『鳴女、産屋敷に太陽を克服した娘が匿われているか調べろ。』
無惨の命令が鳴女の頭に響く。新たに発現した血鬼術で太陽を克服したという鬼を探していた小間使いの一つを屋敷に忍び込ませた。
産屋敷の注意が無惨に集中している間に、屋敷の全ての部屋を見て回ったが、それらしい者はいない。
『太陽を克服した鬼の姿はありません。』
べん、と琵琶を掻いて小間使いを戻すと、産屋敷を俯瞰できる場所にいる別の小間使いを放って監視する。
各地に放っている小間使いの視界も確認するが、今の所は暴いた隠れ里に対象の姿はない。
不意に、産屋敷から戻っていた小間使いの視界が暗転する。
―――…鬼舞辻の放った目ですね。
―――…どこまでも臆病な男。
小間使いを通して聞こえる女の声がどこか懐かしい。
「(懐かしい?)」
無惨の血に適合する際に鬼になる前の記憶を失った鳴女は声の主を見るために小間使いを操ったが、所詮は見聞きするだけの末端部分では握る力に抗えなかった。
代わりに産屋敷を俯瞰していた目を動かす。見えたのは見目麗しい婦人だった。
「たまよ様…」
無意識にその女性の名前を呼んだ鳴女ははてと首を傾げる。
何故、この女性の名前を知っているのだろうか。何故、こんなにも胸が痛むのだろうか。
失った記憶と鬼になっても動くことはなかった脚がじくじくと痛んだ気がした。
「(私にとって大切な人だったのでしょうか。)」
会ってみたい。話してみたい。連れてきてしまおうか。
琵琶を鳴らそうとしたその時、産屋敷が爆発した。
無惨との意識の繋がりが途切れ、頭を吹き飛ばされたようだと悟る。
死にはしないだろうと小間使いで眺めていると、炎の中から半身が消し飛んだ体が再生しながら起き上がるのが確認できた。
同時に、鬼殺隊の柱が現れ、鉄球が振りかざされるのも。
首から上が吹き飛ばされた無惨との繋がりがまた途切れる。
「(痛そうですね。)」
特に指示もなく、監視を続行していた鳴女は黒い杭で体の内側から貫かれて動きを封じられた無惨が刻まれる様を眺める。
「あの方は…」
記憶を刺激する女が無惨の体へ腕を突き刺した。視ることに特化した鳴女はその腕に何か握りこまれているのが見える。
―――…珠世!! 何故、お前がここに…
―――…この棘の血鬼術は貴方が浅草で鬼にした人のものですよ!
彼女は鬼を人に戻す薬を投与したのだという。
―――…お前の夫と子供を殺したのは誰だ? 私か? 違うだろう! 他ならぬお前自身だ! お前が食い殺した!
―――…そんなことが分かっていれば私は鬼になどならなかった! 病で死にたくないといったのは! 子供が大人になるのを見届けたかったからだ!
「(可哀そうなひと。)」
―――…その上お前は! 朱雲まで奪っていった!
