愛里寿の誕生日の記念撮影はつつがなく終了した。
しかし、笠守にとってはここからが正念場。これから愛里寿に撮影交渉を行うのだ。
愛里寿と、一緒に写真に写って大満足なメグミとルミ、アズミの3人には、写真を現像したら渡すと約束をし、アズミを介して前もって決めていた通り愛里寿と話をする段階に入る。
その際、アズミも自分から同席を希望した。その真意は笠守には掴めなかったが、恐らく笠守と愛里寿の間を取り持っていたから自分もいた方が良いと思ったのだろう。何にせよ、笠守も親しい人がいると緊張が解れるのでありがたかった。
「・・・・・・」
笠守が通されたのは、戦車道棟内にある応接室。と言っても、2人掛けのソファが2つとその間にローテーブル置いてあるだけの簡素な造りだ。
笠守の斜向かいに座る愛里寿は、先のロリータファッションから大学選抜のユニフォームに着替えていた。戦車道が絡む話をする時は意識を切り替えるためにユニフォームを着るのかもしれない。
さて、笠守は愛里寿と話をすると聞いていたので、心の準備もそれなりに整えてきたつもりだ。こういった撮影交渉は、サークルの先輩について行くことはあったが、自分一人で行うのは今回が初めてだ。
だからこそ、そのために自分の気持ちを落ち着かせるように努めて、イメージトレーニングも何度もしてきた。
「改めまして・・・愛里寿の母で、大学戦車道連盟理事長の島田千代です」
だが、今ここに大学戦車道の重鎮・千代までいるのは想定外だった。
千代と話をすることになるかも、と言う話は笠守も聞いていた。だが、こんなに早くその機会が来るとは思わなかったし、何より今日千代が来るなんて聞いていない。気持ちの準備なんてできているはずもない。
どうやらアズミもこれは予期していなかったらしく、冷や汗が額から頬を伝って落ちているのが横眼に見えた。
「愛里寿からは、写真サークルから大学選抜の戦車の撮影依頼が来た、伺っていますけれど・・・」
笠守を見ながら千代が話しかける。改めて自分から説明しろと言う口ぶりだ。
その顔には、ゆったりとした笑みが貼り付いているが一瞬も油断できない。不用意な発言1つで、話し合いまでこぎつけたこの話もおじゃんになってしまうかもしれないから。
心臓に悪いサプライズなど後回しにして、笠守は言葉を紡ぎ出す。
「・・・はい、この大学の写真サークルに所属しております、笠守と申します」
まずは自己紹介、座ったままで頭を下げる。名刺の類は持っていなかったので、情報は笠守の口から齎されるものが全てだ。故に、発言は1つ1つ気を遣い、慎重でなければならない。
千代は笑顔を保ったまま、軽く頭を下げる。
「今回、撮影を依頼させていただいたのは、この大学のホームページを更新するにあたり、大学側から目新しい写真を掲載したいと方針を示されまして」
「・・・」
千代は笑みを崩さない。
「大学選抜チームはこの大学が本拠地であり、また過去の更新履歴にも戦車の写真はほとんどなかったので・・・今回起用したいと考えた次第です」
「・・・」
千代は笑みを崩さない。
怖い。何が怖いって笑顔を保ったまま、何も言わないのがだ。感情が読めない笑みを向けられたままで、崖っぷちに追い込まれたような感覚になる。
愛里寿は、千代と笠守を交互に見て、話の行く末を見守っている。
アズミは、笠守をそっと見守り、話が上手く通るように心の中で祈っている。
「昨今、戦車道は注目を集めつつありますので、大学選抜の活動を広める機会にもなると思います」
でまかせではない。実際の話、戦車道のニュースや話題は最近になってネットやテレビで見る機会は増えた。笠守も独自で調べて行く中で、『戦車道の競技人口が上昇傾向』という記事も見かけた。
