1度言葉を交わし、素性を明かし合えば、次に会う時は気負わず話しかけられる。
「おはよう、アズミ」
「ええ、おはよう」
そんなわけで笠守は、今朝も昨日と同じ交差点でアズミと出会う。ただし、昨日の別れ際に言った『お堅い感じは無し』という言葉を忘れずに、本来の砕けた口調で話しかけた。
それもあってか、2人の間に緊張した空気はほとんどなく、そして自然と大学へ向けて並んで歩き出す。
「笠守は、いつもこの時間なの?」
「ああ。アズミも?」
「そうね。だから多分、知らないうちに会ってたのかも」
「あー、確かにそうかも」
普段見かける人も、面識が無ければ赤の他人で興味の対象外。しかし、親しい人となればその姿を自然と探すようになるものだ。だから昨日も、笠守がアズミのことをすぐに見つけられたのかもしれない。
「あ、そうそう」
そこで何かを思い出すように、アズミがスマートフォンを取り出す。
「昨日、笠守が言ってくれたじゃない?最初は動かないものを撮って慣れた方が良いって」
「・・・ああ、言ったな」
「でね、昨日試しに戦車を撮ってみたのよ。試合の後で」
アズミはスマホを操作しながら何でもないように言うが、笠守は意表を突かれた。
昨日のアドバイスは、写真好きとして放っておけない、いわば親切心のようなものの表れだ。
しかし、まさか本当に実践してくれるとは思わなかった。
そして、自分の言葉を真摯に受け止めてくれたことを同時に嬉しく思う。
「こんな感じなの」
「どれどれ・・・」
笠守の気持ちも知らず、アズミはスマートフォンを見せてくる。
嬉しい気持ちはほどほどにその写真を見ると、写っていたのは戦車の写真。
だが、ただ横から撮ったのではなく、下から見上げるアングル。高く聳える壁のような威圧感、そして鉄の車輌特有の重量感を出している。無傷ではなく、傷跡や土埃がついているところが逆に味があった。
「・・・すごいな」
「え?」
その写真を見て、自然とそんな感想が口から洩れた。
「アズミ、本当にカメラ初心者?全然そんな感じがしないなー・・・」
そう言われるとは思っていなかったのか、アズミはキョトンとした顔になる。
「本当?お世辞とかじゃなくて?」
「ああ、本気も本気。構図は悪くないし、戦車の迫力も伝わってくる。うん、すごく上手い」
笠守は、感心するように、そして興味深く頷く。一方でアズミは照れ臭いのか、はにかんで頬を掻いていた。
「けど、強いて言うなら、逆光かな」
「え?」
「これ、太陽の光がちょっと入り込んでて、戦車が若干見にくくなってるだろ?それがちょっと、気になるかなーって」
この写真を撮ったのはお昼前。丁度太陽が戦車の真上辺りにあって、戦車を下から見上げる形で撮ってしまったから、陽の光で若干戦車が見えづらい。そこが、笠守は気になった。
「まあ、モノによっては逆光があればむしろ絵になるってのもあるけど。うん、やっぱり上手いと思う、この写真」
スマートフォンを返しながら、笠守は笑う。それをアズミは、評価されて嬉しいのか小さく笑って受け取った。
「あのモミジを良いって言ったのもそうだけど、やっぱりセンスあると思うな。アズミは」
「そうかしら・・・?」
「ああ。モミジもだけど、王道や普通とは少し違うものに注目するってのは、結構重要だからな」
「へぇ~・・・本当にそうなら、嬉しいわね」
街路樹のイチョウの葉が落ちるが、色はまだ中途半端に緑。とはいえ黄色に近づきつつあるので、秋の風物詩たる黄色のイチョウになるのももうすぐだろう。
「良かった、プロの笠守に褒めて貰えて」
「プロだなんて。俺はただ、写真を撮るのが好きなだけだし」
それは決して謙遜などではない。自分よりもカメラの腕がいい人なんてこの世にごまんといる。そんな人物と比べれば自分などペーペーだ。
「でも、あんなにいい写真が撮れるんだもの。私からすれば十分プロよ、プロ」
「それは褒めすぎだなー・・・」
その写真とは、間違いなくあの展示会のパーシングの写真を指しているだろう。
笠守としては、べた褒めされるのは慣れていないのでこそばゆいが、アズミの称賛の気持ちだけは受け取っておく。
「でも、そう言ってもらえると嬉しい。ずっとカメラを続けてきてよかった」
「ずっとって・・・どれぐらい?」
「小学校2~3年ぐらいからだから、大体12年ってとこか」
「へー、すごい・・・」
