春の暖かい陽気と涼しい風が心地良い時分。無惨を倒してから一年経ち、故有って蝶屋敷に移り住むことになった珠世と朱雲、愈史郎の三人は藤が綺麗に並び、咲き乱れる道を歩いていた。
藤の花を朱雲が歌にしてみたり、珠世が藤に関する雑学を披露したり、愈史郎がそれを褒め称えたり。
穏やかな時間を謳歌する三人だが、これまでの一年は激動の年だった。
朱雲や珠世などの鬼殺隊についた鬼が戦いの後も生き永らえたことから、他にも生き残りの鬼がいることが予想され、鬼殺隊は新たな産屋敷の当主の元に再編された。
それに従って三人は鬼殺隊に正式に組み込まれ、鬼を人に戻す薬の改良と増産に従事することとなった。
これまで鬼殺隊と離れていたのは、無惨に最も近い上弦の鬼であった朱雲は殺すべきという意見が挙がり、それが体制の再編に伴って落ち着くまでの処置である。
今年になって大規模な体制の変更を終えて、いざ合流となった時に産屋敷を拠点とする案もあったが、薬の研究に元蟲柱の胡蝶しのぶが協力するという申し出があったことを鑑みて蝶屋敷への転居に決まった。
朱雲は初めて聞いたが、元々医療拠点としての役割を担っていたらしい。
「見えてきましたね。あれが蝶屋敷とやらだそうです。」
「立派なお屋敷でありんすね。…ふぅ。」
「大丈夫ですか、朱雲さん。ほら、掴まってください。」
「ぐぎぎぎぎぎぎ…!」
杖を持っていない方の腕を絡ませて朱雲を支える珠世の姿に、愈史郎は後ろから朱雲を恨めしそうに睨みつけた。
「……荷物持ってくれて、感謝していんすよ、愈史郎君。ありがとう。」
「貴様の礼などいらん。」
「愈史郎。」
「はい、冗談です! ドウイタシマシテ!」
どうにか仲良くできないものかと苦笑いを零し、朱雲のえっちらおっちらとした歩みに合わせて道を歩いていくと、蝶屋敷の門から出てきた者たちが走ってくるのが見える。
「お久しぶりです、珠世さん! 愈史郎も久しぶりだなぁ!」
「ええ。お久しぶりですね、炭次郎さん。それに禰豆子さんも。」
「相変わらずやかましいやつめ。」
何かの視界越しでもなく、落ち着いた時間に二人を見るのは初めてだった朱雲はまじまじとその姿を見た。
これがあの無惨をあれほど警戒させた剣士と、唯一自らの力で日光を克服した鬼なのかと。
「朱雲さんですね! あの時はありがとうございました!」
「……こちらこそ、本当にありがとうござりんした。」
「?」
初めて聞く廓言葉に目を点にしている炭次郎の頭を撫でていると、珠世の手が背に添えられてほろりと来そうになった心を落ち着かせた。
「禰豆子ちゃんもありがとうござりんした。貴女のお陰でお天道様の下でも歩けるし、大勢救われたでありんす。」
「いいんだよ。だいじょうぶ。」
珠世と朱雲の二人を両手で抱き締めた禰豆子は花が咲くように笑った。
珍しく愈史郎は突っかからず、珠世は我が子のように愛おしそうに禰豆子の頭を撫でた。
朱雲はきっと自分の知らない縁が四人にはあったのだろうと少し寂しい気もしたが、珠世に良い縁が恵まれたのだなと喜ぶこととした。
「積もる話はお屋敷に着いてからにするとしましょう。胡蝶さんにもご挨拶しないといけませんから。」
「はい!」
「きゃっ! 禰豆子ちゃん!?」
ふんすと袖をまくった禰豆子が朱雲を担ぎ上げると、屋敷へ走り出した。
箱に入って兄に担がれていた頃の真似なのか、最近は人を運ぶのが好きなのだと一行は後ほど聞かされた。
「こうして落ち着いて顔を合わせるのは初めてですね。私がこの蝶屋敷を預かる胡蝶しのぶと申します。」
「珠世と申します。こちらは助手の愈史郎。それと、えー……朱雲です。」
「? これから宜しくお願いしますね。あなたも挨拶を。」
「神崎アオイです。この屋敷で働く者のまとめ役をさせて頂いています。」
「もう一人、今は任務で出ていますが、栗花落カナヲという者がいるので後日紹介致しますね。」
珠世としのぶを見て雰囲気が良く似ているなぁとぼんやり考えている内に顔合わせが済み、増築した離れで荷解きをする流れとなると朱雲はやることがなくなった。
荷解きは自分がやるからと珠世に言われ、縁側に座って荷解きをする珠世を目で追っていた朱雲は土を踏む音で振り返る。
「どうしなんした? 炭次郎君と一緒じゃありんせんね。」
