寒椿の君   作:ばばすてやま

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幕間
26.花ある君と思いけり(前)


 神経質で粘着質、非力そうな見た目でいてなかなか強い、変幻自在の太刀筋、そして病的な女嫌い。

 これらが蛇柱の評判のすべてだ。

 病的とはどのくらいかというと、道行くうら若き乙女たちから漂うおしろいの匂いにすら反応して顔をしかめる有様である。不死川からすると、男に生まれて女が好きでないというのがどうにも理解の範疇外だが、他人の嗜好に口を挟む趣味はない。他の柱も押し並べて不干渉の構えを取っていたが、唯一宇髄だけが「お前そういうのはよくねえぞ」と玄人女の世話をしようとする。本人が嫌なものは仕方ないだろうがよしてやれと言うと、宇髄は別に男女の関係になれと言うんじゃない、わかってねえなあと首を振った。

「ああいう手合いがへたに女に入れ込むと厄介なことになるんだ。極端は極端に振れやすいからな」

 酒の力を借りて話でもすれば相手が得体の知れない怪物ではなく言葉の通じる人間なのだと理解できよう、屈折した女性観はさっさと捨てておくに限る、それが本人のため引いては世のため人のためになるんだ、と言うのが宇髄の持論だった。

 この男が世間の道理を説いているのがそもそも噴飯ものだったので、その時は一笑に付して終わったが、今となっては奴の懸念もあながち的外れではなかったな――と、不死川は遠い目をした。

 伊黒は先だっての柱合会議以来、完全に様子がおかしい。今も出された茶にも手をつけず、時折物憂げなため息をついては虚空に視線をさまよわせている。

「足元が心許ないので靴下を贈ろうと思うんだが……喜んでもらえるだろうか……」

 特別の関係にない異性に対して、肌に触れる衣類を贈るのは、一般的には非常識に分類される行為であろうが、相手は甘露寺である。甘露寺はその意図にあれこれ思い巡らして、邪険にするような女ではない、と思われる。よって、不死川は、悪くはないだろうと答えた。伊黒はずいぶん励まされた様子で「では、次に会った時に渡そう」と言った。不死川にではない。首に巻いてる蛇にだ。

 伊黒はこうなってしまった理由は明白で、あの新しい柱の女、甘露寺蜜璃に激突(ぶつかったわけではないが、こう言い表すのが一番しっくりくる)したからだ。

()()はなんだ」

 会議が終わった後、呆然としながら松の木の下に突っ立っている伊黒に、不死川は手短く「女だろォ」と答えた。

「女」

 伊黒はぽつりと言った。

「女か」

 不死川は察しが悪い男ではないから、すぐに伊黒が、俗にいう一目惚れ状態に陥っていることに気付いた。これで恋煩いで剣を握る手も覚束ないと言い出した日には張り倒すところだが、今のところ職務に支障は見られない。となれば不死川が何か口を挟む筋合いもない、はずだった。

 辟易するのは、伊黒が頻繁に口実を作っては風柱邸に上がりこみ、不死川にそれとなく、普通の女性は一体何を好むのかとか、どうしてやったら喜ぶのかとか、そういうことを聞くようになったことだ。これには参った。そも相手は女である前に甘露寺である。どう考えても煉獄に聞くのが一番手っ取り早いが、それはもうやっていて、その上で不死川に意見を求めているらしい。お手上げだ。暇かお前。

「俺は女の考えることなんざわからねェぞ」

「お前は自分がわからないということをわかっているから良いんだ」

 物知り顔の教えたがりよりはずっとまし、伊黒はそう考えているらしい。もともと伊黒と対等に口を利けるのは同格の柱の同僚くらいで、女の胡蝶にはこんなことを相談できないし、宇髄と不死川以外の男連中には一切女っ気がないし、そして伊黒は妻を三人も持つような破綻者に聞くことは何もないと思っている。

