銀鳳の副団長   作:マジックテープ財布

6 / 200
3周年記念と言うことで--。
来年も本作をよろしくお願いします。


幕間(山月記?のようななにか)

 山月記という物をご存知であろうか。役人になったはいいが、なんやかんやあって虎になっていく人間の話なのだが、本日は心は人間のまま獣になってしまった不思議生物のお話である。

 

 とある交通事故でこの世を去った2つの魂。流れに流れてたどり着いたのはセッテルンド大陸と呼ばれる別世界であった。ただ、その魂達はこの異世界に渡った後、思い思いの行動を始めた。

 片方は即座にセッテルンド大陸東にあるフレメヴィーラ王国。そのライヒアラと呼ばれる町の中へ落ちていく。

 それに対してもう片方は、まるでセッテルンド大陸を見定めるようにじっくり十数年かけて様々な所へ飛んでいき、やがて先ほどの魂と同じフレメヴィーラ王国のとある森林部に落ちていった。

 

 そして、その数年後。それぞれの魂が再び会合すると言う珍妙な物語は始まる。

 

***

 

 元クシェペルカ王国領の王都を取り囲むように位置する四方楯要塞(シルダ・ネリャク)。その東側を守護する要塞は流れる広大な河の中心にあった。流れも相応にあるため、事前に準備していなければ渡河出来ないほどの大きな河だが、その中を『何か』が流れに逆らって泳いでいく。

 早く、流麗に水中を駆けるその姿はまるで飛んでいるかと見紛うほどで、その何かは特に何の苦労もなく要塞付近にたどり着くとそのまま上陸を果たした。

 

 全長は150センチいくかいかないかぐらいで、ずんぐりとした胴体から申し訳程度に生えているヒレや足。背中側が黒く、腹側が白い毛で覆われており、つぶらな瞳が愛くるしいあん畜生──水族館でよく見られるペンギンと風貌が酷似しているナマモノは水分を乾かそうと身を震わせる。

 身体を揺らしたことで首に掛けられた鉛色のプレートがカチャカチャと小さな音を発し、その音に気付いたナマモノは左右のヒレでプレートが動かないように押さえ込む。そのプレートには銀鳳騎士団の刻印があることから、どうやらこのナマモノは銀鳳騎士団の関係者であることが伺える。

 

 やがて体を乾かしたペンギンもどきは腹巻のように巻いていた銀線神経(シルバーナーヴ)と銀で出来た板を解く。かなり長い銀線神経(シルバーナーヴ)が2本とそれぞれの先に固定された銀板を確認し、板に彫り込まれた紋章術式(エンブレム・グラフ)が消えないようにそれらを持ったペンギンもどきはペチペチという独特の足音を立てながら要塞に取り付けられた跳ね橋を固定する鎖の基部に向かう。

 

「うー……こっちに来ないでくれよぉ」

 

 しかしながら、当然何かあった時に敵を素通りさせないための歩哨は数人居た。ただ、歩哨の立っている間隔がかなり遠く、戦場の音が彼らの意識を戦場の方向に向けている。

 そんな歩哨の姿を見たペンギンもどきは、一旦ヒレに挟んで保持していた物品を地面に置き、先ほどまでのゆるふわな歩行速度から信じられない速度で歩哨に向かって走っていく。

 意識が完全に戦場の方角に向いていた歩哨は呆けた顔で正面を見ており、彼が気付いた時には横合いから黒い何かが顔面のすぐ側まで迫っていた。

 

 パァンッ

 

「ぷぇっ!?」

 

 ペンギンもどきのヒレによる鋭い殴打が歩哨の顔面を的確に捉える。完全に不意打ち気味のその一撃は歩哨の意識を刈り取るのに十分な速度と威力をほこり、兜を多少陥没させた歩哨は前歯を数本口外に出しながら鼻血を吹き出すと重力に従って仰向けに倒れる。完全にノビていることを確認したペンギンもどきは置いてきた物品を回収すると、再び元の気が抜けたような足音を立てながら目的地へと歩いていく。

 

 ペチィン

 

「ぶぉっ!」

 

 ベチィン

 

「グベェ」

 

 スパァン パァン ズパァン

 

「ケツがぁ!」

 

 道中にたっていた数人の歩哨相手に腹、頭部、尻と殺してはいないが必殺のヒレを見舞い続けたペンギンもどきは、ようやく鎖の基部へとたどり着く。

 基部の頑強さを確かめながら錆びが一番浮いている部分に当たりをつけたナマモノは手早く銀で出来た板をその部分に押し付けて固定し出した。

 作業自体は数分もかからず、固定した銀板から延びる銀線神経(シルバーナーヴ)の端を自身のくちばしで挟んだペンギンもどきは反対側の基部にも同じ作業を行うべく歩き出した。

