珠世さんの風俗体験記   作:ふぅん

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初めての遊郭 ~遊女との出会い~

 夕刻、珠世の薬屋に常連の女性客が訪れた。つい数年前に夫を事故で亡くし、心の病から来る不眠症に悩んだ末に睡眠薬の処方を依頼しに来た未亡人だ。

顔色が以前に見た時よりも幾らか良くなっていることを認めると、珠世は薄く微笑んでいつも通りの睡眠薬を処方する。

 

「こんばんは、かよこさん。随分顔色が良くなられましたね。」

「ええ、珠世先生のお薬のおかげもあって眠れる日が増えましたの。」

 

 袂から巾着を取って支払う銭を数える"かよこ"からは、表情に陰を残しながらもどこか浮かれた様子が見て取れた。

 

「それに三重やに行くとよく眠れて…」

「三重や?」

 

 はたと"かよこ"は口を抑えて目を泳がせた。いかにも後ろめたいことがあるような"かよこ"を、生来気立ての良い珠世は声を潜めて問い詰めた。

 

「かよこさん、まさか阿片やらに手を付けてはいませんね? 自棄を起こしてはいけませんよ」

「あっ、いえいえ、違います。決して良からぬことでは…」

 

 勘定用の机を挟んで疑いの目を向ける珠世にあれやこれやと弁明した"かよこ"は肩を落として小さくなっていき、終いには溜息を一つ吐いて軒先を確認すると声を潜めて話し出した。

 

「本当に悪事に手を染めてはいませんから、ご心配なさらないで?」

「それならば良いのですが、どうかお気をつけてくださいね。」

「……あの、良かったら先生も三重やに行かれませんか? 先生には良くして頂いていますし、ご恩を返すということで私の方から紹介致します。幾らから気が紛れるかも……私と先生は似ているから。」

 

 珠世の世話になり始めた頃、心の持ちようがどん底に沈んでいた"かよこ"に自身も家族を失った身であることを明かして信頼を得た経緯があり、特に心配していた"かよこ"から恩返しとまで言われると珠代も無下にし辛いというのが正直な心情であった。

また一方で、"三重や"とかいうものが傷心の未亡人に付け込んだ悪徳商人か、あるいは鬼舞辻無惨の手の者ではないかという疑念も存在した。

 

「かよこさんがそこまで言われるのであれば、一度だけ…」

「まあ! じゃあ、お店にお話しておきますね。」

「お店? 何の商いをされているのですか?」

 

 客は困り果てて苦笑しながら頬を桃色に染め、一際声を潜めると耳打ちした。

 

「遊郭です。」

「(はっ?)」

 

 珠世があんぐりと口を開いて客を見ている間に、そそくさと代金を置いて薬を袂にしまった"かよこ"は何度も頭を下げて店を出ていく。

何か言わなければならないと頭では理解していたが、その時の珠世は衝撃から言葉が出ないまま"かよこ"を見送ってしまった。

 

 そして、三日後の夜、その時がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やや離れた一本道から路地に入って色街へ近づくと、ぽつりぽつりと夜鷹の姿が現れ始め、浮世離れした世界が広がる。

提灯の明かりを頼りに進む"かよこ"の背中から肩をぽんと叩き、困惑した声音で珠世が問いかけた。

 

「ねえ、かよこさん。私体を売るつもりなんかありませんよ? あなたも捨て鉢になってはいけないわ。」

「もちろん、私も先生にそんなこと勧めるつもりありません。お客として行くんです。」

「いえ、陰間茶屋だって私は…」

「私だって旦那以外の男に抱かれるなんてお断りですよ。女のひとに会いに行くんです。」

 

 珠世はほとほと困り、頭を悩ませた。体を売るでもなく、陰間茶屋で買うでもなければ、女を買うしかないのは分かるが、自分も"かよこ"も女色の質ではない。

何が目的なのか見当もつかなかった。

 

「この角を曲がったお店なんです。」

 

 路地から路地へ折れた先に遊郭の勝手口がある側が並んでいた。下女が水仕事をしている店もある中、"三重や"と書かれた暖簾がかけられた中見世の遊郭の勝手口を"かよこ"が訪ねる。

勝手口から顔を覗かせた30過ぎの遊女に"かよこ"が幾らか話すと、遊女は首を傾げて珠世を見遣った。

 

