――ダイ・アナザー・デイを境に、扶桑海軍機独自の機構などは一挙に廃れた。これは自動照準補正機構などが実用化され、未熟な搭乗員でも見越し射撃が可能になったり、ジェット機への世代交代での操作感の違いに馴染ませるための措置という説明であったが、実際には『戦争末期に片手を失ったパイロット達が操縦桿頂部に機銃の発射ボタンをつけさせ、実際に他のパイロットより戦果を挙げていた』戦訓によるものであった。これに気落ちしたのが横須賀航空隊であった。彼等は自分達の頭越しに航空行政が決められることに腹を立てていたが、結局は自分達が責任を取らされ、隊員の『最前線での死』を暗に命令されることになった。機体の設計や内部機構の世代交代で機銃の引き金がワイヤー式から電気式になったこと、日本経由で伝わった戦訓が彼等の思想を時代遅れとしたのである。海軍の航空本部は必死に保身を図り、『けして、陸軍機と同じ機構じゃ絶対に嫌だという理由ではないのです……』と、必死にいいわけしたが、史実で敗者である彼等の言い分は評議会で何の説得力も無かった。また、日本に駐在する武官が元の日本兵や一般人に中傷される事態も相次ぎ、ひどい例だと、鉄パイプや金属バットで有無を言わさずに滅多打ちにされ、軍人として再起不能とされた(障害者にされた)者もいたというのも、扶桑海軍航空隊の要員の心が折れた理由であった――
――この混乱はダイ・アナザー・デイ直前の航空機製造に多大な悪影響を及ぼした。既存機の改造までもなされることとなった上、零式五二~六四型、紫電改、雷電、烈風といった次世代機の生産作業も重なったためで、扶桑海軍はそれらに乗りなれたパイロットもおらず、日本から義勇兵を極秘裏に募集し、それらに慣れたパイロットをかき集める羽目となったほどであった。それでも、機銃発射機構は不評であり、ダイ・アナザー・デイに投入されたモノは『操縦桿頂部に発射ボタンがある』仕様であったが、横須賀航空隊を通さない緊急措置であった。このことで軍の方針に異を唱えた彼等は結局、誇りを奪われた果てに、最前線での死を強制されていった。国家への反逆を恐れての措置であったが、志賀がそうであるように、隊員は皇室への忠誠心は篤かったため、ほとんど杞憂であった。とはいえ、ダイ・アナザー・デイで矢面に立たされた扶桑軍航空隊にとっては『パイロットを確保するための措置』であったのには変わりはない。その当時の扶桑軍のパイロット(魔女でない)の平均飛行時間はせいぜい500~600時間。教官級でさえも、700時間に届かない程度。欧州では平均的な数字なのだが、日本は『南雲機動部隊の最盛期における幹部級の飛行時間』を求めた。それで問題となった。そのような、長い飛行時間を達成済みのパイロットは扶桑全航空隊には(魔女を含めても)黒江たちしかいないからである。黒江は帰還直後に『タイムマシンなどを駆使し、日本軍の軍役経験者を雇うしかない』と提案。これが採用され、扶桑が赤城型『天城(当時は練習空母扱いであった)』で再訓練を施す形を取った。パイロット育成をしようにも、必要人数が膨大な上、空母着艦と天測航法の習得が必要というハードルがあったからだ。陸海軍の経験者だけでは頭数が揃えられないと危惧されたので、自衛隊経験者(空自)も最終的に加えられ、扶桑はダイ・アナザー・デイまでに航空要員の定数を満たしたのである――