 

 再び歩哨を自慢のヒレで一撃──倒れても意識を手放さない相手には馬乗りになった状態からの往復ビンタで昏倒させながらナマモノは歩いていく。

 ただ、このナマモノ。外見はクールな仕事人のような様子が見受けられるが、内心は銀鳳騎士団という集団に入った時から今までずっと当惑しっぱなしであった。

 

 それもそのはず。このペンギンもどきは『転生者』である。それも、絶賛空中で飛竜戦艦という攻撃力にすべてを注ぎ込んだ化け物と戦っている銀鳳騎士団の騎士団長、エルネスティ・エチェバルリアの転生元と繋がりを持つ人物だ。

 

 やれやれと言いたげにヒレで後頭部を掻くという人間臭い動きをしながら、彼は過去にあった出来事を頭の片隅で思い出す、

 他の魔獣との縄張り争いはあったが概ねは平穏だった日々。だが、同時に退屈と孤独に感じていた彼──クラマの物語は、1人の元上司である少年の登場によって動き出した。

 

***

 

 その日、エルはテレスターレに試作型魔導噴流推進器(マギウスジェットスラスタ)と翼を取り付けると意気揚々と試験に出掛けた。その結果、飛行中に魔力貯蓄量(マナ・プール)内の魔力を全て使い込んで墜落と言うあわや大惨事となりかけたわけだが……。

 

「銀色坊主。なんだそりゃ」

 

 大破状態のテレスターレの横で申し訳なさそうにするエル。もちろん数に限りのあるテレスターレを早々に1機使い潰したことに内心ご立腹と言う言葉が生易しいほどキレていたダーヴィドだが、彼の興味はエルの横に居るナマモノに向けられていた。

 ずんぐりとした体型の生物。魔獣と思われるが、これまで出会った魔獣特有の敵意が全く感じられない。

 すると、質問になんと返答したら良いのか困った様子でエルは答えた。

 

「一応……命の恩人……でしょうか?」

 

「魔獣だよな?」

 

「魔獣ね、カルペンギイクっていう温厚で珍しい種類」

 

 なにやら魔獣関係の本を片手に目の前の生物について解説するヘルヴィ。

 曰く、この魔獣は本来は魔獣の定義と若干異なるカテゴリらしい。魔法が使えることには使えるが、このカルペンギイクは人を積極的に襲わない。襲うとしても池で魚を掻っ攫ったり、奪うために嘴で小突く程度らしく、今までの歴史からカルペンギイクに教われて命を落とした者は事故者も合わせて数人というギネス級に安全が確立された生物である。ゆえに人間の行った乱獲などでその数を多く減らし、今ではかなり珍しい生物となっている。

 ただ、それがなぜエルと共に居るのか。銀鳳騎士団全員の視線がエルに向かうと彼は照れ臭そうにはにかんだ。

 

「いやぁ、墜ちて気絶してる所に機体から引っ張り出されて寝かされてました。あと、気付け代わりに軽く叩かれました」

 

「それは……本当に魔獣なのか?」

 

 エドガーの意見に皆が首を縦に振る。

 カルペンギイクがいくら温厚であろうと野生の獣には変わりない。目の前で気を失えばそのまま無視されば良い方で、大抵は目玉を中心とした弱い部分を啄ばまれるのは請け合いだ。

 機体から人間を引っ張り出すという知能も決して無視できないが、魔獣が人間を介抱するなど本来ならばあり得ないことである。

 

「周囲には仲間も居ませんでしたし、テレスターレがこの子の住処を潰しちゃったっぽいので保護したわけです」

 

「エル君とは違うふわふわでもこもこで……幸せ」

 

「アディも気に入ってますし」

 

 背後からいきなり抱きついて白い体毛に覆われた腹をわしゃわしゃと撫でるアディも気に留めず、カルペンギイクは工房内を興味深そうに眺め終わると目の前のダーヴィドに視線を向ける。その瞳はまるで見習いにもならないひよっこの鍛冶師が鍛冶場の親方に『ここで働かせてください』と訴えかけているかのように真っ直ぐで、その瞳についダーヴィドはたじろいでしまう。

 

「駄目だ、うちは魔獣の鍛冶師はとらねぇ! どうやって槌を取るってんだ!」

 

「いや、親方。そういう問題じゃないよ。そもそも魔獣なんて学園に……っと、遅かった」

 

