ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
†破滅† 1
世界の破滅というものは、どうやら思いのほか穏やかにやってくるようだ。
彗星接近。幻想郷滅亡の危機。そんな第一報はいつもと変わらぬお昼時に、お茶の間を彩るバラエティ番組の上部に、すっと、文字のみで現れた。それはどうやらテロップというらしい。そんな形で世界滅亡の危機を知ったものだから、私はどうも、ああ、滅ぶのか、世界。なんて、とりとめもなく受け入れてしまった。どれもこれも、河童の、企業努力の賜物というやつだ。
そんなわけで、私は今も、長屋に備え付けの、ちゃちな木製のダイニングテーブルの上にスパゲッティなんかを置いて、テレビ画面を眺めている。どうやら赤い館のひとたちが迎撃ミサイルを発明したようで、世界滅亡の危機は免れた、という。
いわく、我々の用意したミサイルは必ずや、あの月に似た彗星を粉砕する、とのことで、根拠としては、運命がそれを保証しているらしい。なんじゃそりゃ。
だいたい、彗星なのに月に似てるというのは、いったいどういうことなのか。私は世界の存亡よりも、そっちのほうが気になった。しかし、テレビは今も赤い館の偉そうなひとを映し続けて、偉そうなひとは自信満々さをひたすらに表明し続ける。なんだかな。スパゲッティを食べ終わっても、結局、彗星のことは知れずじまいだった。
そろそろ食器を片そうかなと思っていると、窓の向こうから、寺子屋帰りであろう子供達の声が響く。長屋は屋の並ぶ閑散とした通りに面しているから、二階とはいえ、そういった声はほぼ毎日耳にした。そのたびに、私はどうも、通りの静けさが余計に感じられて、部屋の広さに、ふわふわとした曖昧な、静けさに似た感慨を浮かべてしまう。
浮かんだ感慨をかき消すこともなく、私はそのまま、一人分の食器をキッチンまで運ぶ。キッチンの床はビニルだか、樹脂だかで、少し弾力のある素材で、裸足で歩くと、ペタペタと音がなる。一面のくすんだクリーム色と、細やかに、また規則的に散りばめられた薔薇の模様は、どうしたって、私に四半世紀超えの年季を感じさせるのだ。
しかし、私はこのキッチンの床が好きだった。聞けばクッションフロア、なんて呼び方をするらしいが、ともかくとして、私はその、クッションフロアの弾力が好きだった。ともすれば、歩くたびにペタペタとするこの音が、好きなのかもしれない。
種族特有の背の低さに、皿を洗うのにも苦労をする。とはいえ、縮む時はもっと縮むけれど、平常ならば河童たちと同じ程度なものなので、せいぜいすこし大変、といったところだ。洗うお皿だって一人分だから、ほんとうに、そこまでの苦労はない。まあ、これがもし二人分の後始末に変わったのなら、私も背丈にものをいわせて、私が洗うのは大変だから、これは、お前がやるべきじゃないか、なんて八つ当たりも出来るのだろうけれど。
あいつが居なくなってから、しばらくが過ぎていた。あいつは、なにか、私とそこそこに親密になったところで、初めて私を食事に誘った。そして、そのタイミングで慌てて長屋を飛び出して、そのまま帰らなくなった。
――あー、最近美味い定食屋が出来たらしいな。今度一緒に……。
そこまで言って、あいつはなにかハッとして、口をあわあわさせては、そのまま、ちくしょう、と叫んで飛び出していってしまったわけだ。計画の失敗からもう随分経って、平熱の日々を享受してきたというのに、あいつはつくづく、天邪鬼をやめられなかったらしい。
私もそこまで構ってやろうなんて気が起きなかったから、出ていったあいつを探すことなんて一切しない。どうせ放っておいたとしても、あいつはふらふらと、この狭い幻想郷のどこかをふらついているに違いないないから、それならそれで、いいと思った。
ちょうど、キッチンの小窓の向こうの空に、青白い尾を引きずって、太陽より鈍く発光する球体がある。あれのどこが、月と似ているというのだろう。頭はやはりそんなことでいっぱいで、赤い館のミサイルとか、世界滅亡の危機とか、そんなのはぜんぜん、考えもしないでいた。
洗い終わったお皿の水を切っていると、ふいに、玄関の戸が勢いよく開いた。私は声もあげずに驚いて、キッチンから直通の玄関を見やる。目は、たぶん、丸かったと思う。
