――ドラえもんはいつでも、どら焼き一つで理性が消し飛ぶ。ゴールドシップはそれを知っていたため、どら焼きを用意している。タイシンは他人に心を開くのが不得手なだけで、根本は優しい少女であるため、ゴールドシップに乗せられる形でとはいえ、野比家との関係を持つ事を受け入れている。タイシンは他人に対し、反抗的であったり、つっけんどんに接するのが問題点であった。しかし、それは真の自分が臆病者であることを隠すための虚勢であった。それを担当トレーナーや実母の『タイシンリリィ』(ウマ娘だが、レースで実績は残せなかった。容姿は娘に似ているが、性格は正反対に明朗快活)は強く危惧しており、タイシンを『精神的に成長させる』ため、ゴールドシップへ依頼し、(タイシンのトレーナーが『スピカのトレーナー』と同じ大学の出身である関係で、ゴールドシップもタイシンのトレーナーとは交友関係にあった)ゴールドシップはそう仕向けた。それは見事に成功した――
「ゴルシ、だいたいはお前の差し金だろう」
「お膳立てをしたのは認めるが、こんなに上手くいくとは、思ってみなかったってところさ。タイシンも心の中じゃ、自分を純真に見てくれる誰かを欲しがってたんだろう。母親から過保護にされて、チビだったから、常に周りに馬鹿にされ、友達らしい友達といえば、チケゾーとハヤヒデ以外には、ライスやウララといった連中だけしかいない。本人も『このままじゃいけない』って思ってたんだろうさ。のび太は大人になってからは『できる大人』であるように見せてるが、抜けてるのは変わりない。だから、服とかが用意されてなかったんだ。敢えて言うなら、スネ夫さんに頼めばいいけど、それは安直だって、カミさんに釘を刺されるだろうし」
「夫婦間の事情か?」
「あいつのカミさんは警察関係者だからな。安直に他者に頼ることを嫌う傾向がある。思春期以降に顕著になったそうだ。父親が芸大の教授らしくてな。その関係もあるんだろう。(しずかの血筋は芸術関係者が多く、父方のおじの一人は『権威ある美術評論家』である)」
「気難しいということか?」
「いや、話によると、所々でおっちょこちょいだが、基本は才女。音楽の才能はあるが、ピアニスト関連らしい。本人が好いてるバイオリニストじゃない。ここ重要だぞ」
しずかは比較的に厳しめの教育方針であるが、自分も不在にする事が多い職業であるため、ノビスケが一定の年齢に達した後は、のび太に教育を一任している。のび太は自身が『子供を教育する柄じゃない』ことを自覚しているため、アメとムチの『アメ』の役目に徹しているが、怒る時は怒る。(ただし、のび太は基本的に子煩悩であるため、任務を終えると、ノビスケの欲しがっているモノを買ってやる。これはのび太の両親が反面教師になったのと、時代の流れとしての問題もあった)
「近頃は何かとうるさい世の中になったから、あたしらが泊まる事は、公には『合宿』ということになってる。たとえ、お互いが父娘だろうが、事情を知らない連中が勝手に勘違いして、警察に通報するような世の中だからな。民宿なんての知らねえ奴も多いし、近頃」
ゴールドシップは2020年代の日本で見られるようになった疑心暗鬼の傾向を警戒しているようだった。核家族化が進展し、近所づきあいも薄れ、ガキ大将という文化も死語になって久しいのと、ここ20年の再開発で『昔を知らない』新しい住民が流入したススキヶ原。ノビスケは腕力主体でクラスの人気者であるので、一部の親からは問題児扱い。品行方正な出木杉の子『出木杉英世』(出木杉が国際結婚で儲けた嫡男。父親同様の秀才少年)のほうが評価されている。のび太の担任の教師の子である、ノビスケ達の担任は赴任早々に『癖の強い』クラスを押し付けられたが、父親同様の『人情派教師』として人気である。奇しくも、のび太、ジャイアン、スネ夫は親子二代で『恩師の血筋』(ただし、のび太の明治期における先祖の担任も似た顔であるため、野比家は代々、先生の血筋に世話になる運命であるかも知れない)に教わることになる。