 親方精神が爆発したダーヴィドがそっぽを向き、彼の反応に思わずディートリヒがなにやら話そうとしていたが、その前に工房の外が俄かに騒がしくなる。その騒ぎを聞いたディートリヒは『しーらね』と工房の奥に引っ込むと同時に扉が開け放たれ、数人の衛兵や教官が工房内に入り込んできた。

 全員、剣や槍といった武器の類を装備した状態で目の前のカルペンギイクをジロリと睨む。その剣呑とした空気に数人の騎操鍛冶師(ナイトスミス)が緊張からか生唾を飲み込む。

 

「エル、魔獣を連れてくるなぞどういうことだ」

 

 すると、衛兵や教官の集団からエルの祖父でありこの学園の学園長でもあるラウリと父親のマティアスが姿を現す。彼らも例に漏れず剣を佩いており、カルペンギイクに抱き着いているアディを見るや否や一斉に剣の柄に手をかける

 

「アディちゃん、離れなさい。それは魔獣だ」

 

「エル、魔獣の恐ろしさは十分学んでおるじゃろ。渡しなさい」

 

 柄に手を当てながら2人は魔獣を渡すように説得する。しかし、エルとアディは大人しくカルペンギイクを渡そうとしなかった。アディはともかくとして、エルはなぜ魔獣を渡さなかったと問われると本人も詳しく説明することは出来なかった。

 ただ──、渡したら後悔する。それだけである。

 

 しかし、その直感ともいえる認識は後々正しかったとエルは心底安堵することとなる。

 ただ、それは未来の話。エルが断ったことによって無理やりカルペンギイクを処断しようとする声が高まることとなった。剣を抜いた衛兵がアディの前に立って手を差し出してきたので、アディは思わず『この子は何もしてない』と叫ぶ。

 だが、魔獣は須らく人に仇名す危険な獣だ。そんな子供の言い訳は通用しない──かと思われた。

 

「あっ、この! ……は?」

 

 突然、暴れたカルペンギイクがアディの腕から逃れて彼女の後ろに隠れる。その行動に勘付かれたと衛兵が回りこんで取り押さえようとするが、カルペンギイクは左右のヒレで器用にアディの後ろポケットから白いハンカチを抜き取った後にハンカチを頭上で必死に振り回した。

 折り畳まれた白いハンカチが開かれてはためく様子に最初こそ意味が分からないとじっと見ていた一同だったが、次第に意味を理解する。

 

「あの魔獣……意味を分かっているのか?」

 

「信じられん」

 

 『白旗』。主に降伏する際に行う行為だ。さらにカルペンギイクは白旗を掲げても足りないと思ったのか、白いハンカチを固まっているアディの手に握らせるとその場で倒れて水飲み鳥のように上体を上げ下げする。

 まるで背筋を鍛えるような姿勢だが、エルには目の前のナマモノが土下座しながら助命を懇願しているようだと幻視する。

 ──そう、このナマモノは降伏して居るのだ。

 

「この子は戦力差を分析し、即座に降伏するというちゃんとした知能があります。お祖父様、陛下にこの子を銀鳳騎士団に入れる許可をいただきたいのですが」

 

 突然動き出したカルペンギイクの行動の数々にポカンと口を開けたまま動けずに居た一同の中、エルだけは起き上がれずにヒレをバタつかせるカルペンギイクを起き上がらせながら口を開いた。

 

「魔獣をか!? ……うぅむ、ウゥゥゥム」

 

 突然の入団宣言にラウリは激しく悩む。いくら危害を加えないタイプの魔獣でも『もしもの時』が存在する。その場合はどう責任を取るのか。

 『ペットではないのだぞ!』とエルを叱りつけて魔獣を処理するのは簡単だが、今までのエルは少々幻晶騎士(シルエットナイト)開発の常識に喧嘩を売るぐらいで基本的には道徳心のある少年だ。頭ごなしに否定するのはエルのためにならないと激しい葛藤の末、王都に居るアンブロシウスに事の顛末を報告する。──つまり、丸投げしたのだ。

 

「ひとまずは檻の中で暮らしてもらうが、こやつはなにを食うのかのぉ」

 

「見た目的には魚っぽいですが、さっき干し肉あげたら食べましたよ?」

 

 その後、カルペンギイクは学園側が用意した檻に自ら進んで入るという信じがたい行動を行った後、カンカネンに向かうその日まで自らの身体を教材にしていた。……と言ったら聞こえは良いが、ただ愛想を振りまいていただけである。

 

 檻の前にどこから調達したのか器用に折りたたんだ紙の箱を置かれており、その中に入っているコインが日増しに増えていっている光景にエルは、『こいつ、絶対人間の文化知ってるだろ』と人目も憚らず叫んでいたとか。いないとか。

 