「・・・ほう」
そこで初めて、笑っていた千代が片目を開けた。これまでと違うリアクションに笠守は一層怖くなる。間違ったことは言っていないはずなのに、何か禁忌に触れてしまったのだろうか。
(家元・・・どうするかしら・・・)
アズミは心配になる。
笠守の言う通りで、昨今戦車道が注目されつつあるのは確かだが、その原因の一端となっているのは恐らく、今年の高校戦車道全国大会でどんでん返しを見せた大洗女子学園にあるだろう。そして大学選抜チームは、その大洗(もはや連合軍だったが)相手に敗北を喫している。そこに関して、千代が何か気に障らないかと心配なのだ。
「・・・ただ考えもなく、意外性だけで私たちの戦車に注目したわけではないようですね」
皮肉にも聞こえる言葉に、笠守の身体が硬くなる。
笠守が戦車を選んだ理由は、大学が示したテーマの『斬新』もだが、『大学選抜の活動を広める』という言葉も嘘ではない。戦車を撮るのが好きなのに加えて、戦車に乗って戦うアズミたちのことをもっと知ってもらいたいという意思は、確かに存在する
ふぅ、と千代は小さく息を吐く。
「彼の写真の腕、どうなのかしら?」
今度の言葉はアズミに向けられた。
どれだけ本人が素晴らしい言葉を並べても、写真の腕がポンコツだと自分たちの戦車など撮らせられない。こういう時は、本人よりも第三者に確認した方が一番だ。
「信用に十分値するかと」
アズミは逡巡も、遠慮も、建前も放り捨てて、本音を返した。
笠守はちらっとアズミを見る。その顔には、アズミ自身の言葉と、笠守の写真を疑わないような、強い意思が籠っているようだった。
「笠守、さっき撮った写真を見せたらどうかしら?」
「あ、ああ・・・」
急にアズミに水を向けられ驚くが、笠守は傍らに置いていたケースからカメラを取り出して、プレビューを確認する。そこにはさっき撮った愛里寿とバミューダ三姉妹の写真が確かにあった。
「・・・あら、いいじゃない」
写真を見せると、千代は楽しそうに告げる。少なくとも、悪く思ってはいないらしい。
その後も保存されていた写真を何枚か見せる。このカメラに保存されているのは、スマートフォンで撮った気軽な写真とは違い、より自分が集中して撮った写真ばかりだ。中にはこの間の休日に撮りに行ったイチョウ並木の写真もある。
「・・・・・・まあ、腕に関しては問題無さそうですね」
一通り写真を見ると、カメラを返しながら千代が笠守を見る。
気のせいかもしれないが、千代の雰囲気が先ほどよりもほんの少し軟化したように感じた。言葉だけでは信用に足らず、実績である写真を見せたことでどうにか信用を得られたのかもしれない。
とりあえず第一印象はクリアできたので、心の中でガッツポーズを取る。
「さて、それでは・・・最後に」
しかし、それで話が丸く収まったりなどはせず、今一度千代は笠守を見る。
また、千代の纏う雰囲気が整えられた感じがした。笠守は背筋を伸ばして、千代の顔を臆さず見る。
「私たち大学選抜チームの戦車を撮り、写真を広報目的で使うということは、確かに私たちの活動を広めることになるでしょう」
「・・・はい」
「ですが、それはつまり・・・写真を撮るあなたもまた『大学選抜チーム』の看板を背負うことと同じですが・・・」
そこで初めて、千代が笑みを引っ込めた。
今度は目を開けるだけではない。表情そのものが変わり、真剣な表情で笠守を見つめる。その目の動き、呼吸、細かな仕草から嘘や意思のブレを見逃すまいとする表情だ。
「あなたに、その覚悟はあるのですか?
