ドラえもん対スーパーロボット軍団 出張版   作:909GT

21 / 787
今回は日常回です。


第二百四十八話「2004年ののび太達」

――2000年代前半。キュアフェリーチェこと、花海ことはは人生(元・妖精だが)最大の恥ずかしいイベントを迎えていた。なんと、プリキュアの姿が解けないために、そのままの姿でのび太の両親に挨拶をするしかなくなったのだ。フェリーチェの状態では外見相応の精神年齢になっているので、言葉づかいは問題ないのだが、変身が解けないのは状況的に罰ゲームに近かった――

 

「……これからよろしくお願い申し上げます……」

 

流石のフェリーチェも緊張でテンパったか、挨拶としてはズレているとも取れる一言であったが、のび太の両親はドラえもんたちで既に慣れていたので、普通に受け入れた。同時に、食費と学費はアドルフィーネ・ガランドから『彼女の生活費や学費は我が機関が負担します』という手紙がのび太から渡された。(ちゃんと日本語になっている)野比家はのび太が少年であった時期は家計の余裕があまりなかったのは知っているからだ。かくして、ことはの野比家での生活は始まった。元の姿に戻れるようになってしばらくは、時たま外で遊んでいたが、2003年頃にはのび太が通っていた中学校に通う事になった。養子縁組もその頃に行われた。また、プリキュアという存在そのものがまだ世の中に存在しない時間軸であったが、キュアフェリーチェに変身して、街で起こるちょっとした事件を解決する事もあった。そのため、謎の『美少女戦士』として2003年から話題にのぼっており、やがて『プリキュアオールスターズ』の概念が確立された時代(プリキュア5~スイートプリキュアまでの時代のどこか)に『自分もプリキュアである』とカミング・アウトするのである――

 

 

 

――2004年 夏――

 

2004年。なぎさとほのかがアニメキャラとして『デビューした』年、のび太は高一の夏を迎えていた。のび太は中高の六年間の内、実に四年をその時々の次のステップの準備に費やす事を余儀なくされたが、のび太の学業成績が『良くない』事を考えれば仕方のない事であった。のび太が『青春を一貫して謳歌できた』のは、成人を挟む大学入学の四年間であった。玉子としては『のび太は人の数倍努力して、やっと一人前』なので、受験勉強に関しては厳しくしていた。(息抜きはちゃんと許可しているが)

 

 

「今年は楽しむよ。なにせ、しずかちゃんのいく大学に入るには、あとの二年は勉強に費やさないといけないからね」

 

のび太の高校入学時の偏差値では『しずかの志望する大学にはとても入れないはず』であった。のび太は戦闘では天才的でも、普段の学業は小学校高学年から高校入学まで、基本的に『成績は悪い水準』のままであったからだが、中学時代以降に思春期を迎え、精神面の成長が顕著に現れると、『一見して、小学校時代と変わらない』ようでも、要所々々で成長した一面を見せる。ことはへ『兄』として明確に振る舞うようになったのは、自分がことはの外見年齢を追い抜いてからであるものの、面倒見が良いところが顕著に表れていた。高校入学後もいつもの面々との付き合いは継続しているが、スネ夫のみは家業を継ぐことが確定したため、四人とは異なる学校に通っている。ジャイアンも『家業が最も苦しかった』時期である事、『自分を慕う少年の力になれなかった事』を悔やんだためか、高校入学からは少年時代の『暴君』ぶりは鳴りを潜めつつあり、のび太の良き理解者であった。

 

「のび太も大変だよな。来年からはまた、ひたすら勉強だろ?」

 

「しずかちゃんの行こうとする大学は偏差値がそこそこ高いからね。うちのお袋はそこを心配してるのさ。なに、大学に入れば、お袋も安心するさ。お袋は『僕が無事に大学に入れるか』を心配してるだけだし、入れば『憑物が取れる』さ。そっちはジャイ子ちゃん、直にデビューでしょ?」

 

「おう。お前たちのおかげでな」

 