アズミの反応も、予想はできた。周りからも『よくそこまで続けられるな』とは何度も言われてきたし、笠守も『違いない』と肩を竦めて苦笑するまである。自分でも、ここまで長続きしているのが驚きだ。
「どうしてカメラを始めようと思ったの?」
「元々父さんが趣味でカメラやってて。それ見て『俺もやってみようかなー』って」
「結構軽いノリなのね・・・親の影響ってことかしら?」
「まー、そんなところだな」
道路を車が行き交う。珍しいものを常日頃から探そうとしている笠守だが、たとえ珍しい車が走っていても、今撮るのは時間的に厳しい。それに今はアズミと歩いている最中だから、不用意にカメラを構えるのも失礼に当たるだろう。
「そう言えば笠守」
「ん?」
「あのパーシングの写真を見て思ったんだけど、昨日とかも戦車の写真を撮ってたりしたの?」
アズミが見た笠守の写真は、件のパーシングの写真1枚だ。そして笠守自身でも、『よく戦車を撮る』と言っていたのでそれを信じるのも当然だろう。
「いや、戦車はここ最近あまり撮ってないなー・・・時間が合わなくて」
「そうなの?」
「ああ。スケジュールとかが合えば戦車の写真は撮りに行くんだけど。だから昨日も撮ってないし、今日もちょっとな・・・」
「あら、そうだったのね・・・でも、そういう事情があるなら仕方ないわ」
アズミが少し肩を落とす。もしかしたら、写真を撮ってくれるのを期待していたのかもしれない。自分の予定を調整して、近い内にまた撮りに行こうかなと頭の中でスケジュール帳を開く。
やがて、アズミと2人で大学の門を通り抜ける。昨日もそうだったが、アズミと歩いていると、なぜか大学まであっという間に感じる。
「アズミは今日も戦車道?」
「ええ、もちろん」
「ホント、大変そうだな・・・」
「もう慣れちゃったわ」
苦笑するアズミだが、やはり笠守はすごいと思う。戦車に乗るのが大変なのは、戦車を撮っている身の笠守には理解できる。無論、それだけで全て分かったつもりではないが。
「それじゃあ、私はこっちだから」
そして昨日と同じ場所で、アズミは笠守と別れようとする。
しかし笠守は、そのアズミの戦車道に臨もうとする凛とした表情を見て、妙な『寂しさ』を覚える。だが、それもアズミと別れることを名残惜しく思っているからだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「・・・アズミ」
「何?」
「アズミって、いつも昼ご飯とかどうしてる?」
意外な質問だったのか、アズミは目をぱちくりとさせる。が、すぐに立ち直って『いつも食堂よ』と答えた。
「ならさ・・・俺も食堂だし、よかったら今日一緒にどう?」
「え?」
その申し出は、アズミにとってはさらなる不意打ちだったらしく、今度ばかりは声を上げずにはいられなかったようだ。
その反応に、笠守の中で『しまった』と後悔が湧いて出てくる。アズミとは砕けた調子で話せているが、知り合ってから時間はまだそこまで経っていない。なのにいきなり昼食に誘うのは踏み込みすぎたか。
頭が冷静になって、口から言い訳がましく言葉が出てくる。
「あ、いや・・・誰かと約束してたんならいいんだ。気にしなくても―――」
ところがアズミは、その言葉の途中でふっと笑い。
「・・・いいわよ、一緒に食べましょう?」
言おうとした笠守の謝罪の言葉が喉に落ちる。
そして聞き間違いじゃないかと、恐る恐るアズミに再確認した。
「いいのか?」
「ええ、もちろん」
柔らかい笑みと共にその言葉を聞いて、笠守は内心で胸をなでおろす。突飛な提案かと不安だったが、こうして受け入れてもらえたことが一安心だ。
そして待ち合わせの時間と場所を決めてから、笠守はアズミと別れる。
教室へ向かうまでの間に笠守は、自分の言動を反省した。
(ちょっと踏み込みすぎだったな・・・)
いきなり昼食に誘ったのを、冷静になった今ではそう思う。下手をすれば、一気に関係が他人に逆戻りの可能性だってあった。
だが、アズミと別れてしまうのを名残惜しく思ったのも事実だ。
今朝のように、アズミと登校して色々と話をするのは楽しかったし、自分のカメラの腕を褒めてくれたこと、アズミが自分に感化されて写真の世界に踏み入れようとしていることは嬉しい。
だからと言うわけでもなく、アズミには自然と惹かれるような魅力を感じたのだ。