 最悪な消去法による人選とはいえ、頼りにされれば応えてやりたくなるのが人情というものだ。

 それで不死川は、最初はそれなりに真面目に相手をしてやっていたのだが、近頃ではこう何度も訪ねてこられてはたまらない、という気持ちの方が強くなりつつある。

 今日などは久しぶりの休みだったので、椿を連れて墓に参り寺を詣でるつもりだったのだ。古刹近くにある沼畔の彼岸花の群生は今が一番の見頃だ。休日のささやかな息抜きを妨害された不死川の忍耐が限界を迎えようという頃、椿が抹茶のお代わりを持ってやってきて、

「一時から北山の方で俳諧の運座があるそうですよ」と伊黒をうまい方向に誘導した。この男はこれで俳句に造詣が深く、素人ばなれしているらしい。

 伊黒は椿に促されるまま、見ている方が不安になるような足取りで風柱邸を後にした。

「伊黒さま、大丈夫かしら」

 椿は、伊黒に対して初対面で大失態をやらかした引け目がある手前、たまの休みを狙って頻繁かつ無遠慮に家に上がりこまれても、嫌な顔一つせず丁重にもてなしてやっている。立派だ。

「大丈夫ではねえが、どうにもならねえよ」

 色恋沙汰に付ける薬はないと相場は決まっている。

「ねえ、伊黒さまが入れ込んでいらっしゃる甘露寺さまって、どんなお方なの?」椿は興味津々である。「聞けば煉獄さまの秘蔵っ子で、大した力持ちだそうじゃないの」

「どんなっつってもなァ……」

 不死川とて、甘露寺蜜璃とは先日の柱合会議で一度顔を合わせただけだ。一遍通りの見識しかない。奇抜な髪の色をした若い女で、柱で、恋の呼吸を使う。……恋の呼吸って何だ?

 しかし、力持ちと言うならばそうである。

 柱には新入りが加わると、力比べの腕相撲で優劣を決する慣しがある――慣しと言ってもどうせあのお祭り男の宇髄あたりが言い出したことだろうが。それはともかくとして、甘露寺はこの腕相撲において、柱の中でも腕力上位である煉獄や不死川や冨岡と、これがなかなかいい勝負をしたのである。

 不死川は素直に感心した。甘露寺はこのなりで、屈強な大男も裸足で逃げ出す煉獄の扱きにも、心身に過酷な任務にも耐えてここまで来たのだ。女だてらで柱にまで登り詰めるのは並大抵の努力家ではない。

 それにそう、場違いなほど屈託がない人柄も彼女の特性に挙げられよう。その気質で師の煉獄からは随分可愛がられていたようだし、隊士や隠たちからも好かれているようだ。

「つまり、とても魅力的な女性なのね」

「まあ、世間並みに言やそうなんだろうがよ」

 あの明るさは不愉快ではないけれども自分には少し眩しすぎる。それに、不死川の考えには守旧的なところがあり、年頃の娘子が胸元を寛げて、太腿を剥き出しにして平然と巷を闊歩するなどというのは、ちょっとどうかと思われるのである。

 私も一度お会いしてみたいわ、と椿が言ったところで、ひゅいと鴉が縁側から飛び込んできた。椿が復帰するのに伴って、殉死した前任に代わって付けられた鴉だ。

『お館様からのお手紙です』

 緊張が走った。不死川は反射的に刀台に置いた日輪刀に手を伸ばした。

 椿が鴉の足に括りつけた手紙を開いて読み入っている間にも、不死川は出立の支度を進めた。やめろと言わないのは、つまり、そういうことだ。

「十二鬼月の下弦か、もしくはそれに準ずる鬼であろうと」

 椿は読み終えるなり手紙に火をつけて焼き捨てた。

「どこだ」

「今朝未明、見沼付近を北へと移動しているのを鴉が目撃したのが最後」

 不死川の頭は素早く回転した。関東平野はこの数日、秋晴れで澄み渡っている。まだ周辺で身を潜めているに違いない。

「日が高いうちに追い付くぞ」

 椿は完璧に不死川の意を汲んで手配を進めて、半時間とたたないうちに車上の人となって目的地に向かっていた。

 何もかも椿が一緒にいると手際良くことが運ぶ。

 情報収集のための聞き込み一つをとっても、初対面の人間の心をほぐして聞き出す術は無骨な男には到底かなわない。見知らぬ土地でよそ者と怪しまれても、男女の連れというのはただでさえ警戒心を抱かれにくいものだ。それに、彼女はそうしようと思えばいくらでも人当たりよく振る舞えるのである。

