今後の投稿についてですが、1年生編完結までは書いたので一旦それを投稿します。
2年生編については途中で完結するので、そこまで書き切ってからまとめて投稿する予定です。
そのためまた投稿間隔が大幅に開くことになると思いますが気長に待っていただけると幸いです。
立春にあたる節分を越え暦の上では春を迎えたが、依然として厳しい寒さが続くある日。
いつも通り登校した愛だったが、教室の扉をくぐって喧騒の中に飛び入ると違和感を覚えた。どこか色めき立っているような、そんな雰囲気だった。
愛は違和感の正体を確かめるべく、自身の席で勉学に励む堀北に声をかけた。
「おはよう、堀北ちゃん。なんか騒々しいけど何かあったの?」
「平田くんと軽井沢さんが別れたらしいわ。勉強に集中したいけれど、教室全体に響くように話すものだから嫌でも耳に入ってくるのよ」
「な、なるほど……」
呆れた笑いをして、愛は池の方を見た。確かに、この騒がしさの中でもその声ははっきりと耳に届いてしまっている。本人に影響がなければいいが。
「入学してすぐ付き合い始めていたし、不仲の噂もなかったからちょっとびっくりする気持ちもわかるけどなぁ」
それに加え、平田の女性人気が高いこともその要因の一つとして挙げられるだろう。
「ちなみにどっちが振ったの!? 平田くん? 軽井沢さん?」
「あなたもそっち側だったわね、そういえば……」
林間試験での一幕を思い出してか、堀北はそうため息を漏らしたあと『軽井沢さんよ』と答えた。
「へぇ、なんか意外だなぁ。平田くんに振られる要素なさそうに見えるけど」
「だから余計に賑やかなのでしょうね。平田くんと付き合うことをステータスとしていてもおかしくなさそうだもの」
「私だったら別れないけどなぁ。そして堀北ちゃんに自慢しまくる」
「あなたが平田くんと付き合っていなくて心の底から安心したわ」
顔を顰めてそういう堀北を見て、愛は挑発的な笑みを浮かべた。
「嫉妬?」
「そうだと思うならあなたのその目はレプリカなのでしょうね」
「確かめてみる?」
「は、離れなさい……」
愛が堀北の瞳を覗き込むように見つめる。唐突に触れてしまいそうな距離まで近づかれた堀北は頬を赤く染めて目を逸らした。
「堀北ちゃんはかわいいなぁ」
「それ以上からかうのはやめなさい……!」
「はーい」
シャーペンを握る力が強くなった堀北を見て、これ以上は反撃の可能性があると判断し愛はここで引き下がることにした。
「例の噂はおそらく今日だけだから、我慢するしかなさそうね……」
「だねぇ」
再びノートと教科書に向き合い始めた堀北を邪魔するのは申し訳ないと思い、それ以上会話を続けることはせず自身の席へと戻った。
***
「おじゃましまーす」
平田と軽井沢の破局騒動の日から数日後の放課後、愛は綾小路の部屋を訪れていた。
やはりというか、その部屋は余計なものはなくスッキリとした印象を受けた。愛の部屋も似たようなものであるが。
「飲み物はお茶かコーヒーがあるがどうする?」
「コーヒーにしようかな。砂糖多めで。あ、あと牛乳あったら入れてほしいな」
「注文が多いな……」
愛がそう注文すると、綾小路は自身の麦茶とともに運んできた。
コーヒを一口含むと愛は顔を歪めた。
「これ苦いんだけど。ちゃんと言った通りにした?」
「一応そのつもりなんだが……。追加するか?」
「自分で入れてくる。砂糖どこにある?」
「そこの棚だ」
「りょーかい」
砂糖の入った瓶を両手に抱え、大さじの軽量スプーンで砂糖を掬って入れてを繰り返す愛を見ながら、綾小路は麦茶を啜る。WHOが定める1日の砂糖摂取量を大幅に越しているであろう甘ったるいそれは、もはやコーヒーではないのではないかと綾小路は思ったが、人の好みに口を挟む必要はないだろう。
