――結局、扶桑皇国は国家体制そのものが大きく揺らぎ、武門や公家の家柄が世間で軽く見られるようになり、軍人の国家組織での取り扱いも大きく軽くなった。だが、戦時中故に、日本も公の場で軍部を軽視するわけにもいかなかった。戦後日本は(平和教育のおかげで)政治家であろうと、軍略に無知な者が多く、また、軍人をあからさまにチンピラやゴロツキ同然に見る者が重鎮であったりするため、扶桑軍隊の将兵たちの士気は最低レベルに低下していた。日本も(アメリカとの外交問題を防ぐため)義勇兵や観光者の暴力取り締まりを始めた。カーチス・ルメイへのリンチは(本心では)胸のすく思いであったが、彼は外国人であるので、(経済摩擦の悪化を防ぐために)事件は伏せられた。また、ドイツは(戦中の軍人の取り扱いに)冷淡ではあったが、現地が内乱に陥るとは思ってなかったらしく、日本に『事態の収拾』を要求した。しかし、ドイツの決断は遅かった。その通達を発した時には、既にNATOによる軍事介入が(良識派の軍人の要請で)なされていたからだった――
――とはいえ、元々、扶桑では1000年近くも武士が政権を担っていたため、軍隊の扱いが公的には軽くなっても、地方では依然として、『立身出世の近道』とされた。これは扶桑の人々の学歴の多数派が小学校(中学卒業さえ、1940年代以前の学制では珍しかった)卒であったためで、女子ながら、硬度な中等教育を受けられている芳佳らは『トップクラスの勝ち組』に相当する。そのため、相続権と学のない(戦前の時代の相続権は長子が優先されたため。武士の頃の名残りだ)農家の次男や三男の立身出世の手段は軍隊しかなかったのだ。日本はこれを改めさせようとしているが、戦時に突入したために、中断状態。教育制度そのものにメスを入れても、確実に効果が出るのは数十年後。更に狭間の世代の救済措置…。それらの課題が山積しており、扶桑はまさに混乱の渦中にあった。かろうじて、華族制度は(貴族制が史実より多く存続していること、ブリタニアやカールスラントがバリバリに貴族社会であったことから)存続したが、法的特権はいずれ消える(身分の存続を許す代わりに、特権の将来的廃止が決まった)。その都合上、大名系華族を中心に、『軍人の才覚がある者を当主に添える』という事が流行した。これはノブリス・オブリージュの実践を伴う事が『華族の存在意義の証』と見なされたからで、旧大名家の華族でも、俗に言う『もやしの文系』が主流になりつつあった流れに一石を投じた。武勇の誉れ高い、黒田那佳の当主就任は(華族制度存続のための)前当主の意向であった――
――黒田は末端の分家の出であるので、両親も『末端だけど、侯爵家だから、良家に嫁入りさせられる』との考えでいたが、黒江の懐刀として勤務してきた『実績』と、日本連邦化による『華族制度存続の是非の議論』の流れにより、黒田家は(長男の廃嫡を伴う)お家騒動に発展。前当主の意向により、彼女はやむなく本家と爵位を継承。軍務から実質的に退いた(彼女の両親は『嫁入りの資金』として、娘からの仕送りを貯金していたが、当主就任の支度金をして持たせざるを得なくなり、相当に泣いたという。とはいえ、七勇士かつ、黒江の腹心としての実績を持つ身である(更に転生者である)ので、嫁入りは不可能であるが――
――その後釜に収まる形になったのが、のぞみ(A)である。器となった中島錦が『草薙流古武術』の継承者であった事もあり、デザリアム戦役中には免許皆伝となり、正式に継承者となった。黒田が事実上の引退となったため、彼女から『副官』の地位を引き継いだ。それに伴い、中佐への昇進も内示を受けている。プリキュア出身ながら(転生後の素体が扶桑の魔女であったことや、初期世代のプリキュアであったので、戦闘向けの能力を持っていたのが大きい)、扶桑軍人として栄達することになった。本人はその地位を望んでいたわけではないが、錦の立場や肉体を『乗っ取る』形で転生したことに負い目を感じていたのも事実であった。軍人のままでいる理由はそれも多分に含まれている――
