天海 Remake   作:ちゃちゃ2580

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Section4

 戦い終えたルーシーをボールに戻す。

 サキのノアは中々な強敵だった。きっと凄く疲れた事だろう。

 力量を見誤ったとはいえ、その実力はおそらくルーシーには一歩届かない。そう分かっていたから、負ける事こそないと思ったが、アクアジェットを絡めた奇襲にはサクラも驚いた。あれを受けて尚、陣取り合戦に固執していたなら、おそらく結果は違っただろう。

 改めてフィールドを見てみると、サクラ側の陣地はもう滅茶苦茶だった。高さ一メートル程の蔦が生い茂っていれば、その被害が無い地面は氷漬け。あの蔦は三〇分もあれば枯れてしまう程脆いので、乗って戦う事は出来ない。とすると、やはりレオンは氷の上を走るしかないのだが、ちょっとでも足を滑らせてしまうと、あのワニノコと同じ憂き目に合うだろう。

 先発の役目で言えば、ルーシーはあのワニノコに敗北している。

 だったら……。

 サクラは考えを巡らせながら、手を前へ。

 

「レオン。行こう」

「チィ」

 

 勇み出たレオンの向かい側で、サキもシャノンを送り出している。

 気合に満ちた表情を浮かべるチラチーノと、物静かな動作で腕組みをするニューラ。二匹が自陣の中央で止まると、サクラとサキ、両者が頷き合って――試合開始。

 すぐさまサクラは手を振った。

 

「レオン、ロックブラスト!」

「シャノン、電光石火!」

 

 主人の指示に、両者が動く。

 レオンは凍り付いた地面を尻尾でぶち割り、その氷塊を石の代わりにして、手で投げる。その動作を高速かつ、四本の尻尾と二本の手で絶え間なく行い、徐々に移動を試みる。

 対するシャノンは、やはり物凄く速い。

 ロックブラストの射線を紙一重で躱し続け、レオンへの肉薄を狙っているようだった。

 距離はあっという間に半分以下へ。

 最小限の回避で殆んど真っ直ぐに突っ込んできているシャノンが、氷と草原の境界線を越えた。

 

「来るよ。種マシンガンに切り替えて!」

 

 サクラの指示で、レオンが技を切り替える。

 石を手で投げるではなく、草タイプの小さなエネルギー弾を口腔から吐き出す技だ。数多の技を使いこなすノーマルタイプの特徴として、タイプの違う技を使っているにも拘わらず、そのロスは非常に短い。どんなタイプの技にも適用するよう進化してきたタイプの真骨頂だ。

 そしてその種マシンガンが狙うのも、シャノンではない。

 命中精度が高い筈の技は、多くがその手前の地面に着弾した。

 

「シャノン。蔦が伸びるぞ!」

 

 サキの警告。

 やはり、彼にはお見通しだった。

 種マシンガンのエネルギーを受け、一メートル程まで育った蔦が、更に成長する。ぐわんとうねったかと思えば、幾つかの蔦が自重に耐え切れず、シャノンの侵攻を妨げるようにして倒れた。

 レオンの種マシンガンはそれでも止まらない。

 明らかに不必要な範囲まで、蔦を大きく、太く、成長させていく。

 あっという間に、そこいら中で蔦の倒れる音が響き渡った。

 

「派手な戦い方するじゃねえか」

 

 その狙いすらお見通し。

 そう言わんばかりに、遠目でサキがそんな声を上げていた。

 構う事はない。

 こうでもしないと、レオンはあのニューラに嬲られるだけだ。

 改めて見たその速さは、明らかにレオンより速い。正面からの無数の攻撃を避けながらでそう思わせるのだから、一度後手に回れば後は防戦一方のまま押し切られる。

 何とかバトルの流れを掴まないといけなかった。

 無数の蔦が、フィールド上に横たわる。

 先程まで乗ればへし折れそうだったそれが、今や氷を覆い隠すような高台になっていた。

 仕込みは上々。

 あとはこれをどこまで活かして戦えるかだ。

 