「はい、もちろんです」
それでもなお、笠守は力強く答える。
「・・・以前、同じ質問を別の方から受けました」
その人は他でもない、アズミだ。本人もそれを覚えているが、今は反応を示さない。
「だからと言うわけではありませんが・・・他の誰かを、何かを撮ることは、それだけ自分の背負う責任や覚悟も大きくなっていくものだと、理解しています」
カメラを握って、情熱を注いできた中で培われた認識。それは決して、頭の片隅で留意する程度であってはならないことだ。
「自分は、その覚悟を決めた上で、お話をさせていただいた所存です。何卒・・・よろしくお願いいたします」
深く頭を下げる。
アズミは、愛里寿は、千代は頭を下げる笠守を静かに見守る。
笠守はもう、何も言わない。呼吸さえも忘れそうになり、固く目を瞑ったまま頭を下げ続ける。
自分の言葉は全て伝えた。後は、千代の采配を待つのみだ。
「愛里寿は、どう思う?今回の件」
「引き受けても問題ないかと思います」
隣に座る愛里寿に訊ねる千代。
当初の段取りでは、最初に愛里寿に話をし、それから千代と直接話し合うはずだった。だが、いきなり千代がこの場に現れたことで、愛里寿に話をする段階が省かれたことになる。
大学選抜チームの隊長である愛里寿の決定は、千代にとっては参考程度かもしれない。それでも、愛里寿の口から『問題ない』と聞けたのは助かる。
「・・・分かりました。それでしたら、撮影は許可します」
そして千代が告げると、笠守、そしてアズミは肩の荷が下りたような気がした
千代の表情が、今度は艦上が読み取れない者とは違い、普通の楽しそうな笑みに変わった、ように笠守に見える。
「あなたが良いと思った写真が撮れましたら、アズミなり愛里寿なりを通して一報をお願いします。使っていいかどうかは、こちらで判断しますので」
「はい」
笠守はまた、頭を下げる。後でアズミに話をしておこうと心の中で決めた。
「それと・・・これは個人的なお願いですが」
「?」
今度こそ話は終わり、かと思ったが、千代に言われて笠守は腰を浮かそうとするのを止める。
千代は、愛里寿の方をちらっと見て、ふっと笑って。
「私と愛里寿の写真も撮ってくれますか?」
◆
千代の頼みにはお安い御用と了承し、手早く、しかし丁寧に写真を撮った。今回の写真もまた、現像でき次第千代に渡すことになる。
そして話が今度こそ終わると、笠守はアズミに連れられて戦車道棟の屋上へと案内された。しかし、ベンチが2つと雨除けの屋根が設えており、風も強く吹かないような配置になっているそこは屋上と言うよりテラスだ。
「戦車を撮るのなら、多分この場所が良いと思うわ。ここなら演習場が見えやすいし」
確かにここからは、演習場は眼下に見えずとも見下ろす形になっている。アズミの言う通り、ここは撮りやすい場所だ。
「ありがたい。演習場外の柵から撮るのは、結構苦労するからなぁ」
アズミのパーシングを捉えた笠守のあの写真は、演習場の柵から望遠レンズを使って撮影したものだ。だが、肉眼では非常に見にくい位置から撮ったものだから、大分苦労した記憶がある。
それに比べてこのテラスは、戦車が肉眼で捉えられそうな距離にあったので写真はまだ撮りやすい。
そこで笠守は、ベンチに腰掛けると大きく息を吐く。
「あー・・・緊張した・・・」
緊張を全部吐き出すような息と共に出た一言に、アズミはふっと笑いながら隣に座る。
千代のアポなし訪問は、流石にアズミも心臓にも悪かった。これまで何度も話し合いをメグミたちと一緒にしたこともあったので初対面ではないし、人となりもそれなりに知っているが、サシで話し合うのはまた一段と効く。
「お疲れさま。でもよかったわね、家元がOKしてくれて」
「ああ・・・何とかこれで一安心だ。後は写真を撮る俺次第だけど・・・」
確かに話はついたが、今はまだスタート地点に立ったに過ぎない。これで全ては、写真を撮る笠守に委ねられた。家元の許可をすぐに取れたのはいいが、プレッシャーはいよいよもって山積みになっている。
