寒椿の君   作:ばばすてやま

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2.霜降る夕に故郷を思う

 鬼殺の剣士を育成するものを育手という。椿の育手となったのは白い髭を蓄えた隻眼の老人で、この頃はもう弟子を取ることも少なくなっていた。

 老人にとっておそらく最後の弟子になるだろうこの少女は、剣どころか斧を手に持って薪を割ったことすらない、甘やかされた深窓育ちの令嬢である。娘の境遇のことは産屋敷からの手紙で知らされていたが、彼女の決意が続くかどうかは半信半疑だった。

 鬼狩りの道は過酷である。剣の道を諦めて隠になるものもいるし、市井に帰って生きていくものもいる。ただでさえ残酷な世界で、わざわざ修羅の道を強いる者はいない。だから、娘が泣いて逃げ出すようなことがあっても、叱ってやるまい止めてやるまい、とだけ決めていた。

 

 訓練が始まると、椿の苦労知らずの手はあっというまにぼろぼろになったが、一月、二月と修行場で過ごしておいて、娘が泣き言一つ漏らさないだけでも老人には十分な驚きだった。さらに驚くべきことに、三月目には、一年長く修行している兄弟子から一本取った。

 

 剣の筋が良い。資質がある。

 

 老人も認めざるを得なかった。それは本来であれば、生涯必要とされることなく、少女の中で眠っていたはずの才能だった。

 むろん、鬼と戦うためには何もかもが足りない。体力が足りない。筋力が足りない。技術が足りない。死ににいく覚悟だけは一人前だった。

 そして、足りない部分を補い力をつけさせるのが育手の仕事だ。老人は椿を厳しく指導した。少女は理不尽な要求にもよく応え、岩を寝床とし、泥水を啜ってもなんでもないようだった。

 椿は表情が希薄で、めったに笑わない。これが良い、あれが嫌だ、などということもない。言われたことを淡々とこなす。できないことは何度でも繰り返して、できるまでやる。

 老人は傷付いた小娘の心を解きほぐすことは得手ではない。だからせめて、命を失うことがないように、ありったけを教え込んで育てあげた。どれだけ鍛えて鍛えて上げても、何かを奪われないために十分過ぎるということはないのだ。

 

 

 師事しはじめて一年余りが経つころ、育手は最終選別に向かう許可を下ろした。椿は特に感慨も湧かず、気を張るでもなく、ただようやく鬼を殺すことができるのだ、と思った。

 

 最終選別が行われる藤襲山。一面に藤、藤、藤の花。幻惑的な光景に導かれるようにして山を登ると、中腹あたりで広場に着く。選別を受ける者たちがすでに集まっていて、重苦しい空気が辺りに満ちている。

 

 最終選別の合格条件は鬼の徘徊する山中で一週間生き延びること。

 

 口にすれば一言だが、これがなかなかに難しい。何年と修練してきても、いざ鬼を目の前にして一瞬でも足が竦んだりするとそれが命取り、次の瞬間、鬼に手足を喰い千切られる羽目になったりする。生死の境界は紙一重である。

 しかし、人を二人三人ばかり喰らった鬼に立ち向かって生き残れずして、隊員になれたとしても戦場で死ぬだけだ。そもここに集った時点で、みな命など捨てたも同然である。

 

 椿は早々に鬼に出会した。鬼は椿を見てにたりにたりと笑った。

「女だ」

 続けて何ぞ言われた気がしたが、霞がかった雑音のようで、耳に入ってこなかった。どの道聞く価値もない。

 鬼を前にして、椿の心は不思議と凪いでいた。胸にあるのは一念だけだった――鬼は殺さなければいけない。

 

 鬼がこちらに突進して襲いかかると同時に、椿も踏み込む。

 

 水の呼吸・壱の型、水面斬り

 

 何万と反復して身体に叩き込んだ型を繰り出す。師から授かった日輪刀の刃先は寸分狂いなく頸を切り落とし、鬼は断末魔とともに塵になって消えた。

 

 水の呼吸は、まるでそうあるべくして生まれついたかのように椿の身体によく馴染んだ。

 

