矛盾している点があり修正したいのと、十香の話を掘り下げるため、1~2話を削除しました。
大変申し訳ありませんが、ご理解の程宜しくお願いします。
4月10日①
背中に強い衝撃が走る。
彼は痛みに耐えかねて「いったぁ!」と叫ぼうとしたが、そうは問屋が卸さないと開いた口目掛けて水が浸入してくる。彼はここが水の中であることが分かり、口を閉じつつ辺りを見回そうとするが、視界の全てが闇に包まれていて何も見えなかった。そもそも、首自体動かせない為、見回すもクソもないのだが。
とりあえず起き上がろうと下半身と腹に力を入れるが、起き上がることが一切出来ない。というか重い。いや重ッ!全身満遍なく重ッ!これ重力か何か?彼は少し混乱していた。
暗い、水の中だというのに暗い。プールとかだと陽の光が水を透き通って綺麗なのに、何で目の前闇しか広がっていないのだろうか。あとこの重さは一体何なのだろうが?暗いし重いし動けないしで、こんな三重苦嫌よッ!とか頭の中で妄想している辺りで思い出す。あれはN○Kのほにゃららが出たとかいう動物番組で聴いたものだった。
―――深海は太陽の光を一切通さない、闇の世界―――
ああ、ここ深海かぁ。心の中の一人の彼はなるほどと理解して、もう一人の彼がいや可笑しいだろとハリセンで叩く。
深海ならば暗いことも重いのも分かるが、こんな息の出来ない場所でどうして生きているのか。それが分からない。
悩みに悩んだ末、一つの可能性に思い至る。
……あぁ、もしかして夢なのかな?
彼がその考えに行きつくのは普通だろう。何せ、ここが深海だと言うのであれば常人であれば水の圧力で即圧死だ。それが無いということは、普通ではない状況。まぁ、夢ぐらいしか思い当たる状況は無い。
そうなれば話は簡単だ、と。初めての明晰夢に子供のようなワクワクとした感情を抑えつつ、彼は心の中で念じた。
……
お前は何処の魔法界育ちだ。
でもそんな戯言に反応して、彼の目の前には桃色に紫を足したような、マゼンタの淡い光を放つ光の玉が現れた。これには感嘆をあげずにはいられない彼は、また口を開けてしまい溺れかけた。
身動きできるように祈ると、何やら透明な壁っぽいのが展開され、彼の周りの水をはじいていった。その壁はドーム状にぐんぐんと大きく膨らみ、マンション一つなら軽く入りそうな所で膨張は止まる。少々大きくし過ぎたかと顎に手を当てて悩むそぶりをするが、彼の心情は「まあいいか」という適当なものだった。
ルーモスと何度か唱えて光球を生み出し、辺りを見渡そうとしたところで、二の腕にマシュマロのようにフワフワでありながら、確かな弾力性が存在した何か男を興奮させそうなものがあることに気付く。バッと下を向き、それが何なのかを確認する。
そこには桃源郷が広がっていた。
彼……。いや、彼女?あー……。
彼が自身の胸を揉み始めてから十数分が過ぎようとしていた。
自身の胸を揉む理由としては、まぁ夢だから覚める前に堪能するとか色々あるが、纏めると彼が男だからである。
据え膳食わぬは男の恥。いや身体は女性なのだが、これは精神的なことなので今は考えないこととする。彼は異性と付き合った経験はあるが、こんなにも執拗に胸を揉んだ経験は無い。
彼は大きな胸が好きだ。貧乳だからと貶すつもりはないし、女の子は無条件で好きだが、特に大きな胸が好きだった。
手を大きく広げて掴んでも溢れてしまう、そんな胸が好きだ。
そんな自分好みの胸が目の前にあり、それが自分のものだと分かればどうするか?無論、揉む。そして色々見る。ここでは詳しく言えないが、もう色々と見た。
すごく気持ちが良かった。性的に気持ちよかったという訳ではないが、心が満たされていく感覚を彼は噛み締めていた。おっぱい揉んでいればこの世から戦争とか無くなるのでは?
心が満たされたところで、彼はハッと正気に戻る。
……あれ?もしかしてボクって女体化願望でもあったのかな?
ここは夢の世界。夢の中と言えば自分の本当にやりたいことが表われるとか聞くが、もしそうだとしたら中々に煩悩に塗れた願望を持っているなぁ。と、他人事のように考えながら、自身の姿を確認する。
前髪の毛先を摘まんで観察してみると、透き通る様に綺麗な
服飾に関しては白を基調とした、日常ではあまり見ないような、強いて言うならば2次元のキャラクタ―が着るような服装で、大きなフード付きのマントを羽織っていおり、そのマントから飛び出す布面積の少ない豊満な胸が主張している。スカートも短く、大事な所を隠すどころか曝け出しているようにも思える、刺激的な服装であった。
……あれ、こんな感じのキャラクターを見たことがあるような?
