火葬曲   作:海月大和

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20.彼の理由

 ここがパーティーの会場ならば、宴もたけなわといったところだろう。仄明るいオレンジ光がそっと輪郭を浮かび上がらせる店内。客の入りは八部ほどで、その視線のほとんどは店の奥に設置されたスタンドマイクで歌うリリィさんに向かっている。周囲を包み込むような優しい歌声と、室内を遊泳する音符達に皆がうっとりと浸っていた。

 

 例外といえば、つい先刻まで僕たちが座っていたソファーに凭れ掛かるニックとグレイグ、それとカウンター席に移動した僕とケイくらいのものだ。打ち合わせもそこそこに飲み会へとシフトしたこの集まりは、一通りの説明を受けたミクが抜けた時点で実用的な意味を失った。クリスはミクを車で家まで送っていき、未成年のいなくなった残留組はいよいよ本格的に酒を飲み始めた。

 

 しばらくは世間話や音楽の話題に花を咲かせていた四人だったが、ニックがどれだけウォッカのことを愛しているか語り始めた途端に話が妙な方向に流れはじめた。寡黙だったグレイグが酒が入って口が軽くなったのか、ウイスキーがいかに興味深い飲み物であるかを熱弁すると、負けじとニックがウォッカこそウイスキーの起源であると主張し、微妙に論点のずれた議論が繰り広げられた末、二人はウォッカ愛とウイスキー愛をかけて酒飲み勝負を敢行したのだ。結果、両者グロッキーで今は生きた屍になっている。

 

 ケイの勧めで早々にカウンターの方へ席を移した僕らは、アツくなる二人をそっとしておいて各々のペースでグラスを空けていた。

 

「一年か」

 

 軽く揺らしたワインの波紋に目を落として、ケイは言う。ファッションモデルのように整った容姿の彼がワイングラスを持つ様は、ことさら絵になる。横で似合わないカクテルをちびちびやっている僕とは雲泥の差だ。

 

「何の話?」

「お前との付き合いだよ、カイト」

 

 ちらとこちらを見て、ケイはぐいとルビー色の液体を喉に流し込んだ。

 

「そうか。もう一年になるんだ……」

「“まだ”一年だろ」

「はは。そうだね」

 

 軽く汗をかいたグラスを握り、僕はケイとの出会いを思い出す。

 

 彼との出会いは、ポリヴォラに無数あるバーの一席だった。ここに越してきて半年以上経ち、僕が街に馴染み終わる頃。たまたま座った席の隣で、ケイは今日のようにワインを飲んでいた。今と違い、噛み締めるように一口一口含むのではなく、水でも飲んでいるみたくがぶがぶとやっていた。後で本人に聞いた話だが、その日は付き合っていた女性に振られた日だったらしい。つまり自棄酒だ。

 

 僕がコップを半分まで減らす間にボトル一本空けてしまうのだから、けっこうな無茶をやっていたことになる。案の定ケイは早々に酔いつぶれてしまった。そのときの僕は、そこの店の常連一歩手前程度にはなっていたので、見かねたマスターから彼を送っていってやってくれないかと頼まれた。

 

 軽く一杯、と思って立ち寄っただけだったし、特に断る理由もなかった、というかぶっちゃけ暇だったから僕はその頼みを引き受け、マスターから住所を聞いてタクシーを呼び、ケイを自宅まで送っていった。

 相当ぐらついていたけれど記憶はあったらしく、その後偶然再会した街中で礼とばかりに昼食を奢られてから、ケイと僕はちょくちょく会ったり話をしたりするようになったという訳だ。

 

 ことさら有名人ぶらない彼との付き合いは気楽で、もともと顔の広いケイはケイで僕をさっさと友人カテゴリーに入れてしまったらしい。そんな風に、僕らはけっこうフランクな関係を築いてきた。仲はそこそこ良い方だと思う。だけど……。

 

「気になってたんだけどさ」

「ん?」

 

 ほろ酔い気分の僕は思い出を隅に追いやり、視線を隣のケイに向ける。

 

「どうしてこんなに協力してくれるの?」

 

 仲は良いといってもあくまでそこそこ。そんな僕にここまで手を貸す義理もなし、ケイとミクも特に親しいわけでもなさそうだ。なのに彼はせっせと僕らの世話を焼いてくれている。何故だろうとずっと引っ掛かっていた。

 ケイと僕の目が一瞬交錯する。

 

「昔、つっても大して前のことじゃねえが……」

 

 ケイがグラスをカウンターに置き、静かに切り出すと同時にリリィさんの歌が終わった。拍手が鳴り、アンコールの声が上がる。

 

「俺も楽譜(スコア)の焼き場を見に行ったんだ」

 

 衝撃の告白、というほどでもない。薄々は気付いていた独白に、僕は相槌を打った。

 

「ケイも?」

「ああ、最初はあんまり興味がなかった。けど、冷やかしに噂の店に行ったとき、ミクちゃんのおじいさんに促されてな」

「ケンジロウさんに……」

 

 僕は少し驚きを込めて呟く。僕のように自分から言い出すのならともかく、ケンジロウさんの方から見学を勧めるとはあまり思えなかったからだ。

 

「当時の俺は正直燻ってた。自分の腕に自信はあるのに何故か通用しない。どこも誰も認めてくれない。そんなイライラが溜まってた時期だったな」

 

 掴んでいたカクテルの氷が溶け、からんと音を鳴らした。

 

「不満が顔に出てたんだな。ミクちゃんのおじいさんに言われたんだ。『どうして上手くいかないのか、知りたいのなら一度見にいらしては?』ってな」

「随分と大胆な物言いだね」

「そうだな」

 

 ケイは少し笑う。

 