 そして、鬼との戦いの場では、本人がそう言った通り、決して足手纏いにはならなかった。

 つまり、椿を任務に伴うようになって、困るようなことは何も起きず、不死川はかつてなく心身ともに充実した日々を送っている。不道の分際でこれほど幸福でいることが許されて良いのかとさえ思う。

 鬼は見立て通り、森の中で身を潜めていた。挟撃で逃げ場を失った鬼の首はあっけなく落とされ、任務はつつがなく終わった。どこのバカだこんな雑魚を十二鬼月呼ばわりしたのは。

「――で、次は」

「次はねえ、九州」

 不死川が救援を求めた隊士を散々に叱り飛ばしている間にも、矢継ぎ早に指令が下る。椿は地図を広げて、先遣隊では手に負えないらしく、厄介な血鬼術を持った鬼が潜んでいそうだと細々とした説明にかかった。話を聞く限りでは長丁場になりそうな任務だ。

 二人は途上、乗り継ぎで次の汽車を待つ間、駅の近辺で飯屋を探すことにした。急いでどうにかなるものではない。もともと目的地に着くまでには数日を要するのだ。

 駅を降りると、海が近いためであろう、潮の香りが鼻をついた。東京には比ぶべくもないが、大通りに密集した建物のそこかしこにけばけばしい幟がはためいており、活発に人が行き交っている。

 その人込みの中に、鬼殺隊の隊服を着用した、これまたけばけばしい桜色の髪をした女の姿があった。

 あんななりをした隊士を不死川は一人しか知らない。椿も、すぐにそれが仲間だということにすぐに気付いた。

「もしかして、あの方が甘露寺さま?」

「そう、だ……」

 不死川の肯定の言葉は力なく消えていった。

 甘露寺の後方十間ほどの距離に、彼女を後ろから尾ける縞の羽織を着た男がいる。

「……ところで、伊黒さまは何をなさっているのかしら?」

 そんなことは俺が聞きたい。

 伊黒はこそこそと電柱のかげに隠れながら、付かず離れずの距離を保って甘露寺を追いかけている。どこからどう見ても立派な変質者だ。今すぐこいつと知り合いなのをやめたい。

 手を出すか他人のふりをするか、しばしの葛藤の挙句、往来の公序良俗を乱す同僚を放っておくわけにもいかず、不死川は伊黒に無言で近づき、隙だらけの後頭部に拳骨を入れた。

 不意打ちを食らった伊黒は、さすがの体感で無様に地面に倒れるようなことはしなかったが、後背を振り返り自分を殴りつけた男を怒りとともにねめつけた。

「何をする不死川!」

「何をするはこっちのセリフだぜ、女を付けまわすなんざ気色わりィ真似しやがって!」

「付けまわすだと!?人聞きが悪いにもほど……が……」

 伊黒は冷静に自分の所業を見つめ直した結果、「そんなつもりは……」と頭を抱えた。無自覚か。いよいよ末期だ。

 その間に甘露寺は煉瓦造りの建物に入ってしまった。看板からして洋食屋のようだ。

「見れば甘露寺さまはお食事のご様子。同行を申し出れば良かったでしょう、知らぬ仲でもなし」

「初めはそうしようと思った」伊黒が苦々しく言った。

「話しかける機会を逸してしまっただけだ……」

「言い訳すんなァ」

 そこからの椿の決断は早かった。撃沈している伊黒の首根っこを半ば引きずって店の扉を開くと、一直線に桜色の女の前まで行って「もし、甘露寺さま」と声をかけた。

「はい?あら、伊黒さんっ不死川さんっ、お元気でしたかあ!」

 華やぐような陽の気に居心地の悪さを覚える。この率直さは年頃の娘たちの中にあっては普通なんだろうが、異常の中の普通は異様である。慣れない。

 椿が同席しても良いかと問うと、甘露寺は満面の笑顔で快諾した。

 四人がけの洋卓に不死川は妻と並んで席に着いた。向いには伊黒、はす向かいに甘露寺。椿は不死川の収まりの悪さなどどこ吹く風で、店員が持ってきた、よくわからん片仮名だらけのハイカラな単語が踊っている品書きに目を通している。