「よし、おっけい」
そうして完成したコーヒー(らしきもの)を一口含み、愛は満足げに頷いた。
愛は時々その見た目に反した言動をすることはあるが、それ以外はまだ子供な部分もあるのだなと綾小路は思った。
「早速だが本題に入ってもらってもいいか?」
「そうだね。長居するのも良くないだろうし」
いくらクラスメイトといえども、女子が男子の部屋にいるという状況は誤解を招く可能性がある。愛が戻ってきて早々、綾小路は話を進めることにした。
「最近綾小路くんは一之瀬さんに関する噂を聞いたことはある?」
「一之瀬は犯罪者だというやつか。Aクラスの生徒とBクラスの生徒がそのことについて揉め事をしているところは目撃したぞ」
「そそ、そのことなんだけどさ。出どころはAクラスだろうとは思っているんだけどね。要するに一之瀬さんを守るのを手伝って欲しいんだ」
林間試験の時、Aクラスは一之瀬への敵意を見せていた。それに『一之瀬は犯罪者である』という文言は変わっていない。
学年全体にその噂が広がり始めたのは林間試験が終わり、2月に入ってからのことだ。試験での神室の一之瀬排除宣言も忘れ去られた矢先の出来事だった。
「なぜオレが?」
「どうしても綾小路くんの協力が必要なんだ。それに、これは綾小路くんのためでもある」
「オレのため?」
「そう。でもそのうち綾小路くんも協力せざるを得なくなるから、気にしないで」
「……どういうことだ?」
「有栖ちゃんの真の狙いは一之瀬さんじゃなくて、綾小路くんだってこと」
「オレ? ちょっと理由がわからないな」
体育祭で綾小路は全力を出していないし、そのせいか坂柳と綾小路の接触は果たされていない。坂柳が一方的に綾小路のことを知っているという状態をここまで引きずってしまっていることになる。
ホワイトルームの最高傑作たる綾小路と戦いたいという欲求が抑えきれなくなったがための今回の騒動という解釈もできる。巻き込まれた一之瀬が少し気の毒ではある。
一旦、解決への道筋を愛は綾小路に説明した。学校側はある程度の噂の流布は黙認するだろうということ。学年中に様々な噂を流し、事の規模を大きくすることで学校が介入せざるを得ない状況を作り上げること。
「綾小路くんはプライベートな情報はほとんど持っていないだろうから、その辺りは心当たりのある人に聞いてほしい」
こんな説明なくとも、綾小路なら自らたどり着くだろうが。なるべく知っているルートから外れてほしくないのと、綾小路ではないが一度裏切られているため、念には念を押して。
「八遠が一之瀬を救いたいのはわかった。だが、お前がそこまで一之瀬に肩入れする理由がわからないな」
「一之瀬さんが生徒会に加入したのは知ってるよね?」
「ああ。生徒会長が南雲に変わった後だったな」
「一之瀬さんは学先輩が生徒会長を務めていた頃から加入を希望していたみたいだけど、実現はしてなかったんだよね」
「南雲の手にかかるのを防ぐためか?」
「実際に本人に聞いたわけじゃないけど、私はそうだと思ってる。多分、他にも希望した人はいたと思うけど、同じような理由で認められなかったんだと思う」
2年生の全てを掌握し、3年生を都合よく動かす力を有する南雲であれば、1年生を堕とすことも時間の問題。生徒会加入の条件はおそらく『南雲に対抗できるか』というその一点。
原作で須藤の暴力事件の解決後、学は綾小路に生徒会に入らないかと問いかけていた。目立ちたくない綾小路はこれを拒否していたが、この時点で綾小路が南雲に対抗しうる人物であることを見抜いていたのだろう。
