紫燕騎士団が初の魔獣討伐と物資運搬任務を果たしてからしばらく経った。新しい概念である
ただ、騎士団の顔役でもある騎士団長とは、本来であれば団員の中でも技量が高い人物が選ばれるべきで、今までは大隊長のポストに納まっているキヴィラハティが騎士団長も兼任するはずであった。
しかし、組織編制が為されたことにより、近衛騎士団の特設飛行船団を率いていたトルスティが紫燕騎士団に移籍という形でその任を請け負うことになった。
これには『トゥエディアーネはその性質上、撃墜されたら指揮のしようがない。なので、
「じゃ、親方。オルヴァーさん達によろしくお伝えください」
「ったく、イカルガやトレーナーにエーテルリアクタを組み込んだと思えば……。まぁ、クシェペルカでやったように鍛え上げてくらぁ」
力こぶを誇示しながらダーヴィドはツェンドリンブルの
紫燕騎士団が居を移したことをきっかけに、銀鳳騎士団もそのありようが徐々に変化しつつあった。先ほど出かけて行ったダーヴィドも、ラボにて
また、騎士団長と副団長を勤めるエルとアルも別の任務が与えられている。
──といっても、空に関する会議で発覚した問題点や質問に対しての相談事を王家から持ち掛けられ、その対応するために時折カンカネンへ赴いているだけなのだが、最近はアルのついでにエルが呼び出されるという場合が多かった。
その理由として──。
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「エルネスティよ。レビテートシップの発着の順番を決めるのは、時期尚早だろうか?」
「アル?」
「いいえ。今は軍用しかないですが、この先は富豪とか商会といったギルドも使用する可能性が十分に有り得ますね。航路の優先権や、発着の順番といった法律は今のうちに整備しておくに越したことはないかと」
「分かった。他に何かないか?」
「……そうですね。例えば、あまり想像したくない事故になりますが。他国からのカーゴシップが自国の航路の法律を遵守し、フレメヴィーラ王国のカーゴシップも自国の航路の法律を遵守して衝突、なんてことも十分に有り得る話ですね。事故となると空から船の残骸が落ちてくるわけですから、人的被害や家屋といった財産的な被害などの補償も平行して制定しておくに越したことはないかと」
「他国で共通の法律とかも必要になりますね。法の制定やら周知が大変そうですが」
「分かった。早急に草案を纏めておこう」
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このように、エルは求められた相談事が
無論、自身の作り出した(上半身が)人型兵器の普及のためならば、エルは苦労もいとわずにえんやこらする。ただ、法律など政治のこととなるとエル曰く、『それを覚えるぐらいなら
そこで、人前で話すトレーニングと称して広く浅くを地で行く学び方をしているアルに話してもらい、自分がその意見を補強するという役割に徹しているわけである。
その結果、『ひとまず』や『今のところ』という枕詞は付くが、なんの問題やクレームも出ていないことからアルに話してもらう作戦は見事に嵌っており、自分は
「さーて、暇だし。手紙でも書こう……? 来客?」
やたら遠い目をしていたアルがふと正気に戻り、伸びをしながら工房を出て行こうと踵を返す。本日は珍しくエルだけがカンカネンに召集されているので、久方ぶりの休暇気分でイサドラに送る手紙でも認めようとしたアルだったが、足を1歩踏み出すと同時に砦の見張り台から鐘の音が鳴り響く。来客を告げる独特の符丁に本日の予定を思い出すアルだったが、記憶の中に来客の予定など無かったので少しだけ嫌な予感を募らせた。
「あ、フロイド君とドワ子さん。僕は急遽居なくなったとか言っておいてください」
「え……あ、了解です」
「だから私をドワ子っていわないでって! あっ、コラ! 副団長っていつもそうですね! 私のことを何だと思ってるんですか!」
