ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
「はぁ。お前と話してるとますます眠気が遠のいていく気がするよ。もう、あの店じゃなくてもいいから何処か行こうよ。そうだ、前に見た湖に行こう!あそこなら、ここからそんなに離れてないし。ね、そうしようよ」
えー、行きたくない。面倒だ。
それに明日はいよいよ満願成就の日だというのに、どんだけ眠りたくないんだこの小人は。
「あー、二日酔いの朝に姫に無理やり連れていかれた湖ですか。うーん、姫もあそこは微妙だって仰ってたじゃないですか。陽が反射して眩しいわ、いきなりどっかから氷の塊が飛んでくるわで、散々でしたし。それに、あそこってここからそんなに近くでしたっけ。わたしは相当歩いたような気がしますけど」
「近いよ近い!せーじゃは二日酔いで歩くのが辛かったからそう感じるだけだよ。それに、上に登れば、ここからだって見えるんだよ。付いてきてみてよ」
そうか、二日酔いのせいで距離を長く感じたのか。そういえば湖につくなり吐いたのを思い出せるな。
しかし、上に登ればとはどういうことだろう。わたしたちが隠れ家としているこの木のうろの中に、上へ登るための機構があるとは思えない。
針妙丸はうろの外へ出るが早いか、樹皮をつかみ、樹木の大きな根に足をかけるのだった。
あー、やっぱり、登るのか。
こういうとき、なんで飛ばないのかな、こいつ。
器用に樹木を登っていく針妙丸を眺めていると、針妙丸が振り向いてこちらを見やった。
「せーじゃ、なにしてる。はやく来いってば」
そう捲し立てる針妙丸の表情は、何やら充実感に満ちた爽やかな笑顔だった。
妖怪や人間の中には自分の筋肉に負荷をかけては喜ぶ輩がいるが、負荷をかけている最中、奴らはちょうどあんな感じの笑みを浮かべる。馬鹿のする表情だ。あれは。
なんで、こういうとき飛ばないのかな、あいつ。
再三再四同じような疑問が過ったが、針妙丸を姫と呼んでいる手前、わたしも同じように木登りせざるを得なかった。
なんで、飛ばないんだろ、こいつ。
わたしはとりわけ丈夫そうな樹皮に、手をかけた。
「ね?思ったより近くでしょ。ここからでも、よく見えるんだから」
針妙丸の言う通り、湖は思ったより近くに在った。というより、目の前だった。背丈の低い針妙丸はともかく、わたしの足なら五分もかからず到着するだろう。
木々に囲まれた広い湖は、月の光に照らされて、深い夜の闇の中に美しく浮かび上がっていた。黒く透き通る水面の上に、青白い小さな光が無数に踊っている。
「日中行った時はなんとも思わなかったけど、夜に見ると綺麗だね。なんだろ、あのキラキラしてる青白いのは」
必死になってやっと木を登り終えたわたしをよそに、針妙丸は樹木の枝に腰をかけ、涼しげな顔で湖を眺めている。
太い枝に腰をかけ、わたしはやっと、大きく一息をつくに至った。
「あれは姫の嫌いな虫ですよ、虫。おそらく蛍でしょうね」
わたしをさておいてスイスイと木を登っていきやがった針妙丸への報復に、少し意地の悪い返答の仕方をする。
「ふーん。ほたるか。本で読んだのより、ずっと綺麗だな。ねぇ、せーじゃはどう思う?」
針妙丸は目の前の景色に夢中になっているせいか、いつもより少ない数の言葉を訥々と述べる。
針妙丸に感想を求められたので、わたしは改めてまじまじと湖を眺めた。
「わたしは別に、景色なんて。眺めても、特別なにか、思うことは」
視界に映る湖は、悔しいけれど、綺麗だった。
森に吹く緩い風が、水面の月をゆらゆらと揺らす。
「ねえ、せーじゃ。私ね、思ったんだけどさ」
針妙丸は、湖を眺めながら口を開いた。
「私はね、虫が苦手なんだけど。いま、ほたるは綺麗だなーって、思ったの」
わたしも湖に見惚れながら、針妙丸の声に耳を傾ける。
「でもさ、あの湖には、ほたる以外にも、たくさんの虫がいると思うんだ。私はさ、多分、その虫たちを、綺麗だとは思わないんだろうな、って」
青白い小さな光は、よく見るとそれぞれ大きさが異なっていて、他より少しだけ大きな光や、他より少しだけ小さな光があった。その中でも、一際小さな光を中空の端の方に見つけ、わたしはその、一際小さな光をなんとなく眺めていた。
「ほたるのなかにもさ、大きいやつとか、小さいやつがいて、私達の目にはあんまり違わないけど、小さいやつは大きいやつに憧れたり、大きいやつは小さいやつに憧れたり、してるんだろうね。ねえ、せーじゃは今、どのあたりをみてるの?」
小さな光を追いながら答えた。
「あの、中空の左端の方ですよ。見えるかな、一際小さいやつがいましてね。特別強く光を放ってるわけでもないんですけど、群れから外れて一匹で飛んでるものだから、なんとなく気になって」
針妙丸はこちらをみるともなく答える。
「へえ。寂しくないのかな、そいつ」
「さあ、わかりませんが。でも、勇敢なやつですよ、どんどん、群れから一匹、離れていきます。あれは自分を他と比べること自体、していないのかもしれませんね」
「ふーん。自分と周りを比べることをしないなんて、大したやつだなあ。それじゃあきっと、欲しいものもなくてさ、自分さえいれば生きていけるやつなんだろうね」