「もう決めた?私のおすすめはねえ、ビーフシチュー!」

 不死川には特に意見が無かったので、じゃあ私たちもそれにしましょうと、椿は流れるように店員に注文を申し付けた。伊黒は水を頼んだだけだ。

 伊黒が人前で飯を食わない理由には所説あり、食い物に毒を盛られたことがあるので人前で食事をしないんだとか、包帯を取るとものすごい醜男なので気にしているからとか、好き勝手な憶測が隊内で飛び交っている。

 なお、不死川はかつて丸三日ばかりだろうか、任務のために一睡もせず常に行動をともにしていたのであるが、自分が握飯で腹を満たし清流で喉の渇きを癒していたにもかかわらず、伊黒においては一切の飲食を絶ってぴんぴんしていたことがあったので、少食で足りる体質なんだろうと理解している。

「甘露寺さまはよくこちらに?」

「先月からこの地域の警備担当を任されたの。東京と違ってこの辺りではまだ洋食屋って珍しいそうなのね、それで毎日通ってたらお店の人と友達になっちゃってね……」

 女たちの話の種は尽きない。弾んだ声で、()()なんて仰々しくて仕方がないから下の名前で呼んで、では私のことも、出身はどこ、ご趣味はなに、好きな動物は、とありとあらゆる方向に話題が飛んでゆく。不死川は女子二人の会話に耳を傾けるのを早々に放棄して、店員の運んできたビーフシチューに手をつけた。中々いける味だ。

「伊黒さん、本当に何も食べなくて大丈夫?」

 甘露寺が気遣わしげに言った。

「いや、空腹ではないんだ。……心配をかけてすまない……」

 水にさえ手をつけない伊黒とは対照に、甘露寺の前にはオムライスだのカツレツだのがひっきりなしに運ばれてくる。そして甘露寺はそれらを平然と平らげる。そろそろ身体の体積と皿の上に乗っていた食い物の質量が換算が釣り合わなくなってきた。不死川は半目になり、椿はきょとんと目を丸くし、伊黒だけが険の削げ落ちた眼差しで甘露寺を見守っている。

「た、食べ過ぎかな?しのぶちゃんとか、心配になるくらい少食だものね……でも、私はこのくらいご飯を食べないと力が出なくて……」

 二人の視線に気まずくなったのか、甘露寺が恥ずかしそうに口ごもった。椿は安心させるようににっこりと笑った。

「何もおかしいことはありませんわ。しのぶは小柄だし、筋力を使わない戦い方をしますもの。私もよく食べすぎだなんて笑われますけれど、そんなことを気にしていては戦えませんでしょう?」

 甘露寺はそれで元気付いた。同じ女の椿が自分もよく食うと言ったのが嬉しかったらしい。いやしかし、確かに、椿はたいがい食欲旺盛な方と思うが、まだ常識的な大飯喰らいの範疇に収まっていると思われる。一方の甘露寺だが、これはもはや質量保存の法則への挑戦だろう。

「蜜璃さんはどうして鬼殺隊に?」

 甘露寺が、一番下の弟を揺り木馬に乗せて遊んだ話をした後で、椿がつい思わず、という風に問いかけた。鬼殺隊にいる女たちはおしなべてよほどの事情があってこんなところまでやってくるのである。そして甘露寺には、よほどの事情があるようには到底思われない。