その理由は、笠守自身でも上手く説明ができない。
自分の写真を褒めてくれたからか、それともアズミが自分の撮った写真に乗っていたなんて奇異なつながりだからか。
自分の気持ちが自分で分からないまま、笠守は教室へと向かう。
ただ、昼に会ったら突然誘ったことをもう一度謝ろうと決めた。
「ふぅ・・・疲れましたねぇ・・・」
戦車道の訓練が終わり、真庭が髪を梳かしながら息を吐く。季節が変わって涼しくなっても、戦車の中はまだ少し蒸し暑い。試合中は服の中が蒸れるし、そのままなのは乙女的にも見過ごせない。なので自然と、訓練の後は自然とシャワーを浴びるのが習慣づけられたし、それは試合の後の心安らぐひと時でもあった。
「隊長も容赦ないよねぇ」
「でも、手を抜かれるのもナメられてる感じがして嫌ですよ」
真庭の隣で、額に浮かんだ汗を拭いているのは鴨方。
模擬戦の件だが、今日もアズミのパーシングは愛里寿のセンチュリオンにしてやられた。負け戦を挑んだわけでは決してないが、何をどうやっても勝算が見えない。ますます、あの夏の試合で(2輌がかりとは言え)愛里寿を撃破した西住姉妹が恐ろしい。
「一体どうしたら、隊長に勝てるのやら・・・」
「それが簡単にわかったら苦労はしませんって・・・」
完全無欠と言わんばかりの愛里寿を前に、凡人の思いつく策など通用しない。それでも真庭や鴨方たちは、自分たちの研鑽を考えつつも愛里寿をぎゃふんと言わせる作戦を考えていた。
「鴨方、真庭、お疲れ」
そこへ後ろから、彼女たちの戦車長・アズミが姿を見せる。
同じ模擬戦の後なはずなのに、服装と言い髪と言い、アズミの雰囲気はそれを感じさせないほどお洒落だ。いつも思うが、アズミほど身だしなみに気を遣っている人物はこの大学選抜にはいないだろうと、鴨方も真庭も思う。
「あ、そうだアズミ。ごはん一緒に食べない?」
「あー、ごめん・・・今日はちょっと別の人と食べるから・・・」
「そっか、それじゃあ仕方ないわね」
同じ戦車のメンバーとして、鴨方や真庭はアズミと昼食を食べることが多い。だから鴨方は誘ったわけだが、今日は先客がいるらしい。
鴨方はそれを引きずらず、控室を去るアズミの後ろ姿を見ながら何を食べようかを考える。だが、真庭はどうにも腑に落ちないようだ。
「どうかした?」
「アズミさん・・・『別の人』って言ってましたよね」
櫛を脇に置いた真庭は、鏡に写る自分を見ながら考える。隣では鴨方がドライヤーで髪を乾かし始めた。
「メグミさんかルミさんと食べるんじゃないの?」
「それならそう言えばいいのに、『別の人』って・・・」
鴨方は大して深刻に思ってはいないらしい。
そこで、鏡に別の誰かが写った。
「あら、呼んだかしら?」
ひょこっと姿を見せたのは、同じ大学選抜チームの副官・メグミ。隣には同じく副官のルミもいる。
「名前呼ばれた気がしたんだけど・・・」
「ああ、いえ。アズミが先に行っちゃって、もしかしてお二方と食べるんじゃないかって」
ルミが訊ねると、鴨方はドライヤーの風量を弱めて答える。
だが、メグミとルミはその答えには首を傾げた。
「今日は約束してないわね・・・」
「誘ったら、『先客がいる』って言われたのよね。てっきり、あなたたちのことだと思ったんだけど・・・」
メグミとルミの言葉に、鴨方が振り返る。
バミューダ姉妹ではなく、アズミの戦車メンバーでもない。とすれば、戦車道絡みではない友人と食べると考えるのが筋だろう。
だが、この場にいる4人は、簡単にそうと処理できない。
「・・・何か匂うわね」
「そうね・・・」
メグミとルミが、あごに指をやる。しかしその表情は、愉快そうに。
真庭も、表情こそ変えずとも同じように『何か面白そうなことが起きてる気がする』と考えている。
一方で鴨方は、『え、匂う?洗ったんだけど・・・』と自分の身体の匂いを嗅いで場違いなことを呟いていた。
アズミが待ち合わせの場所に着くと、既にその相手―――笠守は待っていた。
「お待たせ」
「いいや、全然待ってない」
壁に背を預けていた笠守は、軽く手を挙げてアズミの声に応える。
姿を認めてアズミが少し歩調を速めて歩み寄ると、笠守も背を離して向き直るが、そこで少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「悪いな、急に誘ったりして」