「それは真か?」

 

「ハイ……。餌を補充すると何故か箱に積まれたお捻りにヒレを向けるので……」

 

「なんなのだ、あやつは」

 

 ちなみにエルの思っていたことはラウリも思っており、衛兵からの報告と証拠となるコインにひたすら頭を悩ませていたりする。

 

***

 

 そんな日が何日か過ぎた後、カルペンギイクは檻に入れられたままカンカネンに輸送される。

 最初は初めて乗る馬車や街に終始挙動不審になっていたナマモノだが、カンカネンで一番巨大で立派なシュレベール城を見た途端に『え、なにここ!』と言いたげに鳴き声を上げながら左右を固めるエルとラウリを見る。

 

「クァー! クァァァ!」

 

「エルや、すごい勢いでこちらを向いておるのじゃが」

 

「大きな建物で興奮してるんでしょう。野生動物ですから」

 

 しかし、悲しいかな。お互いに意思疎通は叶わず、2人と1匹はそのまま玉座の間へと入室を果たす。エルとラウリがそれぞれ挨拶をする最中、玉座に座るアンブロシウスは終始檻の中に居るカルペンギイクを興味深そうに見つめ、挨拶が終わったと同タイミングで食い気味にラウリに質問する。

 

「ラウリよ、その魔獣がエルネスティが見つけたという魔獣か?」

 

「はっ、魔獣についての教本に書かれていたカルペンギイクと同じ姿なので、同種族と見て間違いないかと」

 

「ほう、わしも初めて見る…… 「陛下、魔獣ですぞ。危険でございます」 」

 

 今はかなり生息域が限られて近々絶滅するのではないかと魔獣を専門に扱う機関で囁かれているカルペンギイク。無論、アンブロシウスも見るのは初めてだったのでよく見ようと玉座から立ち上がるが、ディクスゴードにたしなめられる。

 いくら今まで数人しか犠牲がないとはいえ、檻の中に入れられているのは未だ飼い慣らしているかも不明瞭な獣だ。ディクスゴードの懸念は最もなのだが、好奇心が抑えきれないアンブロシウスは『固いのぉ』と口を尖らせながら玉座に座りなおす。

 

 その時であった。突如カルペンギイクが檻の中からヒレのみを出し、アンブロシウスの方を見ていたエルの後頭部をペシリと叩いたのだ。

 途端に玉座の間は殺意にも似た重苦しい雰囲気に変貌する。当の本人──否、本ペンは空気の変わりように首を左右に1往復振るが、再びエルに向かってヒレと首を上下に降る。

 

「もしやこやつ……エルネスティがラウリのように頭を下げておらんから注意しとるだけか?」

 

「…………の、ようですな。あの妙な動きは謝罪のつもりでしょうか?」

 

 妙なボディランゲージと共に学園で行ったその場で倒れて上体を上げ下げする動作を行うカルペンギイクに、合点がいったと納得するアンブロシウスとディクスゴード。素早く衛兵の臨戦態勢を解いたアンブロシウスはディクスゴードをチラリと見ると、彼は『ご勝手になさってください』と呆れながら横を向く。

 

「まさか魔獣に礼儀作法の注意を受ける騎士がおるとは、面白いものを見たわい」

 

 物言わぬ圧によってラウリから檻の鍵を奪い取ったアンブロシウスはカルペンギイクを檻から出すとそのまま持ち上げる。転生者であるカルペンギイクにとっては目の前の人間がとても偉い立場だということは分かっているのだが、ここで変に暴れて再び微妙な空気になるのは嫌だったのかアンブロシウスの気が済むまで触られ続ける。

 

「ふむ、本当に大人しいの。これならば、わしとしても許可を出せるであろう」

 

 腹回りやヒレ、少々頭を小突かれてもじっとしていたカルペンギイクを乱暴に撫でながらアンブロシウスは玉座に戻ってなにやら仰々しい紙に何かを書き記す。やがて書き終わった紙をディクスゴードに見せて問題ないことを確認してから、それを文官を介してエルに渡した。

 

「調教済み魔獣の証明証……ですか?」

 

「左様。これでその魔獣は銀鳳騎士団の一員じゃ。後で藍鷹騎士団に証明代わりのプレートを持っていかせるゆえ、そやつに肌身離さず持っておくようにせよ」

 

 どうやらアンブロシウス自らがちゃんと飼い慣らしているか確認したらしく、そのフットワークの軽さにラウリが顔を青白くする一方でエルはじっとカルペンギイクの様子を見ていた。またしても礼を言っているのか倒れたまま上体を引き起こす動作を何度もする魔獣に、エルの中で燻っていた疑惑が徐々に熱を帯び始める。

