天海 Remake   作:ちゃちゃ2580

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Section3

 暫く歩くと、特徴的な赤い屋根が見えてきた。

 木の間から見えた景色に、思わず近道をしそうになるサクラだが、その様子を見たルーシーが短く鳴いた。頭に乗せたレオンも髪をくいくいと引っ張って、『ちゃんとルーシーの後をついていけ』と言うものだから、仕方ないと近道を諦める。

 未開拓の地に踏み入れるのは、たとえ僅かな距離でも危険だ。

 軽率だったと詫びて、改めて遠回りをする。

 その道すがら、目的地の装いがはっきりしてきた。

 元ポケモンじいさんの家は、外観こそあまり変化がないようだった。しかし、サクラが知る光景と変わりないというのは、外壁の白いペンキは塗り直したという事だろうし、屋根も張り直したのではないかと推測出来る。以前は幽霊屋敷とさえ呼ばれていたのだから、それぐらいの手入れをしないと住むに住めないだろう。

 中はどうなっているのだろう。

 覗くのは失礼だからあまり見ないようにはするが、気にはなる。しかし、不意に目に留まった端っこの窓は、しっかりとカーテンが閉められていた。時刻はお昼前なので、少しばかり無精のようにも感じるが、それこそ失礼な話か。まあ、仮に開いていたとしても、手前の広場が広く、家までは距離がある為、きっと中の様子は見えなかっただろうが。

 

「ルー」

 

 迂回して暫く。

 ルーシーが声を上げて立ち止まった。

 こちらを振り返ってくる彼女は、いつものようににこやかな様子で、家の前の広場まで続く田舎道を片手でさしている。どうやらそこからなら行っても安全らしい。

 サクラは微笑み返して、短くお礼を言った。

 ルーシーが均してくれた草むらを辿る。漸く青々と茂った林を出て、サクラはふうと息をついた。もう警戒する必要もないだろうと、頭の上のレオンも地面へ下ろす。

 と、そんな折だった。

 

「おい。ここは私有地だぞ」

 

 そんな声がした。

 一聞きしただけでは性別が分からない声だった。男にしては高いし、女性にしては言葉が荒い。以前テレビで聞いたシルバーの声ではなかった。

 誰かと思って、声の方向を見たサクラは、その姿を見るなり「ああ」と納得する。

 怪訝な様子でサクラを見てくる姿は、その昔に見たシルバーのポケモンリーグ制覇インタビューの記録で、記者にうんざりしていた時の様子とどこか被る。

 いいや、それも仕方ない。

 そこにいるのは、若き日のシルバーを、もう少し若返らせたような姿をした少年なのだから。

 長い赤髪と切れ長の目は、父親譲りだろうか。違うのは、映像で見た紺のジャージではなく、黒いジャケットとジーンズを着ている事。髪の毛をポニーテールに纏めている事。それと、目鼻立ちも父親より少し柔らかで、威圧感より『生意気そう』と感じるぐらいの軟化した雰囲気を覚える事。

 間違いないだろう。

 彼はシルバーの一人息子だ。

 オーキド博士との対談の時、息子が一人いると言っていたし、姿形も自分とそっくりだと言っていた。

 年の頃はサクラと同い年か、少し下だろうか。声変わりをしていないあたり、後者が正解のように感じる。

 

「あの、わたし、ウツギ博士のお使いで来ました」

「お使い? あぁ、そういや親父、何か言ってたっけ」

 

 少年は怪訝な表情を変えないまま、思案顔でふと目を逸らす。

 と、その視線が落ちた先に、小さなポケモンの姿を見た。

 少年のズボンを小さな手でちょこんと摘み、彼の背後に半身を隠している青色のポケモン。ふと目に留めた瞬間、サクラは「あ、ワニノコ」と言って、思わず微笑んだ。ワニのように発達した顎が特徴的で、動くものにはとりあえず噛み付くそうだが……サクラと目が合うと、キラキラとした目でこちらを見やり、しかしサクラの隣を見て、ひゅっと少年の陰へ戻る。

 何を見たのかと傍らに視線を落とせば、そこには笑顔ではないルーシーの姿。彼女は何故か冷やかな顔付きで、少年をじっと見つめていた。その様子をどうかしたのかと口にしようとして、そこで「あんたさ」と、彼の声がかかる。ハッとして前へ向き直った。

 

