走る、走る、走る。
月明かりのみが照らす夜道を、その足をもって駆け抜ける。
それは比企谷八幡にとってありふれた光景になりつつあった。
「小雪。鬼の場所は何処だ?」
「南南東。南南東。接敵マデ約一里。鬼殺隊員ガ一人、交戦中。交戦中」
「了解。なるべく急ぐ。状況に変化があったら報告だ」
「分カッタ。分カッタ」
小雪と呼ばれた一匹の鴉が夜空へと上がっていく。比企谷八幡が名付けた鎹鴉だ。メスだったので何となくこの名前に決めた。
最初は任務の内容を伝えるだけだった小雪だが、こちらに懐いてからは積極的に手伝ってくれるようになった。主に、索敵がメインだ。
「……しかし鬼殺隊は相変わらずブラック企業なことで」
近くの村へ向かってひたすら走る。
鬼殺隊に入隊してから幾らかの時が過ぎた。碌に休みも取れない中、ひたすら鬼狩りの任務をこなしている。
軽い怪我を負うことはあれど、幸いなことに大怪我は負っていない。
―――俺にこんなに社畜の才能があるとは思わなんだ。それに鬼殺隊は一般の職種に比べて給料が多いのがいい。いや、自分の命をチップにしてるんだから給料高いのは当たり前か。むしろそれしか取り柄がないまである。
鬼殺隊の待遇に不満を抱き内心愚痴る。
―――まああれだ。俺みたいなボッチには、人との接触も最低限ですむ鬼殺隊はある意味天職だ。それは否定できない……いや違う。最近は何故か合同任務が結構ある。一人の方が気楽でいいんだが。知らない隊員に会うと必ず驚かれるし。それはあれか。俺の影が薄いからか? それとも俺の目が腐ってるからか?
自身の近況を考えそして落ち込む。初めて会う隊員に驚かれるのは日常茶飯事だ。それをマイナスイメージで考えてしまうのは元の時代の影響といえよう。
―――しかしカナエとしのぶもどうしてるかねぇ。文は定期的に届いてるから元気なのは確かだが、偶には会いてぇなぁ………こんな風に考えるなんて俺も変わったもんだ。
育手に向かう途中に別れたのを最後に、二人には会っていない。
この時代の家族と言うべき二人のことを思い出し、そして自身の心の変化に苦笑する。
―――次の任務が終わったら、また文を出すか……以前のようなことは御免だ。
以前、面倒くさくなって文を送らない時期があったのだが、その結果送られてくる文が激増した。やれ、体調は大丈夫なのか? 怪我が酷くて文が書けないのか? などと、こちらを心配するような文だらけになった。二人を心配させてしまったことを反省し、即座に文を返した。
反省と謝罪の文を見て二人の反応はそれぞれ違った。胡蝶カナエからは元気でよかったと安堵の返事が届いた。そして胡蝶しのぶは元気ならちゃんと返事しなさいよ! と、こちらを叱咤するような内容だった。
だが二人の返事は八幡の身を案じてのことだ。八幡はそれを自覚した時、くすぐったいような、だけど何処かむず痒い気持ちになり、大いに反省した。それからはきちんと文の返事を返している。
上空から小雪が再度八幡に近付く。
「報告! 報告! 方角コノママ、コノママ。接敵マデ約一分、一分」
「了解。報告ご苦労。この任務終わったら何か奢ってやるぞ。何がいい?」
「オハギ! オハギ!」
「好きだな、お前も。俺も好きだけどさ」
欲望に忠実な小雪に同意する。甘い物が少ないこの時代において、おはぎは手頃に食べられる数少ない甘味だ。しかも値段もそこまで高くないのだから、好きになるのもしょうがない。
―――村の中に入った。目的地はもうすぐだ。
「飛ばすぞ。状況に変化があったら報告だ」
「分カッタ。分カッタ」
