――結局、ティターンズという組織はジャミトフ・ハイマンに都合の良い『切り捨ての効く駒』でしかなかったが、その中の直属の部隊らが魔女の世界に転移し、現地の歴史を根本で変えてしまったのである。あまりに技術力に差があったためでもある。MSは現地の武器では殆ど傷すらつけられなかったし、ティターンズの固有航空戦力は20世紀前半レベルのものとは比較にならない。それに太刀打ちできる異能者の存在が認識されたのが、ダイ・アナザー・デイのことだが、扶桑の魔女の主流派はそれを異端と断じ、排除しようとした。それが結果的に、魔女の立場自体の転落を引き落とした。復帰した江藤が裏方で働き続けたのは、その要因を作ってしまったことへの贖罪であった――
――扶桑の魔女は軍隊の社会的地位の低下もあり、穀潰し扱いされるようにもなり、学校教育からも弾かれそうになる(日本側の早合点だが)など、踏んだり蹴ったりであった。基本は『時限的な異能』であることも、財政的に疎んじられる理由であった。結局、超技術で肉体の加齢を差し止め、10代の肉体を維持して、日本側の満足する費用対効果を示すことが魔女の生き残る道と認識されたのが、太平洋戦争の勃発後のこと。だが、人殺しに耐性がない者が大勢を占めていた故のサボタージュの傷跡は深く、魔女のみの部隊は多くが解体されるに至った。結局、怪異の出現件数そのものが減少する時代に入ったのもあり、政治的に疎んじられたがため、ごく一部の精鋭部隊のみが存続を許されているにすぎなかった――
――ティターンズの海上部隊は20世紀後半以降の防空レベルを持つので、現地の航空戦力では万に一つの勝ち目もないとされていた。これは通常兵器の保有数がどの国も史実より数割も低かったこと、まともに航空戦力による対艦攻撃の研究がされていなかったからである。扶桑生え抜きの航空兵の大半がダイ・アナザー・デイの洋上戦から締め出された理由も、それが理由であった。妥協点が『艦隊決戦』であり、戦艦ならば勝てるというささやかな希望を拠り所にしたため、日本の左派からは『坊ノ岬とレイテの二の舞い』と馬鹿にされた。だが、実際にユトランド沖海戦もかくやの大艦隊戦が生起し、大和型の設計での砲撃戦での堅牢性が示されると、造船関係者からは歓喜が絶えなかった。いくら、扶桑独自の造船研究の賜物とはいえ、史実での弱点が克服されていること、地球連邦の手で電子装備などが取り替えられていた事による幸運もあったが、大和型の設計自体は正しかったことの証明であったからだ。扶桑としては『大和型は金かかったし、艤装などを簡略化した型を造る用意をしていたのに』と愚痴ったが、大和型以上の艦が現れた事から(やむなく)、それを超える超大和型の造船に至った。また、旧式戦艦の処分が要望されたが、日本が正式に国交を持った時期、既に呉の壊滅で旧式艦の大半が破壞され、除籍済みであった。また、戦艦そのものの保有数が財政的疲弊で、連合軍全体で減少する時代に入ったことから、余裕を残す扶桑の戦艦の全面的な更新自体は容認せねばならなかった日本。まったくの想定外であった――
――大和型の設計自体はオーソドックスであったが、主砲塔の数が少ないとの指摘が相次いだ。これは砲身命数や命中率の懸念などを理由にしてのものが多かったが、モンタナに撃ち負ける可能性の指摘もあった。結果、超大和型では、主砲塔の数が増やされる事になり、モンタナとの撃ち合いでは有利に働いた。主砲塔の増加によるバイタルパートの冗長化の懸念もあったが、史実で集中防御の難点が散々に露呈していたのと、戦艦を艦隊決戦だけに使う時代ではなくなっているため、結果的に全体防御は容認された。扶桑が諸懸念を吹き飛ばすために行ったのは『万能の宇宙艦艇を造り、当面は(偽装で)水上艦として運用する』という海底軍艦に倣った手段であった。その関係上、水上艦としては(異様なほど)巨大になった。地球連邦の協力でそれは実行され、ダイ・アナザー・デイに勝利をもたらした。また、ダイ・アナザー・デイ後の日本主導の軍縮の試みが太平洋戦争の勃発で失敗すると、空母はミッドウェイ級の鹵獲改造が喜ばれる有様に、扶桑の造船関係者は憤慨した。だが、史実で日本が空母型の艦艇を作ったのは、21世紀頃。すっかり空母運用のノウハウは失われた後。その史実に落胆した者は多かった。なお、大鳳の同型艦は同級三番艦のみが造船所の独自判断で建造が続けられており(補償金の支給に疑念があったため)、軍が気づいた時には、かなり完成している状態であった。仕方がないため、軍はその状態で引き取り、残工事を軍で(大鳳と同様の近代化改修を施すため)行う事にした。その造船会社にかなり高額の補償金が支払われたのは言うまでもない――