慣れ親しんだいつものやり取りを背に、アルは『ドワ子さ~ん』という捨て台詞を口に出しながらその場を後にする。そのまま、砦の応接室の隣に存在する物置のような部屋に入り込み、応接室の方向にいつも携帯している小さな杖を向けると
「僕が居ないと分かると、エドガーさん達は後で折り返し出来るように話だけでも聞こうとするはず」
エドガー達の行動を予測しながらアルは物置の壁を魔法で削り取り、小さな覗き窓を拵える。そこから応接室の様子を伺いながらしばらく待つと、わずかに廊下が騒がしくなってから応接室の扉が開かれる。
「申し訳ありません。騎士団長も副団長閣下も現在、席をはずしておりまして」
言い訳をしながらエドガー、ディートリヒ、ヘルヴィが身なりの良い数名の男達を中に招き入れる。
鎧を着けていないことから騎士ではないことを察せたが、逆に騎士以外で品格のある振る舞いを行えるような人間がこんな所に来る理由がアルには思いつかなかった。
「いえいえ、銀鳳騎士団は今のフレメヴィーラ王国を象徴する騎士団。お忙しいのは重々承知しております。副団長にはお話がありましたが、我々の主題は道中で話した通り貴殿らなので問題ありません」
エドガーの対応に、数人いる来訪者達から代表の者がにこやかな笑みを浮かべてエドガーに話しかける。ただ、『
しかしながら、代表者からの返答は一切変わらず、代表者はそのまま自分達が各地の騎士団の関係者や、貴族の依頼を受けている者と自己紹介を始めた。
(ヘッドハンティングをしている仲介人か)
男の自己紹介とそこから続くエドガー達へ向けた『別の騎士団で騎士団長として働かないか』という本題と思われる言葉を聞きながら、『僕らや陛下を無視で?』という疑問を持った。
通常の騎士団ではこういった引き抜き行為は引き抜かれる当人と引抜きを望む本人。または、代行を生業にしている仲介人が請け負っていると、他の騎士団長達から世間話レベルで聞いた覚えがあったアル。しかし、一介の貴族に雇われている騎士ならまだしも、アルを含めたエドガー達は大げさに言えば『この国の王』に雇われている騎士である。悪辣な言い方をすると、先ほどからエドガー達に語りかける男やその裏で手を引いている貴族達は、フレメヴィーラ王国が即座に出せる戦力を削り取りに来ているといわれても過言──だと思うが、そういった見方も出来てしまう。
周囲との連携を是とするこのフレメヴィーラ王国で、明らかに凄腕の騎士を引き抜くメリットよりも周囲の貴族から浮いてしまうデメリットの方が辛いのではなかろうかと思ったアルは、このヘッドハンティングの席に乱入するべきか悩み出した。
(こういったことは上の人物も巻き込んだほうが良いんじゃないかなぁ。……でも、いきなり口出ししてウザがられないかなぁ。……ご破産になってもエドガーさん達に悪いしなぁ)
たしかに、このまま飛び込んで『おどりゃぁ、陛下を無視とか舐めた口聴いてるとケツに手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタいわすぞ』と追い出すのは簡単である。ただ、そこから話が拗れるとせっかくの話を棒に振ってしまい、結果的にエドガー達の今後に悪影響が出るのはアルにとっても不本意であった。
「皆様、ご自身のことをあまり理解されていないご様子ですね。しかし、だからこそ、まずは正しく理解しておかねばならないかと」
アルの葛藤とは裏腹に、男は未だに戸惑っている様子の3人に対してフレメヴィーラ王国から見た彼らの印象や実力を話し始める。
未だ中隊長という肩書きを出ない彼らだが、エルという規格外の存在が率いる銀鳳騎士団で中隊長として数々の功績を打ち出してきたのは間違いないことである。それが例え、本人達が『騎士団長に付いて行ったらこうなりました』と言っても、それだけで彼らの働きは全く無かったものとして周囲が見てくれないほどに彼らは最前線──いや、最前線の先を気楽に踏み越えていくエルを追っていた。
