――空母機動部隊の数的不足はダイ・アナザー・デイの最中に顕となった。更に艦載機の質も問題であり、ダイ・アナザー・デイのわずか数週前、ちょうどのぞみが覚醒めた頃には、零戦二二型甲(長砲身とベルト給弾の二〇ミリ機銃搭載型)すら満足に配備されていない有様であり、日本側を大いに嘆かせた。これは扶桑は早期に次世代機の開発に目処が立っていたために、零戦のマイナーチェンジを重ねる必要がなかったからだが、数合わせは必要なため、零戦は史実通りに五二型系統の量産に至った。とはいえ、新規生産が間に合わず、既存機の改修もなされるほどであった。史実では量産に至らなかった六四型も『雲龍型で運用可能な数合わせ』という位置づけで緊急で量産され、相当数が投入されていた――
――ダイ・アナザー・デイの空戦の全期間の内、日本型レシプロ機が主力と位置づけられていた期間は短い。これはレシプロ最終世代のF8FやF2Gがすぐに現れ始めたことを受けてのことであるが、実際のところの戦線の主力は艦載機では一世代前の『F6FとF4U』が占め、陸上ではP-51DよりもP-47が主力であった。これはリベリオン本国では『マーリンエンジン』の生産設備の構築中にティターンズ政権に移行し、混乱が起こったためで、更に、被弾に強いという点が評価されていたためだ。P-47は日本連邦を恐れさせ、陣風という最強のレシプロ戦闘機の開発に繋がった。陣風のスペックは史実より高精度の工作精度、排気タービン完備の大馬力エンジン(極初期型で3000馬力を誇る)、推力式単排気管の相乗効果でレシプロ最終世代の水準を達成していたし、自動空戦フラップの効果で機動力も確保。紫電系との互換性を維持した事、25ミリ機銃を六門(後期型には、30ミリモーターカノン搭載の液冷エンジン仕様もある。これは液冷エンジンの工場への救済策であったが、生産の主力は空冷仕様であった)の重装備、相応の防弾装備と『日本式レシプロの究極』を実現しており、ダイ・アナザー・デイのたけなわな時期に量産され、紫電改を置き換えていった。政治的には、あくまで『ジェット機までの繋ぎ目的の機体』だったが、戦線にとっては充分に高性能な戦闘機であった。とはいえ、配備は海軍系の航空隊に限られたため、陸軍系の部隊は史実通りに五式戦闘機を主力とした。しかしながら、五式戦は稼働率良好、性能バランスも一式戦寄りの特性を備えており、素体が三式戦闘機なために機体強度も頑強と言う事なし。64Fもダイ・アナザー・デイ中に複数機を保有しており、(構成員の多くが事変からの古参であったのもあり)しばしば使用。のぞみやシャーリーなどの『ダイ・アナザー・デイに従軍したプリキュア達』も搭乗し、その扱いやすさを褒めていた――
――1949年頃――
ダイ・アナザー・デイが終わって数年後、五式戦がF-14単座型\F-15に置き換えられて退役する日、のぞみは遠征先で『日本機の搭乗経験者』として、日本のミリタリー雑誌のインタビューに応じていた。五式戦はあくまで、ダイ・アナザー・デイ直前まで連合軍の主力戦闘機であった『Bf109』系列との互換性を強めた『三式戦闘機二型改』までの繋ぎと考えられていたが、ドイツの強権的な介入での軍縮でBf109が生産中止に追い込まれたのと、日本義勇兵が三式戦闘機を強く忌避していたというダブルパンチで量産枠が拡大された事、四式戦闘機の本格戦闘型がダイ・アナザー・デイに実質的に間に合わなかった事、空軍の設立による機種整理がされた結果、三式戦闘機の改良はストップ。五式戦はダイ・アナザー・デイを通しての主力として戦い抜き、退役の日を迎えた事を語る。
――三式戦闘機に搭乗経験は?
「キ61系は私の担当じゃなかったんですよ。昔の同僚の担当でして。キ44系は覚醒める前にテストを担当してましたから、語れるんですけど」
――その最終型のキ44Ⅲは何故、頓挫を?