「・・・ありがとな。アズミ」
しかし今は、そのプレッシャーをひとまず横に置いて、隣に座るアズミを見る。
「ここまで来られたのも、アズミが話を通してくれたおかげだ。俺一人じゃ、絶対何もできなかった」
「そんなこと・・・」
「いや、俺はそうだと思ってる。それにさっき、あの話し合いの場所で傍にいてくれたから、少し安心もしてた」
あの場にアズミがいたのは、自分が橋渡しの役目だと自負していたからだ。何も、個人的な理由・・・笠守に対する自分の想いだけで行動したのではない。それでも『ありがとう』と感謝されるのは嬉しかった。
そして笠守ももちろん、アズミが何のためにあの場にいたのかは理解しているつもりだ。それでも、ああいった緊張する場において親しい人の存在とは大きくて、心強い。
「だからさ、アズミ」
「?」
「何か、お礼をさせてほしい」
アズミは、キョトンとした顔になる。
笠守の言葉には、裏も打算も、何もない。ただアズミに対して、話の場を設けてくれたこと、そしてあの場にいてくれたことへの恩を返したいという気持ちの表れだ。
しかしながらアズミは、臆面もなく『じゃあこれやって』とか『これほしい』とか言える性質ではない。
「そんな・・・気にしなくてもいいのよ?私が力を貸したいって思ってやっただけだし・・・」
「それでもアズミは、俺の頼みを聞いてくれたじゃない。それでここまで連れてきてくれて・・・ホントに感謝してる。だからさ・・・」
「いや、でも・・・」
アズミは見返りを求めてここまでやったのではない。笠守が写真に真摯な姿勢で挑んでいるから、力を貸したいと切に願いこうしたわけだ。
ただそれだけの気持ち、アズミの自分を衝き動かす気持ちに従ったまでだから、本当に見返りなどは初めから考えていない。
「・・・」
しかしアズミは、笠守のその顔を見た。
それは、ついさっき千代と相対していた時と同じ顔。それは、退かない、譲れないという強い意思が籠っている顔だ。
それに気付くと、このまま『いやいや』と断るのも何だか申し訳なくなってくる。
「・・・そうね、じゃあ・・・いいかしら?」
聞き入れる姿勢を取ると、笠守は少し安心する。拒絶されるのは当然嫌だったし、遠慮されると逆に自分の中に申し訳なさしか残らないから。
だが、アズミが提示したその話には、少し首を傾げることになったが。
◆
再び笠守とアズミが落ち合ったのは、話し合いから3時間ほど後だった。
「かんぱーい」
笠守は半ば釈然としないままアズミとジョッキをぶつけ合う。
2人がいるのは、お洒落なお店でも何でもない、駅前の居酒屋。ここにいるのも、アズミが『お礼』として一緒に食事を提案したからで、この場所を選んだのもまた目の前でジョッキを傾けているアズミだ。
「どうかした?」
「いや、意外だと思って。アズミがこういう店を選ぶのって」
アズミと接する中で、笠守はアズミに『お洒落な人』というイメージを抱いていた。ビジュアルしかり趣味しかりで、食事もイタリアンとかが似合いそうな感じがしたが、このような大衆居酒屋を提案されて少々驚いている。
「こういうお店も結構好きよ?いろいろなものがちょこっとずつ食べられるし」
「まあ、それは分かるけど・・・」
言ったそばからアズミは唐揚げを食べて『おいしー』と目を細める。まあ、人は見かけに寄らないよな、と笠守は唐揚げを自分の取り皿に確保してからレモン汁を垂らす。
それに、アズミがこれでお礼は十分であれば、とやかく言うべきでもないだろう。お礼の内容まで指図する権利は誰にもないし、こうしてアズミと2人で食事と言うのも笠守としては悪くない。
そこで、唐揚げを齧ってからふと思った。
「・・・にしても、久々だ。アズミと飯ってのも」
「あ・・・そう言えばそうね」
サークル、戦車道と理由が重なり、最近は昼食どころか顔を合わせての話すらなかった。それに、愛里寿の記念撮影やら千代との対談やらで気持ちも落ち着いていなかったので、今になってそれを思い出したのだ。