また、彼らには『専用機』も所有している。朱兎騎士団のモルテンが所有するハイマウォートを例にすれば分かりやすいが、一般的な騎士は量産機の多少のカスタム程度なら許されても専用機といった専用の部材や素体。数多の細々した調整や装備を受けられるのは、基本的に各騎士団の騎士団長のみが許されている。
いくら『
(まぁ、そうなりますねぇ。対魔獣、対シルエットナイト。双方の実戦経験が高めで指揮能力が豊富。中隊長機は専用機で、中隊の機体は原型が無いほどカスタムしてるのがある。……うーん、控えめに見ても複数の騎士団を率いている大騎士団です。本当にありがとうございます)
未だ自分達とフレメヴィーラ王国から見た彼らとの認識の差に理解が追いついていないエドガー達だが、物置で様子を伺っていたアルだけは後方の保護者面でうんうんと頷いている。ただ、銀鳳騎士団が注目される主な原因はエルだが、その原因の一端には間違いなくアルも間違いなく絡んでいる。そうなると、保護者というよりむしろ加害者と言った方が間違いないのかもしれない。
「ええ、最初に申し上げたとおり、所属を移られるおつもりならばこちらにご連絡ください。先方の皆様はすべて貴殿らに良い条件を用意するという確約を戴いております。私としましても、お三方ほどの実力者ならば騎士団の一つや二つ、率いても何の不思議も無いと思いますがね」
(強制ではないにしても、王族直轄の騎士団に対して上の人間を介さずにこれは反逆と言われても仕方ないような……。うーん……、行くかぁ)
軽く話だけして退散することを期待していたアルだったが、本腰入れて話し出す雰囲気に介入することを決意する。せっかく気分良く話しているのに、横からいきなり割り込んできて『それ、違いますよね?』と言われると気分を害するのはアルも良く経験した話なのだが、このまま話を進めると誰も幸せにならないと自身に論理武装を施しながら物置から出て応接室の扉に手をかける。
「その結婚、待った!」
「な、なんだアルフォンス! お、おおれはべ、べべつにヘルヴィととと「あ、今はそういうの良いんで」」
アルの中で言いたい台詞の第10位ぐらいに入る言葉と共に部屋に入り、明らかに動揺している口調で勘違いをしているエドガーをピシャリと切り捨てる。そのままツカツカと先ほどまで勧誘トークを行っていた男の前で立ち止まると、そのまま腰を折りながら丁寧な礼をした。
「銀鳳騎士団の副団長を務めます。アルフォンス・エチェバルリアです。不在にして申し訳ありませんでした」
「いえいえ、とんでもない。アルフォンス副団長にもお話があったので。……ですが、些か無作法では?」
登場の仕方から、アルが扉の前で聞いていたことを察した男は少し棘を含んだ言い方で返す。だが、アルは毅然とした態度で『本来ならばそのまま聞いているつもりでした』と、男がなにか不祥事を起こしたような口調でエドガー達を紹介するように手をかざしながら語りかけた。
「彼らは王族直轄の騎士団に所属する騎士なので、その人事については現国王であるリオタムス陛下や銀鳳騎士団を任せられているエルネスティ騎士団長に委ねられるかと。例え彼ら中隊長達がこの場で移籍すると宣言しても、先ほど言ったお二人の合意が必要になると思いますが?」
話の途中で割り込まれたことによって少々気が立っていた男だが、『合意が必要になる』というワードに硬直してしまう。そして、本人が思う中で一番長い数秒と言う時間が経過すると、共に砦にやってきた男達とそろって滝のような汗を流し始めた。
「まずいでしょうか? 何分、このような王に近い騎士団の人材にお話を持っていくのが初でして」
「こちらも引き抜きについては初めてなのでなんとも……。ですが、予め貴族の方々が陛下にお伺いを立ていたとしても、我々にはその沙汰を伝えられていません。その段階にも拘らず、話を通さないで事後承諾で騎士団の移籍は……素人の考えで恐縮ですが、まずいのでは?」
アルの素人考えだが、冷静に考えてみればかなり的を得ていた。
通常ならばいざ知らず、王に詳しく話さないで勝手に騎士団の移籍などを行った場合、『ろくな話に聞かされないで騎士に逃げられた無能な王』や、『後で適当に話しておけば多少強引な手を使える都合の良い王』というレッテルが王に貼られてしまいかねないので、どう楽観的に考えてもかなり困った事態になってしまう。