――この時に扶桑軍が雇用した人数は膨大であり、大半がそのまま扶桑に留まり、教官となったり、航空隊の幹部になった。日本に帰り、ヨボヨボの老人として『子や孫、ひ孫に疎んじられながら死んでいく』よりも『青年であった時代に戻り、大日本帝国時代に叩き込まれたことの本懐を遂げる』ほうが個人として幸福であったからである。黒江の釣り仲間であった老人たちもその内に入っており、『ヨボヨボのじいさんとして、子供や孫、ひ孫に疎んじられて死んでいくよりも、ここで軍人として戦うほうが幸せである』と述べている。日本では介護費が高く、子孫らの重荷になっている事を案じた結果だという。中には若返った状態で日本へ帰り、第二の人生を生きることにした者もいるという。その彼等の乗機は多岐に渡るが、零式よりも高性能な紫電改や雷電などの世代の戦闘機が好まれた。太平洋戦争で零式以外の機種にありつけなかった者が大半であったからだ。特に紫電改は史実では『343空しか、組織的に運用していなかった』ので、乗りたがる者が続出した。扶桑仕様は史実とは多少なりとも機影が違う(エンジンが誉ではないので)が、大まかには同じであった。日本の評論家たちは『1945年に、時速594キロしか出ない機種を出しても……』と論ったが、魔女の世界では『F6Fが定数を満たすほどには配備されていない』状況であったし、扶桑仕様の紫電改は(エンジンに運転制限がかけられていない上、高オクタン価ガソリンをバンバン使える)史実の同機種が嘘のように高速を誇った。そのことの判明で評論家らは赤っ恥をかくことになった。逆に、艦載機の運命を変えてもおり、艦上攻撃機・流星は本格的な防弾なしの簡略化された仕様での生産が進んでいたが、日本側が『A-1で代用したほうが、流星より遥かに高性能だもん』と生産中止を検討。これに奮起した尾張航空機は納入前の全機に防弾装備を施し、軍へ納入。日本側も『昔気質の連中は国産を好むし、まぁ、いいか…』と追認。史実よりは多い数が使われたという――
――とはいえ、A-1はレシプロ単発攻撃機の最高峰といえる性能を誇っており、日本が統一を目論んだのも無理はなかった。だが、扶桑国産航空機の意地で、流星の搭載量を増大させた型が『最終生産型』として数百機が生産されており、彗星の後継機種として、最後の急降下爆撃を敢行したという記録がある。日本系の急降下爆撃機の掉尾を飾った点で、流星は特筆に値した。A-1が日本系在来単発攻撃機を駆逐する過程での一瞬の煌めきであったが、流星は輝いたのである。ダイ・アナザー・デイで日本系単発攻撃機は淘汰される運命にあったが、九九式艦爆と九七式艦攻の後継ぎとなるはずであった者たちはダイ・アナザー・デイの戦場で一瞬の煌めきを放って、歴史の中に消えていった――
――これは日本側が史実で最高峰の性能と判明したA-1を欲しがったためだが、A-1は確かにその資格があった。零式の初期型よりも高速を誇るため、戦闘機代わりに使われたこともあるなど、獅子奮迅の活躍を見せ、太平洋戦線でも現役であった。問題は日本式空母に入るかどうかであった。ダイ・アナザー・デイ直前は翔鶴、瑞鶴、大鳳の三隻のみが第一線の空母と見なされていたが、エセックス級に比べて劣るという判定がなされ、次期空母の仕様策定が大混乱を来たし、大鳳型の量産が見事に頓挫した頃であった。既に起工されていた二番艦~五番艦を完成させる案もあったが、大型のジェット空母を欲しがった日本側の意向で建造中止とされた。だが、旧式の空母をだましだまし使うのも無理があるのは事実であったので、議論は紛糾。1949年にキティホーク級のコピーで落ち着くまで、実に四年もの月日を無駄にしたわけである。結局、この時の空母不足が決定打となり、扶桑海軍航空隊は衰退していった。ダイ・アナザー・デイを乗り切るため、雲龍型航空母艦も航空輸送艦名目で投入されていき、最初で最後の空母としての任を果たした――
