星見ヶ丘学園の中等部。
その校舎裏には、どでかいゴミ捨て場がある。
通称『ゴミ山』と呼ばれるそこは、ゴミ収集車へ乗せる前に、一時的にゴミを置いておくスペースなのだが、生徒数が多いこともあって、積み上げられたゴミの量はまさしく山の如しだ。
特に回収前日の放課後ともなれば、平均的な男子中学生の身長程度は優に超えるゴミの山が、校舎裏にそびえ立つ事となる。
そんなゴミ山を前に、僕は立っていた。
ゴミを捨てるためではなく、捜し物をする為に。
うちのクラスのボンクラに捨てられた、ある物を見つけるべく、このゴミ山を前に一人で立っていた。
そう、いわゆる大ピンチである。
目の前のゴミ山を見上げながら、僕は思う。
捜し物の為に来たは良いものの、実際にこうして見てみると、高く積まれたゴミの山は想像以上に絶望感があった。
僕の目の前で、校舎4階の窓から投げ捨ててくれやがったので、ここに捜し物があることは間違いない。間違いはない、のだが。
にしたって、このゴミ山を漁るとなると、無理なんじゃないかという気持ちが鎌首をもたげ始めてしまう。
悪いのは疑いようもなくあの馬鹿野郎だが、アレを机の上に置きっぱなしにしてしまった自分の迂闊さを、僕は呪わざるを得なかった。
改めて、僕はゴミ山と対峙する。
この中にアレがある。だったら、何が何でも捜しださなくてはならない。
とても大切な物だ。
僕にとって、無くてはいけない物だ。
代えの効かない、唯一無二の物なんだ。
だから、だからこそ。
シャツが汚れないように、袖口から二の腕まで捲り上げながら、僕は覚悟を決めて、ゴミの山へと手を伸ばした。
■ □ ■
やっぱ無理な気がしてきた。
2時間ほど経過して、時刻がそろそろ午後5時を過ぎようとしている中で、僕は思った、
いやいや、だって冷静になって考えても見て欲しい。
校舎裏のゴミ捨て場だぞ? 捨てられたプリントやら、各種授業で生み出されたゴミやら、どっかの部活から出てきたよく分からないパーツやらが、これでもかと積まれているんだぞ?
そんな中から、こんなゴミ山の中から、目当ての物を見つけるなんて無理だ、不可能に近い。
そう思い、落書きで埋まった数学のプリントを脇に避ける。
だいたい、ついさっき捨てられたばかりの物なんだから、比較的新しい層にあるはずなのに、そう期待していたのにアレは全く見つかる気配すらしない。
なんて心の中でぼやきながら、技術の授業で使ったのであろう木片をひっくり返す。
中学三年生の春に、他の生徒たちが部活動に勤しむ中、僕は一体何をやっているんだろう。
包装紙の塊を持ち上げて、その下を覗き込みつつ僕は……僕は、僕の手が一向に止まろうとしない事に気がついた。
手を休める事なく、僕は僕の手を動かす、動かし続けている。
頭ではあーだこーだたと言いつつも、それでも。
だから、つまりそういう事なんだろう。
だったら、やってやろうじゃないか。見つかるまで、捜してやろうじゃあないか。
なんて、決意を新たにして、ゴミ山との格闘を続けようとした矢先。
「そんなところで、何してるんですかー?」
その声に、手が止まった。
声の方へと顔を向けて見れば、果たしてそこには一人の少女がいた。
明るい髪色に、活発そうな赤色の瞳。
整った顔立ちで、不思議そうに小首を傾げている。
ハッとするような美少女。なんてコテコテの表現が、なんの抵抗もなく頭に浮かぶ、そんな子だ。
スカーフの色からして、2年生だろうか。
全く気がつかなかった。側から見れば、今の僕は一心不乱にゴミ山を漁る変なやつである。まさか、こんな時間に、それもこんな所に来る生徒がいるとは思っていなかったから、すっかり油断していた。
ヤバい、今更ながらに焦ってきたぞ。
なにか言葉を返そうとしたのに、上手く音になってくれない。