「気にしなくて平気よ。私も嬉しかったし」
本心を伝えると、笠守は『・・・そうかー』とはにかむ。
昼食に誘われたのは確かに唐突で驚いたが、アズミはそれで気を悪くはしていないし、むしろ言った通り嬉しかった。
アズミは、笠守とは少しずつ仲良くなれてきているし、一緒に話すのを楽しいとも思っている。話す時間は大学に行くまでの道中しかないが、写真について話す笠守は、どこか生き生きとしていた。それに、アズミの写真に対してアドバイス、そして今日は写真を評価してくれた。
自分を評価してくれたから気に入ったわけではない。笠守と話すことが、アズミは純粋に楽しいのだ。だから、こうして昼食に誘い、話をする時間を作ってくれたことを嬉しく思っている。
「あぁ、お腹空いた・・・」
「やっぱり戦車に乗ってると、体力も使うっぽいな」
「そうね・・・自然と身体が鍛えられるのはいいけど、ね」
食券を買う列に並びながら、アズミが首を回す。
戦車は試合中、動くわ揺れるわ時に跳ねるわで、中にいる人間の身体が休まる暇などほとんどない。その中で身体のバランスを保とうとする結果、自然と体幹が鍛えられるし、程よく運動をしているような状態なのでエネルギーも消費しやすい。
そんなことをアズミが話すと、笠守は『へー』『ほー』『なるほど・・・』と相槌を打つ。実に興味深そうに、頷きもした。
「だからまぁ、戦車道の後はいつもお腹ペコペコよ」
アズミが注文したのは唐揚げ定食。割と大き目な唐揚げと付け合わせのキャベツが美味しそうだ。一方で笠守が注文したのはカレーライスだった。
2人は、空いている適当な席に向かい合わせで座り、手を合わせて『いただきます』をしてから食事を始めた。
「でも、朝は驚いたわ。まさか、笠守の方から誘ってくれるなんて思わなかったし」
食事を進める中でアズミが言うと、笠守はばつが悪そうにスプーンを置く。
「大丈夫、責めてるわけじゃないの。さっきも言ったけど嬉しかったのよ。こうしてお誘いを受けたことなんてなかったし」
「え?」
意外そうな反応をする笠守。
「ないの?こう、誰かと一緒にご飯とか」
「あ、それはあるわよ。でも、笠守みたいに同い年の男の人とってのはこれが初めてだわ」
笑って伝えると、照れ臭いのか笠守は水を飲んで視線を逸らす。
しかし、飲み終えるとその表情も普通になっていた。
「それは、ちょっと意外だ。アズミって、モテそうな雰囲気がしたから」
「あら、お上手。けど、そう言う男の人からのお誘いは全くなかったのよね・・・」
『モテそう』と言われてアズミは満更でもない。身なりには気を遣ってきていたので、その他人には見えない『磨き』が笠守にも伝わったということだから。
しかし言った通り、アズミには浮いた話の『う』の字もない。
「戦車道のせいにするつもりじゃないけど、戦車乗りはどうも男から敬遠されがちなのよね・・・それもあるのかしら」
「・・・あー」
その言葉に、笠守は思い当たる節があるような声を洩らした。
アズミが表情で興味を示すと、笠守は肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
「ウチのサークルも、そんな印象なんだよなー・・・。戦車の写真撮ってるって言うと、『ありゃ女の乗るものだろ』って。戦車の写真を撮ってるのだって、サークルだと俺ぐらいしかいないし」
その光景は、残念ながらアズミにもありありと目に浮かんでしまう。そういう意見も随所で聞いたことが多々あった。
とはいえ、アズミの知っている戦車乗りの先輩でも既婚者はいるし、
「それじゃあ、どうして笠守は戦車の写真を?」
次に笠守と会う時、訊こうと思っていた。戦車道が男からはそこまで人気がないにもかかわらず、どうして笠守はその戦車を撮ろうとするのか。
笠守は、逡巡するようにカレーを一口食べて、やがて口を開く。
「・・・面白いんだよ。戦車を撮るのって」
「面白い?」
乗るのはまだしも、撮るのは何が面白いのか。未だ写真に関しては初心者のアズミには、理解ができない。
水を一杯飲んで、笠守は続ける。
「戦車はさ、試合中は動き回ってるし、激しい撃ち合いもするしで結構アクロバティックなところがあるんだよ」
「・・・そうね。確かにそういうところはあるかも」