「だけど、一之瀬さんだけは南雲が生徒会長になってからも生徒会に入るために交渉した。スタートが同じBクラスであること。その後がAクラス、Cクラスと対照的だからこそ、手がかりを掴みたかったということもあったのかもしれないね」
「つまり一之瀬は南雲に弱みを握られていると?」
「おそらくね。他の人間を操るならそれが手っ取り早いし」
逆らったら弱みを暴露するぞ、と脅された日には従わざるを得ないだろう。そうしなれば、自分の居場所がなくなってしまうという恐怖に苛まれながら。
「今回の一件で傷心中の一之瀬に南雲が甘い言葉を投げかけるとする。そしたら一之瀬は完全に南雲の私物になってしまうだろうね。そうなると、この前の林間試験みたいに私たちに牙をむく可能性がある。特に一之瀬はCクラスのリーダーで、クラスメイト全員からの信頼を集めているから、実質私たちの代のクラスの4分の1が南雲のものになると言っても過言じゃない」
「これからも林間試験のようにクラス混合の試験が行われる可能性は大いにあるからな」
愛の言うようになるかどうかはCクラス次第ではあるが、どちらにせよ背後に南雲がいるというのは思う以上に厄介なのだ。
それにCクラスは一之瀬の意見が総意になりやすい。方針が正しかろうがそうでなかろうが『一之瀬が言うならきっと正しいのだろう』と何も考えず賛成に票を投じる機械人形だらけのクラスだ。
一之瀬を手中に収めるとCクラスは駒として使いやすくなる。黙って南雲に明け渡すわけにはいかないのだ。
「少額だけど、プライベートポイントを支払ってもいいんだよ?」
「Aクラスはいいのか」
「違うよ。Aクラスはちゃんと目指してる。その上で、支払ってもいいと言ってるんだよ」
目を細め、真剣な表情で綾小路を見つめる。綾小路に一之瀬の必要性が伝わればいいのだが。
「わかった。協力しよう」
「ありがとう。ポイントは──」
「いや、大丈夫だ。今はそこまで必要としていないからな」
「ほんとにいいの? 後で足りなくなったから貸してなんて言われても知らないよ?」
「問題ない。消費は極力抑えている」
「ふうん。ならいいけど」
どうせ綾小路のことだ、その辺りも初めから計算の内なのだろう。
「じゃああとは任せた、綾小路くん」
「いいのか? オレに一任して」
「私にはわかるんだよ。綾小路くんが全然本気を出していないことくらいね。体育祭の時も明らかに手を抜いていたでしょ」
「なぜそうだと言い切れるんだ?」
「龍園をボコボコにした犯人が綾小路くんだからだよ。さらに言うなら、龍園の取り巻きもまとめて倒していたんじゃないかな」
綾小路の目が一瞬興味深そうに開いたのを愛は見逃さなかった。しかし綾小路はほぼ表情を変えることなく淡々と会話を続ける。
「そうか? 須藤かもしれないだろう」
「いやいや、須藤くんが龍園くんの心をへし折るのは無理でしょ。あの時の龍園くん、全てを諦めたような感じだったからさ」
「……会ったのか」
「忘れ物を取りに戻ったら、たまたまね」
「たまたま勝てただけだ。オレだって無傷で済んだわけじゃない」
「重傷の龍園くんとは違って無傷だった気がするけど?」
綾小路がホワイトルーム出身であるということを、愛が知らない前提で話を進めているのだとしてもまだ能力を隠そうとしていることに疑問を抱く。綾小路は茶柱からの圧力を受けてAクラスを目指すことを強要されているはずだし、少しずつその力を使い始めていることは間違いない。隠すことにもメリットはあるし、愛がどうこういう問題でもないのだが。
いずれにせよ今問い詰めても平行線のままなのは目に見えているため、愛はここで引き下がる選択をすることにした。
「今日はそういうことにしておくよ。一之瀬さんのこと、頼んだ」
「ああ。あともうひとつ聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「うん、何かな?」