「ここに住んでるのが要人って分かってんなら、身分くらい明かすのが礼儀じゃねえの? それとも、まさかその形で、親父に襲撃仕掛けて来たド阿呆なのか?」

 

 少年の目は、サクラの傍らで敵意剥き出しの顔をしたルーシーへと向いていた。

 サクラはハッとして、彼女の手を引く。

 

「ごめんなさい。えっと、今トレーナーカードを……」

 

 としたところで、ルーシーがサクラの手をばっと振り払った。

 余った手で今にバッグを開こうとしていたサクラは、温厚なルーシーの突然の反抗に「えっ」と言って固まる。間髪入れずにどうしたのかと腰を下ろせば、ルーシーは一歩前へ。彼女が小さく鳴くと、隣に立つレオンが、サクラのバッグを引っ張ってきた。

 正面の少年は、ルーシーの様子に目をすっと細める。

 ルーシーのそれは明らかに失礼な態度だった。慌てて謝ろうとするサクラだが、身動きをとろうとすると後ろでレオンが「チィッ!」と鋭く鳴く。まるで『動くな』とでも言いたげだ。

 暫し静寂。

 ルーシーは変わらずのまま、微動だにしない。しかし、何かあろうものなら、一拍も置かず反撃すると言いたげに、サクラでも分かる程殺気だっていた。失礼どころか、これじゃ少年の言う通り、襲撃を仕掛けてきたド阿呆じゃないか。確かに自分は阿呆だけど。いいや、そんな事を考えている場合じゃない。

 

「へえ。良いポケモン育ててんじゃん。あんた」

 

 と、サクラが今に混乱しそうになっていると、少年がやんわりと表情を緩めた。

 

「もう良いよ。シャノン、こいつ等は敵じゃない」

 

 そう言って彼が片手を上げれば、その傍らにひゅんと着地する一つの影。

 どこから現れたのか、まるでテレポートをしてきたかのようだった。

 着地の体勢から、ゆっくりと面を上げるそのポケモン。やおら腕組みをしてこちらを睨んでくるその風貌は、まるでこちらを挑発するかのよう。実物はサクラが初めて目にするポケモンだった。

 鋭い目つきと長い爪が特徴的な二足歩行の猫型ポケモン。

 ニューラだ。

 そのニューラの頭を少年がゆっくりと撫でれば、嬉しそうに目を細め、主人の愛撫を堪能するかのように「にゃあ」と鳴いた。

 それにつられるように、ルーシーは小さく息をつく。サクラでも分かる程だった殺気が、ふっと消えた。彼女が落ち着けば、レオンも胸を撫でおろしている。

 そこで漸く、何があったのかを察した。

 あのニューラは、ずっとこちらへ攻撃する機会を窺っていたのだ。

 ルーシーはそれを察知し、警戒を緩めなかった。来るなら来いと殺気を強め、挑発していたのだろう。もしも攻撃されようものなら、おそらく彼女は全力で迎撃していたに違いない。

 

「ごめんね。ルーちゃん。ありがと」

「ルー」

 

 誤解していた事を素直に謝った。

 彼女の事は信頼しているので、何か理由があるのは分かったが、意図を汲んであげられなかったのは自分の未熟さだ。立ち上がるついでに頬っぺたを撫でてやれば、彼女は愛しそうにサクラの手を両手で包み、首を横に振る。『気にしないで良いのよ』なんて、聞こえてきそうだった。

 改めて柔らかな笑みを浮かべる彼女は、何故かとても幸せそうに見えた。

 さて。と、サクラは今度こそ立ち上がる。

 再度疑われないうちに、さっさと身分を明かしてしまわないと。

 鞄からカードケースを取り出して、一番手前にあるトレーナーカードを取り上げた。

 名前と顔写真がしっかり載っているので、サクラが持つ身分証明書の中でもピカ一の効力を持っている。これで身分が証明出来ない筈がないだろう。

 サクラは改めて断りを入れると、二匹のポケモンをボールに戻している少年の元へ、ゆっくりと歩み寄った。

 

「はじめまして。サクラと言います」

「さっきはわりぃな。俺はサキ……って、ちょい待ち!」

 

 少年はふと何かに気が付いた様子で、サクラのトレーナーカードをひったくるようにして受け取った。

 それを穴でも空けようかと言わんばかりにじっくりと見つめ、やがてその目を、口を、丸く見開いていく。

 

「ちょ、え、マジ?」

 