「アンタが珠世さんね。話は聞いてるから入んな。朱雲が待ってるよ。」

「えっ? えっ?」

 

 遊女に引っ張られ、笑顔の"かよこ"に見送られて珠世は遊郭の奥の部屋へと連れていかれた。遊女は襖を開く前に注意点を教えると、膝をついて静かに襖を開いて見せた。

 

 

 

 

 

 朱色の反物が簾の様に屏風や天井から吊り下げられ、蝋燭の仄かな明かりが照らす部屋の中に、床まで届く絹の様に滑らかな光沢を放つ黒髪が目を引く遊女が座っていた。

目尻が垂れて柔らかな印象を受ける双眸と朱色の紅を引いた薄い唇に微笑みを浮かべた遊女は珠世をじっと見詰める。

 

「(何て美しいひとなのかしら…)」

 

 一級の漆器のような女性だと感嘆していた珠世に遊女が手を差し伸べた。

半ば反射的にその掌に自らの掌を乗せると、二人の白魚の様な指が絡み合い、珠世を座るように導いた。

目の前に座り、より間近で見詰め返す遊女がにこりと笑顔を浮かべる。

 

「わちきは朱雲でありんす。今宵、主さんをお世話しなんす。」

「そう、なのですか。」

「そうでありんす。」

 

 少し低い落ち着いた音色の廓言葉で話す朱雲太夫は繋いだ手に視線を落とすと、珠世の左手を両手で包み込んで優しく摩った。

いいこいいこ、頑張り屋でありんすね、と労わって摩って暖めて貰えば、いつしか忘れていた疲労感がじんわりと蘇る。

少し気恥しくなった珠代の動揺が伝わったのか、摩られている手の人差し指が痙攣した。

 

「ここにはわちきだけでありんす。力を抜きなんせ。」

「は、はい…」

 

 左手を終えると今度は右手を取り、同じように摩り始めた。朱雲はそうしながら再び穏やかに話を始める。

 

「案内をした者からわちきがどういう女か聞いたでありんすか?」

「いえ、他とは違う人だから任せるようにとだけ…」

「わちきは表のお客をお世話する女ではござりんせん。表に来られないお客のお相手でありんす。」

「それは女色の人、ということでしょうか?」

「いんえ、そういうお客だけではござりんせん。ただ、縋れる相手がおらず、苦しくて寄りかかれる人が欲しい。されども故あってそんな相手を捕まえることもできない。そんなお客も良く来なんす。」

 

 珠世は得心がいった。あの未亡人はこの遊女に縋り、安らぎを得ることができたのだろう。

蝋燭の火を見詰めながら、珠世はけれどもと自嘲した。自分は違う、救われることはないのだと。

 

「主さんは初めて来た時のかよこさんと同じ顔で笑っていなんす。」

「……かよこさんと私は違います。私は誰かに縋っていい者ではありませんから。」

「けったいなことおっせえす。良いではありんせんか。だぁれも見ちゃおりんせん。」

 

 するりと朱雲の手が伸びて簪を抜くと、一本挿しにされていた珠世の髪がはらりと降りた。

 

「あっ。」

「膝の上に来ておくんなんし。……よいせっと。そう。いい子でありんす。」

 

 珠世のことをぐいと抱き寄せた朱雲は膝の上に彼女を座らせると、胸元に預けさせた頭を優しく撫でた。

子供を寝かしつけるように柔らかい手つきで頭を撫でられる珠世は人の温もりに包まれながら体をゆだねる安心感を随分久方ぶりに感じていた。

ほんのわずかに朱雲の心音が預けた側の耳に届く。

 

「よしよし。どうぞ母と思って甘えておくんなまし。」

 

 心地のいい声で"ねんねんころりよ"を歌う朱雲の腕の中で、無意識にほうと深い吐息が漏れた。

置き所をなくして胸元で縮めていた腕を朱雲の背中側に導かれ、珠世の方からも抱き着く形になると、幼少時代の最早微かにしか思い出せない母の面差しが珠世の頭に浮かんだ。

復讐のために頑なに凍らせてきた心が溶けるような、そんな不思議な音色の子守歌に耳を澄ませている内に、自然と時間の感覚が消えていく。

 

「ねんねんころりよ、おころりよ…」

「(――――――……。)」

 

