寒椿の君   作:ばばすてやま

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3-1.小話、胡蝶姉妹

 真夏の日盛りが青く茂った葉々を照らして光っている。

 走り込みと素振りの日課を終えて蝶屋敷に向かう途中の道で、椿は村田と出くわした。

 村田は時期は違うけれども同じ育手に師事した、いわば兄弟子である。村田のほうも、頼る身内のない椿のことを何かと気にかけて良くしてくれている。

 

「この先は蝶屋敷だろ。大丈夫か?具合悪いのか?」

「いえ、私用です。村田さんは任務ですか」

「うん、召集がかかってさ」

「お疲れ様です。どうぞお気をつけて」

 

 横を飛んでいた鎹烏が「オソイ!オソイ!」と喚きながら村田を突き回し始める。村田は「やめろよ!」と追い立てられるように去っていく。その後ろ姿を椿は見送った。

 誰かと出会い別れるとき、これが最後になるかもしれない、という可能性を常に頭の片隅で考え続ける。鬼殺隊に身を置くとはそういうことである。

 鬼を殺し続ける日々にあって、椿はかえって穏やかな心地だった。起きる。飯を食う。戦う。寝る。ときに笑い、謡い、爪弾き、季節の移り変わりに心が安らぐ。

 

 あの時、椿が死んで、真菰が生き残っていたとしたら、彼女もそうして生きていたはずだった。

 

 鬼を殺しながら、椿はまだ生きている。

 

 鬼殺隊に女は少ない。女は男に比べて非力でか弱く、すぐ死ぬ。

 そんな中にあって、胡蝶姉妹は異彩を放っていた。姉は花の呼吸の達人で、妹は毒物に精通している。揃って医学薬学に通じていたので、彼女たちの屋敷には連日、怪我人が運び込まれてきて、治療されて帰っていく。それを鬼殺の合間にこなすのだ。椿は感服しきりだった。

 椿は姉妹と任務で一緒になったり、手合わせを申し込んでいるうちに仲良くなり、手土産など持って屋敷を訪れる仲になったのである。

 「ごめんください」と入り口から声をかけると、少女看護師がやってきて、屋敷の主人たちのもとまで案内してくれる。何やら資料の整理などをしているようだったから、作業の合間を見計らって、椿は二人に声をかけた。

 

「カナエ、しのぶ。珍しい紅茶が手に入ったの。良かったらどうぞ」

 

 姉のカナエが、礼を言って包みを受け取った。

「そうだ、お礼にいただいたカステラがあるの。ね、みんなで一緒にお茶をしましょう」カナエが言った。

「だめよ。姉さんはまだ仕事が終わってないでしょ」

「少しだけ!しのぶ、少しだけだから」

「……もう、少しだけよ」

 姉妹が仲良くしているのを見るのは心が和んだ。

 年頃の娘たちが三人も集まってすることといったら、その辺の町娘であろうが鬼狩りであろうが、相場は決まっている。人の噂話ほど楽しいものはないのである。

「先日、岩柱さまが野良の子猫に餌をやろうとしていたのだけど」

「ふんふん」

「猫が怖がって餌に近づかないの。だから岩柱さま、その場を離れられて、遠くの木立から様子を見守っていらしたわ」

「きっと撫でて愛でてあげたかったでしょうね」

「お優しい方よね」

「かわいいわね」

「かわいい」

「素敵……」

 しのぶはうんうんと頷いた。カナエはどことなくうっとりしていた。

 お茶休憩は小半時ほどで終わり、カナエは名残惜しげに仕事に戻っていった。二人でティーカップと皿を片付けながら、しのぶが切り出した。

「椿、この後時間があったら、稽古に付き合ってもらえる?」

「ええ、大丈夫。元々そのつもりで来たから」

 片付けを終えると、二人は連れ立って庭に出た。竹刀を構えて向き合う。

 しのぶと椿が竹刀で打ち合い稽古をすると、これは椿の方が強い。しのぶの突きは速さといい威力といい見事だが、まだ発展途上で、椿にはこれを躱すことができる技がある。

 しかし、鬼を殺す、という技術においては、しのぶの方が一枚も二枚も上手だった。彼女の調合する致死毒の前には、ほとんどの鬼は敵わず死んでいく。

 翻って、椿にとってその辺の雑魚鬼は脅威ではなかったが、頸の硬い、または特殊な技を使う鬼の首を落とすとなると、とたんに決め手にかける。

 強力な鬼との戦いでは、単純な力勝負のみならず、戦術眼や経験則も問われる。これらを養うには、より多くの戦いを重ねて、経験を積むより道はないだろう。しかし、自分は果たしてそこまで生き延びることがかなうかと、椿は時折考える。椿は十二鬼月のように強力な鬼に遭遇したことはなかったが、このままでは出会ったが最後、あっさりと殺されてしまうだろうという予感があった。もっと強くなりたいのは山々だが、しかし、鍛錬を重ねた程度で早々強くなれるならば誰も苦労しない。

