『グラツェットストリートにあるヴェルヌスって店を訪ねてみな。面白いもんが見れるぜ』
楽譜(スコア)の焼き場について、簡単な説明をした後、ケイは僕を残して店を出て行った。明日の演奏のリハがあるから、だそうだ。
ケイ曰く、楽譜(スコア)の焼き場とは、値の付かなかった楽譜や、書いてはみたものの、処々の事情で売る気になれなかったり売れなかったりした楽譜を引き取って火葬する場所、とのこと。
燃えるゴミに出せばいいだけの話だけれど、丹精込めて作った曲がゴミと一緒にぐちゃぐちゃに混ぜられて、事務的に焼却処理されるのがしのびないという作曲家の気持ちも分かる気がする。
手元に一曲、供養してもらいたい楽譜もあるし、ケイの面白いものを見つける嗅覚は信頼できるから、僕はそのヴェルヌスという店に行ってみることにした。
グラチェットストリートは街の西側、僕の住むアパートとはボランダストリートを挟んで反対方向に位置する。西側は比較的住宅の多い地域で、楽曲に関する店は少ない。
そうは言ってもここは音楽の街。オープンカフェやレストラン、さらには民家の窓からもふわふわ、ぷかぷかと音符が流れ出してきていた。
腹ごなしも兼ねて、適当に散策しながら目的地を目指す。石畳の敷かれた道を進んでいくと、目当ての店の看板が見えた。
ヴェルヌス。うん、間違いなくここだ。だけど……。
「時計屋?」
ショーウィンドウに陳列されていたのは時計だった。窓から店内を覗いてみる。時計ばかりが沢山並んでいた。もう一度看板を確認してみても、ヴェルヌスとはっきり書かれている。
どういうことだろう? 時計屋が楽譜を火葬するのかな? しかも面白いものが見れるって? さっぱりイメージが湧かないどころか混乱してきたぞ?
僕は腕を組んでしばし考え込んだ。
もしかして、同じ名前の別の店があるのか? でも、グラチェットストリートにある店でヴェルヌスという名前の店はここだけだ。まさか、僕の聞き間違いってことは……。
ケイの台詞を何度かリピートさせてみる。うん、やっぱり聞き間違いはない。
じゃあ、やはりここが楽譜(スコア)の焼き場なんだろう。もし間違っていたらそのときはケイに文句を言えばいい。
一人頷いた僕は、時計屋ヴェルヌスのドアを押し開いた。チリン、とドアに取り付けられたベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
来客を告げる鐘を聞き、穏やかな声が出迎えてくれた。カウンターに座る初老の男性の声だった。男性は立ち上がって軽く頭を下げる。
パリッと糊の利いたシャツにスラックス。細面には年輪を思わせる皺があり、笑顔とともにくしゃり、と目じりに皺がよる。なんだか見ていてほっとするような笑みだった。
僕は店内を見回しながら男性に近寄る。
木目の綺麗な木材を多様した、落ち着いた雰囲気の店だった。ショウケースには腕時計が並び、棚にはデザインのユニークな置き時計。壁には様々な壁掛け時計とオルゴール時計がずらり。それら全てがチクタクと正確に時を刻んでいる。
店主の男性の穏やかな風貌と相まって、自然とリラックスできるお店だった。
「あの……」
楽譜(スコア)の焼き場ってここですか?
問おうとして僕は口ごもった。いきなりそんなことを言うのは失礼じゃないかと思ったからだ。すると、まごつく僕を見て店主の男性は告げた。
「“楽譜(スコア)の焼き場はここですか?”」
「えっ!?」
びっくりした。尋ねようとしたことを言い当てられて、僕は動揺する。
「お顔に書いてありますよ? 本当にここで合っているのか、とね」
自分の顔を差して、店主の男性はにっこり笑う。僕は思わず頬に手を添えた。
「じゃあやっぱり……」
「ええ、私が楽譜を預からせていただいております。もっとも、火葬するのは私ではありませんが」
なるほど、ここは受付ということか。でも、なぜ時計屋の店主が窓口になっているんだろう?
疑問が解けて、また新たな疑問が生まれる。
「それでは、楽譜を頂戴できますか?」
ぼうっとする僕に向けて、店主の男性は手を差し出す。我に返った僕は慌てて鞄の中から楽譜の束を引っ張り出した。
「あ、そういえば、料金は……?」
渡す前にはたと気付き、僕は男性に尋ねた。
「ご心配なく。お金は頂いておりませんよ」
笑顔を保ったまま、店主は言葉を返す。それでようやく安心した僕は、改めて楽譜を掴んだ手を持ち上げる。
「お願いします」
「はい。お預かりさせていただきます」
賞状の授与のような堅苦しい動作で紙束を突き出す僕に、店主の男性はふわりと笑い、柔らかい手付きでそれを受け取った。
「……」
「……」
沈黙。って、あれ? これで終わり? ケイが言ってた、面白いものって結局なんだったの?
このまま、ありがとうさようならと別れてしまうのはなにか違う気がした僕は、『面白いもの』の正体を知るためにも、こんなことを言った。
「あ~、えっと、その……見届けても、いいですか? それが弔われるところ」
四割くらいは真剣に、六割くらいは興味本位。比率にすればその程度の心持ちで、僕は提案した。
僕だって、心血注いだ曲の終わりを見届けよう、そういう気持ちがあってここに来たのだ。たとえ、売ったお金でアイスを買った方が得だって分かりきっていても、作曲家の端くれとしてのプライドというものが、僕にも少なからずある。
「もちろんよろしいですよ。少々お待ちくださいね」
僕の提案を快く受け入れてくれた店主の男性は、胸ポケットから名刺を取り出し、その裏にさらさらと何かを書いていく。
「今夜、八時にここへお出でください」
なんと名刺の裏には簡単な地図が描かれていた。小さい中によくぞ、と思ったが、時計屋ならば細かい手仕事に慣れているのも頷ける。
名刺の表には店の名前と店主の名前、電話番号に住所が書かれていた。
『初音 健次郎』
店主の男性の名前はハツネ ケンジロウさんというらしい。とすると、僕と同じ国の出身なのか。気付かなかった。同郷だと知ってケンジロウさんに少し親近感が湧く。
「あの、すみませんが、僕はこれで失礼します」
「はい。またお越しください」
純粋な客じゃないことに多少の罪悪感が湧いたが、残念ながらさきほど散財したせいで持ち合わせがない。
懐に余裕が出たらまた覗きに来ようかな。
手の出せそうなエリアを横に見て、僕は店を後にした。バイトの給料日まであとどれくらいか指折り数えていた僕は、店を出たところですれ違った髪の長い少女のことなど、まったく気にも留めなかった。