「時間を作ろうにも、戦車道が忙しくてね・・・」
「や、それは分かってるよ。大事な試合前なんだろ?」
「ええ、まあ・・・」
笠守が野菜サラダを取り分けながら、アズミは頷く。取り皿を差し出すと、アズミは小さく笑って『ありがと』と言ってくれる。
「なら平気だ。アズミだって頑張ってるんだし、俺なんかのことは気にしないでいいからさ。こっちも忙しいから人のこと言えないし」
笠守が失笑してサラダを食べる。
気にしなくていいと言ってくれるが、アズミとしては逆に申し訳ないし、寂しくもある。今の自分の気持ちを考えれば、こうして一緒にいられるのはとても貴重だし、このまま会えないと流れで関係が途絶える可能性だってあるのだ。
このつながりを消さないためにも、時間はやはりほしかった。
「笠守も忙しいって・・・やっぱり例のホームページの件?」
「ああ、先に決まった写真を撮る手伝いとか、コンテストに出す写真とかの話し合いもするし・・・」
しかし、今のアズミにできるのは、話を広げて笠守と話す時間を繋ぐぐらい。
それでも笠守は丁寧に話してくれる。まるで、アズミとの会話を楽しんでいるかのように。
「そう言えば笠守、コンテストの写真ってもう決まったの?」
「いやー・・・それが全く」
「それ大丈夫なの・・・?」
ははは、と苦笑する笠守をアズミは心配する。そこで店員が、頼んでいた焼き鳥を持ってきてくれた。
「正直な・・・まだいい構図ってのが思い浮かばない。ピンとこないんだ」
「テーマは確か、『自然』なんでしょ?得意分野なのに、そう言うこともあるのね・・・」
「得意だからってポンポンアイデアが浮かんでくるってわけでもないんだなー、これが」
得意だから、好きだからという理由だけで困難を容易く乗り越えられるわけでもない。もちろんそういう人間もいるだろうが、少なくとも今の笠守はそれには当てはまらなかった。
「でもまー、まだ少し猶予はあるし、もうちょっと考えてから撮るよ。考えなしに撮って応募すると入選なんて絶対できないし」
今まで慎重に写真を選んでも入選しなかったのだから、そんな笠守が軽率に撮った写真で入選できるはずもない。今はまだ、慎重な判断が必要だ。
「それと、こうして気分転換をしてると、自然とぽろっとアイデアが落ちてくることだってあるからな」
「・・・そうね、それは分かるかも」
以前の休日に、パーシング乗員と出掛けてアズミも思ったことだった。同じ考えを持っていたことに、嬉しくならざるを得ない。
笠守がビールジョッキを傾けると、釣られてアズミもビールを飲むと、喉を苦み交じりの発泡水が通っていく感覚と味が染み渡る。まだ二十歳に満たない頃は何が美味しいんだろうと思っていたが、この味は成長しなければ分からないものだ。
そんなアズミの表情がとても気持ちよさそうに見えて、笠守は問いかける。
「アズミって、意外とお酒に強い方?」
「そうねぇ、お酒は好きよ?個人的にはワインが一番好きかな」
「ほー・・・。次の機会があったら、ワインの美味しい店を選ぶか」
「いいわねぇ」
アズミの出身校はBC自由学園。フランスかぶれの学校だったため、ソウルドリンクはワインのような色のぶどうジュース。だからかもしれないが、アズミはワインが好みだ。
笠守も、酒は多少嗜む程度で、1杯でへばるほどの下戸でもない。だが、今日はまだ週の中日なので飲みすぎると明日が辛くなる。そして万が一、アズミがべろんべろんに寄って自力で帰れなくなった時のために備えて、酒の量はセーブしておく。
「・・・・・・ぷはっ」
ビールを飲み干すアズミは、実にいい表情をしている。見ている方まで気持ちよくなる飲みっぷりだ。ついつい笠守もつられて唐揚げに箸を伸ばす。
「あ・・・」
「え?」
そこでアズミが惜しそうな声を洩らしたので、笠守は箸で唐揚げを掴んだままアズミを見る。
だがすぐに、笠守は気付いた。今自分の箸が掴んでいる唐揚げはラストの1個だと。
「すまん・・・」
「ううん・・・いいの、食べちゃって」
