寒椿の君   作:ばばすてやま

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本誌にて鬼滅の刃が無事クライマックスを迎えましたね。完結おめでとうございます。
原作最終話記念に、当作も最終話(仮)を公開しようと思います。
「僕の考えた最強の不死川兄の余生」です。お楽しみいただければ幸いです。


未来編
父なるもの、母なるもの


 昭和二年一月某日。

 

「雪子」

 

 小学校の校庭で遊んでいる子供たちの群れに向かって、その名前を呼びかける。すると、子供の中から一人、その名の示す如く雪のように白い肌と髪を持つ少女が、兄様、と俺を呼びながら駆け寄ってきた。優しくて、美しくて、賢い、俺の自慢の妹だ。

「寒くないか」

「平気よ」

 妹に襟巻きと手袋を付けさせて、俺たちは並んで歩き出した。

 まだ大災害からの再建の途にある東京の街並みに空風が吹き抜ける。空には絶えず金槌の音が響く。昭和の年の正月は明けてまもない。

 

「よう、不死川」

 

 家への帰り路に着いた俺たちの横を自転車が通り過ぎたかと思えば、角を曲がる前にキッとブレーキをかけて停止した。同じ中学に通う、同級生の宇髄である。

「妹のお迎えか?毎日よくやるねえ、お前も」

「うるせーよ」

 宇髄には父親が一人、母親が三人いる。この複雑な家庭環境を聞かされた人間は口を揃えて「いやおかしいだろ、母親は一人しかいないはずだろ」と言う。確かに、生物学上の母親は三人のうち一人のはずだが、宇髄はどの母親が自分を産んだのかなんてことには関心がないらしく、三人の母親を、差をつけずに大切にしている。

「こんにちは」

「おう雪子ちゃん、今日も可愛いな」

「雪子、こんな奴に挨拶なんかしなくて良い」

 妹は悲しげに眉尻を下げた。

「兄様、どうしてお友達にそんな意地悪を言うの?」

「妹の教育に悪いぜ、不死川よお」

 宇髄はにやにやしている。殴りたい。こいつにはこういう調子で人の神経を逆撫でして楽しむ悪癖がある。しかし、この程度で付き合いを止めるような浅い腐れ縁でもない。砂場でブリキのおもちゃを取り合っていた頃からの付き合いであるからして。

 宇髄はポケットからこれみよがしに、何かの観覧券らしい紙切れを見せびらかしていた。

「また女の子にもらったのか」俺は呆れて言った。

「誘われたんだよ」

 宇髄は背が高くて、顔が良くて、運動神経抜群なので(改めて列挙するとなかなか腹の立つ男だ)、近くの女学校の生徒から毎日のように恋文を貰っている。俺だって背が高くて運動神経が良いことは同じだが、俺が彼女たちに少しでも近寄ろうものなら最後、蜘蛛の子でも散らすように逃げていかれる。仕方ない。俺の上背と顔が怖いのはわかってる。責める気はない。

 宇髄はまあ、こういう奴なので、周りからやっかみを受けることもままあり、上級生に体育館裏に呼び出されて囲まれて詰められることもあるんだが、俺が加勢するまでもなく一人でやっつけてしまっている。宇髄は親父さんから、後遺症が残らない程度にできるだけ人間を痛めつけてとっちめる方法とやらを伝授してもらったらしい。宇髄の親父さん、何者だよ。

 宇髄と別れて、俺たちは引き続き帰路を歩く。

 大地震でひどい被害を受けた東京市内のこの一帯は、一旦地ならしされて完全に生まれ変わった。建物も樹木も電信柱もすべてが新しくなり、かつてはあまり見られなかった西洋料理屋や舶来物を仕入れる洒落た雑貨屋が当たり前に並んでいる。かつての江戸の町を偲べるものは何も残っていないと、風流を知る古老は嘆いている。

