー。僕はさっき行ったし」
「行ってきて行ってきて、おーねーがーいー」
ビール一杯程度では酔わないけれど、私たちは変なテンションだった。リグルがどうかは知らないが、私はなんだか、心が軽くなって、軽くなりすぎて、スースーするのを感じていた。それは、まあ、清々しいといえば清々しい気分には違いない。違いないけれど、やはりどこか違うのだろう。脳内で言葉を探したら、何もない、というのが見つかった。これはなかなか、合致しているような気がした。
どちらがビールを買ってくるかを、リグルとジャンケンで決めることにした。リグルがパーを出して私がグーを出している最中、私はジャンケンの勝敗よりも席を立つ億劫さよりも、夜風の匂いを感じていた。それは私の体を通り抜けて、心を撫でるように滑り抜けていく感覚だった。あー、今日はなんだか妙に抽象的な感慨ばかりが起こる。そんなことを考えていると、席に着く私たちに声をかける者がいた。
「あ。あんた達。あんた達アレでしょ? ルーミアと、リグル・ナイトバグ。ミスティアのおともだち」
「おねえさん、だあれ」
リグルが無表情に笑いながら尋ねる。面倒だから私は黙っていようと考えた。
「私はおねえさんじゃなくて妹。九十九妹よ、知らない? 結構有名なんだけど」
「あー、バンド関係の人だ」
「そ、バンド関係の人。昔は琴なぞ爪弾いてたけど、最近はギターを弾いてました八橋と申しまして。まあ、最近ってのもちょっと昔だけどね。ほんとに知らない? ねえさんと私と堀川雷鼓のあのバンド。有名だったでしょー?」
「あ、雷鼓って人は聞いたことあるかも」
「でしょー? でもうちは〝ウィズH〟じゃ無かったのよ。元々三人で出来たバンドだったんだから」
「ふーん。なるほどなあ」
八橋と名乗るその人は話も半ばにどこかへ行ってしまった、かと思えば、ジョッキを三つ持って戻ってくるなり私の隣の席に着いた。
「一杯ごちそうするわ、あの子今日も調子良さそうではなかったし、飲まなきゃムカムカして観れないわ」
九十九八橋の口振りを聞いて、私はようやく、以前ミスティアと交わした会話を思い出した。なるほどこの人はミスティアの先輩のような存在にあたる人物なのだ。そうだ、ちょっと、聞いてみようかな。そこまで興味はないけど。
「ねえ九十九さん。ミスティアの先輩なんでしょ? あいつ、なんで歌やめるの」
「九十九さんて。それじゃねえさんと区別つかないじゃない。八橋〝さん〟でいいわ。あの子が歌をやめる理由ね、えっとたしか……」
瞬間、ステージから音楽が流れた。それなりの音量で鳴らされた音楽に九十九八橋の語る〝ミスティアが歌をやめる理由〟はかき消されてしまった。しかし、九十九は気にせず話し続けている様子だったので、私は何も聞き取れないまま、適当に相槌を打ち続けた。そのうちに、ステージ前から歓声が上がった。どうやら演者が出てきたらしい。ステージを見やると、ギターを抱えたミスティアと、ベースのサングラスのちんまいのと、それと何故か、堀川雷鼓が現れた。あの尖ったサングラスのちんまいのが、ミスティアの言う〝響子ちゃん〟なのか、私は悩んだが、恐らくその人で間違い無いのだろう。多分。
リグルは一組目にミスティアが現れたのが意外だったようで、大音量のSEの中必死になって、
『トリじゃないんだね!』
と私に伝えてきた。知らん。
SEの途切れた頃、九十九が口を開いた。
「ほんとはトリのはずだったんだけど、断ったのよ、あの子」
リグルがほえーと相槌を打つと、九十九が早口になって喋った。
「お、始まるわ。まあ今日はMCからでもいいけど、うわ響子が喋るのか。あの子から入ると、長くなるのよね」
九十九が喋り終わると同時に、ステージ前から何か生温かい笑いが起きた。どうやらマイクの電源が切れていたらしく、電源の切れたまま勢いよく第一声を発した〝響子ちゃん〟に対して起こった笑いのようだ。九十九の、
「あーあー、愛想ふりまいちゃって」
という呟きが、イヤに耳についた。