 

 こうして、アンブロシウスからの許しを得たカルペンギイクは無事に銀鳳騎士団の仲間入りを果たしたが──。

 その夜。カルペンギイクを自身の部屋に連れてきたエルは開口一番にこう問い詰めた。

 

「貴方はどこから来た誰ですか?」

 

 そもそも、エルとカルペンギイクが出会った時からおかしかったのだ。人を介抱する魔獣、それも降伏という概念や大道芸のようにおひねりをもらう知能を有する存在。今までは下手に突っついたらそのままどこかに消えそうな危うい気配を感じて禄に追求しなかったが、もう国から飼い慣らした魔獣認定を受けているので外堀は完全に埋まっている。

 なので、思い切って聞いてみたのだが。

 

「紙と……こすり付ける真似……じゃない。これですか? ……はい、どうぞ」

 

 ボディーランゲージで紙とペンを要求し出したカルペンギイクは、両ヒレでペンを挟み込むと紙に何かを書き出した。指ではないのでかなり大きくて雑な線がいくつも引かれ、やがて2文字の単語をエルの前で書き上げた。

 

『に……日本!?』

 

 想定していなかった2文字にエルはセッテルンド大陸の言葉ではなく、日本語でその文字を言うとカルペンギイクは首を何度も上下させながら両ヒレをペチペチと叩く。どうやら目の前の魔獣は日本から来たと言うことで合っているようだ。

 

 その後は簡単なものだった。まずは『はいで1回、いいえで2回首を振ってくれ』という内容をセッテルンド大陸共通語と日本語で話し、カルペンギイクが反応した日本語で話を進めていく。

 それで分かったことは、目の前の魔獣は元日本人。年齢は20代で職業はエルの記憶にある職種が少なかったので断定は叶わずにクリエイティブ系であることだけが分かった。

 

 ただ、転生者といってもなぜ大道芸の真似事をしたりしたのか。エルはそのことが気になり、思い切って尋ねてみた。

 

『なるほど、ペットだからいつ捨てられても良いように路銀や生活費を稼いでいたと。大丈夫です、陛下……あの偉い人が認めてくださったのでもう君を放り出すことはないです』

 

 どうやら前世でもニュースなどで話題に上がっていたペット問題を危惧しての行動だったらしく、エルは手放すことは無いと伝える事でカルペンギイクを安心させる。──もはや、銀鳳騎士団の所有物と化しているのでどうやっても逃げ出すことは叶わないのだが、言う必要は無いとエルはあえてその情報は隠した。

 

『大方の事情は分かりました。じゃあ、君はなんと言えばいいんでしょうか? 前世の名前とか覚えていますか?』

 

 前世の名前。エルからしたら関係の無い人間の名前だが、一応命名する取っ掛かりになるだろうという思惑で聞いてみた。しかし、再び紙を渡されたカルペンギイクがその上でミミズがのた打ち回った文字を書き記すと、エルの口から『まさか』と想定外の事象を確認したような口調が飛び出してきた。

 

『く……ら……ま。漢字! かん……ああ、そうか。そのヒレじゃ無理ですね』

 

 そう言うと懐から新たにペンを取り出したエルは紙にかぶりつく。彼がこの地で生まれてから十数年経ってはいるが、数十年の年季と言うものは中々色褪せるものでは無い。『あれー、鞍ってこんな漢字でしたっけ』と詰まるものの、なんとか1つの苗字を書き出したエルはカルペンギイクの前に紙を置いた。

 

『この漢字であっていますか? あと、君は元プログラマーでK市にあるソフトウェアの会社で働いていた! ……違いますか!?』

 

 後半はもはや推測ではなくエルの願望であった。

 自身と共にこの世を去ったと思われる人間がもしや──。そんな気持ちが溢れて思わず声を荒げてしまったが、ふと自身の願望を押し付けていると認識したエルは謝罪する。

 

 しかし、どうやら奇跡と言うものは存在しているらしい。目の前の魔獣は首を激しく上下に振って肯定の意を示す。その動作に、ハッと息を呑んだエルは思わずカルペンギイクに飛びついて抱かかえた。

 飼い主の突発的な行動に野生生物由来の警戒心が反応し、腕から逃れようとするカルペンギイクにエルは優しく、そして涙声で語り掛ける。

 

『鞍馬、僕です。君の教育係だった倉田です』

 

 カルペンギイクの動きが止まる。そして、ゆっくりとエルの顔を見て首をかしげ……硬い嘴をエルの額に叩き付けた。スコーンという軽快な音の後にエルはカルペンギイクを取り落とすと、魔獣は隠れるようにベッドの下に潜り込む。

