新生クシェペルカ王国。亡国の憂き目から見事に復活を果たしたかの国──その王都はすっかり様変わりしていた。
「見ろよ。銀鳳騎士団だ」
「おぉ、あれが救国の勇士! 人馬騎士もなんて迫力だ」
「だが、その後ろのは何だ? 妙な背負い物がくっついているが」
そんなエル達を既に銀鳳騎士団がやってくることを早馬によって知らされていた住民がクシェペルカ復興の功労者を一目見ようと詰め掛ける。が、ツェンドリンブルと
恐らく銀鳳騎士団が新たに作ったのだろうが、銀鳳騎士団が使っていた
そんな声を背に、エル達はいよいよエレオノーラと対面すべく王城の中へと入っていった。
***
(誰か話してくださいよ! ジュース奢りますから!)
(誰か話してよ! エル君ちょっとだけ貸すから!)
王城に入って優に1時間が過ぎたが、エルとアディは断頭台の前に立つような気持ちで誰かに話を振るよう祈っていた。2人の目の前にはこの国の女王であるエレオノーラが座っているが、その様子はおかしかった。
ものの数分前までは、2人の結婚報告や世間話を昔と変わらない花が咲いたような笑顔で聞いていたのだが、『件の国際問題』について話し出した途端に目の焦点が合わない不気味な笑みを浮かべながらうわ言のように何かを呟いていた。この広い世の中には天真爛漫な人間を突然の不幸によって曇らせ、ハッスルする人種が多少居る。居るのだが、残念ながら突然地雷を踏んだらしい2人はその類ではない。
では、どうやってこの現状を打開するか。そのカギは現在進行形でお空の上でバ……エムリスに引っ張られているであろう
なお、本来であればエルとアディの他にもう1人ここに居るはずなのだが、忽然と消えてしまっていた。ちなみに迷ったわけでも脱走をかましたわけでもない。単純に別の場所へ通されたのだ。ホスト側であるクシェペルカ王国の都合は仕方ないにせよ、状況説明や口の回る人員だったがゆえにエルとアディは心の中でアルに対して無体な愚痴を吐き捨てていたが、当の本人はというと──。
「当日、私が呼びに来たのですがその時にはこのような状況でした」
「うわ、押さえ過ぎて爪の跡付いてる」
キッドに貸し与えられていたとされる部屋。そこでアルはクシェペルカ王国の近衛騎士に当時の話を聞きながら物色をしていた。
はじめは王城のとある一室に連れてこられたアルだが、そこには誰も居なかった。エルとアディから引き離された上に誰も居ない部屋に通されたことに彼は不思議に思いながらも、何か意味があるのかと連れてきてくれた近衛騎士の顔を見る。
すると、彼も『おっかしいなぁ』と命令の伝達ミスかと疑い始めたようで、もう一度命令を聞きに行ってもらった。そして数分後、『後で呼びに行くから王城の中限定で好きに過ごしてもらってほしい』という指示に変わったらしく、それなら件の国際問題について現場調査でもやってしまおうということでこうしてキッドの部屋に押し入った次第である。
「後で呼びに来るんだったら工房見学ぐらい許してくれても良いでしょうに……」
「いやいや、入ったらアルフォンス殿は梃子でも離れないでしょ」
書き置きでもないかとベッド周りをひっくり返しながら、アルはこの時間を工房見学に充てられなかったことに不満を漏らす。せっかくレーヴァンティア・ガードナーの御膝元で改修案を現場と語りたかったのにと呟く彼だが、そうしてしまったが最後。呼びに来ても、『後5分』と寝ぼけ気味の人間特有の言い訳で数時間浪費することが鮮明に脳裏に浮かんだ近衛騎士がアルを窘める。
先ほどからかなり近しい物言いをする近衛騎士だが、彼は
「アルフォンス殿、アーキッド殿の痕跡を見つけました」
「やった」