『あーあー、マイクテス、てすてす、マイクテス。え? 河童さんがもうやったって? じゃあなんで電源切れてんのさ。全く。あー、えー、改めまして、どーも鳥獣伎楽です』
尖ったサングラスの〝響子ちゃん〟が挨拶の部分を妙に早口で捲し立てるとステージ前から歓声が起きた。テーブル席に着いたここら辺のやつらも、おー、とか、うぇー、とかそんな声を上げる。リグルは〝おー〟だった。
『えー今日は、私たちの、所謂解散ライブ、というやつで、実際は、活動休止なんだけども、まあ、解散ライブでも、さほど変わりはないね』
語り口は訥々としているが、一区切り一区切りまでが妙に早口で、どうにもわざとらしい息遣いだ。それはきっと、長いバンド活動の中で響子チャンの見つけたスタイル、或いは敬愛する何者かの模倣なのだろう。どちらにしたって、人に歴史あり、という言葉は無遠慮に私の軽薄さを詰る。
『結局、最後までドラムは見つからずじまいだったよ』
その一声で前列あたりに起こった笑いに対し、八つ当たりに似た軽蔑が浮かぶ。ああ、なんにしたってもう終わりだというのに、この期に及んで、私の捩くれは直らないようだ。はは、それはそれで、人に歴史あり、ってことだろう。
『じゃ、あんまり長くくっちゃべってると、コワイ先輩に怒られるから。……最初だけ、湿っぽいのを一曲、私はこういうときに、そういう、湿っぽい曲をやるのはね、反対したんだけど。まあ、ここも今日限りで取り壊されるし、私たちも解散するしで、まあ、御誂え向きのやつでは――』
そこまで言うと、堀川雷鼓がドラムを二度叩く。前列の生暖かい笑い声から察するに、二度の叩音には恐らく「話が長い」の含意があるように感じられる。ああ、どうも乗り切れない。これの、なにが面白いというのだろう。
『ははは、怒られちゃった。こわいねぇ、はは。……じゃあ、やろっか、ミスティア。……それじゃああらためまして、鳥獣伎楽。よろしくおねがいします』
限られた歓声と疎らな拍手と同時に、堀川雷鼓が等間隔のリズムを刻む。九十九を見やると、彼女はなにか感慨深そうに、また、愉しむような表情で、ステージの上を見つめている。視線を戻す際、対面のリグルと目を合わせれば、リグルはイヤに感傷的に、寂しげに、諦めたように、笑ってみせた。その頃には、ミスティアがギターを弾き始めていて、リグルの開いた口が何を言っていたかは判然としないが、それはおそらく「ははは」だった。私も、同じ顔をして、同じように発声したはずだ。
~Good bye my JAM
ステージの上、演奏された一曲目は赤かった。赤く、錆びて、きっと、赤褐色の鉄の球だった。極小の錆びた鉄球が、落ち着いた、等間隔のリズムの上を飴玉のように転げ回るような、そんな曲。歌詞の内容としては思い出の場所が消えることを皮肉たっぷりに歌い上げたニヒルなもので、抽象的なイメージに落とし所をつけるとすれば、取り壊しまで残りわずかなライブハウスに、ピックの当たる部分以外が錆びついたギターが打ち捨てられている。そんなところだ。
曲が終わって、響子チャンがなにやらくっちゃべっているが、私の心は賑やかな夜風に凪いでいた。それは、リグルも同じだったようで、黙っていればいいものを、感慨深そうに腕を組む九十九に対し、なにやら問いかけた。
「ねえおねえさん、今の曲はさ、ミスティアが作ったの」
九十九はステージを見つめたまま笑い声を乾かして、言った。
「あの子たちはコピーバンドよ。オリジナルも無理矢理作らせたことがあるけど、どうも、才能ないんだなあ、あの子らは。……あはは、ほんとに、全然観に来てなかったってわけね」
私たちは無感動に気まずい笑いで相槌を打って、顔を見合わせた。リグルの目は相変わらずに無感動で、私にしたって、きっと、それは同じだろう。ただ、賑やかで寂しい喧騒の中で、終わりを悟った。