――中島錦は名家の出身だが、魔女としては無名であった。幸か不幸か、のぞみに取って代わられたことで、史実で為すはずの実績に注目が集まった。順当に行けば、統合戦闘航空団の一員として活躍しただろう立場であったが、504統合戦闘航空団の所属とされていることから『噛ませ犬』と評価されてしまった。実質的に501の噛ませのように『戦機に恵まれない』部隊であるからだが、のぞみが『64Fきっての俊英』として名を馳せたことで、政治家らには『いてもいなくても構わない』扱いとなっていた。諏訪天姫にとっては『無二の親友』であったのは事実だが、天姫は俗に言う『有能な魔女』とは言い難く、ダイ・アナザー・デイ後は(名家の出身であるが、本人は引退した姉のように、戦闘面で優秀ではない)半引退状態にある。のぞみも(記憶は引き継いでいるので)天姫のことは(兵器の発達で血生臭くなった)戦場から遠ざけたいらしく、最近は(それもあって)疎遠に近いという――
のぞみも、転生後は身寄りが実質的にいないも同然の状況であったので、扶桑で生きていくにあたり、軍人として働くしか道はなかった。とはいえ、中島家に帰れるわけではないので、野比家に下宿の身となった。ダイ・アナザー・デイの直後の頃、のび太は28歳前後、息子のノビスケは幼児であった。既に、ことはが『プリキュアである』ことを世間にカミングアウトしている後』であった事もあり、のぞみがプリキュアとして活動するのに世間的な障害はなかった。だが、日本の文部科学省と厚生労働省の無知で精神的屈辱を受け、『部下を侮辱され』、怒りに燃える圭子が週刊誌に情報をリークしたことで、文部科学省と厚生労働省は外交問題を伴う、一大スキャンダルの当事者となってしまった。
――文部科学省、プリキュアの夢をせせら笑う!扶桑軍人への職業差別まる出しの文科省、厚労省!!――
その見出しが、とある大手週刊誌の表紙を飾った段階で、圭子は周到に日本の官僚機構を悪者に仕立て上げていき、(日本からの援助が労無しで得られそうな機会であるのもあり)重臣たちが日本に来訪するように仕向けた。週刊誌の記事の内容がセンセーショナル過ぎたのもあり、日本政府は文科省と厚労省に『腹を切らせる』ことを決定。職業差別と外交問題が絡んだのが決定的にまずかったのだ。扶桑との戦争になれば、日本には『勝つ手段』はない。それが早期に判明していたこともあり、日本側は(示談の決裂後は)迅速に扶桑政府と交渉に入り、のぞみの予備役編入願いを『なかったことにする』形で、事態の収拾を図り、巻き込まれた形の『一般の予備士官』らは前線に送って、『名誉の戦死を遂げてもらう』こと、それとバーターで、特高警察の解散と公安警察への刷新等が決められた。これは扶桑政府が大衆の思想統制を諦めたこと、治安維持法の廃止と、議会制民主主義への完全な方針転換に伴う、国家組織の大規模リストラの一環であった。こういう非常時でなければ、国家組織にメスを入れられないあたり、扶桑国家の病巣があった。
こうして、扶桑国家は外圧により強引に議会制民主主義へと転換されていくが、有事に伴う国家非常権は(扶桑の大衆の要望で)残された他、華族制も(正式な廃止は現地の判断に委ねるという判断で)一応は存続した。身分制が法的に残ったのは日本としては不本意だが、貴族制が残る国家の影響力が大きいままの世界であった以上、『手を出せない領域』があるからだ。特に、カールスラントの貴族階級を追放した途端、同国が内乱に陥ったのは日独には衝撃であった。一つの国と民族を本当に滅亡寸前に追いやるとは思わなかったからだ。日本が扶桑への介入のトーンを下げ始めたのは、『下手に壊したら、現地の国家そのものを崩壊させてしまう』という恐怖心が芽生えたからだ。カールスラントという兵器工場が失われたことで、連合軍という国家間の協力体制が『崩壊寸前』に追い込まれたのも大きな理由であった。日本連邦はその政治責任を追及されたが、それを煽った市民団体は『そうなるとは思ってなかったんだ』という、みっともない『いいわけ』ばかりであった。この変革により、理不尽に職を奪われた内務官僚は困窮に追いやられることになった他、鬼畜生扱いで故郷を追われていった。日本も『社会不安を煽るつもりはなかった』ということで、扶桑に『多少の救済措置』を容認した。日本が扶桑の間接統治に興味を無くしていったのは、『熱しやすく冷めやすい』扶桑の大衆の気質由来の社会不安の伝播が『面倒』と見られたからだ。
