珠世さんの風俗体験記   作:ふぅん

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芸子遊び ~昔話を朗々と~

 

 

 

「今宵も朱雲がたまよ様をお世話しなんす。」

 

 初めて"三重や"で遊んでから八日後の夜、三度目の来店。

遊郭では三度同じ遊女を買ってようやく常連客として認められる風習がある。二度目までは名前すら呼ばれることはなく、表の遊女であれば触れる所かまともに見向きすらされないことも極当たり前のことだ。

朱雲に自分の名前を呼ばれた珠世の顔が華やいだ。口元に自然と笑みを浮かぶ。

 

「名前を呼んで頂けるのがこうも嬉しいことなのだと初めて自覚しました。」

「それはようござんした。…今日は髪をまとめてないのでありんすね。美人画も霞んでいんす。」

 

 さっと頬を桃色にした珠世は思わず眼を伏せてもごもごと礼を言いながら髪を撫でつけた。昨今の流行りは英吉利結びやマガレイトといった西洋巻きであるし、髪をまとめずにいること自体があまり良しとされない。

夕刻から姿見に向かってああでもないこうでもないと、美しく見える流し方や顔の角度を考えた努力が報われた。

 

「今日は琵琶でもと。一緒に歌いんしょう?」

 

 べん、と持ち出した琵琶を掻き鳴らした朱雲は流行りの歌を口ずさむ。

しかし、珠世は困った様子で小さくなると流行りの曲には疎いと言って、代わりの曲名を言った。

 

「また随分と古い曲でありんすね…江戸の終い頃の曲じゃあありんせんか…?」

 

 べん、べん、と思い出しながら琵琶を弾いて口ずさむと、懐かしそうに目を細めた珠世が諳んじる。

普段物静かに話している様子からは意外なほど珠世は歌が達者で、琵琶を弾く朱雲にも自然と熱が入るというものだった。

珠世も長い人生で聞いた琵琶の音色の中でも指折りのそれに聞き惚れた。

時に声を合わせ、時に合いの手を入れ、数え歌を唄いながら遊んだ頃の童心に帰る。

 

「今度はたまよ様が引いてくだしんす。」

「琵琶の心得はありませんけれど…」

「わちきが教えんしょう。」

 

 琵琶を手渡すと、朱雲は背中に寄り添うように座り、珠世の手をかぶせるように握る。左手は柱を支え、右手には撥を握らせて基本的な弾き方を教えると、まずは一音。

かすれた音が小さく鳴る。

 

「難しいですね…」

「鳴るだけ良いでありんす。店の禿にゃ鳴らない子もおりんすえ。」

 

 基本の手つきを珠世が覚えた後は、後ろから抱き締める朱雲が肩越しに指南して練習曲を弾いた。

一音一音止まりながらただ順番通りに音を出しただけで、演奏とは呼べないほどたどたどしいものだったが、数小節分も弾いてみると達成感はひとしおのものだ。

最後の一音を鳴らした珠世は顔を輝かせて喜んだ

 

「弾けた…弾けました。全部音が出せました。」

「よく頑張りんした! ご褒美に一曲弾いてあげんしょう。」

 

 座りなおした朱雲が琵琶を構えると、まるで別人のように彼女の雰囲気が鋭くなった。

一瞬の間をおいて、両手が生き物のように動き出す。激しい曲調で女の燃えるような慕情を唄った一曲だった。

惚れた女が会えない時間を苛々と過ごし、身内であろうと他の女と話す姿を見て嫉妬で焦がれ、独占欲で気が狂いそうになる女。

それを朗々と唄う。最後はそれほど愛した女の元から男が去り、茫然自失の女は桜の木の下で心臓を突いて死んでしまうという話だった。

 

「……終いでありんす。」

「初めて聞く唄でした。」

「そうでありんしょうね。わちきが作った歌でありんす。清少納言や紫式部みたいに物書きを目指そうかと思ったもので。」

 