「近頃は個人情報保護だの、不審者だのうるさいからな。それは、どこの世界も同じか」
ため息をつくナリタブライアン。
「お前にしては感傷的だな」
「うるさい。ガキの頃から、競走の相手になる連中がいなかったんだ。おかげで、いい思い出はあまりないがな」
ブライアンは強すぎたために、幼少期から孤独な人生を送ってきた。トレセン学園に入ったのも、圧倒的な才能を受け止められる器となるトレーニングスクールがなかったからである。しかし、その暴力的な才能はブライアン自身の怪我による精神的ショックで陰りを生じさせる。そのはずだったが、『処置』で『股関節炎』と『屈腱炎』を患い、悲惨極まりない選手生活の晩年を過ごすという『運命』」をぶっ飛ばすことに成功。この時点では、身体能力は完全に最盛期の状態に戻っている。
「因果を超えたはいいが、私の心の渇きを満たせる奴はいるのか?」
「ここにいんだろ。それに、お前の先輩後輩達を見てみろ。それに、お前は前世だと、アタシより勝ち星は少ないだろ」
「一個だけだ。それに、私は三冠を獲ってるんだ。たとえ、現役晩年期が悲惨極まりなくても、格は一応、お前より上だ」
ブライアンは競走馬としての現役晩年期、三冠の名誉を汚す勢いで低迷していた。ディープインパクト、オルフェーヴル、コントレイルらといった後輩たちと違い、引退レースでその有終の美を飾ることも出来なかった。その『無念』がウマ娘としてのブライアンの心の『渇き』の根本にあった。
「わーってる」
「前世の記憶が宿ったのは、この『心の渇きを潤す』ためだと思ってる。シニア三冠、テイオーより先に獲ってみせるさ。先輩後輩を蹴散らしてな」
「スズカに勝つ自信、あんのか?」
「奴にだけは勝てる気がしない。あの速さは……ディープインパクトであろうが、オルフェーヴルだろうが、脅かす事はできんと思う」
ナリタブライアンほどのウマ娘をして、そこまで言わしめる『サイレンススズカ』の才能。実際に、競走馬としてのサイレンススズカが絶好調の状態であれば『絶頂期の古今東西の名馬と戦わせても、ぶっちぎりで勝てる』という評価がされているため、ウマ娘としてのサイレンススズカも、単純な速力では、歴代最速と評価されている。それ故に『骨格の耐久限度を自分で超えてしまった故の骨折』を味わうことになった。そのため、骨折からの復帰後は骨格強度の向上を目指していると噂である。
「ああ。それは正しい。オルフェーヴルだろうが、コントレイルだろうが、ディープインパクトのオジキだろうが、スズカには追いつけん。歴代最強の牝馬と呼び声の高いアーモンドアイでも、追いつけるかどうか」
ゴールドシップ個人の見解だが、後世の歴代三冠馬を以ても、得意距離を走っている場合のサイレンススズカ(全盛期)には勝てないだろうという見解であった。サイレンススズカはその死の原因たる骨折の理由が20年以上が経った時代でも判明していない。『骨格強度が自身の最大速度に対して、絶対的に不足していた』ということも、後世における推測に過ぎない。
「それはどうだろうな」
「わからんね。それこそ、昔のスーパーカーと今の最新型をゼロヨンで競わせるようなもんだからな」