鬱屈とした毎日を送っているらしいと又聞きで聞いたエレオノーラを晴れやかに出来るような証拠が飛び出てきそうな予感に、アルは勇んで受け取った数個の紙玉を解いていく。しかし、中からは『殿下のお付きで』や『ちゃんと帰ってくる』といった一文のみの書き置きだけが書き込まれており、こう──上手くは言えないが彼女が喜びそうな一文がどこにもなかった。
「えぇいっ……! もっと気の利いたことは書けんのか。あのイケメン」
てっきりこれを見せればエレオノーラがすっかり元気になるような展開を望んでいたが、実際はそんなに甘くないらしい。
なお、アルの忌々し気なセリフの数秒後ぐらいに某浮遊大陸の某所でキッドが盛大なくしゃみをしつつ、『お前に言われたくねぇ!』というどこに対してかよくわからないツッコミをしていたのを羽が生えた美少女に聞かれたとかなんとか──。
ただ、惜しむらくはエムリスの行動が早かった──いや、書き損じが大量にあることから察するに書き置く内容を悠長に推敲していたのだろうか。どちらにせよ、キッドが書き置きを書いて目立つところに置くタスクを満足にこなすことが出来ずに旅立ってしまったのは覆りようのない事実だ。
仮にこれをなぜなに分析にかけるとするならば、問題はキッドの筆の遅さであろうか。それともエムリスのこらえ性の無さと行動力の速さと空気の読めなさだろうか。そんなことを考えているアルだが、自身にも筆の遅さや洒落っ気の無さにかなりの『前科』があるので、天秤を若干エムリス側に傾かせたところでキッドの部屋の扉がノックされた。
「エチェバルリア卿、そこに居ましたか。マルティナ様がお呼びです」
「分かりました」
「あ、自分はこのことをエレオノーラ陛下にお伝えしてきます」
「よろしくお願いします。"貴女をないがしろにしないため、連れていかれる瞬間まで抵抗していました。"って言っておけばなんとかなるでしょ」
欠席裁判となるが、自らの欲望のために国際問題になる行動をしたのはエムリスだ。ならば、とことんまで泥を被ってもらおうと、一緒に現場検証をしてくれた近衛騎士に伝言を託したアルは迎えに来た近衛騎士に先導される形で先ほど無人だった部屋に入室を果たす。
そこには既にマルティナが席に座っており、紅茶を優雅に嗜んでいた。
カップから湯気が漏れているため、そう待たせたわけではないだろう。ただ、こちらが後に入室したので一応の礼儀としてアルは遅参を謝罪するためにドアの前で丁寧に腰を折る。
「申し訳ありません、遅れました」
「いえ、今来たところ……ふふっ、まるで逢瀬の待ち合わせのようですね」
一瞬だけ『年を考えたほうが良いですよ。既婚者』と言い出しそうになるが、その前に部屋の奥にあった大きめなクローゼットが揺れる。最初は何事かと思ったアルだが、一連の流れからそこはかとなく『デジャヴ』と『仮説』が頭を過ぎったので、『趣味が悪いですよ』とマルティナにだけ聞こえるような声量で呟くと彼女の対面の席へ着席する。
「あ、自分でやるので」
「あ、はい」
「アルフォンス殿……人を使うことも覚えなければなりませんよ」
自分の手で紅茶を淹れ出すアルに人を使うよう注意するマルティナ。すると、紅茶を淹れることを拒否されて一瞬戸惑った女中が、今度はマルティナの方に距離を詰めて耳元で何かを囁く。相槌を打ちながら何度か頷いた彼女は何かを了承すると、女中は退席の挨拶をした後に部屋から出ていった。
「まずはあなたに謝罪と感謝を よくあの内容を受けてくれました」
「僕としてはまだちょっと揺らいでるんですけどね。偉くなりたいわけじゃないので」
「あら? じゃあ、偉くなりたいわけじゃないのにイサドラは欲しいのかしら?」
