寒椿の君   作:ばばすてやま

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5.一歩も動けない動いていない

 

 ほんの一時期のことだが、少女の面倒を見ていたことがある。

蝶屋敷にいるカナヲとは違い、拾って連れてきたのではなく、向こうからやってきたのである。

 この少女は体も小さく才能もない身だったが、どうしても剣士となる道を諦められず、死に物狂いの鍛錬で何とか鬼狩りとなった。しかし、椿としてもなぜ最終選別に生き残れたのかわからないほど弱かった。

 同じ女性で、水の呼吸を使っていたので、任務で面識を得た椿に懐き、弟子入りしたいと押しかけに来て我が家に居座ることになった。自分も同じようなことを冨岡相手にやっている自覚があった手前、強く言って追い出すこともしなかった。

 小さく愛くるしいなりをしていて、くるくるとよく働くので、椿は小鳥になぞらえて、少女をすずめ、と呼んでいた。少女もそれを嬉しがった。

 椿は人に教えられるほどものを修めていない。よって、彼女を弟子とは呼ばなかったが、どこかそそっかしくも明るいこの少女と一緒にいるのは楽しかった。寝食をともにしていれば自然、情も湧くと言うものである。

 訓練には手を抜かなかった。

 ある時、稽古場で少女を散々に打ち据えたことがあった。反吐まみれでうずくまるすずめに向かって椿は叱責の声を緩めなかった。弱すぎるのだ。

「いまから少々、厳しいことを言いますが」

 椿は、自分がいつまでも上達しない少女に対していらいらしている自覚はあった。

「あなたはあまりにも弱い。このままでは、鬼殺隊をやめなさいと言う他ありません。他の者の足手まといになりますから」

「それはできません」

 なぜかと問うと、「親兄弟を鬼に喰い殺されました。村の親戚にも追い出されて、ここ以外、頼るところがありません」と言う。

 涙を誘う悲惨な生い立ちだが、鬼殺隊では珍しくもない、ありふれた不幸ではある。

「どこぞ商屋の奉公に上がれば良い。お館様にお話ししてごらん。きっと良くしてくださるから」

 鬼殺隊の頭領は、どういった事情であれ、隊を去るものを労いいたわりこそすれ、引き留めることはしない。戦い疲れたもの、怪我をして鬼狩り足り得なくなったものに対して、生活に困ることがないよう、まとまった金銭をやったり、職を世話したりして、面倒を見ているのを椿は知っている。

 少女は首を振った。

「最初、鬼狩りを志したのは仇討ちのためでした。でも今は違います。戦う理由ができたんです」

「それは何」

 少女は微笑みをたたえながら答えた。

「鬼殺隊は私の帰る場所なんです。椿さんや、ここにいる人たちみんなが大切で……守りたいと、力及ばずともそう思うんです」

 椿はこれ以上、何も言いようがなかった。

 少女は間も無く戦いで命を落とした。肉片一つとして返らなかった。

 

 少女の初七日、位牌を前に線香を絶やさず上げながら椿は考えた。

 椿がなぜ鬼と戦うのかというと、これは天が己に課した使命だからである。神仏に問いただしたわけではないが、いま此処この世に生かされているのが何よりの証拠である。

 そうでもなくば、家族が死んだあの日に、鬼を狩り続けるこの日々に、なぜ己の命が失われずにあるのか説明がつかない。

 何か守りたいものがあるわけでもない。帰る場所があるのでもない。

 孤独に寄り添ってくれた少女がいなくなっても、それでも椿は鬼を殺すのだ。己が役目を終えるその日まで。

 

 

 その寺は山と山との間の奥にあって、どうやら寺の門主か、小坊主か、いずれかはわからぬが、とにかく鬼に成り果ててしまい、寺院にいたものを残らず平らげてしまったらしい。

 寺に参拝に訪れたものが行方知れずになり始めてからしばらくして、ようやくことの次第が明らかになり、鬼殺隊が出動した。

 だが、先に派遣されていた隊員から連絡がふつりと途絶え、鎹烏も帰らない。それでもう少し階級が上の椿が呼ばれた。

 

