「日輪刀は夜間日中問わず常に箱に入れて持ち歩け。人目のあるところで行動しろ。一人になるな。失踪者は――柱も含めて、全員一人になったところをやられてる」
現場の指揮を取る宇髄が、今回任務にあたる全員に徹底させた規律である。もともと可能な限り二人組で行動するよう指示は出ていたが、柱が失踪したことでそれを更に厳格にすることにしたのだ。
新橋を筆頭に柳町、日本橋など各所に点々と存在する花街には、それぞれの土地に百を超える置屋がひしめき、数え切れないほどの芸者を抱えている。
置屋とは芸者が所属し、その活動の拠点となる場所で、ここから料亭やら茶屋やら待合やらに呼ばれて仕事をしに出向いてゆくのである。その質もピンからキリで、芸を売れないから春を売って糊口を凌ぐ枕芸者から、財界や政界の大物にその美貌や才智を愛されて正妻となった者までいる。
今回世話になる置屋は格式高いことで世間に名が通り、女将はかつて宇髄に命を助けられた恩があるとかで、鬼狩りに理解があって、口が固い。ど素人の椿を数時間で最低限座敷に上げられる程度に育てろという宇髄の無理難題にも見事応えてみせた。幸い、椿は器量よしで、唄も踊りも三味線も得意だったので、これなら客の前に出しても置屋の看板を汚さずに済むだろうと合格点を貰うことができた。
芸者は通常、何年かにわたる厳しい修行を重ねてようやく一人前と認められる。それまでは半玉、つまり芸者見習いとして座敷に上がるのである。
宇髄の三人の妻は数日前から店に入って諜報にあたっていたが、宇髄が二人行動を徹底させたのでひとり余ることになり、効率が悪かった。椿がやってきたことで、これで常時二つの店に潜り込むことができる。これにそれぞれ宇髄と不死川が同行して周辺の索敵にあたる。
柱を一人失ったとはいえ、未だことの全容が明らかでない以上、他の地域の警護を手薄にしてまでの大規模な戦力の補充はできない。不死川は言うまでもなく、椿も平隊士としては歴戦の剣士である。宇髄は鬼を討つことを目的とするのは当然としても、自分が自由にできる最強の戦力で妻たちを守りたかったのだ。
椿の組む相手は毎晩違っていたが、この日の相方は雛鶴嬢だった。店に向かう俥の中で少し話しただけで、二人はすぐに打ち解けることができた。
「雛鶴さん、花簪が少し曲がっています。頭を下げてください……はい、これで大丈夫です」
「ありがとう、椿さん」
雛鶴が微笑んで礼を言った。雛鶴は品のある立ち振る舞いの美しい女性で、その仕草の艶かしいこと、男を虜にする天性の才能があるように見受けられた。
椿は芸者として栄達するのが目的ではないので、姐さんたちが踊り唄っている一番後ろの目立たないところで三味線をぺんぺんと弾き鳴らしておればよい。雛鶴はさすがに凄腕のくのいちで、一流の芸者たちに混じって見劣りない話術を披露していた。椿はひたすらお客に酌をしたり使い走りをして、そこ彼処に目を走らせて鬼の気配を探った。
しかし、椿たちが店に通い始めた頃、つまりは監視体制を変えた途端に、ここ数か月の間、数日と間を持たずして頻発していた人間の失踪がぱたりと止んだ。
「一体どういうことでしょう?」
須磨が二人を前にして尋ねた。今夜の座敷での出番はすべて終わったので、椿と須磨は不死川に伴われて置屋に戻っている。宇髄は雛鶴とまきをに随行しており、まだ帰ってきていない。
「こちらが監視を強化したので、活動を控えているのでしょうか」
「柱をどうにかできる力を持つ鬼がですか」椿が言った。
鬼殺の隊士が集まっている現状、むしろこれ幸いと片っ端から連れ去りそうなものである。
「そうですね、臆病、いえ、慎重な鬼なのかもしれません。連れ去るのにも何か条件があるとか……」