――この騒動で、扶桑の造船技術レベルは21世紀基準に飛躍。それに伴い、機械製品の精度も同水準に飛躍していった。電子装備も急激に発展を遂げていくわけで、それに伴う一般人の生活レベルの変化も起こり、史実の戦後の水準に向上していった。また、軍部で機械式暗号機の使用が完全に差し止められたが、既に試作されていたモデルがあり、それらは結局、安価で日本に売り払われていった。自衛隊主導でデジタル式暗号が導入されたためである。日本は扶桑を『自らは手を汚さずに済む』使い捨ての傭兵のように見ていたが、のぞみの一件以降は気まずさを持ったらしく、逆に自分達が扶桑の『金づる』にされるという因果応報のような顛末となった。とはいえ、扶桑に残っていた『戦時にあたっては、民間の全てを犠牲にする』風潮が否定され、地方の大地主の解体が史実と違う形で始まるなど、扶桑の空気は確実に緩み始めていた。その過程で、軍人を名士と扱うことは(皇族・華族、当人に功績があるか、功ある人物の子女でもなければ)無くなり始め、民需研究のほうが重んじられる風潮が強まっていく。だが、怪異対策との兼ね合いで、史実よりはマシな予算規模が与えられていく。太平洋戦争はその変革の最中に起こった戦争であった――
――連合国海軍が弱体化してしまった原因は、リベリオンやヴェネツィアの離反、ブリタニア海軍の財政的衰弱が原因であった。特に、扶桑は戦後水準の電子装備に取り替えるための大工事、旧来の砲熕兵装の取り外しなどが進んだため、旧来型艦艇の船体寿命が却って縮んでしまうという弊害も起こった。高雄型も大改造に次ぐ大改造で、もはや外洋航海に耐えうる船体強度が残っておらず、軍役の最後の二年は港に係留されたままであった。この旧来型艦艇の老朽化も、伊吹型重巡の竣工に大きな影響を与えた。伊吹型は所謂、『繋ぎ』目的での就役であり、あまり期待されぬ艦艇であった。だが、5500トン級軽巡が根こそぎ『役立たず』に落ち、阿賀野型も陳腐化してしまった現状では、貴重なワークホースであった。これは扶桑が本来、その目的で運用しようとした超甲巡が政治の都合で、『巡洋戦艦』扱いになってしまったためである。また、戦艦が重武装・重装甲の大和型がベースで統一されてしまったため、汎用性かつ、比較的に安価な巡洋戦艦が必要とされたのも理由であった――
――他国は戦艦に過度の万能性を求めなかったため、運用が却って難しくなり、ほとんど置き物と成り果てていた。1930年代に建艦した船たちが老朽化し始める1940年代末には、欧州型戦艦の多くは置き物扱いであった。無論、後継ぎも計画されたが、ガリアはペリーヌの剛腕で中断(1949年に、ド・ゴールの意向で再開)、カールスラントは国家自体の荒廃で有耶無耶、ブリタニアとロマーニャのみが無事に就役する有様であった。また、欧州の大半が海軍にかまけられる余裕はないため、連合国海軍=ブリタニア、ロマーニャと扶桑の三カ国連合という認識となっていった。そのため、扶桑の戦艦は対外的な示威の必要から、大型・重武装でなくてはならなくなった。それが皮肉にも、扶桑が本来、移動砲台目的を名目に設計した大和型の本来の存在意義を果たす事になる。その関係で、超甲巡が(中途半端というそしりを避けるために)大改造で巡洋戦艦化せざるを得なくなったのである――