「ねぇってば。何してたのって、聞いてるんですよ?」
すると、一向に応答しない僕を、僕の沈黙を疑問に思ったのか、少女は先ほどよりも距離を詰めて、そんな風に問う。
というか、近い。近い近い、手を伸ばせば届いてしまいそうな距離だ。
鼻をくすぐる甘い香りにたじろぎながら、僕はなんとか返答しようと、意識を集中した。
いつまでも黙っていては、変なやつというより失礼なやつになってしまう。
「あ、いやゴメン。捜し物を、してたんだ」
やっとの思いで言葉をひねり出すと、僕の返事を聞いた少女は、なおも疑問が尽きないらしく。
「ふーん。大事なもの、なんですか?」
などと、やや踏み込んだ質問をしてくる。
別にそれで気を悪くする僕ではないのだが、こうも率直に聞かれると、どうもくすぐったい。
かと言って答えずに無言を返すわけにもいかないので、僕は呼吸を整えてからハッキリと言った。
「ああ、とても大事なものだよ」
うん、こうやって声に出すと、やはり自分はまだまだ諦めていないのだなと自覚して、自認できる。
2時間そっとじゃ、全くもって僕を根負けさせるには足りていないのだと。
なんてことを思っていた僕に、少女は顔の両外側に跳ねた髪を弄り、弄っていた両手を頭の後ろで組むと。
「じゃあ、私も手伝っちゃいますね!!」
「えっ」
ニッとした笑みを浮かべて、突拍子もないことを言い出した。
んん?? いや、何でそうなった。僕の聞き間違えか?
「なんか大変そうだし、二人で捜したほーが早く見つかりますよっ」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
どうも本気に手伝おうと、そう申し出てくれているらしい。
どうすりゃ良いんだろう、そりゃ手伝ってくれるのは助かるしありがたいのだが。
「そうは言うけど君。もうこんな時間だし、僕は見つけるまで帰らないつもりなんだ」
「別に平気ですよー、わたしも遅くなるのはしょっちゅうだし」
それで良いのか中学2年生女子……
てか、何でこんなに乗り気なんだ。ゴミ山だぞ? ゴミ山漁りだぞ? こう、なんて言うか、この子みたいなタイプが一番嫌がりそうな作業じゃないか。
僕としてはやはり、気が引ける。
見ず知らずの女子に、そこまでさせてしまうことに。
「でもなぁ……」
そう思い提案を受け渋る僕に、彼女は何かを感じ取ったのか、両の手を体の後ろで組み、小さく前傾姿勢で僕の目線のやや下から、つまり上目遣いでこう言った。
「手伝わせてくださいよー、ダメぇ?」
「…………ダメじゃ、ないけど」
「やったー!! えへへっ」
同じ人類の喉から出ているのか、疑わしくなるほどに甘い声だった。気がついたら、了承と受け取れる言葉を発していた。
そして返事を聞くや否や、少女はシャツの袖口をまくり上げ、右腕をグルグルと回すと。
「よーし、それじゃあ!!」
やる気に満ち溢れた声でそう言いながら、一歩二歩と踏み出して、ふと思い出したように振り向き、彼女は言った。
「えーっと、何探すんでしたっけ??」
……うん、まぁ、そうだよな。まだ何を探してるとか言ってないし。
色々と理屈をこねくり回してしまったが、折角こうも力になると言ってくれているのだし、ここは彼女の好意に、素直に甘えてみるとしよう。
だからまずは、僕の探し物を伝えなくてはならない。
「ノートだよ、A4のノート。表紙に名前が──」
…………あっ。
そこまで言って、探し物を教えようとして、僕はまだ、僕らがお互い名乗り合っていないことを思い出した。
僕は彼女に名前を伝えていないし、彼女の名前を知らない。
これから力を借りるというのに、それは流石に不味い気がする。
きちんと名乗って名乗られて、話はそれからだ。
「悪い、自己紹介してなかったな。3年5組、
改めて向き合い、僕は名乗る。