 曲が終わるといつもの朱雲に戻ったが、創作とは思えないほど真に迫っていた。珠世はその歌が朱雲自身を曲にしたものだと直感する。

朱雲が身を焼かれるほどの恋に焦がれて、遊郭の格子から男に見惚れていた姿を。

他の遊女に袖を引かれる男に嫉妬する姿を、脳が想像する。

心臓が強く拍動し、不快感が胸から広がって、珠世は嫉妬の火が点いたことに気が付いてしまった。

 

「(感情の制御ができないのは未熟者。)」

 

 相手は遊女。自分は数いる客の一人に過ぎず、相手もどうせ一時の縁ができただけの人間。

珠世は自分にそう言い聞かせて微笑んだ。嫉妬してしまった以上、珠世自身が朱雲に心惹かれていることは否めない。

夫と子供への愛情は今も変わらない。

しかしだ。

 

「…………」

「黙りなすってどうしたでありんす?」

「何でもありません。」

「何だか怒っちゃおりんせんか。」

「怒ってなどいませんよ。」

 

 琵琶を置いた朱雲は何も言わずに背中から抱き締めると、近くの屏風にかけてあった反物を自分たちの頭の上からかぶせた。

薄暗い布の下で、珠世の耳に息がかかり、唇が触れるほど近くで申し訳なさそうな声で囁く。

 

「もしかして、気付いてしまいんしたか? わちきのことだと。」

「ええ。」

「……申し訳ありんせん。忘れてくんなまし。」

「絶対に嫌です。」

 

 ぎょっとするほど硬い声で突っぱねた珠世にたじろいだ朱雲は小さく溜息を零した。

 

「昔の話でありんすけども。」

「はい。」

「聞くんでありんすね…」

 

 朱雲は滔々と語った。

 

「わちきがまだ表で、それこそ大見世の太夫として客をとってた頃でありんした。」

 

 

 

 

 

 瑞々しい容姿と匂いたつ色気、甘い声音と達者な琵琶。

朱雲は通常ありえない若さで太夫となり、大見世の看板娘の一人として人気だった。

数えきれないほどの男を魅了し、名声と金と愛を一身に浴びて幸せだった。

その辺の政府高官よりよほど裕福で自由なほどに。

 

「我ながら高慢ちきな小娘だったでありんす。心の底から自分が日の本一の女だと豪語するくらいには。」

 

 ある日、店に若く器量良しの金持ちの男が訪れた。男は店で一番の太夫の常連となるつもりで三度目の来店だった。

そこに、朱雲が居合わせた。一目で恋に落ち、御法度と知りながらも男を誘って、つまるところ客を奪った。

男も自身に夢中の若い太夫に惚れ込んだ。

 

「歌の通り、惚れた腫れたをしたでありんす。しばらくして相手の男に身請けしたいと言って貰いんした。」

 

 好い男に身請けされて妻となるのは遊女の夢だ。朱雲は舞い上がった。

 

「べらべらと自慢げに吹いて回って、終いに堪忍袋の緒が切れた誰かに火にかけた油をひっかけられたでありんすよ。」

 

 片足に酷い火傷を負って醜い痕となり、歩くこともままなくならなった傷物の遊女の身請け話は空に消えた。

朱雲は裾をめくって膝の上まである奇天烈な靴下を履いた脚を示した。

 

「足のお医者代とこの靴下…木綿は痛むもので絹で特別にしつらえたでありんすけど、貯えなんかしてなかったもんだから、すっかんぴん。」

 

 かくして、悪評もついた朱雲は太鼓新造と槍手のようなものとして払い下げられた。

 

 

 

 

 

 

「とまぁ、心臓を突いて死ねるほど格好のついた女でもありんせんもので。あの歌は半分嘘でありんす。」

 

 恥ずかしそうに笑う朱雲の、腹を抱くその腕を解いた珠世は暗い布の中で向かいあって抱き合った。

お互いの瞳を覗き込み、どちらからともなく唇を重ねた。

どちらも傷の舐めあいだと理解していたが、不思議とそれが後ろめたいことだとは感じなかった。

背中を摩りまさぐり、時間も忘れて夢中で接吻をして、ついに最高潮に気が昂った珠世が肩を掴んで畳の上に押し倒した時。

 