「しのぶ、また強くなったね」

「本当に?」

 しのぶが明るくなってぱっと笑った。

「ええ、さっきの一撃、今までで一番速かった」

 夕方を前に稽古を終える。椿が身なりを整えているのに、しのぶは俯いたまま、しかめ面をしている。椿は頭が半個分ほども低い場所にあるしのぶに向かって呼びかけた。

「しのぶ、どうしたの?」

「なんでもない」

「なんでもないことはないでしょう。そういえば、先程右の脚を強く払ってしまったわね。痛む?」

「ちがう」

 しのぶが観念して、大きく息を吐いた。

「背が伸びなくなったの」

 下を向いたまま、しのぶはぽつりとこぼした。

「去年までは少しづつだけど伸びていたのに、止まっちゃった」

 しのぶはもとより華奢で、身体のつくりの何もかもが小さい。手のひらの大きさなど、刀を握れているのが不思議なほどだ。

「悔しい。私も鬼の頸を斬れるくらい、強い力が欲しかった。そうしたら、もっとたくさんの人を助けられたのに」

 気の強いしのぶが漏らした滅多にない弱音に、椿はかける言葉がなかった。

 先日のこと、府中の辺りに鬼が出るというので、しのぶを含めた三人が任にあたった。うち二人は死に、しのぶだけがほとんど怪我も負わず生きて帰ってきた。その鬼は逃げ、今は柱が追っている。まだ割り切るには時が浅すぎた。

 僚友や無辜の人々が鬼に喰い殺されるたびに、自分一人のなんと無力なことだろうと、人智を超えた力を振るう鬼狩りですら、思い尽きぬことだ。

 それでもしのぶは泣いていない。心の強い子だと椿は思った。

「ごめんね、ばかなこと言って」

「いいえ。私も同じことを思うもの」

 男たちに混じって戦うと、体力のなさを痛感する。みなと同じ時間戦っているのに、一番先にへばって刃の冴えが鈍る。悔しかった。

「私たち、みんな一度は岩柱さまのようだったら、あんな風に強くなれたら、って思うものね」

 しのぶがふふ、と笑って同意した。

「ないものねだりしたってしかたないから。どうやって戦えるか考えた方が、ずっといいわね」

 ようやく上を向いた。しのぶは笑っている顔が一番いい。

「ごめんね、こんなこと姉さんには言わないで。困らせるだけだから」

「カナエはしのぶに迷惑をかけられたって、全然構わないと思うけれど」

「だめ、だめ。言わないで」

 

 四日後、椿は東海道沿いの旧い宿場町に赴いた。

 相次ぎ子供が行方知れずになるのだといい、指令に従い調べていくと案の定、鬼の仕業であった。追い詰めた鬼の鋭い牙と爪は只人ならばひとたまりもないだろうが、幸い椿の敵になるような相手ではなかった。誰にも知られぬ内に斬り捨て、その足でさっさと本拠に帰還した。

 懐の時計を見ると午前四時過ぎである。直に夜が明けようとしていた。帰って休もうとしたが、神経が逆だって寝付けそうにない。

 ふと思い立って、鬼殺隊の隊士を弔う菩提寺に足を向けることにした。

 堂には絶えず新しい位牌が納められ、境内に線香が上がる。こうして身寄りあるものも無いものも、みな死して等しく霊を慰められているわけである。

 仏殿の前に人の姿があったので、このような時間に先客かと思い誰ぞとみやると、絹のような美しい黒髪と蝶の髪飾りに羽織。胡蝶カナエであった。

 

「カナエ」

 椿が声をかけると、彼女もこんな時間に人に出くわすとは思いもよらなかったと見え、驚いていたが、すぐに表情を和らげた。

「お帰りなさい。任務は終わったのね?怪我はない?」

「ええ、ご覧の通りよ」

 二人はそれから、墓地の方まで一緒に歩いた。蝉の声も聞こえぬ静けさだった。

「しのぶのこと、ありがとう」

 元々、しのぶとのやりとりを、カナエには見透かされているような気がしていたので、さして驚きはなかった。カナエが可愛い妹の苦悩を見逃すはずがないのだ。とはいえ、約束が約束であったから、礼を述べられる筋合いもないと思った。

「さあ、なんの話かしら」

 カナエもそれ以上はなにも言わなかった。

 墓参を終えるのと時同じくして、東の空から日が指し始めた。無意識にほっと息を吐く。山際に見える朝焼けは美しかった。

「綺麗ね……」

 カナエの横顔には、凛とした美しさが漂っていた。

「お館様にお目通りをしたの。柱の一人が引退するから、その後釜にって」

「まあ」

 カナエはすでに柱となる要件を満たしていた。だから、次に柱が欠けた時、その席に着くのが彼女であることは予想されていたことだった。

「カナエ、おめでとう」

 椿がカナエの両手を包んで祝福すると、カナエは「ありがとう、椿」と言ってにこりと笑った。

 椿はカナエが鬼から人々を守りたいと、その一心で柱を目指していたのは知っている。それに、柱になれば妹を継子にできるのだ。柱は継子が受ける任務に采配を加えられるようになる。鬼狩りはどうあがいても死地にある。同じ死地でも、せめて姉妹共に向かうことができるならそちらの方がずっと良い。

「よかった。椿が祝福してくれるか気になっていたの」

「どうして?」

「だって、以前、鬼狩りが鬼を哀れむなんて信じられないって、そう言っていたじゃない。そんな人間が柱なんて……」

 そう、確かにそんなやりとりがあった。鬼を哀れむ、まして鬼と仲良くするなどと、椿には正気沙汰とは思えなかったから、強い言葉でカナエの言を撥ねたのだ。

「私はカナエの言っていることに一つも賛同はできないけれど、あなたがあなたの信条を貫く分には否定しません」

「椿……」

 カナエの優しい瞳に、椿は先立った少女を思い出した。鬼に殺された彼女も、同じように優しい眼差しで椿を見つめてくれた。

「けれど、あなたは強いけど、優しすぎるから……その優しさが、いつかあなたの身を滅ぼさないか、それだけが私は心配」

 

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