 寺の様子を伺うと、人の気配はまったくない。もともと明治年間に活気付いた廃仏運動で相当打撃を受けていたとみえ、伽藍は見る影もなく荒廃していた。あらかた仏像や経典は焼かれるか売りに出され、細々と信仰を守っていたのだろう。

 

 先の隊員の痕跡を辿ると、山門の付近で戦った形跡がある。しかも、その形跡からするに、どうやら交戦を始めてすぐにやられてしまった可能性が高い。椿はその隊員を知っている。剣の腕前だけで言えば、さほど己と差のない男だった。それで、この鬼は自分一人の手に余ると、烏を飛ばして応援を寄越せと要求した。

 下山もできぬ内に日が落ち、今夜中に仲間が来るだろうかと気を揉んでいると、早々に鬼の襲来があった。

 

 鬼の風体はつるっ禿げに法衣と錫杖、生前の有り方を色濃く残していた。鼻は退化して口が裂けて大きく開いている。恐ろしく静かな鬼で、物音一つなく、声も発さない。普段の椿なら鬼の妄言を聞かされずに済むので有り難かっただろうが、こう黙られると気配の把握に難儀して、「僧侶のくせに念仏一つ唱えられぬのか」と忌々しく思った。

 明確に劣ることはないが、勝ることも決してない。鬼の方がやや上手で、このまま勝負が続けば人間の椿の方が不利なのはいうまでもない。

 これはまずいな、と思った矢先、鬼の方が逃げ出した。なぜかと訝しんでいると、椿の背後から、知った顔が姿を現した。鬼も逃げ出すほどの狂面。不死川だった。

「鬼はどこにいやがる」

 挨拶もなしに不死川が切り出した。鬼殺の場にあってはこれが正しい。

「先ほどまで戦っていましたが、あなたの気配がしたので、一旦遠くへ引いたようです」

 椿は刀を鞘に収めた。身体に軽い裂傷を負っていたが、たいした怪我ではない。

「どういう奴だ」

「僧体の鬼。血鬼術を使います。口から酸を吐く。かなりの速度で連射するのが厄介ですね。直接皮膚に当たればひとたまりもありません」

 この通り、と椿は近くにあったぶなの木の幹を指さした。太い幹の半ばが溶けて折れている。

「ああ、それと、えらく鋭い錫杖槍を持っています。なかなかの腕前なので、酸にばかり気を取られていると串刺しですね。相当速い」

 中遠距離と近距離の攻撃手段を持ち、さらにそれぞれが相当高い殺傷能力を備えている。厄介である。鬼の目に数字は刻まれていなかったが、下弦の鬼の下っ端に準じる程度の実力はあろう。

「今夜中にまた来ると思うか」

「必ず」

 椿は淡々と答えた。

「ここには稀血が二体」

 頬から唇にかけて薄く切り裂かれていた傷から、じんわりと血が滲み出る。口内に鉄の味が広がった。

「飢えた鬼がみすみす逃すには、少々獲物が大きすぎるというもの」

 

 夜が明けるよりさっさと勝負をつけなければ泥沼である。だがいかんせん土地勘がない。山中で見通しも悪い。迂闊に分散して探索するよりも、開いた場所に固まって敵を迎え撃つのが良いと二人で判断した。

 