 しかし、たとえ魚河岸が日本橋から築地に移るような天変地異が起こっても、変わらずにこの地に受け継がれているものもある。頭が少し欠けてしまったこの路傍の石地蔵は、自分が幼い時と変わらずそこに直立して人々を見守り、願掛けの絵馬や錦の奉納が絶えないこの光景も昔のままなのだと、父は息子と娘にそう語った。

 時代は移ろう。風に吹かれて紙屑が宙を舞う。道端の植え込みには、新聞の切れ端が引っかかっている。それは皇太子の践祚を伝える、数週間前の記事だった。

 

 

 先月の年の暮れに聖上が崩御した。

 俺は明くる日に、街角の新聞売りから号外を一部買って家に戻り、家族みんなの前で紙面を広げた。そこには新しい元号が記されていた。

「新しい元号は『昭和』だって。変なの」

 耳慣れのしない単語に、俺が忌憚無い感想を述べると、母がこう答えた。

「大正に移った時も、みんな「変なの」って思ったわ。ねえ、あなた」

「明治が長かったからな。あんときは元勲が腹切ってえらい騒動だった」

 父はそう言って、味噌汁を啜っていた。

「お茶を入れましょうか」

「頼む」

 俺の父と母は、とても仲良しの夫婦だ。

 父は日雇いの職工をやっていて、母は近所の子供に三味線を教えている。

 一緒に外に出かける時はいつも手を組んで、寄り添いあって離れることはない。公序良俗に反してるだなんて怒られたりしないのは、みんな、母が顔面を半分も眼帯で覆っているのを見て、なるほど奥方は盲人なのだな、それでご亭主が腕を取って引いてやっているのだ、と好意的に解釈してくれるからだけど、俺は知っている。母の目はばっちり見えてる。いい歳して付き合いたての中学生男女みたいにべたべたしていたいだけだ。

「あなた、そういえばね、お向かいさんが歳の市の後始末を手伝いに来てもらえないかって。どう?」

「明日だな、わかった」

 父は母から湯呑みを受け取りながら言った。

 今でこそご近所は父をとても頼りにしているけど、それまでは顔面を横切る古傷と手指の欠損という見た目のせいで随分損をしてきた。ここに引っ越してきたばかりの頃、二人が挨拶のために近所の家を訪ね歩いたところ、父がいるとみんな警戒して表に出てきてくれない。やむをえず母が一人で挨拶回りをした。

 それでも、父はすぐに物腰が丁寧で仕事が早いと評判になったし、母は上手に三味線を教えて子供たちに好かれたので、そう時を置かずに周囲の目は変わった。今ではすっかり地域に馴染んでいるが、子供たちについて言えばいまだ父を大層怖がっている。しかしそれは、悪ガキに手を焼いているおかみさん達にとってはもっけの幸いで、悪さをした子供を諭すときに「今度おいたをしたら、不死川くんのお父さんに怒ってもらいますからね」というと、覿面に効くのだという。父はそれを聞いて大爆笑していた。

 そういえば、自分の強面は完全に父親譲りだと思っていたが、母の言うところによると、むしろ父の弟の方に良く似ているらしい。

 見せてもらった写真は、昔住んでいた家の庭で撮ったと見られ、見知った面々の中に、奇抜な髪型をした少年が、今も昔も相変わらずきれいな母に肩を抱かれて佇んでいた。これが父の弟だ。確かに、言われてみれば、俺と似ているかもしれない(俺はこんな変な髪型じゃないけど)。今よりもだいぶ若い父は、みんなと少し離れたところに片膝を立てて座っていた。

 

「この子のこと、忘れないでね」

 

 不死川玄弥。一度も会ったことのない、俺の叔父さん。どんな人だったんだろう。母は「兄想いの、とても優しい子だったの」と言う。会って、話をしてみたかったな。

 ご近所さんは興味本位で、父と母がどういう経緯で一緒になったのかと、二人の過去をそれとなく息子である自分に尋ねるが、俺に聞かれてもよく知っているわけではないから答えようがない。