ジャイ子は少なくとも、中学の卒業くらいには正式な連載デビューを飾る。成長後の2020年代には『なんでも屋のヒットメーカー』として名を馳せている他、2015年に同人仲間『茂手もて夫』と婚約し、同年中に結婚する。2004年の頃には、応募作が有名漫画雑誌に『大物作家の急病による休載の穴埋め』で読み切りとして掲載されることが決定している。ジャイ子はストーリー漫画をもっとも得意とし、プリキュア達が公に活動している時期にコミカライズの一つを担当するに至るのだ。

 

 

 

「こっちは親父が昇進して、金回りが良くなり始めたよ。おふくろも僕の『道楽』には、口を出さなくなった。僕が思春期に入って、グレるのが怖いのと、親父が趣味人だからね」

 

「趣味に口出ししていいのは、ガキの頃までだよな。時代もカーチャンやオヤジの頃とはすっかり変わったし」

 

「僕らはちゃんと人生で成功するのを知ってるからね。君だって、大学は経済学部志望だろ?」

 

「スーパーを開業して、カーチャンたちを楽にしてあげてぇからな。ほら、お前が引っ越す予定の駅前にでかいのできたろ?あのせいでウチの経営が苦しくなってな。おまけに『たかくん』のこともある」

 

 

ジャイアンが単純な『横暴なガキ大将』で無くなった理由の一つは、自分を慕っていた身体障害者の少年が引っ越した先でいじめにあって、その後に精神を病んだ(その少年は不幸な家庭環境と病弱な体もあり、その後に40代後半で亡くなってしまうが、ジャイアンが精神を救った事には変わりはない)ことへの無力感もあった。

 

「ああ、正木さんちのボウヤ……。君のせいじゃないさ」

 

「俺がそばにいれば…と考えてる時があるぜ」

 

「あの子はこっちに戻ってきたよ。両親が離婚したせいだろうね。あの子、君のとこで雇ってやりな」

 

「そのつもりだ」

 

ジャイアンは思春期に試練を味わうことになったが、それを乗り越えた成人後には新進気鋭の経営者として名を成す。スネ夫の援助もあり、ジャイアンは大学の卒業後に『スーパージャイアンズ』を興すことになる。その『スーパージャイアンズ』は数百年後の世界では『アナハイム・エレクトロニクスに屈しなかった、気骨ある日本のコンツェルンを担う企業』にまで成長していく。

 

「スネ夫は?」

 

「今日は塾だとさ」

 

「小学校の時はサボってたくせに」

 

「あいつも遊びたかったんだろうさ」

 

スネ夫は本来はファッションデザイナー志望であり、独学で勉強もしていたが、結局は一族の家業を継ぐ。だが、スネ夫こそ『骨川家中興の祖』である。小学校時代は塾をサボっていたが、年齢的に家業を継ぐ事が現実問題になってきたためか、高校以降は真面目に通っていた。

 

「そういえば、地下のあれはどうすんだ?」

 

「引っ越す時に移設するよ。たんまり預かっちゃってるからね、超兵器」

 

のび太の言う通り、野比家の地下には超兵器が貯蔵されている。(さながら、後々に判明する『シャルバートの兵器庫』のようである)地球連邦軍が公には管理していないとされる試作機もかなりが秘匿されており、GP02AやGP04と言った『曰く付き』のものも多い。この格納庫は『新野比家』になった後の時代に移設され、プリキュアたちが正式に軍務についた後は、搭乗兵器の格納庫としても活用される。

 

「あれはおふくろさんたちには?」

 

「言うわきゃないでしょ。ガキの頃だったら、おふくろは『捨ててらっしゃい!』っていうのがオチだもの。いうにしても、僕が成人して、就職した後さ」

 

