寒椿の君   作:ばばすてやま

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ようやく恋愛パートに突入


一章
4.雁の声でも聞こうか


 

 不死川はその女を初めて目にしたとき、ここはこの世に非ず、眼前に在るのは天女か観音いずれかに相違ないと思った。それほど美しかった。

「お目覚めになったのね」

 女の美しい表情が和らぎ、鈴のような声が上から降ってくる。優しく額の汗を拭われる。やはり天女である。

 今回の任務は、隊士が十数名がかりで取りかかった大捕物で、最終的に柱まで出動させて鬼を討伐することに成功した。不死川は命に別状はなかったが、いささか血を流しすぎて、戦いの後、しばし意識を失っていたのである。それを看護していたのが、後援でやってきた椿だった。これが二人の出会いだった。

「粂野くん、ご友人の意識が戻りましたよ」

 ほっとした様子でこちらにやってくる親友の姿を見とめて、不死川はようやくうつつに帰ってきた。

 天女は不死川の体調に別状がないことを確認すると、他の者の世話に向かった。

「匡近、ありゃ何者だ」

「椿のこと?」

 親友いわく、名を椿と言う。粂野とは同じ年に最終選別を生き残った同期同士で、階級は上から数えて三つ目の丙に位置する。女だてらに腕の立つ剣士で、蝶屋敷に出入りしているうちに、胡蝶姉妹に教わって簡単な医療技術を身につけたので、その腕前を重宝されている。

 

 不死川自身は当初、こうも正気を失い惑わされるのも、意識混濁状態ゆえの気の迷いかと思われた。しかし、しばらくしても女への評価にはいささかの変わりもなかった。

 

 不死川は己の風体が世人に恐怖を与えるのはよくよく承知していたから、縁を繋ぐ望みは薄いと思っていたが、望外なことに椿は粂野の友人と紹介されれば物怖じせず絡んできた。

「不死川くん、いま帰りですか」

「おう」

「ちょうど良かった。うちに寄って行ってくださいませんか。お菓子をもらったのですが、食べきれなくて。捨ててしまうのも勿体ないし」

 ついていくと、卓袱台の上に山ほどのおかきと煎餅と饅頭と、あんこのおはぎ。最後のは一日五度と口にしても飽きない不死川の大好物である。

「どれが良いですか」

「ん……」

 さすがにあからさまに好物を指し示すのは躊躇われた。

「ああ、できれば、おはぎをお持ち帰りいただけると嬉しいのですが。日持ちしないので」

「それでいい」

「ありがとうございます」

 まさか意思が通じたわけでもあるまいが、結果的に一番良いものをもらったわけである。それにしてもこの女と話していると自分が木偶の棒にでもなった気がする。言葉が出てこない。

 椿は不死川に菓子を包んで渡すと、軒先で「それでは私はこれから任務に参りますので、さようなら」と言って別れる。そしてあっという間に去っていった。

 見た目通りのたおやかなだけの女ではなく、存外思い切りが良い。ますます気に入った。

 

 何がそれほど慕わしく思わせるのか。冷たい中に凛と咲く寒椿を思わせる面差しか、豊かな髪か、ふっくらとした赤い唇か、細い首筋か、白い肌か、憂を帯びた青き眼差しか、どう振る舞ってもかすか滲む気品の深さか。様々に並び立てても、理屈で説明できるものではない。

 

 何のことなく、ようするに物凄く好みの女で、一目惚れだったというだけのことである。

 

 そうした親友の変化に、四六時中一緒にいる粂野が気付かぬはずもなかった。

「実弥、ちょっといいか」

 稽古の合間に休憩に誘い、稽古場を出た先の廊下で粂野は単刀直入に切り出した。

「お前、椿に惚れてるんだろう」

 不死川は目の前の柱に強かに額をぶつけた。

「……俺はそんなに分かりやすかったかァ?」

「うん、まあ、ちょっと……」

 恋なんてみんな馬鹿になるものだから気にするな、と言いたかったが、不死川が更に落ち込みそうなので黙っておいた。

「椿は綺麗だし、良い子だものな。気があるなら、俺が取り持つぞ」

 不死川は黙り込んだ後、踵を返して稽古場に戻ろうとした。

「言うつもりはねェよ」

「なんでだ。鬼殺隊は色恋法度じゃないぞ」

「かわいそうだろうが。俺みてェな奴に好かれてよ」

 不死川はすっかり女に惚れ込んでいた。そして、心底惚れているからこそ、長生きしそうな穏やかな男と結ばれて、幸福を手に入れて欲しかった。

 不死川は鬼殺を誓った身である。いつ戦いで果てるとも知れぬ身では、もはや女を女としてまっとうに幸せにする資格はない。

鬼殺隊の隊士のうちには妻子あるものもいるし、三人の妻を娶って憚りない音柱のような男もいるが、そこは個々の主義の違いなので、口を挟む気はなかった。だからこれはあくまで不死川本人の信条の問題だった。