そして、そうなる前に勝手に話を進めた人間を処罰することになってしまえば誰も得をする人間が居ないという可哀相な結果へ一直線だ。
「まずい……ですね。今回はお話だけということで、また来ようと思いますがいかがでしょうか?」
「それが賢明かと。……あ、先ほどのお話を少し聞いていましたが、"良い条件"と仰っただけで具体的な条件を提示していらっしゃらなかったですよね? 念のため、情報のすり合わせを行っても?」
「え、あ……はい」
今まで饒舌なトークを行っていた男が周りに居た男達とアイコンタクトをしながら頬を引きつらせ、次の約束を取り付けると撤収準備に入る。しかし、先の話の大部分を聞いていたアルからは逃げられなかった。
エドガーとディートリヒに隣の物置から黒板を取りに行かせ、ヘルヴィには必要な資料を全て持ってくるように伝えながらアルは腕を組む。ここから先は如何にエドガー達の価値を高く評価してもらえているかの確認なので、アルも自然と気分が高揚してくる。
「それでは、そちらの条件を提示していただいても?」
「一応、先方が提示してきたものはこちらです。ですが、調整中の事項も多くあるので確約は難しいです」
一瞬にして応接室がアル中心の空気に染まっていく。若干『この人、なんで率先して待遇内容見てるの?』と思ったが、有無を言わさないというアルの雰囲気に緊張しつつ男は資料を手渡す。
パラパラと各貴族や騎士団が提示した待遇内容を見ていくアルだったが、時折『え?』や『うわぁ』といった相手にとって極力言ってほしくない言葉を度々口にする。
そんな声に一気に不安になってきた男だが、先ほど『調整中』と言ったのである程度のことは納得してもらえるだろうという理由から決してアルの雰囲気に呑まれまいと手の力を込める。──のだが。
「まず、給金は何とかなりませんか。複数の騎士団を抱えている貴族だからということを加味しても安すぎます。あ、ヘルヴィさんどうも。で、これらが今まで3人が携わってきた企画や討伐、従軍した戦いのリストと給与の推移ですが……、テストランナーや教導、指揮や対シルエットナイトの戦いが出来る騎士がこの給金……というか、銀鳳騎士団の給与以下なのはいかがなのでしょうか?」
ジャブにしては深々とめり込んだ口撃に男はうめき声を漏らす。帰ってきたヘルヴィから受け取った資料を机の上に並べつつも、アルは次々と給金が安い理由を述べ出した。
まず、
次に、魔獣との戦いと人間が操る
もちろん、指揮の仕方など類似する点は多々あるが、魔獣と
他にも。
『エドガーは対魔獣、対
『ディートリヒは突進力なら銀鳳騎士団随一。部隊を纏め上げる力もあるので攻撃による防衛という戦略が立てられる希少な人材です』
『ヘルヴィは戦場の機微に一番敏感です。彼女をツェンドリンブルの乗り手にすれば、少なくとも損することはないはずです。さらに、彼女は新しい物好きなので
といった、3人に対してのセールストークをまるで機関銃のように放ちながらアルは賃金の交渉を行っていく。この弾幕に男も呆気に取られてしまい、アルの後ろで待機していた3人の顔もアルからの褒め殺しに赤く染まった。
しかし、まだアルのターンは終わっていない。今度は業務内容の部分を一読し、傍らにあった引き抜きを行おうとしている貴族や騎士団のリストに指を這わせる。
「後は業務内容ですが……。どれも街道警備といった陸上のシルエットナイト業務ですが、間違いないのですよね? 特に、この方とこの方にはトゥエディアーネを数機納入されているはずです。本当に業務内容は間違いはないんですね?」
業務内容が意図的に改竄されるという事象は既に前世の『某職業安定所』で経験済みゆえ、アルはしっかりと業務内容の確認を行う。
ただ、アルが男を射殺さんとする視線で問いかけたため、男の喉からヒュッという奇妙が音が漏れ出てしまう。確かにその貴族からは
(この副団長……ヤバい!)
