「……それは本気か?」
「ええ。本気よ」
「私もよ。二人で話し合って決めたの」
比企谷八幡は目の前の二人、胡蝶カナエと胡蝶しのぶを睨みつける。
彼女たちの言ったことが正気とは思えなかったからだ。
「――――あの二人はそんな事を望んでいないぞ」
「……ええ、きっとそうね。もし居たら全力で反対したでしょうね」
「だったら「嫌よ!」」
寂しそうに笑うカナエ。八幡は何とか説得しようと口を開くが、しのぶが声を荒げる。
「父さんと母さんが殺されたのよ!? それで、何もなかったように生きられると思う!? そんなの………そんなのできるわけないじゃない!?」
「――――しのぶ」
「………それでも俺は反対だ」
声を荒げ泣き叫ぶしのぶをカナエはそっと抱き寄せる。
そんなしのぶを見て八幡は悲しむも、彼女たちの選択を認めない。否、認めるわけにはいかない。
何故なら――――
「ねぇ、ハチくん。私たちは決めたの。二人で【鬼殺隊】に入るって」
誰が好き好んで、少女二人が修羅の道に進むことを許容できるというのか?
【鬼殺隊】
それは人間に仇なす鬼を日夜狩り続ける人達が所属する組織。
隊員はおよそ数百名。
千年以上前の古の時代に発足し、大正時代の今もなお活動し続ける、政府非公認組織だ。
あの晩、鬼殺隊の隊員に助けられた三人は、後からやって来た鬼殺隊の一員である【隠】と呼ばれる人達に保護され、彼らから鬼殺隊や鬼に関する詳しい説明を受けた。
そしてそれから三週間の時が過ぎた。あの晩に傷を負った八幡は怪我の治療に専念し、胡蝶姉妹は事後処理に追われることになった。両親が亡くなったので、葬儀を執り行わなければならなかったのだ。
あの晩から三週間が経った本日の昼に八幡は退院した。そして胡蝶姉妹の案内で胡蝶夫婦のお参りに行ってきたところだ。
――――そして話は冒頭へと戻る。その日の晩に、胡蝶姉妹から鬼殺隊への入隊希望を聞かされたのだ。
「しのぶはもう寝たのか?」
「ええ。泣き疲れちゃったみたい」
「……すまん。俺のせいだな」
「ううん。ハチくんのせいじゃないよ……心配してくれてるんだよね?」
「………………」
返事はしない。だが顔を赤くしてそっぽを向いていればその本音は丸わかりである。
カナエは八幡の横に座った。そして布団に置かれた八幡の手に自身の手をそっと重ねる。
「ありがとう、ハチくん」
「………まあ、その……おじさんとおばさんなら絶対に止めるからな。俺はその代わりに止めただけだ。だから礼を言われることじゃない」
「ハチくんは素直じゃないな~」
カナエは苦笑しながら八幡の手を握る。
「どうしても鬼殺隊に入るという決心は変わらないのか?」
「――――ええ」
「此処で引き返せば普通の生活に戻れる。一度鬼殺隊に入ればもう日常には戻れないぞ」
「分かってるわ。でも、もう決めたの」
「………鬼に喰われてもか?」
「っ!」
その言葉にカナエの身体は震え。繋がれた手から彼女の恐怖が伝わってくる。
「千年以上続いてる戦いだ。例え二人が鬼殺隊に入ってとしても、戦いが終わるとは思えない」
「………うん」
「何もせず死ぬかもしれないんだぞ。誰にも看取られず、無様に喰い殺されるかもしれない」
「…………うん」
「それでも―――止まる気はないんだな?」
「―――――ねぇ、ハチくん」
カナエは告げる。自身の想いを。
「私はね、救いたいんだ。人も――――そして鬼も」
「鬼を……救う?」
「うん。隠の人が言ってたでしょ。鬼は元々私たちと同じ人だって」
「それは、確かに言っていたが」
カナエは八幡を見つめる。
「鬼は悲しい生き物よ。人でありながら、人を喰らい、美しいはずの朝日を忘れる。鬼を一体倒せば、その鬼がこの先殺すはずだった人を守ることができる。そして、その鬼自身もそんな哀れな因果から解放してあげられるわ」
「それは―――おじさんやおばさんを殺した鬼でも、か?」
「―――――ええ」
力強くカナエは頷いた。
「正気の沙汰じゃないぞ。その考えは」
「うん。自覚してる」
カナエの考えはあまりにも愚かだ。日夜鬼を殺し続ける鬼殺隊。恐らく隊員は、鬼に身内を殺された人たちが大半と聞く。彼らの原動力は復讐心で間違いないだろう。
だがそれは当たり前の感情だ。親が殺された。子供が殺された。恋人が殺された。しかし犯人は人外のため、警察で手に負える相手ではない。なら被害者が自分で復讐に走るのは当然の感情だ。
でなければ鬼殺隊などという組織が千年以上続いているわけがない。
八幡はカナエの顔を見る。その美しい顔立ちで真っすぐこちらを見つめてくる。その瞳は決して揺らがず、固い意志を感じさせる。
「………最後に一つ聞かせてくれ」
「うん。なに?」
今から聞くのはとても卑怯な問いだ。だが言わなければならない。
「――――しのぶが死んでもいいんだな?」
「………っ―――」
カナエの瞳が揺れる。自身の死は許容できても、妹の死はまた別問題だろう。