 粂野の意見は不死川とは真反対である。いつ死ぬかわからないからこそ、隠さず想いを伝えておくべきだ。幸せになる機会を逃すべきではない。

「実弥、そんな悲しいことを言うな」

 粂野が静止するのにも耳を貸さず、不死川は稽古場に戻ってしまった。

 これはだめだな。

 粂野は親友の性格をよく理解していたので、この上に背の押しようはないことを承知した。しかし、諦めきれない。

不死川は常在戦場を体現した、抜身の刀のごとき男で、誤解されやすい(そのように本人が振る舞っているためである)が、性根は真面目で優しい男なのだ。粂野が何をおいても幸せになってほしい人間がいるとするなら、それが不死川だった。

 所帯を持つのは人の幸せ、男の幸せである。

 なんとしてでも二人の仲を取り持ちたい。粂野は純粋な使命感に燃えていた。

 

 粂野は翌日、哨戒任務から帰ってきた椿を捕まえて、世間話の体でこう切り出した。

「椿、君も年頃だろう。いい縁談の一つもないのか」

「とんとありませんねえ」

 粂野はほっとした。すでに決まったものがいるとなれば、大人しく引き上げる心算であった。

 椿は自嘲気味に笑った。

「私のようなはしたない女に縁談なぞ来ませんよ」

「何を言うんだ。引くてあまただろう」

「ご好意をいただくことがないでもありません。でも世の中の多くの殿方は、剣をもって男を打ち負かすような愛嬌のない女は御免被るとお考えです。私ももっともだと思います」

 たしかに世人であればその通りかもしれないが、こと鬼殺隊に身を置くものにとって剣の腕がどうこうというのは、欠点にはなり得ない。椿の言は不正確だ。しかし、花柱の胡蝶カナエなどもそうであるが、ああも美しいと、男たちも気後れして、高嶺の花になってしまい、誰の手もつきようがないのかもしれない。

「君自身、誰か、これぞという男はいないのか」

「特には」

 椿はふと思い出したかのように言った。

「ああ、でも、女の子なら、みんな粂野くんのような人と結婚したいと思いますよ。明るくて、穏やかで、聡明で、優しくて……」

「うん……それはありがとう」

 褒め言葉を並び立てられて面映い気分であったが、いま求めている台詞ではなかった。粂野はどうやって話題を持って行こうかと考えあぐねた。

「ねえ、粂野くん。不死川くんに言われて来たのでしたら、もっとはっきりおっしゃったらいかがですか」

 粂野は口を開けたまま固まり、ようやく「知っていたのか」と絞り出した。

「ああ、やっぱり彼だったのですね」

 粂野はものも言えず撃沈した。完敗だった。

「鎌をかけたのか。い、意地が悪いぞ……」

「ごめんなさい。でもおかしくて」

 椿が楽しげにころころと笑う。

「実弥に言われて来たんじゃない。俺が勝手にやってることなんだ」

「ははあ、なるほど。粂野くんは友達思いですね」

 椿は相変わらずおかしくて仕方がないという風だ。いいように手玉に取られているという感覚が拭えない。

「そこで……その……なんだが、いや、やめだ。あいつのことをどう思う?」

 ここまでくれば直球で行くしか手がなかった。椿は少しもの黙ってからこう言った。

「責務に対して誠実でいらっしゃるお方。不道義を許せぬお方。そして心身ともに、己の信念を突き通す強さをお持ちになっている」

「そうだろう、そうだろう」

 親友を手放しに褒められて、これはイケる!と期待に胸を膨らませる。粂野も所詮十代後半の若い男であり、単純であった。

「しかし、先ほども申しましたけども、不死川くんご本人が私を望みますまい」

「そんなことはない。実弥は君にぞっこん惚れてる。それに俺の見るところ、君たちはうまくやれると思う」

 粂野はすでに仲人を通り越して媒酌人まで務めそうな勢いだった。

「俺は君のことを妹のように思っている。これは君には大きなお世話、老婆心かもしれないが……どうか女性としての幸せを掴んでほしい。考えてくれないか」

 

 粂野と話した次の日、椿は山中に分け入って行った。

 ここは岩柱の修行場だ。山腹には悲鳴嶼が住まいとしている庵がある。椿は悲鳴嶼の許可を得て、たびたびここを己の修練の場としていた。

 滝の下で無心無念の境地を目指し、ひたすらに水に叩き打たれる。常中、常中の意気を忘るるな。

 しかし、集中しようと思えば思うほど雑念が胸を過ぎる。今までなかった事態だ。どうしよう。どうにもならない。

 

 ……もうやめよう。

 

 滝行をはじめて半時間も持たず、椿は潔く諦めることにして、滝壺から上がった。

 

 重たい足取りで山の小径を下っていると、反対方向に悲鳴嶼が登ってくるのが見えたので、挨拶を交わした。

「お邪魔しております」と椿は頭を下げた。

「椿、今日も鍛錬か。結構なことだ」

「それが……とんだ腑抜けで、身に入らず仕舞いで。岩柱さまが修行ついでに私を滝壺に沈めていただけると、大変ありがたいのですが……」

「?」

「いえ、なんでもありません。失礼します」

 