「当たり前ですよ。結婚なんて出世や領地のためにするものじゃないのが僕の考えです」
『イサドラが欲しいのか』という剛速球をアルはそのまま打ち返す。その覚悟に反し、相変わらずの平民思考と出世欲の無さとのギャップに思わずマルティナは微笑を浮かべた。
この庶民感が娘に受けたのだろうか。そんな他愛もないことを思いながら『素敵ね』とアルのことを本心から褒めたマルティナだが、それだけ思われているのに隠れている『卑怯者』に対して一気に目つきをきつくさせるとその卑怯者が隠れているクローゼットを睨み付けた。
あれだけこの部屋で待機していろと言っておいたはずなのに、近衛騎士から姿がないと聞いた時にはエル達の前で膝から崩れ落ちそうになった羞恥心や娘に対しての情けなさで額に青筋が立ちそうになるが、心配そうに見る婿(ガチ)の一途さに免じて……ということで平静を取り戻した。
「よろしい。では、時間があるのでクシェペルカ側からアルフォンス殿へ渡すものを説明させていただきます」
「は、はぁ」
やたらと時間を気にするマルティナ。約束でもあるのかと心配になるアルだが、ここで口を挟むのは余計に時間を食うし、何より失礼だ。そう思って静かに拝聴の姿勢を取ると、マルティナはクシェペルカ王国側がアルに渡すものや責務を説明し出した。
まず一つ目は爵位である。アルフォンス・エチェバルリアは、叙勲式をもって正式にクシェペルカ王国で『公爵』の地位に就く。最初からそんな大物になると元からいる貴族から嫌味を言われそうだが、銀鳳騎士団は既に滅びを迎えたクシェペルカ王国を再興した立役者だ。それに報いる爵位が男爵や伯爵では周辺諸国に『功績に報いることのできない馬鹿国家』の謗りを免れない。下手をすると引き抜きの口実となってしまう。
そして、爵位と共に渡されるのが領地である。その話を聞いた途端、公爵という破格の爵位ということで膨大な領地を運用しなければならないと思ったアルが席を立とうとするが、マルティナは『あなたが運用する必要はありません』とぴしゃりと言い放つ。
爵位をもらっておきながら領地運用しないとはこれ如何に。と思うが、そもそもアルに全て丸投げしようとはマルティナを含めたクシェペルカ王族は思っていなかった。
「領地についてはイサドラに任せます。アルフォンス殿にはそこを拠点にクシェペルカ王国とフレメヴィーラ王国共同でのシルエットナイト技術向上を含めた工房の舵取りをお願いしたいのです」
「なるほど、統治はイサドラに任せて僕はシルエットナイト関係に従事すると……。それなら大歓迎です」
アルは自身でも統治が出来ない人間だと思っているので、王族に連なるというネームバリューを持つイサドラが指揮をしてくれれば早々問題は起こらないだろう。そして、
諸手を揚げて承諾するアルだが、マルティナの話はまだ終わっていなかった。
「まだあります。工房の責任者になると共に、あなたには騎士団を率いていただきます」
「銀鳳騎士団のような感じになるのでしょうか?」
「はい。両国共同でのシルエットナイトの開発と共に、クシェペルカ王国とフレメヴィーラ王国の治安維持もお願いしたく」
マルティナの言葉にアルは自身の許容量とタスクを脳内で計算し出す。
工房の管理は自分を頂点としてフレメヴィーラ側とクシェペルカ側に副官を置いとけば良いし、治安維持にしてもフレメヴィーラ王国ならばそう簡単に応援要請は出さないだろう。
そうなれば後はクシェペルカ王国の治安維持だが、先だってのような奇襲に対応する国境側のパトロールや全土を軽く見て回るぐらいならば月に数回で事足りる。むしろ、パトロールを名目に機体を満足に動かせるチャンスでもあった。
(あれ、よくよく考えればそう忙しくないのでは?)
