――ダイ・アナザー・デイが終わって数年が経った太平洋戦争当時になると、連合軍へのカールスラントの影響力は大きく減じており、バルクホルン、マルセイユ、ハルトマン、ルーデルの四名が64Fの幹部として活躍しているのがせめての慰めであった。カールスラント陸軍はラーテ計画の推進の責で将官が数人は更迭されるなど、混乱が大きかった。ラーテは生産七号車までが完成していたが、実戦投入はされず、そのまま各地の博物館行きになった。そして、ラーテに代わる決戦兵器とされたのが、未来世界から持ち込まれたスーパーロボットたちである。時代相応の防御しか持たず、集中砲火か、MSの攻撃で容易く破壊されると指摘されたラーテ戦車と違い、スーパーロボットはそのパワーで『怪異ごと』敵軍を屠っていった。アスファルトの道路が整備されていたベルリンの奪還のためという名目で造られたが、いくらベルリンが欧州随一の都市であったとしても、1000トン超えの怪物を無限軌道で走らせることは未来世界の技術を以ても、ダブデ陸戦艇がそうであったように、行動にかなりの制限を生じさせる。そのため、ラーテは七号車の完成を以て計画破棄。建造途中であった八号車から十五号車は解体となった。同時に、解体されたラーテから外された主砲塔は三連装に戻され、シャルンホルスト級へ戻されていった。ラーテの代替は日本連邦の秘匿していたメカゴジラ、スーパーXⅢを含めた『超兵器』で賄われ、そちらのほうが大戦果を挙げた――
――日本連邦はこの秘匿兵器の存在で、一気に連合軍での地位を向上させたが、最大の要因はラ號の存在であった。超大和型戦艦の現物であり、未来世界の宇宙戦艦ヤマトと源流を同じくするモノ。天駆ける戦艦の戦略的意義を証明したわけだが、各国は同様のものを欲した。核兵器の弊害が明らかになり、怪異への効果も疑問であったからだが、同位国から核兵器を押し付けられ、ラ級の受領を諦めた国もあるが、大和型戦艦の系譜が連合海軍の主力を占めることを危惧する海軍大国は怪異への効果が見込めない核兵器よりも、平時における示威にも使えるラ級戦艦を欲した。また、ラ級は原型通りでも、核兵器でも落とせはしないため、核兵器の存在意義は低下した。この変化が後に核兵器の改良の果てに、反物質反応の兵器に行き着くわけだ。そんな政治的な動きは64Fの超人達の働きも大いに関係していた。
――日本連邦は一部の精鋭に最新装備が与えられる一方で、一般部隊の質はバラバラだった。これは予算規模の縮小で装備更新がゆっくりになったからである。その都合上、後方配置の部隊には九九式小銃が残置する状態であった。最新装備は高価であるため、精鋭部隊に優先配備されているが、これは日本連邦軍にはよくある光景でもあった。前線部隊は前線司令部が装備を独自に与える事も多く、コンバットアーマーの急速な普及もそのためである。戦車の更新がうまくいかないので、人型兵器で更新しちまえという奴だ。これに日本の軍需産業は困惑したが、扶桑はダイ・アナザー・デイでの急速な戦車の進化に保有する工場の設備が追従しきれずに戦車生産が捗らなかったため、比較的に数を揃えられる人型兵器が注目されたわけである。この時期には74式戦車の生産がようやく始まりつつあるが、日本では同車は退役しつつあるため、90式戦車以上の世代の新しい車両の生産も早期に計画されていた――
――戦闘機分野ではジェット戦闘機の国産に成功し始めていた扶桑だが、戦車部門はM動乱以降、その急速な進化に追従しきれずにいた。これは1945年当時には配備間もなかったはずの三式中戦車や四式中戦車も瞬く間に時代遅れになったからで、主力戦車の主砲口径は105ミリ砲が最低限という革新は扶桑軍需関係者を涙目にさせた。それをセンチュリオンとティーガー系の整備でノウハウを蓄えることで生起したダイ・アナザー・デイを乗り切り、当初の予定よりだいぶ遅れた49年度に74式戦車の生産を始めた。とはいえ、早晩のM60の登場が危惧されたため、その次も検討され出すという有様だった。日本連邦は人手不足なため、扶桑製車両は原型よりも機構が改良されている。とはいえ、配備は遅々としており、64Fはそれを補うために駆り出されていた――