――超甲巡は結局、船体装甲の強化、機関と全武装の換装を伴う大工事が行われ、完全に巡洋戦艦と化した。これは日本側が異様にアイオワ級戦艦との遭遇を異様に恐れたことの兼ね合いだが、扶桑としては『これでは、41cm砲戦艦を新造したほうが手間がかからないではないか』と言いたかったが、戦後日本は財務が力を持つため、既存艦の強化と言ったほうが予算を通しやすいのである。また、デモインやアイオワといった高火力かつ、連射力のある新鋭艦が続々と登場している時代なので、史実通りの装甲厚では『激しく、心もとない』と判定されたのである。それに伴い、配置も戦艦部隊にされたため、旧来型ばかりの水雷戦隊から不満が生じた。同時期に『旧来型軽空母』が無用の長物となったために、改装工事が止まっていた伊吹型を重巡のままで完成させる事になった。魔女の軍事的意義が減少したことも、その理由となった。とはいえ、デモインの登場で、伊吹は巡洋艦としても完全に旧式化しており、つなぎ目的以外の何物でもない艦であった。とはいえ、工事段階であった幸運で、予定よりは装甲厚が多少は増やされており、機関が変わったこともあって、速力は維持された。武装もミサイル装備と近代的対空装備が加えられたため、対空防御は旧来型の比ではない。つなぎ目的とはいえ、旧態依然とした時代遅れの存在と揶揄されていた水雷戦隊の救世主であった――
――汎用性の追求などの要因で、日本連邦の艦艇は急速に大型化。駆逐艦で4000トンを超える排水量に達し、巡洋艦で二昔前の戦艦級の排水量に達するようになった。それに伴い、工作艦も大型の新型が必要となる有様で、扶桑海軍はてんやわんやであった。電子装備の複雑化などで、旧来型工作艦の手に負えるものではなくなったのも理由であった。このパニックも、扶桑海軍の実働部隊の多くが張り子の虎と揶揄される有様になる理由であった。旧式化した戦艦の転用である『朝日』は工作機械などを撤去し、往時の状態へ復元された後に博物館にされたため、場繋ぎで明石型工作艦が増産された。入手不能となったカールスラント製工作機械に代わり、戦後日本製の工作機械が積み込まれて。史実と異なり、姉妹艦の三原と桃取が存在したが、日本が『新造はたった三隻!?』とケチをつけたため、結局、もう二セットの造艦が決まったが、カールスラント製工作機械がもはや入手不能であったのが問題になった。その兼ね合いで、戦後日本製のものが代替に積まれた。電子装備修理のための施設も増やされて。戦後日本製の高性能工作機械の威力により、工作能力は数倍に向上。明石も工作機械の入れ替えが行われた他、船体のオーバーホールついでの強化、機関と自衛武装の近代化が行われた。連合艦隊の組織的行動が鳴りを潜めたのは、こうした後方支援体制の改編によるものも大きかった――
――日本連邦化に伴う国土強靭化計画により、急激に戦後基準の町並みへ変貌を遂げていく扶桑の各都市。東京タワーも史実通りの場所に、史実通りの鋼材で建設が始まるなど、近代的な町並みへの布石が築かれつつあった。東京は関東大震災が起こっていない関係で、近世以前の面影がまだ残っていたが、この時の近代化で一掃されていくことになる。その一方で、安土の旧市街が歴史地区として保存の運びになるなど、史実にはない街の確認も進んだ。安土は史実では、信長の死後すぐに廃れたが、信長が天寿を全うできた魔女の世界では、織田家の重要拠点として栄え続けたらしく、中規模の宿場町であった名残りが残されていた。その関係上、安土城は重要文化財として保存される運びになった。魔女の世界では、文化財保存は生存圏維持のために軽視される傾向があったが、有力な将校が次々と失脚に追い込まれた事から、軍人らは戦々恐々であった。また、航空戦力が事実上の無力化していた大戦末期の状況から、水上艦の世代交代も必要だとされた。超甲巡が建造再開されたのは、その目的と、軍需産業の雇用維持のためであった――
――ダイ・アナザー・デイの前後、日本人の『キレると、前後の見境がなくなる』、『窮鼠猫を噛む』の原則から、連合軍の将兵はその恐ろしさに恐怖し、『日本人とは交渉がしにくい……』とぼやく羽目に陥った。特に、空軍関係者は『士官学校未卒でも、士官扱いになる』制度が日本海軍にあったことにより、将校の少なからずが怒った日本義勇兵の暴行を受け、心を病んで『使い物にならなくされる』事件が頻発した。ミーナの更迭はその流れを大事にしないための生贄にされた側面があり、義勇兵らに睨みの効く黒江たちを矢面に立たせるための人事でもあった。また、黒江たちは魔女の派閥抗争の中心にいた関係で敵が多く、ミーナがそれを証明する形になった関係で、大々的に取り上げるのは不可能であったので、その弟子筋にあたる者たちが代わりに『英雄』に祭り上げられた。そのうちの一人がのぞみであった。だが、のぞみが扶桑の軍人であったことで、扶桑と日本の政治的パワーバランスの均衡が崩れた。その原因が日本に非があるものであったため、日本は以後、プリキュア関係者の転生や転移に警戒をするようになったというが、時すでに遅しであった。魔女の地位低下を招き、世界に魔女の保護の責任を負わなければならなくなったのも大誤算で、その要因と見なしたミーナ・ディートリンデ・ヴィルケが殊更に悪役に仕立て上げられたのは否めない――