「今回の山内と坂柳の件、お前は一枚噛んでいるのか?」
「いいや、私は何もしてないよ。流石にそこまでは私も関わっていないしね。今はBクラスの一人だもん」
今回の、というのは先日坂柳が山内を呼び出した件についてだろう。
そもそも一之瀬潰しに全く加担していないので綾小路の懸念は杞憂だ。ただ、山内がターゲットになったことには心当たりがある。
愛は時々山内がいかにどうしようもない男か語ったことがあるのだ。
それはペーパーシャッフル試験の時のことだ。二人1組で挑むその試験のペアとして山内が選ばれた。
成績上位者である愛は体裁上山内に勉強を教える必要がある。
そのため愛はわざわざ時間を作り山内が少しでも良い点数を取れるように配慮していたのだが、本人にあまり危機感がなく楽観的で愛任せだった。
むしろ美少女と二人きりというシチュエーションに興奮していたのかわからないが、チラチラと愛に向けて気味の悪い視線を送りつけ、ご飯に誘ってきた。それにとどまらず連絡先の交換を求めるなどそれはもう二度と思い出したくないようなひと時だった。
山内に彼女ができてほしくないのであえて言わなかったが、愛を見る目に下心が見え見えなのでやめた方がいいと思う。
「そ、そうか。ありがとう」
「いいよいいよ。何か聞きたいことがあったらいつでも聞いてね」
「ああ」
***
「『一之瀬帆波は犯罪者である』か……」
愛は郵便ポストに入れられていた一枚の紙に描かれたその一文を小さな声で読み上げた。
部屋に戻ろうと思ったらロビーが騒々しかったため、近くの人に何があったのか聞いたらこれだけが書かれた紙が入っていたというわけだ。
「最近、一之瀬さんに関する噂が絶えないわね」
共に帰宅してきた堀北がそう呟いた。堀北が言うように、林間試験が終了してから一之瀬に関する噂が続いている。あくまでも噂であるため出どころの特定は難しく、そもそも内容の正確さに欠けるので対処のしようがない。
「差出人が書かれていないからどのクラスの仕掛けかはわからないけど、本格的にCクラスを倒しに動き出したみたいだね」
「八遠さんはAクラスからは何か聞いているのかしら」
「ううん、何も。というか仮に犯人がAクラスだとしても失敗させないために私には話さないと思うよ」
「それが普通ね」
今回の事件も、噂が収まりかけたタイミングで起こった。犯人はまるでこのことが事実だという確信があって、忘れられないようにしようとしているようだった。
「堀北、八遠、何があったんだ?」
「この紙が郵便受けに入っていたのよ。綾小路くんのところにも同じように入っているはず」
そう言われ、綾小路が郵便受けの中身を確認しに向かう。
「これのことか」
案の定、戻ってきた綾小路の手元には一枚の紙があった。そして同じ内容が書かれている。
「当の一之瀬はどう思っているんだろうな」
「今までも無視をしているのだから、今回もそうする可能性が高いわね」
「書いた本人が確信を持っていたとしても、私たちからしたら到底信じられないことだもんね」
一之瀬が問題ないと判断すればそれまでであるし、学校も介入のしようがない。行き過ぎた善意はお節介にしかならない。内容の信憑性の低さがかえって壁となっていた。
今は一之瀬を助ける大義名分が欲しいところだ。
「オレたちは今は外野の人間でしかないから、何かすることはできないぞ」
「まあね。帆波ちゃんが一人で解決してくれるのが一番手っ取り早いし」
それは犯人である坂柳も十分理解しているだろうし、神室を接触させたことも綾小路を巻き込むためだと言える。