 何がと言うまでもない。

 サクラが今までこれと同じような反応を何度見てきた事か。

 多分、おそらく、きっと、少年はサクラが二人のポケモンマスターの娘だという事に気が付いている。

 それは、あまり嬉しくない反応だった。

 だって、サクラは両親の事をあまりに知らない。

 知っているのは誰でも知っているような事だけ。今や声と姿も朧気で、二人がどんな性格をしていたかも、知っているだけで覚えちゃいない。期待の眼差しで『どんな人だった?』と聞いてきて、知らない、分からないと言うサクラの返答で、その色を落胆に染める――そんな人間を、何人も見てきた。中にはサクラを『使えない』と罵倒してきた恥知らずだっている。

 そんな気配を感じ、少しばかり俯けば。

 

「やべえ」

 

 少年は、ぽつりと一言。

 それは歓喜や期待感からくる『ヤバい』ではなく、少年自身が失態を犯したと言う雰囲気のもの。

 ふと顔を上げれば、彼は顔を真っ青に染めていた。

 

「大丈夫? 顔色、悪いけど」

「や、うん。あの、あんた……じゃなくて、サクラ。この事、お前の両親には……」

「へ?」

「ヒビキさんと、特に、コトネさんには、内緒で……」

「二人の事、知ってるの?」

 

 ゴールドやクリスタルといった愛称は有名だが、二人の本名はあまり有名ではない。

 知っているのは熱狂的なファンを除けば、二人と直接関わり合いがあった人物達。その内にシルバーも含まれるのだろうから、その息子っぽい少年が知らない理由はない。ただ、サクラが引っ掛かったのは彼の反応の仕方だ。

 知っているの? と聞いたが、本当に聞きたいのは『会った事があるのか』という点。

 だってそうだろう。

 二人はサクラが四歳の頃にいなくなってしまった。

 なのに少年の反応は、まるで二人が生きていて、サクラと一緒に暮らしているかのようにも聞こえるもの。いいや、それ以前に、サクラより年下に見えるのに、二人の性格を知っていそうな物言いが可笑しい。まるでつい最近会った事があるようではないか。

 そこまで思い至ったサクラは、ハッとして少年の身体を強く掴んだ。

 

「ねえ! 二人と会った事あるの!?」

「ん? どういう事だ?」

 

 少年の困惑は当然だろう。

 だけど、サクラは彼の事情を汲む余裕がなかった。

 

「どこで会ったの? いつ!?」

 

 だって、口にこそ出さないけれど、二人は死んでしまったのだと思っていたのだから。

 そんなサクラの心情を、少年はどういう訳か的確に汲んでくれたらしい。

 少しばかり顔をしかめると、「待て、落ち着け」と、サクラの手を剥がしてから、両手を挙げて「別に逃げないから、ゆっくり話せば良いだろ」と提案してくれた。

 そこで自分が掴みかかるような勢いで、彼に詰め寄っていた事を自覚したサクラは、ハッとして謝意を示す。

 事情があるのは分かってくれたのか、彼は首を横に。呆れるでもなく真剣な表情で「もしかして」と、話を続けてくれた。

 

「あの二人、家に帰ってないのか?」

 

 その言葉だけでも、両親が生きている証明になる。

 サクラは胸の奥がカッと燃え上がりそうな感覚を覚え、話を強引に進めたい気持ちでいっぱいだった。しかし、不意に後ろから引っ張られて、再度ハッとする。振り向けば、レオンが「チィ」と鳴く。真剣な表情を浮かべた彼もまた、『落ち着け』と言いたげだ。その隣に居るルーシーも、サクラを落ち着かせるように、ゆっくりと頷く。

 ふとすれば、手が震えていた。

 二匹と少年に止められた衝動は、今に爆発してしまいそうな程、身体を熱くしている。

 小さな謝罪を入れてから、サクラは膝を折って、ルーシーを抱きしめた。

 

「ごめん。ちょっと冷静にならせて」

 

 意図を察してか、ルーシーはサクラの背を優しく撫でてくれる。

 同時に、スッと通るような清涼感のある香りが、彼女から漂ってきた。

 一度、二度、深く深呼吸をすれば、眠気が飛んだ時のような、目を開き直す感覚。襟足のあたりに未だ強い熱気を覚えるが、三度目の深呼吸を終えれば、焦燥感は消えたように感じた。

 ルーシーお得意のアロマセラピーだ。

 彼女のそれはどんな薬よりも効く。

 ふうと息をつけば、落ち着きを取り戻していた。

 