そのあと、ミスティアたちは打って変わって、賑やかなだけの曲を演った。九十九曰く青春パンクというジャンルで、ミスティアたちが随分世話になった曲目らしい。夜に靡く青春パンクの爽やかさは虚しさも内包しているように思えたが、実際のところはわからない。ミスティアのよく通る歌声が空騒ぎであるか、青春との永別であるかは、前列あたりでしっちゃかめっちゃか汗をかいているやつらと、したり顔で酒を飲む九十九の方が、私たちよりもよっぽど詳しいのだろう。
そのうち、九十九が消えた。どうやら次の演者は奴のバンドらしい。リグルも、判然としない狂熱の中へ飛び込みに行った。どうせ最後だし楽しんでくるよ、とかなんとか、エクスクラメーションマークを付けて。空っぽの心で身体を動かす才能は、なるほど、リグルの方が上らしい。
どうも、やってられない。直視に耐えずステージから目をそらすと、会場の端の方、見覚えのある妖精が腕を組み、演奏を見つめていた。妖精の周囲には、おそらく妖精に拐かされて来たであろう悪ガキどもがよくわらなさそうな顔でステージを見つめていた。仁王立ちで腕を組むリーダー面の妖精は私の視線に気付くと、組んだ腕のまま、顎でステージの方を指し示した。まるで、ちゃんと見ておけ、とでも言いたげな顔で。
しかし、私は妖精を眺め続けた。妖精はもう私なんかに気を留めることもなく、ミスティア達を口を結んで見つめている。その表情は、ミスティアにとって最後の歌と演奏を、見届けてやろう、そんな表情にも思えた。
なんて、はは、私は本当に、どうしようもない。
リーダー面した妖精の隣にはこれまた見覚えのある妖精が立っていて、私に気づいたそいつが、困ったような笑みを浮かべて、手を振るものだから、私も同じように手を振り返して、それっきり、妖精たちから目を逸らして、仕方なく、演奏を眺め続けた。やはり、夜の匂いが、鮮明だった。
「ああ、よかったね。ミスティア、こんなにかっこいいことやってたんだ」
「ほんと。もっと、観に来てればよかった」
「それは言いっこなしだろ」
「うるさいな、ステージ前まではしゃぎに行ったやつには言われたくない」
私たちは空しく笑い合いながら、有象無象の演奏が全て終わるまで、ぬるいビールを飲み続けた。全ての演奏が終わったのは空が漆黒から薄青へと推移した頃で、おそらく、大団円というやつだったのだろう。
「終わったね」
「うん。帰ろっか」
会場の人々はなにかをやり切った様子各々疎らになっていく。妖精達も、もういない。河童は軽薄にも既にステージの解体を始めて、前列のやつらはその様子をしみじみといった具合に観賞していた。
「結局さ、ミスティアはなんでやめちゃうのかな。あんなに楽しそうに歌ってたのに」
「さあね。いろいろ、あったんでしょ。私たちには分かり得ない、いろいろがさ」
しかし今、前列のあたりからはフォークギターの落ち着いた音が朗らかに響いて、それに混じって、楽しそうな歌声が聞こえていた。それは間違いなく歌をやめるはずのミスティアの声で、果たしてどういう気持ちで歌っているのか、慮るのは不誠実な気がするからしないけれど、不思議と、悪い気はしなかった。
「僕たちもうたいながら帰ろうか?」
「いいね。むしろもう、バンド組んじゃお」
「ルーミアお前、天才かよ」
「私がボーカルね。あとは全部あんた」
……。
結局、置きっぱなしの色々を、いらない、と言って、私の家に寄ることもなくどこかへ帰っていった。だから、途中で別れた家路の最中、私はやはり、右上の方を見ていたのだけど。しかし、もう、それも終わりにするべきなのかもしれない。
あの男の酒屋の手前、右上の、夜明け前の混沌から視線を逸らし、左上へと動かした。
左上を見やると、馬鹿でかいアレの枝葉は当然、なくなっていて。そこには広い、空があった。視線を落とすと、そこには寺子屋の、裏庭が在った。
槻はもう、なかったけれど、代わりに、ええと、木が生えていた。この木はたしか、ううむ、なんだっけ。たしか昔、勉強した記憶があるけれど、だめだ。思い出せない。帰ったらちょっと、復習してみるか。
ああ、本屋に、行かなきゃな。
その後、私は家に帰り、眠り。起きたらたらたら本屋へ出向き、また、家に帰り。
それからひたすら、復習をした。
たぶん、二、三年、やっていた。