見た目を確認していた彼は、どこかで見覚えがあると頭の隅で引っ掛かった。それが何か思い出そうとして頭を悩ませて数刻、彼は唯一の女友達であり、幼馴染である彼女との会話を思い出した。
◇◇◇
学校の授業も滞りなく終わり、夕焼けの赤が教室内を染める放課後。彼女は鞄から林檎の絵が描かれたカードを取り出し、おもむろにスマホに入力を始めながら、彼に語り掛けた。
『―――。今からガチャを引くからそこで私の死にざまを見てて……』
握りしめていたのは2万円の魔法のカード。学生にとっては大金である2万を捧げて獲得したその魔法のカードを強く握っていた。
彼は彼女の覚悟を感じ取っていた。彼はあまりゲームをせず、ガチャという文化は知っているが、それに命を懸ける彼女の心境を察することが出来なかった。しかし――
『いいだろう、面白そうだし……ン゛ン゛!!……キミの死にざまを見届けようじゃないか!』
面白そうなので見ていくことにした。彼の口から紡がれた「死にざま」という言葉で彼女は精神的ダメ―ジを受けていた。自分で言ったことだろうに。
彼女はアプリを立ち上げガチャ画面に移動すると、息を呑んでスマホのタップを始める。彼はその彼女の真剣な表情に笑いを堪えつつ、若干抑えきれず微笑みを浮かべながら見守る。
祈りながら画面を見守る彼女の顔は、画面のアニメーションが進むごとに影が差していく。
『ああ、そういえばキミは何のキャラクターが欲しいんだっけ?』
無事最初の爆死を遂げた彼女に、彼は質問をする。すると、ガチャ画面に映し出された一人の男キャラを連打して、『こいつ』と短く答えた。画面に記載されているキャラクターの名前を覗うと、そこには「マーリン」と書いてあった。
彼はこのキャラクターは知らないが、この名前の存在については知っていた。
ブリタニア列王史、アーサー王伝説にて登場する、夢魔と人間の間に産まれた予言の子にして、アーサー王伝説にてアーサーに仕えた魔術師だ。
和訳されたアーサー王伝説を流し読みしたことのある彼はマーリンについて知っていたが、マーリンってこんな感じだったっけ?と首を傾げていた。
悩む彼を余所に彼女は、死んだ目をして10連と書かれたボタンをタップし続けていた。
空に紫が滲み始めた頃、暗くなり始めた教室を明るくするために彼は蛍光灯の明かりを点けた。彼女は依然変わりなく、ガチャを回していた。彼女の隣には3枚の2万円の魔法カードが散らばっていた。
彼は冷や汗を垂らす。ガチャとはここまで恐ろしいものなのか、と。先程浮かべていた微笑みも、この惨状を見た後では笑顔にはなれなかった。
彼女の瞳には光は無く、そこには酷く淀んだ闇があった。
『今日はもう諦めて、一旦帰らないかい?』
彼は提案をする。部活に入っていない生徒が、ただガチャをするために教室に残るのは多少問題があると思っての発言だ。彼の提案に、彼女は小さく答える。
『多分……次こそは……、次回したら、出ると思うんだ……この最後の10連を回せば……きっと……恐らく、……本当に?』
最後自問自答している所を見ると、ずいぶんと精神的にやられているようだ。まぁ、仕方のないことだろう。たったの数刻で6万円が盆から落ちた水のように、消えてなくなったのだから。
彼は溜息を吐くと、画面のボタンをタップする。召喚画面が展開され、彼女が「あ゛あ゛!!??」と悲鳴を上げるが、お構いなしにタップ連打する。すると途中で、タップによるスキップが止まり、虹色に輝く演出が現れた。隣で騒ぐ彼女を横目に画面の光を眺めていると、先ほど見たキャラクターの絵が出てきた。
『……ホ?』
『おや、お望みのマーリンとやらが出たみたいだね?爆死はしたけど、その果てに得るものはあったようだ。おめでとう。じゃあボクは帰るから――』
お望みのキャラクターが出て彼女も満足だろう。そう考えてまとめ終えていた荷物を持ち席を立つが、彼女が動きを止めていたことに気付き、声を掛ける。
『……おーい、気は確かかい?』
『おぎゃあぁあああああああああああ!!!!?????』
『うーん、気は確かではないみたいだ。赤ちゃんかな?』
その後、職員室から飛んできた担任の教師にこっぴどく怒られた。
◇◇◇
ああ、マーリンってキャラクターに似ているんだ。
彼は思い出して「なるほどね」と、服装に対しての既視感の原因が分かりスッキリとしていた。
それと同時に相違点にも気づく。確かそのマーリンってキャラクター、男だったような?と再度首を傾げるように考え込む。
服装や雰囲気はあのマーリンなのだが、女性の象徴である胸をこれでもかと強調する服装は男のキャラクターではありえない。では何なのだろうか?彼は少し考えこみ、一つの解答に至る。
女体化。
らんま1/2。女体化漫画の代表と言えばこれが思い浮かぶが、今の状況ではその"女体化"なるものが、今の状況を説明するに一番適しているのではないだろうか。