――一方、M動乱からの流れで、戦艦が重視された日本連邦海軍は『戦艦は充実したが、逆に空母が不足する』状況に陥っていた。新空母は大型・少数精鋭化が志向された影響で、建造数は四隻前後であるし、既存空母はジェット機の搭載を想定されていない。困った扶桑海軍は涙ぐましい努力を続けているが、航空輸送艦さえ事欠く有様となってしまったため、解体予定の雲龍型航空母艦を航空輸送艦に転用することで急場凌ぎが行われた。また、高度化した電子兵装などの対応訓練にも追われており、ジェット機を扱える部隊は本当にエリートの航空部隊のみであった。エアカバーの量的意味の低下は米国系国家との戦争では好ましくはないため、レシプロ機もターボプロップ機化でいくつかの機種は延命され、空母の頭数を増加させる施策として具現化された。レシプロ艦上機はジェット艦上機と違い、維持費が安いため、多くの国では1960年代の終りまで使われ続ける。日本は燃料統一のためにターボプロップ機化を推し進め、戦中型日本系レシプロ機を場繋ぎで延命させ、数合わせとする。つまり、史実と異なり、日本連邦海軍はターボプロップ機を大規模に運用し、事実上のハイローミックスとしたのだ――
――1940年代の終りになると、戦艦の戦力価値はイージス・システム(M粒子対応型)を組み込まれた『イージス戦艦』の登場、誘導ミサイルの高価さが逆に問題視された事で持ち直した。とはいえ、戦艦のオートメーション化を推し進め、23世紀型イージス・システムを組み込める財力のある国はごく限られ、結局、三カ国のみの特権として認識された。日米英の三大海軍のみの特権として。これに反発したガリアとカールスラントだが、疲弊した国力では現有戦力の維持さえ覚束ないため、戦艦の新規調達よりも、現有艦の維持と鹵獲艦の修繕に予算を費やすことになった。だが、カールスラントはこの決定が内乱の一因になったため、建造中止扱いになったビスマルク級の同型艦の船体を空母に転用することとした。ドイツ海軍は空母保有に興味を示さなかったが、現地が熱心に研究していたことを鑑み、特例で認めた。その結果、まともな『戦隊』や『機動艦隊』を持てる国は、連合軍では二カ国のみとなり、日本連邦は戦艦の10隻態勢を維持せねばならなくなった。日本は戦艦と巡洋艦を縮小し、空母と潜水艦を増勢したかったが、敵が戦艦を量産してきたり、既存の日本型巡洋艦は高雄型重巡洋艦を含む大半のものが大正期建造の旧型であるため、結局、整備途中の超甲巡の改良(水雷・ミサイル装備追加)が継続され、乙巡の建造打ち切りなどが決められた。そのため、艦の大型化が顕著となり、駆逐艦でさえ、排水量が五千トンを超えるようになる。戦艦と正規空母は80000トン超えが当たり前と認識されるものの、扶桑の空母の大半は50000トン未満のものである。新式空母は50年代以後の竣工な上、日本側が出し惜しみすると見込まれているために、宇宙艦隊の整備は急速に行われた。地球連邦宇宙軍艦隊の余剰艦が人員ごと提供されたため、後に空軍は海軍的要素も得た『主力の軍隊』へ変貌していく――
――1949年に入ると、人型兵器の普及が扶桑で始まった。コンバットアーマーが騎兵科出身者が好む軽戦車の代替として、MSやメタルアーマー、簡易型スーパーロボットの配備も空軍中心に進められる。日本側が機密漏洩の防止を理由に兵器を出し渋ったら、『もっとすごいのが、別口から提供された』という奴だ。また、戦闘機にしても、エリート部隊は地球連邦軍からのルートで、21世紀のものが比較にならない『ワイバーン』、『コア・イージー』、『セイバーフィッシュ』を入手済み、64Fに至っては、地球連邦軍でも第一線級の『ブラックタイガー』、『コスモタイガーⅡ』(後期型)、『コスモ・ゼロ五二型』(後期生産型)を普通に運用している。コスモ・ゼロはコスモタイガーが開発された後は指揮官機としての少数生産に移行し、セイバーフィッシュの指揮官仕様を代替した。防衛省の役人が視察に訪れた時には、空自の保有機が比較にもならない高性能機が部隊によっては配備されていることに目を回す羽目となった――
