「私のお父様はミクのお祖父様のお客さまだったの。何度か時計を用立ててもらっているうちに仲良くなって、家族ぐるみのお付き合いをするようになったのよね」
ミクとルカさんはどういったお知り合いなんですかと僕が尋ねると、ルカさんは白身の魚に緑色のソースを絡めながら言った。
「ミクは私にとって妹のような存在ね」
程よくソースの付いた切り身を口に運び、ルカさんはミクに笑いかける。魚料理に舌鼓を打っていたミクは、ルカさんの微笑みに照れながらもちょっぴり嬉しそうだ。
「だからね、カイトくん。私、とっても嬉しいのよ」
穏やかな笑みを浮かべ、僕を見るルカさん。
「この子がまた人前で歌おうとしてくれてることが」
ミクの頭に優しく手を置いて、彼女は家族を慈しむような表情を向ける。
「ルカ……」
少し前までのおどけた言い回しと一転した、至極真面目な口調。ミクは驚いているのか、目を瞠っている。
「ずっと心配だった。ずっと気になっていたの。だってミクは小さいときから歌うことが大好きだもの。そういう娘だってわたし知っていたもの。だからね」
私、いま本当に嬉しいのよ?
ふわりと微笑み、ルカさんはミクの頭を撫でる。まっすぐに慈愛の言葉を向けられたミクの目尻には涙が浮かび、一筋頬を濡らした。
「ルカ。……ありがとう」
震えるミクの声に頷いたルカさんは、優しくミクの頭を胸に抱き寄せ、
「勇気を出したわね。偉いわ」
幼子をあやすように頭を撫で、囁いた。血の繋がりはなくとも、そこにはしっかりと家族の絆があった。僕の胸のうちにも、温かいものが広がっていった。
しんみりとした空気を、薄紫色の音符が横切る。奥に据えられたステージでピアノが弾かれていた。会話を邪魔しない程度の心地良い音圧が体を包み込む。
「私、怖かったの」
静かに涙していたミクが口を開いた。
「私の歌が誰かを傷つけてしまう。……殺してしまうんじゃないかって」
すんと鼻を鳴らし、涙を拭う。
「そんな私をおじいちゃんやルカが心配してるのも知ってたけど、やっぱりたくさん人が集まるところで歌うのは怖くて仕方なかった」
ルカさんも、僕も、黙ってミクの言葉を聞いている。
「パーティーで歌うって決めたときも、まだその怖さは全然消えてくれなくて」
そこでミクはふっと口元を緩め、
「でもね、みんな優しいの。クリスさんもKKさんもニックさんもグレイグさんも、みんな。カイトさんは、私が望めばみんな協力してくれるって言った。ほんとにその通りだった」
大事な思い出を眺めるように穏やかな顔で呟く。
「みんなの練習を見てるとすごく楽しそうで、怖いって気持ちがだんだんだんだん小さくなって、どう歌おう? こうかな、こうかなって何度もイメージするようになって」
溢れてくる気持ちをどうにか言葉にしようと、ミクは一生懸命だ。
「だから、そう。いま私、わくわくしてる。こんな気持ちになるなんて想像もできなかった。私の手を取って、導いてくれたカイトさんにすごく感謝してるの」
ありがとう、と真っ直ぐにこちらを見て言ってくれた。涙が出そうになった。
「ありがとうはこっちのセリフだよ」
こらえたつもりだけど、少し声が濁ったかもしれない。
「そうよ、ミク」
ルカさんの声も少し湿っていた。多分、ルカさんと僕の想いは一緒だ。そしてそれはケンジロウさんも。
その一歩を踏み出してくれてありがとう。
ルカさんと目を合わせ、互いに頷く。
「「君(あなた)の歌を楽しみにしてる」」
心から、そう思う。
「うん!見ててね」
ミクはそう言って笑った。
――そして瞬く間に時は過ぎ、ステージの幕が上がる。