海軍の設定捏造多々。
アナが
クザンは机に突っ伏して、うだうだとだらけていた。
「だりィ~~~、メンドくせェ…アナちゃんおれの代わりに判子押してくんない?」
「大将、判子くらいご自分で押してください」
部下が呆れてため息をつく。クザンの膝にちょこんと乗ったアナも、血の繋がらない父のだらしなさにため息をつきたい気分だった。
「パパ、カッコ悪い」
「なにを~?」
蔑むような少女の呟きがカチンと頭に来て、クザンはアナを抱え立ち上がる。
「カッコいいとこ見せてやろうじゃねェの。行くぜ、海賊船5隻は沈めてやる」
「あのね、そういう、すぐお仕事から逃げようとするとこがカッコ悪いの」
肩に乗せられそうになるのを体を動かして回避しつつ、アナは聞こえるようにわざとらしいため息をついてみせた。部下の真似である。そして、部下にはできないとどめの一言。
「ボルサリーノさんなら、これくらいのお仕事すぐ終わっちゃうのに。真面目でかっこいいし、あたしボルサリーノさんの子になっちゃおっかな」
「…………」
クザンは大人しく席についた。ペンを握り書類に目を通し始める。よほど
『うちの娘にヘンなことしてないよな?』
『………………してないよォ~?』
アナを預けた翌日のボルサリーノの返事があまりにも怪しかった。アナを問い質すと、おやすみのキスをねだったら口にされたという。本人は気にしていないようだったが、ボルサリーノにやましい気持ちがなかったならクザンの質問に即答できたはずだ。
すれ違う海兵たちに「成人男性が家族でない8~10歳の少女の口にキスをする」ことについて率直な感想を聞いたところ、9割の回答は「気持ち悪い」「ありえない」であった。更には「家族ならまだ許される」派と「家族でもあり得ない」派に別れ、マリンフォード内でちょっとした紛争が起きかけたのは誤算だったが。
誤算といえば、質問の意味を取り違えた海兵による「クザンが年端もいかない少女に手を出そうとしてる説」が流れたのも予想だにしないことだった。噂というものは訂正しようとすればするほど尾ひれがつくもの。いずれ風化することを祈るしかない。
とにかく問題は、ボルサリーノがロリコンか否かという、それに尽きる。
考えてみればボルサリーノの女の趣味はあまり聞かなかった。クザンより9歳上とはいえ、枯れるにはまだ早いはずだ。もし仮に幼女趣味だとすると、現在まさに幼女の年に該当するアナを預けておくにはあまりにも危険だった。いかに面倒くさくとも家を片付けて自分がよく帰るようにしなければ。自分の怠惰と少女の貞操など、天秤にかけるまでもなく後者が優先されるに決まっている。「だらけきった正義」とて、正義は正義。弱きものの味方である。何より良識ある成人として、未成年者を守るのは当然のことだ。
……などと思いつつも結局この数日間家に帰ってすらいないから、娘にカッコ悪いと言われる羽目になっている。
「パパはあたしがボルサリーノさんの娘になるの嫌なんだ」
「……誰のためだと………まァいいや、そういうことで」
によによとからかうような笑みを浮かべて見上げてくるアナの頭を、クザンは乱暴に撫でた。頭を撫でると喜ぶというのは問題のボルサリーノから聞いた知識である。人として信用できなかろうが使える情報は使う、それが海軍大将にまで登りつめた男の精神だ。
それから少しして、窓の外から喧騒が聞こえてきた。アナはクザンの膝から降り、窓に駆け寄って下を見下ろす。