――軍隊の『社会的特権』を性急に廃止した結果、旨味が無くなったため、今度は志願者不足に陥る悪循環となった。高額の年金や恩給で釣るしかないため、軍部はプリキュア達や若い世代のウィッチを広告塔にせざるをえなかった。黒江達は結果的にだが、部内で世代間対立の火種になってしまったため、広告塔としての起用は憚られた。代わりに、その弟子筋にあたる者たちが広告に積極的に起用された。これは中堅世代への心理的配慮であった。主に、調、ティアナ・ランスター、芳佳、のぞみがその該当者にあたる。特に芳佳は『アニメでの主人公である』という特権と『副業がプリキュア』である利点もあり、積極的に起用された。史実では部外では目立つ存在とは言えなかったため、そこも史実との差異であった。のぞみは『自国籍があり、軍の将校であるプリキュアでは、最も大物』という点が大きい。(シャーリーは一応、外国籍である)そのため、クーデター鎮圧後の時期からの発行である『軍の募集ポスター』はこの四人が季節ごとにかわりばんこで起用されている。レイブンズ(黒江、智子、圭子)の三人が20歳超えでも退役せずに、未だに第一線を我が物顔で仕切っていることへの中堅世代の強い反発もクーデター発生の一因なためだが、ウィッチの摂理そのものが覆り始めたので、その反発も一過性のものと認識されつつある。それが1949年に入った頃の扶桑国内の情勢であった。――
――扶桑がようやく、ダイ・アナザー・デイからの混乱の終息に目処が立つ中、ガリアはますます混迷の道に脚を踏み入れていく。救国の英雄であるペリーヌ・クロステルマンが私財すら擲っての国土復興に邁進するため、軍部は槍玉に挙げられたため、兵器の更新と再建がままならず、結果的にガリアの国際的地位の相対的低下を招いた。その結果、ド・ゴール派、王党派、伝統的な共和派、ボナパルティズム派などの対立が水面下で再燃。それぞれの派閥の過激派によるペリーヌ・クロステルマンへの暗殺未遂も七回を超え、ペリーヌはショックを受け、慈善活動にのめりこんでいった……というのが表向きのペリーヌがガリアにいない理由付けだ。実際には紅城トワとして扶桑へ渡り、日本連邦の戦争を戦っていた。ジャンヌ・ダルクとアストルフォもド・ゴール政権には与しなかったのもあり、ド・ゴール派は国内の不満を逸らすための手段としての戦争を模索する。だが、1949年時点で、海軍力では絶望的に開いていた。虎の子と言えるリシュリュー級戦艦は所詮は前大和型の代物。超大和型戦艦が揃うようになった連合艦隊に太刀打ちするどころではないのだ――
――ある日の統合参謀本部――
「西島少将。各国の軍隊は戦艦の造船を中断していますが」
「戦艦は金食い虫だ。未来技術がなければ、戦艦は時代遅れとされ、消えていっただろう。それが覆ったものの、今の状況下では新造は困難だ。我が国とリベリオンなどを除いてはな」
西島亮二造船少将。史実では造船大佐で、大和の工数管理で名を残し、後世に遺産を残した偉大な造船官である。ウィッチ世界では、軍が1945年8月以降も存続しているので、造船少将に昇進しており、扶桑の新戦艦の工数管理責任者も勤めてきたエースである。彼は各国が1940年代初めに建造を目論んだ新戦艦の情報が開示され、その多くは世界情勢の悪化で放棄されたが、中には『実現した世界』から持ち込まれ、大和型を窮地に追いやった強豪もおり、それが超大和型戦艦の誕生を促したことを自覚していた。皮肉な事に、連合艦隊が大和型をプロパガンダに使ったら、モンタナ級戦艦が生まれ、モンタナ級戦艦が紀伊型戦艦(八八艦隊)を倒すと、超大和型戦艦が生まれた。特に、後者は世論が軍を突き上げた結果の産物だ。
「そして、世論というのは勝手なものだよ。モンタナ級戦艦の存在が我が戦艦群の惰弱を叩き、軍部はその世論を宥めるために、新戦艦を大和型ベースで作った。大和型は量産前提の設計ではないのだがな…」
「なぜ、大和型をベースに?」
「大和型をベースにしたほうが、日本の財務省から予算を取りやすいからでもあるが、完全新規の設計では、あまりに冒険が過ぎるからだ。艦政本部では、大和型の量産のための簡易案も検討していたんだ。それが結局は上位艦の建造に移行してしまったが」
艦政本部は大和型の簡易案も検討したものの、結局はフルスペックでの増産が決まり、更に上位艦種へ移行した事に皮肉を感じている事が彼の口から語られた。H級戦艦やモンタナ級戦艦という大和型より世代の新しい戦艦艦種への解答が超大和型戦艦だが、未来技術がなければ、机上の空論に終わったと見られている。44年当時の既存技術では、51cm砲を艦載砲に仕上げる事は困難だったからでもある。
「閣下はどう思われますか」
「核兵器などという、破壊力と引き換えに環境が数万年単位で汚染されかねない代物で睨み合うより、戦艦で睨み合うほうが環境には優しいよ。核兵器は使うよりも、政治的効用のほうが重要で、戦艦よりも結局は維持費が高く付くからな」