唯一失踪現場に立ち会った、ある人力車の俥夫の証言がある。後ろの席に主人を乗せて俥を引いていたのが、橋に差し掛かったあたりで突然と軽くなった。不思議に思って後ろを振り向くと、主人が忽然と消えていた。
「他の件も似たようなもんだ。争った形跡もまるで無いとなりゃァ、抵抗する隙を与えず一瞬で根城に引きずりこんだんだろうよ」
「空間操作系の鬼。異なる空間を作る異能、実空間に転移させる異能か。いずれにせよ厄介ですね」
鬼の異能は多種多様で、しかも一つでなく二つ三つと異なる能力を駆使することも稀ではない。この異能のために、実力で鬼に優っていようとも搦手にやられて命を落とした剣士がかつてどれほどいたことか。
「店の従業員は?」
「全員洗った。今のとこはシロだ」
人間に擬態しているとなれば出入りの客か芸者衆、はたまた社会には溶け込まず、野にあって獲物を物色しているのか。しかしこれ以上のことを推測するには手掛かりを欠いていた。
つまりは現状、これ以上打つ手がなく、調査を続けるしか方法がなかった。
この日の仕事は花谷の宴席で、ある鉱山会社の一行を接待することだった。訪れが絶えない常連とのこと、連夜社長とその部下で遊興三昧とは、このご時世に豪奢なことであった。
「お前は椿と言うのか」
杯に酒を注いでやると、奥の上座に座った男が横柄な口振りで鼻を鳴らした。身かけは女好きのしそうな若い伊達男と呼べようが、態度の悪さが全てを台なしにしていた。
「どこかで見た顔だ。あれは軽井沢、湖の庭園だったか」
椿は内心毒を吐いた。成長して昔とは形相が変わっているし、化粧もしているから、知り合いに見つかっても素性が知れることはないだろうとたかをくくっていた。
「ええ、覚えています、芹澤様。お別れの時に夏萩の花を送ってくださったもの」
「あの時の君はまだ子供だった。美しく成長したようで何よりだ」
褒め言葉の中に嘲笑が混じっていることは疑いもなかった。
「二階堂の娘がまさか芸者に身をやつしているとは」
これ以上、昔話を続けるならどうしてくれようか。執拗に背中を撫でさすってくるのも気持ち悪い。不死川に言われた通り、小指の骨くらいなら折ってしまってもいいかもしれない。いや、いけない。衆目を集めると動きにくくなる。自制しなければ。
「いまや落ちぶれたといえ、家名を汚す恥。私のことはどうかあなたの御心のうちにお留めください」
「良いだろう」
芹澤は気前よく椿の申し出を飲んだ。かつて望んだ高貴の娘が自分に屈服しているのが嬉しかったらしい。扱いやすい男だ。
「社長に就任なされたとのこと、お祝い申し上げますわ」
「当たり前のことをいちいち祝うな」
「それは申し訳ございません」
芹澤はとにかく尊大な男で、昔会った時からその性根は少しも変わることがなかった。父親は鉱山業で身を起こした実業家、三人兄弟の次男で、兄弟の中で一番評判が悪かった。家業は長男がすべて継ぐから栄達の望みもなく、その上、官僚や軍人になってのしあがろうという知恵も気概もない。だから、避暑地で偶然出会った椿に目をつけたのだ。婿養子に入れば、手っ取り早く地位や財産にありつくことができる。椿は当時まだ少女だったが、そうあからさまにこられては青年の思惑もわかろうというもの、宿泊していた宿にまで押しかけて熱心に誘いをかけられてものらりくらりとかわしていたが、最後には父がぴしゃりと追い払った。娘の婿として相応しくないと判断したのだ。
しかし、話を聞いているに、兄が突然死してしまい、棚ぼたで事業の後継になったらしい。こんな愚か者が人の上に立つなんて世も末だ。椿はこびへつらう部下たちに心底憐れに思い、翻って自分が持つことのできた産屋敷の当主という素晴らしい上司に思いを馳せた。