奇しくも、扶桑から実物が持ち込まれることで実現した事、あるいは判明したことは軍事面中心だが、多い。『富嶽の爆撃能力はレシプロ機としては最高レベルで、空力性能もB-36より良好である』、『五式戦闘機はエースパイロット、あるいは古参パイロットが乗れば、P-51はカモにできる』、『迎撃機限定なら、二式戦闘機が最良』という軍事分野での事実が判明した他、『信長亡き後はその重臣であった豊臣秀吉、秀吉亡き後は徳川家康が実質的な権力者であり、数代の織田将軍はその傀儡であった』という扶桑の歴史も伝わっている。信長の後継ぎであった信忠や秀信は信長ほどの政治力も胆力もないため、重臣であった秀吉と家康の言いなりであったことは容易に推測できる。競走馬については、お互いの能力が(時代が違いすぎて)比べられないため、交流は避けられているという。
「機械類はまだ比べられるが、生物は基本的に、後世に生まれたほうが、いい餌とか与えられてる分、絶対的に優位だ。60年代以前の馬と、今の馬のどっちが強いとか言われるとな」
「確かにな」
「それに、あいつの世界は現在進行形で、華族が存続してる世界だからな。身分の完全解体も検討されたが、軍隊が『ウィッチの安定供給が不可能になる』っていう軍事面のデメリットで反対して、皇室の断絶を向こうの国民が恐れてな。結局、財政的な特権を段階的に廃する代わりに、軍隊、ないしは赤十字への一定期間の奉仕を義務づけることになったそうだ。身分を残してやる代わりに、軍隊か赤十字に行けってのは、日本の高慢だが、理に適ってはいるからな」
結局、日本は現地社会の混乱は望んではいないため、華族の身分を残置してやる代わりに『段階的な財政的な特権の廃止』、『軍隊か赤十字への奉仕義務』を突きつけ、現地もそれを受け入れた。カールスラントのような内乱を避け、完全な議会制民主主義を根付かせるためでもあった。軍隊への奉仕義務は、ウィッチの供給源を少しでも確保しておきたい軍部の嘆願で認められた項目であった。
「日本は向こうの世界の支配者気取りか?」
「技術の優位で偉ぶってるだけさ。物理的軍事力では絶対に向こうに勝てないが、数十年分の科学力の優位があるから、向こうを野蛮人って見てるんだろうさ。ドイツのバカを見たから、融和路線に切り替えたが、これで23世紀まで存続する。連絡が回復したから、地球連邦の中心も日本になった。他国より被害が軽いからな」
日本は扶桑を都合のいい資源・人材供給地/市場と見做していたが、軍事面では絶対に及ばないため、軍隊のご機嫌取りに途中から血道を上げている。特に、海軍は21世紀の兵器でも『びくともしない』超弩級戦艦を多数有しており、その気になれば、戦艦だけで自衛艦隊を丸ごと殲滅できる。その抑止力が、日本警察や自衛隊の一部による扶桑制圧計画を水泡に帰させた。歴代プリキュアが扶桑軍に属したことも、計画の破綻を招いたという。特に、ダイ・アナザー・デイで、ノルマンディー上陸作戦の総兵力の倍以上の敵を抑え、クルスクの戦いを上回る数の戦車を鉄の棺桶に変えたという事実は『扶桑制圧計画推進派』を愕然とさせ、プロジェクトそのものを闇に葬った。だが、それから約12年後の2021年に文章が発見され、日本警察、自衛隊の一部高官は言い逃れできなくなり、更迭。政府も『不穏分子の独断専行である』と断じ、扶桑への近代兵器の供給増加を認めた。10式戦車はこうした事情で、ウィッチ世界の戦場に正式に運ばれていったわけだ。
「向こうの世界に無闇に介入して、大混乱をもたらしたのは、ドイツの先例がある。だから、うちらの世界にはあまり介入してない。利益の共有や医療技術の提供に留めてる。まぁ、アタシらは『走る』のが種族的な存在意義だ。疫病や戦争で荒んだ世界に慰めを与えてやろうぜ」
「お前にしては、真面目な物言いだな?」