 二人は自分たちの昔の話をあんまりしない。俺や雪子の進路の話とか、今年はどこに旅行に行こうかとか、天候に恵まれたから次に出回る林檎や梨はおいしいだろうとか、未来のことばかり話そうとする。

 かつて謎に包まれた両親の過去を知るための手がかりはないかと、仏壇の過去帳を捲ったことがあるが、幼い齢で死んだ子供の名前がたくさん並んでいたのに心が痛み、それ以来、詮索することはなくなった。

 確かなことは、二人とも、毎朝早く起きて仏壇に手を合わせること、しょっちゅうお墓参りにいくこと、そして、毎日毎日、誰かの月命日だからとお供えをしていること。そのくらいだ。

 

 

「ただいま」

「おかえりなさい、寒かったでしょう」

 兄妹が声を揃えて呼びかけた時、母は茶の間の火鉢の灰をかきならしていた。

「お手紙が届いているわよ」

「俺に?」

 母の言いつけに従って雪子と一緒に手を洗った後、茶の間に戻る。卓袱台の上に置かれた、上品に封緘された封筒を見て、俺はそれが誰からの手紙か一瞬で理解した。

「輝利哉くんからだ」

 封を開けて手紙を読む。元気にしているか、勉強に励んでいるかと、こちらの近況を問いかけるとともに、妹のくいなが近日中に結納するのだと伝えていた。

「くいなちゃん、結婚するんだ」

「お相手は酒蔵の御曹司様だそうよ。本当におめでたいことね」

 母はよく知った女の子の慶事を心から喜ぶとともに、早速、お祝いに何がふさわしいかあれこれ考えていた。

 かつて俺は、輝利哉くん、それにくいなちゃんとかなたちゃんの三人のことを、本当の兄さんと姉さんだと思っていた。そのくらい、一緒に暮らしているも同然に頻繁に互いの家を行き来していた。

 一緒に鞠をついて遊んでもらったことや、輝利哉くんが父に剣道を教えてもらっていた光景を、俺はつい昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。

 ちなみに、輝利哉くんは俺に「くん」付けされるほど身分の卑しいお方ではないらしいんだが(父と母は年下の彼に敬語と尊称を欠かさなかった)、輝利哉くんがそう呼んでもらえて嬉しいというから、俺も遠慮はしていない。

「お醤油を切らしたから、買いに行ってくるわね」

「父さんは?寝てる?」

「ええ。あとで白湯を持っていって差し上げてね」

 母はやっていることはその辺の主婦と変わりないのに、生活感というか、くたびれたところが全然ない。家に遊びに来る友達たちはみんな、母のことを活動写真から抜け出してきた女優みたいだと言っている。担任の教師に至っては、母に「うちの子をどうぞよしなにしてやってください」と頭を下げられて以来、それまで厳しかった態度が豹変してやたらと俺に甘くなった。教員としてどうかと思う。

「母様、お買い物に行くのね。私も行く」

 雪子は空の一升瓶を抱えて、絶対に母の役に立つのだと言う構えで玄関先に仁王立ちしている。母はにこにこして「ありがとう」と言い、母と娘は仲良く手を繋いで買い物に出かけた。

 

 震災後に突貫工事で建てられた、小さな安普請の借家が一家の住まいだ。

 最初住み始めた時は、床板の隙間から風が吹き込んでくるのでたまらない寒さだったけれど、今は父が全部の部屋に畳を敷いてくれて、母が火鉢の炭火を絶やさないようにしてくれているので、真冬でも凍えることなく快適に過ごしている。

「炭売りの男の子にね、長持ちする良い炭の見分け方を教えてもらったのよ」

 母はそう言って微笑んでいた。

 母はこの家の二十坪ほどの庭で、たくさんの草花を育てている。春夏秋冬、季節毎に色とりどりの鳥や蝶が遊びにくる小さな庭。父は妻の園芸趣味を慮って、もう少し大きい家に移ろうかと持ちかけたこともあるが、母はここを「家族みんなの顔がすぐ近くに見えるこの家が好き」と気に入っていて、離れる気はないようだ。母が気に入っているということは、つまり、父に気に入らない道理は何もないということになる。