核兵器は史実では、力の均衡による単独覇権の阻止のために意図的にソ連邦へ流出させたという噂もあるように、存在そのものが結果的に冷戦の要因となったが、環境への悪影響をどうにかするには、純粋水爆などのレベルでなければ不可能に近く、また、対消滅反応を応用した反物質兵器は150年以上の時間が少なくとも必要である。それを早期に知った扶桑は技術的ステップとしての研究はするが、実際には対消滅反応の反応兵器を報復攻撃の最終手段に選定しているように、20世紀~21世紀型核兵器は使うことも『避けるべき代物』なのだ。
「ある意味、大和型戦艦の血統が世界最強である方が、穏便に事が運ぶということだよ」
彼はいかなる攻撃でも沈まない戦艦を持つことが抑止力になることを悟っていた。史実では不沈戦艦は絵空事だったが、構成材に宇宙戦艦の時代の超合金を使えば可能である。大和型戦艦は史実では悲劇的結末を迎えたが、それを覆すことを日本人が望んでいた表れであった。
「他国は核兵器を押し付けられ、ラ級を全ては受領できんだろう。あれに関する資料は殆どが失われていると聞くからね」
結局、ダイ・アナザー・デイでラ號が活躍した事が契機になり、ラ級を欲する海軍は増えた。だが、同位国から核兵器を押し付けられた国も多く、第一次計画通りに受領できた国は少ない。空を飛ぶ戦艦というインパクトよりも、核兵器という『確実性』を選んだはずが、ラ級は核兵器でも倒せない。日本連邦が結果的にその武威を以て海軍大国として君臨することを助長してしまった。さらに、同位国が軍縮を一方的に押し付け、結果的に海軍再建が泡と消えつつあるカールスラントの例もある。
「我々とて、日本の生存性と航続距離の強化の要求に応じるのには限界がある。補給艦を増やすにしても、大正期建造の旧式艦を置き換えるほうが先決だし、単艦での行動は不可能だ。常になにかかしらの護衛が必要だ」
ウィッチ世界では、怪異に対応不能なので、巡洋艦以下の艦艇が単艦で行動できないという事実がある。そこが指揮専用艦艇がウィッチ世界で生まれない理由であった。日本は空母として旧式化した大鳳を指揮専用艦に転用したかったが、大鳳は貴重な『艦齢が若い正規空母』であったため、量産が頓挫しても『翔鶴型三番艦』扱いで重宝されていたので、私的な願望レベルで留まっている。雲龍型の大半を他用途に転用したツケである。ダイ・アナザー・デイに従事した個体は『練習空母』名目で留まったが、それ以外は多種多様な用途に転用されていた。鋼材の質が比較的良好な前期艦をもう一隻は復帰させる案が了承された。それほどにエアカバーの量的低下は深刻であった。(そのため、陸上航空隊を重視した井上成美中将は『海軍の軍略家としては無能』のレッテルを張られ、空軍に転じている)史実で海軍左派であった人物でも、史実の失策と失言でそれまでの地位を失う事が起こるのが普通であったため、地位を保持できた(却って出世した)山本五十六や山口多聞、小沢治三郎、源田実、角田覚治などは幸運な例である。逆に、ウィッチ世界では『非が無くとも』、史実の愚行をこれでもかと責め立てられ、ついには失脚した例が大西瀧治郎であろう。クーデターを起こした佐官級ウィッチの多くは彼を父と慕う者達だった。大西瀧治郎自身も史実の自分の愚行には負い目を感じ、彼自身は復権を望まなかった。だが、ウィッチ世界では非が無く、ウィッチの権利をむしろ擁護していたため、彼を慕う者たちが義憤に駆られ、騒乱を引き起こした。結局、彼自身は政治的都合もあり、閑職でキャリアを終えていくが、東條英機とその妻のように、事実上の国外追放とはならなかったので、まだ幸せであった。こうした混乱と騒乱が収まり始めたのは、軍の体制そのものが大日本帝国式から脱却し、基本の風土が自衛隊式になりつつあった1949年の頃である。
「軍は自衛隊に近づこうとしている。大日本帝国に似た気質は時代遅れとなるだろうが、軍の伝統であった『敢闘精神』は認める必要がある。若い者たちはそういう教育をされてきているからね」