大量の海兵たちが二人一組で攻撃し合っていた。上官らしき海兵に見守られながらで、誰も相手に敵意のようなものは向けていない。
「ジョセさん、あれ何?」
アナは振り返ってクザンの部下に聞いた。
ジョセは苦労性である。書類仕事から隙あらば逃げようとするクザンを止めたり、止めきれなければクザンの不在中に出来る限りのことをしている。クザン周辺の書類仕事はジョセがいなければ成り立たないと言っても過言ではない。階級は本部小佐。
「あれは
ジョセは懐かしそうに目を細めた。叩き上げのジョセが本部の海兵となったのは今からおよそ10年前。その10年間で海賊達の活動は激化しており、それに合わせて新兵訓練も年々過酷になっていると聞く。
アナはそれを見下ろしてそわそわと体を揺らし、何か言いたげにクザンとジョセを交互に見た。
「どうした?アナ」
「パパ、ジョセさん。あたし、あれやってみたい」
どれどれ、とクザンも腰を上げた。
下では海兵たちが体術訓練をしている。
「ああ、
諌めるような口調で言ったクザンの肩に、誰かが手を置いた。
「そうとも言いきれないよォ~?」
「ボルサリーノ」
三人の後ろにいつの間にかボルサリーノがいた。ジョセが慌てて敬礼する。クザンと違って仕事を溜めないボルサリーノは、基本的にわりと暇人である。
「少なくともアナの体力は平均を遥かに超えてるからねェ~…。新兵程度なら渡り合えるかもしれないよォ~?」
ボルサリーノはおもむろにアナを抱き上げ、窓に足をかけた。
「借りてくよォ~」
「!? 待て、暫定ロリコ…」
軽い調子でアナごと窓から飛び降りたボルサリーノを追おうとするクザンの体は、ジョセの武装色を纏った手によって遮られた。
「まだ書類が残っています。遊びに行きたければ全て片付けてからになさい」
「…………」
クザンは一度窓の外を見る。クザンの中でのジョセのあだ名は「おかん」。怒らせると怖いという意味でつけた。ボルサリーノロリコン疑惑はクザンの中では未だ晴れてはいないが、さすがに白昼堂々新兵や教官役の兵士もいるところでは何もできないだろう。明らかに怒気を滲ませるジョセの機嫌をとってやった方が得と判断し、大人しく席についた。
「邪魔するよォ~」
親方、空から大将が。
そんな言葉を叫ぶ暇もない速度でボルサリーノが落ちてきて着地した場所は、新兵訓練真っただ中であった。新兵たちは大将の出現に慌てふためき、教官役のシシリー准将もいささか驚いた様子で敬礼する。
「ボルサリーノ大将!何かご用でしょうか」
「今から新兵たちにィ~…チビッ子相撲をしてらうよォ~~」
シシリーの言葉が聞こえているのかいないのか、アナを腕に抱えたままボルサリーノは地面に円を描く。
チビッ子相撲、という
「この円の中から出るか、足の裏以外が地面についたら負けだよォ~」
アナが円の中心に立たされ、新兵たちは円を取り囲むようにして並べられる。
「今から一人ずつアナと相撲をとってェ~…勝った者は明日の訓練を休んでいいよォ~」
「!!!」
ざわ、と新兵たちがざわめく。
今ここにいる新兵たちは訓練が始まって一週間しか経っていなかったが、それでも「明日の訓練が休める」は垂涎ものの景品だった。
「いくら大将でも、そのような勝手は……」
「おカタいねェ~……一日くらい許してあげなよォ~」
「…………仕方ないですね…」
シシリーは止めようとしたが、少なくとも本部においては滅多に部下を困らせないことで有名なボルサリーノからの頼みとあっては強く断ることもできなかった。