 

「クァァー!」

 

『いえ、ほんとなんですって。君の失敗談語ってあげましょうか? いくら十数年経っても覚えていることは覚えてるんですよ?』

 

 まるで、『先輩がそんな美少年なわけねぇだろ! もっとメガネが本体のメガネ置きでV2○サルトバスターな声だったわい!』とでも言いたそうな抗議の鳴き声が聞こえる。それを額を押さえながら聞いていたエルは、別の意味で涙声になりながら坦々と目の前の魔獣が人間だった頃の失敗談を話し始めた。

 

 商用で使用するデータベースのデータを吹っ飛ばしたこと。(後で倉田と共にバックアップから再度データを入れた)

 プログラマーしか分からない処理の話を主題にした要件書を作ってプレゼンに望んだこと。(倉田が内緒で追加した資料で事なきを得た)

 進捗メールの宛先を間違えたこと。(幸い宛先の人達が同プロジェクトの上役だったので、倉田と謝罪回りした)

 エトセトラ。エトセトラ。

 

「クアァァ!」

 

 泉の如く滾々と湧き出る彼にとって思い出したくない記憶。とうとう仕事のポカのみならず、『ユーザーを"admin"でパスワードを"password"ってやってましたよね』と嬉しそうにエルが語ってきた辺りでカルペンギイクはそそくさとベッドの下からエルの足に擦り寄ってきた。もはや、上下を決める力の差は歴然である。

 そんなこんなで無事にカルペンギイク改め、『クラマ』と名付けられた彼はエルからセッテルンド大陸の言葉や文字を学びながら銀鳳騎士団の工房で働くようになった。

 

 自分の足が遅いのを十分に考慮に入れ、元社会人の必須スキルである『事前行動』や『空気読み』を拙いながらも発揮。ダーヴィドや他の騎操鍛冶師(ナイトスミス)と共に図面を見て理解し、指示が出る前に資材を運ぶという簡単な作業ながらも熟練を思わせる動作の速さにダーヴィド含めた騎操鍛冶師(ナイトスミス)は徐々にクラマが居る生活に順応していった。

 

「いやぁ、炉を稼働中の繋ぎにクラマは便利だなぁ」

 

「冬は寒いからねぇ、クラマが居て助かるよ」

 

「あ、親方独り占めは無しっすよ!」

 

 ……少々、順応しすぎているのではないだろうか。

 炉に火がつく前の寒々しい冬場の工房。その中央に鎮座するクラマの周囲に大勢の騎操鍛冶師(ナイトスミス)が集まって暖を取っている様子に、エルは心の中で思った。

 

***

 

 入団したときの記憶を思い出していたクラマだが、気付けば反対側の橋の基部までたどり着いていた。

 後ろには数人の鼻血や頬をおたふく風邪のように膨らませた歩哨が地面に熱烈なキスをしたまま動かずにいるが、クラマはヒレに挟んでいたもう一つの紋章術式(エンブレム・グラフ)が刻まれた銀板を取り付けてからその場を離れる。

 再び上陸地点へ戻ってきたクラマは最初に倒した歩哨の目が未だ覚めないことを確認し、両基部に取り付けた銀板に繋がる銀線神経(シルバーナーヴ)にエルから教わったとおり、魔法を使用するような塩梅で魔力を送り込んだ。魔力に反応した銀板は刻まれた爆炎魔法によってその場に大爆発を起こし、爆発をモロに浴びた基部は耐え切れずに爆散。基部によって吊り上げられた状態で固定されていた橋は、盛大な音と共に再び河の上に掛けられる形となった。

 

「橋が掛けられたぞ!」

 

「進め、進めぇ!!」

 

 橋の上では激しい戦闘音を響かせながら重い足音が幾重にも聞こえる。どうやらクシェペルカ軍が要塞に取り付こうとしているみたいだ。

 クラマは当初の予定通り上陸地点から再び河の中へ潜る。遡って来た時とは打って変わって流れに身を任せて悠々と泳いだ彼は、四方楯要塞(シルダ・ネリャク)の東の要塞全体が見えるぐらい離れた川辺に上陸する。

 

「クワッ! クワーッ!」

 

「お、帰ってきたね。やれやれ、まさか前段作戦で成功するとはね」

 

 鳴き声を上げながら身震いをして水分を飛ばしているクラマに、ディートリヒはあきれたように声を掛けながら彼をヒョイと抱き上げる。

 本来ならば密偵集団の藍鷹騎士団と乗機の修理が間に合わないディートリヒが要塞内に侵入し、跳ね橋の制御を奪って要塞に取り付かせる算段だった。ただ、『諸々の理由』でイカルガに乗れなくなったクラマをただのマスコットだけにして良いのかと考えたエルが、魔獣特有の人間離れした身体能力を持つことに着目して今回の破壊工作を命じた。

