大部屋の左右にずらりと寝台が並んでいる。ここには緊急を要しない怪我人たちが集められていて、それぞれ思い思いに寛いでいた。
椿は談笑しているある患者と見舞い客に近寄って声をかけた。
「村田さん、ご無事ですか」
「……無事に見える?」
「ああ良かった。お元気そうで何よりです」
椿は安堵の思いで微笑んだ。
寝台では兄弟子が、全身ミイラ男のように包帯をぐるぐる巻きにされて横たわっていた。しかし、五体満足で生きている。それだけで十分すぎるほど無事と言えた。
村田は先の任務で、全身の骨が小枝のように折れに折れて、全治数か月と医者に言われている。手足は不能で何も出来ないが、首から上は無傷で口だけはよく回るので、見舞いの客との語らいで無聊を慰めていた。それで椿も見舞いに来たのである。
椿の先に来ていた見舞い客は後藤と名乗り、隠に所属してまだ日が浅い。戦場に落っこちていた村田を回収した縁で、仕事の合間を縫って訪ねてきたのだという。
「兄弟子が世話になりました、お勤めご苦労様です」と言って椿が頭を下げると、後藤は逆に畏って、深々とお辞儀を返してくれた。
「何やら、楽しそうにお話しをされていましたね」
「いや、世の中にはとんでもない奴がいるもんだなあって」
「?どなたのことですか」
とんでもないというからには、柱のいずれかかと思ったが、それにしては調子が違う。
「椿ちゃん知ってるかな。冨岡だよ。冨岡義勇」
とみおかぎゆう、と聞いた名前を口の中で転がす。
椿が見舞いに持ってきた柿を、看護師が剥いて持ってきてくれた。村田が食べさせてくれないのかと言いたげな、ものほしげな目線を投げてきたが、椿が無視したので、隠の青年が哀れんで村田に食わせていた。
「ええ、お名前だけは」
「あいつすごいよ。俺らが束で全然敵わなかった鬼の頸、一瞬で落としてた」
聞けば彼は村田の同期なのだという。冨岡は近頃とくに評判の高い男だ。先日は柱との協力で十二鬼月の下弦を一体屠ったと聞く。椿は直に会ったことはないが、それは見事な水の呼吸の使い手だと聞き及んでいる。
「今まで知らなかったのか、同期なのに」後藤が突っ込んだ。
「あんなに強いと思ってなかったんだよ!付き合い悪いしさ、あいつ」
鬼殺隊には公の同窓会はないが、同期同士にはなんとなしに連帯意識のようなものが生まれるのが常であった。椿も同期の何人かと連絡を取り合っている。付き合いの悪いものもいるが、そういう時は事情を察してやって、あまり立ち入らないのが作法と言えた。
「椿ちゃんもすごいしさ、俺、心折れそう……」
村田はもともと、隊員になったばかり頃の椿と手合わせしてまるで歯が立たず、以来、妹弟子に対して完全に自信を喪失している。
「そう落ち込まれずに。村田さんはよく頑張っていらっしゃいますよ」
椿は実際彼を大した男だと思っている。これほどの長い間前線に出ておいて、生き残るのは決して容易いことではない。
「そうだといいなあ」
「そうそう。俺なんかからしたら、お前だって十分普通じゃないぞ」
才に恵まれず隠の道を選んだ後藤からすれば、村田とて立派な剣士である。後藤にとっては鬼狩りの剣士は全員雲の上の人で、見えない雲の中でどっちが上であるかなど些事である。ただし、柱は除くが。あれは天に輝く星のようなものであった。
「上ばかり見てもキリがない。しかし下を見て自尊心を満たすというのは人間としてまっとうなありようではない。結局、自分の目線の高さでものごとを見据えて、己のできるだけのことを精一杯やるのが人の道というものだろ」
「いいこと言うなあ、お前」
「隠に入る時にな、お館様に拝謁する機会があって、こういった類のことをおっしゃったんだ」
後藤がしみじみと言った。
さて、こんな話をした後の次の任務で、どういう巡り合わせか、渦中の人であるところの冨岡義勇と一緒になった。
冨岡は無造作に伸びた黒髪、切れ長の瞳をした涼しげな男で、一見してはとてもそう強いとも思われぬ。しかし、あの清楚にして可憐、性格の柔和なカナエがどれほど腕が立つのか、知らぬ椿ではない。人は見かけに寄らぬと痛いほど知っている。
鎹烏に案内されて鬼の居る場所に向かうと、地面にたんたんと血痕だけが残されていてもぬけの空だった。大方鬼狩りを恐れて退散したのだろう。血の跡を追うと、通りの端っこで人間が蹲り、傷口を抑えてながら震えて泣いていた。髪に白いものが混じる初老の男だ。気配からして、人間で間違いなさそうである。
さてどうしようかと冨岡の方を振り向くと、彼は一瞥くれて「俺が行く」と言い放ち、そしてこちらの返事など待たずに行ってしまった。
階級が上の自分が鬼を追い、相方に怪我人の処置を頼む。
合理的で迅速な決断だ。結構なことである。
椿は男に声をかけ、傷の具合を見てやった。幸い傷は浅く、毒の類もなさそうである。応急処置の後、町医者にでも診させてやれば十分だろう。
