――子供が出来たと発覚したのは腹が膨れてからのことであった
吉原で遊女が子を孕むなど珍しいことではない。だがおろすにも腹の子は育ちきり、薬ではどうにもならず産むこととなった。陣痛に苦しむ女の股から取り出された赤子。誰にも祝福されることはなかった、娘あればそれこそ喜ばれたが、生まれたのは男。稼ぎにもならない男の赤子だ。母親から引き離されたのは言うまでもなかった。吉原で生まれた赤子は生後間もなく捨てられることとなった。遊女の子、ましてや花魁の子など体裁的にも取り繕うには捨てる他なかったのである。
恨むなよ、そう吐き捨てて投げ捨てた場所は遊郭の最下層。
――それから老婆は赤子を育てた
乳の出る女から金を払い、分けてもらった乳を赤子に飲ませた。最下層に棲む老婆の稼ぎなどたかが知れている。はした金でしかなかったが、金のない羅生門河岸でははした金でも有り難がられた。貰える乳は大した量ではないけれど、赤子はすくすくと育つ。赤子が子供になれば、老婆は死んだ。老衰であったが、まるで若木が養分を吸い上げるように老婆が死んだものだから、周囲は気味悪がった。赤子は命を吸い上げて育ったのだ、と噂されるようになるが子供はさして気にすることなかった。周囲が好き勝手に言っているだけなのだと概ね理解していたからだった。噂をしても腹は膨れることもあるまいに、欠伸をする子供はそうしている内にも虫を採取した。最下層いえども食事は鼠だろうが虫だろうがご馳走に違いなかった。
――今夜の飯だ、子供は大口開いて蜘蛛を喰らった
ふてぶてしく生きる子供がそれと出会ったのは間もなくのことだった。虫けら、ボンクラ、のろまの腑抜け、役立たず。呼び名は全て罵詈雑言で、それに名はなかった。俺と同じで名前が無いのだな、そう言いながら子供はそれに声を掛けた。それは陰気な顔で子供を見ていた。猫背でガリガリにやせ細った体、血の染みのような痣が目立っていた。何の用だと声を上げればその声は醜さを尚も際立たせた。……この場所では美しさが何よりも価値を示す。ああ、なるほどこれではな。納得と共に子供はそれが気に入った。
――なんだ、此処の連中より図太く生きているじゃあないか
これも俺と同じだな。見たところ年もさほど離れてはいないようだ。似た者同士、仲良くしよう。それの肩を叩きながら子供はケラケラ笑った。それからというもの子供は事あるごとに声を掛けた。今日はどうした、何を今夜食べるんだ。世間話をするように子供はそれに声を掛け続ける。声を掛けられる側は困惑するばかりだった。初めて見る反応だったからだ、気さくに笑いかけられて、石も投げられることもない。これはどういうことなのだろうか、訳も分からないままだったが、子供はとにかく自分に世話を焼いてくれた。飯のありつける場所、身体を洗える絶好の場所、生きる知恵を教えてくれるものだからそれに甘えた。汚い体も多少はマシになれば、子供は見れる顔になったじゃないかと笑った。余計なお世話だ、そう返せば子供はそれもおかしいようで腹を抱えて笑っていた。客が置いていった鎌で遊べば、俺にも教えろと子供はせがむ。嫌だと言っても聞かないから結局教えることになってしまい大きくため息を零す。猫背がますます丸くなってしまった。付きまとわれるような関係ではあったが、払いのけることはなかった。
――この関係を何というのだろうか
結論に行き着かないまま、それと子供の付き合いは自然と長くなっていた。それに妹が生まれれば子供はおめでとうと言いながら家に上がり込む。妹が生まれた頃には既に母親は死んでしまったから子供が家を長居することが増えていた。了承もなしに上がり込むんじゃねぇ、子供にそれを言っても硬いことは言いなさんなと返されるばかりだった。何処からか仕入れてくる乳を持ってくるモノだからそう邪険にも出来ない。腐れ縁とでもいうのだろうか、ボンヤリとそれが考えていれば子供はパンと目の前で両手を叩いた。何だよ、首を傾げれば子供は口を開いた。
――母ちゃんが死んだなら
妹におまんま食わさにゃならん。いつものようにふてぶてしく子供は笑った。俺に何が出来るんだよ、そう返せば子供は腕を掴んで鎌を持たせた。これがあるだろ、取り立てでもしたらどうなんだい。冗談めかした子供に言われるがまま取り立てをすれば、それが功を奏した。思いのほか才能があったらしい、喧嘩も強かったと自覚することとなった。醜い風貌が誇らしくなった。
――なあ、妓夫よ。俺にも名前くれよ
梅にも妓夫にもあって、俺にはないなんて。狡いじゃないか。唇を尖らせる子供に妓夫太郎は醜く笑った。俺でいいのかよ、そう返せばお前じゃなきゃいやだよ、とケラケラ子供が笑う。無茶ぶりはいつものことだった。がりがりと肌を掻きむしった妓夫太郎が考え込んで、目を閉ざす。名前なんてどうすりゃいいんだよ、無い頭で必死に考え込んでようやく行き着いた。それは見開いた視線の先にあった雑草であった。これでいいんじゃねぇか?妓夫太郎は引き抜いて見せつけた。お前らしいね、妓夫太郎の肩を叩く。雑草とじは適当に選んだじゃあないだろうね、子供は妓夫太郎の頬を撫でる。うるせえよ、悪いかよ。妓夫太郎は頬を撫でる子供の手を鬱陶しい様子で振り払った。嬉しそうに子供が笑う。
――ああ、でも養分を吸い上げる雑草なんて、俺らしいか
気に入った、俺の名前は今日から
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雪が降り始めた夜だった。薺はいつものように妓夫太郎の家を訪れれば誰もおらずもぬけの殻だった。家の中には血痕が残り、数少ない家具が辺りに散らかっていた。何かが起きたと判断した薺は外へ出た。外では雪が降り始めていた。嫌な予感ばかりが募り、角を突き当たって曲がった時だった。妓夫太郎が妹を抱きかかえていた。目の前には
――妓夫、どうしたんだ
薺がいつものように妓夫太郎の肩を叩く。だが、俯いて動くことはなかった。おや、声を上げる目の前の男は笑っている。虹色の神々しい輝きが禍々しく見えた。お前、こいつらに何かしたのか。薺が睨めばどすりと腹に重たい一撃を喰らった。ドクドクと腹が熱く重い痛みが圧し掛かる。腹を見れば妓夫太郎の腕が薺の腹を突き刺した。血が、溢れ出して口からゴポリと赤黒い血を吐き出した。力無く倒れれば虹色の眼が見おろした。何が愉しいのか、ニヤニヤ笑う顔を見せつけている。ああ、腹立たしい。だが、殴りたくても身体は言うことを聞かず思うように動かない。ドクドクと溢れ出す血は熱くて仕方がないのに身体は急激に冷え込んで、雪の冷たさとはまるで違う寒さが身を震わせた。
――さあ、たらふく食べてごらん
きっと美味しいぜ、
思いつき次第更新です。