 甘露寺は、伊黒と不死川の顔を交互にちらちらと見たかと思えば、顔を真っ赤にしてこそこそと椿の耳元に囁いた。

「それは……まあ……女性にとっては死活問題ですものね」

「そうでしょ?そうでしょ!?」

 椿は眉間の間を指で押さえた。頭痛を覚えるような理由だったのか……。

「そうそう、椿ちゃんって……やだっ、もうこんな時間!」

 甘露寺はぴゃっと立ち上がった。ここから離れたところで調査部隊の隊士たちと待ち合わせをしているんだという。

「みなさん、お先に失礼します!」

 甘露寺は、不死川に一礼をし、椿とは今度一緒にパンケーキを食べましょうと約束をして、最後にちぎれるほど手を振りながらこう言った。

「――伊黒さん!先日いただいた靴下、私の足にぴったりだったわ!本当にありがとう!」

 そして光輝くような微笑みを残して、春の嵐のように去っていった。

「誠実で優しくて明るい、お日様のような方ですね」

「ああ、そうだな」伊黒が呆けながら返事をした。

「……」

「……」

「……で?」

 椿は詰め入るような目つきで伊黒に向き直る。その威圧感に、伊黒のみならず、なぜか不死川までもが責められているような気分になった。

「伊黒さまのお気持ちは決まっております。そして蜜璃さんのご事情も理解しました。となれば、貴方様がなさるべきことは一つしかないと思いますが」

 男二人が揃ってはてなんであろうと疑問符を浮かべていると、この物分かりの悪さに任せていてはらちが明かないと思ったのか、椿がじれったそうに言った。

「決まっているでしょう。――求婚なさいませ」

「キュ!??」

 伊黒が首を絞められたような声を上げて絶句した。

 不死川は一体全体何を言い出すのかとはらはらしたが、しかし椿は今、誰もが口に出したくて仕方がなかったが他人事と気兼ねして控えていた核心をずばりと突いて見せたとも言える。

 伊黒が甘露寺に想いを寄せているのは、声変わりもまだな子供の時透さえそれがどのようなものか理解しているくらいに一目瞭然なのである。しかも当の本人である甘露寺ただ一人だけが、そのことに一切気付く様子がない。甘露寺に何も期待できない以上、伊黒が行動を起こさなければ何も進展しようがない。

「なぜ、きゅ、求婚なぞという話になるんだ」

「なぜって、彼女とお近づきになりたいから、散々この人相手に問答を重ねていたんでしょう」

「意味が分からん。お近づきになりたいだのなんだの……俺はそんな大それたことは考えていない」

「あの方のことを愛していらっしゃるのに、傍から見ているだけで満足なんですか?」

 椿はこともなげに言った。伊黒は半分魂が抜けかかってる。

「一体何の……誰の話をしている」

「伊黒さま、蜜璃さんのこと好きですよね?と言うお話しですが」

「……」

「もしかして、自覚がなかったんですか」

 嘘だろ。鈍感同士かお前ら。

 椿は呆れてため息をついた。

「伊黒さまがそれがいいというなら無理にとは申しませんけれど、指を咥えて見ているだけではそのうち他の殿方に掻っ攫われますよ。蜜璃さんは誰がどう見ても素敵なお嬢様ですもの。後からこうしておけば良かっただなんて、後悔しても遅いですからね」

 椿は自分の言いたいことだけ一方的に喋り倒した挙句、敢然と席を立った。不死川もそれに倣った。

 全身から汗を流しながら硬直してる伊黒は放置した。これ以上へたに声をかけると舌を噛んで自決しそうだったのである。

 

 定刻通りに出発した旅客車は、季節柄もあって賑わっていたが、幸い、二人の入った個室には後から入ってくる客もない。

 椿はこれが作法だと思っているので、席を詰める必要もないのに膝をまとめて小さく座っている。駅を出てしばらく経つと、思うところがあったのか、落ち込み気味に

「ちょっと言い過ぎたかしら」と呟いた。

 不死川は肩にこてんともたれてきた形の良い頭をよしよしと撫でた。

「いや、あいつにはあれくらい言ってやって丁度良い」

 椿が伊黒相手にあそこまで言いたい放題したのは驚いたが、もしかすると頻繁に家に上がり込まれたので鬱憤が溜まっていたのかもしれない。だとしたら申し訳ないことをした。次からは情けをかけずに門前払いを食らわせることにしよう。