実際に戦車に乗るアズミとしては、その意見には賛成だ。今日の模擬戦もそうだし、これまでだって、戦車は試合中ほとんど動き回って敵を倒そうと躍起になっていた。その動きは激しいし、だからこそ乗員もエネルギーを消費する。
「その戦車の動きは、撮ってる人には全く読めない。だけどその試合の中で、力強かったり、躍動感あふれる戦車を撮る瞬間は必ずある」
「・・・」
「どうやってその瞬間を撮るのか、その時を見極めるのが、楽しいんだよ」
笠守の言う『その瞬間』こそ、アズミが前に見たあのパーシングの写真だろう。
だが、笠守の言う通りで、戦車の動きとは試合に参加しているアズミたちでさえ完全には読めない。敬愛する愛里寿だって、その動きを完全に予測するのは難しいかもしれない。
そんな、試合に参加する人にさえ分からない戦車の動きを読んで、しかもそのわずかな瞬間を1枚の写真に収めることがどれだけ難しいか。アズミは、そのシャッターチャンスをじっと待ち続ける様子を思い浮かべて細く息を吐く。
「大変そうね・・・」
「まー、神経は使う。けど楽しいもんだよ。多分、試合会場で写真を撮ってる他の人も、同じなんじゃないかな」
言われてアズミは、戦車道の試合会場を思い出す。笠守のような若者はあまりいないが、確かにカメラを構えている人の中には男の人もいる。女の世界とされている戦車道にカメラを向ける彼らも、もしかしたら笠守の言うような魅力を感じ取ったのかもしれない。
「・・・じゃあ、笠守も戦車を撮る時は、『楽しい』って思う?」
「もちろん」
アズミの問いに、笠守は迷わず頷く。
「戦車だけじゃなくて、写真を撮る時はいつも『楽しい』って思うよ」
「そうなんだ?」
もう1つ気になっていた、笠守は写真を撮る時何を思っているんだろうと。
その答えは、純粋な気持ちだった。
「何が楽しいのって訊かれるとちょっと悩むけど・・・」
言葉を探すように、笠守は腕を組んで考える。アズミは、急かすことなくその言葉を待つ。
「・・・例えばさ、すごい綺麗な景色とかを見た時とかに、『この景色ずっと見てたいな』って思うこと、ある?」
「まあ・・・あるわね」
それはアズミだけでなく、大多数の人が思うことだろう。テレビの旅番組でも、よくリポーターがそんな感じの感想を言ってる気がするし、アズミ自身も何度か遠出して綺麗な景色を見たらそう思ったこともある。
「そういう時に写真を撮れば、その景色がいつでも見られるようになる。それがまー、写真を撮る一番の理由かもしれない。それは俺も思う」
「?」
「でもさ、写真を撮ってる俺たちからすればそれだけじゃないんだよ」
言って笠守は、スマートフォンを取り出して、アズミに画面を見せる。
そこにあったのは、建物や植物、生き物や景色など、雑多な写真が詰まったアルバムだ。種類に一貫性が無い辺り、恐らく笠守が衝動的に『撮りたい』と思った写真なのだろう。
そしてどの写真も、丁寧に撮られているのが分かる。アズミが今日見せたような、逆光で見にくかったり、被写体がブレていたりもしていない。
しかし、いきなりこのアルバムを見せたのはどうしてだろう。
「自分が良いと思った『瞬間』って、また来るかどうかも分からないようなことが多い。って言うか、基本2度と無い」
「・・・・・・」
「その『2度と無い瞬間』を形として残したいから、写真を撮ってる。そして、それを追いかけるのが楽しいんだ」
ただ『ずっと見ていたい』と思う景色を撮るだけではない。
自分が『良い』と思うほんのわずかな、たった一度きりの瞬間を、『形として残したい』。似ているようで違うこの2つの気持ちを併せた上で、それを追い求めることが楽しい。
そして、そう語る笠守の表情は、自分の好きなものを信じて疑わないような、わずかな笑みを交えた真剣な表情を浮かべていた。
「・・・って、何かクサかったな。ごめん」
「ううん、そんなことなかったわ。むしろ、笠守が写真がどれだけ好きかって伝わったから」
「そうか・・・」
笠守は、気持ちが伝わって嬉しいのか、カレーをまた一口食べる。
「今日、誘ってくれて本当に良かったと思ってる」
「え?」
改まってアズミが言ったので、笠守はカレーを口に運ぼうとするのを止めた。
「この前の展示会の写真もだけど、今日笠守の話を聞いて、改めて写真に興味が湧いてきたわ」
ブレてしまった猫の写真、逆光が邪魔してしまった戦車の写真。それらを撮ったのは、あの展示会で笠守の撮ったパーシングの写真を見て、興味が湧いたからだ。