――ダイ・アナザー・デイでは、扶桑がほぼ独力で戦うしかなかったため、扶桑の保有する航空機のおおよそ8割超が投入され、多数が還らなかった。レシプロ機の処分を兼ねての施策であったが、この施策が太平洋戦線で仇となった。21世紀現在の現用ジェット戦闘機は高価かつ大量生産向きの機材ではなく、結局は20世紀半ば~後半期の旧式機が好まれた。大量生産しやすいからである(アビオニクスはともかくも)。だが、日本が1000機単位の大量生産を躊躇ったことから、開戦後に泥縄式に航空機が増産されることに繋がり、扶桑空軍の苦戦に繋がった。必ずしも、いいことばかりではないのだ。結局、ドラケンやF-5系統の機体は『数を補うため』に大量に生産され、一方は局地戦闘機の代替として、もう一方は『当座の航空戦力』として。F-5後期型は第三世代戦闘機としての性能を備えつつ、単価が(後の世代の戦闘機よりは)安かったので、扶桑は大規模に導入した。レシプロ機群の退役で、ただでさえ不利な物量が余計に不利になっていたためである――
――更に、ティターンズの指導で、リベリオンが戦後世代のジェット戦闘機の開発と生産に乗り出したことが察知されると、日本は優位性を確固たるものにしようと躍起になり、F-4EJ改やそれ以降の世代の戦闘機の配備をせっついたが、64F主力の不在の状況にあっては、むやみに新鋭機を回すわけにもいかなかった。大半の部隊がやっと、ジェット戦闘機に慣れだしていたのに、もっと複雑な機体は現場をパニックにさせるだけだからだ。その間隙を埋めたのが震電シリーズであった。震電シリーズはジェット戦闘機へと開発が進み、二種の機種が実現していたが、扶桑の完全オリジナルであることから、実力が不安視されていた。だが、扶桑が公にした『震電改』は史実のジェット戦闘機化案よりも洗練されており、武装も震電のそれを受けつぐ重装備であり、二次大戦中の局地戦闘機に戦後式の装備を施したような印象を与えている。原型機の面影を見出しやすいが、戦後世代ジェット戦闘機の要項を完全に満たしていた。震電用に用意されていた機体部分の生産ラインの殆どが流用できることで、生産性も高い。さらに言えば、『日本海軍系戦闘機の正統な後継ぎ』であることでの扶桑軍の部内でのアレルギー反応の少なさ(史実の戦後世界では、純日本産の戦闘機は存在しない)も量産の理由であった。扶桑は自前で航空機開発能力を持っていたため、震電系を継続開発させることで、軍需産業に勤務する技術者の自尊心を満たした(キ99の教訓である)。最後の純粋な旧軍機の系統である同機と富嶽系は戦前日本の有用な遺産と見なされ、以後の時代でも生き続けるのだった――
――未来世界から人型兵器が持ち込まれ、日本連邦に軍事面での圧倒的優位をもたらした。M粒子の研究ももたらされ、同粒子の軍事利用が扶桑で進んだ結果、レーダーとそれに類する技術(魔法探知含む)の信頼度が低下。日本連邦はそれを補う技術を研究しだし、歴史的には『地球連邦時代のグリプス戦役の後に確立された』と記録される。魔女の世界で繰り広げられている旧エゥーゴ(地球連邦軍人の属する主流派)と旧ティターンズ(本来は彼等が権力側であった)の争いは結果的に、現地の異能たる『魔女』の権威を潰すことになり、扶桑は魔女となっていた軍人らの取り扱いに難儀することになった。黒江たちは別の異能を会得し、なおかつ通常のパイロットとしての技能を身に着けることで、確固たる地位を得たが、そのような万能性を持てる魔女は一部の才ある者のみ。さらに言えば、黒江、圭子、智子の三羽烏は事変前に平時のカリキュラムで士官教育を終えていた最後の世代の中でも『俊英』の誉高い逸材。本来ならば、10年か20年に一人の天才であるので、その三人が周囲のレベルを引き上げていた事変世代が『人的資源の黄金期』と扶桑で言われた所以である。通常兵器の研究が飛躍的に進む中、魔導理論研究の進展は遅々たるもので、吾郎技師の登場で第二世代理論の実用化に目処は立ったが、既存の資材の強度では、強大化する魔導出力に追いつかないという問題も生じてしまうなど、課題は山積していた――