のび太は官僚になった後、政府の依頼で預かっているという体裁で地下の倉庫を使っていると言う風にだけ伝える。のび太はこうした秘匿策で外敵から地下格納庫を守っていた。実際に数年後、ラ號(大和型五番艦でもあるラ級戦艦一番艦)の現存が正式に確認されたが、大日本帝国の消滅までに軍に納入されなかった以上は影山コンツェルンの持ち物であることは大いに問題視されたが、ラ級戦艦の力は『最終世代の戦艦を飛ばした』だけに収まらないために強引な接収を諦めるように、21世紀の日本政府は失策も目立った。また、日本連邦の樹立前後からは、時折現れる敵の戦艦に対抗できる『雷撃戦法』を『危険だ』というだけで禁止してしまうなどの軍事的な悪手を連発したこともあり、転移してくる敵艦の相手は扶桑艦隊に任せっきりであるなど、恥を晒している。水面下での交渉の段階であった2000年代半ばの頃から、後のGフォースに繋がる『日本/扶桑の防衛当局の直接指揮下でない、双方の戦力を供出した上での特殊な精鋭部隊』は構想されており、自衛隊の『秘匿装備』はすべてをその部隊の管理下に置くことが既に取り決められていた。64Fは未来装備を独自に有する事、各世代の代表格のウィッチを有することもあり、その構想が『Gフォース』として結実する段階で、扶桑側での母体に選定されるわけである。(ウィッチは基本的に、人員の練度が七年~十年収期の『世代交代』で一定の割合で下がるため、日本側には『サラブレッドじゃあるまいし、ピークが短すぎるくせに、声は大きい。実に厄介な連中だ』と見られている。それと対極的とも言える『永続の魔力を持つ』Gウィッチは他のウィッチから『突然変異の連中』と奇異の目で見られつつも、軍上層部としては『強さが既に保証されているから、安心して最前線に投入できる』という絶対的メリットがある。ダイ・アナザー・デイで表面化するが、『精鋭との鳴り物入りで投入した部隊が実際には役に立たなかったどころか、足手まといであった』事例が頻発するのである。グローリアスウィッチーズにしても、ブリタニア本土に長く引きこもっていたため、実際の練度は大きく低下しており、地上空母に一蹴されてしまう)

 

 

 

 

 

――この頃から『連邦が成った後に起こるだろう』双方の軍事関係者を悩ませていた問題も高校生ののび太の耳に届いていた。――

 

「子供と大人の僕からの連絡があったけど、2010年代になった後、日本連邦ができるじゃん?」

 

「おう」

 

「その時に、奴さんの連合艦隊司令部を戦艦に乗せて、十字砲火に突っ込ませろって批判が出てるんだって」

 

「おいおい、日露戦争の頃じゃねーんだぞ?」

 

「司令長官が豊田副武大将だったら、元・日本軍の連中に闇討ちされてもおかしくないけど、その後任の小沢治三郎長官だったから、その手の批判は少ないらしいけどね」

 

「かわいそうだよな、その豊田って司令官。向こうじゃ『何もしてない』のに、予備役編入だろ?」

 

「日本軍の義勇兵のうち、将校や古参だった世代が嫌ってるから、そうするしかなかったんだって。旧軍の提督なんて、いうなれば全員が敗軍の将だから、大小のミスはやらかしてるし、重箱の隅をつつけば、いくらでも問題は出てくるから、その中で有能な人たちを使うしかないし、嫌われ者には前線に突っ込ませて、華々しく散ってもらうしかないっていう政治的判断さ」

 

「なんて言おうか、日本的だよな」

 

「同位体に史実の行いの怒りをぶつけても、厳密には別人なんだから、何らどうにもならないってのにね。『どうせ同じことをどこかでするから、その前に要職から未然に除くってのは、勝手すぎるし、独善的だよ」

 