「あいつの世界でのドイツで、一番に破天荒なエースパイロットと記憶を共有すりゃな。まぁ、だからって、アタシが変わるわけじゃねぇしな」
「タイシンはどうした?」
「小倅を迎えに行く前に、シャワー浴びにいった。クリークさんが着替えを洗濯しちまったんで、勝負服で行くことになった」
「あいつは普段着に近いからな。私はスケバンのような格好だ。間違いなく、小学校には入れてもらえんよ」
「かと言って、新調されたのはオートクチュール風だからな、お前」
「あれは半分はライブ用だからな」
二人が話している頃、タイシンは護身用の武器(ゴールドシップおすすめの『ボールペンから変形するゲッタートマホーク』)を携帯し、街を練り歩く。勝負服を着込むことになったが、ウマ娘の存在もこの頃には周知されており、街の人々は普段と変わらずに接していた。
(念の為にゲッタートマホークを持ってきたけど、まぁ、用心のためにはいいか。グラスも薙刀を隠し持ってるし)
ボールペンから変形するゲッタートマホークは多くの者たちの手を渡り歩いた。一時はゴルシも使用したという。形状は真ゲッターロボのハルバードタイプで、切れ味は充分。元々は黒江達が数回前の『周回』を生きている際に、敷島博士が試作していたものである。それを『記憶』を引き継いでいるドラえもんが敷島博士に作らせ、『再会』の際に渡した。そこから多くの者に使われ、のぞみ、ことは、調の三人も、ある時期に使用した経験がある。
「えーと、正門から入って、事務の受付に名簿書いて…っと」
小学校の正門から入り、事務の受付で来客名簿に名前を書く。2000年代以降は事件の防止のため、ススキヶ原でも学校の校門は閉められている。とはいえ、2013年頃からは、学校をゴロツキが学園都市製の武器や装備で襲うことも増えていたが、歴代仮面ライダーやスーパー戦隊、宇宙刑事が阻止してきている。そのため、三大ヒーローの認知度はドラえもん世界では高く、ススキヶ原では、『仕事をしない』警察より絶大な信頼を誇る。これは80年代末から90年代前期にかけて、当時の警察上層部が整備していた『レスキューポリス』の組織や装備を、政権がどんどん変わる内に、大蔵省が無駄遣いと指摘し、2000年度に装備を永久保管名目の撤廃をさせたからで、学園都市の実質の崩壊後は周辺地区の警察は無力ぶりを露呈していた。ヒーローやヒロインたちに治安維持を依存するという状況にも関わらず、警察は無為無策。ウマ娘達も(その身体能力を理由に)地域の治安維持に貢献せねばならなくなった。これは完全な警察庁の失態であった。
(壁に貼ってあるポスターも、身の安全を図るもんばっか。この街、本当に治安悪いんだな)
タイシンも気づくが、校舎内の壁に貼られているポスターは『防犯の啓発』関連のものばかり。この時代には、ススキヶ原の治安はかなり悪化しているのがわかる。表ざたにならないのは、現地警察の都合で事件の多くが中央に報告されないからで、自分達の失職を恐れるあまりの隠蔽であった。だが、現地メディアがちゃんとニュースにするため、現地警察の幹部は数年の間に数十人は交代している。しかし、どいつもこいつも保守的かつ、保身的であるため、警察はススキヶ原では道案内や遺失物の届け出などの雑事以外の仕事をしないと揶揄されている。その兼ね合いで、ヒーローユニオンは警備業務を拡大しており、現地での殺人事件などは宇宙刑事ギャバンや時空戦士スピルバンなどが『銀河連邦警察』の一員としての捜査権を行使するに至っている。これは現地の日本警察の面子が丸つぶれの案件であるが、学園都市の装備に為す術もないため、見て見ぬ振りが黙認されている。ウマ娘達はG1級の者であれば、素でコンバットスーツ着用時の宇宙刑事と同等の身体能力を持つため、治安維持への貢献は町内会から求められた『社会奉仕活動』ということになっている。
