寒椿の君   作:ばばすてやま

27 / 38
余談〜天才堕姫ちゃんごちそう食べた

「言ったじゃねえかよお、俺が出てって皆殺しにしてやるって」

 鬼狩りと太陽から逃げおおせた堕姫は、地底の穴蔵で痩身の兄の背中にしがみつき、わんわんと声を上げて泣いていた。柱でもない鬼狩りに散々にやられた挙句、敗走したのがよほどこたえてるのだ。なんという失態、なんという無様。彼らの主人に知られればただでは済むまい。

 それでも妓夫太郎は最後の最後まで手出ししなかった。自分が出ていけば容易に片付いたろうが、妹がそれを望まなかったからだ。

「だって、あたしが食べるんだもん、一人できるもん……」

「お前の獲物を横取りして喰ったりしやしねえよ」

「あの女ども、あたしにひどいこと言ったのよ、むかつく、むかつく!あたしの手で八つ裂きにしてやらなけりゃ気が済まない!」

 堕姫は兄の背中をぽこぽこと叩いた。妓夫太郎はざんばら髪をぼりぼりと掻き毟った。

「もしあいつらがまた来るようなことがあったら、今度はうまくやるんだから」

「だめだ」

「どうしてよう」

「次に来るのはあんな雑魚じゃねえ。ほとぼりが冷めるまでは大人しくしてろ」

 妓夫太郎は、これでも妹を痛めつけられて怒っていたのである。しかし妹可愛さに判断を誤らないだけの冷静さも持ち合わせていた。

 小柄の娘を口が利ける状態でとり逃してしまった。あの女は堕姫のことを仲間に報告するだろう。つくづく悔やまれるが、しかし、妓夫太郎はこういう時どう対処すれば良いのかわかっている。

 五、六十年か昔に同じようなことがあった。のこのこやってきた柱を始末したは良いが、派手に立ち回ったせいで鬼狩りの強いのが大挙して遊郭に押し寄せてきたのだ。連中が地上を徘徊する間、二人は地底に身を潜めてじいっとしていた。数か月もすると連中は、鬼が縄張りを捨てたと思い込んで、もはやこの地は警戒に値せずと姿を消した。鬼狩りが一人残らず消え去って、それからようやく二人は地上に舞い戻ったのである。

 今回もその時と同じようにする。確実に敵を仕留めるために逼塞するのは、苦でも屈辱でもなんでもない。柱を倒す時は単独撃破が鉄則だ。一人の柱を倒すのは、妓夫太郎たちにはそれほど難しいことではない。それでも、群れてかかってこられると厄介である。用心するに越したことはない。それがゆうに百年を生き長らえた鬼の処世術というものだ。個に多数でかかることの強みを、妓夫太郎は他のどんな鬼よりも理解している。

 堕姫は兄の言葉にしぶしぶ同意した。そして兄の背にくっついたまま、足をぶらぶらと揺らして「お腹空いたあ」と無邪気に言った。妓夫太郎は帯に取り込まれて眠っている人間を指した。

「この女、お前のお気に入りだったろ。こんなときゃいいもん喰って嫌なことは忘れちまえ」

「お兄ちゃんの取り分がないじゃない」

「俺はなんもしてねえからよ。……よしよしわかった、じゃあこっちの女はお前が丸ごと食えばいい。で、そっちの女は頭から股まで割いて丁度半分こだ。な、それでいいだろ」

 妹と違い、妓夫太郎は口にするものの選り好みをしない。老いた人間も病気の人間でもなんでも喰う。うまそうな人間の肉は、進んで妹に分けてやっている。それでも兄の方がよっぽど強かったのだが。

 うまそうな人間といえば、今回の戦いで唯一、堕姫に肉薄してその頸を落とした女。あれは惜しかった。是非とも妹に食わせてやりたい上質な肉だった。しかし、あの怪我の具合では生きてはいまい。残念だ。

 堕姫は兄になだめられてようやく機嫌を取り直した。それから手前に吊るしたお気に入りの花魁の女へと、木に実った果実をもぎ取るがごとく手を伸ばした。こいつは幸せだ。眠っている間にことが済む。生きたまま炎で焼かれるよりも遥かに慈しいことだろう。妓夫太郎はそう思う。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。