 椿には連れもなかったので、この試練を一人で乗り切る気でいたが、ひとつ思いがけぬ出会いがあった。

「どちら様」

 木立に人間の視線を感じて、椿は声をかけた。出てきたのは広場にいた少年少女の内の一人で、椿を除いては唯一の女の子だった。

「鬼を倒すところ、見てたの。ごめんね」

「謝るようなことではありません」

 その少女は真菰と名乗った。椿よりも一つ年下で、小柄で非力だったが、身のこなしが恐ろしく素早い。同じ呼吸の使い手同士、二人の息はぴたりと合った。それで、最初の夜に顔を合わせて以来、自然、行動を共にするようになった。

 日の高い内に眠って体力を回復し、夜は二人で共に戦い鬼を殺す。それ以外の時間は食べられるものを探したり、たわいも無い話に興じた。

 道端に生息する野草を摘みながら、真菰が言った。

「私、白瓜が好きだなあ。初夏に収穫してね、漬物にすると美味しいんだよ。椿ちゃんは何が好き?」

 はて、自分は一体なにが好きだっただろうか。真菰に問われて記憶を探ると、ぼんやりと両親とともに伊勢に参った思い出が蘇った。参拝に行く道の途中にある店先で、家族で菓子をつまんだのだ。

「甘い物……あんころ餅が好きです」

「あんころ餅!私も好き!」

 誰かと心を通わせるのは嬉しかった。同じ年頃の少女と屈託なく語り合うのは久方ぶりのことだった。

 話をする中でも、真菰はとりわけ、父のように慕う鱗滝という育手のことを楽しそうに語った。

「このお面はね、鱗滝さんが彫ってくれたんだ」

 真菰は愛らしい花の紋様が彫られた狐の面を撫でた。厄除の面といい、悪いものから身を守ってくれるようにと、願いが込められたものであると言う。椿は彫り筋の一つ一つに、作り手の深い愛情を感じた。

「きっと椿ちゃんの育手の人も、同じように想ってくれているよ」

「それは……私は真菰のようではないから」

 きっと違う。真菰の話からは育手との深い信頼関係を感じ取れた。しかし、椿と育手の老人の間には普段たいした会話もない。ここまで鍛えてもらった恩義はあるが、それ以上のものはない。

「そうかな。ほら、この日輪刀の拵、やり直したばかりだよ。きっと椿ちゃんが握りやすいように仕立て直してくれたんだよ」

 真菰に言われるとそうであるような気がする。生きて帰ってほしいと願われている、この世のどこかにそう想ってくれる人がいる、というのは、虚な胸の内のどこかに暖かいものを灯されたような気持ちだった。

 

 真菰はおっとりしているようで鋭い。そして愛らしい見た目とは裏腹に、鬼に容赦がない。

 椿は真菰とは数日しか一緒にいないのに、すでに彼女のことが大好きになっていた。姉妹というものがあるならこういうものかと、互いにそう思い合っていた。

 

 椿の方が力強く、真菰の方が素早い。互いが互いの欠点を埋める戦い方に慣れてきて、二人はどんどん強くなる。所詮女と侮って油断して襲いかかってくる鬼どもも、二人のあまりの強さにたまりかねて逃げていく。

「追いかけなくてもいいよ」

 逃げていく鬼を追跡しようとした椿を、真菰が止めた。

「もうすぐ朝だから。少し休もうよ」

 選別は後半に差し掛かり、野営続きで体力の消耗は激しい。疲労は募るばかりだった。

「でも、鬼を殺しにいかないと」

「どうして?逃げた鬼が他の人を襲うかもしれないから?」

 椿はそんなことは一つも考えていなかった。

「だって、それは……ただ……鬼は殺されなければいけないから……」

 椿は同じことを繰り返した。理由になっていなかった。

 真菰はそれ以上追求せず、少し悲しげに微笑んで、そう、とだけ言った。

 

 鬼を殺すのは気分がよかった。人間の悪党なら、一寸の善心も残っているだろうと手心を加えてやれそうなものを、鬼に対してはまったく躊躇する余地がなかった。鬼は残忍で、醜悪極まりなく、ひとかけらの慈悲を与えるにも値しない。鬼とは例外なくそういう生き物なのだ。藤襲山で過ごすうちに椿は学んだ。