「覚悟の上よ」
カナエは震える声で言う。
「しのぶと約束したの『私たちと同じ思いを、他の人にはさせない』って」
「そう、か………」
カナエの悲壮な決意を八幡は感じる。同時に説得は不可能だと悟った。
なら八幡がするべきことは一つだ。
「分かった。ところで、鬼殺隊に入ると言ったが宛てはあるのか?」
「うん。私たちを助けてくれた、悲鳴嶼さんを訪ねてみようと思うの。隠の人に居場所は聞いたわ」
「出発はいつだ?」
「えーと、早くて明後日かな」
「分かった。じゃあ、俺も準備するわ」
「――――え?」
カナエがキョトンとした顔をする。
「出発は明後日だな。だったら食料と水。後は服もいくつか用意しなきゃいけないな」
「な、なに言ってるの、ハチくん。それだとまるで私たちと一緒に行くような――――」
「何を言ってるんだ? 俺も一緒に行くに決まってるだろう。まさか俺だけ置いていく気か?」
「で、でも」
カナエは戸惑う。まさか八幡が付いてくるとは思ってなかったのだ。
「あのな。俺だけ置いてかれてもどうしようもないぞ。なにしろ金もなし、職もなし、頼れる親戚もなし。知り合いなんて他に誰もいないんだ。だったら付いて行くしかないだろう?」
「そ、それでもハチくんが付き合う理由がないわ」
「理由、ね」
八幡は隣のカナエに向かって手を伸ばす。そして頭に手をのせてポンポンと軽く撫でる。
「ハ、ハチくん?」
「……女の子を二人だけ行かせるわけにはいかないだろう。俺なんかが役に立つかは分からんが、まあ付き合うさ」
「…………いいの?」
縋るようにカナエが八幡を見る。
「このまま一人で野垂れ死にするよりましだ」
「ハチくんも殺されちゃうかもしれないんだよ?」
「危なくなったら逃げるさ。こう見えても危機管理能力は高いほうだ」
「でも、でも、でも「―――カナエ」」
それでも拒絶しようとするカナエの言葉を遮る。頭にのせた手を動かし黒髪をゆっくりと撫でる。サラサラの髪はとても撫でがいがある。
「―――俺にももうお前たちしかいないんだ。手伝わせてくれ、頼む」
「――――――うん」
返事をするとカナエは八幡の胸に飛び込む。そして両腕を背中に回し思いっきり抱き着いた。その行動に八幡は思いっきり慌てた。
「か、カナエしゃん。な、なにをするんでしゅか」
「―――ハチくん。ありがとう、ありがとう、ありがとう」
「……………」
カナエは泣いていた。胸に縋りついた彼女からは溢れんばかりの涙が零れ、八幡にお礼を言い続ける。
八幡はそんな彼女を慰め、落ち着かせるように―――その頭をずっと撫で続けるのだった。
そして二日後の明朝。
「さて、準備はいいか?」
「ええ、準備出来てるわ。しのぶはどう?」
「大丈夫。いつでも行けるわ、姉さん」
大荷物の準備を整えた三人は出発の最終確認をしていた。
「悲鳴嶼さんの所に到着したら鬼殺隊への入隊希望を話す。だが最初は確実に拒否されるぞ」
「やっぱりそうなるかしら」
「………まあ、そうなるわよね」
今後の展開を三人で話し合う。鬼殺隊への入隊は恐らく簡単にはいかない。
「普通の人なら拒否する。特にカナエとしのぶは女の子だからな。余計にだ」
「うん。でも大丈夫」
「それでも押しとおるわ。だって決めたんだもの」
二人の決意も固い。
「行くか」
「ええ」
「うん」
三人は歩き始めた。だが三人の表情はかたいままだ。
「大丈夫よ。ハチくん、しのぶ」
「――――カナエ?」
「――――姉さん?」
カナエは笑った。無理にでも笑った。
「一人で無理だったとしても三人いれば何とかなるわ。だから頑張りましょう!」
「………ふぅ、そうだな。まあ適当に頑張るとするか」
「何言ってるの、八幡。適当なんて私が許さないわ。やるなら徹底的によ」
「いや、常に全力なんて疲れるだけだ。物事は適度にサボりながらやる方がいい。疲労が溜まりすぎると翌日に疲れが残る。結果、疲れが作業を遅らせ最終的に作業が終わらなくなる。つまりサボるのが一番ということだ」
「そんな屁理屈認めないわ!」
自然と言い合うを始める二人。カナエは思わず微笑んだ。ずっと緊張のままよりはこの方がずっといい。
カナエは二人を置いて走り始めた。
「ほら、置いてっちゃうわよ、二人とも!」
「ああ、もう。八幡のせいよ。待って、姉さん!」
「俺のせいにするのは酷くないですかね?」
二人もカナエの後を追って走り始めた。
付き添い、願望、復讐。それぞれの目的を携え、三人は修羅の道へと自ら赴く。
その旅立ちは決して明るいものではない。
だけど三人は笑いあった。その未来が少しでも明るいことを願って。
大正コソコソ噂話
鬼殺隊入隊の話をした晩。あの後、カナエは八幡にずっとくっついたままだったので、結局一緒の布団で寝ることになりました。しのぶさんも隣に寝ていたので、翌朝大騒ぎになったのは言うまでもありません。
しかし彼はまだ知らない。今後も頻繁に一緒に寝ることを要求されることを。