すると少女も気がついたのか、正面から僕を見据えるように立つ。立って、僕の顔を、眼をジッと見つめてくる。
これほど真っ直ぐな、純粋な目で見られたのは、一体いつ振りだろうか。
赤い視線に射抜かれて、お世辞にも人付き合いが上手いとは言えない僕は、自分の背筋がピンと張るのを、どこか他人事のように感じていた。
つまりアレだ、緊張してきた。
美人は黙ってるだけで迫力があると言うが、それの美少女版だ。
表情筋が固まった僕を他所に、彼女は溌剌とした笑顔を浮かべると。
「わたし、伊吹翼で〜す!! クラスは2年2組っ、よろしくお願いしまーす!!」
背後にトーンでヒマワリでも咲かせたくなる、華やかな名乗りだった。つい釣られて、こちらまで口端が上がってしまうような、そんな。
「あぁ、よろしく伊吹さん。ホント助かるよ」
「わたしもちょうど暇してたから、気にしないでくださいよー」
あくまで軽く、こんなことは何でもないと言わんばかりに彼女は、伊吹翼は笑いかける。
気を遣われないようにそうしているのかとも思ったが、見た感じこれが彼女の素なんだろう。
「それで、ノートですよね? 2人で探せば、きっとパパッと見つかりますよっ」
ね? と、首を傾げて伊吹さんは笑う。
というか、本当によく笑うな。こうも嫌味のない、とても気持ちのよい笑顔を向けてくれると、先程まで僕の中にあった不安や疲労が、スッと抜けていくような気すらした。
自然と、こっちの頬も緩んでしまう。
とはいえ相手は初対面の女子なのだ。うっかり締まりのない顔を見せないように、気を引き締めて願い出る。
「そう、だな。よろしく頼む」
「はーい、よろしく頼まれちゃいました!!」
気合十分といった具合に手を挙げる伊吹さんの姿に、僕は最初にゴミ山を漁り始めた時とは、全く違う気持ちで手を伸ばすことができた。
■ □ ■
で、それから五分後。
「全然見つからないよ〜、わたし飽きてきちゃったかも……」
「何なんだぁあ君はあぁっっ!!!!」
思い切りずっこけながら、僕はつっこんだ。思わず、大きな声を出してしまった。
だって仕方ないじゃないか、あれだけの押しの強さを見せてノート探しを手伝うと言ってくれたのに、ものの五分でこれだ。
飽きっぽいってレベルじゃない、秋空の擬人化か何かなのか?
決してノート探しに飽きてしまったことに対して怒ってるとか、呆れてるとか、そういう訳ではないけれど、少しばかり驚いたぞ僕は。
「うぅ……でも〜、なんか想像していたのと違ってて」
「逆にどんな想像をしていたんだ……??」
「わたし、ちょっと休憩してきますねー」
「えっ、あ、おい伊吹さん」
いや自由か。
言いたいことを言うだけ言って、伊吹さんはゴミ山から下りてしまった。
想像と食い違いがあって、それが彼女の飽きの原因らしいけれど、僕にはその辺がさっぱり分からない。
この五分間は真剣な表情で黙々とノート探しに集中してくれていたように見えていたのだが、勘違いだったのだろうか。
まぁもとより一人で探していて、援軍が来るとは夢にも思っていなかったのだし、僕としてはこのまま捜索を続行するだけだ。
だけなのだが、何なのだろう。
ほんのちょっぴりだけ顔を覗かせる、この寂寥感は。
伊吹さんは勝手に手伝ってくれたわけで、彼女に探し物があったわけでも、僕が頼んだ訳でもない、だから本来彼女の行動に対して僕があーだこーだと考える必要はないのに。
……それこそ考えても仕方ないか。もう5時過ぎだし、早いとこノートを見つけないと。今日はかなり強い風が吹いている、いつまでも外にいたらそれこそ風邪をひいてしまうやも知れない。
僕は再びノートを探すため、未分別の山へ手をつけ始めた。
■ □ ■
それから更に20分が経過した。伊吹さんは戻ってこない。
