千歌ちゃんと果南ちゃんが入院した。その事を聞いたのは、部活の練習が終わって暫くしてから…つまり、家に帰ってから、暫くしたときだった。ご飯を食べて、お風呂にはいってさっぱりとした気持ちで、私は部屋でくつろいでいたんだ。
携帯をちょいちょいといじって、私は適当な音楽をかけた。近所迷惑にならないように、もちろん小さな音で。
ぐっ、ぐっ。体を伸ばしたり、前屈したり。今では慣れたものだけど、水泳の後のこの体解しをやらないと、翌日は妙に体が重い。いつもの日課だからついでに、とストレッチをこなしていると、階下からママの声が響いた。志満ちゃんから電話よ、早く来なさい。そう言われて私は、携帯をもって下に降りた。
「はい、もしもし…」
志満さんからの電話だなんて珍しいな、何かあったのかなと電話に出た。疲れたような声だった。掠れていて、所々で憂いを含ませた息を吐く。そして、衝撃の一言が放たれた。
あっけにとられた私に、志満さんの声が優しく響いた。今日はもう遅いから、明日にでも来てあげて。千歌も、きっと喜ぶわ。
そう告げると、夜分遅くにごめんなさいね、それじゃあ。と電話が切れる。受話器をそっと戻した私は、逃げるように自分の部屋へと戻った。
「千歌ちゃんと果南ちゃんが、入院、した…」
志満の言葉を反芻して、じくじくと胸が痛んだ。大切な幼馴染が、すきな人が苦しい思いをしていただろう時に、なにもできなかった自分を呪った。
その夜は、いつまでたっても眠ることができなかった。
「曜ちゃん!朝よー!」
ひどく眠い。結局寝付けたのは深夜二時。今は六時だから、結局は四時間しか眠れていないのだ。
「うん、すぐ行くぅ…」
パジャマを脱いで、適当なウェアを着て、寝ぼけ眼を擦りながら階下へと降りていく。洗面所へ行くと、ママとはちあった。
「あら、おはよう。…寝付けなかったのね、クマが酷いわ。心配だものね、千歌ちゃんのこと。」
ママは優しい声音で目の下のクマを親指の腹で擦って、優しく微笑んだ。手櫛で私の髪を優しく解かしながらママは言う。
「今日は学校、休みなさい。千歌ちゃんのお見舞い、行きたいでしょう?」
送って上げるから、用意しておきなさい。そう言うと、ママはキッチンへと向かった。
洗面台で顔をぱしゃぱしゃと洗ったあとに、リビングへと向かう。ママは温かいご飯とお味噌汁、昨日作った晩御飯のハンバーグを焼いてくれていた。朝からハンバーグは重いんじゃない?そう言うと、ママは優しく微笑んだ。
「元気を出すのには大好物を食べるのが一番でしょう?おっきいの、焼いてあげるからね。」
「…ん、ありがと、ママ。」
数分、ぼうっとテレビを眺めていると、香ばしい匂いと、ご飯の甘い香りが漂ってきた。「曜ちゃん、ご飯よ。」とママは笑う。美味しい匂いに引き摺られて、お腹の奥がきゅんとした。
「いただきます!」
ハンバーグを平らげて、寝癖直しと歯磨きを済ませる。ママは顔に薄く化粧を施して、スーツを着込んでいた。行こうか。優しく微笑むママに頷いて、私は車に乗り込んだ。
「私、今日はパートだから。帰りはバスで帰ってきてね。」
病院の駐車場で、ママはそう言った。お昼ご飯と、お見舞いの品にって五千円を私に手渡すと、颯爽と去っていった。
「えぇっと、ここの病室で…あってる、よね?」
302号室。受付で聞いた番号を思い出しながら、私は動悸収まりきらぬ胸に手をあて、すうっと息を吸った。
「千歌ちゃん、果南ちゃん、おはヨーソロー!」
あくまで普通に、元気よく。暗い私なんて、私『らしく』無いから。
病室のドアを開けると、問診を終えたらしい二人が、病院食を食べている所だった。二人とも左腕に点滴をつけているけれど、他に特に異常なところは無さそう。ホッと息を吐いた。
「あれ、曜?学校は?」
もぐもぐと白ご飯を咀嚼していた果南ちゃんが、口を隠しながらそう言った。千歌ちゃんも素早く口をもぐもぐと動かして、一息吐いてから「そうだよ、学校は?」と言った。
「あははは…二人が入院したって、昨日聞いて…ママが、今日は学校休んでお見舞いに行きなさいって。ああこれ、買ってきたからあとで食べようよ。」
ここに来る経緯を説明すると、果南ちゃんが苦笑いをしていた。面目ない…と呟く声が聞こえて、千歌ちゃんも少し俯いてしまって、これじゃあなんだか私がいじめているみたいな雰囲気じゃあないか。
「ホントだよ!もう…二人が入院したって聞いて、気が気じゃなかったんだから!」
私は敢えて怒ったふりをした。二人を見て、じわりと滲んだ涙を隠すためだ。二人はますますシュンとして、病室には静寂が満ちた。
私の洟を啜る音だけが響いて、徐々にしゃくりあげる声が大きくなる。千歌ちゃんも果南ちゃんも、私の様子に気がついたのか、顔を上げた。今の顔を見られたくなかった。涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃだ。昨晩から泣き続けて腫らした。弱虫の顔が見えてしまっている。今にも嗚咽がこぼれそうなのを耐えていると、ふわりと優しい暖かさに包まれた。
「ごめんね、曜。心配かけちゃったよね…」
やさしい匂いが私を包む。病衣からほんの少しだけ匂い立つ消毒の匂いと、嗅ぎ慣れた果南ちゃんの匂い。優しい、声音。優しくきゅうっと包み込まれるように抱き締められて、とうとう私の心の堰が切れた。涙が溢れて、二人の顔がぼやける。心配だった。二人とも、私の『タイセツ』だから。
「ばか、ばかっ!死んじゃったら、どうするつもりだったの…!二人とも、死んでたかもしれないんだよ!?私、嫌だよ!千歌ちゃんが死んじゃうのも、果南ちゃんが死んじゃうのも、どっちもやだよぅ!ばか!ばか!ばかぁっ!」
我ながら、何て情けないんだろうか。生きててよかった。その一言が言えずに、私は素直になれない子供のように泣きじゃくった。
「ごめん、ごめんね。」
果南ちゃんは、ただただ優しく、私の背中をさすってくれた。泣きつかれてしまった私はそのまま眠ってしまい、あろうことか眠ってしまった。覚えているのは、前後にあった、暖かい、感触だけ。