「ちょっとタイム。サクラ、こっち来いよ」

「へ?」

 

 そんな折、蔦で見えなくなったサキ少年から、可笑しなお誘いを貰った。

 どういう事かと聞けば、「そっちじゃよく見えないだろ?」という声が返ってくる。

 確かに。

 元々茂っていた蔦は、一メートル程の高さがあった。

 今やそれが倒れたり、更に伸びたりして、身長が高いサクラでも背伸びしてやっと見られるかというところ。

 しかし、普通、バトル中にトレーナーが自陣のトレーナーフィールドを出る事は禁止されている。今回、大雑把に定めたフィールドだから、その境界線こそ定かではないが、サクラは出来る限り動かないようにして、それを遵守していた。

 

「良いの? これもサキくんの戦略になると思うんだけど」

「良いって良いって。別に公式のバトルでもねーんだしさ」

 

 サキはそんな風に言って、こっちへ来いと言う。

 そこまで言われたら、受け入れない理由もない。

 サクラはふうと息をついて、身体の昂ぶりを一度解放した。いつの間にか凝り固まってしまった身体をほぐしながら、フィールドを迂回して、彼の元へ向かう。

 迎えてくれた少年は、サクラを認めるなりけらけらと笑い始めた。

 

「いやあ、良く育てたよな。あの蔦」

「三〇分もあれば枯れるよ。地均しを使えるポケモンが欲しいとこだけど」

「ああ、なら大丈夫。親父が適当に均すだろうし。バトルしろつったの親父だから、そんぐらい気にしねえと思うよ」

 

 サキの言葉に、サクラは素直に安堵した。

 彼の隣でバッグを下ろし、ふうと息をつけば、悪戯っ子のような笑みを向ける。

 

「ちょっとやり過ぎたなって、思ってたの」

「だろうな」

 

 サキもまた、苦笑していた。

 と、そんな会話をしていれば、レオンが間延びしたような鳴き声を寄越す。

 ちらりと見やれば、彼はシャノンと肩を並べて、蔦の高台の端からこちらを窺っていた。

 どうやら再開はまだかと問い掛けてきているようだ。

 

「レオン。再開する前に、さっきの場所に戻ってね」

「シャノン。お前もな」

 

 指示を出せば、二匹は了解して、足早に戻っていく。

 その折でレオンが何かをシャノンに言ったようで、彼女がくすくすと愉快そうに笑っていた。健闘を称え合うにはまだ早いだろうが、どうやらタイプではない相性は中々良いらしい。

 そんな事を思っていれば、「ネズミと猫なのにな」なんて、サキが屈託の無い笑顔を浮かべている。

 どうやら彼と自分も仲良くなれそうだ。なんて思いながら、「そうだね」と、サクラは返した。

 暫くすると、レオンとシャノン、両者の声が上がる。

 配置に戻ったらしい。

 再開の挨拶はサキに一任し、サクラは様子を見守る事にした。

 確かに、ここからなら良く見える。

 頑張れ。レオン。

 サクラは胸の内で小さな声援を送った。

 

 別れ際に自分より優れた速さと、正々堂々とした戦いを心がける彼女と主人を称賛すれば、シャノンというニューラは、照れたような笑顔で『ありがと』と返して来た。その笑顔は何とも可愛らしくって、昔どこかで覚えた残虐なポケモンというイメージを払拭するには、十分過ぎるものだった。

 蔦に囲われた地面に戻る。

 足下はひんやりと凍り付いていた。

 戦いが中断された時、レオンはどうして蔦の上に登ったものかと考えている最中だった。その答えは少々ずるいながらも、休戦中に分かってしまったが、まあ、こうして不利な地へ戻ってきているから、大目に見てくれるだろうか。きっとシャノンは蔦の上だ。ひょっこり顔を出したタイミングでぶん殴られたって不思議じゃない。