「けいこしてる。」
隣に腰かけた禰豆子はじっと朱雲の顔を覗き込んだ。遠い記憶の中の父親とどこかその身にまとう雰囲気が似ているように感じ、禰豆子は奇妙な気分を覚えていた。
不快ではないが、間近で見られ続けてどうにも収まりが悪い朱雲は気を紛らわせようと袂から輪になった紐を取り出して見せた。
「面白いものを見せてあげんしょう。」
慣れた指さばきで片手の指に紐を絡めていく。禰豆子にも見えるように指にしっかり絡んだ紐を見せた朱雲は余った方の端を持たせる。
「さ、これをしゅっと引っ張ってごらん。」
禰豆子が紐を引くと、指をすり抜けるように紐が抜けて禰豆子の手からぶら下がる。
目を瞠った彼女は朱雲の手を握って指がくっついていることを確かめ、紐を差し出して笑った。
「もういっかい!」
「はいはい。次はよく見ててごらんね。」
今度は禰豆子の手に紐を括りつけてやり、またするりと引き抜く。
「…………」
「やり方教えたげる。手貸してみんさい。」
「ん。」
「まずはこうやって親指に紐をかけて輪っかを作るの。」
「こう?」
「そう。それであってる。そしたらこっちも輪っかにして次の指にかけて。」
禰豆子に紐を持たせ、自分の指で括り方を教えた朱雲は何度か試して上手くいった彼女を撫でて紐を握らせた。
「あげる。炭次郎君にでもやってあげなんし。」
「ありがとう。ね。」
紐を手に禰豆子がぱたぱたと駆け出し、いつの間にか荷解きを終えていた珠世が背に寄り添って朱雲を抱いた。
縁側の二人が遠のく背を二人で見送っていると、立ち止まった禰豆子が見詰めるので手を振る。
「いい子でしょう?」
「ええ。」
ぼーっと見詰めてきていた禰豆子がまた走り出して母屋の中に入っていくと、飛びのくようにすれ違ったしのぶがやってくる。
手にした黒い隊服を縁側に置いた彼女は顔合わせの時と同じ笑顔を浮かべていた。
「夕食は六時頃になったら屋敷の者が呼びに来るので是非。」
「ありがとう、胡蝶さん。お心遣い感謝します。」
「いいんですよ。今は同じ鬼殺隊の仲間じゃあないですか。ねえ、朱雲さん。」
しのぶは髪の奥から伺う瞳に浮かぶ"上弦"と"肆"の文字を見やって手を差し出した。
「少し伺いたいことが。お時間頂けますか?」
「ええ、もちろん。ようござりんす。」
「心配なさらないでください、珠世さん。少々私事について確認するだけですから。」
釘を刺されて渋々腕の力を緩めた珠世の腕から出てしのぶの手を取った朱雲はその手の冷たさに目を細める。
冷え性であるとか、そういう程度ではないように思えた。
「それでは少しお借りいたしますね。」
しのぶに支えられて母屋に歩いて行った朱雲を心配して見送る珠世は気もそぞろに部屋の掃除を始めた。
話を済ませた朱雲がすぐにくつろげるよう家具や床の埃を掃き出していく。
朱雲が帰ってこないかと何度も母屋に目をやったが、彼女が戻ってきたのは半刻以上過ぎた後だった。
同日夜半。月の光で淡く輝く藤の花を眺めながら縁側に腰かけた珠世と朱雲は一枚の毛布の中で寄り添って温もりを分かち合っていた。
膝に乗せていた手に朱雲の手が重ねられ、珠世も掌を返してそれを握り返す。
朱雲の親指が人差し指を摩ると、どちらからともなく
「ねえ、朱雲さん。」
「なんでありんす?」
「月が、月が綺麗ですよ。」
「今宵死んでもようござりんす。」
巷で流行りの浮ついた台詞を言ってみた二人の頬がさっと赤く火照る。
「……仇討ちも終えて、生活も落ち着いたので、良い頃合ではないかと思います。」
「頃合でありんすか。」
「はい。私と一緒になって頂けますか?」
「わちきで良ければ喜んで。」
じんと胸に染み渡る想いを噛み締めながら、二人は一筋の涙を流した。それが歓喜によるものか、あるいはもっと複雑なものなのか、本人でさえも知り得ない一滴が毛布に落ちる。
「よもや、女のひとと一緒になるとは夢にも思いませんでした。」
「たまよ様がお婿さん?」
「嫁入りはあの人に申し訳が立ちませんから。」
「わちきが嫁でありんすか…」
「嫌なのですか?」
「ううん。お嫁に行く日が来るなんて思いもしなんだものでありんす。」
毛布の下で腰帯に挿していた簪をとった珠世はそれを差し出した。かなり古いものだが、よく手入れされて傷んでいることはなかった。