「あの子供を倒せば休める…!」
「絶対に勝ってやる……!!」
目の前にちらつかされた飴に飛びつく準備をする新兵たちだが、本部に引き抜かれるだけあってそう早計でもない。本来与えられぬはずのものを与えられる条件が、自分たちの思うほど簡単なはずがあるだろうか。そもそもあの”大将黄猿”が連れてきた子供が、普通の子供であるわけがない…。新兵たちは顔を見合わせ、互いに気合を入れた。
一方アナは、すでに準備運動をしていた。ボルサリーノの意図はわからない。しかし体中にやる気がみなぎっている。体を動かしたくてしょうがない。相撲をした経験はないし、相手は大人だから負けるかもしれない。それでもやりたい、勝とうとしてみたい。昨晩モヤモヤを解消しようと走ったときにわかったことだが、アナは体を動かすのがかなり好きだったらしい。
「アナは能力の使用は禁止だけどォ~…全員に勝てたら何かご褒美をあげるよォ~」
「! はい!がんばります!」
ぱあ、とアナの顔が輝くと同時、新兵たちのやる気も増した。どんな特別な子供か知らないが、本部海兵として、何より大人として負けていられない。何より「全員に勝てたら」と自分たちの実力を下に見られたことで怒りも湧く。
両者ともに士気が増したところで、戦いの火蓋は切って落とされた。
「はっけよーい、のこったっ」
シシリーの号令で、相手の海兵がアナに向かって走る。アナはしゃがんで海兵の股下を走り抜け、相手が振り返る前に飛び蹴りを食らわせた。
「くらえーーっ」
「かは、このガキ…!」
「あっ、やば」
どん、と突き飛ばされた海兵はぎりぎりで土俵内に踏みとどまり、アナの足を掴んだ。
「このまま場外だ!」
「やーー!」
振り回されて投げられかけたアナだったが、海兵の腕に自ら掴まって場外を回避した。
「この、離れろっ!」
その言葉に従うわけではないが、アナは海兵の腕を蹴ってしゅたりと着地する。危うく地面に手をつくところだったが、ぎりぎりでルールを思い出して耐えた。
アナは腕組みをし、何か考える動作をした。そうしてぱっと顔を上げ、海兵に突進した。
「!」
再び股の下を走り抜けられ、海兵は飛び蹴りを警戒して上を見る。アナはいない。狙いは海兵の足だった。小さな両肩に海兵の両足をそれぞれ掴み、自分の手足にオーラを集める。
「せえーーーー…のっ!!」
「うわあ!?」
アナは、自分の二倍はある身長の男を持ち上げた。
「オ~~、力もちだねェ~」
「せいやっ!!」
ボルサリーノがのんきに言う。アナは、大きく掛け声を上げながら海兵から手を離した。
地面まで大した高さではないとはいえ、突然持ち上げられて落とされるとさすがに着地もうまくはいかない。海兵は着地の際に手をついてしまい、アナの一勝となった。
続けて二戦、三戦と立て続けにアナが勝ち、ボルサリーノは得心したように頷いた。
「思った通りィ~、普通の子供じゃないねェ~…」
「思った通り、とは?」
仕事をとられて暇なシシリーが恐る恐る尋ねる。
「あの子供…アナと言うんだけどねェ~、クザンが拾ってきた子供でねェ~…」
「はい」
「
「氷のカゴ、ですか…それで凍えないものでしょうか」
「やっぱりそう思うよねェ~?毛布は敷いてたらしいけどねェ~…それだけで何日も耐えれるほどクザンの氷はぬるくないからねェ~…アナは丈夫なんだよねェ~」
会話の途中でまた一人海兵が負けた。次の者を出させ、シシリーが合図をする。
「そのことをクザンに言ったらねェ~、気づいてなかったんだよねェ~…それぐらい普通じゃないのかって言われてねェ~…」