 以前はもっと田舎の、大きな家に住んでいた。燦爛たる星々の輝く、夜空美しい揺籃の地。俺が進学する時に、二人で散々「子供たちにとってどちらが良いのか」を頭を突き合わせて相談した挙句、やはり都会の方がより良い教育を受けさせることができるからと言うことで、ここにやってきたのだ。宇髄一家が同じ理由で先に引っ越していたのも後押しになった。

 

 二人が外出した後、輝利哉くんへの返事を書いていると、父が床から俺を呼ぶ声がした。

「水いるか、親父」

「いい。それより、こっちに来い」

 父は寝床で上半身を起こして、息子を手招きしていた。ちょっと退屈そうな顔だ。今日は本当は仕事のはずだったのに、具合が悪そうだからと母が休ませたのだった。

 

 父は十年前から、持ってあと数か月と余命を宣告されている身だ。

 

 医者はもう十年も見立てを外し続けていて、俺はこれからも外れ続けてほしいと願っている。淡い儚い願いだ。父の容態は年々悪くなっていく。父も母も何も言ってくれないけれど、そんなことは見ていればわかる。

 数年前に一度、肺が炎症を起こしたとかいう理由で本当に危なかった時があって、その時に医者は「今晩が峠です、覚悟しておいてください」と言ったけれど、一体何を覚悟するというんだろう?「父様は大丈夫よ」と言って、雪子を寝かしつけた母は、一度でも目を離したら父がどこかに行ってしまうのではないかと、まばたきも出来ないで付ききりで父を看病した。俺は不安で一睡も出来ず、父の手を震えながら握っていた。大切な家族が死んでしまう準備なんか、百年かけたってできるはずがない。幸いなことに、父は恢復して、一週間後には現場に出て材木を軽々担いでいた。医者は眼を剥いて「不死川さん、あんたほんとに人間ですか?」と失礼を言った。

 ぐだぐだととりとめもないことを考え続ける俺に比べ、妹は非常に建設的な思考の持ち主で、「私、大きくなったらお医者になって、父様のご病気を治してさしあげるからね」と決然としている。膝に乗せた愛娘に、耳元でそんなことを囁かれた父は「雪子が治してくれるなら長生きしなきゃなあ」と顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

 こんなに体が悪いんだから、家でじっとしていろ、力仕事もたいがいにしろと言っても耳を貸さない。「父親が日がな家にいちゃ良くねえよ」と言うのが父の言い分で、ただ一人、母だけが、父に何かするのをやめさせることができるのだった。

 

「上着を持って来い」

 父は俺の学生服の上着を持ってこさせて、おもむろに裁縫道具を取り出し、袖丈を直し始めた。近頃、背丈が竹のようにぐんぐん縦に縦に伸びる。そのせいで袖丈が合わなくなって、手首がむき出しになっていた。

 うちでは針仕事は父親の領分だった。欠けた手指でよくも器用にやるものだ。

「いくつになった」

「今年の正月で十四」

「身長の話だ」

「わかんねえけど、この分だと夏までに親父より高くなるよ」

 父は「そうか」と穏やかに言った。少し咳き込んだので、もう一度水はいらないかと尋ねるが、いらんと首を振るので、代わりに背中をさすった。

「親父、小さくなったな」

「馬鹿いえ、お前がでかくなったんだ」

 父はお返しとばかりに俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 父さんというのがなんとなく面映く、ある時から親父と呼び始めると、母は息子の変化におろおろと狼狽えたが、父が母を「この年頃の男なんかそんなもんだ」と諭した。この調子でお袋などと呼び出すと卒倒しかねないから、母のことは相変わらず「母さん」と呼んでいる。

 母に逆らう気は全く起きない。以前、ちょっとした口答えをして、夕食を食べなかった時、母がほろほろと涙を流しながら傷んだ飯をごみ箱に捨てている姿を見た。罪悪感に耐えきれず、俺の反抗期めいたものは一瞬で終わった。