 ぐったりと脱力した珠世はいつしか自身がうとうとと微睡んでいることに気付いた。

鬼になってから眠気すら感じたことのなかったそれに夢見心地で驚きながらも、ぷつりぷつりと睡眠と覚醒を繰り返す。

やがて完全に寝入った珠世を起こさないように抱えたまま布団に横になった朱雲は背中を優しく叩いてやりながら子守歌を歌い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うぅ…ん…?」

 

 深い眠りから目覚めた珠世が最初に目にしたのは朱色の着物と、ふくよかな乳房の谷間だった。

寝起きの働かない頭では理解できず、体を起こそうとして抱き締められていることが分かる。背中に回された腕に抱き寄せられて谷間に顔を埋めた珠世は甘い香りのする相手を強く抱き返した。

 

「母様…」

「ふふ、甘えん坊さん。」

 

 寝ぼけ眼で相手の顔を見上げて、その見知らぬ顔を見た珠世の心臓が跳ねた。混乱の渦の中で眠りに着く前の記憶が蘇って自身が熟睡したことに驚愕しつつ、初めて会った相手と同衾したことや寝ぼけて母と間違えたことを思って顔が火照る。

 

「あぁん、大丈夫でありんす。母様の腕の中で二度寝しなんし。」

「いや、あの、本当に……堪忍してください…」

 

 やんわりと引きはがそうとする珠世を抱いたまま、朱雲は櫛を通すように頭を撫でる。

 

「……主さん、おゆるしなんし。寝言を聞いてしまいんした。」

「わ、私は、何を言いましたか…?」

「旦那さんとお子さんに謝って、泣いていんした。ずっと、辛かったんでありんしょう?」

 

 珠世は自らの目元に触れて涙の跡に触れた。何故だか、胸が苦しくなり、止めどなく涙が溢れた。

 

「すみませんっ…こんな…」

「好きなだけ泣きなんし。わちきがうんと慰めてあげんしょう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、ちーん。」

「……ちーん…」

 

 鼻紙を屑籠に入れた朱雲は手拭いで涙の跡が残る珠世の顔を拭う。顔がさっぱりとした所で唇を重ね、こする様にして顔を離した朱雲は朱色の紅が移った珠世を見て微笑んだ。

 

「やっぱり朱色がよく似合いんす。わちきの紅で引いてあげんしょう。」

「……はっ。今、接吻をっ…」

「ふふ、挨拶でありんすよ。」

 

 小指で薄く唇に紅を引き、櫛で髪を梳かして珠世の身支度を整えた朱雲は部屋の隅に反物をかけて隠しておいた杖を手に取って立ち上がった。

医者としての珠世の目は彼女の片足が不自由であることを見抜き、そっと腕を組むようにして立ち上がる朱雲を支えた。

 

「気が利くのでありんすね。驚かずにすぐ支えなんしたのは主さんが初めてでありんす。」

「私は医者ですから。診察致しましょうか?」

「またいつかお願いいたしんしょう。」

 

 腕を組んだ二人はゆっくりと勝手口の方へ向かった。普段は支える役目の禿はその様子を見て目を見張ると道を開けて見送っていく。

 

「そういえばお代は幾らお支払いすれば良いでしょうか?」

「今日の分はかよこさんからくだすったからようざんす。次わちきを買う時は一分でありんすよ。」

「一分、ですか。」

「また母様に会いに来てくんなまし。」

「こほん! 考えておきますね。」

 

 勝手口の内外で向かい会い、最後に頭を撫でて見送る朱雲を三度振り返りながら、白んできた空の下を歩いていくその肩は"三重や"を訪れる前より随分軽くなっているように思えた。

大通りに繋がる路地へ入る角を曲がる瞬間、ちらと見遣るとまだ勝手口から見送る朱雲がいた。

人間より眼の良い珠世は見送る彼女の穏やかな微笑が鮮明に見える。

 

「…………。」

 

 角を曲がった先で思わず屈みこんでしまった珠世は朱色に火照った頬に手を当てながら深い深い溜息を吐いて小さく呻いた。












読了ありがとうございます
珠世さん好きですが、描写しやすい特徴ないので桜餅柱とかアオイちゃんにしたら良かったなと思いました
主人公としては描いてないんですが、こういうのもオリ主タグつけた方がいいんでしょうかねぇ?
久しぶりすぎて何が悪いとか自分で分からなくなってしまったので是非感想をお願いします。
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