扶桑は事故のような形でだが、国家体制の近代化には成功した。だが、軍隊の人員確保や支援体制がガタガタになったのには変わりないので、軍隊の工廠は(兵器生産能力と雇用の維持のために)存続が決まった。軍に協力していただけで(日本の学会の手で)大学を理不尽に追われた技術者たちの雇用問題もあったためだ。結局、この一連の騒動で軍関連の社会的構造が機能不全に陥ったことで、64Fへの依存がますます深まった。一般部隊は要請があっても、おいそれと出動できなくなったため『置き物』と揶揄されるようになり、士気が低下していた。やむを得ず、扶桑政府は事後承諾の形で、災害や獣害への出動を容認した。特に、急激な気候変動などの影響で地方の獣害が増えていたのは、扶桑政府を悩ませた。更に、当時の基準からは異常な大きさの熊が田舎の農村を蹂躙する事態が頻発した事から、銃の所持の規制に猛反対が起こった。日本も同様の獣害に悩んでいたため、扶桑に大量にいたマタギや退役軍人らに『狩猟免許』を支給し、日本のクマも狩ってもらうという方法をとることで『妥協』されたのだった。
日本の国民が『良かれと思って』したことが、結果的に現地の社会不安を煽ってしまった事は否定できない事実であった。華族の完全否定は(皇族批判に繋がることもあり)萎み、自衛隊の現地支局として、扶桑の軍事力を再編するという試みは(扶桑はあくまで『独立国』である事から)挫折した。その一方で、昭和天皇が行使を嫌っていても、大衆の意思で『皇室の国家緊急権の保持』が維持されるなど、事変当時の軍部の失態が原因で、皇室に一定の大権を残すのを認める風潮が強かったのである。その一方で、(新憲法下では軍事的権限が皇室の手から離れるから、という大義名分で)皇太子の任官だけは最後までさせなかったが、代々に渡って武門を修めていた家系であった皇族の任官は『先祖代々の務めであるから』との言葉で認めるなどの動きをした。これは身分の貴賎関係なく、魔女は一定の確率で生まれる故の昭和天皇なりの配慮であった。彼の死後、扶桑皇室は外交・儀礼などの役目を主にして存続していくが、魔女という存在の都合上、軍務につく者も数人は存在し続けたという。
扶桑の一連の変革の当事者となった坂本は(前世の反省で)改革側の旗手として働き、その功績により1950年を目処に『大佐』へ昇進する手筈であった。ノーズアートも(前世と打って変わり)士気高揚を名目に容認していた。その証として、現役時代はユニットに自身のパーソナルマークを描いていた。表向きは『士気高揚のため』であったが、裏の理由は「黒江への贖罪のため」。坂本は前世の記憶を得てからは、一貫して『戦友への贖罪』を行動原理にしていた。そのため、志賀が失態を侵さなければ64Fから転属する予定であった。だが、別世界での自分の因果がそれを潰し、結果的に『扶桑魔女の事実上の中心人物』であり続けなくてはならなかった。それもある意味、多くの世界線で坂本自身が『武人である』ことを誇りとし続けた故の因果であり、悲劇であったのかもしれない。
坂本は説明がざっくばらんとしているところが転生しても残っており、ダイ・アナザー・デイ後、上層部に『ミーナ中佐に、ちゃんと説明していたのか?』と咎められている。坂本はこれに『あの三人の武勇は、自分の世代の魔女の間で常識だったもので……』と弁解しており、意外と大雑把であった。ミーナは新人時代に座学が省略されていたこと、坂本の大雑把さ、自分の隠れたヒステリックな一面の相乗効果で失脚してしまったのである。このように、坂本にも非があったことで、ミーナの復権の芽は(僅かであるが)残っていた。バルクホルンとエーリカはそこに焦点を絞る形で、ミーナの名誉回復運動に取り組んでいく。それが二人なりの『最後の友情』であった。