「進路、決めたかァ」

 父の問いかけは、その場にぴりっとした緊張感を呼び起こした。

 半年ほど前のこと、同じように進路の話になった時、俺が海兵団に入りたい、軍人になりたいのだと口にすると、父は血相を変えた。

 昔から船が好きだったし、体の丈夫なのだけが自分の取り柄だ。学校の成績だって悪くない。ちょっとでも早く就職して、生計の維持に貢献したいと言う親孝行からの提案だったが、父は頑なに認めなかった。

「軍人ってのは人を殺すんだぞ」

「分かってるよ。でも、雪子は医者になりたがっているし、食い扶持を減らせた方がいいだろ」

 父は言葉を尽くして俺を止めようとしたが、そんなふうに執拗に反対されるとかえって反発したくなるものだ。母は青ざめて、正座をして微動だにしなかった。

 意固地になる俺に、父はとうとう切れた。

「お前はなんもわかっちゃいねえ」

 気づいた時には俺の体は宙を舞い、一瞬遅れて頬が火であぶられたように痛み始めて、やっと殴られたのだと理解した。

 こんなふうに父親に殴られたのは、生まれて初めてだった。

 俺を殴る父の体捌きは信じられないほど無駄がなくてすごかった。もちろん、柔道も剣道も、父から手ほどきを受けたわけだから、喧嘩が弱いと思っていたわけじゃないが、それでも俺は、しばし、進路を巡って対決中と言うことも忘れて、父の強さと言うものに畏敬の念を感じて動けなかった。

 ちなみにその後は、母が泣きながら父を羽交い締めにして止めに入った。父は母の涙を拭ってなだめることに必死になり、それ以来、この話題は触れられることなく放置されていた。

 俺は決意を固めようとして、唾をごくりと飲み込んだ。

 父も母も、聞けば絶対に応援してくれるだろうと確信していたけれど、だからこそ口に出すのが躊躇われたのだ。

「母さんには言わない?」

「言わねえよ」

 俺は声を小さくして言った。

「船の設計士になりたいんだ。普通の船じゃない、地球を何周も回れるくらい、大きい船を作る人になりたい」

「いいじゃねぇか。頑張ってみろ」

「軽く言ってくれるけどさ、そんなに簡単じゃないよ。一高を出て、帝大を首席で卒業できるくらい優秀じゃなきゃ」

「お前は母さんの子だ、なんとかなる」

 俺はなんともいえない気分になった。父の言い草は、母が「あなたは父様の子だもの、なんとかなるわ」と言う時とまるきり同じ調子だ。

「それに、すごくお金がかかるし」

「子供が変な気を回すな、お前の学費くらいなんとかなる」

「この家のどこにそんな金があるんだよ」

 これは両親の悪口みたいになるから言いたくなかったが、二人ともそんなに収入のある稼業なわけじゃない。そのくせ衣食には惜しみなく金を費やすし、年に一度は必ず、熱海とか京都とかに家族旅行に行く。もちろん、それらは非常に楽しい思い出で、箪笥の上に所狭しと各地で撮った写真を飾っているけれども、我が家の家計が火の車なことに間違いはない。

「金の心配はするな」と父は再び俺を嗜め、そしてすこし黙ってから「母さんに感謝しろ」と言った。もしかすると、母はすごい金策家なのかもしれない。持参金代わりに土地を持ってきて、地代収入があるのかもしれない。真相は不明だ。

 その母も、妹を産んでから前ほど体調が思わしくない。本人は「歳を取ると体力が落ちるのよ」と言って加齢のせいにしているが、それだけじゃないはずだ。

 雪子はたいへんな難産で生まれた。出産に三日三晩も要した挙句、胎から出てきた最初は息をしていなかった。海千山千の産婆が「こりゃあだめだわ」とさじを投げて、最後の死に水を取ろうとして産湯につけようとしたのに、父は産婆の手から赤子をぶんどって、足を掴んで上下を逆さまにして振った。それで雪子は、ようやく産声を上げたのだ。