――日本人は史実の敗戦の要因と見なした者達を弾圧したわけだが、過剰な航空主兵論も批判の対象とした。史実で良識派とされた、井上成美もその対象になった。彼は『陸上基地が空母機動部隊の物量に捻り潰された』史実に強いショックを受け、意気消沈。周囲の薦めで空軍に移籍した。その影響で空母に傾倒した建艦計画は撤回され、水上戦闘艦艇の更新に主眼が移された。だが、通達が間に合わず、造船関係者の判断で建造が続けられた艦もかなりに登り、海軍はその処理にてんてこ舞いする羽目に陥った。特に、大鳳型の同型艦の複数が(造船会社の独自判断で)建造が続いていた事は予想外で、近代化改修の手間がかかるため、それらの竣工も1950年代と見積もられていた。損害賠償金が惜しまれたため、近代化改修をしたほうが、まだ早かったのである。さらに言えば、雲龍型航空母艦の大半が空母としての任を解かれ、他用途に転用され、旧式空母の退役が起こった結果、空母機動部隊に数的余裕がなくなった。そのため、空軍は戦争の屋台骨にならざるを得なくなったのだ――
――1945年時点で、連合艦隊の稼働空母はコア・ファイター運用改修が施された雲龍型航空母艦(初期艦)、近代化改修済みの大鳳、翔鶴、瑞鶴のみが稼働状態であった。蒼龍型は結局、クーデター事件での損傷に加え、度重なる魔女閥のテロで竜骨が損傷する事件により、退役が決まる。部内の揉め事で貴重な大型空母を失ったことは連合艦隊の恥であった事から、犯人のみならず、同調した魔女の全員が問答無用で銃殺刑になった。この大事件は意外な理由で解決を見る。当時としては空前の巨艦であった『ミッドウェイ』級の鹵獲に相次いで成功したのである。ミッドウェイ級は史実でも、40年以上の長きに渡って現役であったので、日本もそれを見越しての大改造を施した。ミッドウェイ級は当初、すぐに自由リベリオンに引き渡されるはずであったが、日本の防衛閥の反対で、扶桑の空母不足に対応する緊急策に使われ、自由リベリオンの艦隊整備は後回しにされた。これは史実同様に米国人に居丈高に振る舞われるのを嫌った者たちの根回しも絡んでおり、ミッドウェイ級は紆余曲折を経て、結局は大鳳に代わる空母機動部隊の旗艦にされ、日本連邦の空母不足を補う存在として使われ、数奇な艦歴を刻んでいくのだった――
――だが、高度な近代化が挟むため、空母機動部隊の組織的活動が困難に陥ったのには変わりない。日本の左派は空母の装備に拒否反応を示したが、流石に、ガダルカナルでの愚を自分達が繰り返し、世界に大恥をかくわけにもいかず、妥協的に扶桑の方針を容認した。だが、空母の近代化改修の完了と慣熟を考慮すれば、出揃うのは1953年以降と見積もられたため、結局は異能者と超兵器に頼らざるをえなかった。そのプロパガンダに用いられたのが、皮肉にも、外交問題の当事者であった夢原のぞみなど、黒江の弟子筋にあたる者たちであった――
――のぞみや調は、アニメと決定的に違う道を歩む者であったので、その違いが積極的にプロパガンダに用いられた。調は魔力が目覚めたのみならず、黒江との同調で、黒江の得ていた異能が使えるようになっていた都合、アニメのように『きりしら』とコンビ扱いされることはなかった。また、経緯的に、切歌との仲がこじれていたため、本人たちも気まずさが残っていた。切歌は(表向きは大量殺人の罪で処刑の身であるため)修行のために、聖域で過ごすようになり、調は黒江の内弟子兼従卒のような立ち位置で過ごした。異能への覚醒に伴い、シンフォギアの展開の制限時間の制限からは解放されたこともあり、仕事着がシンフォギアとなった。元の世界を離れたのは、黒江が入れ替わっていた時期、そのキャラの濃さで、周囲に強い印象を残していたことも理由の一つであった。切歌はフロンティア事変時、感情の暴走による大量殺人を犯してしまったが、その時の暴走が『元の世界にいられなくなる』原因となり、調に距離を置かれる羽目になるなど、散々たる有様に陥った。ダイ・アナザー・デイ時に呼び寄せられた大人切歌は聖域でそれなりの時間を過ごしてきた後の時間軸の住人であるので、その頃には仲直りは叶っているが、太平洋戦争当時の時点では『道半ば』であった――