だが、ここで笠守の話を聞いて、その興味はより固いものへと変わった。
「だから・・・笠守」
「?」
なぜなら、写真を撮る楽しさを語る笠守の表情が、とても生き生きとしていたから。
「笠守さえよければ、何だけどね?」
そんな表情を見たら、心が動かないはずはない。
「写真のこと、もっと色々教えてもらえると嬉しいかな、って」
笠守の表情が、今度こそ明確な驚きになる。
「え、俺なんかでいいの?俺よりもっと写真が上手い奴はいくらでもいるし・・・」
「でも、笠守のアドバイスって昨日も思ったけど丁寧で分かりやすいし・・・もしかして、迷惑だった?」
「いやいや、そんなことは無いよ。俺なんかでも、頼ってくれるのは嬉しいから」
笠守は、襟足を掻いて小さく笑う。
「・・・分かった。俺でよければ、教えられることは教えるよ」
快諾してくれた笠守に、アズミはホッとする。
「・・・これから、よろしくね。笠守」
アズミと笠守、2人の間に柔らかい空気が流れる。それは決して目には見えないが、それでもお互いに剣呑な雰囲気でないことは分かった。むしろ今、アズミは笠守に安心感を抱いているのだ。
アズミも笠守も、お互いに新しい親交を始めることを嬉しく思いながら、食事を再開する。
「でも、アズミはモミジと言い戦車の写真と言い、センスがいいから写真もイケるんじゃないかと思う」
「そう言ってくれると嬉しいわ。多分、母校の影響かもしれないけど・・・」
「母校?」
そう言えば母校の話はしてなかったっけ、とアズミは頭で思い出しながら苦笑する。
「BC自由学園出身なのよ」
「BC自由って・・・
「そう、『あの』ね・・・」
BC自由学園は、岡山県に本籍地を置くフランスかぶれの高校だ。スイーツのメッカとか、ブドウが有名だとかで話題に上りやすい。
だがそこは、タイプの異なる2校が合併して発足した学校であり、その影響で内部抗争が絶えないという実態なのもそこそこ知られている。そこを踏まえての、笠守の『あの』だった。
「知ってるかは分からないけど、BC自由って意外と芸術とか料理、ファッションに力を入れてるのよ。有名なパティシエやアーティスト、デザイナーとかが卒業生にもいるし」
「なるほどなー・・・だから、アズミのセンスもいいのかね」
「そうかもしれないわね・・・自然と身に着いたのかも」
お互いに、少し温度が下がってしまった唐揚げ定食とカレーライスを食べながら、雑談を続ける。
「そうか・・・なら、モミジとか、あの写真のセンスも納得だ。アズミには、十分伸びしろがあるよ」
自然と褒められて、少し照れ臭くなるアズミ。
「今朝見せてもらった写真もだけど、アングルや被写体のチョイスとかは悪くない。後は細かいところに注意すれば、上達も早くなると思う」
「本当?」
「ああ」
アズミの問いにも、笠守は自信を持って頷き返す。
「そう思うと、アズミってすごいな。戦車道だけじゃなくてこういうセンスまで持ってるんだから」
「・・・そうかしら?」
「ああ、カメラしかない俺からすれば十分。羨ましいなー」
アズミは『ありがとね』と返しつつ、内心では言葉以上に嬉しさを抱いていた。
戦車道を歩み始めてからそこそこの年月が経ち、新米だった頃から順調に力を伸ばし、今では精鋭が集う大学選抜チームの副官の一角だ。
戦車道を始めたころは、先輩から『センスがある』とか『上手い』と褒められることが何度もあったが、今となってはそれもめっきり減った。それは、自分が副官と言う人を率いる立場になったからだろう。
だから、笠守から言われるような、褒められるのは随分と久しかった。
今朝の写真を褒められたのだって、予想外だったうえに嬉しかったのだ。てっきり『あー、悪くないんだけどなー・・・。うーん・・・』と微妙な反応をされるとばかり思っていたから、評価されたのが意外だった。
そして今、またしても笠守に褒められて、アズミの心は何か温かい気持ちで満たされるのが分かる。
(なんだろう・・・これ・・・)
笠守のその言葉はどういうわけか、心の奥、深い場所にまで響いた。
どんな言葉よりも、胸に響くのは何故なのだろう。
どうして笠守の言葉が、こんなにも印象に残るのだろう。
「アズミ、どうかした?」
「え?ああ、いや、何でもないわ」
どうやら、笠守が気にする程度には長い時間考えていたらしい。笑顔で取り繕って首を横に振る。