「リベリオンからのエンジン供与を前提にしてたからです。エンジンも大型のダブルワスプを載せる計画でしたから。糸川博士も国産の空冷エンジンは考慮していなかったと言ってます。本当はキ84の史実のポジションを担うはずだったんですが、日本側が44の基礎設計の古さを論いまして。航空力学や理論自体が戦後の水準に飛躍しちゃったのも」
――キ44全体の総生産量は?
「本土防空部隊が中心でしたからねぇ。史実より多少多い程度ですね。三型が頓挫した影響もあって。侵攻部隊はキ43を好んでたんで」
――五式戦は何故、史実通りの構成に?
「コンペでキ99と争ったんですが、キ99は贅沢すぎる装備でして。とても戦線で扱える範囲の装備じゃなかったんですよ」
――日本義勇兵との関係は?
「うちは良好ですよ。加藤隼戦闘隊と343空の混合みたいな部隊ですから。他の部隊は交流を怖がるのが多いんですが」
「何故ですか?」
「大戦を生き延びた人たちが多くて、古参を殴って言う事を聞かせる文化があったから、それですね。魔女であっても、ビンタは普通にしますから。旧軍の名残りですよ」
のぞみの口から、日本義勇兵と良好な関係を持てる魔女の部隊は少数である事、彼らは旧軍と黎明期の自衛隊の風土を持ち込むので、それを理解できる者以外には怖がられるのだと説明される。敢闘精神旺盛、空対空特攻も辞さない彼らの行動は魔女たちには理解し難く、落下傘で脱出したパイロットにも容赦しない姿勢もあって、戦闘狂と魔女に恐れられている。とはいえ、史実の太平洋戦争では落下傘で脱出したパイロットを殺すことも日常茶飯事であり、彼らにとっては当たり前のことであった。
「ウチはそれを理解してるから、彼らの援護を受けられました。半分は先輩達の名声でしたけど、あたしらの名声も効いたかな。お孫さんやひ孫さんがあたしらのファンって人も多くて」
――連合艦隊との共同戦線は?
「ありましたよ。うちの世界だと、怪異との戦争で中止された建艦計画がかなりあって。オラーシャも革命騒ぎがなければ、史実のソビエツキー・ソユーズ級相当の戦艦が1950年代までに四隻揃うはずでしたから。連合艦隊は武蔵の後は空母に切り替えるはずだったんですけど、大鳳と雲龍の量産が撤回されて、超大型空母に変わっちゃったんで、かなりの雇用が失われてしまう。補償金も払う余裕が無いから、工廠や造船所の多くをそのまま戦艦の建造に割り当てたんです。ちょうど大神と室蘭の工廠も出来たんで。もっとも、日本の意向で横須賀が拡張されましたけど。それでできた新鋭艦が投入されたんですよ」
1944年の呉工廠の壊滅後、連合艦隊は大神工廠と室蘭工廠を拡充する意向であったが、大神の拡充には限界があるとし、日本の意向で横須賀が徹底的に拡充され、事実上の呉工廠亡き後の主力と定められた。その余波で日吉に建設中であった連合艦隊司令部が建設中止になり、連合艦隊司令部は三笠型に司令部を臨時に置き、結局は『連合艦隊司令部は最強の軍艦に置かれる』風習が継続する事になった。呉は基地こそ置かれ続けたが、工廠機能の復旧は諦められ、その機能は横須賀などの各地が分散して受け継ぐ事になった。また、南洋に緊急で地下工廠が置かれるのも、1944年度中であった。ダイ・アナザー・デイで迅速な兵器ラインの移行ができた理由もそれである。
――何故、新鋭艦に三笠の名が?