――かくして、調は黒江の弟子になったが、斬艦刀はのぞみが受け継いだ都合、調は別方向で剣を鍛えることになり、それで行き着いたのが、『竜王破山剣』であった(シュルシャガナの元々の姿と相性が良かったのも理由)。固有の技というわけではないので、のぞみや黒田も用いているが、属性の違いを際立たせるためか、軍部は『調の奥義』として扱っている。当人いわく、古代ベルカで『現地に漂着していた、どこかの世界の地球人の子孫から習った』とのことで、無論、シンフォギアとまったく関係がない技である。響と揉めた理由の一つは『(状況的に仕方がないとはいえ)シンフォギアに頼らない闘い方を覚えていた』故に、『シンフォギアを心の拠り所にしていた』響が反発したからである。(流石に『どんな闘い方をしようと、個人の勝手だ』と諌められたが)結果的に、響もシンフォギアではない異能が目覚めてしまうことで、その心境を理解したが、ダイ・アナザー・デイまで「しこり」を残した(シンフォギアが絶対の力ではない事実に反発したものの、実際には『第七感』に目覚めていないため、それを前提条件とする闘いには、お呼びでなかったショックを引きずっていたため)。また、ことはがゲッター寄りになっていったのと対になる形で、こちらはマジンガー寄りに変化していった――
――黒江たちが常識外の異能を持つ事がカミングアウトされた際、連合軍のパワーバランスはいっぺんに変化した。黒江たちの異能は、カールスラントの大半の撃墜王よりも遥かに軍事的に有用であるため、扶桑の高官らは針の筵になった。予てからの後援者であった山本五十六はそれを免れたが、大半の高官らは無能を(銃後から)罵倒される羽目となった。東條英機の一派の残党は、黒江たちへのいじめ問題の発覚で一掃された。だが、集団主義的な考えの扶桑海軍の魔女たちが今度は政敵となった。それもダイ・アナザー・デイでの失策とクーデターの失敗で壊滅し、1949年には、黒江たちの天下であった。上層部の保守派の面々が『史実の無能ぶりか、国家のミスリード』を理由に、ほとんどが中央から追放されたのも、その到来を助けた。山本五十六については、軍政家としての有能さが評価されての温存であった。実際、戦術家としてば無能でも、軍政家としては一級の才能があり、国防族の重鎮として、象徴的な役目を期待されたのである。黒江たちに特権が与えられたのは、彼らなりの『迫害への償い』であった。カールスラントの撃墜王たちが様々な理由で、檜舞台から退いていく時代を迎えたため、扶桑空軍が次代の要にならざるをえない故の待遇でもあった。仕方がないが、魔女の世代交代を進めようとしたら、実効戦力が大幅に劣化した例が後を絶たず、魔女の秘伝の後進への継承が事実上は不可能に近いこともあり、魔女の軍事的有効性は大幅に低下した。それも、一部の熟練者が居残らなくてはならなくなった理由だ。以前のように、モデルや女優に転身することが世間に憚られるようになったため、魔女の年齢構成は両極端に変化している。黒江たちの世代が30代にさしかかる時代に入っているはずの1949年はまさに、旧来的な魔女が衰退し、その進化形である『異能者』(男性にも、魔力持ちが出てきたのもあり)が取って代わる時代の始まりであった――
――魔力は女性特有のものではなく、男性にも生ずる。それが日本との交流で明らかになり、実際に修験者らなどを中心に確認されたことから、『魔女』という言葉が適当かの議論が起こった。アイデンティティ崩壊を恐れる魔女らはその彼らを弾圧せんとしたが、軍事的有用性が維持できなかった魔女たちはアイデンティティの崩壊も合わさって、特権的地位を喪失していった。ダイ・アナザー・デイで、陸戦魔女はなんとか戦えても、空戦は異能者でもなければ、F8FやP-47といった高性能レシプロ機にさえ抗し得ない有様であった事が日本のマスコミの報道で知れ渡り、主流派は針の筵となった。そのため、戦闘向けの固有魔法がなく、それを補う才覚もない凡百の魔女たちには苦しい時代の到来となった。これは第一世代宮藤理論の限界点を通常兵器があっさり超えてしまったこと、相手が重装甲で鳴らす米国(リベリオン)機であった不幸であった――