ウィッチ世界では、『特段のミスも犯していない者』を史実でのミスリードや『選択ミス』を理由に現職から更迭し、良くて閑職、悪ければ予備役編入するという制裁的な人事の決定は『ある時の日本の内閣』が政治的理由で取り決めたものであり、扶桑側も渋々ながら容認するしかなかった。一方的な感情論で更迭の対象にされた将官や佐官も多いため、後にクーデターを起こしたウィッチ達やそれに同調した軍人の多くは『彼等に故郷で見いだされ、父のように敬愛していた者』であったため、扶桑で助命論も吹き出るほどだった。日本側はクーデターを主導した将校たちを当然ながら処刑するわけだが、扶桑の大衆には『日本の言いなりである』ことに強い不満を持つ者が多かったため、『敵対者を冷酷非情に処刑する』ことに恐怖を覚えた農村部がウィッチの供出をしなくなるという事態となり、結局は『不敬罪』を意識させるのを意図して『玉音放送』を流す羽目に陥った。後年、大戦初期の様子として語られる『ウィッチの集団就職』は実際には『農村部が不敬罪の適応を恐れたため、質の良し悪し、年齢を問わずに強引に送り出した者達』でもあり、集団就職のウィッチで、後の太平洋戦線で顕著に活躍していったのは、ごく少数であった。2010年代に入った後の日本は結果として、『自衛隊をどのように関わせるか、という点に苦心していくことになる。(質的に、とても戦線に回せない者が多すぎたのも、義勇兵やG/Rウィッチへの依存に繋がった)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ちなみに、ダイ・アナザー・デイ当時の連合艦隊司令長官は『小沢治三郎』であった。着任当時は中将だったが、色々な都合でM動乱の後に大将に任ぜられている。連合艦隊司令長官は実戦部隊の総指揮官としての役目が強化された。豊田副武のままなら、『豊田降ろし』運動が起こっていただろうと言われている。豊田副武本人としても『とばっちり』だが、彼はウィッチ世界では『地上からの指揮への移行』を『通信網の発達』を理由に推進していたため、日本の世論がヒステリックに『陣頭指揮』を礼賛し、自分を叩くことに不快感を示したが、自分は『敗軍の将』であるという事実に大きなショックを受け、ダイ・アナザー・デイ後すぐに予備役に編入される人事を受け入れている。対して、小沢治三郎は『名将だが、彼が指揮を任せられた頃の空母機動部隊や連合艦隊は烏合の衆に成り果てており、ついにその手腕の真価を見せられずに終わった』という史実の悲劇性もあり、日本側の評価も高い。ウィッチ世界の1945年頃には、福留繁などの旧来のエリート層に属した高級将校の多くが日本側の意向もあり、次々と中央から有無を言わさずに追放されたため、ダイ・アナザー・デイを前にして、『参謀』職そのものが有名無実化してしまった。作戦で臨時に幕僚の任務を果たした者の大半は防衛省の厚意で派遣された統合幕僚監部付きの自衛官であり、扶桑陸海軍の生え抜き参謀でダイ・アナザー・デイの作戦の中枢に関われた者は史実で比較的に有能であったと判定されている極少数であった。その彼等にしても、源田実は『エースパイロットを作戦に従わせるための単なる神輿さ』と政治家や官僚に裏で見なされるなど、精神的屈辱を受けている。(逆説的には、源田サーカスはエースパイロットたちの憧れの原点であった事の証明であるが)とは言え、エースパイロットたちの地上指揮もこなせ、自身にパイロット経験がある『1945年時点で比較的に若い』海軍参謀の出身者はダイ・アナザー・デイ時点では彼一人であったため、日本側は『扶桑を立てる』意図で彼を空軍司令官に抜擢した。小沢が連合艦隊司令長官になれた理由の一端はそこにあった――

 

 

 

「時代的に反乱起きねぇか?」

 

「起こるね。青年将校たちがきな臭いから。幼年学校の廃止は内々で決まったらしいけど、幼年学校から士官学校に行ったのが多数派だから、扱いに困ってるんだって。ま、日本は真っ先に廃止したかったけど、在校生が外地を入れると膨大だから、高等工科学校に改編するって」

 

「グダグダだな。野球のトレードのほうがマシだぜ」

 