彼は胸を揉む。うん、女体化最高。豊満な胸が何の苦労もなしに揉めるとは。サイコー。でも生理痛は痛そうなので勘弁願いたい。
彼の思考は、常人とは少々違っていた。
自身のことを女体化マーリンと理解した彼は、この夢の世界を楽しむことに決めた。
とは言っても今いる場所は海底。今は自分の用意した明かりで近場なら目視が出来るが、光の届かない数メートル先は何も見えない状態で、言ってしまえば風情の欠片もないのが感想だった。
せっかくの明晰夢なのだから何か楽しみたいと思っていた彼は、どうにかこの海底から脱出して地上を垣間見たいと目を閉じて考えた。
途端に、視界に地上が映し出された。
彼は驚いて瞼を開ける。目の前には先ほどまで視界に映っていた寂しい海底だった。
再度、恐る恐ると瞼を閉じる。
すると、彼の狙い通り、視界には地上が映し出されていた。
おお、と彼は喜んだように声を上げた。
この発見はまぐれだったが、いやこれは良いな。と周りを見渡す。
自身の視界は上空に位置しているようで、高層ビルなどの科学的な建造物や山などの自然的な地表が、視界いっぱいに広がっていた。
高度を上昇してその大地の形を見ると、彼がよく見る日本の形がそこにあった。
そして、その隣にある大陸。ユーラシア大陸にまるで巨大な隕石が落ちたかのように、抉られた大地があった。
特に、何か感情が起伏するようなことは起きなかった。
それもそうだ。彼はこの世界を夢と認識しているのだ。彼にとってはそういう系の映像を見ているのと同じような感覚だ。「文字通り隕石でも落ちた設定なのかな?」と思考しつつ、自分が暮らしていた住居へと降り立とうと、視界を降下するところで、動きが止まる。
――あれ、ボクの住んでいた場所は何処だった?
この夢を見始めて、初めての動揺。
日本に住んでいたことは覚えている。友達であるあの娘とは日本語で話していた。
……あの娘の名前は何だっけ。
焦る。動揺がさらにひどくなる。
自分の名前は?……駄目だ、思い出せない。家族構成は?何も思い浮かばない。
住んでいた場所は?
小学校は何処に通っていた?
そもそも学校は通っていたのか?
何歳?
自分の夢はなんだったのか?
自分は。
ボクは……
……何も思い出せなかった。
途方もない現実が、彼の鼓動を速くする。
苦しくなって、苦しくて。瞼を開ける。
そこに広がるのは、自分以外一人もいない。
深呼吸。
息を肺がいっぱいになるまで、ゆっくりと吸い込み。
いったん止めて、
ゆっくり、ゆっくりと吐いていく。
すごく落ち着いた。
どうして落ち着けたのか不思議に思うが、落ち着けたのならいいことだ。彼は特に気にせず、再度深呼吸をした。
……気にしないようにした、というのが正しい。彼は勘が良い。
どうして、どうして自分と言う存在を完全に忘れている事実を目の前にして落ち着けているのかの理由に、彼は薄々感づいていた。
………
瞼を閉じれば、自分の思い描いた場所に視界が広がる。まぁ、便宜上"千里眼"でいいだろう。彼女はこの能力を用いて、この世界の情報収集を始めた。
その結果、彼女が元々いた世界とは違う点を見つけ、ここが自分が暮らしていた世界とは違う世界――異世界――であることを確信し、項垂れていた。
空間震。原因不明の災害。ユーラシア大陸のド真ん中をたったの一夜で壊滅させたユーラシア大空災。これを機に各地で小規模ながらも空間震が発生するようになり、最近ではその空間震の頻度も増えていっている模様。
そして、その空間震の原因である精霊と呼ばれる存在。
市民にひた隠しにされているが、精霊という存在が顕現すると同時に、この空間震が発生するらしい。その規模は個体によって変わり、例えば『ハーミット』と呼ばれる精霊の空間震の規模は街の設備にほとんど影響が無いのに対し、今朝顕現した
……幸い、その空間震は太平洋のド真ん中に落ち、それによる津波の影響も何故か発生しなかったとか。
……辺りを見渡してみる。
胸に視線が行っていたことと、空間震による影響が大きかったことに気がつかなかったが、なるほど。確かにクレーターのような窪みがあることを見て取れた。
……まさか、このドーム状に広がっているこの空間よりも大きいとは思っていなかったが。
彼女は溜息をついた。
先の通り薄々は気づいていたが、今朝発生した空間震が太平洋であることと、自身が現在いる場所を繋げて考えれば、必然と分ってしまった。
――ボク、精霊になってるね。
ぽてっ、と身体を横にして仰向けになり、真っ暗な海を見上げながら声を張り上げた。
「ふざけるなぁああ!!」
顔を真っ赤にさせて、じたばたしながら喚く様は、さながら癇癪を起した幼児のそれだった。
次回まで、暫しお待ちを…。