「良いポケモンじゃん」

「うん。ありがとう。名前、もう一度聞いていい?」

 

 そう言って薄く微笑みながら、少年を見上げる。

 すると、何故か顔を赤くしながら、彼はこくりと一回頷いて、サクラに手を差し伸べてきた。

 

「サキ。多分分かってると思うけど、シルバーの息子だよ」

 

 その手をとって、サクラは分かったと頷き返す。

 ゆっくりと立ち上がって、先程の非礼を深く詫びた。

 と、そんな折、キィと扉の開く音を聞く。

 二人して手を握り合ったまま、そちらを見やれば、扉に肩を預け、腕を組んでいる男性の姿。

 

「そろそろ良いか?」

 

 彼はまるで待ちくたびれたと言わんばかりに、挑発的な笑みを浮かべていた。

 黒い薄手のシャツに、ジーンズというラフな格好だが、肩まである赤髪の下には、キリッとした鋭い双眸が窺えて、どこか厳格そうに見える。スッと通った鼻筋も特徴的で、口角までもがつり上がっているので、一見すると柔和そうには見えない。しかし、何故かその表情は高圧的には映らなかった。

 背は随分と高く、女性の中でも身長が高いサクラとて、見上げねばならないだろう。身体つきはがっちりしているようで、長身痩躯ではあるが、ウツギ博士と違って不養生も堕落もしていないと言ったところ。

 決して弱々しくは見えないのだが、パッと見た厳格さよりも、温厚そうな表情が醸し出す雰囲気が強く印象付けられるような、不思議な人物だった。

 彼がシルバーだろう。

 記憶に残る姿と合致する姿に、サクラはそう思った。

 と、そこで。

 

「み、見てたのか!?」

 

 サキ少年が慌てた様子でそうぼやく。

 声に振り向けば、彼の頬は先程より濃い朱がさしていた。

 一体どうしたのだろう。と、彼を窺っていれば、視界の端に映ったのかこちらを素早く振り返って、その視線を下へ。サクラも促されて視線を下ろせば、先程握った手がそのままの形で残っている。それに疑問や恥ずかしさを覚えるより早く、少年がばっと手を解いて、自分の背中に隠してしまった。

 ふとすれば彼の初々しい動作こそが、サクラに恥ずかしい事をしていたと自覚させた。

 思わずサクラも手を胸の前に寄せて、視線を明後日の方へ逸らしてしまう。

 

「ご、ごめんね。離すタイミングを逃しちゃって。その、立つの助けてくれてありがとう」

「お、おう。俺も、なんか、ごめんな」

 

 あまり女性慣れしていないのだろうか。

 そういえば先程も顔を赤くしていたが、あれはサクラが彼の腕を掴んだのが原因かもしれない。

 そんな事を考えていると、ザッザッという足音が近付いてくる。

 そこでサキに囚われていた思考が、先程目に留めた男を思い出す。

 サクラは慌てて振り返った。

 

「すみません。挨拶が遅れました。初めまして、サクラと言います。ウツギ博士から大事な書類を預かって来ました」

 

 慌てて頭を垂れれば、間髪いれずに頭の上に何かごつごつとしたものが乗った。

 それにびっくりして、不意に閉じていた目を開けば、足許に落ちている影が随分と大きい。視線を上げてみれば、そこで被りっぱなしだった帽子の上から、頭をわしゃわしゃと撫でられた。

 

「実を言うと初めましてじゃねえんだ。そんなに畏まらなくても良い。昔もこうして頭を撫でたんだが、覚えてないか?」

「え? えっと……」

 

 記憶力には自信があるが、覚えは無い。

 シルバーのような特徴的な髪色なら、覚えていても不思議じゃないのだが……。

 いや、しかし、頭を撫でられる感覚は、どこか懐かしさがある。きちんと覚えている訳ではないものの、大きくて硬いのに、恐怖心を抱かせない優しい撫で方は、物心がつくより前の記憶にあるような気がした。

 本当は失礼な人だと思うところだろうに、どういう訳かこれっぽっちも嫌じゃない。むしろ心境が荒れていた事もあって、暫くこのままでいたいとさえ思ってしまう。

 

「お前の前から、あいつ等が姿を消す……ちょっと前だったか」

 