 どうしたものか。

 と、レオンは思う。

 出会った時、ルーシーは彼女の気配を察知していたようだが、自分にはこれっぽっちも分からなかった。静か過ぎる敵意は、相方の反応を見てから漸く悟ったものだ。正直なところ、勝てる気がしない。ルーシーにしろ、シャノンにしろ、自分より僅かながら格上だ。あのふたりがぶつかり合うのは、相性的に選択肢として無かったようだが、少しばかり主人の采配を恨まざるを得ない。

 自分もサクラもまだまだ発展途上だと知っているから、どうしようもないとは思うのだが、ここまで善戦しているだけでも褒めて欲しい。取っ組み合いにでもなれば自分に分があるが、スピードタイプの彼女が素直に捕まってくれるとは思えなかった。どうしたって後々ルーシーに『勝てなかったねー。残念だねー』なんてゲスな笑い方をされる未来から、抜け出せないでいる。

 とすれば、シャノンが猫っぽい鳴き声を上げていた。

 どうやら配置に戻ったらしい。

 

「チィーノ」

 

 シャノンの声がしたのは、やはり蔦の上。そちらを見上げながら、レオンは自分も戻ったと報せた。

 いよいよやり辛い。

 色々と器用な事が自分の強みではあるものの、地面は凍り付いていて走る事も出来ないし、蔦の上は耳の良いシャノンが居る。下から蔦を崩す事も出来なければ、彼女の目を盗んで蔦の上に出るのも難しいだろう。せめて自力で負けていなければ、視界が通らないのを良いことに、凍り付いていない敵陣へとフィールドを移すのだが……いいや、やはり彼女の耳の良さが怖い。

 うん?

 耳が良い?

 って事は……。

 

「んじゃ、バトル再開!」

 

 奇策を思い付いたところで、サキの声でバトルが再開された。

 しかし、頭上に広がる蔦のフィールドの上で、シャノンが動く気配はない。やはり、こちらの動きを逃すまいと耳を澄ませているのだ。

 じゃあ、これならどうだ。

 レオンはにやりと笑って、静かに息を吸った。

 

「チィーノ、チィチィーノ」

 

 そして、ゆったりとしたメロディーを奏ではじめた。

 それは歌っている自分には全く効果がないが、静聴しようものならあっという間に眠気に誘われるもの。ルーシーがより確実な眠り粉を使えるので、バトルにおいては滅多に使わないが、その効力はお墨付き。サクラの寝付きが悪い時に、彼女を眠らせるのによく使っている。

 耳を澄ませているのなら、耳に攻撃すれば良い。

 サクラを平均して一〇秒で眠りに落とす歌だ。まともに聴けばただじゃすまない。

 だが、極めて効果的な戦略に思えたそれは、頭上からのドンという音で遮られる。どうやら歌声を聴かない為に、蔦を壊し始めたようだ。その崩落音があれば、確かに歌うは効力を発揮しきれない。

 それこそ、狙い目。

 レオンは近場の蔦へ足を掛け、そのまま跳ねるようにして蔦の上へ登って行った。

 

「シャアッ!」

 

 と、頭を出したその時。

 重たい衝撃が頬に響いた。

 堅い金属で殴られたような衝撃。身体が軽い事もあって、すくい上げるような衝撃のまま、蔦の上を通り越して空中へ投げ出されてしまう。懸念していた筈の、手痛い一撃だった。

 (いって)ぇ……。

 レオンは苦悶に呻きながらも、必死に身体を丸めた。

 まさかスピードタイプの彼女が、一発くれてそのまま終わる訳が無い。

 警戒した二発目は、背中の方向から。しかしそれは尻尾の油分が滑らせ、衝撃を明後日の方向へ逃がす。三発目は再度顔を狙ってきた。これはそのまま受ける。四発目で地面へ着きそうだったところを、再度かちあげられて、五発目は痛みに薄ら目を開けたレオンの正面。

 自分より高く跳躍した彼女は、鬼気迫る表情で片手を引いていた。

 両手を交差し、衝撃に備える。

 ズドン。

 彼女の袋叩きの締めは、地面へ叩きつけるような一撃。

 