――太平洋戦争の終着点は『ハワイを境界線にしての停戦』が無難であったが、日本側は『原爆を量産されたらどうするんだ!』とヒステリーを起こしていた。だが、1940年代当時の原爆はそうそう生産できる代物ではなかったし、対怪異への費用対効果に疑問が生じ、リトル・ボーイとファットマンが一発づつ製造された段階で製造が中止されていたに過ぎず、核兵器の対都市の威力が自国領で既に証明されている後である。日本も流石に自国の考えを、厳密に言えば『他国』である扶桑に押しつけるわけにもいかないため、扶桑が報復目的で核兵器を使う事を黙認した。そうするしか選択肢はないからだ。2020年代に交代した一人目の総理は『扶桑の軍事戦略に我が国が横から口出しするのは越権行為にあたる』と声明を発し、日本で頻発する問題の沈静化を図ったが、扶桑の防衛体制への不満が蓄積していたため、扶桑の当局が却って、クレーム対応に悩殺されてしまう事態を招いた――
――扶桑の防空体制は事変での失態でだいぶ改善されていたが、ダイ・アナザー・デイで陸海軍航空隊の統合運用がほとんどできなかった事は大恥であった。サボタージュが致命的スキャンダルとなる形で、魔女だけの航空部隊が次々と解体に追い込まれたのが1946年。その嵐を生き延びた魔女の中でも、特に良質な人材がいくつかの生き残り部隊に集中している事は部内で不評を囲っていたが、日本連邦評議会で『大日本帝国は人材を一度きりの爆弾として浪費して負けた』と論陣を張られては、扶桑の防空関係者はグウの音も出なかった。『64Fのような部隊があと二個必要』と言われると、扶桑側は『64Fに特異体質の撃墜王の全員が集まってるし、そうでない連中は退役願いを出しているか、思想面で問題ありと見なしてるではないか』とした。日本側は『戦中に退役願いなど、もってのほか』とし、扶桑に圧力をかけた。こうして、退役を待つのみであった、いくつかの部隊の撃墜王らの退役願いを事実上撤回に追い込ませ、防空任務に就かせた。元々、怪異相手の訓練しか積んでいない世代の魔女に『戦闘機や戦略爆撃機の迎撃をしろ』というのは無理な相談だが、周囲の目がある以上はやらなければならない。こうした措置の当事者の士気は最低レベルであったので、64Fの大規模化が進められたのは無理からぬ話であった――
――防空部隊の機材は一挙に戦後水準へ飛躍したが、ミサイルは大戦型の航空消耗戦にはまったく向いていないという問題が露呈した。その関係上、高射機関砲と陣地高射砲の開発と整備はなんだかんだで継続されることになった。五式十五糎高射砲の改良が続けられ、増産が続いたが、それは陣地高射砲である。野戦防空機材の更新は紆余曲折の末、デストロイド・ファランクスとディフェンダーの配備が最善とされた。携帯式防空ミサイルシステムの生産が追いつかない+自衛隊の保有品の扶桑への供与に防衛当局が難色を示したためであった。ダイ・アナザー・デイ中にB-29が現れていたので、高高度に到達できる迎撃機と戦略爆撃機に対応可能な防空システムの整備は急務とされていた。もっとも、魔女たちの運搬にはB-29は過大とされ、配備に反対する声がリベリオン国内には強くあったが、より巨大な富嶽が戦略爆撃の本懐を遂げたことで、ダイ・アナザー・デイにあたって、ティターンズ主導で生産が強行された経緯があり、扶桑はそれを捕虜の尋問で知った。とはいえ、扶桑に強いショックを与え、迎撃機の開発が急ピッチで進んだという効果はあった。結果的に、富嶽がB-29以降の戦略爆撃機の量産に影響を及ぼし、B-29は扶桑の迎撃機開発を促進させたのであった。さらに言えば、魔女たちからすれば、自分らの存在意義を奪った『銀翼の怪鳥』であるので、目の敵にされ、太平洋戦争の防空戦では損害が多い。史実と異なり、高高度行動に必須の排気タービン付きのレシプロ戦闘機は愚か、ジェット戦闘機が群れをなして飛んでくるのだから、必然的に損害は増える。史実でほぼ完封負けに近い有様であった日本が目の数にして、あらゆる手段を講じた結果、B-29は史実と違い、苦闘する側にあった。時代を超えた兵器群の前では、いくら同機種と言えど、『ジュラルミンの棺桶』であった――