 それにしても求婚は飛びすぎだろう。そう言うと、椿は、「男が好きな人に誠意を見せたいならそれしかないじゃない」と膨れた。それしかないのか。

『吾輩はどうかと思いますがなあ。発想がいささか短絡に過ぎるのでは』

 個室なのを良いことに車中に潜り込んできた鎹鴉が椿の膝の上で羽を伸ばして休んでいる。お前は外に出ろ。

「あら、お前はいつから人間社会の機微に聡くなったの」

『これは手厳しい』

 椿はちょっと意地悪そうな笑いを浮かべて鴉をうりうり撫でまわした。鴉はどことなく嬉しそうだ。こいつ雄かよ。死んでくれ。

 ところでこの鎹鴉であるが、ほかと違って人間と遜色ないほどに達者に人語を解する。並みとは異なる特別な訓練を受けた鴉であるためという。

 近頃、椿は産屋敷邸に呼ばれることが増えた。特別な鎹鴉を付けてもらえるのも、頻繁に差し向かいでの面会を許されているのも、彼女が柱とはまた異なった形で重んじられている証拠で、不死川はそれを名誉なことと思うが、椿はたいてい、あそこから戻ると難しい顔をして自室に引きこもってしまう。悩みがあるなら聞いてやりたいが、互いにそれぞれの領分に関して守秘義務があることは理解しているので、おいそれ嘴を突っ込むのも憚られた。

 

 西国の地の任務は想定していたよりも早く終わった。それでも本拠に帰ってきた時には、もう寒風が骨に染みるような季節だった。

 

 帰宅してしばしの骨休めの間、女中に留守の間に変わったことがなかったかと聞くと、息子たちが旦那さまから頂いた甲虫がことごとく死んでしまったので悲しんでおりましたとか、玄弥が何度かやって来ては庭の手入れをして帰っていったとかとか、そういった日々の細々としたことを伝えてくれた。伊黒はこちらの不在を知ってか訪ねてくるようなこともなかったそうだ。結構なことだと差し当たって安堵したのもつかの間のことだった。

 椿は早々に趣味でやってる謡の稽古に行ったのが、そこから戻ってくるなり深刻そうに口を切った。

「もう聞いた?蜜璃さんと仲良くしている男隊士が次々闇討ちされてるって噂」

 悪化してんじゃねえかよ、おい。柱が隊の風紀を乱すな。

「……もういっぺんぶん殴ってくらァ」

 不死川がゆらりと立ち上がりかけたのを、椿が「ちょっと待って」と制止した。

「噂は噂ね。蜜璃さんと仲の良い男性に対して威嚇的なことは確かなことだけれど、今のところ実力行使に出た事実はなさそうよ。……そもそも、本当にそんなことがあったら、さすがにお館様が許さないわよ」

 それもそうだ。不死川は座布団の上に胡坐を組んで座りなおした。

「噂って言やまたあのクソ鴉どもかよ、毎度ロクなことしやがらねえな……」

「根も葉もなければここまで広まったりしないわ。あなただって今私の言ったことを信じたでしょう。そこが問題よ」

 その通りだ。事実がどうかはこのさい重要ではない。柱が私情に端を発する怨恨で隊士を害して回るなどという風聞が信じられてしまうのが問題なのだ。鬼殺隊は恋愛禁止ではないが、節度というものがあるし、何より下位の者たちに示しがつかない。

 しかし不死川の頭で現状を打破する名案など思いつくはずもない。不死川の得意は物事を力ずくでどうにかすることであり、人間関係は不得手の範疇だ。そもそもがなぜ自分が他人の好いただの惚れただのに気を使ってやらねばならぬのか。