「レオン!」

 

 心配そうなサクラの声を聞く。

 傍目から見ても、殆んど完璧な連続攻撃だったのだろう。だけど、狙いが完璧過ぎるのは、玉に瑕というやつ。完璧だからこそ、二発は防御が間に合った。

 レオンはカッと目を開くと、着地の衝撃から抜け出せない彼女に手を伸ばす。その手は咄嗟に彼女が身を反らし、空を掴んだが、確かな感触を覚えたのは尻尾。

 

「ニャッ!?」

 

 驚いて目を見張るシャノン。

 その足に、レオンの尻尾の一本がしかと巻き付いていた。

 貰った!!

 そう思って、片手を引く。

 純粋な攻防の強さでは、進化している自分の方が強い。

 袋叩きを耐えたレオンには、その確信があった。

 今度はこっちの番だと言わんばかりに、余った尻尾と拳を振り上げた。

 と、その時。

 

「ニャ、ニャァン……」

 

 甘ったるい声が聞こえたかと思えば、シャノンの目がうるうると潤んでいた。弱々しいとさえ感じる程に殺気が消え、か弱い女の子がそうするように、膝を崩して両の爪で身体を庇っている。ふとすれば戦闘続行の意思が無いようにさえ見えた。

 その詳細な言葉は、ポケモン同士、確かに伝わってくる。

 

『殴っちゃ、ヤダ』

 

 なんて、可愛らしい声で。

 弱々しく。負けを認めるように。

 ふとすれば、自分が今からしようとしている反撃が、とんでもない弱い者虐めに思えた。

 このか弱いニューラを殴って、果たしてどうする? 勝利して喜んで、サクラはそれを称えてくれるのか?

 あからさまに動揺した。

 今にスイープビンタを仕掛けようとしていた手を、尻尾を、動かせなくなった。

 と、その時。

 

『ごめんね?』

 

 そう聞こえたかと思ったら、どてっぱらに物凄く重たい一撃を貰った。

 そのまま空中へ放り出されたかと思うと、来る筈の追撃は来ないまま、蔦の上を通り越して、敵陣の地面へ落っこちる。

 え? どゆこと?

 自分の身に何が起こったのか理解出来ずに、痛みよりも先に来る動揺に囚われたまま、レオンは地面へ。

 それが騙し討ちであった事を察し、『ああ!! ちくしょう!!』と立ち上がってみれば、後ろからひんやりとしたものを首筋に添えられた。

 嫌な気配がしてちらりと振り返れば、先程の弱々しい姿は一体何だったのかと言いたくなる程、満面の笑みでこちらによく研がれた爪をあてがっているシャノンの姿。その笑顔ばかりは、ルーシーのそれより腹黒く映る。

 

「勝負あり。だな」

「レオン……ダメだよ。あれは」

 

 近くでサキがにやりと笑って、サクラが額を押さえて溜め息をついていた。

 あ、負けたのか。ぼく。

 敗北を察知したのも、そこで漸くの事だった。

 

 レオンが歌うを使った時、サクラは彼が勝てそうだと思った。

 それをまさかシャノンが根性で耐えて、出て来たところを袋叩きで迎え撃つとは思わなかったが、それでも尚、彼女の移動を封じた時点で、勝利を確信する事が出来た。彼女がレオンを誘惑するまでは。あんな分かりやすい騙し討ちなんて無いだろうに、レオンはあの手の攻撃にとても弱い。

 コガネの友人とバトルをした時も、不意打ちや騙し討ちだけでこてんぱんにされた事がある。傍目から見ているサクラでも分かるようなあざとい罠に、ものの見事まんまと引っかかるのだ。見ていた友人も、レオンが人間なら詐欺に合いそうだと苦笑していた。