 懐かしそうに零された言葉は、先程サキから聞いた話とは少し食い違っていた。

 どういう事かと、撫でられている頭を強引に上げて、ずれてしまった帽子を取った。その帽子をぎゅっと胸に抱き、サクラは小首を傾げた。

 

「知ってるんですか?」

 

 何をと言った訳じゃないのに、シルバーはこくりと頷いた。

 

「あいつ等が家に帰っていないのを知ったのはつい最近だ。だけどほんの数年前まで、二人とは連絡を取っていた。最後に会ったのは……」

 

 ちらりと、彼はサキを見る。

 するとサキはこくりと頷いて、「三年前だよ」と言った。

 三年前。

 つまり、両親は最低でも七年間、サクラを放置していた事になる。生きているのは嬉しかったが、思考は『生きているのに』と傾いて、心のどこかで、嫌な声がよみがえる。

 その昔、誰かに言われた――捨てられっ子。

 あの時は違うと否定したが、今、同じ事が言えるのか?

 そう思うと目頭が熱くなってきて、喉の奥が震えはじめた。

 

「チィノ」

「ルー」

 

 そんなサクラの足を小突く、二匹の家族。

 ふと視線を下ろせば、二匹は真剣な顔で、何かを訴えていた。

 

『確かめもしないで、何言ってんだよ』

『そうよ。決めつけは良くないわ』

 

 言葉を交わせない筈の二匹の声を、聞いた気がした。

 まさか本当にそう言っているとは思えなかったが、二匹の表情が、そう言っているようにも見えた。ふとすれば、嫌な記憶は、どこかに消えた。

 サクラはふうと息をついて、自分に落ち着けと言い聞かせる。

 改めて顔を上げ、待ってくれていたシルバーに向き直った。

 

「二人は……わたしを捨てるような人でしたか?」

「違う。俺が保証する」

「何か事情があるんだろ。だってコトネさん、お前の事大好きだって言ってたし」

 

 シルバーの隣で、サキも一緒になって励ましてくれた。

 なら、何で二人は帰って来ないのか。とは思ったが、それを彼に聞いてもしょうがないだろう。

 サクラは断言してくれたシルバーと、優しい言葉をくれたサキに、ぺこりとお辞儀してお礼を言った。

 話に一区切りがついたと判断したのか、シルバーは小さく柏手を打つ。「さて」と短い言葉で注目を集めると、サクラに向けて微笑みかけてくる。怖そうな顔付きなのに、その笑顔はとんでもなく優しそうに見えた。

 

「二人の話は後でもう一度してやろう。博士から預かった書類をくれ。先に目だけ通してくる」

「あ、はい。分かりました」

 

 サクラは預かった書類をバッグから取り出して手渡す。

 書類の内容は一切知らないが、中身は四、五枚の紙である事は知っている。それは手に受け取ったシルバーも同じなのか、彼はぽつりと「少し時間がかかりそうだな」なんて、如何にも態とらしく言った。

 サクラがその意を取りあぐねていると、彼は振り返り様ににやりと笑う。

 

「丁度良いから、さっきの続きでもして頭を冷やすと良い」

 

 そう言って、ゆっくりと家へ戻って行った。

 さっきの続き?

 疑問に思って隣を見てみれば、サキが少しばかり気恥ずかしそうに頬を掻いていた。

 

「多分、初めっから見られてたんじゃね。ほら、一触即発だったじゃん」

「あ、そっか。わたしてっきり、手を握り直せって事かと」

「流石にそれはねえだろ……」

 

 思った通りに返せば、サキは呆れ顔だった。

 しかし、やはり初心なのか、サクラの発言で先の一件を思い起こしたようで、頬が真っ赤になっている。

 思わずサクラは、先の戸惑いを忘れる心地でふっと笑ってしまった。

 男の子に言うと怒られそうだが、『可愛いなあ』なんて思ったのだ。

 

「な、何だよ」

「いやぁ、サキくん、幾つなのかなって」

「年の話か? 一二だけど」

「じゃあ、わたしの方が二個上だね」

「何だよ。先輩風吹かせようってか? さっきまで泣きべそかいてたくせに」

「な、泣いてないもん」

「いや、泣いてた。涙の跡がある」

「嘘っ!?」

「うっそだー」

 

 こ、このクソガキ……。

 すっかりペースを持って行かれて弄ばれたサクラは、折角笑顔を取り戻そうとしていたのに、すっかり通り越してブチギレていた。

 別に先輩風を吹かすつもりはなかったけれど、こうも生意気に挑発されてしまうと、年長者らしい洗礼をくれてやろうと思う。丁度よく、シルバーに言われているんだし。

 

