「じゃあ行ってくるぞ、小町」
「あれ、もう行くの?ちょっと早すぎない、お兄ちゃん?」
比企谷小町は時計を確認し、兄である比企谷八幡に問う。
出掛けるにしてはまだ早すぎる時間だったからだ。
「今日は入学式だ。偶には早く行こうと思ってな」
「そっか。高校初日だもんね……頑張ってね、お兄ちゃん」
「……おう。行ってくる」
「行ってらっしゃい」
応援する妹に見送られ、比企谷八幡は家を後にした。
今日は高校生活最初の日。総武高校入学式だ。
自転車に乗りながら総武高校へ向かう八幡。向かう最中ふと少し前のことを思い出す。
思えば中学生活は碌なことがなかったと。一人でいるのは当たり前。少し優しくされたのを勘違いし、告白した翌日に晒されたのは黒歴史の中でもNO.1を記録した。
あんな日々はもう繰り返したくない。そんな思いで必死に勉強し、知り合いが誰もいない総武高校を受験し、見事に合格したのだ。
これから起こる高校生活に少しだけ期待を馳せる。中学の時よりはマシな生活が送れることを願って。
そう思いながら自転車を走らせると、前方の信号が赤へと変わった。信号前で自転車を停止し止まった。
そしてそのまま止まっていると―――声が聞こえてきた。
「待って~サブレ~」
「ワン!ワン!」
女の子の声。そちらへ視線を送ると、犬が猛スピードでこちらに近付いて来ている。犬の首輪は外れ、飼い主の少女が犬を必死に追いかけている。だがスピード差は歴然。ドンドン引き離されていく。
そして犬はそのままのスピードで道路へと侵入し―――そしてまた声が響いた。
「止まって~サブレ~」
飼い主の少女の声に反応したのか、犬がその走りを止めて飼い主の方へと振り返る。それに安堵する少女。しかし状況は最悪だった。
犬が止まったのが道路のど真ん中であり―――直ぐ傍まで車が一台近付いて来ていた。
「くそっ!!」
声を荒げ自転車から降りて走り出す。後先など考えない無意識の行動だった。
そこから先の記憶は断片的だ。
―――瞬時の差で犬を庇ったこと。
―――衝突の間際に、走馬灯の様なものが脳裏をよぎったこと。
―――車に弾き飛ばされ、とてつもない衝撃と共に意識が薄れていくのを感じたこと。
そして―――
最後に何故か―――何かの花の香りを嗅いだような気がした。
「―――知らない天井だ」
某有名アニメの主人公の台詞をそのまま喋る。だが無理もない。自分は車にぶつかったはずなのに、気付けば全く知らない場所にいたからだ。
「……いや、マジで何処だ、此処?何で和室に寝かされているんだ、俺」
車に轢かれたのなら、被害者が行くのは病院のはずだ。むしろそれ以外に行く場所はない。
「落ち着け、落ち着け、俺。慌てても碌なことはないぞ」
自分の現状を整理する。寝かされているのは畳のある部屋の布団の中。周りには机やタンスなどの家具が置かれているが、やけに古めかしい物ばかりだ。時代的には昭和かそれ以前の時代のようにも見える。
それを見て―――何か嫌な予感がした。
自身の状態が、考えているより遥かに異常な事態ではないのかと。
その予感を見過ごせず、布団から上半身を起こし―――そこで自分の違和感に気付いた。
―――怪我をしてない?馬鹿な!車に跳ね飛ばされたんだぞ!?無傷のわけない!
自身の身体に痛みをまったく感じない。あの時確かに車に轢かれた。
犬を庇い轢かれた瞬間に激しい痛みも感じた。だが今は何の痛みもない。
「あっ!よかった。気が付いたのね」
「っ!」
思考に耽っていると急に横から声が掛かった。そちらへ振り向くと、いつの間にか襖から一人の少女が部屋へと入ってきていた。その姿を見て八幡を驚く。今日では珍しく、少女が着物を着ていたからだ。
「気分はどう?どこか痛いところはあるかしら?」
「い、いや。特に問題ないです」
「そう?十日も眠ったままだったから心配したわ。顔色は……う~ん。どうかしら?」
「っ!?」
少女が近付き、こちらの顔を覗き込んでくる。少女の容姿を間近で見た八幡は思わず後ずさる。
――――近い近い近い。何かいい匂いするし、嬉しそうな笑顔してるし、着物着てるしすごい美少女だ。今まででこんな美少女見たことない。何なら一目惚れして告白してすぐ振られるまである、って振られるのかよ!
混乱の窮地に立たされる八幡。美少女に間近で観察され目は挙動不審になり、視線を逸らしてしまう。
しかし少女は気にすることなく、八幡の顔色を観察する。
「……うん。顔色も良さそうだし問題なさそうね。お医者様に見てもらっても原因が分からなくて心配したけど、気が付いて本当に良かったわ」
「っ!あ、ああ。た、助けてくれてありがとう。この恩は必ず返します」
「気にしないで。困ったときはお互い様よ」
少女の言葉と笑みに顔が赤くなる。少女の笑みは優しく、まるで太陽の光に当てられたように感じられた。暖かく、何の悪意もなく、純粋にこちらを心配する笑み。
他人からそんな笑みを向けられるのは初めてだった。
「あ、折角目を覚ましたのだから、空気の入れ替えをしましょうか。窓を開けてもいい?」
「あ、ああ。頼みます」
「うん。任せて」
少女は嬉しそうな返事をして窓へ近づき、これを開けた。八幡も起き上がり、開いた窓から外を見渡し―――その光景に絶句した。
「――――――」
「どうかしたの?」
八幡の様子を不思議がる少女。だが少女に気をかける余裕は八幡にはなかった。
アスファルトで舗装されていない道路。まばらに走っている古臭い車。通りを歩く人の服装は殆どが和服で統一されている。見れば見るほど現代の風景とは異なっていた。
その見たままの光景は、予感を確信へと変化させる。
「………一つ聞いてもいいですか?」
「うん。いいわよ……あ、自己紹介してなかったわね。私の名前は胡蝶カナエ。カナエでいいわ」
「……比企谷八幡です」
「比企谷八幡……じゃあハチくんだね。で、聞きたいことって何?」
聞かなければいけない。だが聞けば取り返しが付かない。震える唇を噛みしめ、比企谷八幡は胡蝶カナエに問う。
「妙なことを聞いているのを承知で聞くんですが―――今の年号を教えてください?」
「えーと、今は大正だけど。それがどうかしたの?」
その答えは驚きではあったが、するりと自らの心は納得した。此処までくれば状況から理性は警告していたからだ。
つまり自分は―――
「タイムスリップ……まじかよ」
現代から大正時代へのタイムスリップ。それが答えだった。
とりあえずの投稿です。評判が良ければ続きます。