「(朱雲。懐かしい響き。どこで聞いたのでしたか。気になる…気になります…)」
つぷりと耳の穴に蛇のように動く髪束が入り、鼓膜を破り、肉と頭蓋を割り、脳へと到達する。
くちゅりくちゅりと神経を絡めとり、脳の一部を傷つけては再生し、大きな一つ目から血の涙を流しながら大脳皮質を刺激した。
いつだったか、気持ちの悪い上弦の一人がやっていた気持ちの悪いやり方だったが、予想だにせず役に立つものだ。
「ぁ…あぅ、が、ぃ? あぐ…」
光が視神経を焼くように視界が閃光で真白になる。連続性がない静止画を次から次へと見るようにして、記憶が弄り出されていく。
「な、ぁ、ぇ…わ、ひき、あ、あ…あが、ぅお?」
ぐるんと瞳が裏返り、わななくようにのけ反った鳴女の耳からずるりと脳漿と血に塗れた髪束が抜けた。
深い愛情から来る底知れない怒りと悲しみの匂いを放つ珠世の背を追うようにして、竈門炭次郎は日輪刀を翳す。
陽が昇るまで殺し続けるために、無惨が一秒でも長く行動できない時間を増やすため。
一足飛びの間合いまで詰め寄り、日の呼吸で首を落とさんとするその時。
踏みしめた地面が土ではなく紙に変わった。
脚が踏み抜いたそれが障子戸だと気付いた時には無惨も他の鬼殺隊も、真っ逆さまだった。
障子戸や畳、板壁、家屋の一部が無限に連なってできた空間を落ちるように走る。
隣を同じように走る富岡義勇と共にひた走り、行く先に現れた"朱一色の襖"を蹴り破った。
「なにっ!?」
抜けた先で瞠目する無惨と視線が重なる。無惨を取り囲むように鬼殺隊の誇る柱たちが虚空に浮かぶ襖から飛び出し、同じように驚愕しながらも型を繰り出した。
首が爆ぜ、腕が削げ落ち、臓腑を貫かれ、無惨の肉体機能が一時止まる。
「何が起こった!」
「分かりません! 導かれるようにここまで走らされました!」
「止まるんじゃねェ! 殺し続けろォ!」
この時、炭次郎だけがその特異な嗅覚で激しく動揺する珠世の匂いと、同じ空間に潜むもう一人の鬼の存在を感知していた。
無惨に斬りかかりながら周囲に目を走らせても姿は見えない。
「炭次郎さん、私の腕を斬ってください!」
炭次郎が身を翻す前に左腕を中ほどから失った珠世が風柱に蹴られて鞠の様に飛んでいった。
起き上がって誰かの名を呼んでいる珠世の姿に安堵し、即座に無惨との戦いに意識を切り替えた瞬間。
半身を失った無惨の体から鞭のような触腕が生えて辺りを薙ぎ払った。
僅かな隙に頭を半分ほど再生した無惨が叫ぶ。
「何をしている、鳴女!!」
べん、と琵琶の音が鳴った。
その場にいた者たちは視線を上げて壁の窪みで琵琶を抱えている女の鬼を見る。
長い髪で顔が隠したその鬼は艶やかに笑っていた。
「ようこそ、鬼殺隊の皆々様。今宵、お世話いたします。」
――――…朱雲です。
べん、と琵琶が鳴って無惨が"床を踏み外す"
頭から臍まで霞柱の日輪刀が無惨を唐竹に割る。
無惨が蘇る。
また琵琶が鳴り、今度は水柱の日輪刀が首を跳ねる。
呪いに侵され、全身が毒々しい色で染まった鳴女は無惨を殺して意識を寸断させ続けることで辛うじて生き永らえていた。無惨が僅かでも明確な意識を持って力を振るうことができる時間を作ればたちまち呪いで爆ぜて死ぬだろう。
救いは他の上弦の鬼は無限城から放り出せば良いことだった。外で多少暴れることはあるだろうが、中に閉じ込めたまま駆けつけられないように意識を裂き続ける余力は既に鳴女にはないからだ。
いつか追放された無限城に出入りできる力を持つ下弦の鬼が死んでいて良かったと心底思った。
「日の出まで後十刻ほどです。」
全身を焼くような痛苦を堪える。眼下で泣きそうな顔で見上げる珠世を見れば、幾分か楽になった。