 バトルはサクラの手持ちを考慮して、二対二のバトルになった。

 勝っても負けても入れ替え。

 引き分けありの二回勝負だ。

 広場は実に丁度良い広さ。

 レオンが走り回ったとしても窮屈には感じないだろう。

 その片側の端っこへ向かいながら、サクラは先程一触即だった時を思い起こす。

 彼がシャノンと呼んだニューラは、レオンより速いように見えた。ルーシーがあれ程殺気だって警戒していたのも、初めての経験だ。あのシャノンというポケモンに限っては、サクラの手持ちより鍛えられているだろう。逆に、サキの傍らでこちらを興味津々に見ていたワニノコは、力量的には少し下。相性の問題もあるだろうが、ルーシーに怯えて、主人を盾にしていた様子から、おそらく間違いない。

 サキが持っているボールは三つのようだった。

 だが、少し関わっただけでも分かるあの挑戦的な感じは、フェアなバトルを心がけるように見える。となると、多少不利だと思っても、出してくるのはお互いが目で見て確認したポケモンだろう。そして、シャノンはきっと二番手。それは何となく、ただの勘でそう思った。

 やるからには勝ちたい。

 全力でバトル出来る時なんて限られているのだから、昂っているだろう二匹の足を、トレーナーである自分が引っ張りたくはない。

 良し。両親(ふたり)の事は一旦忘れて、集中しよう。

 大雑把に定めたバトルフィールドの端で、気持ちを改めたサクラがゆっくりと振り返る。

 五〇メートルは離れたところで、サキもこちらを振り返っていた。サクラの予想を肯定するように、彼はワニノコとニューラを既に出している。腰を屈めて、何かを話しているあたり、あちらにも作戦はありそうだ。

 

「ふたり共、最近暴れてなかった分、思う存分暴れて良いよ」

 

 サクラはサキを見つめながら、傍らで控えている二匹へ声を落とす。

 返ってくる声はなかったが、視界の端っこで両者共に頷いたのが、しっかりと見えていた。

 

「サポートはするから、適時対応で。ルーちゃんが先発、レオンが戦いやすいように整えて」

「ルー」

 

 それまでの喧騒なんて嘘のように、サクラは笑みも涙もない真剣な顔付きで、静かな言葉を落とす。

 向こうも、こちらも、耳が良いポケモンがいるから、あまり作戦を立てても意味が無い。後発するだろう二匹は、お互いの主人が伝えた作戦を踏まえて、バトルプランを練るだろう。

 だから、ここで立てる作戦は殆んど無意味。

 先発で勝負が決まる。

 サクラはそう思っていた。

 

「レオンはいつも通り。翻弄されないようにね」

「チィ」

 

 視線の先で、少年が立ち上がった。

 準備は良いかという声に、いつでもどうぞと答える。

 お互いに視線を合わせ、こくりと頷く。

 そして、どちらからともなく、手を振り上げた。

 

「ルーちゃん! 行って」

「行くぞ。ノア」

 

 ノア。そう呼ばれて勇み出たのは、やはりワニノコだった。しかし、その様子を一目見たサクラは、ハッとする。

 勇猛果敢、怖れなど何処にもない様子で走ってくる姿は、先程のワニノコと同じポケモンには見えない。相性の悪い草タイプを相手にしていると言うのに、その目はまるで期待感に満ちているようにさえ見えた。

 そこで悟った。

 力量を計り間違えた。

 と。

 お互いが中央に向けて走り合う中、先に動いたのはサキ。

 

「冷凍ビーム。ぶちかませ!」

 

 スッと息を吸い込んだワニノコは、大きく右手側へ振りかぶる。

 その予備動作の長さから、回避は簡単だ。しかし、態々大きく振りかぶった理由は、言わずと察せる。

 

「ルーちゃん。防いで!」

 

 サクラの端的な指示を、ルーシーは正確に理解した。

 きっと、目の前のワニノコは、自分と同じ指示を受けているのだろう。

 そう思い至る程、あまりにあからさまだった。

 自身のエネルギーを手の前に集束。短いチャージを終えて、ぶっ放す。それは小さな弾となって、ワニノコ目掛けて一直線に飛んで行った。しかし、あちらもまた、既にチャージを終えていた。