ボルサリーノはため息をついた。
「コワイよねェ~…アナが普通の子供だったら凍えて死んでたよォ~…?」
ありえないよねェ、と言われ、シシリーは返答に詰まった。下手に同意すれば、遥か上官を罵ったのと同じになってしまう。ボルサリーノは無理に答えを求めたわけではないらしく、そのまま続けた。
「とにかくアナが普通の子供じゃないとは思ってたからねェ~、その通りで良かったと思っただけだよォ~」
ボルサリーノが話し終えたのと同時に、どっと場が沸いた。5人目の海兵が負けていた。
「ボルサリーノさん、つ、疲れてきました…」
アナは肩で息をしている。ボルサリーノはにっこり笑った。
「休憩は挟まないよォ~?」
鬼畜である。
「つ、次の者前へ!」
シシリーはボルサリーノに引きつつ新兵を呼んだ。次に出てきたのは大柄な男。アナが、うへえ、と嫌そうな声を上げる。正直最初からはりきりすぎて、残りオーラが少ない。もう力技では勝てない。
「はっけよーい、のこった!」
掛け声と同時にアナは跳躍した。
「大きいひとでも、頭を揺らせば…!」
男の頭目掛けて蹴りを繰り出したアナだったが、疲労でキレのなくなった足は簡単に止められてしまった。そのままいとも簡単に場外に出される。
土俵の外に転がったアナは、きょとんと目を丸くした。
初めて、負けた。
「うおおお!勝った!」
「すげーよあいつ!やっと一勝だ!」
「うおおおお!!勝ったぞおおおおお!!!」
周りの海兵が騒いだが、それよりも一日休みをもぎ取った本人の方がもっと喜んでいた。
「あーーー!負けちゃったーー!」
アナは喜ぶ海兵たちと同じトーンで真逆の叫びを上げる。
「ボルサリーノさん、これでご褒美は…」
「ナシになったねェ~、でもまだ新兵はたくさんいるからねェ~…」
「休憩はなし、ですかぁ…」
「そういうことだねェ~」
「ボルサリーノさんが虐待してくるぅ~」
アナはべそべそと泣き真似をした。それを見た海兵たちはさすがにアナがかわいそうになった。いくら大人5人を連続で負かしたとはいえ子供は子供。疲れて弱った子供をいたぶってまで休みをもぎ取ろうとする人格破綻者は新兵の中にはいなかった。しかし、同時に大将に意見できるほど勇気のある新兵もまたいなかった。
意見してこの「チビッ子相撲」を終わらせられない代わりに、その後五試合、新たな5人の新兵たちはわざと時間をかけて負けた。アナに同情してのことだったが、その時間でオーラを回復したアナはまさに恩を仇で返す形で次の10人を最高効率で倒してしまう。再びオーラ切れで疲労困憊になった時には新兵たちの同情もなくなり、容赦なく場外に出され続けることとなった。
「うう~、おとなげないよお~…」
負け慣れていないアナは半泣きになった。このままでは残り全員に負けてしまう。どうにか勝ちたい。どうにか。何か手はないものか。オーラが足りない。
その時、アナは”枝”の存在を思い出した。能力使用禁止とはいえ、手放せば爆発が起きるためきちんと身に着けている。枝には、ジョセがクザンに向けた怒気や新兵たちから受けた敵意*1が溜まっていた。
このエネルギーを自分のオーラにできればいいのに。そうしたらどんなに楽だろう…。淡い期待を胸に、片手でそっと枝を握った。枝の中に溜まったエネルギーのことをイメージする。水のように蓄えられた、攻撃に使えるエネルギー。これを掬い上げ、自分の身を守り強化できるオーラに…!