流石に男の笠守が箸をつけたものは食べたくないだろうと、笠守は仕方なく自分の取り皿に置く。アズミは気持ちを切り替えたのか、砂肝串を味わっている。
―――信用に十分値するかと
その言葉を、ふと思い出す。
千代との話で、アズミは笠守の写真の腕を評した。その声は自信に満ちていて、疑っていなかったのを覚えている。
アズミの言葉のおかげで、千代との話し合いは上手くいっただろう。笠守の写真の腕ありきではなかったのは事実だ。
そして、あの言葉を聞いて、アズミは笠守を信頼してくれていると思うと胸が熱くなる。
こうして誰かから写真で信頼を寄せられたのなんて、随分と久しいから。
「・・・もう1度頼むか」
「え、気にしなくても大丈夫よ・・・?」
「いいっていいって」
メニューを開く。アズミは笑って首を横に振っているが、これぐらいはさせてほしい。
「ほかに何か食べたいのあるか?頼んでいいぞ」
「えー、でも・・・」
アズミは少しだけ迷うが、それでも笠守がなぜか嬉しそうにしているから無下にもできず、一緒になってメニューを覗き込む。
だが、元々笠守のお礼という形でここに来たのだし、笠守と一緒の食事の時間はそれだけで楽しいのでしっかりと恩恵に与らせてもらうことにした。
「デザートもいいぞ」
「流石にそれはまだ早いって」
◆
それからおよそ数時間ほど滞在し、お互いに腹八分ぐらいで満足すると居酒屋を後にする。もちろん代金は全て笠守持ちだ。正直な話、一学生の財布には痛手だが、アズミへのお礼と考えれば安いものだ。
「それじゃあ、またね」
「待った」
そして居酒屋を出て別れようとしたところで、笠守がアズミを呼び止める。
「送ってくよ。もう夜遅いし」
「あら・・・いいの?」
「だってアズミ、そこそこ飲んだだろ?」
明日は戦車道でセーブしていたのだが、アズミもビールジョッキを3つほど空けている。笠守はアズミが妙にほんわかしている感じがし、もう夜遅いのもあって不安だった。
「送ってくよ」
もう一度、念を押して言うとアズミも観念したようにふっと笑った。
「・・・それじゃ、エスコートはお任せするわね」
「ただ送るだけだぞ?」
アズミの軽口を笠守は笑って聞き流す。
夜空を見上げると。ところどころに星が見える。街中なので星の灯りも鈍いが、それでもこうして夜空を見るとどこか寂静感がするのは何故だろうか。
「風が涼しいわね~・・・」
「つくづく秋らしいって思うな」
アズミも笠守と同じように上を見ていると、涼やかな風が流れる。この時期は夜風も大分身に染みるようになってくるが、食後な上に酒も少し入っていたので体は少し暖かい。とは言え、笠守は思わずポケットに入れている手を強く握る。
隣を歩くアズミも、手を後ろに回して温めるように握っている。ポケットに手を突っ込むのを、あまり良しとしないのだろうか。
その手を握って温める、なんて勇気は笠守にはまだない。今日だって食事に誘ったのは本当にアズミに対する感謝の気持ちが強かったからだし、自分の気持ちが判明した今はアズミに対して距離の取り方を慎重に見ている段階だ。
「明日も戦車道だろーけど、酒は大丈夫か?」
「ええ、あれぐらいなら大丈夫よ~」
しかし、それでもアズミを案ずる気持ちは変わらない。ぽやんとしているアズミの足取りは千鳥足でもないが、万一の場合も踏まえて気を配っておく。
やがて駅前を抜けて、住宅街へと差し掛かる。
「笠守ってさ」
「?」
「ホント、いい人よね」
「はっ?」
唐突に宣った言葉に、バカみたいな声が出る。思わずアズミの顔を見るが、アルコールのせいで多少赤くなっているのが暗くても分かった。
そこで、酔った人は大体突拍子もない発言をするんだった、と笠守は思い出して、今の発言もそれの影響かと本気で受け取らないようにした。
「家元と話した時もさ、笠守は一歩も引かなかったじゃない?」
「一歩もって・・・言い争いをしてたわけじゃないし」
「けど、どうしても撮りたいって気持ちはあったんじゃないかしら?」
口を閉ざす。アズミの言う通りで、あの時は口にしなかったがその気持ちは本当にあった。