割かし暇かつ、思いっきり
「最終的にはフォンタニエを中心とした大公領をイサドラに譲渡し、あなたには大団長として各地に騎士団を置いて欲しいと考えています」
「ムリデス。ムリデス」
いきなりマルティナが語る最終目標を聞かされたことで、アルの脳内に飼っている小市民が騒ぐ。さらには再びタスクを再計算したことで未来の自分を取り巻く状況が不明なために思考がオーバーフローを起こしてしまった。
何度も『無理』という言葉を口にするアルに、先のことを言い過ぎたと反省したマルティナは『最終的』という言葉を何度も使うことで彼を安心させる。
「今からではないということは安心しました」
「えぇ、今ではありません。ですが、アルフォンス殿には学園で教鞭も取ってもらいたく」
「……え?」
「あちらでも教官をなさっていたそうではありませんか」
どうやらリオタムス経由からアルのことは色々教えられているらしい。楽が出来ると踏んでいたアルが鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていると、再び女中がお代わりのティーポットをもって入室してくる。空になったティーポットを交換したついでに、またしてもマルティナに一言、二言話した女中はそのまま退室していった。
「やはり、何かお約束事でも?」
「後で言いますので。ところで、アルフォンス殿はミシリエは見ましたか?」
突然、関係なさそうな街の名前にアルはかの宿場町を思い出そうとする。しかし、よくよく考えてみれば観光は一切せず、夜になったら近くの町で休むスタイルでの強行軍だったので素直に『町中には入らなかった』と伝えると、マルティナは『領地について言ってませんでしたね』と今後任される領地の話を伝えだした。
「はじめに、ミシリエとフレメヴィーラを繋ぐ関所をイサドラの管轄とします。現在、小さいながらも学び舎や郊外に騎士団が活動出来るための砦を建設中です」
「ふぁっ!?」
降ってわいた領地宣言にアルは驚愕する。今となっては街の中に入らず、『あー、砦とか作ってら』とスルーしていた自分が愚かしいが後の祭りだ。
その後にマルティナの口から、現在のミシリエがどのように変わったかが語られる。かのミシリエの戦いで大きく広げられた空白地を最大限生かそうとしているらしく、今後は
「銀鳳騎士団の残した土木関係の装備、ありがたく使わせていただきました。それに、ミシリエには騎士からシルエットナイトを用いた土木作業を生業にする者も居りましたので」
「ウワー ワタリニフネ デスネ」
まさか、復興の足しになるだろうと設計図や稼働データと共に残していた土木パッケージが自分に嚙み付いてくるとは思わなかった。さらに言えば、ミシリエの戦いが起こる前に彼の地の周辺に燻っていた騎士達を扇動して大規模な土木工事をしたわけだが、まさか本当に騎士をやめて土木工事業者になる者が居るなど誰が予想出来ようか。
まるで神様が仕組んだようなあまりの出来過ぎさに思わず片言になるが、どれも始めたのは銀鳳騎士団だ。今まで好き勝手してきたツケとも言えよう。
アルの頭の中で懐かしの前世の姿を取った幻覚が『お前らが始めたことだろ』と耳打ちしていると、ノックをした後に先ほどからマルティナに耳打ちをしていた女中が入ってくる。──入室することで一瞬開かれた扉の隙間にエルらしき目とアディらしき目。それと憔悴していたはずのエレオノーラの目が部屋の中を見渡そうとしていただのだが、アルがそれらの目を認識する前に女中の手によって扉は勢いよく閉じられた。
「失礼しました。マルティナ様、未だ動きはありません」
「そうですか。随分口が重いようで……」
マルティナはため息をつきながら女中を帰す。退出の後、扉の向こうで彼女がなにやら話し込む声を聴き流しながらマルティナは一枚の紙をアルに差し出した。
「これは?」
「"あれ"についてです」
『あれ』と言いながらクローゼットの方を指さすマルティナ。本格的に隠さない姿勢にアルは不思議に思ったが、彼女は人差し指で先ほど手渡した紙を見るようにジェスチャーをする。
その無言のサインに従って紙に視線を落とすと──。