――数分して、終業のチャイムがなり、マスク姿の小学生が教室から一斉に出てくる。異様な光景だが、この時代には当たり前となった光景でもある。ノビスケが舎弟兼学友のジャイチビ(ヤサシ)、スネ樹を伴って出てくる。
「あ、タイシンねーちゃん」
「や。今日はアタシ。ゴルシは用があるから」
笑顔を見せるタイシン。彼女はつっけんどんな態度を取ることが通常だが、純真な子供や自分に立場の近い後輩、友人には優しく接する。(ハルウララやライスシャワーなどの前では優しい態度を見せる。ハルウララにはその天真爛漫さに押され、ライスシャワーはその純真さが理由)。
「あれ、今日はおめかししてるね」
「ん、ああ。学校の先輩が制服とかを洗濯しちゃってたのよ。それで、本当はレース用のコスチュームなんだけど、これしかなくて」
「レースに向いてるようには見えないよ?」
「ある程度は本人の裁量が効くし、あたしらは服の形くらいじゃ、運動に支障はないんだ」
人間のアスリートのように運動用の服装をしなくとも、それを遥かに超える能力を叩き出せるのがウマ娘である。そのため、ウマ娘は人間のオリンピックとは別枠で『レース』の場を設けられている。また、ウマ娘は内科的な病気や毒への抵抗力は人間より高い傾向にあり、オグリキャップの胃は人間用のどんな毒薬であろうとも無力化する。他のウマ娘もオグリキャップほどでないが、毒に概ねは強い抵抗力を持つ。ただし、外科的には人間よりも『脆い』側面があり、競走馬にとっての致命的な病気が、ウマ娘にとっても致命的になりかねないという。その相反する『強さと弱さ』に惹かれ、人は彼女らに夢を見る。時として、それは精神的な『重荷』となるが、それを乗り越えた先に『前世でつかめなかった未来』がある。
「それに、あたしらは競走馬の生まれ変わりみたいなもんだし」
「そういえば、パパはなんで、着替えを準備してなかったんだろう」
「あたしらのは特注になる。それに、あんたのママは出費を抑えたいようだし、安易に他人に頼るのは嫌なんじゃない?」
「そういえば、今月は家電を買い換えたり、壁を変えたりして、出費が嵩んだとか言ってたっけ」
「だから、こっちである程度は準備してきたけど、タイミングが悪かったのよ。あたしのルームメイトの先輩、世話好きで…」
多少、照れ臭さがあるタイシン。タイシンはオグリキャップ世代の三期前後は後輩、テイオー達からの直近の後輩でもある。そのため、オグリキャップ世代へは『先輩』という認識があるが、テイオー達へは『先輩』という認識はあまり持っていない。社会的通念に則り、公の場では『先輩』と呼ぶことにしているが、普段は呼び捨てにしている。
「さて、あんたら、帰るよ。マスクはちゃんとしてる?」
「してるー」
「ボクも」
「おいらも」
三人が返事したのを確認すると、タイシンは三人を連れて、外へ出る。このご時世では、道を歩くだけで、酔っ払い運転のトラックや『ブレーキとアクセルを踏み間違えた車』が突っ込んできそうなので、帰宅時も児童がある程度の固まりを形成している。そこがのび太の時代との最大の違いである。のび太の小学生当時は『学校から徒歩15分は確実の住宅街地区』から通っていたが、息子のノビスケ以降は『駅前の繁華街に立つマンション』に住んでいるため、父の時代より遥かに『学校に通う』ことに関しては楽であった。だが、別の問題があった。駅前の繁華街はノビスケが小学生となった時代には、『けっこう問題が起きやすい』のである。また、再開発計画が行政の思惑通りに行かなかったためか、交通面で問題が起きていた。それは高齢化社会特有の『ブレーキとアクセルの踏み間違いによる暴走』事故が起こりやすい状況であった。