────ならなかった。
どうやら制約は「エネルギーを使用するとき本人には作用しない」ではなく、「蓄えたエネルギーは本人に干渉できない」が正しいらしい。唯一例外は使うときにどのようにエネルギーを放つかのみで、他は何をしようとしても無駄のようだ。
アナはオーラ切れを起こしたまま残りの成人男性たちと相撲をせねばならず、まぐれで相手が転んだりする以外はほとんど負けてしまった。
一日休みを手にした新兵たちは泣いて喜び、そうでない新兵たちは泣いて悔しんだ。結果だけを見れば負けた新兵のほうが多く、シシリーは「多少特別といえど子供に負けるとは何事だ」と負けた者だけ訓練を激化させたのである。かわいそうに。
「し…しんじゃうぅ……つらい……ボルサリーノさん、ひどいです……」
「スタミナはある方だと思ったんだけどねェ~~…」
ボルサリーノの腕の中で、足腰も立たないアナはぶつぶつと恨み言を吐いた。序盤であれだけオーラを使えばすぐに燃料切れを起こすのは当たり前だが、念の概念を知らないボルサリーノにはアナが倒れかけた理由も、今死んでいない奇跡も理解できるはずがなかった。
先ほどアナの状態をオーラ切れと軽く表記したが、実際には少し違う。
オーラとはその人間の生命エネルギーそのもの。使い切ってしまえば死が待っている。念の素人が最も陥りやすい罠であり、アナももちろん危なかった。今愚痴を呟けるほどの体力が残っているのはひとえにストッパーのおかげである。
そのストッパーはアナ本人がかけたものではない。本人以外でアナのオーラに手を出せる唯一の存在、今や霊となった田中太郎によるものだった。
そもそもアナの念の知識は、田中太郎の思念が伝えようとしたことをアナが無意識に拾っているものである。当然注意事項の取得漏れも起きるし、把握していても子供なので夢中になればすぐ忘れてしまう。
俯瞰的にアナを見守る
「寝たければ寝るといいよォ~、どうせこのまま帰るしねェ~」
「え、パパに一回会いたいです……」
「じゃあ自分の足で立って歩きなよォ~~」
「…それはまだ…むりです……」
アナの強さが期待外れだったことがそんなに嫌だったのだろうか、ボルサリーノは意地悪だった。
アナが諦めてぐったりと脱力すると、枝が暖かく熱を持った。
”
”
今は安心感が湧いてきたので後者だろう。ちなみにクザンの近くにいた時には常に枝が微熱を持っていたので、ボルサリーノは今この瞬間にだけ好意を抱いたということになる。
(つまり…基本的にはあたしのこと別に好きじゃないけど、今だけは好きってこと? 何それ…)
難しいことが考えられるほど、今のアナに元気はない。考察もそこそこに、落ちるように眠りについた。
その夜のこと。アナとボルサリーノは同じ布団で眠っていた。
月夜に照らされたボルサリーノの家の屋根に、突然現れた氷がパキ、と音を立てる。
次に、開いた縁側の一部が凍る。氷は着々と寝室に近づいていった。
ボルサリーノは人の気配に目を覚ました。
誰かが近くにいる。
顔を横に向けると、ちょうどクザンが襖を開けて立っていた。血走った目が幽霊か何かのようで、一瞬夢かと思う。
家の戸締まりはしていないが、だからといってここまで堂々と不法侵入するような男だっただろうか。
「……………クザン…わっしに何か用…」
「やっぱり同じ布団で寝てやがったな、このロリコン野郎…!」
「…オーーー……預かってやってるのに酷い言い草だねェ~…」
敵意を剥き出しにするクザンも、応戦せんばかりに口角を上げたボルサリーノも、アナを起こさないように小声である。
クザンはフンと鼻を鳴らし、どかっと布団の横、アナが寝ている側の畳に寝転がった。
「……何をしてるのかねェ~~…」
「アナが変なことされねェようにおれもここで寝るからよ」
クザンの目は据わっていた。
「…ここはわっしの家なんだがァ…」
「ぐーーーーーー」
「…………」
もう寝ている。
光の速さで蹴り出してやろうかとも思ったが、家が壊れるしアナが起きてしまうのでやめた。今日は自分のせいで無理をさせたし、せめてゆっくり寝かせてやりたい。
畳とはいえ布団も敷いていないところでは寝にくいだろうに、アイマスクを下ろしたクザンは豪快な鼾をかいている。
───自ら視覚を塞いでいては、自分がアナに何かしてもすぐに気づけないのでは?