相棒に声を掛け更にスピードを上げる。小雪も再度夜空へと舞い上がる。
比企谷八幡―――階級 庚。
鬼殺隊に入隊して約半年―――着実に社畜の道を進んでいた。
「こ、来ないでぇ!」
「はははっ! どうした鬼狩りぃ! 早く逃げないと捕まるぞ!」
一人の少女が細道を逃げ惑う。そしてそれを一匹の鬼が追い回す。鬼の口調は楽しそうに、ゆっくりと女を追い詰めていく。
「あっ、嘘! 行き止まり」
「なんだ。鬼ごっこはもう終わりか」
少女の顔色が真っ青に彩られる。自身の終末を理解してしまったからだ。
それを見た鬼は満面の笑みに彩られる。
「い、いや! こ、来ないで!」
「おいおい。鬼狩り様よ。俺を殺すのが鬼殺隊の役目だろ。逃げちゃ駄目じゃないか」
少女は鬼から距離を取ろうと後ずさる。しかし後ろは壁だ。これ以上逃げ場はない。
涙目で震えることしか彼女にはできなかった。
「いいね。俺は女の浮かべるその表情が好きだ。絶望の表情を浮かべた相手を捕食する。それに勝る食事はない」
「ひっ! いやっ! いやぁぁ!!」
鬼の声を聴き少女は泣き叫ぶ。もうそれしか出来なかった。自身の刀は取り上げられ対抗手段はない。いや、そもそも壬の自分はこの鬼には勝てない。それを先程の戦闘で理解させられた。
「さぁて。食事の時間だ。何処から喰うかね。手か、足か、それとも頭からかねぇ」
「い……いや……喰べないでぇ」
「はははっ、いい顔だ。じゃあ最初はその右手から「―――胸糞悪いな」」
―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃
その時、少女は見た。
屋根の上から雷の落ちるような音が聞こえ、次の瞬間には鬼の頸が飛んだこと。
そして倒れる鬼の背後に鬼殺隊員が立っていたことに。
「―――な、なにぃ!?」
「とりあえず死んどけ。このクソ鬼」
鬼は自身の状態を理解できないまま灰となっていく。
少女自身はその状況を分からないまま―――だがやがて一つだけ理解した。
―――ああ、わたし。助かったんだ。
絶望からの生還。その状況の変化は少女の気を張った心を溶かす。そして少女は心の中で安堵しつつ気を失った。
「ほれ、小雪。食べていいぞ」
「ウン。美味シイ! 美味シイ!」
翌日の昼。大きな巨木を背に座った八幡は、笹の葉に包まれたおはぎを地面に置き、笹の葉を開いた。合図とともに小雪はそれに食らいつき美味しそうに食していく。
八幡も自身のおはぎを口にする。
「む、此処のおはぎは当たりだな。またこの辺来たら買うとするか」
「ウン。食ベル! 食ベル!」
すっかりその気になった小雪の頭をそっと撫でる。撫でられた小雪は気持ちよさそうにその目を細める。
そして十分後、小雪が食べ終わったのを確認してから、立ち上がる。
「八幡! 次ハ東! 東!」
「……また任務か。最近働き過ぎじゃね、俺」
入隊当初から約半年。任務はこなせど休暇はほぼない。愚痴るのもしょうがないだろう。
「頑張ル! 頑張ル! 小雪、応援スル!」
「はぁー、あいよ。まあ給料分は働くとしますか」
そう言いつつ立ち上がる。相棒の小雪に応援されるとつい頑張ってしまう。
相棒として選ばれたこの鎹鴉は、自分と違って素直な性格だ。もし自身の性格まで考慮され選ばれたのなら、鬼殺隊という組織は中々に侮れない。ふと、そんな考えが浮かぶ。
「……さて、行くぞ。小雪」
「ウン! 行コウ! 行コウ!」
相棒を肩にのせ、比企谷八幡は歩き始めた。
「大体だな。鬼殺隊はブラックにもほどがある」