細胞が死んでいく呪いから血鬼術を使うのに必要な部位を維持するため、鳴女は耳と舌と内臓のほとんどと膝から下の脚を捨てた。
腐り果てた部位が爆ぜて膿と血と崩れた肉をまき散らす。
「(嗚呼、わちきの名を呼んでいるのでしょうか。)」
眼球も膿んでいるのだろう。ぼんやりと霞む珠世が何か自分に叫んでいるのが鳴女にも見えた。
ごぼりと腹からせり上がる内臓だったものを吐きながら、一際強く琵琶を弾く。
「(そういえば、いつかこうしてたまよ様にも琵琶を弾いてあげんしたかね。)」
「(たまよ様はわちきの何でありんしたか…母様か姉様か…それとも友達でありんしょうか。)」
「(そう。お客。お客でありんした。)」
何度も何度も、百では利かぬほどに無惨を殺した頃、もうほとんど暗くなった視界の端に影が動いた。
胸から上がない無惨の背骨が竹の様に伸びて、刺し殺そうとしたらしい。
目をうろうろと動かすと、右半分が無地の紅紫で左半分が亀甲柄の羽織が目の前にあった。
「おか、しな、はお、り…」
「俺の羽織はおかしくない。」
何かおかしな羽織が喋ったような気がしたが、鳴女は脳の細胞も腐りつつあるからだろうと思った。
「分かったか? これが私とお前たちの差だ。上弦が一人寝返った所で埋まるべくもない違いだ。
いい加減にしてくれないか。迷惑しているんだよ、私は。天災に見舞われて身内が死んだからと言って何百年も恨み言を吐きながら空に剣を振るうなど正気じゃない。
全く、お前らは気が触れているよ。」
そう嘲る様に嘯いた無惨は動かなくなった鳴女を見やった。
「愚か者が。上弦の肆ともあろう鬼が下等生物と慣れ合い、醜い骸を晒すなど…恥を知れ。」
全身が腐り落ち、琵琶を抱いたまま動かなくなった鳴女の頭がぱちんとはじける。
ぐらりと傾いだ体は壁の窪みから転げ出て、濡れた音を立てて畳に落ちた。
濁った体液と血が骸から流れ出ていった。
鳴女の体を抱き上げて咽び泣く珠世をうんざりした顔で見た無残が炭次郎に言う。
「諦めがついたろう。竈門禰豆子を差し出せ。」
「朱雲! 朱雲!」
「?」
「ぼっとしてんじゃないよ! 琥珀の間に行きな! 客だよ!」
「あ、あら? そうでありんしたか? 申し訳ありんせん…」
「ったく、太夫になったからってつけ上がってんじゃないよ。」
「はいはい。」
すたすたと階段を駆け上がり、一番奥の部屋の前へ行く。
中に人の気配を感じ、静かに襖を引いて開けると、つんと澄ました態度で中に入る。
見たことのない男だった。初見さんならば会話はしない。
「(貧乏臭い男だこと。わちきをまた買う金子はありんせんね、こりゃ。)」
にこにこと優しい笑みを浮かべた男を無視して朱雲は上座に着く。
「こんにちは、朱雲さん。」
「(無視無視。)」
「今日はお礼を言いに来たんだ。家内に良くしてくれて、ありがとう。」
怪訝そうに眉を顰めた朱雲は男に目をやった。
「あれは病で臥せってしまってからも気丈でね。自分はもう治らないから、薬を買う金で子供をちゃんと育ててくれって言われたもんだよ。」
「(家内に子供もいて遊郭とは太いこって。)」
「だから、終ぞあんなに苦しんで葛藤しているんだって気付いてやれなんだ…
僕がもっとしっかりしていればあんなのに誑かされてしまうこともなかっただろうに…」
男はいつの間にか膝の上で寝息を立てる子供を撫でていた。
その子供の横顔はどこか見覚えがあって、愛おしいという感情が胸からせり上がる。
「重ねて、家内を好いてくれてありがとう。
君はまだ引き返せるから――――」
「珠世をどうかよろしく頼みます。」
「(たまよ様――――…?)」
無惨と鬼殺隊の戦いは凄惨を極めた。
半数の柱が負傷で戦闘を離脱し、痣を浮かべた柱だけがその命脈を燃やして戦い続けている。