「扶桑は史実より国土が広いから、士官学校生や少年戦車兵、航空兵、通信兵制度で軍学校にいる人数も桁違いに多い。しかもその内の何割かはウィッチだよ?2010年代の防衛省は目を回したってさ」

 

「大変だよな、七年後くらいからの日本」

 

「まぁ、扶桑と接触しなけりゃ、2020年になる頃にはさ、目に見えて落ち目になってただろうから、経済が往時の姿を取り戻せるなら、血の献身は安いものだと思うだろうね。軍事力に代わって、金の力にすがっても、得られたのは、何十年間かの経済大国っていう儚い夢だけだったしね」

 

のび太は高校時代の頃から、後々の仕事を考えれば当然と言えるが、『聡明なところ』が表れてきていた。日本の経済大国の地位は『儚い夢』だと述べるなど、バブル崩壊後の暗い世相を少年~青年として過ごしてきた故か、洞察力も身につけてきている。バブル期の終焉後は停滞と衰退の道に足を踏み入れた日本が選んだ道が『まだ活力に溢れていた時代の同位国の力にすがる』ことであった事は日本の政治家や官僚にしてみれば屈辱だろうが、衰退し始めた日本は『如何な経済学でも立て直せない』とさえ言われていたため、連邦化は最後の切り札のカンフル剤である。情報が外に漏れないように、会合は扶桑で行われている(政権交代後も行われ、政権再交代で具体化する)。

 

「向こうの勲章はどうすんだ?」

 

「それがさ、金鵄勲章ってあるじゃん?軍人の勲章。それの廃止論が吹き出てね。代替措置を色々と用意してるそうなんだけど、軍人を見下してるのが見え見えでさ、揉めそう」

 

「向こうの顔を立ててりゃいいのにな」

 

「自分たちのほうが偉くて、高尚って思ってるのさ、そういう連中。こりゃ、こっちの戦後の始まりに近い時間を迎えないと落ちつかないと思うよ。こりゃ、僕たちが三十路になる頃までかかるかもね」

 

「そういうの、この国はグダグダだよな」

 

「日本って国はね、官僚連中が既得権益を守ろうとするのさ。自衛官がでかい顔するのは戦後日本じゃ嫌われるけど、大人の僕も呆れてるよ」

 

 

 

 

 

――2004年頃には後の『日本連邦の組織』の概容は殆ど決まっていたが、数年後に交渉停滞の原因になったのが『武功勲章の廃止とその代替措置の検討』であった。武功勲章はどこでも存在するのに、なぜ廃止するのかという疑問が投げかけられたからである。日本側の検討者たちは『連邦を組むからには、制度を統一する必要がある。功ある軍人達には銀杯と一時金の授与をするし、定年退官時に瑞宝章を授与するし、現役中は専用の防衛記念章の着用……。メダルが欲しいなら、外国からもらうべし……』という言い分であった。当然ながら、扶桑の軍人達の猛烈な反発を招き、交渉停滞の原因になった。この議論は日本連邦の樹立後も続いたが、ダイ・アナザー・デイで金鵄勲章を日本の自衛官が叙勲することで幕切れとなった。結果、妥協的に『扶桑の金鵄勲章は、日本では危険業務従事者叙勲での瑞宝章と同列に扱う。年金その他の財源は扶桑の負担とする』ことで矛を収めた。扶桑のクーデターを鑑みての日本側の妥協であった。結局、日本連邦の体制が固まり、組織が本格始動したのは、太平洋戦争の開戦が現実味を帯びてきた現地での『1947年』であった。――

 

 

 

 

 

 