そこには、額に汗をかきながら、息を切らしたあいつが立っていて、よく見ると、涙ぐんでるようにもみえた。泣いているところを見るのは初めてだったから、私はきっと、丸くした目に加えて、眉を潜めたはずだ。けれど、こいつは私の前では泣かないというだけで、いろんなときに泣いていたことを私は知っていた。計画の実行が差し迫った頃なんて、夜毎隠れて泣いていたようだし、計画が失敗したときだって、わんわん泣いていたはずだ。だから、こいつの泣き顔をみたところで、そこまでの衝撃は受けなかった。しかし不可解だったのは、こいつの背負った、唐草模様の風呂敷だった。風呂敷からは、プラスチックめいた、おもちゃのような赤色の三角が飛び出していたのだ。先端の三角よりしたは、またおもちゃのような白色をしていて、それはどうも、先ほどテレビの下部四角形の中に見た、迎撃ミサイルと酷似していた。ちなみに、画面下部の四角形はワイプ、と呼ぶらしい。知ったことか。
濡れたお皿を掴んだまま、言葉を選んでいると、正邪は玄関先に立ちっぱなしのまま、おもむろに口を開いた。
「ひ、ひ、姫。せ、せ、せ、世界が滅んでしまうよ。わ、わたしの、わたしのせいで!」
その声は焦燥と僅かな歓喜の入り混じった、正邪らしいといえばらしいものだった。しかし、その声の震え方と、姫という呼称で、これは重大なことが起きたぞ、と私は悟った。
「とりあえず上がんなよ。スパゲッティを茹でてやろう」
こくこくと頷いては、背負った風呂敷の結び目を両手で掴んだまま、正邪は玄関をくぐる。こいつがこうも素直だと、いよいよもって、こいつの背負ったおもちゃ的オブジェクトの信憑性が増してくる。
正邪はそのままキッチンをペタペタと鳴らして、不如意に冷蔵庫の中身を認めた。喉でも渇いているのかしらん。
そんな正邪を横目に、私はキッチンからリビングへの敷居に半身を逃して、テレビの様子を確かめた。テレビ画面上部にはなにか〝テロップ〟が出ていて、どうやら、河童の倉庫で保管していた迎撃ミサイルが盗難された、とかなんとか。しかし、画面に映る赤い館の偉そうなひとは、テロップに気がつくことはない。今なお偉そうに謹製のミサイルの長所を挙げ連ねているので、なんとも間抜けな光景である。
「ぎ、牛乳だ。の、飲んでいいよな」
「おまえは一気に全部飲んじゃうから、ダメ」
正邪はしゅんとして、リビングのダイニングテーブルの一席に腰を落ち着けた。テーブルの上、風呂敷を広げて露わになったのは、どうしたって、例の迎撃ミサイルだった。しかし、どこからどうみたって、おもちゃのようにしか思えない。こんなもので、あの彗星を撃ち落とすことが可能なのだろうか。
「どうするの、これ」
「き、決まってるだろ。このまま、隠して見つからないようにするんだ。は、ははは! や、やつら泡吹いて探し回るに決まってら、でも、見つからない。そして世界は滅ぶんだ……わたしの、わたしの、ああ! わたしのせいで!」
荷を解いても肩から重荷は下ろせなかったようだ。どうみたって、こいつはビビってる。けれど、ミサイルを隠匿し続けるだけで、こいつの念願成就が達せられる。そう考えると、私はこのまま世界が滅ぶのも、なんだかやぶさかではない気がした。
「ふうん、そうかい。まあ、いいんじゃないか。おまえがそうしたいならさ」
「そ、そんな。姫、いや、針妙丸。お前、いいのかよ! 世界が滅ぶんだぞ!」
「いいじゃないか。そもそも、世界をひっくり返すのが、おまえの念願だったはずだろ。こんな平和な世の中じゃ、ちょっとやそっとイタズラしたところで、なにも変わらない。世界を救う鍵を隠して、星が降って、世界が滅ぶ。私とおまえに、御誂え向きの結末じゃあないか」
「く、くるってる!」
正邪はそう言って、慌ててミサイルに手を伸ばしたが、そうはさせない。
「だめだぞ。まさかこれを返しに行こうってのか。そんなの、おまえらしくもなんともない。下克上をしようよ。な。だから、世界が終わる瞬間まで、これは私が持っておいてやろう」
ミサイルを抱えてみると、それなりの重さがあった。なるほどこれは、世界を救う重さに思える。
「ま、まさか! 返しに行こうだなんて考えていないさ。ただ、お前に持たせておいたら危なっかしいから、わたしが持っておこうと思っただけで! ま、まあ、どうせ隠しておくんなら、お前が持ってたとしても、わたしが持ってたとしても、どっちにしろ、変わらない。特別にお前がそれを保管することをゆるしてやる。そのかわり、世界の破滅まで絶対に隠し通すこと!」
これはわたしの下克上なんだから、と威勢良くと付け加えて、正邪は腕を組み、そっぽを向いた。ああ、多少の迷いを感じるけれど、やっぱりこいつは、こうでなくちゃ。