「おい、椿よ。何か舞ってみろ」
芹澤の指示に、雛鶴がさっと止めに入った。
「芹澤様、椿はまだ半玉ですから……お見苦しいものを見せてしまいます」
普通、半玉が先輩の芸者を差し置いて単独で踊ることはない。
「俺が見たいと言ったんだ」
半人前の踊りを披露させて恥をかかせたいのか、芹澤は譲らなかった。一座に緊張が走る。上客の機嫌を損ねることはできない。
ここで下手に踊って笑いものになるのは、それはそれで余興と言えよう。失敗とは言うまい。だが、椿の中のいらないプライドが首を擡げた。舐められたまま終わるのは癪だった。
「よろしいでしょう」
椿は座敷をぐるりと見渡した。色とりどりの着物の中に、から紅の葉の模様が目を引いた。ちょうどよい題材があったではないか。
「秋色いよいよ深まって参りました今日この頃でござますゆえ、今宵は『紅葉狩』をお目にかけましょう」
雛鶴に目配せをする。意図を察した雛鶴は芸者たちに耳打ちをして、椿が舞うための空間を開けた。椿は立ち上がり、懐から取り出した扇を広げる。一座はその淑とした出で立ちに気圧されて静かになった。
「時雨を急ぐ紅葉狩、時雨を急ぐ紅葉狩、深き山路を尋ねん――」
朗々たる口上とともに紅葉柄の衣装を纏った芸者が三味線を掻き鳴らす。椿の動きに合わせて、袖袂が蝶が舞うように翻った。
「――ということがあってね」
椿は宴席をつつがなく終えた次の日、不死川相手にその晩にあったことを語った。なにもただ雑談をしているのではなく、情報を共有しておくためでもある。
二つ部屋を挟んだ隣では、須磨が身支度を先輩芸者たちに手伝ってもらっていた。きゃあきゃあと若い娘たちの甲高い笑い声がする。仲良くしているようで何よりだ。
「こっちの素性はバレてねえだろうなァ」
椿の帯を締めながら、不死川が聞いた。
「大丈夫よ。私は一族に縁を切られたことで通ってるからそれ以上は……もうちょっと強く締めて、そう、そう」
芸者のだらり帯は長く重く、他人の力を借りなければ締められない。これも男衆の仕事のうちである。
「あの男は適当に転がしておくわ。べらべらといろんなことを喋ってくれて都合が良いし。三縁亭の方にも出入りしているみたいだから、何か情報が得られるかもしれない」
芹澤の当初の目論見は外れたが、椿の舞がお気に召したのか、また来ると言っていたく上機嫌で帰っていった。今夜中にでも再びお呼びがかかるかもしれない。
しかし、依然として鬼の正体は不明瞭だ。
「お前の見立てはどうだァ、椿」
店の出入り口に隊士を張り付かせているが、それらしい気配はない。
「ここにいる。必ず」
任にあたる隊士の間では、行方不明になった柱と人知れず相討ちになったのではないかという憶測もあったが、状況が願望を否定した。気配はまだ真新しい。鬼は必ずこの近辺に潜んでいる。柱を屠り、何食わぬ顔で。
「直感……ではないわね。違和感というか……なにかがおかしい」
確実にいると分かっているのに、尻尾を掴めないのがもどかしかった。
「焦んなよ」
不死川はそう言って椿を諫めた。
ことを急いて仕損じては元も子もない。不死川は気の短い男であることは間違い無いが、必要な時はいくらでも忍耐強くなれるのだ。箱屋は賤業とみなされているから、人間以下の扱いをされることも多々あるのに、無礼を働かれても眉一つ動かさず文句をこぼすこともない、見事な仕事ぶりだった。
椿は箪笥の上の籠から包みを取り上げた。
「実弥さん、お口を開けて」
素直に開かれた半開きの口に丸いものを押し込んだ。
「飴か」
「浅草のべっこう飴よ。甘くて美味しいでしょう?」
「ああ」