【本来ならば、ここに来ていただいた時点でイサドラが居るはずでした】
そう、本来ならば最初に連れてこられた時点でアルはイサドラと会って談笑しながら時間を潰せていたのだ。マルティナも最初にアルと会って2人きりで談笑でもしていれば、今後の話し合いをしやすいとエレオノーラの傍に控えていた。
だが、誰も居なかったという報告によってその考えははかなくも崩れ去ったのだ。
「まさか、ここまで来て隠れるとは思っていませんでした」
まさかの行動にアルが文とクローゼットを交互に視線を変えながら何とも言えない表情をしていると、マルティナは小さく言葉を発しながら紙を読み進めるように促す。
そこには、『イサドラを利用してクシェペルカ王国の中枢に入り込もうとする輩を排除する。一芝居、協力してほしい』という文字が大きく書かれ、その下には具体的に何をすれば良いのかが具体的に書かれていた。
(泣いて部屋から退席。4番目の花瓶……あとは花瓶の中の紙に書かれている……ね)
指示が具体的過ぎてこれから何が起こるのかが全く理解できないが、やってほしいと言われているのならばやらなければならないのが勤め人というものだ。アルが強く頷くと、マルティナは小さな声で計画をイサドラに漏らさないよう注意喚起をする。
「どうしてですか?」
「あの子はまだ腹芸が出来ないのです。あとでうまいように誘導するので、その紙に従って演技をお願いします」
貴族に腹芸は必修と言っても良いスキルだが、未だに出来ていないことに今後の領地運用は大丈夫なのかと心配するアルを他所にマルティナはクローゼットの方を向いてこの場には居ない人物の名を呼んだ。
「イサドラ、話は終わりました。出てきなさい」
「うっ、……ごめんなさい」
「まったく……。おかげでアルフォンス殿に色々説明する準備が無駄になったではありませんか」
恐る恐るといった様子でクローゼットからイサドラが姿を現し、マルティナがその姿に苦言を呈する。一頻りお小言を聞いてすっかりしょぼくれていた彼女だが、呆然と佇んでいたアルの傍に近づきながら語りかけ始めた。
「久しぶり」
「オヒサシブリデス」
「なんとかしたわ」
「ソウミタイデスネ」
「頑張ったのよ?」
「ハイ」
遠目から見れば感動の再開と思われるが、近場から見ればそれはかなりの違和感がある光景だった。
会話ごとにイサドラがアルに一歩近づくが、反対にアルはイサドラから一歩後ずさっていくのだ。一向に縮まらない2人の距離に、彼女はとうとう『なんでそっちに行くの?』と率直に聞いてくる。
しかし、今のアルは自身の奥底に眠っていた本音が自らの身体を操っており、思惑と逆の行動を取っていた。
本当ならば会話のたびにイサドラに近づこうと思っていた。そして、あの時のようにあの華奢な身体を抱き寄せて『待たせた』という言葉を投げかけたかった。
だが、出来なかった。──出来なかったのだ。
ここで進めば全てが解決する。
本当に?
ここで一歩踏み出してしまえば後は順風満帆な貴族生活が待っている。
お前じゃ無理だ
決心したはずだろ。
揺れてるよ
このように、現在アルの脳裏には再び本当に自分で良いのかという葛藤が渦巻いている。それは他人がどうこう出来るものではなく、本人──アルフォンス・エチェバルリアが納得しなければ到底解消できない難題だ。
自問自答をしながらも身体は後ろに向けて歩を進め、最終的にアルの背中に扉の感触が伝わる。目の前には悲しそうなイサドラの顔。絶対にさせてはいけないと思っていたその表情が、さらに彼を混乱させる。
そんな顔をするな。泣かせたいわけではない。自信がない。どうしよう。ドウシヨウ。ドウシヨウ。
そんな終わらない問題が頭の中で駆け巡る。やはり、自分が結婚なんて柄ではなかったのだろうか、早かったのだろうか。そう思った矢先──。
「そうよね、アルはこういった時は急に頼りなくなるものね」
アルにも聞き取れない声量で呟いたイサドラは、彼の目の前で腰を落とすと一気に飛び掛かる。思いもよらぬ行動にアルは為すがままの状態で扉に叩きつけられ、そのまま王城の床へとイサドラに覆いかぶさられたまま仰向けに倒れこんだ。
(あれ、キスされてね? ……男女逆じゃね?)