――ダイ・アナザー・デイは科学力と人的資源の集中運用がモノをいった戦であった。64Fは旧統合戦闘航空団の人員の過半を作戦開始寸前に取り上げられるという理不尽を味わった。モントゴメリーが『サボタージュに対応するためだ』と本部に引き抜いたのである。圭子が猛抗議したが、総司令官であるアイゼンハワーの決定であったので、覆らずじまい。その窮地を救ったのが、調の加入であったり、歴代プリキュアの覚醒と編入であった。また、のび太の計らいで、ことは/フェリーチェが加入したのも、救世主となった。抜けた人員は元の501以外の統合戦闘航空団の人員の殆どだが、菅野、黒田、雁淵(姉)、グンドュラは自主的に残留したし、ハルカは元のいらん子中隊隊員の身分を使う形で残留した。その結果、逆にブリタニアとロマーニャはメンツ丸つぶれに陥った。歴代プリキュアが中核となった影響で、リーネやルッキーニの出撃が控えられるようになった(激戦になり、芳佳とシャーリーが出撃を控えさせた)からであった。とはいえ、まったく出なかったわけではないが、少なくされたのは事実であった――
――その頃から、のぞみは(素体の技能がそのまま残ったことが確認されたことから)、パイロットも兼務させられていた。また、使用銃器も黒江たちに合わせ、素体が持っていた『十四年式拳銃』から『ベレッタM92』へ変えるように指示を受けてもいた――
――ダイ・アナザー・デイ終結の五周年式典が1950年に控えている扶桑軍。ナリタブライアンがちょうど入れ替わっている時に雑誌のインタビューの要請が舞い込んできたため、彼女がそのままインタビューの仕事を代行したわけだが、親類にあたるナリタタイシンは『あんた、愛想良くないっしょ』とコメントし、『お前も似たようなものだろ』と返した。実際、ブライアンとタイシンは勝利インタビューは苦手に入り、あまり口数は多くないほうである。ブライアンに至っては『寡黙』のイメージがつくほど、インタビューを避けていた。これはブライアン本人が口下手なので、無用のトラブルを避けようという、個人トレーナーとチームトレーナーであった『東条ハナ』の共通認識であった。しかし、個人トレーナーがいなくなった後は内心で『仲間』を欲しがったか、次第にインタビューに応じる事が増えていた。これは不調に悩んでいた時期に、師であるオグリキャップが叱咤した事によるものでもあるが、サクラローレルはこれを切り捨てている。『孤高の餓狼』というブライアンの偶像に魅入られていたが故であるが、流石にヒシアマゾンに叱責されている。こじらせてるのが目に余ったからで、ヒシアマゾンは『面倒なのに好かれたもんだねぇ……』と述べ、ブライアンは『そういう奴にしたのは私の責任だから、ブチのめす(レースで)ことで礼をしてやるさ』と答えている。
――かくして、ブライアンはインタビューを乗り切ったのだが――
――遠征軍の秘密基地――
「ブライアン、お前。よく銃の名前とかをスラスラ言えたな?」
「こいつ(のぞみ)の肉体の記憶は見れるし、元々、親類のナリタトップロードがサバイバルゲームの経験者でな。それで覚えていた。それと、タイシンに付き合って、今どきのガンシューティングゲームをやったこともなくはない」
「マジかー」