 そのうち矯正しないとダメだろうか。

 でも、愚直な部分が転じて頼りになる時もあるので、難しい問題だ。

 何せレオンは負けてしまった。

 一勝一敗で、サキとは引き分けた事になる。

 最後の大ポカが無ければ……とは思ってしまうものの、総じて頑張ってくれたと思う。ルーシーはひっくり返された勢いをしっかり取り戻してくれたし、レオンも格上相手にあと一歩まで追い詰めていた。それらはサクラが育ててきた身体の事より、二匹が自ずと育ててきた心の影響がずっと大きいだろう。

 だからサクラは、罰の悪そうな顔をして戻ってきたレオンを、優しく抱き上げる。もう毛並みもぐちゃぐちゃだし、今なら怒らないだろうと思って、これ以上ないくらいに思いっきり撫でた。

 

「良く頑張った。最後のポカも、もう赦した。だから胸を張って、僕は頑張ったんだって言いなさい」

「チィ……」

 

 なされるがまま。

 俯きがちに答えるのは、主人のサクラから大いに労われても、最後のミスが自分で赦せないからだろうか。

 レオンは不貞腐れたような顔をして、だけど少しするとサクラの愛撫を面倒臭そうに、ゆっくりと払い除けた。

 偶には大人しく撫でさせてくれても良いのに。

 なんて思いながらも、サクラは苦笑を浮かべつつ、彼を地面に下ろして、ボールを差し出した。

 と、そこで。

 

「ニャア」

 

 今にボールへ戻ろうとしていたレオンを呼び止める声。

 サクラとふたり、声へ振り返れば、サキの足許でにっこりと笑っているシャノン。彼女は主人をちらりと振り返ってから、再度レオンを見やり、ゆっくりと近付いてきた。

 そして、一歩半分の距離を開けて、彼女はかぎ爪が光る右手を差し出して来た。

 ハッとしたレオンは、彼女とその手を見比べるように、二度、三度と視線を動かして、やがてその爪にそっと触れる。

 

「ニャア」

「チィノ」

 

 優しく微笑むシャノンと、少し照れたようなレオン。

 暫くしてサクラへ向き直ってくるその顔は、吹っ切れたような笑みを浮かべていた。

 良かったね。レオン。

 どんな言葉が交わされたかは分からなかったが、きっとサキが育てたシャノンは、とても優しい子なのだろう。レオンの朗らかな顔を見ると、サクラは心からそう思った。

 レオンをボールに戻して、ゆっくりと立ち上がる。

 サキもシャノンを戻し終えたようだ。

 

「ありがと。シャノンちゃんに伝えて」

「おう。まあ、あれは殆んど負けてたようなもんだしな」

 

 サキから見た試合の結果は、サクラと異なるようだった。

 彼はどこか悔し気に、それでも自分のポケモン達を誇るように、薄く笑っていた。

 と、したところで、サキは「うん?」と、小首を傾げる。

 

「そういやシャノンの性別って言ってたっけ?」

「ううん」

 

 聞いていない。

 もしかして間違えただろうか。

 そう思って問い直せば、彼は首を横に。間違いなくシャノンは雌だと教えてくれた。そこでサクラは安堵したが、腑に落ちないらしいサキに、逆に雌だと思った理由を教えてくれと言われて、僅かに狼狽する。ただ何となくそう感じた事を、説明しろと言われても困る。

 

「いや、うん。鳴き方とか、物腰とか?」

「でも、サクラが見たのって、今の一戦と腕組んで立ってるとこだけじゃん」

「そうだけど、やっぱ女の子だなって感じるよ。サキくんだって、レオンの性別分かるでしょ?」

「まあ、うん。そんなもん?」

「うん。むしろサキくん、シャノンちゃんに凄く失礼だよ」

 

 サクラは淡々とした調子で毒づいた。

 シャノンが普段、どんな風に暮らしているかは分からないが、物腰は凄く柔らかいし、レオンを労ってくれたのはとても素敵な気遣いだろう。どうもレオンやルーシーより少しばかり年上にも見えるし、だとすると凄く格好いい姉御肌じゃないか。

 その彼女を女の子に見えないと懸念するサキは、とてもデリカシーがない男の子に見えた。

 