「史実と違って、三笠は払い下げされてたんですよ。で、連合艦隊の新しい象徴っていう事で、三笠の名がつけられた。だけど、日本から不満が出まくったんで、八八の紀伊型を退役させて、その名前を継がせる案まで出たそうですよ」
超大和型戦艦=紀伊のイメージが強い日本では、旧式である長門の小手先の改良型が名乗る事に反発があり、改名嘆願も出された。しかし、扶桑としては『超大和型戦艦にはそれにふさわしい名前を与える』事になっており、艦政本部は対応に苦慮したという。紀伊型戦艦(八八艦隊)は設計当時においては第一線級の性能であったが、生まれる時代が10年遅くなったために、ことさらに陳腐化が強調されてしまう有様であった。だが、建造費の元は取らなくてはならぬため、1955年までは航空戦艦の試験艦として用いる計画である。そこでちょうど艦齢が20年を迎えるからだ。
――扶桑は大和を量産する意図が?
「本当はなかったそうです。ところが、呉で紀伊がモンタナに一蹴された事で、軍への批判が大きくなったんで、大和と武蔵の正確なスペックを公表した上で、信濃と甲斐の戦艦としての完成が決まったんです」
扶桑は大和型を次世代の主力の叩き台と考えており、量産時には『設計を簡略化した廉価版』を考えていたという。ところが、史実の坊ノ岬沖海戦のメタ情報が伝わった事で『さらなる進化』を求められる事になり、最終的には未来技術でのFARM(近代化改修)に至った。その仕様での新造も行われたため、『大まかなシルエットしか残っていない』と揶揄されるほどの近代化となった。その成果を設計段階で反映させたのが次世代の新鋭戦艦であると。M動乱はそれらに至るまでの戦訓を扶桑にもたらし、結果として、現在の『64F』の設立にも影響を与えた。扶桑から提供された播磨型や三笠型の写真が載ったのだが、播磨型が量産品の位置づけであることは賛否両論であったが、三笠型は正しく『海の化け物』。56cm砲を三連装で12門の搭載はまさに『何を想定した』と言わんばかりのものだが、M動乱で扶桑連合艦隊が恐れた『ヒンデンブルク級』のカウンターパートを意図しての整備である。
――扶桑の艦政本部は新鋭艦の設計で、有名な仮想戦記でも読んだのですか?
「参考文献として渡されたとは思いますよ。彼らも意地になってましたから、紀伊の事で。日本のネットにさんざ馬鹿にされれば、彼らも顔を真赤にしますって」
その雑誌は何号にも渡って『扶桑の軍事力』を考察する記事を掲載するとの事で、のぞみのインタビューはその目玉企画の一つであった。のぞみは扶桑最高のエース部隊の一翼を担う存在でありつつも、プリキュアオールスターズの実質的な中心格という箔、転生の素体が『扶桑きっての名家で、草薙流古武術の継承家の息女』である特異性もあり、(転職の妨害への詫びも兼ねて)日本連邦は大きく宣伝していた。扶桑では『魔女が軍を中途退役して、他職に転職すること』は名家の出身かつ、後釜が控えている場合のみ、社会的に許される(中島錦には妹がおり、入隊済みであった)が、のぞみの場合は皇室のお墨付きがついていた。それにも関わず、日本の官僚が独善的に話を潰した。日本政府が解決を急いだのは『扶桑に侵攻の大義名分を与えてしまう』と恐れたためである。戦前の皇室の与えたお墨付きというのは、戦後の人間が考えるような軽いものではないからで、それも日本政府がのぞみに『過剰なほどの補償を施した』理由であった。要は『扶桑が日本に侵攻する事態を防ぐために、関係省庁の反扶桑軍派を一掃する。のぞみは広告塔として活用したいから、軍に残ってもらうしかない』という日本政府の施策であった。無論、のぞみの戦闘力を多分にアテにしている面もあったが、扶桑の皇室への心象を害したくないというのが日本政府の考えであった。また、扶桑軍部の本音も『歴代プリキュアの要として、軍に残ってもらわざるを得ない』であったので、この事件は扶桑軍部の思惑通りに進行した。天皇にも『日本側との協議の結果…』という言い訳ができ、臣民にも『日本のせいである』といえるのだから。のぞみはこのようなわけで、少佐の地位を与えられた。1950年に中佐とする条件のもとに。日本と扶桑はのぞみを政治的駆け引きの材料として利用し、扶桑軍部の最終的な勝ちとなったわけだ。
――特集記事は何週かの連載企画であるので、その第二回に載せられた記事は以下の通り――
――扶桑は何故、大慌てで雷電や紫電改、烈風を実用化したのか
「M動乱の戦訓と、史実のメタ情報が原因ですよ。なので、本当は零戦の五二型系統は造る予定はなかったらしくて」
零戦五二型系はダイ・アナザー・デイでの数合わせ目的での開発である。扶桑は本来、雷電や紫電改、烈風で海軍系の戦闘機を一括更新する予定であった。だが、ダイ・アナザー・デイで数が必要になったためと、前期型の零戦でF6Fと戦えというのは酷だ!!という意見が通り、零戦は『止む無く』マイナーチェンジされ、大半がダイ・アナザー・デイで消費された。ダイ・アナザー・デイ終了後に直ちに残存機が払い下げされたあたり、扶桑にとっては数合わせ以外の何物でもなかったことがわかる。
――扶桑は何故、雲龍型空母を大量に?