 互いに背中合わせになり、いつでも動けるよう片膝を立てて座る。黙っているのも何なので、椿は会話を振ることにした。

「今日は粂野くんと一緒ではないのですね」

「匡近は鎌倉で任務だ。悪かったな、俺一人でよォ」

不死川は詫びたが、卑屈ではなかった。単に多勢の方が良かっただろうと椿を労っていた。

「いえ……不死川くんが来てくれたのは、本当にありがたい」

 最初の交戦で一度、このまま敗死する可能性が頭を過った身としては、自分より強いことの間違いのない男は大歓迎だ。

「粂野くんとはほら、兄弟のように仲が良いと評判ではないですか。まあ、兄弟と称されるのが良いのかはわかりかねますが。古来、兄と弟というのは仲が悪いものですから」

「なんだそりゃ」

「古く本朝は中大兄と大海人、源頼朝と義経公、男兄弟というのはことに、跡目を巡って相争うものと心得ております」

「お偉方にどんな事情があるか知らねェけどよ、兄弟っつうのは、そういうもんだけでもねえだろうよ」

「おや、実感が篭っていらっしゃる」

からかい調子で椿が笑うと、不死川は「弟がいる」とだけ言った。

椿は少し目を見張って驚いた。いた、ではなくて、いる、なのか。

「そうですか。不死川くんの弟君( おとうとぎみ)はご健在なのですね」

「『弟君』なんてガラじゃねェよ」

「……お元気でいらっしゃるのですか」

「……多分な」

 兄弟について語る不死川の声音は、本人はそれと気付いていないだろうが、平生よりもずっと穏やかだった。

 椿は反対に、なんとなく裏切られたような気分だった。鰥寡孤独の寄る方ない身の上と想像していたのである。不死川に自分と同類でいて欲しかった、という身勝手極まりない欲望があったことに気づき、椿は己の浅ましさに身から泥でも噴き出るような思いだった。

「お前は――」

 不死川が言い終わるよりも先に、二人ともほとんど同時に殺気に反応した。立ち上がり飛び退いた瞬間、酸の雨が周囲に撒き散る。酸は地面に落ちてじゅっと音を立てた。

「きったねぇゲロだな、クソがァ!」

 不死川が毒吐くが、鬼は意にも介さず、奇襲からの攻勢を緩めなかった。酸が水鉄砲のような強烈な勢いで飛んでくる。距離感を誤って、一発食らえばそれが致命傷である。

 

 風の呼吸・伍ノ型、木枯らし颪

 

 不死川の技は錫杖槍にいなされて、鬼の頸を獲るには至らない。

 鬼の首の可動域はそれほど広くない。酸はほとんど、鬼の身体の真正面にしか飛んでこない。だが、後ろから回り込んで接近したり、懐に潜り込もうとすると、あっという間に距離を取られるか、錫杖で薙ぎ払われる。これがまた見事な棒術、槍術であった。

「後ろに回り込めませんか?」椿が聞くと、

「やってらあ!」と苛立ち紛れに返される。

 このとき不幸だったのは、二人が互いに相手の剣筋を十分に知悉していなかったことだ。

 

 二人が戦場で見えたのは一度だけ。同じ呼吸か、普段稽古で良く親しんでいたならともかく、椿は風を知らず、不死川は水を知らぬ。息の合った連携には程遠い。平生ならば何でもないことだが、瀬戸際の戦いの場においてはこれが大きな瑕疵となっていた。

 