何をする予定もないので構わないが、変な所で抜けている男だと思う。そんなにアナが心配ならさっさと自分の家を片付ければいいのに、それをしないだらしなさ。面倒臭がりの子供をそのまま縦に伸ばしたような男だ、クザンは。
ボルサリーノはひとつため息して、小さな寝息と大きな鼾を聞きながら目を閉じた。
翌朝アナが起きたとき、枝はクザンが傍にいるときのように微熱を持っていた。
不思議に思って首を動かすと、隣にクザンが寝ている。
「……パパ!?」
「………おォ、おはよ、アナ」
クザンは眠そうに片目を閉じたままアイマスクを上げた。
「え? いつから……ここボルサリーノさんちだよね?」
「そうそう、アナの顔が見たくて来ちゃった」
「来ちゃったって…!」
「迷惑だよねェ~…」
いつから起きていたのか、アナの後ろからボルサリーノも会話に加わる。
「クザンはわっしがロリコンだって疑ってるらしいよォ~…」
「そうなんですか? パパ、失礼だよ」
アナは口を尖らせた。せっかく自分を受け入れてくれている人に妙な勘繰りをしないでほしい。元はと言えば家に帰らないクザンが悪いのに。
「ロリコンでもねェと年端もいかねェ子供にキスとかしないでしょうがよ」
「あれはァ~…ねだられたからしただけだよォ~…」
「口にとは言われてねェだろ!?」
「パパ」
アナがクザンの袖を引く。
「あのね、ボルサリーノさんはロリコンじゃないよ」
曇りなき眼である。
「なんでそう言いきれんの」
「だってね、一緒にお風呂入ってもちんちん大きくならなかったよ」
年端もいかない子供から発された爆弾に、大人二人は凍りついた。
「…………………なんだって?」
「だから、ボルサリーノさんのちんちんは」
「もっかい言えって意味じゃねェよ」
クザンは慌ててアナの口を塞いだ。
「……………まァ……いいんじゃねェの、知らねェよりは知ってた方が…」
「………わっしの無実は証明されたねェ~?」
「いやそれはまだ今後どうなるかわかんねェから」
クザンは冷たく言った。局部が反応したか否かより、まず娘でもないのに一緒に風呂入りやがって、と思っている。
「………このくらいの歳の子ってのはァ…どこまで知ってるもんなんだろうねェ~…」
「…さァ……」
「でもボルサリーノさんのちんちんはパパより大きかったな~」
「マジでやめてアナ、それ以上チンコの話しないで」
「なんで?」
「なんでも!」
朝からそんな話でぎゃあぎゃあと騒いだせいで、ボルサリーノは遅刻しかけた。遅刻魔のクザンはボルサリーノにつられて慌てたのでい普段より早く出勤した。
今まで絶対被らなかった二人同時の出勤に、一部女性海兵たちの間であらぬ噂が流れたり流れなかったり。
アナは「予想外にまずい事をまずいタイミングで言いそう」という危険性が発覚したため、今日は留守番することになった。
久々の一人である。
「…念の修行しよっと」
静かな家で一人でする修行は存外捗り、夕方ボルサリーノが帰ってくるまでが一瞬のように感じられた。とは言えボルサリーノの顔を見た瞬間の安堵は想像以上だったので、寂しいことに変わりはない。家主の帰りを今か今かと待ちわびる様子は飼い猫かなにかのようであった、と、ボルサリーノは後に語った。
その日からアナは留守番の割合が多くなったが、日中は念の修行に集中できたし、夜にはボルサリーノだけでなくクザンも来て川の字で寝る生活は悪くなかった。稀に訪れるサカズキには未だに慣れないが、サカズキの方もアナを邪険にする事こそないものの、話しかけたりはしないので、距離感がわからないのはお互い様らしい。
そんな生活が半年ほど続いた。
念を使っているせいか、三大将の影響を受けているのか、アナの背は半年間でぐんぐん伸び、今では160㎝を越えた。
二次性徴は未だ来ず、顔にもあどけなさが色濃く残っているが、それ故に少女ではなく10代前半の少年のように見えた。女子らしい高い声も変声前の男子との区別は難しく、余計にアナの性別を不明にさせていた。
「……大きくなったよねェ~…」
「何がですか?ちんちん?」