――樹立後の問題として、軍隊の教育制度を自衛隊式に変革しようにも、軍学校の在校生が何万人の規模でいるため、その取り扱いで揉めてしまい、士官学校の統合(防大式)とそれぞれの分野の専門教育機関の設立(自衛隊の幹部学校に相当)、高等工科学校の幼年学校からの移行が決まったのは、ダイ・アナザー・デイの後であった。そして、正式な発足は太平洋戦争開戦が迫る頃であった。結局、『教育の長期・高度化』が軍役を『年金の確保』と『嫁入りの箔付け』に使っていた農村部に却って嫌われたため、ウィッチの人数が新規で大規模には確保できなくなった。窮した軍部は義勇兵や退役軍人の再召集で当座を凌ぐことになっていく。その常態化で『新規育成のノウハウ』の喪失を恐れた者たちは時空管理局のカリキュラムの導入を提唱。日本出身者との親和性が存外に高いため、扶桑のウィッチ覚醒が休眠期にあった時期の『ウィッチ候補生』は日本出身者が実のところ、大半であった。ダイ・アナザー・デイでのプリキュア達の死闘は『カールスラントは世界一』の時代を終わらせ、『日本連邦をなめんなよ』時代を到来させたわけだ。ミーナが人格の変化後にノイエ・カールスラントの地に足を踏み入れるのを避けた理由は『カールスラントの軍事的な意味での黄金時代を終焉させた元凶』とされ、人格変化後もそれを強く気にしたからである。日本連邦が軍事大国にならざるを得なかったのは、ドイツ連邦が軍事大国の地位をポイっと捨てたからで、ナチス化防止という大義名分を掲げたドイツとしては衝撃であったが、わかりやすい『連邦の失敗例』が示されたことで、日本は扶桑への過干渉をやめ、自国の益のために連邦の枠組みを活用することになる――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――実際に、日本とドイツの論理で弁明も無しに裁かれた軍人や警察関係者、皇室親衛隊(加)関係者は膨大で、後に『再審』という名目で無罪放免、あるいは薬物治療を兼ねての禁錮となった者も多かったが、護送途中で暴徒による私刑に遭い、長期入院になるか、あるいは職務復帰不可能にされた者も続出した。この事件の衝撃で、ウィッチの軍への志願数は壊滅的に低下。軍に既に在籍していた『超人』たちにおんぶにだっこの状態がしばらく継続。以後の時代で『ダイ・アナザー・デイ~太平洋戦争に最前線で従軍した』経歴は絶大な権威を持つことになる。扶桑軍の誤算はダイ・アナザー・デイで、エースウィッチの交代要員として確保していた飛行学校の教員達の動員令を一方的な思い込みで『なかったことにされた』ことである。この施策はクーデターが起こる一因とされるなど、愚策と判定されたが、日本の政府関係者は『教官は前線で使うものではないんだ!交代要員が前線にいないなんて、まったく思ってなかった』と釈明している。(この失態は金鵄勲章廃止論の幕切れや、ダイ・アナザー・デイ従軍記章に等級が設けられる理由付けとなる)日本側も流石に罪悪感を持ったのか、事後に64Fの教育部隊『極天隊』への志願に必要な資格を予定より緩和しつつ、武功章の発行は積極的に行った。ただし、人的混乱は太平洋戦争の開戦後でも収まりきらず、世代交代は遅々として進まず、戦力の中枢は1949年になっても、依然として事変~大戦初期に志願した古参達であった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、はーちゃんだ」

 

のび太らが卒業した中学校の制服に身を包むことはがやってくる。出会った時より精神年齢は成長しており、現役時代の朝日奈みらいと同程度になっている。外見相応に精神が成長したと言うべきか。当時は中学校に入学して間もない頃。前年にのび太の両親との間との養子縁組も済ませているので、戸籍上は『野比ことは』となっている。(従って、のび太の義妹となる。本格的なプリキュア活動時は元の名義を使うが、当分は先の事)

 

 

「あれ、のび太とジャイアンさん?」

 

「やあ、はーちゃん。学校終わったの?」

 

「うん。期末も終わったから」

 

苦笑ののび太とジャイアン。高校生になっても、学業成績はあまり変わっていないからだ。(彼らが官僚/経営者として成功した事に、彼らを古くから知る者らは後年、『信じられない』と口を揃える)

 

「俺達も今終わったとこさ。俺んちでアイスでも食おうぜ」

 

