来年も銀鳳の副団長をどうかよろしくお願いいたします。
騎士科上級生の救出作戦から数時間後、拠点の周りは初日のようにすっかり闇に染まっていた。
しかし拠点の入り口は、初日のような空気とは逆にまるで戦時の最前線のような重苦しい空気に支配されている。
歩哨は増員され、全員が目を皿のように広げて周囲に異常がないか見張る。
その傍らには
そんな物々しい拠点の一角、具体的にはエチェバルリア兄弟とオルター兄妹のテント前に設置された焚き火の前では4人の人影が座っていた。
「ああ~。エル君も良かったけどアル君もたまらないわぁ~。私、2人がいればまだまだ戦えちゃうわ」
(アル……ステファニアさんの気分転換のための犠牲になったのだ)
人影の一人であるステファニアがアルを後ろから抱きしめる。その様子をエルは悟ったような表情で、キッドとアディは苦笑いを浮かべながら見ていた。
抱きしめられている当の本人はというと毛布の蓑に包まり寝息を立てている。
「でも、こんなにイタズラしてるのに起きないのはすごいわね」
「今日は結構スナイプしてたので恐らく魔力切れとその後の疲れでしょうね」
「え、あの魔法ってそんなに魔力使うの?」
スナイプについて知らないステファニアはアルの頬をつつきながらエルに聞く。
そのイタズラにアルはむずがって身をよじるが、ステファニアはだらしない笑顔を浮かべてさらに強くアルを拘束する。
「ええ、確かアルが使ってたのは中級魔法ですから……上級魔法クラスをぼこすか撃ってた事になりますね」
エルはアルから魔法を教えてもらった時に減った魔力の目分量を思い出しながらステファニアに話す。
飛距離を伸ばすためにガチガチに魔力を固めないといけないので、その分消費量も馬鹿でかいのだ。
「あれ、でもアル君は防衛戦には参加してないよね?」
「アル君は確か応急処置の手伝いしていたそうよ」
ステファニアは先ほど報告された内容を思い出しながらアルの頭を撫で続ける。
***
エルとアルの活躍によって死者も出ずに救出作戦は成功した。
だが、そのまま何事も無くこの時間までのほほんと過ごせるほどクロケの森の魔獣は甘くはなかった。
先ほどまで森の奥で戦っていた魔獣が拠点にまで押し寄せてきたのだ。
大抵の魔獣は
「兄さん、僕も出ます」
「アルはあれだけ援護射撃したんですからお休みです」
『そんなー』というショボンとした顔をするが、アルは気を引き締めなおして中等部の居住区に赴いた。
「皆さん、上級生が怪我して戻ってきています! 実地訓練です!」
普段授業のモデルや教官役をしていた実績もあってか、実地訓練という突拍子もないことでも人手を大勢集めることに成功したアルは、その足で救護所代わりに立てられた仮設テントに赴く。
テントの前では軽症な生徒が並び、中では比較的傷が深いだろう生徒がうめき声を上げていた。
「それでは皆さん、連携して治療に当たります!」
アルの言葉に中等部の生徒が『おー!』という掛け声と共に行動を開始し、二人一組で軽症の生徒の応急処置を施していく。
「先生! 僕達は傷の浅い人を担当するので、先生や先輩は重い症状の人をお願いします!」
アルも生徒の治療をしながらテントの方に声を張り上げるとテントの方から『助かる!』と言う声が複数聞こえ、テント内がにわかに活気付いた。
その後、何度か『こんな小さな餓鬼共の治療なんか受けられるか』と貴族っぽいプライドの高そうな生徒が何人か出た。
アルは『獣にやられたのだからせめて消毒しないと危ないこと』や『教官には重傷者を見てもらって全員見られるようにしている』と説明したが、その体格から『お子様のお医者さんごっこ』と野次られる。
その言葉にアルがつい麻酔(物理)で黙らせてしまったが、夕方ごろには無事軽症者は戦線に復帰し、骨折などの重症者はすぐに移送できるように馬車に避難させることが出来た。
***
「居ないと思ったらそんなことしてたのですか」
「途中で顔腫らしながら増援に来た先輩ってそんなことあったんだ」
エルはアルが何をしていたのかを知って少し安心し、アディは途中で増援に駆けつけた先輩の有様の疑問が解けてすっきりしていた。
その時、アルが毛布から腕を出して何かを殴りつける動作をしながら『治療を受けないとか…どいつもこいつも』と寝言を言っているが、一体何人の生徒が鉄拳の犠牲になったのだろうかとキッドは軽く戦慄を覚えていた。
そんな時に後ろから上ずった声がかかる。
「あ、あの、生徒会長」
「なにかしら?」
「今後の方針を決めるので、来てほしいと先生がお呼びで……」
下級生を抱き抱えて緩みきった笑顔を浮かべている姿に引いているのか顔はこちらを見ていない。
「くぴゅーすぴぴぴぴー」