唇に当たる柔らかい感触と目の前に目を閉じたイサドラの顔が映ることでようやく事態を認識できたアルだが、後頭部からの鈍痛によってかなりの錯乱状態であった。なお、そのキスの味はぶつかって床に倒れこんだ拍子に歯同士が思いっきりぶつかって両者共に血の味だったとか。
そんな先ほどの衝撃と感触によって冴えてきたのか、口の中に錆びた鉄を突っ込まれたような味が脳を刺激する。口付けというには少々エキセントリックな気がするが、きつい張り手のようなものだと己を納得させたアルは今一度自身の考えを問う。
無理なものはあるだろうが、周りが助けてくれる。
そうだね
そうだね
なにより──惚れた女には幸せになってもらいたいんだろ? なら、やってやろうじゃないか。
よし、行ってこい
ものの数秒で行われた自問自答。だが、己の本心から太鼓判を押されたアルは覆いかぶされたままでイサドラの腰に手を回す。
「すみません、目の前の幸せに怯えてました。随分待たせたようで申し訳ありません」
「えぇ、これからはいつまでも傍で待っていられるから思いっきり悩んで。それがきっとアルや皆のためになるんだから」
どうやら回答期限に間に合ったらしい。イサドラは満面の笑みでもう一度自らの唇をアルの口に落としかけ……止めた。なぜなら、ここが部屋の外だからだ。
ふと横を向けばフレメヴィーラ王国から訪れた目の前で押し倒した旦那(仮)の兄とその婚約者。一方は感心するかのように彼女達を凝視し、もう一方は隣に居る従妹と共に顔を手で覆ってキャーキャー騒ぎながら指の隙間から同じく彼女達を凝視している。
「イサドラ、時と場所を考えなさい」
「し、しししつりぇいひまひた!」
噛み噛みでアルの傍から離れたイサドラは、顔を真っ赤にさせながら部屋に舞い戻るとアルが外に居るにも拘らず扉を勢い良く閉めた。その際に銀と触媒結晶があしらわれたリングが右手の指に填められているのが見えたので、彼は『別に身体強化しなくても』と未だ痛む背中と後頭部を擦る。
「アルフォンス、ついにやりましたね」
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
当然、そんな光景を見た3人の出歯亀達がアルに殺到する。口々に祝いの言葉を投げかけるが、本気で祝っているのは女性陣だけなので約1名だけはアームロックで制裁を加えつつも、彼の視線は祝いの言葉から一転して慌て始める彼女たちを飛び越え──先ほどからマルティナへ報告に来ていた女中の口元を映していた。
彼女は声を発さずに何度もゆっくりと口を動かして何かを伝えようとするが、読唇術を使えないアルはちんぷんかんぷん。ただ、近くに出歯亀達が居る中で近づくことも出来ないので何度も凝視していると、1単語だけはなんとか解読できた。
(き……ま……す……来ます? なにが?)
「アルフォンス殿、何をしているのですか?」
マイクロウェーブか何かでも来るのだろうかと特有のボケを思い浮かべたアルだったが、マルティナに呼ばれたのでさっさとエルをその辺に打ち捨てて彼女の傍に走り寄る。
「マルティナ様、例の女中さんが"来ます"って伝えてきました。他にも言われてたと思いますが、全部は分かりませんでした」
「陛下やエルネスティ殿が居ましたからね。……アルフォンス殿、くれぐれも渡した紙の計画通りに振舞ってください」
「……となると?」
「えぇ、あの子に近づこうとする者達。彼らが婚約者を差し置いて懇意にしている者の顔を見に、ここに来るでしょう」
ひそひそ声で話すマルティナの言葉からいよいよ計画実行まで秒読みだと悟ったアルの顔が強張る。どんな婚約者なのだろうかという期待の気持ちや、生半可なやつだったら計画を途中で放棄して殴り飛ばしてやろうかというなかなかにバイオレンスな考え次々と過ぎっていく。
だが、これがアルの平常だ。彼の動力は決心することで出力を上げる。かのミシリエの戦いにしても、事前に守ると決心できたからこそあのような罠を用いた手が使えたのだ。
今回もそれと同じ。ただ、対象は町や人間から『イサドラ』という個人に変わっただけである。
「ねぇ、アル。どうしたの?」
「いえ、なんでもありませんよ。それより、何を勉強したか聞かせてもらいます?」
闘志を高めていたので、つい表情が強張ってしまっていたらしい。イサドラに悟らせまいと、アルは上手い具合に会話の話題を提示した。イサドラも丁度その話題について聞いてほしかったのか、喜々としてアルと別れた後の血のにじむような学習の日々を語りだした。
そこから先はノンストップである。領地運用のための人の動かし方から乗馬や狩猟といった偉い人とコミュニケーションをとるためのスポーツなど幅広い物事を教えられ、実際に治める予定のミシリエ周辺の土地などを見学してどのような産業や人の呼び込みが出来るかといった題材の報告書を何度も書かされたのだとか。