「はー!ありがとー!」

 

普段は現役時代と変わらぬ天真爛漫なことはだが、戦闘では流竜馬のような情け容赦のなさを見せるようになった。自分が守護すべき世界のすべてを失った結果であった。(神としての権能も失ったが、不死性は残った。大地母神の権能の代替となる力の一つはゲッターエネルギーを操る力である。ゲッター線の力を得たためか、戦闘では敵へ情け容赦しない傾向が強くなった)

 

「調はどこ行ったの?」

 

「綾香さんの命で、極秘に横須賀基地に行ったよ。あと数年もすれば、扶桑と日本の国交が始まる。その時には近代化した大和と武蔵をお披露目するから、港湾施設の確認も兼ねてる」

 

扶桑は2000年代半ばごろに日本と正式な国交を開始する。その時にお披露目されるのが、M動乱を終え、近代化の第二段階まで強化されていた大和と武蔵である。史実では全長263m/38.9mの幅だが、近代化で全長が30mほど延長され、幅も40mを超えている。これは総合性能強化のためで、『ずんぐりしていた』史実と印象が変わっているものの、近代化後も艦橋などの上部構造物周りの基本デザインは変化していない。(大和型は性能強化されたが、内部構造などでは、史実ほど『対人戦闘用の戦艦』として最適化されていない。そのために『完全なる戦闘用戦艦』が必要とされ、大和型の基本フォーマットを踏んだ上で、内部構造を根本的に戦闘用に改良した播磨以降の新戦艦が開発された。大和はウィッチ世界では『初代ゲッター1』的ポジション。その強化発展型の播磨型戦艦は『ゲッタードラゴン』(ゲッターロボG)的ポジションに当たる)に例えられた。また、M動乱で魚雷装備が見直されたため、水雷関連装備を再装備される巡洋艦/駆逐艦が続出していた。(M動乱で派遣予定の艦隊型駆逐艦などに酸素魚雷がないことに気づいた日本側の指摘で渋々と水雷装備をし直した乙巡や駆逐艦が活躍した事、対潜装備を軽視した結果、Uボートに散々に翻弄された戦訓から)M動乱後に『積めるものはなんでも積む』ように艦艇設計ドクトリンが変遷。未来技術も積極的に用いられるようになり、戦艦は『イージス艦にはない頑強さと地形を変える火力を備えた艦』という意義を見いだされ、その命脈を保つ。ただし、備砲の大口径化は大和型とそれを仮想敵として造られる旗艦級以外は抑えられる傾向になるが、ブリタニア連邦は『欧州の盟主』としてのプライドから、51cm砲装備を検討する。連合軍発行の雑誌の表紙を大和型に奪われたのが屈辱だからであった――

 

 

 

 

 

 

 

――月詠調(野比家滞在以降は心機一転の意図もあり、この表記を使用)は黒江の命で、観光客の体裁で極秘に横須賀基地を視察していた。この時は目的のもあり、却って珍しい私服姿(夏服)であった。拡大強化された大和型が本当に停泊可能か、当時に連合艦隊司令長官に就任したばかりであった小沢治三郎とその参謀であった矢野志加三の連名で確認するためで、21世紀日本では事実上最大規模の海軍基地になっていた横須賀の様子を連合艦隊へ伝える役目を担う事になった。(ウィッチ世界の横須賀基地の拡充の参考にしたいという思惑)――

 

「さて……予め、師匠を通して、見学を予約してもらってたし、英語も喋れるようになったから、意思疎通も問題ない。……さて、行こう」

 

調は童顔であるのもあって、『実際より若く見られる』事も多かったが、この頃は表向きは『大学生』である。(のび太の街の近郊にある新興の大学に本当に通っていた)『大学の課題レポートのため』ということで、見学ツアーに申し込んだ。黒江が在日米軍にこの頃からツテを持っていため、向こう側が気を回すだろう。仕事半分、遊び半分で、調は2004年夏の横須賀海軍施設に足を踏み入れた――

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。