「いや、違うって。そうじゃなくて。俺は純粋にどうして性別を断言出来たのかが気になって……ああもう、そんな目で見ないでくれよ!」

「ジトー」

効果音(おまけ)も要らねえって!」

 

 サクラの怖い顔だ。

 サキの素早さがガクッと下がったに違いない。

 ほんの少しの会話と、たった一戦交えただけの二人だったが、互いを遮る壁は大きく崩れていた。冗談混じりに笑い合えるのは、きっと二人がお互いを友達だと思い始めている証だろう。

 そんな感じで戯れながら、シルバーのお誘い通り、彼の家へとお邪魔する事になった。

 

 一歩入って、息を呑む。

 ありふれた外観からは想像も出来ない程、お洒落な内装だった。

 間取りはかつてのままに近いが、大きな機材があったスペースは完全に仕切られており、二枚の扉が用意されている。サキの名札と、シルバーの名札がかかっているあたり、個室なのだろう。

 しかし、かつての名残はそれぐらい。

 壁紙は黒地にシルエット調のポケモンの絵が描かれたもので、それに合わせたのか家具の全てが黒か白で統一されている。意匠が凝ったデザインも多く、机に掛かっているクロスや、備え付けの椅子だって、どこぞのお城にありそうなものだった。簡単な言葉に表すのなら、イッシュのゴシック調に、カロスのゴージャス感が加わったような感じだ。

 

「凄い。綺麗なお家だね」

 

 サクラはリビングと直結した玄関口で、靴を脱ぐ事すら忘れて素直な感想を述べた。

 しかし、先に慣れた様子で部屋に上がったサキは、「うん。まあ……」と、どこか濁す調子。その返答を訝しんで彼を見やっても、別に照れた様子はない。ただ、最近引っ越して来たにしては随分と慣れた様子で、リビングの脇にある装置を起動していた。

 

「サクラもボール置きな。一緒に治療すっから」

 

 そう言って促されたのは、メディカルマシンだった。

 ウツギ研究所にあるものよりは小振りな機械で、おそらく治療だけを専門的に行うものだろう。ボールをセットする台には、幾つかのスイッチと小さなモニターがついているだけ。隣にパソコンのような機械はついていない。とはいえ、安く見積もっても二〇万円はするだろうか。

 自宅に用意しているのは余程名うてのトレーナーやブリーダー等のポケモンマニアである証に近い。シルバーの肩書きを考えてみれば当然ではあれ、サクラは思わず目を丸くしたものだ。

 因みに、ウツギ研究所にあるメディカルマシンは、これよりも性能が良い。一台一〇〇万円は下らない。違いは治療の他、『レントゲン』等の検査機能が備わっているか否かなので、トレーナーであれば、ここに用意されたもので十分な性能と言える。

 ポケモンセンターにあるメディカルマシンはそれより更に優れていると言われ、最早一般人に使いこなす事は不可能だ。

 驚きながらも、特に言及はしないまま、お礼を述べる。靴を脱いで「お邪魔します」と断ると、彼に指示された場所へボールを置きに行った。スイッチは既に入っており、見計らったようにブゥンと音を立てて起動した。

 その間、サキはキッチンへと向かっていた。

 

「お茶かジュース、どっちがいい?」

「あ、ありがとう。お茶、貰っていいかな」

「はいよ。適当な椅子に座ってて」

 

 どうやらリビングとダイニングは兼用らしい。

 サキが向かったのもダイニングキッチンで、冷蔵庫からポットを取り出す少年が、背の低い壁越しに簡単に見る事が出来る。

 サクラは彼の指示通り、お洒落な椅子の一つを借りた。

 暫くして戻ってきたサキが、麦茶の入ったグラスを丁寧に置いてくれる。

 いただきますと断って、麦茶を一口頂く。

 よく冷えた麦茶が、喉の奥へ落ちていく感覚に、思わず飲み干してすぐに「ふぅ」と息をついてしまう。

 