改竄したことがバレたらすべてがご破算なので、男は顔色こそ平静を保っているが心臓が今にも口から飛び出さんばかりに緊張していた。先ほどアルから投げかけられた質問には『再度確認を行わせていただきます』と答えつつ、今すぐ退散しようと逸る気持ちを持ち前の自制心で押し留める。
「すみません。何もかも確認が足りないようですね。今日のところはこれぐらいで失r「ただいま戻りましたー!」」
男が立ち上がろうとした矢先。バターンと勢いよく開かれた扉に応接室の中に居た人間は既視感を感じるが、そんなことはお構いなしにエルがアディと一緒にソファの近くまで歩いてくると、『こちらの方々は?』と頭に疑問符を浮かべながらアルに問いかける。
「うちの中隊長達をヘッドハンティングするために派遣された方々です。あ、皆様。こちら、騎士団長のエルネスティ・エチェバルリアです」
「エルネスティです。なるほど、今は条件の刷り合わせ中なんですね!」
「いえ、もうそろそろ失礼しようかと思ってまして」
「まぁまぁ! まぁーまぁーまぁー! 話はここから、ここからなので! 座って座って! アディ、上等のお茶を淹れて来て下さい! エドガーさん達も座って座って!」
『ヘッドハンティング』という言葉に目を輝かせながら全員をソファに座らせるエル。先ほどまでの口撃やこちらの手を見透かしているかのような言動の数々に『帰らせてくれ』と願う男や、彼の苦しげな表情に雲行きが心配になってきた同伴者の意思とは裏腹に『交渉事なんて久しぶりですね』とウキウキした様子で机に広げられた資料や条件を見ていたエルの表情が一瞬にして無表情になった。
「アル、これは?」
「向こうが提示した条件ですね。給金の再考や仕事内容の乖離がないかの確認はお願いしてあります。正直に言えば給金については移籍する人間の都合だと思いますが、誇りや名誉よりもお金は大事ですから。後、単純に僕達がそんなに安く見られるのは心外です」
「もうそこまで話が進んでるんですね。……じゃあ、業務内容の確認も?」
「それも確認済みです」
「じゃあ──」
アディが持ってきてくれた紅茶を片手に、次々とエルが確認を行いたい事項を男と共有しているのか確認が取られ、アルもうなずきながら問いかけに返答する。やがて、聞きたいことは全て聞いたのか『これぐらいですかね』と深い息をついたエルの姿に『ようやく帰れる』と思った男。彼のテンションは、すっかり窓の外のように薄暗い闇がかかっていた。
「それでは長々と失礼しました」
「あ、最後に一つ!」
「あ、こっちも!」
男が扉に手をかけた瞬間。思い出したかのようにエルとアルは叫ぶ。
後ろを向いているからか、『もう勘弁してくれ』という表情を浮かべていた男はもう一度丹田に力を入れながらにこやかな笑みで振り返る。
「何でしょう?」
「騎士団を移籍する条件として銀鳳騎士団の持つ、いかなる情報や機体を手土産にさせることは禁止でお願いします。もし、中隊長達の専用機もセットで移籍させる場合はリオタムス陛下にお尋ねください。仮に情報の流出が発覚した場合、いろいろ面倒なことになります。……エドガーさん達も含めて」
「あー、秘密保持! 忘れてました!」
「アルは勉強する前にああなりましたからね。仕方ないですよ」
エルが言い出したことは、俗に言う『NDA』と呼ばれる秘密保持契約である。これは下請けの会社に秘密情報を提供する場合、下請け会社がよその会社や世間にその秘密情報を漏洩することを防ぐ契約方法である。
アルはこの契約についての講習を前世で受けていなかったが、アルよりも数年先に入社を果たしているエルはもちろん受講していた。その中で、『ヘッドハンティングを装った人物が高待遇で移籍させる条件として秘密情報を横流しするように迫り、情報を横流しした後に行方をくらます(※情報を流した当事者は捕まって終わる)』という事例を何度も説明されていたので、このように聞いてみた次第である。
「も、もちろんそれは承知しております!」
「ええ、もしもというやつなので」
心外だとばかりに叫ぶ男だが、言われた内容が内容だけに少々どもっていた。ただ、情報というのは見る人によって価値が道に落ちている石から黄金へと変化する。そして、その情報を見る人が増えれば必然的に価値も変動する。エルはそれを危惧していた。
普段は某公爵や某王族、某ラボといった関係各所にホイホイと常識に喧嘩を売った情報を丸投げする2人だが、そこらへんの分別は出来ている。──出来ていると思いたい。──出来ていたら良いな。
「僕の方はあれです。我々は彼らのために様々な投資を行ってきました。専用機にしたり、存分に戦える環境だったり、福利厚生だったり。……些か趣味や時勢に流されてしまったのは否定できませんが、できる限りのことをしてきた自慢の騎士達です。彼らに見合った良縁を期待しております」