「エセックス級がポンポン生まれるのに対抗したんでしょう。大鳳は量産に手間がかかりますから。ところが、艦載機が急速に大型化したから、同時発着数が問題になった。日本にとっては『ジェット機が発着出来ない空母には用はない』ですからね」
――雲龍型は今後?
「輸送艦や病院船に多くが転用されてますから。空母としては用なしになりますから、実験艦として六隻は空母の艦籍に残りますが、第一線艦としては見なされないでしょう」
―― 一連のインタビューはのぞみが1949年には、軍のエリートとなっている事を示すため、軍の広報部も全面的に許可したものであった。とはいえ、このインタビューは『のぞみ本人が答えている』わけではない。インタビューに応じた日付は既に『遠征』が行われているはずであるからだ。そのタネは64Fの幹部と軍高官のみの秘密であった。――
――このインタビューに答えているのは、実は(入れかえロープで入れ替わった)ナリタブライアンであった。自身が抱えていたイップスを荒療治するため、既にのぞみに成り代わっていたためである。ブライアンは普段であれば、ぶっきらぼうかつ、そっけない口調であるが、生徒会役員モードに頭を切り替えれば、立場相応の丁寧な口調で話せるため、それでインタビューに応じている。口調も本人に寄せており、ブライアンの演技力(立場を考えれば当然だが)の高さを物語っている。それはジョージ・パットンも把握済みであったが、『面白いから、やらせてみろ』とのことであった――
――後日 そのインタビュー記事の載る雑誌が日本で発売された日――
「ブライアンちゃん、あたしの口調をよく真似出来てるよ」
「奴はマスコミ対応は下手なはずですが……?」
「トレーナーが首にされた後に、必死に覚えたんだろうね。たぶん、一人で戦うために」
ブライアンはトレーナーをクビにされたことも不調を長引かせる原因であった事を悟ったのぞみは『ブライアンが外聞の都合で言えない』事を、エアグルーヴに教える。
「でも、実際には上手くいかなかった。だから、自分が患ってるイップスを克服するために、あたしの代わりに『戦場に立つ』事を選んだ」
「……荒療治に過ぎませんか?」
「そうでもしないとダメなのは、あの子が一番良くわかってたんだよ。だから、こういう仕事も引き受けてくれてるんだよ」
「しかし、夢原女史。あなたも大概だと思いますが。ブライアンの体をうまく使いこなしている。いくらプリキュアとはいえ…」
「転生の素体の子が相当に鍛えてたおかげかな。あたし自身は運動オンチだったから。いや、本当に。現役ん時さ…」
のぞみはこの時には、ブライアンの体に宿っている。ブライアンの肉体の発する声色は『本人より多少高めのオクターブ』になっていたり、走り方が本人よりも『ディープインパクト』寄り(要は日本近代競馬の結晶と讃えられるような)華麗な走り方になっているという違いがある。ウマ娘は走り方の違いにすぐに相手の状態に気づくため、サクラローレルから大いにクレームが電話でついたという。
「サクラローレルちゃんさ、愛が重くない…?」
「申し訳ない。奴には私やビワハヤヒデからきつく言い聞かせておきます」
「走り方までは再現できないしねぇ。癖があるから。それに、ブライアンちゃん本人も、全盛期の頃の差しはもうやれないって言ってたよ」
ブライアン本人も全盛期に取っていた戦法である『差し』は股関節への負担が大きすぎるために『もう取れない』と述べている。たとえ、身体を全盛期に戻しても、取るべき戦法からは外したいと。参考にしたのが『自分の後の三冠馬』たちだと述べたといい、ブライアンとしても、自分の後を継いだ『ディープインパクト』と『オルフェーヴル』。二代の三冠馬の走り方は参考になるという。