不死川は口に入れられた飴を奥歯でがりがりと噛んで砕いた。この男はこの形でいて甘いものに目がない。中でも一番の好物がおはぎで、他所から五つ六つと貰ってきても、その日のうちにすべてぺろりと平らげてしまう。しかし、他人の前でそういう姿を見せることは稀だった。甘いものが好きだなんて男らしさに欠けると思っているらしい。
「客からの貰いもんじゃねえだろうなァ」
「おかあさんが客あしらいが上手だからと、ご褒美にくださったの。実弥さんも頑張っているから、お裾分け」
おかあさんとは置屋の女将のことである。芹澤は仲間内でも嫌われ者で有名で、うまくいなしたのを先輩芸者から聞き、これは褒めてやらねばと思ったらしい。
「俺ァ何もしてねえよ」
「店の外で酔っ払って暴れていたお客さんを取り押さえたんですって?」
「あんなもん何のことでもねえ、わかってんだろ」
もちろん、堅気の男一人制圧することなど赤子の手を捻るより容易いことは心得ている。
「聞けば散々、こちらを貶してくれたそうじゃない?それで怒らず、怪我をさせずに抑えられて偉いねって、そういう話……」
「ああそうかよ……っておい、なんだそいつはァ」
椿が飴の次に取り出したそれを持つ手を、不死川が捕らえた。飴とは打って変わって不穏な丸い包みだった。
「こちらは音柱さまにお願いしていただいた火薬玉」
椿は女将から飴を貰ったと言ったのとまるで同じ調子で言った。そして不死川の手をやんわりと引き離すと、締めた帯の中に差し挟んだ。
「もしも私が鬼にやられてしまって喰われるようなことになったら、まだ息の根が止まっていなかったとしても、躊躇わず私の身体に油をかけて火をつけてね。そうしたらこの火薬玉が爆発して、私の身体は木っ端微塵になるわ」
不死川はいい加減、驚きはしなかったが、その代わり応と返事をすることもなかった。黙って椿が言うことを聞いた。
「鬼に喰われるのだけは嫌。鬼の一部になんて絶対になりたくない。だから、そんなことになる前に、血肉が残らないくらい粉々に吹き飛びたい……」
椿は稀血で、しかも女である。鬼にとっては喉から手が出るほどのご馳走。己の血肉を喰った鬼はさらに力を増して人を襲うだろう。想像するのも堪え難い。
「どうしてもか」
不死川の声には諦めと苦々しさが滲んでいた。
「はい。ひどいことをお願いしてるのは承知してるけど、でもやっぱり、わかってほしい……」
椿は愛する男の顔をいじらしく見上げた。このまま抱きついてしまいたかった。けれど、せっかく着付けた衣装が崩れしてしまうからできない。
不死川は身を屈めて椿の顔を覗き込んだ。
「口、いいか」
そういえばこちらも任務でしばらくご無沙汰だった。
時計を見ると、まだぎりぎり昼の時間帯である。化粧だけなら後で直す時間はある。
「次のお座敷までには、時間があるから。……お願い」
椿はそう言って、上から降ってきた口付けを迎えた。舌が絡み合うと飴の味がする。
「ふふ、甘い」
にこにこと笑いながら顔を離すと、心なし不死川の表情が和らいだ。
「化粧をした私としない私、どちらが綺麗?」
「化粧しようがしまいが、お前が別嬪なことには変わりねえよ」
ぎゅっと両手同士を握り合わせた。下手に飾らない言葉が嬉しかった。
「あー、もしもしお二人さん?報告を預かってきたが、入っていいか?」
突然、障子の向こうから声をかけられた。不死川は慌てて口元を擦って紅を取った。椿の方は薬指で唇をぺたぺたとなぞり、輪郭をぼやかして整えた。
「はい、どうぞ」
椿が返事をすると、障子が空いた。顔を覗かせた青年隊士は笑わずにいられるかと言わんばかりの愉快そうな顔つきだった。
彼は樋上という名で、椿や粂野とは同期にあたる。ややお調子者のきらいがあるが悪意のある男ではなく、人懐っこい性格で人気者だった。