その言葉が響いた理由は分からないが、『多分男の人に褒められるのが初めてだからかな』と自分で完結させて食事を再開する。
そして食べ終えたら、アドレスを交換し合った。
アズミにとっては、これも初めてとなる同年代の男との連絡先交換だ。
「やー、昼飯昼飯・・・」
食券を買い、ラーメンを確保して安堵の息を吐くのは、アズミのパーシングの操縦手・早島。隣には同戦車の装填手の美作も、かけうどんを持って並んでいる。
「やっぱり出遅れちゃったから、席は埋まってるね・・・」
「美作が手入れに時間かけすぎたからだよ」
「あんただってシャワーが長かったでしょうに・・・」
どちらもやはり年頃の女性、身だしなみにはそれなりに気を遣う方なのだ。
そんなお互いさまな言い訳を交わしつつ、2人は席を探す。お昼時なせいでどの席も埋まっており、これはラーメンが伸びてしまうだろうかと早島が不安になると。
「あれ、アズミ?」
美作が、ある1点を見ながら立ち止まる。早島も、その美作が見つめる場所を見てみると、確かにアズミが食事を摂っていた。
「向かいの男は・・・誰よ?」
そしてアズミの姿が見えれば、自然とその向かいに座っている男の姿も目に入る。偶然の相席ではなさそうで、アズミはその男と何かを話しながら食事をしていた。
それにしても。
「・・・アズミ、楽しそうだね」
唐揚げ定食を食べながら談笑するアズミの表情は、戦車道でも見られないような感じの、楽しそうな表情だった。隊長の愛里寿の可愛さを語る時ともまた違う、純粋に話が楽しいと感じさせるような、そんな表情。
「・・・誰なんだろう、あの男」
「誰ってそりゃ、ねぇ?」
それは、考えるまでもないだろうとばかりに、美作の問いに早島がにやっと笑う。
そしてここにも、笠守とアズミの食事を見ていた人が1人。
「よーう、笠守」
講義を終えて、写真サークルの部室に来た笠守を待ち構えていたのは、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべる部長の
あ、これは面倒なことになる、と笠守は察した。
「・・・なんすか、部長」
「お前~、昼のアレは何だ一体?んん?」
面倒と思っても無視できないので返事をしたら、早速それを訊いてくる。
「アレ、とは」
「食堂で女の子とランチしてただろうが!それ以外ねぇよ!」
ですよねー、と笠守は内心で溜息を吐く。
写真サークルの男女比率は6:4と、そこそこバランスはいい方だと思う。趣味が合うという理由で、サークル内で付き合っているカップルもいるぐらいには、人間関係も悪くはない。
しかしながらこの矢掛、彼女いない歴=年齢を更新中で、それを結構気にしている。そして自分に親しい男で彼女持ち、あるいはそれらしい『匂い』がする男にはこうしてちょっかいを掛けてくるまでに拗らせた。
撮る写真は上手いのに、この嫉妬深い性格が玉に瑕なんだよな、とはこのサークルの共通認識だ。
「別に彼女とかじゃないっすよ。最近知り合った人です」
「仲が良いのは否定しないんだなぁ」
矢掛はなおも逃がさない。辟易しつつも、今日の昼食の時間を思い出しながら、口を開く。
「・・・まー、そこそこ仲はいいんじゃないですかね」
「かーっ!チクショウ!」
ぼかして答えたら、逆に矢掛はそれを余裕の表れと取ったらしく勝手に悔しがっていた。
それを尻目に笠守は席に着く。隣にはすでに、大学入学からの友人・
「で、笠守。さっきの話は本当か?」
「お前もか・・・ああ、本当だよ」
灘崎は灘崎で、純粋に興味があるらしい。ウチのサークルはこんなのばっかりか、と笠守は溜息を吐く。
「しかし、お前が女の子とね。どこで知り合った?」
「んー・・・」
灘崎に問われて、笠守はまず真っ先に色合いが中途半端だったモミジを思い出す。
だが、ここで笠守は1つだけのある思いが働いた。
「・・・写真を撮ってる時にな。知らない間に落としてたカメラのキャップを届けてくれた」
「へぇ~・・・そんなことってあるんだな」
アズミと出会った場所を、はぐらかした。別にそれは隠さなくてもいい情報のはずだったのに、敢えてそれをしなかった。
その理由は、笠守自身でもはっきりとは分かっていない。ただ1つ言えるのは、自分とアズミの思い出を他人においそれと口にしたくなかった、と言うことだ。