「親父、まだみてえだな」

「うん」

 

 はす向かいの席に腰かけたサキの視線に倣って、シルバーの自室に続く扉を見やる。

 そこでふと、あの部屋に掛かっている看板が気になった。

 『シルバー』と掛けられている以上、あそこはシルバーの部屋。その隣はサキ。だけど、部屋はそれだけ。もう一つあるべき部屋が、見当たらない。

 そんな風にサクラが視線を泳がしていると、前でギィと椅子を引く音がした。

 

「母さんならいないぞ。随分前に死んだ」

「あ……うん。ごめん」

「いや、謝らなくていいって。ただ、そんな事を考えてるように見えたから」

 

 お見通しか。

 サクラはサキへ向けた視線を、自分に宛てられたグラスに落とす。

 まだ半分程麦茶が残っているグラスは、やはり意匠が凝っていた。綺麗な花柄が掘られたグラスは、もしかすると、亡くなった彼の母の趣味なのかもしれない。何となく、そう感じた。

 サクラも両親が死んだものだと思っていた。そう思わないよう努力をしてきて、つい先程、それが報われたような気がしたものだが、果たして彼のように『死んだ』と断言出来る状況と、過去の自分の状況、そのどちらがより不幸でないのかは分からなかった。

 とすると、そんなサクラの心境を見越したように、サキは「サクラの両親さ」と、口火を切った。

 ハッとして顔を上げると、彼は明後日の方向を見ながら、片手でグラスを弄んでいる。余った手で机に肘をついて、それで顎を支えていた。薄く開いたままの唇は、ゆっくりと言葉を吐き出した。

 

「家に、帰ってなかったんだな」

「うん」

 

 それは先程、シルバーの話と食い違っていた点の確認だろう。

 彼の視線だけがスッとこちらを向く。

 その目は決して冷やかなものではなく、かといって憐れむようでもない。何気ない様子と言えばその通りで、それはサクラが心のどこかで嫌だと思っていた反応ではなく、唯一この場で安心出来るように感じるものだった。

 

「そうは見えなかったよ。特にコトネさんなんて、サクラの話ばっかでさ」

「どんな話?」

 

 サクラが問いかける。

 サキは再び明後日の方向へ視線をやって、数秒目を瞑ると、小さな溜め息を零した。

 

「あんま詳しくは覚えてないかな。コトネさんって、俺の事玩具みたいにするから……嫌いじゃないけど、ちょっとばかり怖くてさ」

「あー……確かにお母さんって、そんな性格だったかもしんない」

 

 記憶からくる言葉ではなかった。

 ウツギ博士から聞かされた話や、家に残る母の僅かな痕跡から、そう思った。

 悪戯が好きだったのか、アルバムには女性の文字で落書きがいっぱいされていて、母が映っていない写真は可笑しな瞬間を切り取ったものが多かった。幼いサクラが膨れっ面をしているところへ、矢印で『ケンタロスなの? ミルタンクなの?』と書いてあった事については、未だ赦せない。再会出来たら一発ぶん殴ってやりたいと思う。

 そんな記憶を思い起こし、だけど『死んでたら』と思って、枕を濡らした事があるのも確かだ。

 生きていると分かって、嬉しいは嬉しい。

 だけど、一〇年分の寂しさは、どうやったって埋まらない。

 その全てが成り代わってしまったと思う程、サクラの懐疑心は大きかった。

 生きていたなら、何故逢いに来てくれなかったのか。サクラは二人がいない間に、虐められた事もあったし、学校で問題を起こした事もある。何かあった時は全て、お父さんでも、お母さんでもなく、ウツギ博士が呼び出されていた。その孤独感は筆舌に尽くし難い程、サクラを苦しめてきた。それでも、二人は帰って来なかった。

 そんな二人の事を、母親を喪ったというサキに聞いてまで、知りたいとは思えない。

 本当に知りたい『理由』というものだけは、絶対に知る事が出来ないと、二人の口振りから分かってしまっていたから。それ以外の話なんて、この虚無感を増やすだけとしか思えなかった。