騒乱の代償として、参謀職の有名無実化が進んでしまったため、幕僚という名で新規育成と再教育が始められるなど、単語の言い換えが進んでいる。また、前線指揮型指揮官だけが尊ばれ、官僚型が蔑まれるのも問題なので、前線指揮経験者が後方に回される事も増えた。また、航空関連の教育部隊から『64のみに高練度兵を回すべきではない。彼らを休ませられるくらいの交代部隊を錬成すべきである』という具申が出るほど、人材の一極集中に異論が出ていたのも事実であった。だが、日本側は扶桑軍中央を全く信用しておらず、高練度兵を彼らの手が届かない64Fに回すことを推進し続けているなど、航空関係の軍人への不信が根強いことを窺わせている。この具申は111Fと112Fの再出発の契機となり、同隊は公式にはこの時が創立とされている。64Fもこの時期に体制が完全に固まり、赤松を先任大隊長、セラを先任中隊長の一人に任ずる。1950年代は目の前ながら、扶桑軍も混乱から抜け出そうと必死であった。
「三年前の反乱は、その不安の発露だよ。我々は変わってみせなくてはならない。そうでないと、孫や曾孫以上の歳の差の彼等に物笑いの種にされるからね」
西島造船少将はそう言う。史実で敗北した側である自分達は史実のドグマから抜け出さないとならない。その一方で、核兵器の否定のために大艦巨砲主義を極限まで強化する矛盾に、戦後日本人の悲哀が出ていると感じた。航空主兵論も大艦巨砲主義も、その双方が圧倒的物量に押し潰されての敗戦を迎えたため、その双方で『少数精鋭』にますます走ってしまう点に、日本人の貧乏性がある。このドクトリンは間接的に地球連邦軍に引き継がれていったので、そこに歴史の帳尻合わせが存在する。64Fや『轟天』、『廻天』はその少数精鋭ドクトリンの生み出した怪物であった。そして。この時期に新たに認可された廻天のさらなる同型艦『震天』が地下秘密ドックで静かに産声を上げようとしていた。1952年の竣工を予定するその艦こそが、今後の反攻の要として期待されているラ級艦であり、日本連邦軍の『超研究』の一つの集大成。艦隊派の黒幕とされた英雄『東郷平八郎』元帥の執念が時を超えて蘇ったとも言える『大艦巨砲主義の一つの到達点』である。大艦巨砲主義の一つの掉尾となった大和型を基本ベースとする点も、その風説の信憑性を補強していた。もっとも、日本型戦艦の基本設計は大和型で完成を迎えていたため、それを新技術で改善すれば、だいたいの事が済んでしまうという完成度の高さも理由である。これは米軍のノースカロライナ以降の世代の戦艦にも共通するが。彼はその震天の艤装計画の策定の会議に出席する途中であった。また、海援隊の国営化で日本の要請で記念艦として供出した初代『三笠』(海援隊が数度の近代化を施していたため、それら全てを以前の状態へ差し戻すのは非現実的であったため、海援隊に残されていた三笠の『連合艦隊在籍中の際の部材』を展示品として提供することなどで手打ちとされた)の代替となる戦艦近江の近代化についての協議も行われる予定である。
「さて、色々と仕事が山積みだ。会議室へ行こう」
「ハッ」
ニコッと笑い、会議室へ向かう西島造船少将。今や扶桑海軍造船のエースと名高い彼の手腕で造船の効率化が期待されるが、彼のノウハウは史実の戦後日本の繁栄に寄与している。
――なお、坂本龍馬が暗殺されずに天寿を全うした世界における遺産『海援隊』は民間軍事会社として存在していて、民間軍事会社の存在を懸念する日本(特に、海上の治安維持を存在意義とする海保)の強い要望で国営となり、才谷/坂本家の手を離れることとなったが、明治の元老であった坂本龍馬の遺産ということで、当主自身、あるいは信を置く者が実働部門の指揮官になるという慣習は『現地への配慮』という形で存続した。別の理由として、既に関連事業に関わる人間を入れれば、100万人単位という超巨大な組織となっており、太平洋共和国の安全保障をも担っていたという現実は、色んな意味で『解体』が困難になっている事実、日本の時代共通の難点『諜報』のノウハウを有する事が国営化での存続の理由であった。そのため、太平洋共和国の加盟で海援隊は海上護衛総隊に編入され、兵器の近代化や空母の配備が始まるが、彼女たちには空母運用のノウハウはなく、人員の教育も(日本側からすれば)中途半端であると見なされ、結局、実働に持っていけるのは1950年代半ば以降の時代と見做されたが、残された太平洋共和国の領地を守るため、戦艦近江(紀伊型戦艦)の修理と近代化は抑止力の観点からも重要課題であり、彼が出席しようとする会議はそのことが議題であった――