 キィィンという甲高い音が響く。

 瞬く間にルーシーの左手に小さな氷山が一つ出来上がった。それは冷凍ビームの光線と共に、彼女目掛けて急速に侵略してきていた。

 そこでエナジーボールが着弾。

 ズドンという音と共に、ワニノコの冷凍ビームが止まる。

 氷山はサクラ側のテリトリーを三分の一、侵したに留まった。

 間髪いれずに、ルーシーは寄生木の種を展開。まるでドレスの裾を靡かせるように、ぶわりと一回転すれば、辺り一面に種が散っていく。

 と、そこで幾筋かの水鉄砲が、種を撃ち落とした。

 ルーシーが素早く向き直れば、エナジーボールを身体で受け止めたと言わんばかりに、薄っすら肌を焦がしたワニノコの姿。彼は効果抜群の技を受けて尚、好戦的に映る表情を維持したままだった。

 

「堅いなぁ。あの子……」

 

 サクラは思わずぼやいた。

 即打ちしたとはいえ、ルーシーのエナジーボールはかなりの威力をしている。まだ完全に習得しきっているとは言えないものの、以前訪れたコガネの自然公園で、野生のポケモンを一発で追い払った実績があった。

 それを受けて尚、あの表情とは。

 低く見積もっても、コガネジムでも通用する力量だろうか。

 やはり、見誤っていたのは否めない。

 だが、サクラは指示を変えなかった。

 

「ルーちゃん。まだまだ寄生木の種!」

「させるな。ノア!」

 

 ルーシーが寄生木の種をばら撒けば、ワニノコがそれを水鉄砲で撃ち抜いていく。その精度こそは見事の一言だったが、しかし数はこちらに分があった。

 撃墜が間に合わなかった寄生木の種が、地面に根を張る。それは急速に成長し、小さな蔦を伸ばす。

 ただそれだけなら何の効果もない。

 だが、この後出てくるレオンと相対するポケモンには、戦局を大きく動かす要因になる。

 おそらくサキも、ワニノコに冷凍ビームを撃たせたい。それで地面を凍らせられれば、そこはノーマルタイプのレオンにとって不利な地で、氷タイプを複合するシャノンにとっては有利な地になる。

 要は、この戦い、陣取り合戦なのだ。

 サクラはそれをしっかりと理解していた。

 そしてこの状況は、サクラにとって有利だった。

 あのワニノコの力量は未だ分からない。だが、寄生木の種に対処しようとすれば、必ず後手に回る。純粋な水タイプのワニノコからすれば、氷タイプの技は長いチャージ時間が必要で、一発の冷凍ビームを撃つ間に数十個の種がばら撒かれてしまうからだ。

 だけど、サクラと同じ作戦を立てるあの少年が、いつまでも後手に回っているようには思えない。寄生木の種を完全に対処しきれていない以上、どこかを起点にして、挽回してくる筈だ。

 そのタイミングを見逃してはならない。

 サクラは戦況を見守り続けた。

 その時、サキが小さく唇を開いた。

 

「…………」

 

 しかし、ワニノコの水鉄砲の音が重なって、こちらまでは聞こえない。

 ただ、あのワニノコにはしっかり聞こえていたようで、挙動が明らかに変化した。

 降ってくる寄生木の種を気にする事無く、片手を地面についた。それが見えたかと思えば、次の瞬間にはその姿が消える。サクラの目に留まったのは、跳ねた水しぶきだけだった。

 

「ルーシー!」

 

 ハッとして名を呼ぶ。

 視線を彼女にやれば、あろうことかワニノコとルーシーは既に肉薄している。

 彼女は襲い来る牙を間一髪、片手の葉で顔ごと押さえ込んでいたが、サクラの目にはワニノコの次の攻撃が見えていた。

 

「退いて!」

 

 声にハッとして、ルーシーが身を躱す。

 真白の礫を纏ったワニノコのパンチが、空を突いた。

 だが、攻撃はそれで止まない。

 逆の手が、裏拳の要領でルーシーの身体を捉えていた。

 

「ルッ!」

 