「ですが、領地を任される以上は王家に税を支払うひつようがあるのでは? その時、産業などの人が働く場所が無ければ税の供給元がないのと同じなのでは?」
「それは……そうだけど」
「驚きました。アルフォンス殿は税のことも把握しておられるのですね」
「先王陛下に財務を取り仕切る場所に放り込まれたので……」
てっきり
しかし、ここでそのことを言うのは憚られるのでアンブロシウスのせいにしておいた。一応、財務関係のところに放り込まれたし、各領地から届けられた税を集計するといった作業も手伝ったので嘘ではない。マルティナもすっかりそのことを信じており、『納得しました』と可哀想なものを見る目でアルを見つめる。
そして、一通りイサドラが学んでいたことや勉強に対する愚痴を吐き出し終えたのか、今度は彼女の口から『婚約者』という言葉が出てくる。それに驚いたアルはチラリとマルティナを見るが、彼女は小さく首を振って自分の指示ではないことをアルに知らせる。
その反応から、アルはもう少し情報が欲しいために全く知らない風を装い、件の婚約者についてイサドラから情報を聞き出すためにわざと驚いて見せた。
「え!? 婚約者って……僕、側室ですか?」
「違うわよ! あっちが勝手に言ってきただけ!」
「あちらは"大公と婚約話を持ち掛けた。"と主張しているのですが、もはやあの方は亡くなられたので婚約も破棄されているはずなのです。ですが、それでもしつこく食い下がってきておりまして」
驚いたアルの様子に慌てたイサドラの口から次々と件の『婚約者』についての情報が語られ、これ幸いとマルティナがその情報をさらに補強してアルに伝える。
なんでも、フェルナンド大公が存命していた頃にロカール諸国連合との国境を守るエザール家という辺境伯が婚約話を持ち掛けてきたらしい。しかしながら、マルティナはそんな話を聞いていないし、それを証明する書類は先の大戦によって大公諸共全て消えてしまった。
だが、婚約話は覚えている。なので、結婚してクシェペルカ王国をさらに発展させよう──というのが大まかな向こうの言い分であった。
そんな『レシートはないけど胃袋が覚えている』的発言に、アルはちょっと馬鹿らしく思えてきたのは内緒だ。
「何度思い出そうとしても、会わせてもらった記憶がないのよね。それに、私も言ってるのよ? 私と結婚したければドレイクの炎に身を焦がしても助けてくれる人が良いって」
「イサドラ様はイサドラ様で頭おかしいこと言ってますった"ぁ!」
とんだかぐや姫が居たものだと呆れるアルに懐かしい痛みが走る。そんな楽し気な会話だが、そう長くは続かなかった。ドカドカと床を踏み鳴らす音が3人の耳に入ることで全員が扉に集中する。マルティナは『来たか』と件の呼ばざる者への警戒を強め、アルは『どんな奴だ?』と相手の人相に興味を示す。
「エザール辺境伯、今は来客中ですよ?」
「これはエレオノーラ陛下。このような場所で……おや、新しい従者ですか? 相変わらず、どこかへ行ったあのボサボサ頭のように身分も知らぬものを登用するのがお好きですな。いや、失礼!」
(あー、僕も先王陛下や殿下とよく馬鹿話やったよなぁ)
なんともいけ好かない声色かつ、不敬罪に当たりそうなギリギリの悪口が扉の外から聞こえる。悪口や軽い罵倒ぐらいはアンブロシウスやエムリスとやったのでアルは一瞬だけ親近感を持つが、相手が王になって間もない女性。かつ、クシェペルカが再興できた要因である『蒼き鬼神』の
そうこうしている内にエレオノーラによる声での制止も振り切り、数人の男が部屋に押し入ってきた。見事な体躯の男と眼鏡をかけてやたらものを知っていそうな優男を両脇に侍らせた七三どころか九一ぐらいの分け方をした金髪の男。そんな男を見た瞬間、アルの中にあった闘争心が徐々に萎んでいく。
その代わり、脳内には祭囃子がピーヒャラピーヒャラと鳴り始めた。
(すっごいベイビーって言いそう!)
──そう、某アニメのお金持ちキャラと姿が酷似していたのだ。
エザール辺境伯
当二次小説のオリキャラ。見た目が某日曜日夕方にあったアニメのことあるごとに『ベイビー』って言ってくるお金持ちの子に似てる青年。
かの大戦で一番初めにジャロウデク王国の攻撃を受けたにしては、かなり早い復興を見せた領地の当主。はじめは彼の手腕だと思っていた王族だが、今回の件で裏による詳しい捜査が入ることとなった。
性格は相手を完全に叩き潰してから仲間に引き入れるという仕える国間違えてるんじゃね?といった性格だが、これにはエザール家の浅くとも国と国を挟むほどの広い事情が関わっている。