もう帰ったのだろうか、仮にそうだとしても、それは仕方のない話だ。一体どう言うつもりで手伝うと言ってくれたのかは分からないけど、普通に考えればゴミ山漁りをしてる、それも初対面の相手を手伝ってくれていたのが驚きなんだから。
だから、これが当たり前なんだ。こうやって一人で探すのが当たり前で、当然のことだ。
伊吹さんが来てくれて、プラスになっていたものが元の状態に戻っただけ。
戻っただけ……なのに、どうやら僕は彼女の助力が、自分で思っていたよりも嬉しかったらしい。我ながら甘っちょろいと言わざるを得ないが、助けになってくれる人がいて、その人がいなくなってしまったことで気持ちが下向きになっているのかも知れない。
駄目だな、切り替えないと。
何はともあれ、ノートだ。
あのノートを見つける為に、僕はここにいるのだ。
しかし本当、あれはどこに埋まっているんだろう。
かれこれ二時間半は探しているにも関わらず、目当てのノートは影も形も見当たらない。
もし、このまま見つからなかったら……どうしよう。諦めるつもりはない、しかし諦めるつもりはなくても、明日の朝にはゴミ収集車が来る。それまでに見つけることが出来なければ、僕のノートは跡形もなく燃やされてしまう。
あー不味い、不味いぞ。意識しないようにしていたのに、ここに来て一気に不安になってきた。
無理矢理押さえつけていた、焦りってやつが、僕の心を締め付けてくる。締め付けられて、嫌な想像ばかりが僕の脳裏に浮かんでくる。
そんな、僕に──。
「あっ、センパイ!! 先輩これっ、見てください!!」
駆け寄りながら興奮気味にそう言ったのは、伊吹さんだった。
20分前にゴミ山から下りて、ノート探しから降りたはずの彼女が、何やら手に持ってこちらに走ってくる。
……いや、待てよ。何やら、じゃない。伊吹さんの手にあるそれは、長方形の薄い──ノートのように見えた。それもA4サイズの。
まさかと思いつつ、ゴミ山から飛び降りる。飛び降りたその足で、僕も彼女の方へと駆け出した。
もしかして、もしかしてだ。
高鳴る胸の鼓動に後押しされて、僕は走った。
二人して走るものだから、あっという間に僕らの距離は縮まっていく。
最後の数歩を走り終えて、数分前と同じように向かい合うと、伊吹さんは興奮冷め止まぬ様子で一冊のノートを差し出した。
「センパイっ。先輩の名前って、この字であってます?」
聞かれて、僕はノートの表紙を検める。
そこには紛れもなく僕の字で、『岩根勇吾』の4文字が書かれていた。
間違いない、僕のノートだ。僕が探していた、正にそのノートだ。
あぁ、良かった、見つかった。
そう思った瞬間、張り詰めていた身体中の緊張が解けたせいか、僕はヘナヘナと膝から崩れてしまった。
「センパイ大丈夫? もしかして、違ってました?」
すると急に膝立ちになった僕を心配したのか、伊吹さんはしゃがみ込み目を合わせるようにして尋ねてくれる。
一呼吸して、僕は言葉を返す。
「……いや、合ってるよ、僕のノートだ。悪い、ちょっとホッしちゃって」
格好のつかないとこを見られてしまったが、伊吹さんは意に介さず。
「やったー!! えへへっ、技術室の屋根に引っかかってたんですけど、取りに行って良かった〜」
彼女の言葉に、僕は耳を疑った。
技術室は本校舎から渡り廊下を通った先にあり、このゴミ山からはそこそこ離れている。
なんでまた、そんな所にノートが。
そう思った僕の目の前で、突風に煽られゴミ山からプリントの束がすっ飛んでいった。
……あぁ、そういうこと。
ゴミ山は三方をレンガの壁に囲まれており、普段は上からネットをかけている為、今のように風でゴミが飛んでいくことは滅多にない。
しかし、僕のノートは上の階から投げ捨てられたものだ。地上へ落ちる前に風に拐われたと考えれば、まぁ話としては筋が通る。