 滝に打たれてらちが開かず、椿は大切に仕舞ってある真菰の面を取り出してきて、己に向き合ってみるものの、結果は同じようなものだった。むしろ気の迷いが激しいことだけが浮き彫りになった。

 それで、もはや誰かに相談するしか打つ手がないと、こういうことに一番明るそうな人物のところに向かった。すなわち蝶屋敷の女主人のもとである。

 粂野とのやり取りを、その人物の名前を伏せて掻い摘んで説明すると、カナエは大興奮だった。

「で、どうするの?」

「どうって……どうしようもないでしょう」

「椿、椿、自由恋愛の世の中なのよ。恋はいくらでもするべきよ。こっちから攻めていかないと!」

 柱の仕事で忙しいのではないかと思ったが、カナエは迷惑そうどころかむしろ、こんなに面白いことはないという顔だ。

「わざわざ私のところまで言いに来たのだから、何も思わないわけではないのよね?」

「それはそうなのだけれど」

 粂野には余裕綽々の態度をとってみせたが、その実、動揺は激しかった。目を逸らしていた事実を、改めて目の前に突きつけられると、はてどうしたものかと惑うのである。

「けれど私は殿方と一緒にいるよりも、カナエとこうやってお話しているほうが楽しいわ」

「まあ、椿」

 カナエは椿の言い草に頬を染めた。友人に好意を示されるのはどうあっても嬉しいものだ。

 カナエは椿の手をとって微笑んだ。

「ねえ、一度よく考えてみて。その人と他の人、何が違うの?」

 

 他の人となにが違うか。椿は帰り道につらつらと不死川のことを考えた。

 そもそも、不死川には驚嘆することばかりだった。

 ある時、粂野が稀血とはどんなものか教えてほしいというので、詳しく聞くと、鬼殺隊に属せず鬼狩りをしている少年がいるのだという。日輪刀も持たず、陽の光に当てて鬼を殺し回る。聞けば聞くほど狂っているとしか言いようのない所業だったが、そんなことが可能になるのには理由があった。少年の血に、鬼を酩酊させる効果があるのだという。

 椿もそのような血の種類があるというのは初耳だった。椿の血肉は、忌々しくも鬼にとっては栄養価が高い御馳走なだけである。

 そして粂野と話をしてそう時も立たぬうちに、鬼殺隊の仲間内で、たびたび不死川の名を耳にするようになった。数ヶ月ばかり育手のもとで修行したと思いきや、風の呼吸の全ての型を体得し、最終選別を悠々通過して、段飛ばしで階級を駆け上がっていく、恐ろしい風体の剣士がいるのだと。その出世の早さときたら、流石に当世最強の鬼狩りと誉れ高い岩柱には及ばぬが、それに準じる早さであることは違いないなかった。

 

 隊士の内には、その荒々しい立ち振る舞い出で立ちを畏怖するものも少なくなかったが、椿は初めて会ったときのあどけない寝顔が思い出されて、恐る気持ちも湧かなかった。なにより彼は粂野の友人だった。粂野は最終選別の場で、真菰の弔いを手伝ってくれた唯一の少年だ。それ以来の付き合いで、椿は粂野ほど気持ちのいい男はそういないと思っているし、彼の友人ならそう悪い人物のはずがない。

 

 椿は自分を冷たい、情の薄い女だと思う。

 鬼を殺すために色恋の沙汰は切り捨ててきていた。

 いままでにもたびたび恋慕う気持ちを告白されたことはあったが、みな椿よりも先に死んでしまった。誰も彼も椿より弱かった。彼らの墓前に線香を上げてやるのが、椿の精一杯の心尽くしだった。

 死んでいった彼らと不死川の何が違うのか。

 

 そう、一つ、思いあたることがあった。

 不死川と一度だけ戦場をともにしたその時のことだ。

 

 不死川の剣は強く疾い。椿が一撃繰り出している間に二撃、三撃を鬼に加えて平然としている。

 敵はそれほど強い鬼ではなかったが、表皮が硬く、椿では頸を落とせそうになかった。それで止めを不死川に任せた。

 陽動のために放った椿の突きで鬼の体勢が崩れる。不死川の血走った眼光が敵をひた見据えた。

「いい加減、死に晒せェ!」

 怒号とともに振り下ろされた日輪刀が、ついに鬼の頸をはねた。椿の目でようやく捕らえ切れるほどの凄まじい技の冴えであった。

 その時の不死川の、返り血に塗れ、修羅の形相で鬼を屠る姿。鬼への混じり気のない殺意と憎悪を発散する剣。

 椿の身が震えたのは恐ろしさゆえではない。歓喜だった。

 あの殺意と憎悪が、椿にはたまらなく心地よく感じられたのだ。

 

「……やはり、一度、滝壺に沈んでおくべきだったかしら」

 

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