「十四年式拳銃は実際、航空兵用としちゃ使い勝手悪いだろ?」
「だから、九四式拳銃が造られてたんだよ」
「あの珍銃をか?」
「海外駐在経験者は外国産を買って、それを持つのがトレンドになってたから、ウチ(扶桑)じゃ倉庫の肥やしだけどな。俺達を見てみろ」
「あんたらはベレッタが好きだよな」
「アメリカが敵国になるのは予見してたし、欧州が赴任地だったから、パーツも早く手に入る。それに、M92にもなれば、使用感はそんなに変わらねぇよ」
「ガバメント持ってるんだな、その口ぶり」
「自由リベリオンの連中からな。連中が逃げてくる時に武器庫からぶんどった新品だってんで、もらっといた。メリケンにパーツが発注できるから、予備に持ってる。のび太の奴に頼んで、デイブ・マッカートニーへ調整を依頼してる」
「あのデイブ・マッカートニーか?Gのガンスミスの?」
「そそ。のび太の世界にいるんで、俺も知り合いだ。Gとは時たま会うよ。仕事の依頼をする側の時もあるしな」
「Gにしては、珍しいな?」
「知己と信頼を得られれば、何度も依頼しても許されるのさ。かのヒューム卿のように」
ヒューム卿。のび太の世界にいたイギリス情報部の元部長であり、第二次世界大戦の戦後処理を実際に取り決めたとも噂される、四大国の諜報機関の長『ビック4』の筆頭であった。デューク東郷の信頼を個人として勝ち得た男として名高い。彼は1980年代に入る頃に病没しているが、彼の遺言を守る形で、デューク東郷は(元の)西側諸国の依頼を高確率で引き受けている。これが彼が母国と西側諸国に遺した最大の遺産である。
「イギリス情報部の部長で、デューク東郷と個人的に親しい間柄だったとかいう御仁だろ?オジキがあれのファンでな……ガキの頃に借りて読んでたから、知ってるよ」
「東郷のことは口外無用だぞ?」
「信じないだろ、1960年代からずっといて、国連事務総長や米・ロの指導者であろうと恐れおののくって言われてる、史上最高のスナイパーなんて。彼が1960年代から裏世界に君臨しているなら、私らの時代には、ヨボヨボに老いててもおかしくないぞ?」
「そこがミソだ。俺も信じられなかったよ、彼の事は」
そこがデューク東郷の謎であった。秘密厳守だが、ブライアンは彼を知っていたので、黒江は特別に『タネ』を教えた。なぜ、彼が『1960年代に青年なら、2000年代を過ぎる頃には『老人』になっていて然るべき年齢ということになるが、30代後半~40代前半ほどの容姿を保っているのか?そして、2010年代には、M16A3に切り替え、2020年にM16A4へと愛銃の基本ベースを切り替えているという裏事情。彼は『自分達の敵ではない』と黒江はいい、のび太の存在のおかげで、彼が銃口を自分達へ向ける事はない事、のび太は独身の頃、仕事で彼と偶然に出会い、彼を助けた。その仕事で恩義を感じたかは不明だが、一目置かれるようになったのだと説明する。
「命を助けたのか?」
「おそらくな。彼は受けた恩は絶対に返す男だ。のび太にデイブ・マッカートニーを紹介したくらいだ。窮地を救ったのは間違いないと思う」
「彼に一目置かれるんだからな……よほどのことだ」
デューク東郷が真に友好関係を築いた者は彼の活動の記録を見る限り、限られている。のび太がなぜ、その一人になったのか?それも謎が多いと説明する。彼への義理立てだろうと思われるが、実際は不明だ。
「彼が敵でないのは、裏社会の安全パスを持ったようなものだよな……」
「どんなマフィアのボスだろうが、独裁政権の独裁者だろうが、彼の存在を察知したら、部屋の隅でガタガタ震えだすってんだ。その彼がこっち側で良かったよ」
デューク東郷が敵ではないことに安堵する二人。ブライアンはこの時に、彼が実在する世界線のことを知ったのだった。