つまり僕は、そこにありもしないノートを延々と探していて、伊吹さんがいなければ明日の朝まで探し続けるところだったわけだ。
ん? というか今、伊吹さん屋根から取ってきたって。
よく見れば、彼女は制服のあちこちに桜の花弁をひっつけていた。確か技術室の側には大きな桜の木が生えていたはずだ、まさかアレを登ってノートを取ってきてくれたのだろうか。
そこまでして、僕のノートを。
そう思うと、僕は先ほどまでの自分を恥じずにはいられなかった。伊吹さんは帰ったんじゃないかって身勝手な憶測で凹んで、情けないにも程がある。
「……ごめん、伊吹さん」
「センパイ?」
「僕、伊吹さんは帰ってしまったんじゃないかって、そんな風に思ってて。伊吹さんはノートを探してくれていたのに……だから、ごめん」
立ち上がり、頭を下げる。
恩人に対して、失礼なことをしてしまった。ただただ申し訳なくて、僕は頭を下げ続けた。
しかし伊吹さんがしゃがんだまま僕を見るものだから、頭を下げているにも関わらず見上げられるというおかしな状態になってしまう。
「ふふっ。あっはは、真面目過ぎですよ〜センパイってば、そんなの言わなければ分からないのに」
そんな状態に耐え兼ねたのか、軽く吹き出しながら、伊吹さんは笑う。そして僕と目を合わせたまま立ち上がったので、こちらも釣られて顔を上げる。
改めて向き合うと、彼女の表情に僕への悪感情はこれっぽっちも無く、出会った時から変わらない純粋な目で僕を見てくれていた。
「でも、思ってしまったのは事実だから」
「だーからー、そんなの気にしてませんって」
それに。と間を空けて、伊吹さんは少し拗ねたように口を尖らせる。
「わたし、センパイに謝って欲しくて取ってきたわけじゃないんですよ?」
「うっ、ごめ……あー、うん」
確かに、さっきから謝ってばっかりだ。
それよりも先に、真っ先に、彼女に言わなくてはならない言葉があったのに。
……いや、言わなくてはならない言葉。は違うな。
これは僕が彼女に、伊吹さんに言いたい言葉なんだから。
上手く笑えているかは分からないが、精一杯の笑顔ってやつを浮かべて、僕は口を開く。今度の言葉は、思ったよりもすんなりと音になってくれた。
「ありがとう、伊吹さん」
その言葉に何を思ったのか、伊吹さんは一瞬これまでに見せたことのない、透き通るような表情で僕を見た。
「どーいたしまして、センパイっ」
ほんの一瞬だったから、それも直ぐにまた華やかな笑みを浮かべたから、僕の見間違いだったのかも知れない。でも、確かに彼女は何色にも染まっていない、混じり気のない顔をしていて。
──その純粋さが、僕にはどうしようもないほど眩しかった。
■ □ ■
「そういえば、あのノートって何が書いてあるんですか?」
「え"っ」
駅への道を歩く途中、伊吹さんはふと思い出したように尋ねてきた。急に尋ねられて、僕は野生動物の断末魔を思わせる掠れた声を出してしまった。我ながらよく出たな今の声。
そもそもなぜ僕らが並んで歩いているか、その点について説明するとだ。流石に時間も時間であるため帰路へ着くことにした僕たちは、お互い同じバスの路線を──方向は反対だが、使っていることを知り、ならバス停まで一緒に行きましょうよと伊吹さんが言い出して、特に断る理由のない僕が頷いた。という運びになる。
まぁその経緯は良いとして、良ろしくないのはこの質問だ。出来れば答えたくない質問だが、答えが返ってくると信じて疑わない伊吹さんの顔が隣にあると思うと、変に意地を張るのも不義理になる気がしてきた。
……仕方がない、本当に仕方がないけど、覚悟を決めよう。
「その、これは秘密にしてほしいんだけど……」
「あっ、いいですねそれ!! 二人だけのヒミツって感じですか?」
「んん? あー、そうだな。そういう事にしとこうか」