「でも興味は湧いた。俺の何が分かるんだ、とも思った」

 

 それから肩を竦め、自嘲気味に溜め息を吐いた。

 

「そこでアレを見た」

「ミクの火葬?」

「そうだ」

 

 ケイはグラスに残ったワインを呷り、傍に置いてあるボトルから次の一杯を注いだ。あの光景を見てケイが何を思ったのか、ミクの歌に何を感じたのか。僕には想像が付かない。でも、たぶんそれはケイに何かをもたらしたのだろう。そういう表情をケイはしていた。

 

「あの光景はすごく衝撃的だったし、彼女の歌は上手かった。それだけじゃない。なんていうかこう、心に響いた」

「うん、それは分かる」

 

 僕は頷いた。珍しい光景だからとか、上手な歌だからとかじゃなく、あの有りようには芯に届くものがあるのだ。これは実際にその場にいた僕らだから言えることだろう。

 

「すげえと思ったよ。そんで俺は自分が思い上がってたってことにようやく気付いたんだ。俺はただちょっとばかし技術があるだけ。肝心の気持ちが俺の音には入ってなかった。それじゃ宝の持ち腐れだ」

 

 そう、音楽とはすべからく自己を表現するもの、伝えるもの、響かせるものだ。単純で当たり前のことだけど、目の前のことに夢中になってしまうあまり、それを見失うことが往々にしてある。少し前の僕も、おそらくその状態だった。

 ゆるりとワインを回し、ケイは香りを楽しむ。

 

「それからだな。俺が売れ出したのは。そういう意味じゃ、あの娘とあの娘のおじいさんは俺の恩人でもある」

「ふぅん」

 

 そんな経緯があったのか。ケイがミクのことを気にかけてくれたことに、ようやく得心がいった。なるほどなぁと僕が感心していると、何を思ったかケイが意味ありげな笑い声を漏らした。

 

「お前の相手をしてたときは、こいつ昔の俺と同じ落とし穴に嵌まってるなと思ったぜ。自分の恥ずかしいところを見直してるみたいだった」

 

 悪戯っぽくケイは口端を上げ、僕を指差す。僕は知らんぷりをしてグラスに口を付けた。素っ気無い反応になったのは、茶化されて気分を害したとかそういうのではなく、ケイの言っていることが図星だったからだ。彼にとって見れば、僕はケイが昔通った道を四苦八苦して歩いている最中に見えたんだろう。

 

「楽譜(スコア)の焼き場を僕に紹介したのは、それが理由?」

「まあな」

 

 そしてその目論見は見事に成功した。僕は落とし穴から這い出ることが出来たわけだ。それでめでたしめでたしってわけでもないけれど。

 

「……お前はどう思った?」

「どうって?」

「ミクちゃんの歌を聴いて。何を感じたんだ?」

 

 問われて、即答出来なかった。それを口にするのは難しい。曖昧で不確かなあの感覚を言い表すには、多少の言葉では足りないからだ。それでも率直に表現するならば。

 

「哀しい、かな……」

「哀しい?」

「うん。哀しい」

 

 初めてミクの歌を聴いたあのとき。自然と溢れてきた涙の訳は、彼女の抱えている哀切が僕に流れてきたのだと思う。歌声に乗って、ミクの想いが僕の胸の奥に響いたんだ、と今ではそう思う。彼女の複雑な胸中は歌に篭って周囲の人間に届く。無自覚にしろ、そういう力を持っているのだ。

 

「ミクのことは、やっぱりケンジロウさんに聞いたの?」

「ああ、時計を買いに行ったときにな」

「なんであの人は、僕たちにミクのことを話してくれたんだろう?」

 

 僕がそう零したとき、アンコールに応えての二曲目が終わり、店内には割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。僕らも一度リリィさんの方へ体を向け、拍手を送った。ケイは指笛と歓声もおまけしていた。

 リリィさんがマイクを片付け始めると、店内は歌の余韻に包まれながら、シックで落ち着いた雰囲気を取り戻していく。再び密やかな夜の装いを纏った店内。僕らの間にも沈黙が下りる。

 

「『種を蒔いているんです』」

 

 ケイが徐に呟いた。

 

「あの人はそう言ってたな」

「種?」

 

 意味がよく分からず、僕は訊き返す。

 

「言われたときはいまいちぴんとこなかったけどよ。今思うと、あの人は待ってるんじゃねえかな」

 

 紅い液体を喉に送り込み、ケイは物憂げな顔をした。酔いが回って浮ついた頭では、やっぱりよく分からない。

 

「……待ってるって、何を?」

「可能性って芽が出るのをさ」

 

 俺たちみたいな、とケイは続ける。

 

「可能性? 僕らが?」

「そう。あの娘を殻から引っ張り出すって役目を、あの人は俺らに託したんだ」

 

 “一度、あの娘に問い詰められたことがあります。本当は私の歌が火事の原因だったんでしょう、皆で私を騙してるんじゃないの、と。”

 ケイの言い草を聞いて、僕はケンジロウさんの言葉を思い起こした。

 

「そうか」

 

 ケンジロウさんは、自分ではミクを救うことが出来ないと悟っていたのか。一番近くにいて、ミクの苦悩を知り、それでもどうすることも出来ないと分かっていて。だから、僕らのような第三者に可能性を求めた……。

 

「ケイ」

「あ?」

「パーティー、絶対成功させよう」

 

 決意を込めて告げると、ケイは一瞬怪訝な顔をして、

 

「ったり前だろ。なに言ってんだ」

 

 自信に満ちた笑みを返してきた。頼もしい表情だった。こいつと一緒ならやれる。そう思えるような。僕は笑ってこう言った。

 

「君が友達で良かったよ」

 

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