――それを経た太平洋戦争では、その限界を超えられる新式ストライカーユニットが開発されはしたが、重武装に傾倒した特性、武装携行補助ユニットを『煩わしい』と嫌う者が多く、F-86に強力な新型エンジンを載せようとする部隊もあったが、機体の設計限度を超えている出力のエンジンを載せた結果、空中分解が頻発するに至る。更に、第2世代の空戦型は後の世で『過渡期』に分類されるような形態であったので、『扱いにくさ』はつきまとった。ただし、重爆を粉砕できる武器を(機械的アシスト付きで)誰でも使えるようになったという点だけはエポックメイキングと評価された。開発元も、最終目標は『ISやアリス・ギア・アイギスのような形態であるが、今の時点では、技術的に不可能であるので、形態を妥協した』と述べている。そのため、1949年時点での配備は進歩的な思想を持つ者が隊長を務めるエース部隊か、防空部隊に絞られていた。その関係で、通常兵器部隊の進歩が凄まじく、戦闘爆撃機がF-105からF-4の爆撃装備機に更新され始め、歩兵戦闘車が配備されだし、ハーフトラック式の装甲兵員輸送車が駆逐され始めているほどであった。皮肉にも、旧式の機甲装備を問答無用で処分したことで、迅速な交代が叶ったのである。問題は九五式小型乗用車が不要となったことで、規格が古すぎて、21世紀日本に輸出もできないので、そのまま民間に放出するしかなかった。それがモーターリゼーションの夜明けとなるのである。後に、より世代の新しい大衆車が民間で生産されるまで、同車はつなぎの役目を果たすことになる――
――これは後継と見込んでいた『四式小型貨物車』が『ジープをそのまま使えばいいだろ』という日本側の圧力で量産が見送られ、自由リベリオン軍から大量にジープが購入された関係もあった。皮肉にも、この決定が扶桑の民間企業の技術力を飛躍させる事になり、ジープは陣営を問わず使用される車両となったわけだ。もっとも、ダイ・アナザー・デイ当時、カールスラント製の車両の予備部品の調達が不可能に陥った64Fが緊急にジープを調達して使用しており、扶桑内部でも採用の声が上がっていたが、内部の強い反対で立ち消えにされていた事項であったので、皮肉にも、くろがねの旧式化の周知がジープの採用に繋がったのである。この時に購入、あるいは鹵獲された個体は(潤沢な予備パーツの効果で)数十年の長きにわたって使用されていくのである――
――扶桑の財閥は日本主導で完全な解体が検討されたが、それで社会が回っていることや、戦後もなんだかんだで、元の財閥が力を持つこともあって、結局、社会の混乱を自分から起こす事はないということで、条件付きで存続が認められた。その条件が民需部門の拡充であった。これにより、民需部門の開発力が大きくなったが、軍需分野は瞬く間に開発能力が減退。扶桑軍が工廠を廃止できなかった理由はこの開発能力の減退にあった。日本側もこればかりは予想外であったため、チーフエンジニアは後任を育てる事が義務だという通達と、チーフエンジニアの次世代の育成義務を課すことで軍需部門の立て直しを図り、日本企業による指導も行わせた。この問題はストライカーユニットの開発にも悪影響があり、結局、空戦型の進歩は史実の戦闘機の進化と同等のスピードに落ち込むのであった――
――扶桑海軍航空隊の衰退は、人員の引き抜きの他、日本人による幹部搭乗員への私的制裁の横行も大きく関係しており、航空隊が機能不全に陥ってしまう事例も相次いだ。これは攻撃精神を教えられた海軍搭乗員が『先祖が空襲の被害を受けた日本人』に散々に罵られ、釘バットや鉄パイプによる凄惨なリンチをされる事件が相次ぎ、それで視力低下、もしくは失明、脊髄損傷に追い込まれた例も存在した。中には士官級が日本義勇兵にしこたま殴られ、本気で再起不能にさせられる事例も多く発生。日本と扶桑の治安当局は、事件の対応に苦慮した。この事件による暴力の嵐は海軍航空隊の衰退を引き起こした原因の一つであった。