なんだか語弊がある誤解を招きそうな発言があったが、もう秘密にしてくれるなら、胸の内に秘めてくれるのなら、それで良いや。
僕は心の中で呼吸を整える、ここまで言ったからには、口にしたからには、教えなければならない。
墓まで持っていこうと考えていた、この秘密をだ。
よし、それじゃあ言うとしよう。これまで誰にも、親にですら言ったことのない僕の秘密を。
「小説だよ」
「……えっ?」
「だから、小説だよ。その……自分で書いてるんだ」
案の定というべきか、伊吹さんはキョトンとした顔で固まってしまった。
引かれたか? 引かれてしまったのか? あんだけ必死になって何を探していたかと聞かれて答えが自作の小説でしたと来て、ドン引いてはいないだろうか。
不安が、僕の胸を打つ。
これでも、中学三年生なりに文章の書き方や物語の構成ってのを調べて、一応のプロットらしき物を組み立てそれに沿って書いている……つもりだ。もちろんプロとして、職業小説家として物語を書いている人たちとは比べ物にならないと、そんな事は百も承知だ。
けど仕方ないじゃないか。書きたいと思ったら、心からそう思ったのなら、もう書くしかないじゃないか。
理解が欲しいとか評価して欲しいとか、そういう訳ではない。訳ではないけれど、これが理由で伊吹さんの僕を見る目が変わってしまったら嫌だなと、僕は。
「あの、伊吹さん。僕は──」
「すっっっご〜〜いっ!!!!」
突然の大声だったものだから、僕は二の句を継げられなかった。
大声をあげた本人、伊吹さんはキラキラした瞳を輝かせこちらに詰め寄ってくる。
「センパイ小説家だったんですね、すごいな〜!!」
「え、えぇえ? いやっ、そんな大そうなものじゃなくて、えと……」
あまりの吶喊ぶりに、僕は上半身をそらしてしまった。このまま放っておくと、こちらの手を掴んで振り回しかねないくらいのハイテンションだった。
もう何が何やらだ、何でこんなに食いついてくるんだろう。
すると伊吹さんは勢いに任せてか、とんでもないことを言い出した。
「読ませてくださいよ〜、センパイの小説!!」
「む、無理だよ!! 人に見せるようなもんじゃないし、そもそも未完成なんだ」
「えぇ〜? 良いじゃないですか未完でも、わたし読みたいな……ダメぇ?」
「コレばっかりは駄目だ。駄目ったら駄目!!」
顔の前で腕を交差し、バッテンを作り全力で拒否する。
いくら伊吹さんが恩人といえど、流石に書きかけの自作小説を読まれた日には僕の羞恥心が木っ端微塵になってしまう。
「もー、センパイって結構イジワルなんですね」
「勘弁してくれ……今ですら恥ずかしいんだから」
「あっ!! じゃあ完成したら読ませてください、それなら良いでしょ?」
さも良い感じの妥協案を見つけたような顔だった。
いや良くない、全然良くない。全く良くない、が。完成品を、書き上げた小説を誰にも見せずに、それこそ本当に墓まで持って行ってしまうのは、それはそれで何だか少し寂しいように思ってしまった。
「……分かった、分かったよ。書き上げたらちゃんと見せる、約束する」
「えへへ、約束ですよっ!! わたしに、一番最初に読ませてください」
約束してしまった以上、もう後には引けない。小説を書いているという事実に引かれていなかったのは素直に良かったのだが、引き換えにとんでもない一線を引いてしまった気がする。
ただ、まぁ。伊吹さんならきっと、気を遣わずに思った通りの感想を述べてくれるだろうし、それなら僕もきちんと受け止められるはずだ。
なんて事を話しているうちに、バス停が見えてきた。僕が使っているバス停は車道を挟んで向こう側にあるため、もう少し歩いて信号を渡るのだが、伊吹さんとはそろそろお別れである。
色々あった今日も、これで終わり。
そういえば、終わりといえば、最後に一つ伊吹さんに聞いておきたいことがあったなと、僕は憶いだした。