「いや、実はな笠守。俺も見てたんだよ、その現場。部長とはまた別のトコから」
「パパラッチめ」
「その言い方はやめろ。まあでも、お前とその女の子、結構お似合いに見えたぞ」
不服そうな表情を引っ込めて、灘崎を見る。灘崎は、冗談や皮肉を言っているようでもなく、見たままの感想を言っているようだ。
だが、笠守はそれは色眼鏡だと分かっていた。
今ぐらいの歳になると、男女の関係にはより敏感になってくる。華の20代前半、子供から大人に名実ともに成長するこの期間は、そういう思い込みをしやすくなる。灘崎のそれも、恐らくはこれに起因するものだろう。
「それはどうも」
とはいえ、そう言われて嬉しくないしむしろ迷惑、と言うわけでもなかったので、言葉だけは素直に受け取っておく。
「おい、笠守」
そこで後ろから突然声を掛けられた。突然すぎて肩を震わすと、後ろには癇癪を終えて落ち着いたらしい矢掛。
「女の子と遊ぶのは構わんが、ちゃんと次のコンクール用の写真考えとけよ。それと、ホームページの案も」
「・・・了解です」
矢掛も、嫉妬深い点を除けばいい人なのだ。メンバーのことは気にかけているし、大事な情報はちゃんと共有してくれる。加えてムードメーカー気質なのもあって、なるべくして部長になったと言うべきだ。
それはさておき、矢掛からの連絡を聞いて、笠守は小さく悩む。
コンクールも、ホームページの案も、どちらも重要な案件だ。
「灘崎はもう決めたか?写真」
「ああ。もう撮ってある」
「何の写真?」
「日の入りの海。学園艦がベストな位置にあって良いと思った」
カメラを受け取りその写真を見せてもらうと、水平線に沈む太陽を背景に、学園艦が小さく写っている。小さく、と言ってもゴマ粒程度の大きさなどではなく、ちゃんと目に見える程度の大きさかつ太陽を隠さないような程よい大きさだ。
「へー、いいな確かに」
「俺のよりも、お前も何か考えとかないとヤバイぞ」
「分かってるよ」
灘崎の言葉を聞きながら、カメラを返す。
そして、笠守はサークル共用のノートパソコンを立ち上げて、あるサイトを開く。
「・・・どうするかなー」
表示されたのは、『ネイチャーフォトコンテスト』と目立つように書かれているページ。これが矢掛の言っていた、今度写真サークルで参加するコンテストだ。
何らかのコンテストが開催されると、自主的に参加するのが写真サークルの活動の1つである。笠守はもちろん、部長の矢掛や灘崎なども何度もこの手のコンテストには参加している。
そして、こういうコンテストには大体決まって『テーマ』が存在し、今回はその名の通り『自然』がテーマだった。参加者は、このテーマに沿った写真を撮って応募するので、割と公平な条件で参加できる。
何より、今回のテーマである『自然』は、笠守の得意なジャンルの1つであり、腕の見せ所でもあった。
(迷うなー・・・)
それなのに部長や灘崎からせっつかれるのは、まだ写真を決めていないからだ。
笠守は、自分が『自然』を撮るのが好きだし得意と思っているが、だからと言ってコンテストで入選常連というわけでもない。どころか、入選したことが一度もなかった。
その理由は、どうやら『パンチが足りない』らしく、要するに見る人の心に刺さるような写真があまりないかららしい。
モミジの写真の時もそうだったが、撮る人と見る人の間にある認識の差は、大きな溝でもある。その溝のせいで、笠守がパンチがあると思っていても、見る人にはあまり響かないということが続いている。
(だから、嬉しかったのか・・・)
それで思い出すのは、自分の写真に一目惚れしてくれたアズミ。
自分と見る人との間にギャップを覚えていて、そこがもどかしくて伸び悩んでいた笠守の心に差し込んだ、優しい言葉。
だから笠守は、アズミに対してより親しみを抱いたし、今朝もつながりを断ちたくないと思った。
あのパーシングのような写真が『自然』をテーマにもう一度撮れれば、結果を出せるかもしれない。
「・・・よしっと」
そのことを考えると、自然と前向きに考えられるようになった。
コンテストの応募期限は11月中旬で、まだ時間がある。
そしてこの時期の『自然』と言えば、やはり紅葉だ。だから、手近な紅葉が見られるスポットを探そうと検索サイトを開く。
今度こそ、良い写真を撮って念願の入選を果たしたい。
キーボードを打つ指が自然と速くなってきた。