 吹っ飛ばされたルーシーは、サキの陣地へ転がっていく。

 どうだ見たかと言わんばかりに、ワニノコが冷凍ビームをサクラの陣地にぶちまけた。

 サキの一転攻勢。形勢逆転。

 そう言わんばかりの状況。

 しかし、サクラも、向かい立つサキも、表情を一切緩めなかった。

 エナジーボールを受け切ったワニノコのように、ルーシーもまた、冷凍パンチ一発で沈むとは、どちらも思っていなかったのだ。

 倒れていたルーシーが、ゆらりゆらりと幽鬼のように立ち上がる。そして自身の陣地が蹂躙されている様を見ると、普段は絶対に聞かないような低い声で唸った。

 その様子を見たサクラは、ふうと溜め息を一つ。

 首を縦に振って、小さな声で告げた。

 

「ルーちゃん。もういいよ。暴れても」

「ルゥ……」

 

 待ってましたと言うには、些か静か過ぎるその声。

 ドレディアというポケモンは、はなかざりポケモンの名に相応しい冠のような花を持つ。その花はとても咲かせる事が難しく、手入れも大変だ。だからサクラは、彼女の『花』だけには絶対に触らない。それは彼女の心であり、尊厳の象徴であると知っているから。撫でて労う時も、絶対に頬を撫でるようにしている。

 今、静かな様子で立っているルーシーの花に、少しの泥がついていた。

 ほんの少し。

 だけど確かな汚れ。

 それは、彼女の入れてはいけないスイッチをオンにしてしまった。

 

「ノア! 避けろ!」

 

 未だ冷凍ビームを撃っているワニノコに、サキが忠告する。

 その声がしたすぐ後、緑の光弾が爆ぜた。

 しかし、浅い。

 サキの声を聞いてすぐに撃ったのか、やはりチャージ不足。ダメージは少ないように見えた。

 すかさずルーシーが動く。

 その速さは、先程フィールドの半ばまで進んだ時とは比べ物にならない。ふとすればレオンにも匹敵するような速度で、彼女は距離を詰めた。

 気配を感じたのか、サクラの目前で、ワニノコが先程と同じ冷凍パンチを構える。

 が、最高速に至ったルーシーが現れたのは、その背後だった。

 無言のまま、彼女は右手の葉を払う。

 それによってワニノコの顔は地面に叩き伏せられた。

 その接合部が、緑色に発光する。

 バチチチ。と、およそ自然界では聞かないような音を立てた。

 が、エナジーボールで沈まないワニノコが、メガドレインで沈む理由もない。いいや、そのメガドレインは、蝶の舞によって威力を引き上げられていたのだが、それでも彼は倒れなかった。

 ぐわんと無理矢理口を開いたかと思えば、ワニノコの腹がぐっと膨れ上がる。

 それを見たルーシーは、サッと飛び退いた。

 直上に放たれる冷凍ビーム。

 大気を凍らせる音の、何と甲高いことか。普段目に見えない塵芥が凍りついて、きらきらと舞っていた。

 

「ノア。ダメだ。起き上がるな!」

 

 そこへ割って入るようなサキの指示。

 しかし、もう遅い。

 距離を置いたルーシーは、今度こそと言わんばかりにきちんとチャージしたエナジーボールを用意していた。

 起き上がろうが、伏せていようが、蝶の舞で威力を増した光弾は、先程よりずっと大きい。

 そして何より、それが狙うのは、ワニノコじゃないのだから。

 

「ルーちゃん。お見事」

 

 サクラは勝利を確信した。

 ワニノコが蹂躙したこちらの陣地へ撃ち込まれた光弾は、氷の壁を突き破り、大地へ潜る。そのエネルギーは土を通じ、豊かな栄養となって、種へ。

 ふとすればバキバキと音を立てて、数多の蔦が氷の大地を割り、伸びてくる。

 先程ばら撒いた寄生木の種が、立派に育っていた。

 その最中、ワニノコも蔦に捕まる。

 初めこそサキの指示もあって、的確に躱そうとしていたが、あちらの陣地こそ穏やかながら、こちら側は撃ち落とせなかった種でいっぱいだ。蔦の数は数えることすら出来ない程で、あっという間に身動きが出来なくなっていた。

 その光景を静観し、決着がついた事を悟ったルーシーは、フィールドの片隅で小さく息をついていた。

 勝利を喜ぶより早く、自分の花についた泥を一生懸命落とそうとしているのが、何ともドレディアらしいと言えるだろう。

 サキがノアをボールに戻しているのを見届け、サクラも戻ってきたルーシーを柔らかな笑顔でお迎えする。

 

「後でお風呂入ろうね」

「ルー」

 

 怒ってこそいたものの、久々の全力バトルですっきりしたのか、ルーシーはにっこり笑顔だった。

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