「ブライアンは走り方を?」
「うん。股関節炎になったでしょ、史実で。それでいい機会だから、走り方を変えたいって言ってる。でも、ゴルシちゃんのは参考にならないってボヤいてたっけ」
「奴は馬としても?」
「ものすごく破天荒だったって」
ブライアンは競走馬としての自分がいなくなった後の競馬界が気になったようで、仕事の合間にレースの映像を見ていた。戦法の変更を模索しているが、全盛期の暴力的な走りに惹かれている者が多いのも把握しているので、前のレースでは『ファンサービス』でしたが、ブライアン本人は変えるつもりだ。
「ブライアンちゃん、ここ最近は仕事の合間に競馬の昔の映像見てるっていうからね」
「私の過去も見ているのでしょうか?」
「見てるとは思うよ。一世を風靡した牝馬だから、あなたも」
「そう言われても、実感が」
「そういうもんさ。牝馬が大レースを席巻する時代があなたの孫やひ孫の頃には始まって、ルドルフちゃんのG1制覇の記録も破られてるし」
「な!?」
「2020年頃の話だね。最も、時代の王者でも、年末の有馬記念を避けるのも増えたから、古株の記者連中から顰蹙を買うような時代だけど」
「女史、く、詳しいですね…」
「旦那が馬券は買わないけど、見るのが好きなタイプなんだ。それと、実家のオジキが元の騎兵で、ガキの頃は乗せてくれてね」
のぞみはコージが(仕事の付き合いもあって)競馬を『見るスポーツとして楽しむ』タイプであること、中島家の叔父が騎兵出身で、退役後は扶桑競馬のジョッキーになっていることをエアグルーヴに教える。
「旦那も仕事の付き合いがあるから、麻雀や競馬は嗜んでてね。ほら、あるんだよ。大人の付き合いってのが」
「…わかります。私達もトレーナーを介して、そのような世界があるのは知ってますから」
「先輩から言われたことあるけど、麻雀や競馬は『古株の人とうまく付き合う』手段なんだ。あたしの元いた世界だと、ポーカーやチェス、ビリヤードも入るけどね。前世でその辺は痛感したから、勉強してるさ。あたしの故郷には、TVゲームとかの娯楽はまだないしね。トランプも勉強中」
「シリウスシンボリ先輩を呼びましょうか?」
「え、シリウスシンボリちゃんを?」
「口は悪いですが、面倒見はいいですよ、彼女は。私はあいにく、ゴールドシップや会長と違い、そういった娯楽には疎いので」
エアグルーヴはそう言い、シリウスシンボリを紹介したいと述べる。シリウスシンボリはシンボリ家のウマ娘であるが、スケバンそのものの口調と不遜な態度を取ることで有名であった。競争者としての晩年は恵まれなかった(オグリやタマモの全盛期にぶち当たった)が、後進の育成に意外に熱心であるなど、彼女なりに努力している面もある。ルドルフの幼馴染かつ親類であるため、生徒会に顔が利き、はみ出し者の番長であるという『属性盛ってない?』と言いたくなるような人物である。
「会長か、ナカヤマフェスタに仲介を頼みます。私では一笑に付されてしまうので」
何気に、エアグルーヴはシリウスシンボリのルームメイトのナカヤマフェスタに『手綱を握らせている』事を示唆する。シリウスシンボリが副会長のエアグルーヴをしても、容易には手出しができないポジションにいること、お互いの先輩後輩関係の厳しさの表れである事を示しているため、『どこの世界も、先輩後輩の関係は厳しいなぁ』と漏らすのだった。