 こういう俗っぽいことはこいつの方が慣れているだろうと、ちょうどよくやってきた樋上に経緯をかいつまんで話した。能天気そうな面を下げた樋上は野次馬根性丸出しで目を輝かせている。おおよそ恋愛沙汰など当人たちにとっては命をかけるほど真剣なものでも、他人の目からはこれほど滑稽な笑い話はないものだ。

「へ~、蛇さんそんな感じなんだな」

 樋上はうんうんと頷いた。

「でも気持ちはわかるぜ、甘露寺ちゃん良いよな。こう……ぼーん!ばーん!って感じで」

 不死川の視線が蔑みに満ちた。樋上が「なんだよその目は!」と喚いた。

 男どもを威嚇して回る伊黒をバカだバカだと思っていたが、惚れた女が、こんなアホみたいな男に色目を使われるのは我慢ならない、その気持ちはよく分かる。結局不死川が伊黒を突き放しきれないのもそこなのだ。同情心があるのだ。

 ところでこの樋上だが、小半時間ほど前に、隊士を一人伴って不死川邸にやってきたのだった。

「なんだそいつァ」

「よくぞ聞いてくれた不死川。こいつ、俺の弟弟子の獪岳!いいだろ。お前にゃやんねえから!」

 樋上はばしんばしんと弟弟子と紹介した少年の背中を叩いたが、当人は死ぬほど鬱陶しそうだ。少年は樋上の手を払いのけて、不死川に向かって深々と頭を下げた。

「俺を弟子にしてください」

 何を言い出すかと思えば自分を継子にしろと言う。この強気は自分の腕に自信がある証拠である。悪くない気構えだが、この手の奴には何を置いても初対面で上下関係を叩き込んでおくのが肝要である。「柱を舐めんじゃねえぞ」と生意気そうな面に一発食らわすため拳を作った瞬間、狙ったように椿の腕がするりと絡んだ。

「きみ、まずは私と戦ってみない?」

「はあ……」

 少年は若干、不本意そうである。

「あなた、いいでしょう」

 許可を求めているものの椿の中では決定事項らしく、意気揚々として木刀を手に取っている。

 不死川は彼女の意図を理解した。なるほど気骨があるのは結構なことだが、今この子供は椿を片端者の女とみて面上に侮りの色を浮かべた。見るからに自分より弱そうな女に叩きのめされれば、顔面に一発食らうまでもなくいい薬になるだろう。

 それで不死川は「こいつから一本取れたら考えてやらァ」と言って、椿と獪岳を戦わせて、その戦いぶりで決めるということにした。

 樋上は「がんばれよ~」と実にのんきに構えている。

「どうだ?俺の弟弟子。強いだろ」

「まあまあだなァ」

「褒めてやってくれよ」

「圧されてんじゃねェか」

「無茶言うなよ、相手が相手だぞ」

 少年は執拗に向かって左側、つまり彼女にとっての死角から剣戟を放っているが、椿はそのすべてを軽やかにいなして寄せ付けない。椿は鬼どもがお決まりのように死角を狙ってくるので、いまやそちら側からの攻撃に反応する方が容易くなったとまで言い切っているくらいなのである。そもそも、椿は甲の階級を得て長い熟練の鬼狩りで、踏んできた場数が違う。

「風柱様の弟子入りには足りねえか?」

「『やんねえ』じゃなかったのかよ」

「そいつは言葉の綾だ。あいつ最近どんどん強くなっててもう俺じゃ相手にならねえ。本人も現役の柱に弟子入りしたいって言ってるしな。宇髄さんにもお願いしようと思ったんだけどさあ、最近捕まんねえだよな、あの人」