男があれは何だったのだと問うので、鬼ですよ、あなたを襲ったのは鬼ですよ、と言うとははあ、といまだ容易に信じられぬけども得心が行ったような面持ちだった。そして「そうか鬼かい、鬼がいるのかい。おばあ様が昔、寝る前に聞かせてくださったおとぎ話は本当のことだったのだねえ」としみじみと言った。
「このような夜分遅くに、どちらへ」
「神田まで出かけた帰りだったのですよ。娘がそこで女給をしとるもんでして」
「そうですか。それは災難でございましたね」
雑談していると、男はだんだんと落ち着きを取り戻してきたようだった。
しかし、冨岡が中々戻らないのが気がかりである。
「旦那様、この通りを下って南南東へ向かいなさい。藤の紋を掲げる屋敷がございます。そこに助けを求められるがよろしい」
「お嬢さんはどうするんだね」
「仲間が鬼を追っていますから、加勢にゆきます」
「ああ、何と言うことを仰る。それはそれは恐ろしい化け物だった。やられてしまうよ、ひとたまりもないよ」
「大丈夫です。鍛えておりますから」
男を鎹烏に任せて、椿は鬼と冨岡の後を追った。
街の外れまでやってくると、行く道を塞ぐようにして異形の鬼が立っていた。反射的に刀を振り抜いて頸を落とす。だが霞でも斬ったかのように手応えがない。
「泥?」
頸を切られたそれはたちまちぼろぼろと崩れてただの土塊と化した。これは血鬼術だ。
「こいつらは分身だ。いくら斬っても意味がない」
横の細道から冨岡が現れて言った。
「本体はどちらに」
「近くにいる」
冨岡はそう言ってすっと雑木林の方を指差した。
一体一体の強さは全くたいしたことがないが、人間を盾に取られると厄介だ。鬼がやたらと数を増やせることがわかった時点で、周囲に被害が及ばぬよう、本体を街の外れまで追い込みながら注意深く戦っていたのだろう。
剣の腕前といい、状況判断能力といい、これは噂になるはずだった。
二人で泥の分身を倒しながら、雑木林に入っていく。見つかったのは子供の姿をした鬼だった。
「殺さないで!」
鬼はもはや泥人形を作る力もないのか、こちらに見つかるや否や両手を挙げて害意がないことを示そうとしていた。
「お願い、見逃して……」
鬼の目には涙が光っていたが、椿には一片の同情の余地もなかった。一度人を食らった鬼が改心するはずがないのだ。
「鬼狩りが鬼を見逃すとでも?度し難い低能ですね」
椿の言を受けて、鬼の殺意が膨らむ。同情を誘って隙を見つけるつもりだったのだろうが、滑稽甚だしい。
椿が刀を振り抜くまでもなく、冨岡の剣が一閃する方が早かった。
水の呼吸・肆の型、打ち潮
あまりの速さに鬼は何が起こったのか気付くこともできないまま、頸を斬り落とされて塵になって消えた。
冨岡の技は、椿が使うのと同じ技であったが、精度が段違いに高い。その剣捌きの見事さときたら、嫉妬の念すら湧かなかった。それが極限の鍛錬の成果を理解できるゆえに。
椿は柱の戦いぶりを見たことがあったから、彼らの凄まじさは知っている。ただ、それとは別に、同じ呼吸の使い手として、冨岡の極限まで練り上げられた技の極地のすごみが理解できたのだ。
この境地に至るまでに、一体どれほどの鍛錬を積んだのか。
しかも、冨岡の技はまだ完成に至っていないことがありありとわかる。この上にいまだ伸び代を残すとは驚異である。
それが理解できただけでも、椿自身も日進月歩で進化を遂げているのであるが、そんなことでは気の取り直しようもなかった。
「……静謐にして流麗なる凪の剣。お見事でございました」
椿の賛辞に、冨岡は居心地悪げに肩を竦めた。
鬼は誅伐され、町には平穏が戻った。月はいまだ中天にある。
「お腹が空きましたね」
「そうだな」
「藤の家紋の屋敷に向かいましょう。何か出していただけるかもしれません」
二人で並んで歩いていると、椿の視線が気になるのか、冨岡はなんだともの言いたげだった。
「どうしたら冨岡さんのように強くなれるでしょうか」
「お前はそれほど弱いとは思えないが」
「足りないんです」
椿の真剣な眼差しに促されて、冨岡はしばし考えたあと、こう言った。
「死ぬほど鍛える。それしかないんじゃないか」
「やはりそれですか……」
結局のところ、強くなるのに近道はないということだ。
いやはて、と椿は思い直した。近道はないが、効率の良い鍛錬というものは存在する。そして効率の良い鍛錬とは、己より強い者に稽古をつけてもらうことだ。
「冨岡さん……いえ、お師様とお呼びしても?」
「は?」
椿の数年にもわたる冨岡への弟子入り願いは、この時から始まったのだと、二人は後々に回想することになるのであった。
ところで、助けた初老の男のことである。
藤の家紋の屋敷を訪れると、先に着いていた彼は二人を命の恩人といたく持て囃してくれた。腹が減ったというと、定食屋の主人だというこの男、屋敷にあった食材で見事な夜食をこしらえてくれた。
こうして冨岡と椿は、ありがたくも彼の店で末長く歓待される権利を得たのであった。