仕方がないため、海外派遣の経験者を幹部級に添えるなどの対策も行われたが、クーデター後の練度低下に追い打ちをかけた『暴力事件の頻発』は、扶桑軍航空隊の組織的まとまりの崩壊を招いたと言ってよく、64F以下の司令部直属の精鋭部隊しか『まともに仕事をしない』有様となり、地球連邦が空軍を派遣し、防空任務を代行する始末で、まさに国の恥であった。軍人をチンピラやゴロツキも同然に蔑視する戦後日本人の振る舞いは、魔女の世界の各国から批判を浴びたわけである。無論、それは戦後直後の記憶を持っていたり、先祖が憲兵の暴行を受けたりした者たちの暴走だったが、練度のあった幹部が狙い撃ちで暴行され、部隊が機能不全にされる事例が相次いだため、結局、日本政府は扶桑を宥めるために、黒江が提出していたGフォースの大拡充案を承認せざるをえなかった。Gフォースの所属部隊を自衛隊からもっと増やせということだ。日本人による扶桑軍人への暴力事件は太平洋戦争の頃には、流石に『やりすぎでは……』という声があがっており、扶桑にこれ以上の『血の献身』を求められるのを恐れる風潮が生まれた。これはのぞみの一件が予想外の大事になってしまい、官庁の交渉で揉み消せなかった事の恐怖の記憶が新しい事によるものであった。更に、部内でも『不要になった長門型を海没処分するのに、最新型の魚雷を六発も使った』という事実に怯えていた。重装甲の戦艦が『沈みにくい』存在であることを思い知らされたわけだ。巷の風聞と違い、戦後の対艦ミサイルは戦艦の重装甲を一発で貫くようにできていないのも併せ、事実は隠された。予算の無駄遣いと言われるのを恐れたのだ。そのため、戦艦の相手は扶桑海軍に任せることにしたので、戦艦の大規模運用の継続を認めたのである。自衛隊の武器では、魚雷戦に持ち込まなくてはならず、かといって、元から電子装備を想定している照準装置を積んでいない戦艦は戦後艦艇には、最も厄介な相手であったからだ(主砲の至近弾一つで、電子装備が衝撃波で壊れてしまうし、コンピュータなど積んでいないため、ジャミングの余地もないため)――
――とはいえ、魔女の世界でも、戦艦の時代は終わっていてよかったため、各国は戦艦の部隊規模の維持を諦め始め、儀礼目的に数隻を現役に留めるようになっていった。だが、その決定はティターンズがリベリオン艦隊を各国への恫喝に動員しだしたことで覆されてしまう。特に、リベリオン最新鋭の『ルイジアナ』(改モンタナ)と『オハイオ』は各国を恐怖させた。中身は建造中の同型艦を改修し、主砲と装甲を強化したにすぎない代物であったが、40cm砲の搭載すら遅れていた欧州には、充分な軍事的脅威であった。欧州で対抗できるのは、クイーンエリザベスⅡ級戦艦のみだった。ブリタニア海軍はそれらを各方面艦隊の旗艦として運用しており、一個の艦隊としてぶつけることは反対で実現せず、欧州への示威航海を見て見ぬふりするしかなかった。この示威行動はリベリオンの国力の余裕ぶりを示すと同時に、ティターンズ残党の対外的なポーズも含んでいた。連合国は構成国の大半が財政的に衰弱していたため、真面目に戦争しているのは、日本連邦とブリタニア連邦のみという散々な有様を大衆に示してしまう結果となり、日本連邦への反発から、リベリオンへ陣営を鞍替えする国も生じる始末。これに怒った日本連邦は強大な経済制裁を発動。重要物資の禁輸で締め上げていく。1949年のこの出来事で『世界大戦』は現実化。世界は二陣営に再編されていく事になった――
――しかしながら、前線の機甲装備の不足は甚だしいレベルで、魔女への傾倒が完全に裏目に出た結果であった。それを誤魔化し、生産ライン整備の時間稼ぎのためもあり、コンバットアーマーや陸戦型MSが大規模に購入された。旧来的な軽戦車が次世代の車両群の前には玩具と化していた事に愕然としていた陸軍はそれらを緊急に購入。軽戦車をシャムへ輸出を名目に放出して、その枠を割り当てた。日本としては予想外の展開だが、下手な失敗兵器を造られるよりは、アニメで実績がわかる兵器であれば、軍事費の節約になるということで容認した。とはいえ、純然たる陸戦型MSは地球連邦で久しく絶えていた都合、汎用MSを陸戦重視に調整した仕様が輸出された。ジェガンが大量に出回ったのは、その関係であった。