彼女は本当に酔っているのだろうか。妙に発言に切れがある。
「私はあの場所では、ただ笠守の隣に座ってただけだけど、それでも笠守が写真を撮りたいって目的のために、どれだけ強く自分を保っているのか分かった気がする」
視線をアズミから逸らす。その言葉を真正面から受け付けるには、笠守はまだ青い。
「・・・それに、今日は誘ってくれて嬉しかったわ」
「?」
アズミがおもむろに話し出す。
その横顔を窺うと、ゆったりと笑っているように見えた。
「仲良くなった人との時間が無くなるって言うのは、なかなか寂しいものなのよね」
「まあ・・・それは分かる」
笠守も、サークルと個人の予定の都合で親しい灘崎や矢掛と会えない時間が続くと、少し物足りなかったり寂しいと思ったりする。その意見には賛成だ。
「笠守も、最近仲良くなってきたし、写真とかで意気投合できたのも嬉しかったから・・・少しの間会えないのはちょっと・・・ね」
今、アズミの本音を少し垣間見た気がする。
だが、笠守は素直に喜べない。今は、普通とはシチュエーションが少し違う。
だから、『そうか』と力なく答えるしかない。
「そんな時に、こうして一緒にご飯って機会ができたじゃない?それが嬉しかったのよ」
笠守は、頷くしかない。
「だからね、笠守」
すいっと、アズミが距離を少し詰めてきた。ほんのりと甘い香りが、酒の匂いに混じって笠守の鼻腔に漂う。
そして、笠守の上着の袖を、そっと小さく掴んで。
「また、こうして一緒にご飯を食べれたらいいなって」
風の冷たさなんて感じない。酒の匂いなんて響かない。酒が入ってるからなんて理屈が消し飛ぶ。
今笠守の中にあるのは、愛しいという気持ちだけ。
「・・・・・・そうだな」
だけど、今の笠守は酒の味を知っている『大人』だ。今よりさらに青かった中学・高校生ではないから、衝動任せに抱き締めたり、手を握ったりするのにブレーキがかかる。
だから笠守は、言葉だけに留める。
「・・・時間が作れたら、また一緒に食べるか。大学の食堂でもいいし」
「そうねぇ。それがいいかも」
夜空を見上げるふりをして、冷静を装って答えると、アズミはなおも嬉しそうにする。
自分の表情が緩んでいないかと、それがアズミに見えていないかと、笠守は一抹の不安を抱いた。
◆
熱が冷めないまま、笠守はアズミを無事に送り届けた。通学路が被っていた時点で察しがついていたが、アズミの住むアパートは笠守の住むアパートに割と近かった。
「それじゃ、また大学で」
「うん、じゃあね」
アズミは、アパートの部屋を覚えていないなんてことも、鍵をどこに仕舞ったのか忘れたなんてこともなく、あとは無事に帰れるとのことだ。安心したように笠守は手を振って、アズミと別れる。その心には、少しばかりの嬉しさを抱いて。
反対にアズミも、笠守の姿を見送ってから階段を上って、自分の部屋へと無事に到着する。
「・・・・・・」
自分の家とは不思議なもので、慣れ親しんだ空気が自分を安心させ、気持ちをほんの少し落ち着かせてくれる。
だからアズミは。
(なんか私・・・とんでもないことを言ったような)
酔いだろうと何だろうと、意識が徐々にはっきりし始めて、陽炎のようにブレていたアズミの記憶がくっきりと蘇ってくる。元々酒は少し(本人比)しか入っていなかったし、涼しい外を歩いたおかげで酔いも少し醒めていたのだから、自分の安心する家に戻ったことで思考が冷静になった。
「!」
そして、同時に思い出す。酒の勢いに乗ってどんな感じのことを言ってどんなことをしたのか。
嘘っぱちの言葉ではない。本音を全て吐露したのだから自責の念に駆られるわけでもないが、それでもいきなりあんな言葉を投げてしまったのが小恥ずかしい。
もし次会った時は、どんな顔をすればいいのか。
笠守はアズミの言葉を聞いて、どう思ったのか。それを知りたいが、どう聞けばいいんだろう。
頭の中で疑念と恥ずかしさがない交ぜになってしまったまま、アズミの夜は更けていった。