黒江たちの一騎当千ぶりはミーナ本来の人格の健在なうちに披露されており、のぞみらが『覚醒』して尚も、その強大さの証明され続けた。その黒江らをも苦戦に追い込む、ティターンズ残党の幹部層。一子相伝の暗殺拳の使い手らがズラリであり、のぞみらも一敗地に塗れるのはザラであった。黒江たちはティターンズ残党の背後に控えているであろう、『バダン』との決戦を見越し、ダイ・アナザー・デイ完了直後から、プリキュアらへの特訓を考えていた。その始まりは……。
――かくして、ダイ・アナザー・デイ終了後からは野比家に下宿したのぞみ(A)。のび太一家は既に駅前のマンションに居を構えている時代であったが、マンションの部屋自体が巨大であったので、プライバシーは確保されていた。むしろ、のぞみが現役時代に住んでいたマンションより遥かに広かった――
「のび太くん……広くない?」
「G機関が買い取った時に、僕の裏稼業の拠点機能を持たせるために、中を改装したからね。G機関が金出してるから、両親も文句は言わなかった。表向きは子育てと、僕の五輪を見越してのクレー射撃の練習用ってことにしてある。僕は実際、表向きは『オリンピック強化選手』だからね」
のび太は実際、大学を卒業した後に野比財団の設立資金の確保のために射撃競技でオリンピックを目指すようになっており、30歳を迎える『2018年』以降の時代には、『日本の誇る名手』として『表社会での地位』を確立させている。
「この時代だと倅は幼稚園児なんだが、裏社会での僕の評判が災いして、狙われてるんだ。調ちゃんとはーちゃんが処理してくれていたが、あの二人も最近(2017年以降)は忙しくなっててね。僕もそろそろ、環境省で部下を持つ年代になるからなかなかかまってやれない上、妻が公安の仕事で家を空けるようになってしまったんだ」
「公安?しずかちゃん、公安警察に?」
「成績優秀だったからと、一本釣りされたらしい。本来は家族にも部外秘だが、僕は裏稼業やスネ夫の情報網のおかげで、妻が何をしてるかを把握できたわけ。妻も僕の財団設立を支援する腹づもりだったのか、トントン拍子に話は進んで、夫婦で協力する事になったんだが、倅に悪いことをしているのには変わりないからね」
ノビスケはそのようなわけで、両親が不在がちな環境で育つことになった。この時期からは、調とことはも多忙になってしまったので、のぞみが下宿して最初にやる事は『ノビスケの子守り』であった。のぞみも『子育て』はうまい方ではなかったが、前世の反省を活かそうと頑張った。プリキュアの姿で活動することで却って『自分の時間』が取れるため、キュアドリームの姿で東京の各繁華街に繰り出すことも多かった。みらいが蘇生後はあれこれの身体検査等で不在の時が多いため、太平洋戦争の開戦前は、みらいから頼まれる形でことはの面倒を見ることが多かった。
――同年の秋口頃――
「やっと涼しくなってきたね」
「近ごろは十月頭まで暑いですからね……」
のぞみとことはは、プリキュアの姿で『街の駅前商店街にできたコーヒーチェーン店』で涼をとっていた。ミルク入りのカフェラテを頼んでいるが、これは二人して『ブラックが飲めないから』であった。
「フェリーチェはいつから活動してたの?」
「ここにきて、しばらく経ってからですよ。最初は変身も解けなかったから、パニクりましたよ」
「だろうねぇ」
「それで、しばらくは家の手伝いとかをしてたんですけど、のび太が中三になった時、同じ中学に入ったんです。それに前後して、この姿での活動も始めました。ちょうど、なぎささんたちのアニメも始まってましたし」
「それで、あたしら(プリキュア5)の時は?)