珠世の足先に硬いものが当たり、かちゃんと床に何かが落ちる音がした。

 

「?」

「あっ、燭台が…」

「や、やだ! 大変!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「危なかった…」

「たまよ様、火傷はしておりんせんか?」

 

 倒れた燭台を元に戻して、蝋が零れた場所を見やった珠世は深々と頭を下げた。

 

「本当に申し訳ありません。」

「気にしないでくんなまし。ちゃんとお連れしなかったわちきが悪いでありんす。」

 

 申し訳なさで真っ青の珠世に笑って見せた朱雲は赤と朱の紅で口元がとんでもないことになっている珠世を見て、さてどうしたものかと思案した。

朱雲は切り替えて"続き"に励むこともできるが、相手はそうもいかない類の人柄だろう。

 

「それで。続き、いたしんしょうか?」

「……ぃぇ…」

 

 耳まで赤くなった珠世は三つ折りになって小さくなってしまった。

まぁまぁ、と慰めながら布団を敷いておき、部屋の外に顔を出して寄越してもらった手拭いで二人の紅を拭う。

 

「さて、今宵は申し訳ありんせん。わちきの不手際でたまよ様の心意気を乱してしまいんした。お許し頂けるのあれば何なりとお申し付けくんなまし。」

「いえ、そのような。私こそ謝らせて頂きたいと…」

「万が一もないようお世話しんすのがわちきらの務めでありんした。どうぞ、仕置きと思って言いつけてくんなまし。」

 

 朱雲が三つ指を突いて頭を下げると、珠世は困ったが、そういうものとしてけじめをつける方が良いのだと言われると引き下がらざるを得なかった。

さぁ何でもどうぞと言われてすぐに思い浮かんだのは、どたばたする前の夢のような口吸いだったが、それ自分から求めるのは乙女の恥じらいが憚った。

 

朱雲は悩ましい面持ちの珠世が唇を中指の腹で撫でて考え込んでいる様子を見て、身を乗り出して紅を拭った後の仄かに色づいただけの唇へ改めてちぅと口吸いをした。

 

「――――…。」

「今のはわちきがしたくなっただけでありんす。お申し付けは別にくんなまし。」

 

 ふわふわと何だか妙に嬉しいという感情が湧き、珠世は無性に力一杯抱き締めて貰いたい気分だった。

 

「そ、それでは思い切り抱き締めて頂いても良いですか?」

「真心込めて抱かせてもらいんす。」

 

 背中と腰に腕が絡みつき、ずいと朱雲の膝の上に乗せられると着物の袂もあって体がすっぽりと朱雲に包まれているようで、珠世の心臓はあっという間に鼓動を速くした。

ゆっくりと力が入り、互いの体に挟まれた腕が動かせなくなってもまだ物足りない。

 

「もっと強く、痛いくらい強く抱いてください…」

「まあ。おかしなひとでありんすね。」

 

 掴まれた腕と腰にじんわりと痛みが走り、"ぬくい"体に押し付けられて肺の息が押し出される。

長い孤独の時間でどこかに空いてしまった隙間が埋まるような、どこか悲しいのに堪らない歓喜がこみ上げた。

 

「ぁ、ぁあ……はぁぁぁーー………」

 

 恍惚の声を上げて肩に顎を預けた珠世は一晩中そうしていたいとさえ思えた。

 

「もっと強く?」

「はい、もっと。もっともっと強く捕まえてください。」

「ぷっ、あはは! おかしなひと! 酷く痛いでありんしょう!?」

「だって、堪らないの! 痛くて嬉しくて!」

 

 二人は泣くように笑った。額を擦り合わせ、笑いながらごろりと寝転がり、珠世の二本の脚と朱雲の動く方の脚も絡めあい、その身の全てを分かち合いながらくたくたに疲れるまで笑った。

この時、二人は決して同じ道を歩むことはないと知りながら、いつか忘れてしまった愛しいひとと一緒にいる幸せを与え合っていた。

それは後に運命のうねりを変える一つの礫となるとは露知らず。

 

 

 

 

 

 

 

 




求柱です
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