「案外そうでもないかもしれませんよ。もしかしたらあいつ、みんなが付いてきてくれると思って飛んでるのかもしれません。そうして振り向くと、誰もいなくて、びっくりしたりして。それか、森の中で意中の相手と待ち合わせているのかも。なんにせよ、後悔しますよ、あとあと」
「あー、ほら。もう森の中に入っていって、見えなくなってしまいましたよ。うーん。じゃあ、姫は今どの辺りを見てるんですか?」
消えてしまった小さな光の代わりになるような箇所がないかと思い、針妙丸に尋ねた。
「私はね、一番でっかいやつ」
「というと、どの辺りですか?」
「えっとね、一番上の方かな」
わたしは、針妙丸の言う通りに蛍の群れの上の方、ちょうど月と湖の間あたりを探してみたが、特に際立って大きな光を放つ蛍は見当たらない。
「一番上の方って、どこらへんを……あぁ、あれのことですか」
「そう、あれのこと」
針妙丸は月を見ていた。
瞳に月を映した針妙丸の表情は、どこか遠くを見ているようだった。
まあ、月は遠いもんな、あたりまえだけど。
「私はね。小さい頃、蛍と違ってさ、自分と比べる相手がいなかったんだ。でも、人も妖怪もさ、相手にあって自分にないものだったり、自分の手が届かないものを欲しがるものでしょ。私にはそれがなかったんだ。檻の中のものは手を伸ばせば当然届いたし、檻の外にはなんにもないし。他人なんて、私を閉じ込めてる奴らしかいなかった。あんな奴らに憧れる要素なんてちっともなかったね。まぁ、三食くれたり、たまに本をくれたりしたことには感謝してるけどさ」
閉じ込めてる奴らか。
あいつらが、針妙丸に三食を与えたのは小槌を振らせるためだろう。
本をくれたのは、輝針城から出たことのない針妙丸に対する嫌がらせの一種だ。
全員、わたしが殺した。
「だからね、私の手が届かなくて、憧れられるものなんて、窓から見える月くらいしかなかったってわけ。丸くなったり、かけていったりしながらも、雲に隠れてたってそこにあるのが分かるくらいに、光ってて。そんな月を見ててさ、なんとなく思ったんだ。私が大人になったら、きっと、あれに手が届くくらい大きくなるんだ、って」
「でも、段々とさ、分かったんだ。自分は小人族で、大人になったって、月には手が届かないって。それからずっと、悔しかったよ。なんで自分は小人なんだろうって。なんで、欲しいものが手に入らないんだろうってさ」
夜空に浮かぶ薄い雲が、少し欠けた月を覆った。
「でもね、最近になって、ようやく気にならなくなってきたんだよね、あはは。ねぇ、せーじゃ、なんでだと思う?」
何も、思い浮かばない。
「さあ。大人になって、諦めでもついたんですか?」
針妙丸は、あはは、と笑った。
「私はまだまだ大人って年じゃないよー!まあ、小人族って大人になってもあんまり変わらないらしいから、他のやつらにはわかんないかもしれないけど。でも全然、私はまだまだ子供なんだよ。とにかくね。諦めたっていうよりさ、ようやく、受け入れられた、っていうのかな。小人族であること、月に手が届かないこと……他にも、いろいろ」
針妙丸はそういってまた少しだけ笑うと、今度は眉を潜めて俯いた。
緩やかな風の音が、静寂を縁取る。
「あのね、せーじゃ。私はね」
雲に覆われた月がまた、ゆっくりと顔を出す。青白い光は、針妙丸の顔を少しだけ照らした。
「ううん、やっぱりなんでもないや」
気がつくと、蛍が減っている。
「いよいよ明日だね、せーじゃ。眠れない、なんて言ってる場合じゃないや!明日に備えて、もうそろそろ眠らなきゃ」
蛍の光が、消灯時間を告げるように、一つまた一つと、消えていく。
「明日!私、頑張るからね。せーじゃも応援してよねー!……二人でさ、平等で優しい世界を作るんだもんね」
一つまた一つ、消えていく。
「せーじゃ、私は先に戻るね。じゃあ、おやすみ」
「……ああ、おやすみ。針妙丸」
蛍の光が途絶えた水面を、静かな月明かりだけが照らしていた。
なんか、変だったな。あいつ。
小人族であることを受け入れた、なんていってたけど、そんな風には見えなかったな。
笑ってたけど、なんか楽しくなさそうなんだよなあ。
まあ、そうだよな。
やられっぱなしのまんまじゃ、悔しくて、心の底から笑えるわけ、ないよな。
計画の準備は万端だ。
明日になれば全てが変わる。
わたしを虐げてきたやつらを殺して。
わたしを無視してきたやつらを殺して。
わたしを軽んじてきたやつらを殺して。
お前を虐げてきたやつらも殺して。
お前を無視してきたやつらも殺して。
お前を軽んじてきたやつらも殺して。
あいつも殺して、こいつも殺して。
どいつもこいつも殺してさ。
みんな、こわしてやるから。
力も無いくせに一丁前に権利を主張する人間どもも、人間を管理した気になってる妖怪どもも、その上に胡座かいてる神格どもも、みんなひっくり返してさ。
こんな世界、こわしてやるから。
そうすれば、わたしは楽しいよ。
そうすれば、わたしも笑えるよ。
お前だってそうだろ?針妙丸。
そうしたら一緒に、地面に這いつくばる奴らを指差して、笑ってやろうじゃないか。
ざまあみろってさ。
少しだけ欠けた夜空の月は、針妙丸の透明な笑顔によく似ていて。
ああ、わたしの願いが叶ったら、あいつはどんな対価を払うのかな。
延々と続く夜の闇は、次第に白んでいった。
「さあ、姫」
慄える針妙丸の手に、わたしは自分の手を添えた。
「うん」
そうして、わたしたちは世界に小槌を叩きつけたのだった。
……。