 妹はそういう生まれ方をしたせいか体が弱くて、しょっちゅう風邪を引いてみんなの肝を冷やした。だが、小学校に上がって、通学や体育の時間に体を動かすようになると自然と鍛えられて丈夫になったようで、このことで父と母は、箱入りすぎるのは身体によくない、もっと運動させるべきだったと反省していた。

 そんなわけで、我が家で体になんの障りもないのは俺だけだ。自動車にぶつかった時も、車体の方がへこんで俺がかすり傷一つ負わなかったので、運転手が引いていたくらい頑丈なのである。

 もし自分が、人よりも頑丈な身体を持って生まれたことに理由があるなら、それは家族を守れるように、神様がそう取り計らってくださったんだろう。俺は誰に言われるまでもなくそう理解していた。

 それなのに、父も母も、全然俺を頼りにしようとしないし、肝心な話は何もしてくれない。もどかしい。早く一人前の男になりたい。

「諦めるなよ。それが一番、親孝行だ」

 そんな俺の内心を見透かしたように、父がそう言うから、ああ俺はこれは絶対に夢を叶えなくてはいけなくなってしまったなあ、と観念して腹を括った。まずは次の学期末にもらう通知書の全部の項目を、最優良の『甲』で埋めてしまわないと。

 

 父は針仕事を終えた。俺に上着を着せて、自分の仕事の出来に満足そうにしている。

「親父、もう休めよ」

「もう十分寝た」

 そう言って、父は立ち上がろうとした。母がいないうちに、台所で夕食の準備を手伝う気なのだ。

「勝手に起き上がって、母さんに叱られても知らねえから」

「……だめだと思うか」

「うん」

 俺が断言すると、父は大人しく床に戻った。買い物から帰ってきた母は、「私がいないのにじっとしていられたの?実弥さん、偉いわね」と父に頬擦りしていた。父は満更でもなさそうな顔だ。俺は父と母の仲を取り繕えたので満足だった。

 

 今日の晩ご飯は、鮭と大根の煮物だ。母の作るご飯はとても美味しい。時折独創的なレシピでみんなを困惑させることもあるけれど。

「今日はあいつの命日か」

 父がぽつりと言った。

「お前、冨岡のこと、覚えてるか」

 俺は「うん」と頷いた。

「冨岡さんって、父様と母様の昔の写真に写っている素敵な方?」

「ああ、雪子は会ったことないよな。面白いくらい鮭大根が好きな人でさ……」

 鮭大根を見ると、決まって冨岡さんを思い出す。俺が物心ついて間もなく病気で亡くなってしまったけれど、朧げな記憶の中にあってさえ、よく遊んでもらったこと、そして、とても優しい人だったことを思い出せる。いや、あの頃の俺たちの周りには優しい人しかいなかったのだ。誰もが俺のことを宝物のように大切にしてくれていたのだと(母さんは今でも「あなたたちは父様と母様の宝物」と言って憚らないけど)、今ならそう理解することができる。そう、ちょっと早く生まれただけで威張り散らす上級生とか、俺を目の敵にしてくる教師たちとかに囲まれてる今なら。

 お夕飯を仏様の前にお供えして、手を合わせる。晩ご飯は必ずみんな揃って、手を合わせてから食事をいただくのが我が家の流儀だった。

 

「今日は学校でどんなことがあったの?」

 母にそう聞かれて、雪子が休み時間に竹馬に乗って遊んだことや、習字を先生に褒めてもらったことなどを楽しげに話していた。

 俺は世間話の一つとして、なんとなしに言った。

「八丁堀の白魚橋があるだろ。昨日の晩さ、あそこに()()()()()()()()