綾小路なら一之瀬が病んで南雲のものになることを防ぐことができるだろうし、気を引くこともできるだろう……そう考えての今回の出来事なのだとしたら坂柳の綾小路への感情、相当重いぞこれ。
推測だけで坂柳に対してドン引きしていると、ロビーが騒々しくなった。入り口の方へ目を向けると、渦中の人物である一之瀬がいた。
クラスメイトの一人が一之瀬に紙を手渡す。一之瀬を取り囲むCクラスの面々は、心配そうに見つめている。
その間も一之瀬は紙に描かれた内容を何度も読み返していた。まるで今自分は夢を見ていて、本当は違う内容が書かれているんだと言い聞かせているようだった。
「……これがポストに?」
ようやく顔を上げた一之瀬は紙を渡した少女にそう問いかけた。
「うん……ひどいことをするよね。多分1年全員に……」
そしてCクラスの生徒の一人である麻倉が学校に報告することを提案したが、一之瀬はそれを断った。
学校に報告して沈静化を求めれば、自身にとって都合の悪い噂であると認めることになる。そしてそれは噂の内容が真実、またはそれに近い内容であると認めたと解釈されてもおかしくない。
他人に迷惑をかけることを嫌う一之瀬には、無視を貫き耐え続けるしか道はないのだった。
そんな一之瀬らCクラスの様子を見ていると、そことは別の方向から視線を感じた。愛たちの背後、少し離れたところで神室がこちらを見ている。
「どしたの」
「アンタには用はない」
「まあまあ、そんなこと言わずにさ。お茶とかどう? 奢られるからさ」
「当たり前のように払わせないでちょうだい」
「冗談だって〜」
デートのお誘いに失敗した愛は、クラスメイトを諌めてこの場を離れる一之瀬を眺めながら神室に問いかけた。
「これ、やったのAクラスでしょ」
「だとしたら何?」
「いや、別に。有栖ちゃんはそういうことすると思ってたから」
坂柳有栖という人間は敵には容赦がないことは分かっている。というか自分が天才であることを見せつけて満足するタイプなので、それが一之瀬であれ例外ではない。
Bクラスから陥落した一之瀬を、それでも狙うのは4クラスのリーダーの中でも最も崩しやすいからだ。
龍園は綾小路に敗れこそすれど力はあるし、汚い手をよく使う。堀北は後ろに綾小路がいる。
一之瀬はクラスの成績が下降中ということもあり、すでに終盤のジェンガくらい脆くなっている。
他に付け加えるなら、万引きという明確な弱点があった。
要するに、一之瀬は恰好の的なのだ。
「それで、アンタは坂柳を止めるつもりなの?」
「そういうつもりはないよ。ただこのまま帆波ちゃんを壊されると面倒だから」
「どういうこと? 一之瀬は敵じゃない」
この学校ではクラスが異なるということと敵であるということはイコールである。
Bクラスである愛にとってCクラスの一之瀬がどうなろうと知った話ではないし、再起不能になってくれているのであればその方がありがたい。
「有栖ちゃんから聞いたんだけど、新しい生徒会長が帆波ちゃんを自分の所有物にしようとしているらしいから」
「……何それ」
「生徒会長の目的は知らないけど、帆波ちゃんを通じて上の学年からの妨害が入ってくるのは避けたいんだよね」
「坂柳はそのことも考えている……とは思えないわね」
「有栖ちゃんは真正面から生徒会長を倒しにかかりそうだしねぇ」
杖をついていて激しい運動ができないように見えるが、坂柳は頭脳派脳筋だと愛は勝手に考えている。
特に綾小路のことになるとその傾向がより顕著になる。
ちょっと綾小路の名前を出すだけで『戦いたい』と言われてしまうと、イメージが180度変わりかねないのでやめてほしいところだ。
「儚げに微笑んで言うんだ、『邪魔する人は全員ぶっ殺しますよ』って」
「絶対にそんなことは言わないわよ」
要するに、坂柳にとって問題がなくとも愛はそういうわけにもいかないということだ。