 

 仮に失敗しても後段作戦として藍鷹騎士団に予定通り動いてもらう手はずなので実験感覚でやらせてみようということになったが、その結果がこれである。腹の毛を触りすぎたのか、シャドウラートの兜を外していたディートリヒの額に嘴がクリーンヒットする様を見ていたノーラを含めた藍鷹騎士団員達は、『魔獣を飼い慣らしたら作戦の幅が広がるのでは?』という新たな概念を芽吹かせつつあった。

 

 だが、長居は無用とばかりにクラマを抱かかえたディートリヒを中心に藍鷹騎士団は周辺警戒しながらクシェペルカの陣へ戻る。その間も空中では凄まじい空中戦が繰り広げられているので、ディートリヒはそちらに目を向けながら口を開いた。

 

「ほんと、なんで君はイカルガから降りたんだい?」

 

「クワー! クワッキュー!」

 

「ハハハッ、なに言ってるか全然分からないや!」

 

 質問に答えるクラマだが、残念ながらディートリヒ含めた人間側には伝わっていない。というか、そもそも魔獣の言葉なぞ人間に理解できるはずもなかった。忌々しげにシャドウラートの腕をヒレでペッチンペッチンと叩くクラマだが、当然ディートリヒにはノーダメージである。

 

「せっかく追加装備もあったってのに惜しいねぇ」

 

「ミシリエにたどり着いて以来ですからね。その子が乗らなくなったのは」

 

 執月之手(ラーフフィスト)の他に綱状の銀線神経(シルバーナーヴ)に繋がれた巨大な手を飛ばしながら飛竜戦艦に肉薄するイカルガの姿を目に納めながら会話は続く。本来ならばあの巨大な手の制御はクラマがやっていたことなのだ。

 

 ギガントアーム。見た目は執月之手(ラーフフィスト)のような射出式のサブアームなのだが、その手の大きさは一般的な幻晶騎士(シルエットナイト)のそれの2倍ほどある巨大なサブアームである。

 五指にはそれぞれ幻晶騎士(シルエットナイト)の頭部を容易く握りつぶせるほどの綱型結晶筋肉(ストランド・クリスタルティシュー)が内臓されており、さらには各指先に備えられた紋章術式(エンブレム・グラフ)によって銃装剣(ソーデッドカノン)のように轟炎の槍(ファルコネット)も放てるという遠と近、隙の無い装備となっている。

 

 ただ、このギガントアーム。装備箇所が執月之手(ラーフフィスト)と被っている。もちろん、肩部分や腰部分に増設という様々な案が出ていたがどれもぱっとしない結果に終わり、結局のところは4本の執月之手(ラーフフィスト)内の上部2本を付け替えるという形になった。

 

 また、問題点はそれだけではなく。執月之手(ラーフフィスト)を巨大化したような本装備は重量的に執月之手(ラーフフィスト)との併用がかなり厳しかった。

 想像してみて欲しい。異なる重さかつ、追加仕様が取り付けられた同タイプのものを同じ命令で十全に動かせるだろうか。──答えは否だ。

 

 幻晶騎士(シルエットナイト)の操縦を天才的な演算能力でやってのけるエルでも、『やろうと思って気合入れれば出来ます』ぐらいまで操縦難易度が高い物をどうやって扱うんだろうか。騎操鍛冶師(ナイトスミス)達はエルに無言の抗議を送るが、エルはその反応を見越していたかのように『この子も幻晶騎士(シルエットナイト)に乗せてあげようかと』、とにこやかにクラマを指差した。

 

 紆余曲折あったが、端的に言うと『クラマと遊びたいから動かせる装備を作った』である。

 真相が分かってとりあえず抗議代わりに張り手1発をエルに見舞ったが、持ち前のクソ真面目な性格によってクラマは1から直接制御(フルコントロール)を学び出す。

 エルの突発的な閃きによって魔獣討伐に連れて行かれたり、第2中隊の集団相手に対して『頭部を破壊された者は失格』という某ファイトルールで模擬戦を行ってダーヴィドに手酷く怒られること数回、その甲斐あってかクラマは半年という短い間でギガントアームの操縦方法を会得する。

 法撃能力もさることながら、エルとは異なる考えや戦法で飛び回る質量武器という厄介極まりない物にイカルガの戦闘能力や無敗伝説は確固たる物となっていく。

 