腹の中に別の生き物でも飼っているかのような寝息をしているが、アルは安心しきった寝顔で毛布からはみ出た小さな手でステファニアの服の裾をきゅっとつかむ。
その仕草にステファニアの鼻から赤色の優雅成分が少し漏れるが、その場に居た全員は全力で無視した。
ステファニアは、途端にキリッと生徒会長モードに切り替わって呼びに来た生徒にそのままついて行こうとする。
……もちろん、アルを抱きかかえたままで。
「会長、アルをこちらに」
「……お持ち帰りで」
いまだ優雅成分が鼻から出ているステファニアは、先日アールカンバーの試乗を提案されたエルのように葛藤し、細々とした声でテイクアウトを宣言する。
「非売品です」
エルの言葉に心底残念そうにしながらアルを引き渡すと、ステファニアはやっと優雅成分をハンカチで拭って呼びに来た生徒について行く。
エルはステファニアの行動に呆れながら、抱き抱えたアルをテントの中に転がす。
その後、アルが居ないので簡単だが少し味気ないスープや携帯食料で腹を満たしながら今までの情報を整理すると体力の消耗を抑える為に早々に眠りに付いた。
***
激しい警鐘の音にアルは飛び起きる。
そのまま横を見れば同じく飛び起きた他の3人と目が合い、お互いの無事を確認する。
その後、キッドとアディがテントを飛び出して周辺でまだ寝ている人が居ないか見回り、その間にエルとアルが最低限の荷物や火の始末といったあらかじめ班で決めていた非常時の行動の通りに動き出した。
「皆起きてる」
「女子も大丈夫だよ」
キッドとアディの報告を聞くとエルを先導に広場まで向かう。
その道中で暖機中だった
「大丈夫だよね?」
無事4人が広場に到着し、教員の指示を待ってる間、物々しい空気にあてられたのかアディが不安そうな目でエルを見る。
「大丈夫ですよ」
エルは極力アディが不安にならないように振舞うが、その振る舞いをあざ笑うかのように地響きのような足音や木々が倒れる激しい音が近づいてくる。
生徒の点呼がとれ、朝日がわずかに広場を照らす。
「よし、全員馬車に───」
突然の出来事に教官の言葉がさえぎられた。
今まで朝日によってわずかに明るくなった広場が急に墨を落としたかのような暗闇に覆われたのだ。
エルやアルを含む生徒全員が石になったかのように固まり、その様子に指示を出そうとした教官がゆっくりと後ろを振り向く。
そこには剣山のようなとげとげしい甲殻で全身を隙間なく包んだ巨大な魔獣がいた。
対峙する人間と魔獣、時がゆっくりと過ぎていく静寂の空間を真っ先に壊したのは魔獣の方だった。
口を開け、叫ぶ。
魔獣が起こしたアクションはそれだけだった。
だが、それは森の入り口を固めていた
魔獣周辺の木々が弾け、地面が振動するその音に生徒のほとんどが耳に手を当ててその場にうずくまる。
(あ……駄目だこれ……死ぬ)
周囲がうずくまる中、アルと他の数人だけが突っ立っていた。
彼らに共通していたのはただ一つの感情、恐怖である。
人間には原始的な恐怖がある。
暗闇や他の動物など、動物が本来持つ本能的な恐怖心が彼らの心を支配したのだ。
それらの恐怖に呑まれた人間はどうなるか。
「アル!」
アルの身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
だが、その前にすぐ横に居たエルによって支えられ、すぐにキッドに背負われる。
その間にエルやアディ、ステファニアなどのすぐに思考を切り替えれた者が上空に魔法を放ち、生徒を誘導していく。
「我々でベヘモスの注意を引く! 皆、手を貸してくれ!」
生徒達を守るため、
その言葉に即座に陣形を整えた
そのまばゆい光と法撃の音に見送られ、エルやアルを乗せた最後の馬車はこの場を後にした。
***
「ん……」
「アル! 気がつきましたか!」
恐怖で失神したアルにエルが飛びつくように容態を確認しだす。
『これは何本に見えますか?』と3本の指をつきだし、意識がはっきりしていることを確認すると一安心といった様子でエルは長い息を吐く。
「馬車?」
「ええ、先輩達がシルエットナイトでベヘモスの足止めをしてくれています」
「ああ……やっぱりあれはベヘモスだったんですね」
昔、ラウリに聞かされていた話と同じ外見の魔獣。あの夜、2人でどうやったら倒せるかと胸を躍らせていた魔獣。
それがあんなに恐ろしい怪物だった事実にアルは意気消沈していた。
「とりあえずキッドとアディに知らせ……?」
エルの言葉は突然の突風でさえぎられる。
否、正確にはその突風を生んだ主、
「まさか……」
「兄さん!」
アルは懐から単眼鏡を取り出してエルに放り投げる。
そこから自分達が居た場所を見ると、他の
(逃げ……た? 他の人を見捨てて?)