「二期はのび太も見てましたよ。一期の時は浪人してましたから」
「それで……」
「義母さん(野比玉子のこと)は厳しい人ですから、三~四年くらいはのび太の顔をめったに見ないくらい、勉強づけにさせてました。一狼の後に補欠入学できた時の喜びようったら……それからは放任になったんで、ドラえもんが心配して、成人まで一緒だったんです」
「よくある、教育ママの目標達成後の気の緩みってヤツだね」
「ドラえもんもそれが気がかりだったので、のび太の大学卒業までは一緒にいたんです」
のび太の母・玉子は厳しい教育方針であったが、それはけして裕福な家庭で育っていなかった自らの境遇、のび太へのアメの役目を夫とドラえもんに半ば一任していた関係である。息子を褒めないわけではないし、偶に、のび太に(学業面での努力の褒美として)玩具や携帯電話などを買い与えるなど、親らしい行動も取れる人物であった。また、自分の兄弟が男ばかりであったためか、ことはと調のことも娘のように可愛がっている(意外にも、ドラミとも仲が良い)。
「のび太には厳しかったんですけど、私と調には子煩悩でして。さすがに気が引けましたよ」
「昔からの跡取り教育ってヤツだね」
「のび太は一人っ子で、長男でしたから」
とはいえ、ドラえもんやことは、調の三者が来たおかげで義母(のび太の祖母。のび助の実母)の没後は寂しい気持ちを抱いていたランチタイムなどを賑やかに過ごせるようになったのが功を奏し、玉子も(加齢による心境の変化もあるが)次第に温厚な気質になっていったのも事実である。
「それで、あの大地震の時には大学生でして。その時にプリキュアだと、公にカミングアウトしたんです。いつのプリキュアかは伏せましたけど」
「その割にあたし、えらい目にあったよ?」
「日本のエリート官僚共が、子供向けアニメのヒロインを知ってると思います?それも、放送終了から何年だと思ってんですか?」
「じ、十年……」
「でも、良かったじゃないですか。オタク界隈じゃ、蜂の巣をつついたみたいな騒ぎでしたからね。軍を辞めようとしたのに、大騒ぎにしたんですから。で、予備役とかの仕組みをめちゃめちゃにしたも同然だから、結局はあなたを雇用し続けるしかなくなった。有事が近い(この当時は太平洋戦争の開戦より前のことである)という口実で」
「扶桑軍は相当にお冠でさ。日本はGフォースの規模拡大でお茶を濁すって」
「なあなあで済ませるの、戦後日本の悪いクセですよ。スーパーXやメカゴジラを引き出しただけマシかな…」
「あんなの、いったい……」
「バブルの全盛期に、旧軍の極秘研究を数十年かけて完成させたものだそうです。私と調で、数年がかりで調べました。と、言っても、裏付けのようなものでしたが」
「と、いうと」
「自衛隊に再入隊した旧軍の将校たちの一派が後世に託した文章を入手したのが始まりだったんです。ラ號の調査の一環で」
ラ號は地球連邦軍が軍艦に就役させたが、元々は旧日本海軍の最終兵器であった。大和型戦艦を更に強力にした分、当時の米軍に止める手段は事実上なく、鉄人28号の母艦とする計画もあったとも記されていたという。
「ラ號はいつ計画されたの?」
「開戦の直前のマル4計画での大和型戦艦四番艦を戦局打開のために、建造を再開させたのが始まりだそうです。おそらくはあ号作戦の直後だろうと。そこから、完成したパーツを組み上げる段階まではいったそうで。ラ號の完成自体は戦後だそうです」
「なんで、負けだしてから」
「東條英機の楽観論だそうですよ、原因は。彼は宰相の器ではなかったと言うことですよ」