「ねーちゃん、あの車……」
「嘘、まっすぐ突っ込んできてる!?あんたら、横に退いてて!あのスピードじゃ、あたしは避けようがない!」
「どうするの!?」
「あたしなら大丈夫!!(セダンくらいの大きさの車なら……!)」
ウマ娘は普通の人間を遥かに超える力を持つため、セダン程度の車格の自動車であれば、その突進を受け止め、逆に押し返す事ができる。ましてや、ナリタタイシンはG1制覇経験を持つ上、体のハンデを補うため、元からかなり、体を鍛えていた。更に、現在の服装は勝負服。全ポテンシャルを余すところなく発揮できる。咄嗟の判断とはいえ、暴走車を受け止める選択を取った。暴走車がものすごい勢い……時速90キロ近くの速度でブレーキも踏まずに突っ込んだ。繁華街に入る道で遭遇したため、通行人の悲鳴が響きわたる。……だが。
「ふ……ふんぬぅぅ……!」
タイシンは車を見事に押し留めた。時速80キロ以上の速度の車を一か八かで受け止めたのである。車のエンジン音とタイヤの摩擦音が盛大に響くが、タイシンは車の突進に耐え、全力で押し留めた。車の駆動側の車輪は派手に猛回転していたが、その場であっけなく空回りするだけであった。
「運転してる人!!ペダルから足離して!車のエンジン、止めて!!」
思わず怒鳴ったタイシンだが、暴走車の運転手の姿をフロントガラス腰に確認したタイシンはゾッとした。90代は確実にいってそうな『御老体』だったからだ。
(ゲッ…。案の定じゃん…。……これも、高齢化社会と買い物難民の弊害ってヤツか……)
妙な感想を抱くタイシン。車が止まったのを確認してから、手を離す。騒ぎを聞きつけた買い物客などが野次馬のように集まってくる。そして、車から出てきた御老体は誰かが通報したと思われる、警官に付き添われて連行されていき、タイシンもその場で事情聴取を受けた。
「あなた、ウマ娘みたいだけど、名前は?」
「は、はい。ナリタタイシンです。」
「皐月賞を勝った、あの?」
「あ、は、はい……。そうです」
タイシンは競走馬として、皐月賞を勝ち抜いている。競走馬としては、その一勝が最高の名誉にして、唯一のG1レースの勝利であった。50代ほどの警官は名前を聞いて、すぐにピンときたらしかった。
「失礼、警官になりたての頃を思い出したもので。あなた方『BNW』の事は応援させてもらってました。私が二十歳そこそこの頃でしたから……30年近くは昔の事ですが」
壮年の警官が事情聴取の合間に挟んだ、この一言で、自分が競走馬であった時代からは四半世紀を超える月日が経過していることを自覚し、オグリキャップやトウカイテイオーに比すれば『大した事はない』実績しか残せなかった自分を記憶してくれていた人間は確かにいた。そのことに不思議な感情が溢れるのを感じる。
「……覚えてて……くれていたんですね。あたしの勝った、あの皐月賞を…」
「ええ。あなた方の事はずっと見てましたから。忘れられませんよ」
「……その……今はこんななりですけど……あたしを……応援し続けてくれて……ありがとうございます」
かつての競走馬『ナリタタイシン』としての謝意をその警官に伝える。事情聴取の合間に、何気なく雑談を挟むというテクニックで、その警官はタイシンに長年の思いを伝えた。タイシンは『競走馬であった頃の記憶が戻っていた』ためか、この時ばかりは素直になれていた。また、オグリキャップやトウカイテイオーら偉大な先輩らに比べれば、有象無象のような戦績の自分を記憶してくれていた事への嬉しさが溢れたからか、目には一筋の涙がキラリと輝いていた。その様子を、遠目からノビスケ達は優しく見守っていた。