ほんの僅かに紫がかった珠世の瞳の色によく似た藤色の簪を、受け取った朱雲は自分にあてがって艶やかに笑って見せる。
「どうでありんす?」
「―――…とても、とても素敵ですよ。ずっと想像していた通り、良く似合います。」
「嬉しい。初めての贈り物、大切にいたしんす。」
「本当は、あの日貴女に贈るつもりで選んだものです。渡せて良かった…」
泣きそうな顔で微笑んだ珠世は額や瞼、頬と朱雲の顔に満遍なく唇をつけた。
「こんなにも幸せでいいのか私には…」
「ねえ、たまよ様?」
「はい。」
「一緒に憎んであげるのはもうお終い。今度は一緒に償いながら、一緒に幸せになりんしょう。」
「……はい!」
互いをきつく抱き締め、いつまでも飽きないのかというほど長く唇を食み合う。
唇を吸って、ちうちうと音を立てながら甘い声を出すと、隠しおおせないほどに昂った二人が思い留まるのには強い自制心が必要だった。
荒く熱い吐息が互いの肌を湿らせ、唇の先が触れてほとんど
朱雲は不満そうな顔で舌を伸ばすと、珠世の上唇の先をつっと舌先で舐めた。
ぴくりと体をわななかせた珠世は体を離して固く結んだ唇に指で触れる。
「転居初日からこんなこと、いけません…非常識ですよ。」
「わちきと唇を交わすのは嫌でありんすか?」
「……そんな聞き方は卑劣です。」
切ない瞳が揺れる顔をぷいと背けた珠世は朱雲を抱き上げて部屋の中へと戻った。
並べて敷いた二組の布団の片方に朱雲を降ろして、そそくさと布団に入った珠世が入れば、当然の様に朱雲も同じ布団に潜り込んだ。
「貴女の布団はそっちですよ…!」
押しのけようと胸元を押した手が朱雲に取られて、小指が熱い口内でざらりとした舌に
朱雲にたっぷりと唾液を塗りたくられた指を今度は自分の口元に差し出され、訳も分からぬまま小指をしゃぶった珠世の体の上に朱雲が寝そべり、そっと囁く。
「わちきの小指から伸びた赤い糸はその小指に繋がってたのでありんすねぇ。」
つい嬉しくなるようなことをわざとらしくねっとりと耳に囁きかけられ、珠世はぞぞぞっと体を昇る快感で震える。
蛇の様に這いまわる朱雲の四肢を拒む自制心が折れた珠世は降参とばかりに瞳を閉じて朱雲の肩を抱いた。
数刻後、布団の中で抱き合う二人は満ち足りた表情で肩で息を繰り返し、乱れて顔に張り付いた髪をのけた。
離しがたいほどに滑らかで触り心地の良い脚を自分の脚で絡めて擦り合わせながら、ぼんやりと余韻に浸っていた珠世は胸に秘めていた考えを話す。
「もし、貴女が嫌というのでなければ、炭次郎さんと禰豆子さんを私たちの養子にしたいと考えているのですが。」
「炭次郎君と禰豆子ちゃんを? 嫌とは言わないけれど、どうして?」
「あの子たちに一つでも恩返しをできることはないかと考えていたのです。
女親が二人では返って奇異の目で見られることもあるやも知れませんが、いずれは二人も鬼殺隊を離れて普通の生き方をするでしょう。
その時に親がいた方が他人の信用は得られますし、二人とも世間でいきてゆくには学ぶべきことが多い。」
「わちきには判断ができそうにござりんせん。二人とはろくに話したこともないもんでありんす。」
「それでは、任せて頂いても構いませんか?」
頷いた朱雲に感謝して気怠い体で包み込むと、火照った肌が溶けあうような心地だった。
急に襲ってきた眠気に逆らわず瞼を下ろした珠世は顎を甘噛みして起こそうとする朱雲の唇を塞いで、そこで意識が途切れた。
随分疲れていたのか、急に寝入ってしまった珠世の頬を撫でて、朱雲は竈門兄妹のことを思い浮かべる。
もし、彼らが頷けば一応は息子と娘ということになるだろう。
上手くやっていけるだろうかなどと考えを巡らせて、はたと自分も中々どうして彼らと親子になることに前向きなのだなと驚いた。
「でも、夫婦水入らずの新婚の時間が欲しいと思うのは仕方ないことありんしょう?」
恨めしそうに寝顔を見やった朱雲は恥をかかせてやろうと、首筋に思い切り吸い付いて赤い斑点を丁寧につける。
翌日、しのぶに指摘されて真っ赤になった珠世に叱られたが、まるで堪えなかった朱雲は翌日も同じ悪戯を繰り返した。
感想頂けたら嬉しいです。
珠世×鳴女のイラストがツイッターにもpixivにもどこにもない
俺は辛い。
耐えられない。