ただでさえポイントを集めるためにやらなければならないことがあるし、進級したら厄介な新入生に時間を割かなければならないのだ。南雲の相手をしている暇はない。
そもそも南雲が生理的に無理なので関わりたくない。山内と一緒に退学してほしい。
もしも南雲関連の問題が舞い込んできたらなるべく綾小路に任せようと思う。
「それにしても意外ね、アンタも坂柳と一緒に計画しているものだと思ってたけど」
「いくら私とてYESマンにはならないよ」
「あっそう」
「絶対納得してないな。まず私と有栖ちゃんの関係性を示すには──」
「悪いけど、他にも用事があるから行かせてもらうわ」
何かの危機を察してか神室は逃げるようにこの場を去ってしまった。
無実を証明するために神室にもわかりやすく説明しようと思っていたのだが仕方がない。
すでに嵐が過ぎ去り、いつも通りの風景に戻ったロビーを愛も後にした。
***
2月15日。前日の14日はバレンタインデーであり、各地でリア充がチョコのプレゼントを行っていた。ポイントの消費を封印している愛にはそのような高級な行事を行えるはずもなく、いつもと変わらぬ1日を過ごした。
そんな地獄のような1日を終えると仮試験という現在の実力を図るという目的のためだけに行われるテストの日がやってきた。
それから一之瀬が学校を休んだという情報を耳にするまでに時間はかからなかった。
本人は体調不良を理由に欠席しているが、かれこれ1週間ほど休み続けている。
間違いなく身体的な体調は回復しているのだろうが、精神的な方だろうか。
ともかくここまでは予定通りであることに安堵しつつ、愛は人通りの少ない昼休みを使って一之瀬の部屋を訪れた。
「帆波ちゃーん」
インターホンを鳴らし、中にいるであろう一之瀬に声を掛ける。
「愛ちゃん……?」
「心配で来ちゃった。少し話をしたいな」
「ごめん。また今度でもいいかな」
予想通りの、拒絶反応。それに構わず愛は一之瀬に話しかける。
「明日は来れそう?」
「どうだろうね……」
「やっぱり例の噂が原因?」
なるべく優しい口調でいくつか話しかけてみたが、噂関連の時だけ沈黙しそれ以外には返事があった。それでもはぐらかされてしまったが。
その後昼休みいっぱいまで玄関に居座り続けた。
「明日も来るね」
「大丈夫だから。少ししたらまた学校に行くから。だから、もう来ないでくれるかな……」
愛は何も言わずに学校へと戻った。
翌日も、その翌日も、一之瀬が休んでいることを耳に入れた上で愛は一之瀬の部屋を訪れた。その度に拒絶され、部屋を訪ねた。
「ねえ、愛ちゃんはどうやって立ち直ったの?」
いつものように玄関を背に昼ご飯を頬張っていると、一之瀬の方から話しかけられた。
「私だって完全に立ち直れているわけじゃないよ」
「そうなの?」
「私がやったことは普通に殺人行為だしね。私は誰かに打ち明けて許してもらってるだけ」
「でも私なんかが許されてもいいのかな……」
「こんな私のことを許して受け入れてくれたのは他でもない帆波ちゃんなんだよ。帆波ちゃんにも許される権利はある」
一之瀬帆波はCクラスのリーダーであり精神的支柱でもある。クラスメイトの誰からも信頼されていて悩みも数多く聞いてきた。
だが、一之瀬が頼ることのできる人物というものはいない。どんなに苦しいことも、辛いことも全て飲み込んで隠して明るく振る舞い続けなければならない。
その末路が今の一之瀬だ。
「私ね、万引きをしたの」
一瞬にも、永遠にも思えた静寂の後一之瀬はゆっくりと話し始めた。
妹が欲しがっていたヘアクリップを盗んだことを。