 ──ここまでは良かった。

 しかし、大西域戦争(ウエスタン・グランドストーム)が勃発してクシェペルカ王国救援のために銀鳳騎士団が越境。国境のジャロウデク軍を相手にギガントアームで指を指しながら『蝋燭みたいで綺麗だね』を行って以来、クラマはイカルガに乗ることを拒否し始めた。

 ミシリエを占領するジャロウデク軍を排除するため、エルはなんとかクラマを宥めながら襲撃するが、鳴き声を上げながら定位置であるシートの後ろからエルの後頭部を何度も叩くことで操縦を妨害。無事に帰ってきたかと思えば『空怖い』や、『地面で戦え』といった要望を大きな紙に掲げて抗議をし出した。

 どこまでも人間臭い魔獣である。

 

 ここまでで分かるとおり、クラマは高い所が苦手である。幻晶騎士(シルエットナイト)の全長やそれより少々高度を上げたぐらいならば問題ないが、高度を自在に変えながらジェットコースターのように激しい動きをする戦闘機動はクラマにとって耐え難いものであった。

 

「なぁに、気にすることは無い。また親方のところで頑張れば良いだろう」

 

 急に押し黙ったクラマを見たディートリヒは、おそらくイカルガに乗れないことで今回の主力から外されたという結果に酷く落ち込んでいるだろうと励ましの言葉を送る。ただ、当の本ペンはその言葉を右から左に受け流しながら、今もなお空を雄雄しく飛ぶイカルガをじっと見ていた。

 

 『それら』の存在を感じたのは野生生物特有の本能からだった。現にエルやエドガー、幻晶騎士(シルエットナイト)の専門家であるダーヴィドに抗議しても首を傾げる結果に終わったので、人間は『それら』の存在に気付けていないことはすぐに分かった。

 

 山と見紛うほどの堅牢で巨大な存在。同じく巨大だが無数の存在の上に立っているような圧倒的カリスマ性を放つ存在。この2つの存在がイカルガを通してクラマを見ているのだ。

 エルの話から凡その検討は付いているが、どちらにしても人間が気付かないだけの厄ネタだ。どこかで必ず起爆する。そんな爆弾の中で悠長に操縦したくないし、あわよくばエルを助けたい。

 そんな思いから今まで何度か説得を試みたが、イカルガのこととなると余計に頑固なエルをクラマは今まで説き伏せたことは無い。

 

「──そんなわけだから、なんとでもなるだろう。君は魔獣なんだから」

 

 どうやらまだディートリヒはクラマを元気付けていたようだ。話は聞いていなかったが、とりあえず一鳴きしたクラマは先ほどのディートリヒの言葉にもあった『なんとでもなるだろう』という考えの基、暢気に欠伸をし始めた。

 

 ただ、大西域戦争(ウエスタン・グランドストーム)のわずか数年後。クラマの予想通り、厄ネタはなんとかならず。それどころか更なる厄ネタで補強され、長い長い導火線を最後まで燃え進んだことでフレメヴィーラ王国や諸国を巻き込む大爆発を起こしたのだが。それはまた──別のお話。




ギガントアーム
 イカルガのラーフフィストの内、上部2本を換装した巨大なサブアーム。シルエットナイトの手を2倍ほど大きくした手にはファルコネットクラスの法撃が放てる五指が備えられている。
 また、関節部などにもストランドタイプのクリスタルティシューが盛り盛りになっており、その膂力はティラントーの頭部はもちろん、外装でガチガチに防御された肩部を内部ごと握りつぶすほど。
 ※なお、その膂力に某殿下が興奮してゴルドリーオに取り付けるように命令を出したが、お試しでイカルガに乗せたらその操縦難易度に何も言わなくなった。

 ただ、その質量も性能に比例して重くなっており、通常のラーフフィストと併用するとどちらかの操縦が鈍る。ゆえにクラマに担当してもらうはずだったが、色々あって廃止。大戦後には元のラーフフィストに戻された幻の装備である。

 ガン○ム系でいえばパワー○レッドやジオ○グの合いの子、コード○アス系でいえば、パロ○デスと紅○あたりであろうか。

クラマ
 ペンギンになってしまった悲しき獣。だが、保護されて以来は良い物を食べれているようで毛皮でギリギリ誤魔化せるぐらいのモチモチポンポンになった模様。──既に野生は捨てたようだ。
 足は遅いがそれなりにちからがあるので、エルが連れ出さない限りは工房で荷運びをしている。

 作者が『次の輪廻で落ち込むネタあったなぁ』という思い出しから作成。ちょうど、某恐竜ゲーで有機ポリマーちゃん(カイルクペンギンで検索)を見ていた時なので、『ちょうど良い』と思ってしまったのが始まり。

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