「………………ハイ」
アルの最後の一言によって周囲は一気に重圧が増した。その人物のために専用機を拵え、それを満足に整備が行える環境を作り、度重なる任務で活躍できるよう訓練にも力を入れる。それらはもちろんタダではないし、仮に金額に表すとどれだけの金額を用意すれば良いのか全然分からない。
先ほどの言葉から、今後の交渉は難航しそうな気配を感じた男や同伴していた者達は一様に魂が抜け落ちたような足取りで砦から姿を消していった。
***
「申し訳ありません。本来ならば静観すべきでしたが、出来るならば皆さんにはもっと良い条件があるんじゃないかと欲張りました」
「いや、俺達の方もいきなりのことで混乱していたから助かった」
部外者が居なくなったと同時に、アルはノータイムでその場で跪くと謝罪の言葉と共に頭を地面スレスレまで一気に降ろす。見る者が見れば惚れ惚れする流れの土下座だが、彼らは少し戸惑いながらも先ほどまでのアルの行動について不問にした。
しかしながら、男達が改めて条件の確認を行うために猶予は出来たが、未だ騎士団の移籍についての回答を行わなければならないことに変わりはない。ディートリヒは銀鳳騎士団に残りたそうにしていたが、エルは3人の目を見ながら真剣な面持ちで今後のことについてよく考えることを伝える。
「エル君、本当に3人が居なくなっても良いの!? アル君も何か言ってよ!」
踵を返した3人の背中とエル達を交互に見ながらアディが叫ぶ。彼女にとって今の集団が銀鳳騎士団なのだ。もっと言えば、キッドがクシェペルカに行ってしまったため、これ以上銀鳳騎士団のメンバーが散り散りになるのは彼女にはとてもではないが耐えられなかった。
「アディ。人の命は長くもないですし、全員が長く生きられるか分かりません。そんな限られた時間の中でもしも、求めるもの──願望があるならば迷わず掴み取るべきなんです」
「
エルとアルが今まで行ってきた
「うーん、ああいう話が出るならスキルシート書いてもらって見学っていうのもありですねっと……封筒?」
今後の展開に備えて自身の職歴──この場合は戦歴や技術を自己PRと共に説明できる資料をエドガー達のみならず銀鳳騎士団全員に書いてもらおうと考えていたアルは、机の端っこに大きめの封筒が挟まっていることに気づく。見覚えのない形状なので仲介役が忘れていったのかと思ったが、一応確認のために封筒を空けて中身を改める。
「こ、これは……」
「どしたの、アル君。…………ナニコレ」
「2人共、どうしたんですか? …………うわぁ」
固まった3人の視線の先には大きめの封筒サイズの紙が入っており、その紙一杯に貴族のリストが書かれていた。しかも、そのリストの中には女性名しか書かれておらず、その横には数え歳がご丁寧に記載されている。
「ねぇ、これって」
「あの人たちはどこだぁ!」
リストの内容から嫌な予感を感じ取ったアディだが、横で深く息を吸い込んだアルは次の瞬間、砦内に怒号を飛ばした。その後、なんやかんやあって第3中隊が捜索に当たり、数日後に再び男達は砦に招集された。
***
そこからしばらくして──
「あら、イサドラ。それ、アルフォンス様からのお手紙?」
「そうよ! 何が書かれてるのかしら!」
デルヴァンクールにある王城の一室では、クシェペルカに駐在している藍鷹騎士団から手紙を受け取ったばかりのイサドラが舞い上がっていた。その姿に微笑ましい笑みを浮かべたエレオノーラだったが、いそいそと手紙を取り出して流し読みをしていたイサドラの表情が凍りついた様子に首を傾げる。
「ねぇ、これ。……どういうこと?」
「いえ、自分はなにがなんなのガァァァア!」
身体の心まで冷え込むような声を出しながら、イサドラはおもむろに近くで待機していた藍鷹騎士団員の肩に手を置き、そのまま力を込める。騎士の痛がる声に、はっと我に返ったエレオノーラが慌ててイサドラを引き剥がしにかかると、イサドラの手から件の手紙がはらりと床に落ちる。イサドラがこうなった原因を探ろうと、マナー違反だがエレオノーラは床に落ちた手紙をすばやく拾うと手紙の中身を検分し始めた。
「あの、なんでアルフォンス様がお見合いすることになってるんですか? クワシク ホンゴクに トイアワセテクダサイ」
「しょ、承知しましたぁぁぁ!」
しかし、数秒後。イサドラと同じように花が咲いたような微笑をどこかへ落としたように無表情のエレオノーラがイサドラの横から藍鷹騎士団員に詰め寄る。本国のことを何も知らない藍鷹騎士団員は、絶対に逆らえない2人を前にただただ泣き叫びながら胃の辺りを抑えることしか出来なかった。