無限城の中に残ったただの鬼の討伐や、柱を生かすためだけの身代わりとなって無数の隊士が散っていった。
そうして血の雨が降り注ぐ中で、珠世は首のない骸を抱えて茫然としていた。
熱が抜け落ち冷たくなった掌を握り、何をすべきかすらも分からないまま。べん
「朱雲さん、朱雲さん、起きて? 起きて頂戴?」
べん
止めどない涙の雫が朱雲には似合わない黒い着物に滴って、吸い込まれていく。べん
「私、ずっと探していたんですよ、貴女のこと。それなのに、こんなの酷いわ。私だけおいてゆくなんて。」
べん べん べん
べん
「お願いだから…」
べん
琵琶の音が鳴る。
無限城の全てが塗り替わっていく。
障子戸は朱色の襖に。
白塗りの壁は朱塗りの壁に。
全てが全て、朱に交わって赤くなっていく。
「これ、は」
振り向いた珠世の視線の先に、朱色の琵琶が浮いていた。
一人で弦が震え、音を奏でる度に無限城が変わっていく。
「ひゃく、りょう…」
「うぅ…ぅぁぁっ…」
「もってきてくれた?」
珠世の腕の中で、朱雲の肉体がゆっくりと元の形を取り戻していく。
人の顔を取り戻した朱雲はいつしか珠世を魅了した目尻の垂れた瞳から涙を流した。
「約束。一緒に憎んであげる。一緒に仇を討ちましょう?」
「はいっ…はいっ…!」
珠世は腕を爪で引き裂いた。
朱雲は琵琶を掻き鳴らした。
「血鬼術・
「血鬼術・
―――――…五年後。
「何やってるんですか!? 色がついている衣服と白い衣服は分けて洗うように教えたでしょう!」
「ご、ごめんなさい…」
「これで何回目ですか! ……はぁー、もう廊下の拭き掃除の方をお願いしますね。」
今日何度目かのアオイの雷が落ちて、何事かと顔を覗かせた珠世はしょんぼりと肩を落として屋敷に入っていく朱雲を見て眉根を下げた。
「あの、アオイさん。朱雲は元は遊郭にいて攫われてからもずっと軟禁状態だったのでもっと手心を…」
「もう五年教えています! 洗濯一つくらいできて当然ですよ!? 珠世さんも甘やかさないでください!!」
「あぅ…うちの朱雲がすみません…」
「どうしたんですか、アオイ?」
カナヲが押す車椅子に乗ったしのぶが微笑みながら"陽の高く昇った"空を見上げる。
体に浸み込ませた藤の毒で数年前から運動機能の著しい低下が起きたしのぶは屋敷を歩くことも、一人ではできなくなっていた。
「また朱雲さんが…」
「あぁ…まあ、彼女は長い目で見てあげましょう。珠世さん、先ほど鎹鴉で今夜の急患の知らせが届きました。」
「分かりました。…まだ、残っているものですね。」
鬼舞辻無惨の討伐後、多くの鬼は無惨の血が崩壊するに従って灰になった。
しかし、全てではなかった。残った鬼が事件を起こしたことで鬼殺隊は規模を縮小するも活動を続行することを決め、今は残った鬼を捕縛して鬼を人に戻す薬を投与することが主な活動となっている。
しのぶと珠世は無惨の呪いを自ら解いていたか、あまりにも与えられた血が少なかった者が生き残ったのだろうと結論付けている。
「すみません。今夜は朱雲さんと街へ行く予定だったというのに。」
「いえ、あのひとは分かってくれますから。」
「まあ、惚気ですか?」
「ええ、そうですよ。」
ころころと笑う二人の矛先が自分と炭次郎の話になることを察知したカナヲは音もなく姿を消した。
アオイは染料の移った白い襦袢をうんざりした顔で見下ろしながら、洗濯をやり直しに屋敷へ戻る。
屋敷からアオイの怒号が再び鳴り響くと、二人は苦笑して屋敷に戻るのだった。
完結です。
が、どうしても書きたい内容があるのでおまけを後日あげると思います。
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そして、血鬼術・感想求