また、一時的に、キュアエトワールが(任務の必要性から)組み直す段階で近代化がなされた『ガンダム6号機』を使っており、(より高性能なガンダムタイプまでのつなぎだが)遠征参加までの短い期間、同機の一年戦争での悪評をぶっ飛ばす活躍を見せており、関係者の溜飲を下げた(デザリアム戦役と併せ、パイロットさえ伴えば、相応に活躍できるガンダムであることを証明した)。なお、元の開発責任者はどうなったかというと、一年戦争での実績でティターンズに入隊。グリプス戦役前に除籍処分となり、士官学校教官に転じたが、ティターンズ崩壊で所属の経歴が仇になり、家族から針の筵となり、軍を退役。月で隠遁生活を送っていたが、その月面都市がガトランティス戦役で超巨大戦艦の砲撃で全滅したという記録がある。ただし、民間軍事企業の面接に出かけていったとの友人の証言もあるが、その後の詳細は不明という――
――ガンダム6号機や7号機などのオーガスタ系のガンダムタイプは、彼らの与したティターンズの非道が明らかになったと同時に、忌みもの扱いされたが、一年戦争中のガンダムタイプはティターンズの生まれる前に開発されていたため、軍縮時代に放出される予定で、相模原の兵器庫に移動させられたが、事態の急転直下で有耶無耶になり、デザリアム戦役で再利用されたわけである。そのうちの七号機は本来、フルアーマーオペレーション計画が前提のものであったため、その再現のためにアナハイム・エレクトロニクス社に回収されたため、6号機は予備機代わりに64Fで保管され、それが訓練機代わりに、キュアエトワールに宛てがわれたわけだ。皮肉にも、元の開発責任者が夢想した活躍ぶりを、ド素人の少女の手で実現させてしまったわけである。(その彼は元々が砲術專門で、根っからのパイロットではなかったため、愛機のポテンシャルを発揮させられなかったとのこと)キュアエトワールは(たいていの世界で)成人後はフィギュアスケートで名を馳せるはずであったので、滑りの感覚を擬似的に再現できる『ホバークラフト走行機能』付きのMSである六号機(マドロック)は相性がよかったのである。戦後に得られたドムのデータで改修がされていたらしく、ホバークラフトの航続距離は飛躍的に増大しており、地球連邦も、ドムのホバークラフトによる機動力を(一年戦争後も)脅威に見ていた事がわかる。(実際に、ジム改が早期に退役させられた理由として、デラーズフリートの蜂起に至る残党軍との戦闘で負けっぱなしであったからというのがあるという)。遠征参加に伴い、年式の新しい、フルアーマーガンダムマークⅢへ乗り換えている。同機は機動力重視のフルアーマーであるので、同じくホバー移動が可能であるほどの余剰推力を誇った。また、Z計画の機体と違い、操縦性が素直なことから、複数のプリキュアが代わる代わる乗っており、使いやすさを褒められている。Z計画の機体のほとんどが高等向けのハイエンド機の製造に終わっているとの批判があるので、マークⅢは意図的に素直な操縦性を持つように調整されていた。好評から、追加生産が要請されており、その追加生産機である。内部部品等は最新のものに置き換えられているが。ビームシールドは(ジェネレーター出力を推力と武器に回す必要から)装備されていない。なお、ティターンズによって、改良機のマークⅣが制作されたが、ティターンズ制作であった都合上、『封印措置』が解除されず、一説によれば、マークⅢの近代化改修にパーツが使われたともされ、中々に不憫な扱いである(これはマークⅤも同様で、ガンダムマークⅡの正式な後継であるマークⅢが『連邦のエース機』として活躍する中、それとは毛色も違うマークⅣ以降は封印されたままであった)。これはマークⅢがνガンダム以前の『第2世代』のガンダムタイプでもっとも安定した操縦性を誇り、なおかつ、経験の浅い者でも『テックスペック通りの戦闘能力』を発揮できる利点を持っていたためで、近代化改修で現役に復帰させられた後は、持ち回りで運用する機体として使われ、64Fの保有するガンダムの中でも、強力な部類に入る。また、細めな見かけと裏腹に、フレームから最適な設計で製造されたため、高い剛性を誇っているという実用性も好評の理由であった。最新の乗り手はキュアエトワールであった。