「違うよォ~~?」
「むぐ」
ボルサリーノはアナの唇をつまんで黙らせた。体が大きくなったとはいえ依然としてアナはクザンの娘であり、ボルサリーノの中でも「飼い猫かなにかのよう」という認識は変わっていない。ただ、それを膝に乗せれば嫌でも変化は実感するわけで。膝に乗る重みも当然増えている。
よく育ったものだと、ボルサリーノはしみじみアナの頭を撫でた。
二人にとってはほのぼのとしたいつものやりとりでも、絵面は完璧に少年を侍らせる中年男である。おまわりさんこいつです。
ちなみにアナは、半年前のあの日以来「局部の話をすると大人のリアクションが面白い」という事に気がついてしまい、時折思い出したように下ネタをぶっこんで来るようになった。身体が成長しても、中身はほとんど男子小学生だ。
ボルサリーノは、ふと思い立ってにアナを膝から下ろした。少し離れた場所に立たせ、頭からつま先まで眺める。ひとつ頷いて、考えるそぶりをした。
「オーーー…次の
「
アナは苦い顔をした。半年間念の修行に勤しんだことで、あの時の自分の愚行を理解し、今や「念能力者でもない人間に負けたなんて」とまで思うようになっていた。たった半年、されど半年。毎日修行を積んだので、今なら絶対に新兵になど負けない自信がある。アナにとって因縁のイベントだが、なぜ急にその話になったのだろう。
「そろそろ入隊試験を受けてもいいと思うんだよねェ~……」
「! ほんとですか?」
「あァ…昨日クザンとも少し話してねェ~…」
ボルサリーノたちは、アナを海軍に入れる時期について考えていたらしい。
入隊試験は基本的に各支部で行われるが、海軍本部でももちろん受け入れはしている。ただし、支部では受かればそのままその支部に入隊するのに対し、海軍本部で受かっても実力によってはどこかの支部へ配属されることが多かった。
ボルサリーノとクザンは、アナが具体的に何をどう鍛えたのかまでは知らないが、半年前よりも強くなっていることだけは理解していた。少なくとも今のアナの実力なら、落ちることはないと判断したのだ。
そして今本部配属になれば、すぐに
……彼は少々アナを過大評価しがちだが、胸中を多く語らないこの男の見当違いに周りが気付くのは、いつも「その時になってやっと」である。
さて、アナも海兵になること自体に躊躇いはない。ただ、本部に配属される海兵は基本的に各支部で特別戦果をあげた兵であり、本当の意味での新兵は滅多に採らないことになっているという話を聞いていたので、受かった後に支部に配属されるであろうことを懸念していた。図体が大きくなった所で、心は子供のまま。まだクザンたちと離れる覚悟はできていなかった。
アナは、強さだけなら恐らくすでに本部新兵足り得る。しかし海兵とは強さのみでなれるものではないのだ。軍人である以上、一般教養や記憶力、戦略的思考を始めとする様々な「強さ以外」の能力も同時に求められる。そしてアナは、この半年間勉強らしい勉強はしてこなかった。
アナはその辺りの事情を説明した。自分の学力が足りないと自分で言うのは恥ずかしかったが、揺るぎない事実である。
「というわけでボルサリーノさん、やっぱり入隊試験はもう少し後に…」
「…おーーー…そうかいィ…しかしこのままじゃあ勉強できるようにはならないねェ~?」
「それは、そうですけど」
どうしたらボルサリーノの家にいて学力が身につくかなど、アナには思いつかなかった。場所を変えればどうとでもなるのだろうが、住む場所を変えたくないのは確かであり、住む場所を変えないことには子供が勉強できる所には行けないように思えた。
「…まァ……受付は済ませちゃったんだけどねェ~~~」
「えっ」
アナはボルサリーノを見上げた。至って真面目な顔をしている。アナを驚かせようとして嘘を吐いたわけではないようだ。
「試験は一週間後だそうだよォ~」
「ええっ……」
唐突に告げられた決定事項に、アナは「ボルサリーノさんたまにこういう所あるよなぁ」と他人事のように思った。
入隊試験まで、正確にはあと5日。