 二人がかりでらちが明かず、なんとか突破口を見つけられないかと探っていると、再び鬼の方が退いて、鬱蒼たる森の中に消えていった。

 なるほど地の利は圧倒的に向こうにあるのだから、一撃離脱を繰り返して、こちらが消耗するのを待てば良いというわけだ。

 鬼の気配が遠ざかったのを確認して、椿は不死川の背後に回り込んだ。

「不死川くん、少し失礼」

「あ?何す――ッてェな!」

背後から腕を回して抱き込んで、思い切り胸を押し込むと、不死川が呻いた。

「な、にしやがるッ……」

「動きに以前のような冴えも切れもない。怪我をなさっていますね。肋骨と右足ですか?息をするのもお辛いでしょう」

不死川は決まり悪そうに顔をしかめた。

「……はっ、大したことねェよ」

 強がりだ。確かに不死川は見かけ平然としている。椿もそれと見ただけでは怪我を負っていることに気付かなかった。

 だが先ほどの戦いぶりからするに、十全に快復していないことは明らかである。

 それでも、手負いの不死川ですら、椿よりはわずかに強い。それで二人の常時の力量差も知れようというものだ。

「俺が鬼の動きを止める。てめェが奴の頸を撥ねろ」

 不死川が言った。

「すでに手負いの身で何をおっしゃる。命を賭さねば斬れぬのなら、その役は私がやります」

 鬼を仕留めるために何をするべきなのか、二人とも同じことを考えていると、椿はそう直感した。命の危険を織り込まねば取れぬ首だ。

「俺の血のことは知ってんだろォ。ヘマはしねえ。下がってろ」

「これ以上血を流すおつもりですか。却下です。あなたは柱になれる方。こんなところで死んで良い人間ではない」

 互いに譲る気はなかった。二人とも妥協という美徳からは程遠いところにいる人間同士である。

「そもそもそんな身体で何をしに来たのですか。私は戦いに耐えうるものを呼んだのですよ」

「大したことねえつったろうがァ。女はすっ込んでろ」

「男だとか女だとか、命をかけて戦う場に一体なんの関係が?朝雨女の腕まくりとでも言いたいのですか」

 キリキリと眉を吊り上げると、不死川は心外そうにしていた。彼には侮辱する意図などなかった。単に己よりか弱い生き物に対して、後ろにいろと、そう言ったに過ぎない。

「まあ、そう謗られても無理なからぬこと。私ときたら、手負いのあなたにも劣る役立たずですから」

 売り文句に買い文句、両者の間にひりついた空気が流れる。

 

 椿は考える。

 二人の内のどちらかしか生き残ることができないなら、死ぬのは椿の方だ。不死川を生き残らせる。不死川が大切だからではない。不死川の方がより多くの鬼を殺戮できるからだ。椿は彼に比べてずっと非力である。

 

「私に望みがあるとしたら、一体でも多くの鬼を殲滅すること」

 鬼が再び来た。今度は迫る気配を先に察知して、椿が躊躇なく身を翻して鬼に向かっていく。

「後は頼みました」

 鬼の前に躍り出た椿のその動きで、不死川は女の意図を完全に把握した。すでに止めようがない。であれば、あとは最善を尽くすだけだ。不死川は歯噛みしながら後を追った。

 

 飛来する酸の雨をひたすら避ける。鬼の酸は一度溜めていた分を吐き出し終えると、補給までにほんの少しの隙ができる。その隙が狙いだった。

 その頃合いを見計らって、椿は思い切り踏み込み、鬼の間合いに入る。鬼は接近してきた敵に向かって、容赦なく錫杖槍を振るった。

 錫杖槍の切っ先が脇腹に深々と突き刺さる。椿は眉根を寄せるだけで灼熱の痛みを堪えると、むしろ穂先をぐいと押し込んで距離を縮めた。鬼が動揺したのでこれ幸いと、錫杖を持つ鬼の手首を掴んで離さない。そしてもう片方の手で己の最速の技を繰り出した。

 

 水の呼吸・漆ノ型、雫波紋突き

 

 日輪刀が鬼の顔面、酸を吐き出す口腔に突き刺さった。鬼は不意を突かれたようだったが、口を大きく広げて、口内の酸で日輪刀を溶かし始めた。このままではほんの1秒、2秒のうちに飛んでくる酸の塊を避けようがない。

 だが、この場にはもう一人がいる。椿に身体を絡めとられて、鬼は背後から来る斬撃に対応できない。

 

 風の呼吸・陸ノ型、黒風烟嵐

 

 椿の眼前をすれすれかすめた不死川の一撃で、ついに鬼の頸が落とされた。青い刀身の半分あまりが溶かされた日輪刀が音を立てて地面に落ちる。不死川は鬼の身体が消滅していくのを目の端で捉えると、膝をついた女のもとへ直ちに駆け寄った。

「椿!」

 柄を折って、穂先を腹から引き抜く。刺された時よりもひどい痛みに呻くのを堪える。血の巡りを意識する。脇腹の傷は深かったが、主要な臓器を傷つけてはいない。大丈夫だ。呼吸をする。血を止める。

「平気です。少し傷むだけ」

 少しどころの痛みでなかったが、あまりにも不死川が血相を変えるので、つい見栄を張ってしまった。

「うまくいきましたね、不死川くん」

「うまくも何もあるか。死ぬ気かァ、てめえ」不死川が苦々しく言った。

「でも、これ以外確実な仕留め方が考え付かなくて。まだまだですね、私」

 しかし、鬼を殺せた。椿にはそれが一番大切なことだった。

「それに、仮に私が死んでいたとしても、不死川くんなら間違いなく鬼に止めを刺してくれたでしょう?」

 不死川が一瞬黙った後、怒った顔で当たり前だというので、椿は安堵で顔を綻ばせた。

「本当に、あなたが来てくださって良かった……」

 




初めはどこに出しても恥ずかしくない気立てのいい女にしようとしていたのに、悪鬼滅殺がキマリすぎてどんどんヤバイ女になっていくので、不死川兄がかわいそうだと思いました。

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