 鬼を殺す理由など、鬼が鬼であるという以外に、何も必要ではなかった。

 

 昼過ぎ、水を汲もうと川の近くまで行くと、対岸の清流のそばで子供が一人死んでいる。身体の大部分は鬼に喰われたとみえ、残った肉に烏が群がって啄んでいた。

「埋葬してあげるべきかしら」

 椿が言った。

「飢えた鬼に掘り返されるかも。だったら、鳥や獣に食べられるほうがいいんじゃないかな」

 確かに、死してこの上鬼の腹に収まるよりは、そちらの方がずっと良い。

 二人はせめてもの供養にと花を摘んで手向け、手を合わせた。

 

「私のこと、おかしいと思う?」

 

 日の暮れるころ、ふいに椿が尋ねた。

「鬼を殺したいの。殺さなければいけないと思うの。それしか考えられなくて」

 心なし考えて、真菰が答えた。

「いいと思うよ。それが生きていく理由になるなら」

 真菰はすこし寂しさをまとって綺麗に笑うのだ。

「胸が張り裂けそうに悲しくても、死んでしまいたいくらい辛くても、命がある限り生きていくしかないから」

 うん、と椿は頷いた。

「椿ちゃんの髪、綺麗だね」

「ありがとう。私は真菰の髪も好きよ」

「うん、でも、もう少し長かったらなあ。椿ちゃんの髪は長いから、纏めてかんざしを挿したらきっと素敵だね」

 かつて十、二十では足りないほど所有していた豪奢なかんざしや髪飾りの類はすべて焼失していた。椿がそういったものは一つも持っていないのだ、と告げると「綺麗な髪なのにもったいないよ。今度買いに行かなきゃ」と言った。

 椿は微笑んだ。真菰も笑った。

 

 そして最後の夜を迎えた。

 

 この夜、二人の前に現れた鬼はこの山で遭遇したどの鬼よりも巨大で禍々しく、一目みて歯の立たないことがわかった。二人はこの一週間で、初めて逃げるという選択肢を選んだ。

 だがその鬼は、どういうわけか執拗に真菰を狙うのだ。

「私のことは置いて行って」

 自分の足では逃げきれないが、真菰一人なら逃げることもかなうであろう。椿は懇願したが、真菰は首を振った。

「あの鬼が狙っているのは私。どうせ追いつかれるよ」

 逃げきれないのであれば、戦うしかない。だが何度斬りかかっても、鬼は硬く、頸を断つことはできない。

 鬼の異能で、地面から伸びた数多の腕が襲ってくる。椿はなんとか逃れたものの、はずみで山の斜面を転がり落ちて逸れてしまった。

 強かに身体を打ち、息が詰まりそうになる。椿は刀を支えにして立ち上がった。背中を強く打っただけだ。急いで向かわなければ。真菰は一人で戦っている。助けに行かなければならない。

「――真菰!」

 鬼が真菰を捕らえているのをみて、血が逆流するような感覚を覚える。

 椿は無我夢中で剣を振るった。

 鬼は思いがけない横槍に気を取られて、獲物を取り落とした。椿はすかさず真菰を抱きとめたが、その身体のあまりの軽さに絶句した。両腕両足の先が引きちぎられて失われていた。

 椿は歯を食いしばって、真菰を胸に抱えて走り出した。

 鬼は追いかけてこなかった。山際の霧が晴れ、ぼんやりと光が差そうとしている。間もなく夜が明ける。鬼は獲物に致命傷を負わせた以上、太陽の光に焼かれる危険を犯そうとはしなかった。

 

「真菰、真菰、死なないで」

 椿は安全圏まで逃れたことを確認すると、潰れた手足の先を布で縛り、賢明に止血しようとする。声をかけながら、涙が溢れ出るのを止められない。

 しかし、もはや何をしても手遅れだった。小さな身体で、あまりにも多くの血を流し過ぎていた。呼吸はあってなきがごとし。負った怪我の重さを思えばまだ息のあるのが不思議なほど。死の影がすでに少女を覆っていた。