「なぁ伊吹さん。僕からも一つ聞いて良いかな」
「女子にモテる秘訣ですか?」
「いや知らないよ、てか何で君が知ってるんだよっ、よしんば知っていたとしても知ろうとは思わないよっ!!」
「あはは、センパイ面白〜い!!」
完っ全に遊ばれてる……初対面の相手にどうやったらここまでグイグイいけるんだ、パーソナルスペースが狭過ぎる。
上手いこと乗せられてる、彼女を調子に乗せている僕も僕だ。不思議とそれでも嫌な気にならないのは、伊吹さんの凄いところというか、ズルいところというか。
「えーっと、聞きたいことがあるんでしたっけ? わたしに」
一頻り笑って満足したのか、ようやっと真面に答えてくれそうな雰囲気だった。
なので僕も、真面に、真面目に、問い返した。
「うん、答えたくないんだったらそれで良いんだけど……どうしてあの時、僕を助けてくれたんだ?」
最初に手伝うと言われてから、ずっと気になっていた。
なんで、どうして、初めて会った僕に力を貸してくれたんだろう。
もしかすると、困ってる人を助けるのは当然だとか、人を助けるのに理由はいらないだとか、そんな聖人的答えが返ってくるのかも知れない。ただ、ほんの短い付き合いではあるけれど、伊吹さんはとても自由な人で、そういった信念に基づいて手助けしてくれた風には見えなかった。
助けてもらった身で言うのもなんだが、まるでご都合的なヒーローのように、彼女は僕の前に現れた。一人ぼっちの、僕の前に。
だから、気になった。気になって、聞かずにはいられなかった。
すると僕の疑問を受けとめて、伊吹さんはポツリと、こう溢す。
「センパイ、凄い一生懸命だったから」
あまりに、伊吹さんらしからぬ声色だった。
先ほどまでニコニコと笑っていた彼女は、これまでになく真面目……というより、どこか憂い気な表情をしていた。
「すごーく必死な顔で、センパイはなにかを探してて……」
俯いて、少し前の情景を見ているように、伊吹さんは言葉を紡ぐ。
「そんな夢中になれて、なんか良いなぁーって。わたしも一緒に探せば、なにか分かるのかなって。ただ、それだけなんです」
最後に、なぜか困ったような笑みを浮かべて、伊吹さんはバス停の列に並ぶ。
あぁ、そうか。
心のどこかで、合点がいった。
あの時、一度彼女がゴミ山から下りた時に、想像と違ったと言っていたのは、この事だったのか。
僕がノートを探していたのと同じで、伊吹さんもまた、自分が夢中になれるものを探していたんだ。
自然と、口が開いた。
もうお別れを言わなきゃならないタイミングで、けどコレだけは伝えたくて。
「見つかるといいな、伊吹さんの夢中になれるもの」
本心から、僕はそう思った。
伊吹さんが夢中になって、がむしゃらになって、一生懸命になれるものが見つかれば良いなと。
きっと、いや絶対、それを見つけた伊吹さんは、今まで以上に輝けるはずだ。
そんな彼女を見てみたいと、僕は思ったんだ。
「はいっ。わたし……わたしも、あとちょっとだけ、探してみようかな」
キラリと、出会った時みたいに、伊吹さんは笑ってた。
やっぱり、伊吹さんの笑顔には不思議な力がある。彼女が笑っているだけで、近くにいるだけの僕も、何故だか晴れやかな気持ちになってしまう。
「あぁ、きっと見つかるよ。僕のノートを見つけてくれたみたいにさ」
「えへへ、わたしが手伝ってたはずなのに、なんか助けて貰っちゃいましたね〜」
「いや別に、助けたとかそんなんじゃ──」
「それでも、ですよ」
僕の言葉を、遮りながら。
最後の最後に、今日一番の笑顔と共に。それこそ太陽のような燦々とした明るさで。
「応援してくれて、ありがとうございます。ユーゴ先輩っ」
……後になって思えば、思い返せば。この時にはもう既に、僕は伊吹さんを応援する側に立っていたってことなんだろう。