一之瀬家は、母と帆波、妹の3人暮らし。娘の生活を守るために働いていた母親は、妹の誕生日に当時流行っていたヘアクリップをプレゼントするために今まで以上に働き、倒れた。
結局入院することになり、収入源は途絶えた。ヘアクリップは買えなくなった。
一之瀬帆波は妹の笑顔を取り戻すためにヘアクリップを盗んだ。
そして程なくして母に見つかり、店に謝りに行った。
時計を確認すると、すでに昼の授業が始まっている時間だった。
愛は構わず一之瀬の懺悔に耳を傾け続ける。
一之瀬にはこんなことで立ち止まってもらっては困るのだ。
***
一之瀬に無事に万引きの過去を暴露させることに成功しました。
次の日に一之瀬が登校すればいいのですが、もし引きこもった場合再走ですからね。
南雲からの妨害で達成時期が大幅に遅れてしまうのでね。
まあ暴露させた上で部屋に篭ったままという事例は今まで一度もないので大丈夫だと思います。
***
翌朝、愛はいつもより落ち着かない朝を迎えていた。
目が覚めた時、愛は大量の汗をかいていた。
どんな夢を見ていたのかは覚えていないが、体が恐怖を訴えている。
「またか……」
そしてこれは初めてではなかった。定期的に、何度も、この現象に襲われていた。
この学校に来るまではこんなことはなかった。
布団から這い出て水道の蛇口を捻り水分を補給する。
汗で張り付くパジャマを脱ぎ捨て、汗を拭いて制服を着る。
「今日はちゃんと来てくれるよね、帆波ちゃん」
出どころ不明の不安に苛まれながら、朝食の準備をする。
消費期限の切れた菓子パンの半分と水道水。
Aクラスに上がるためだからとポイントの使用を自ら禁止しているため、所有量に反して極貧生活を送っていた。
授業中は流石にお腹が空くし、昼以降も山菜定食だけで持ち堪えられるはずもない。
「未来のことが視えるとかわけわかんないよ……」
高校生になってからなぜかこれから起こることがわかるようになったし、それに基づいた行動を取らされる。愛の意思に関係なく。
与えられたレールに沿って与えられた業務をこなしているだけでしかない。
「Aクラスに上がったら、解放されるのかな」
そうであって欲しいと願うが、確証はない。
完全に腹が満たされていないが、今日の朝食はこれで終わりだ。
0円コーナーに並ぶ商品には限りがある。一人当たりが買える量にも限界がある。
こんな生活でなんとか生きていけている現状が奇跡だと感じることも少なくない。
「だめだよ私。今日は帆波ちゃんが来るかもしれないんだから」
鏡の前で自らの表情を確認してから家を出る。
エレベーターのボタンを押し、降りてくるのを待つ。
しばらくしてやってきた箱の中には、一之瀬が乗っていた。
「お、おはよう愛ちゃん」
「おはよう帆波ちゃん」
愛は心の中で安堵した。
一之瀬帆波が登校を決意してくれたことによって、また一つ関門を通過できたような感覚になる。
「久しぶりに顔が見れて嬉しいよ」
「にゃはは、今回は助けられちゃったね」
一之瀬は恥ずかしげに頬を掻いた。
その表情を見るに、万引きの過去を乗り越えることができたのだろう。
「もしかしたら今日、坂柳さんが私たちのクラスに来るかもしれない」
どこか遠くを見つめながら、一之瀬はそう呟いた。
「私をさらに追い詰めて心を壊そうとしているんだと思う」
何もなければ、今日の昼休み。坂柳はクラスメイトを引き連れてCクラスを訪れる。
ロビーを出て外に出ると、雲の切れ目から差し込む太陽がいつもよりも眩しく感じた。
「でも大丈夫! みんなには正直に話すよ」
「怖くない?」
「もちろん怖いよ。でもCクラスのみんなならちゃんと受け入れてくれるし、何より──」
一之瀬は愛の前に躍り出ると、白い歯を見せて言った。
「愛ちゃんがいるからっ!」
朝起きれないので失踪します。(ネタ切れ)