エルがそう理解した瞬間、エルは単眼鏡をアルに放り投げると馬車から飛び出した。
「にいさ……」
アルは言葉をかけようとするが、その間にもエルと馬車の距離が離されていく。
追いかけるべきか否か、アルは少し迷うが頭を苛立たしげに乱雑に掻き毟るとエルに続いて外にでた。
***
日が差し込む明るい森の中で2つの銀の弾丸が移動している。
片や地面をものすごい勢いで移動し、もう片方はそれを追うように木々の間をまるで猿のように移動している。
地面に居る方、エルは持ち前の魔力を潤沢に使って移動するが、次第に速度を落とす。
彼の眼前には駐機姿勢をとった紅の騎士が甲高い呼吸音を上げながらその巨体を休ませていた。
「えっと、教科書によればこの辺に……」
数分もしないうちにグゥエールの胸部装甲に辿り着いたエルは、操縦席のハッチを開くためにレバーを探し出す。
教科書の内容を思い出しつつ装甲の隙間に手を突っ込むとレバーを見つけたのでそれを思いっきり引っ張ると圧縮空気が噴出する音と共に装甲が上下に開いた。
それを確認したエルは、緩みそうになる顔を必死に我慢しながらゆっくりとウィンチェスターを引き抜いて開いた装甲の上に乗り込む。
「やっと追いつきましたよ。先輩」
「こっちもやっと追いつきましたよ。兄さん」
忘れ物を届けに来たような気軽な口調でディートリヒの前に立つエルの上から声がかかる。
エルが上を向くとグゥエールの上方向に開いた胸部装甲にアルがへばりついていた。
「……なにしてるんです?」
「ロボ分補給してます。邪魔しないでください」
そのまま胸部装甲に頬ずりするアルを見ながらエルは『今度やろう』と脳内予定表に赤丸を付けるが、今はそんな場合ではないと視線をディートリヒに移すと端的に問いを口にする。
「単刀直入にお聞きしますが、先輩はあの場から逃げ出したのですよね?」
エルにとっては確認のための問いだったが、実際にそうしてしまったディートリヒは先ほどまで一人で陥っていた興奮状態でエルに反論する。
「くそっ! くっ……そ、そうだ! 逃げて何が……何が悪い! あの場で一人増えようが減ろうが……け、結果は変わらないじゃないか! 騎士の心得とて命を捨てろなんてないし、私も無駄死にはしたくない!」
(でも後悔してるのがディー先輩の良い所なんだよなぁ)
装甲の上で寝転びながらディートリヒの事を考えていたアルは突如、くぐもった声と魔法が着弾する音に驚いて操縦席を覗く。
「なにしてるんですか」
「いえ、先輩にグゥエール貸してもらおうと思いまして……それに僕も仲間を置いて敵前逃亡した先輩には怒ってるんですよ?」
腰に手を当てて『怒ってます!』というポーズを取りながら固定帯を外してディートリヒを操縦席の外に出す。
「え、まさかそのまま捨てるんですか? 流石にドン引きっていうかそれやったら僕通報しますからね?」
「いやいや待ってください。そこまではしませんよ。セッティングの邪魔になるので避難させただけです」
さらりと邪魔と宣言したエルはそのまま操縦席のコンソールを切りつけ、銀色の配線を引き出した。
その
「もったいないですけど、先輩の場所を確保するんで捨てといてください」
「アイサー」
アルは毛布を自分の身体に巻きつけ、簡易医療セットはその場に捨てる。
片手ほどの小さな箱の中を覗くと、乾パンに小さなジャムの小瓶が並んでおり、思わずアルの朝食を食べていないすきっ腹が唸りだす。
「もったいないもったいない」
言い訳をしつつジャムを乾パンに塗りつけて一口。
サクサクとした乾パンにプミラのジャムの甘さが心地よく、アルは上機嫌に周囲を警戒する。
その間にエルは、操縦席に座って固定帯をつけると
エルは瞬く間に
やがて全身の
「走るので装甲を閉めます。アルはどこかに掴まっててください」
「了解。あ、兄さんこれ」
エルの口にジャムがたっぷり塗られた乾パンが放り込まれる。咀嚼するとジャム特有の甘さが先ほどまで酷使していた脳にしみこんでくるのを感じる。
乾パンをエルの口に放り込んだアルはそのままグゥエールの手に乗る。
そして、操縦席に座っているエルに向かって敬礼をした。
ロボットアニメでよく見る光景にエルも座りながら敬礼を返して装甲を閉じ、再びグゥエールの操縦に集中する。
最初はおぼつかなかった足取りも段々力強いものに変わり、一歩一歩の間隔が短くなってくる。
そして、
「うわ、うわわ…」
もちろん外に居るアルは溜まったものではない。即座に装甲をガンガン叩いて抗議するが、中からすごく楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「今、僕は乗っている! 僕が……動かしてる! 本物の『ロボット』を! シルエットナイトを!!」
「ギャア"ア"ァ! にい”ざん! や"め"でえ"ぇ!」
巨大な騎士の足音と少し狂気の入った笑い声と声質が綺麗だが、絶叫で若干汚くなった悲鳴が静かな森に響き渡った。