 それで自分の面識のある柱を回って、頭を下げて回ってるというわけだ。面倒見の良いことだ。

「稽古の相手が欲しいってんなら見てやってもいい。だが継子にはしねェ」

「なんでだよ」

 不死川は少年の戦いぶりを見やった。

「雷の呼吸の型は五つだったかァ」

「いや、六つ」

 樋上が急いで付け足した。

「あいつは壱の型を使えない。だけど、そんなのは問題にはならないだろ」

「テメエが一から鍛え直してやりゃァ済む話だろうが。俺は雷の呼吸のことなんざわからねえぞ」

「あいつが自分より弱い奴の言うこと素直に聞くようなタマに見えるか?」

「相手が強かろうが弱かろうが、自分を弁えて他人に教えを乞えねえ奴はそれまでだ」

 少年の上昇志向の強さは褒めてやってもいいが、不死川にはむしろ、世話になっているはずの樋上や、格下だと認めた人間への酷薄さが気になった。

「他を当たれェ」

 不死川はそっけなく答えた。

「俺がこの通り頼み込んでもダメ?土下座しても?」

「テメエの土下座なんぞ金を出しても見たくねえよ」

 樋上は意気消沈として肩を落とした。

「……ここんとこずっと雷の呼吸から柱が出てない。俺は才能なしで先生を失望させちまった。せっかく弟子にしてもらったのにさ」

 樋上は基本となる五つの呼吸のうち、雷の呼吸のみが柱に名を連ねていないことを気にしたが、不死川にはいまいち共感しかねる焦燥だった。柱の地位は呼吸の別に応じて分配されるような類のものではない。柱になることそれ自体を目的とする根性では、万年経ってもそこに到達することはかなわないだろう。

「だからせめて、同門から柱を出すのを手伝いたいんだよ。あいつは努力家だし見込みがある。兄弟子としてできるだけのことはしてやりたいんだ。それが先生への恩義への報いにもなるしな」

「おい、殊勝で同情を引こうったってそうはいかねえぞォ」

「あ、ばれた?」

 樋上は沈痛な表情から一転してけろっとしてみせた。相変わらず転んでもただでは起き上がらない男だ。

 結局、樋上の弟弟子は一時間続けても椿から一本取ることはできなかった。少年は一応は納得したものと見えて「ありがとうございました」と礼を言い、樋上に連れられて去っていった。

「断ったのね。真面目そうな子だと思ったけれど」

「不服か?」

「私はあなたの決めたことに従うわ」

 拳を差し止めたのはどういうわけかと聞くと、椿はおかしそうに笑った。

「だってあの子、せっかく可愛い顔をしていたのに鼻骨が曲がったままこれからの人生を過ごすのはかわいそうでしょ」

 ……やはり一発殴っておくべきだったか。

 

 この日の夜もまた闇色が濃かった。

 守るべき人の営みがあることを告げる、拍子木を打つ澄んだ音が風に乗って聞こえる。ここは山間とはいえ人里が近い。早々にけりを付けてしまわねばならない。

 不死川は久しぶりに戻った自分の警備区域を駆け回り、鬼の気配を探り出しては一刀のもとに切り伏せた。

 一仕事を終えて麓近くまで戻ると、返り血に濡れた日輪刀を下げた椿が、満ちた月を仰ぎ見て立ち尽くしていた。辺りに鬼の気配はない。一帯の鬼はこれで討伐せしめたもののようだ。

「そういえば、今年の彼岸花、見損ねてしまったわね」

 主に伊黒のせいでな。

「また来年連れてってやる」

「うん、来年……」

 椿はゆっくりと微笑んだ。昼間より、少し元気がないように見える。

「疲れたか」

「平気」

 椿は普通に戦う分には支障がないし、剣の技量のみで言えば柱さえ匹敵するだろう。しかし、一夜を越すには体力が覚束ない。一人で鬼狩りの任務を与えるには不安が残る。

 だからこれでいいのだ。

 明るい月光が、山の緑と小さな湖の面を明るく照らしている。

「昔、珍しい花があると案内されて、家族で見に行ったことがあるの。そう、ちょうどこんな山間の里の近くだったわ。雲一つなくて、お日様が明るくて……」

 椿は夢見るような口調で言った。

「何度もお山の中を探したのに、それきり二度と見つからなくて、……あれは現実のことだったのかしら」

 椿は血の滴を刀身から拭い、鞘に収めた。

「……伊黒さまのこと、良いように収まるといいわね」

 




樋上は獪岳にグチャグチャに殺されるよ 未来の悪魔より

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