「君がそんな風に恋に狂うなんて思わなかった。誰に誘われても靡かない高嶺の花だったのに」樋上が言った。
「なんとでもおっしゃってください」
椿がつんと澄ました。
「冷たいこと言うなよ。すずめちゃんが生きてりゃ、椿さんに良い人ができたって大喜びだったろうぜ。あの子、君のことが大好きだったもんなあ」
樋上がしみじみと言ったので、椿もついしんみりしてしまった。それで樋上は矛先を変えて不死川をいじることに決めたらしい。
「なあ不死川、弁財天みたいな美人と一緒に暮らすってどんな気分?なあなあどんな気分?」
「うるせえ黙れ殺すぞ」
遅れて後からやってきた粂野が樋上の頭をはたいた。
「樋上、人の恋路をからかうような真似はよせ」
「はーい」
樋上は素直に従った。樋上は粂野には逆らわない。気持ちはわかる。何か無分別な態度を取ったとき、粂野の曇りなき眼に晒されると非常に居心地が悪いのである。
粂野が到着するや否や、今度は廊下からひょこりと下働きの中年女が顔を出した。
「ちょっとお兄さん!お兄さんの腕っ節を見込んで頼みがあるんだけど、須磨ちゃんの帯締め、手伝ってくれないかい?」
この年になると怖いものなんかないと言わんばかりの豪胆な彼女は、若い芸者たちが声をかけるのを尻込みする不死川にも遠慮することはない。報告は急ぎではないというので、不死川は乞われるまま手伝いに出て行った。
ついでにも一人別件で男手が欲しいというので、これは樋上が手を挙げて請け負った。ここには世話になっているから、用を頼まれたら任務に支障のない限り手伝ってやれというのが宇髄の命令である。
「上手くやってるんだな」
二人残された部屋で、粂野が切り出した。
「まだなんの手掛かりも掴めていませんよ」
「いやそっちじゃなくて、実弥とさ」
粂野は嬉しそうだった。ひょっとすると、自分が想い人と祝言を挙げるとなってもこんな風にはならないのではないか、とまで思わせる、晴々とした満面の笑顔だった。
「まだ祝言は挙げないのか」
「彼にその気がないのだから、仕方ないでしょう」
「あいつのことは置いておくとして、ほんとに正式に求婚されたらなんて答えるんだ」
「さあ、どうでしょう」
「でも好きなんだろう」
「好きですよ。大好きですよ」
「なら何を躊躇うことがあるんだ?あいつも大概だが、君も足踏みしているように見える」
思うことが色々ありすぎて、椿は中々、次の言葉を見つけられなかった。
「……誰かのかけがえのない存在になるなんて、恐ろしいと思いませんか」
椿はようやくそれだけ絞り出した。
「なぜだ?俺は素晴らしいことだと思う」
「私――私、きっと彼を幸せにできません」
椿は神様にもらった自分の命の残り時間が、それほど長いものだとは思っていない。長く生きる自分の姿をうまく想像できない。きっと彼より先に死んでしまう。漠然とそう思っている。それなのに、自分の我侭しか通さないで甘えてる。ひどい女だ。
「実弥も以前、同じようなことを言っていたよ。君たちは変なところでよく似ているな」
第一女が男を幸せにできるかなんて気にするんじゃない、と言う粂野は、なるほど兄というものがいればこうであろうかという頼もしさに満ち溢れていた。
「明日も知れぬからこそ、人は約束を交わすんじゃないか。何一つ保証されていないから、証立てるんじゃないのか……だから約束してくれないか。君たちが祝言を挙げる時は必ず俺を呼んでくれよ」
「……明日生きているかどうかもわからないのに、約束をするんですね」
「そうだ。もし、俺や実弥が志半ばで命を落とすことになったとしても、今日、俺の言ったことを忘れないでくれ。今はわからなくても、いつかわかってくれると嬉しい」