 暫く、静寂がその場を制した。

 時折グラスの中で氷が割れる音だけが、それを乱す。

 別に重苦しい雰囲気ではない。

 ただ、父や母の話を聞くのが、少しだけ怖く感じた。

 さっきはあんなに、教えてって言ったんだけどな……。

 捨てられたのかもしれない。そう思うと、やりきれなかった。

 

「映画……」

 

 ふと、サキがぽつりと零す。

 何だろうと思って、逸れていた視線を彼に向ければ、彼は薄い笑みを浮かべて、サクラを見ていた。

 

「映画に行ったって、言ってたよ。何度も何度も聞かされて、うんざりしてたんだ。俺」

 

 それは、詳しく覚えていないと言った母の娘自慢だろう。

 内容は何だっけとごちる彼から、サクラはそっと視線を逸らす。

 切っ掛けを貰えれば、その記憶がよみがえってくる。思い出したくなくても、思い出してしまう。

 

「レオンの冒険。ヒロインはルーシー。帰り際に、わたしがレオンのキーホルダーが欲しいって、凄くごねたの。そしたらお母さん、『本物のピカチュウを捕まえてやるから我慢しなさい』って。そこでお父さんが、『その方がよっぽどお金がかかるよ』って。馬鹿みたいに、笑って……」

 

 こみ上げてくる熱は、怒りじゃなかった。

 かつて枕を濡らした時と同じ。

 強い孤独感からくる寂しさ。悲しみ。

 ふとすれば、視界はあっという間に滲んで、溢れ出た。

 

「ずっと観たかったの。だから何度もお願いした。それで漸く連れてってくれたのに、何で形に残るものを買ってくれないのって、わたし、凄く泣いた……我儘言った。だけど、だけどお母さんがどうしても許してくれなくって……結局、買って貰えないままで。だけど……その日の夜に、誕生日の、プレゼントで……」

「キーホルダー、貰えたのか?」

 

 サクラは首を横に振る。

 ふと気が付けば、泣きながら笑っている自分がいた。

 声を上ずらせて、嗚咽混じりなのに、思い出したエピソードが、可笑しくて、可笑しくて。

 

「パパとママ、二人そろって、ピカチュウとプリンのコスプレして、『パパがレオンだ』『ママがルーシーだ』って……」

「うわぁ……」

「酷いでしょ? 馬鹿みたいよね! わたし、泣きながら二人に『大っ嫌い』って言って、部屋に閉じ籠っちゃったもん」

 

 そんな、何でもない風景が、一度蓋を開ければ溢れ返らん勢いで飛び出してくる。

 ケンタロスかミルタンクだと書かれたのも、写真を撮られた記憶はなかったが、落書きしている母を自分が見ていた。止めろよって言いたいけれど、それも記憶の一つ。

 家族写真を撮った時だって、『サクラの名前は、この樹からのプレゼントだよ』と、父が言った。写真を撮ってくれたのがウツギ博士だという事さえ、思い出せる。

 忘れる訳がなかった。

 忘れようとしていただけなんだ。

 そう突きつけるように、溢れて溢れて止まらない。

 

「逢いたい……逢いたいよぉ」

 

 ふとすれば、サキの身の上なんて頭から消えてしまって、サクラは駄々を捏ねるように泣いた。サキは隣に座り直して、俯き、すすり泣く、サクラの背を黙って撫でてくれていた。

 優しいお父さんの姿。

 面白いお母さんの姿。

 脳裏によみがえった二人の姿は、今や霞みようがない程鮮明だった。

 もう忘れようがない。

 もう忘れられる気がしない。

 だって、二人は生きているのだから。

 どれだけ意地を張って、目を背けても、二人に逢いたい気持ちは隠しようがない。

 口や思考は嘘をついても、心は嘘をつけない。

 サクラは欲しがった。

 二人の温もりを。

 二人との新しい思い出を。

 キーホルダーを欲しがる子供のように。

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