ラ號やまほろばなどの超兵器が1944年からのわずかな間に生まれたのは、東條英機が早期利用に反対したオーバーテクノロジーの恩恵であった。結局、東條はどこの世界でも『母国を亡国へ導いてしまう』上、科学技術軽視の姿勢があったのが証明されてしまう形となった。ことはも嫌悪感を隠そうとしない様子から、異能者も嫌っていた様子が見て取れる。だが、サイパンの陥落で、いよいよ敗戦が目に見えてきた段階(失脚の直前)に至り、戦局打開のために研究を大規模にさせたが、それらが実を結ぶことはなく、大日本帝国は滅亡したわけである。しかし、戦後にあった『ある事件』(ゴジラの襲来か)をきっかけに、それに対抗するため、旧軍の研究が再開された。その成果は1980年代なかばあたりで、メカゴジラやスーパーXという形で実を結んだ。そういうことだろう。
「ゴジラ……おそらくは初代でしょう……の襲来がオキシジェンデストロイヤーの力で終結した後、それに代わる手段として、旧軍の研究の再開が極秘裏になされたのでしょう。ラ號もおそらくは、その時期に建造が再開されたと」
「つまり、この世界は初代ゴジラが倒された後、二代目がいたかもしれない世界線?」
「自衛隊の歴代幹部はそう推測していました。三代目が現れていない分、マシですね」
ゴジラは少なくとも、初代は確実に襲来したこと、未確定だが、二代目がいた可能性があると、キュアフェリーチェはいう。そうでなければ、メカゴジラなどは生まれないからだ。
「ですが、いつ、三代目や四代目(同一個体説あり)のような強大な個体が現れるかもしれない。その強迫観念が、メカゴジラやMOGERAを生み出す原動力になったとのことです」
「バブルの時の日本、どれだけ金使ったんだろう」
「さぁ。その時の日本は金銭感覚がイカれてましたから。メカゴジラやMOGERAの建造には、おそらくは兆の単位で、金をぶっこんだかもしれません。今となっては『贅沢』だと言える装備がてんこ盛りですから」
MOGERAの頃になると、その後すぐにロストテクノロジーになったと噂される『ブルーダイヤモンドコーティング』などの防御装備も充実しているため、おそらくはバード星やデンジ星由来の技術も使用されたと推測されるが、1990年代後半の『バブルの余韻の終わり』でブルーダイヤモンドコーティングの使用が困難に陥った。それも死蔵の理由だろう。
「とりあえず、ブルーダイヤモンドコーティングは骨川コンツェルンに再現を依頼して、ロストテクノロジーになったものを未来世界の技術で代替する形で投入することに。太平洋戦争の開戦は目に見えてますから」
「それって、いつだと思う?」
「おそらくは1948年頃。それまでに、扶桑の軍備の近代化は間に合わないでしょう。私たちの仲間が増えることを祈るしかないですね。私たちは往年のオールスターズに比べれば、ささやかな人数しかいないんですから」
「確かに」
と、二人はカフェラテを飲みながら、仕事の話をする。この後、プリキュア達は少しづつ人数を増やし、『のぞみの別個体』も複数が発見される。しかしながら、AやBが『未来への希望』を糧にしているのに対し、大人のぞみは青春時代の大半を空虚感に支配されていたことから、『過去への郷愁』が強くなっており、自分から修羅になろうとしている。それは『地球が将来的に滅亡する』世界線に生きることを知ってしまった故の選択でもあった。大人のぞみの行動には、ある種の自殺願望すら見え隠れしているが、それは立花響(史実。初期での話だが)と似通ったものであると同時に、その世界でのココ(小々田コージ)の独善的な選択が招いたもの。後に、ことははそれを咎めずにはいられず、(後々の)オトナ世界への来訪は彼を結果的に『療養』へ導く決定打となるのだった。