 母の手から、箸が滑り落ちた。

 俺は「母さん、疲れてる?大丈夫?」と言って、床に落ちた箸を拾った。母は首を振りながら、どこか上の空でそれを受け取ったように見えた。

「鬼?」妹は無邪気に兄の言ったことを繰り返す。

「一か月前から市内に出没してる、通り魔のあだ名だよ。頭を金棒で叩──」

 叩いたみたいに潰して人を殺すから、鬼って言うんだって、とは言葉にしなかった。父親の厳しい視線を感じたのだ。うん、そうだ。雪子にこんな話をするべきじゃない。

「みんな騒いでるけど、すぐに警察が逮捕するよ」

 俺はそう言って飯を掻き込んだ。

 父と母は、無言で顔を見合わせていた。

 

 

 結局、捕まったのは鬼なんていう仰々しい俗称にそぐわない、若い男だった。

 若いどころではない。まだ十七歳で、取調べでは金槌で人間の頭を叩いたらどうなるか見てみたかったんだと、わけのわからない動機を捲し立てたらしい。

 通りすがりの人間を狙った、正気を欠いた猟奇的犯行は、犯人が逮捕された後も、世間を大いに賑わせた。

 ある雑誌は、この青年の有様こそ昨今の道徳的類廃の象徴であるなどと最もらしく並べ立てたし、他の新聞記事では、加害者が精神鑑定で精神薄弱と判定された場合、果たして刑事責任能力を問うことができるのかと一石を投じていた。

「責任能力がなんだよ、少年法があっても人殺しは人殺しだろ」

 授業後の昼休みの教室で、法曹志望の級友の一人が記事を斜め読みしながらぶつくさ言ってる。

「そうか?俺は本質的で重要な問題提起だと思うけどな」

 周囲の視線が宇髄に集中した。

「つまりだな、俺が夢遊病の患者で、寝ている最中に、その辺にあったナイフを手に取って、偶然でくわした不死川を刺して殺したと仮定してみろ」

「おいおいおいちょっと待て、人を勝手に殺すな」

 宇髄は俺の制止を無視して続けた。

「で、その場合、果たして俺を罪に問えるのかって話だ。誰だって寝ている間の自分なんか絶対に制御できない。無意識状態なんだからな。これを果たして明らかな殺意があった場合と同様に裁いて良いのか?故意と未意によって、量刑の決め方は区別されるべきじゃないか?」

「あー、確かに」

「不死川、悪いな、俺は宇髄の無罪放免に同意する」

「無罪放免とまでは言わねえけど、減刑の余地はあるかな」

 級友は口々に宇髄の言うことに追随する。

「おいこっちは殺されてんだぞ。んな理屈で納得できるか」

「許せよ不死川、この俺が命日には欠かさず墓前にスイカをお供えしてやるから。お前、好物だったろ」

「なんも嬉しくねえよ!お前それで通ると思ってんのか!?」

 級友たちがやれやれやっちまえと囃し立て、俺と宇髄は校庭に出て取っ組み合いを始めた。俺たちにとっては軽い運動程度に過ぎない戯れだが、何も知らん連中には本気で殺し合いでもしているように見えるらしく、教師たちは慌てて窓から俺たちを止めようと怒声を上げた。

 教師陣はいつか俺が不良少年にでもなったら、腕っぷしが強いから手がつけられないと戦々恐々としているんだろうが、俺にだって言い分はある。俺は絶対に、上級生たちみたいに、自分より弱い人を痛めつけるために拳を振るったりしない。

 父は俺に柔道とか剣道を教える時、これはお前が大切な人たちを守れるように教えるんだ、決して弱い人に向けるために教えるのではない、と言った。そんな父を、俺は世界で一番尊敬している。

 

 しかし、世人も馬鹿なあだ名をつけて恐ろしがったものである。

 頭の狂った殺人鬼に襲われないためにやるべきことは、早く家に帰って戸締りをしっかりすることであって、まじないや護符に助けを求めるのはおよそ科学的な態度ではない。

 そんな迷信で祓える鬼なんて生き物が、この世に存在するわけがないのだ。

 


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