「ブラック? ブラック? ナニソレ? ナニソレ?」
舗装されていない田舎道をゆっくりと歩く。周辺に人の姿がないため、鎹鴉と話しながらだ。
「鬼殺隊は労働基準が真っ黒って意味だ」
「黒! 黒! 鬼殺隊! 隊服ノ色ハ黒! 黒!」
「あー確かに隊服は黒いけどそういう意味じゃないぞ……現代だと労働基準法で訴えられるレベルなんだよな、鬼殺隊。と言っても、この時代じゃそんな法律ないけど」
「鬼殺隊、ブラック! ブラック!」
語呂が気に入ったのかブラックを連呼する小雪。
この時代にブラックと言っても分かる人はいないので、敢えて訂正はしない。
「はぁー。でも、考えてみても問題山積みだよな、鬼殺隊って組織は」
鬼殺隊に入隊して約半年。その短期間でさえいくつもの問題を発見した。
考えうる中で大きな問題は二つ。一つは鬼と戦える人数が少ないこと。そしてもう一つは、敵の重要な情報がまったく掴めていないことだ。特に後者は致命的だ。
「……彼を知り己を知れば百戦殆うからず、か」
何となく『孫子』の言葉を呟く。敵のボスは鬼舞辻無惨。そのボスだけが鬼を増やせる唯一の存在だ。だが分かっているのはこれだけ。その姿、能力、潜伏場所、重要な情報はすべて不明だ。これでは勝てるはずもない。
「ボスだけじゃないな。幹部級ですら情報がまったくない。これじゃ勝てるわけがない」
鬼舞辻無惨直属の部下。幹部級と思われる十二体の鬼。特に上位六名で構成される現在の上弦に関しても、情報が全くない。遭遇した例はあるのだが、出会った隊員は全員死亡しているらしい。
―――いいか、比企谷。上弦に会ったらすぐに逃げろ。間違っても一人で戦おうとは思うなよ。私の予測では柱が数名が同時に戦わなければ対抗できない。それが上弦という存在だ。
「……まあ、やれることをやる。それしかないよな」
色々考えた所で自分に出来ることは少ない。今出来ることは出現した鬼を始末すること。それだけだ。
二日後の早朝に次の目的地へと到着した。前回の村より大きく発展している町だ。早朝に到着したためか、まだ人の姿はない。
「……この町から鬼を探すのか。広すぎだろ。人手が欲しい」
「大丈夫! 大丈夫! 今回ハ合同任務。残リ二人ノ隊員ト合流! 合流!」
「え? マジで?」
「マジ! マジ!」
八幡の問いに小雪は首を縦に何度も振る。
「コノ町、複数ノ鬼ガ潜伏! 潜伏! 既ニ鬼殺隊員二名殉職! 殉職!」
「なるほど。だから三人での合同任務か……しかし鬼は群れないと聞いていたが、そうでもないのか?」
「八幡! 頑張レ! 頑張レ!」
「あいよ。じゃあ、町の中を歩いて他の隊員を探すか。ついでに地理も確認できるし」
そして八幡は町へと歩き出す。そして二時間後、他の隊員を見つけ合流することができた。
その二人なのだが―――八幡と縁がある二人だった。
「あぁっ! 八幡だぁ!!」
こちらに無邪気に駆け寄る少女、鱗滝真菰と。
「……チッ、てめぇか」
何故かこちらに舌打ちをする白い髪の少年だ。
そして此処に、最終選別で生き残った三名の同期が揃った。
比企谷八幡、鱗滝真菰、そして不死川 実弥。
鬼殺隊の中でも有数の実力者として名を馳せることになる三名の、初の合同任務が始まる。
大正コソコソ噂話
比企谷八幡の鎹鴉である小雪ちゃん。
性格は好奇心旺盛で人懐っこく、そして末っ子である。
基本鎹鴉は任務の通達以外では隊士の傍にいないのだが、まだ幼い彼女は八幡に結構べったり。人と喋るのが大好きな小雪ちゃんです。
戦闘においては遠方からの索敵・偵察などで地味に役に立ちます。