 真菰の小さな唇が何か言いたげにはくはくと動いた。椿は一言も聞き漏らすまいと耳を寄せた。

「……今までありがとうって、生きて帰れなくて、ごめんなさいって……」

 椿は何度も頷いた。

「伝えるから。必ず、狭霧山の鱗滝さんに」

 真菰が笑った。その瞳から涙が一雫流れた。

「椿ちゃん、ありがとう……」

 それきり真菰は動かなくなった。

 短い付き合いだった。椿は朝日の照らす中で、冷たくなっていく小さな身体を抱きしめた。

 

 血塗れの少女の亡骸を背負ってよたよたとした足取りで広場に向かう椿に、頬に大きな傷のある少年が手を貸してくれた。無事に真菰の亡骸は麓まで運ばれて、そこで荼毘に伏されて骨壺に収まった。

 

 隊服と鎹烏の至急、玉鋼の選定といった諸事を終えて帰路につくことになると、椿は己の育手に無事を報告するよりも先に狭霧山に向かった。疲労は肉体的にも精神的にも限界点を超えていたが、なにを置いても真菰との最後の約束を果たしたかった。遺骨の入った壺と狐の面はそれほどの重量はないはずなのに、ずしりと身に重く感じられた。

 

 狭霧山の麓をしばらく行くと小屋があり、その戸口に真菰から話に聞いていた通りの風体の、天狗の面をつけた男が立っていた。

 鱗滝は椿が真菰の骨と遺品を持ち帰ってきたことに礼を述べた。

「真菰は優しい子でした――強い子でした」

 椿は何か言わずにはおれなかった。

「真菰は戦って、最後まで戦って死にました。私一人を置いて逃げることもできたのに」

 それから椿は、これほど多弁になるのはいつぶりであろうかとうほどの勢いで、出会ってから別れるまでのたった七日間の思い出を言い募った。真菰のことをこれ以上口にするのは、かえってこの人を苦しめるのではないかと思ったが、止まらなかった。鱗滝も、椿の話にしきりに頷き、遮ろうとしなかった。

 

 真菰の無念の分まで、などとはようも口に出来なかった。

 

 話が終わるとすでに夜で、泊まっていくように勧められたが、丁重に断った。これ以上長居していては、鱗滝が泣けないのではないかと思った。

 別れ際に、真菰のつけていた面を差し出された。愛らしい、花の模様が今は悲しかった。

「構わないのですか」

「真菰はそう望んだだろう」

 椿は礼を言って形見の面を受け取った。

 

「よく戻った」

 遅れて戻った椿を育手が出迎える。老人の声はわずかに震えていた。この人はずっと椿の身を案じてくれていたのだった。おそらく、椿がここにやってきて以来ずっと、彼は弟子を慈しんできたのだろう。ただ椿が気付いていなかっただけの話で。

「はい。ただいま戻りました、お師範様」

 椿は深く頭を下げた。老人は無事に帰ってきた祝いだと、内陸では滅多に入らない大きな鯛を手に入れてきて、捕らえた猪と山菜で豪勢な鍋を作ってくれた。どれもこれも美味しかった。

 

 選別が終わって十日ばかり経ったころ、刀鍛冶が日輪刀を運んできた。里長直々の手になるものだという。椿は何も知らなかったので卒直に光栄だと思ったが、育手は渋い顔をした。里長の女好きは有名だった。

「どうぞ、お手に取りください」

 日輪刀は別名を色変わりの刀と言う。椿が手にした瞬間、それは澄んだ薄青に色を変えた。持ち手が水の呼吸に適性のあることをはっきりと示していた。

 もし真菰が同じように日輪刀を手にとっていたら、同じように青色に変じたのだろうか。

 そう想像して、瞳が潤んだのを、椿はぐっと目を閉じて堪えた。

 

 悲しくても、やりきれなくても、前を向いて戦うしかないのだ。

 

 こうして椿は鬼狩りになった。癸、壬、辛と順々に昇進を重ねていく中、時同じくして選別を生き延びたものたちも次々と戦死して数を減らしていった。

 

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