8月13日に迎え火を焚き。
8月16日に送り火を焚く。
期間中は全国的に休みとなって、親族が集まりお墓参りに行く。
俗にいう、お盆休みだ。
そのお盆休みというものが、僕はどうにも苦手である。
特に親族の集まる場所は頼まれたって行きたくない。いや、行くんだけどさ。
今年も8月13日、つまり昨日が丁度その親族の集まりであり、僕と父さんは岐阜に行っていた。と言っても岐阜にいるのは父さんの親族だけれども、いざ行けば聞かれたくもないことを聞かれるし、聴きたくもないことを聴かされる。
毎年そんなことばかりで嫌気が差す、父さんの顔を立てて、それこそ少しだけ顔を見せたが、よくもまぁ懲りずに人の顔をジロジロ見ながらしょうもない話を続けられるものだと、いっそ感心してしまうほどだ。
「すまないな、勇吾」
一通りの嵐が過ぎ去ってから、毎年決まって父さんは辛そうな顔で僕に言う。そんなことを言うくらいなら、最初から行かなきゃ良いのにと思う。これは僕が子供だからそう感じるだけで、大人からして見れば子供の理屈なのかも知れないけど。
まぁ僕のどうでもいい身の上話なんて聞くに耐えないだろうから、サクッと前に進みたいものである。
そう、サクッと前に、8月末までひとっ飛びしたい。
なぜかと問われれば、それは8月末に765ライブ劇場にて定期公演が行われるからであり、追記するならば僕はこの度遂にライブチケットを手に入れたからであると言葉を重ねさせて頂こう。
楽しみだなぁ。3回連続で逃した時には、本気で近所の神社にお祓いを頼もうかと考えたけど、捨てる神あれば拾う神ありだ。
そう思うと、そんなビッグイベントが控えていると思うと、心が軽い。
嫌なお盆も終わって、家に帰ればいつも通りの毎日が待っている。
学校は適当にやり過ごして、マスターのとこで小説を書いて、時々伊吹さんが茶々を入れに来る、そんな毎日が。
一応僕は15歳であり、中学3年生であり、世の中学3年生の大半には受験勉強なるものが迫っている時期だ。しかし僕が通う星見ヶ丘学園は小中高一貫校である為、その心配もない。
大学とか、その先については、まだ考えてない。
いずれは考えなきゃならないことだけど、今はまだ──
「勇吾……こんなタイミングだが、一つ聞いて欲しいことがあるんだ」
と、岐阜から東京へと帰るべく、車を走らせていた父さんが、唐突に口を開いた。
往々にして無口な父さんが、改まって僕に話を振ってきたのだ。
「私自身、悩みはしたが、それでも聞いて欲しい」
「なんか物々しいけど、どうしたの?」
嫌な予感がした。
こればっかりは長年の付き合いというか、親子だから分かる。
そして感じた通りというか、とやっぱりと言うべきか。
「──母さんが、お前との面会を望んでいる」
そういう予感ってのは、大抵当たってしまうものである。
■ □ ■
さて、先程僕の身の上話なんてと言ったばかりではあるけれど、流石にこうなった以上最低限の説明はするべきだろう。
僕の顔には、大きな火傷痕がある。
僕の人生はこの顔面右半分を覆う火傷痕に振り回されてきたし、こんなもん無ければと思ったことは1度や2度に収まらない。
そして火傷痕ができた切っ掛け、僕が火傷を負った原因というのが、他ならぬ実の母親なのである。
と言っても、故意に焼かれたとか、そんな話ではなく、母親の余所見による事故らしいのだが。
以来、僕は母親に会ってない。
正確には、会おうと思っても会えない状態にある。と言うべきか。
事故の後、母親は心を病んでしまったのだ。
とても責任感の強い人だったらしく、僕に会うと当時の記憶がフラッシュバックし過呼吸に陥ってしまう。そのため今は故郷の北海道に両親と、つまり僕の祖父母と暮らしており、精神病院へ通いながら生活しているらしい。
──と、そんな母親に会わないかと打診されたのが2日前で、僕はいつもの喫茶店で頭をうんぬんと悩ませていた。
病院の先生からは許可が下りているらしく、僕が頷きさえすればその日にでも飛行機に乗り込もうという話だ。
僕の、気持ち次第。
だから僕がノーと言えば、それで流れる話ってことになる。決定権は、僕にある。
父さんとしては、会って欲しいと思っているのだろう。
父さんが母親をどれだけ愛しているのかは理解しているつもりだ。表情の堅さに定評のある父さんも、あの人と電話をしている時は頬を緩めてるから。
じゃあ僕は、僕はどうなんだろ。
僕は母親に会いたいのか。
自分の気持ちで、僕の気持ちだ。
そして、僕の母親だ。
だから直ぐに答えが出ると思いきや、意外とそうでもない。今になって考えてみたところで、僕はどうすれば良いのか分からずに──って冷たっっ!!??
「えっへへ。こんにちは、ユーゴ先輩♪」
「……こんにちは、伊吹さん。とりあえず言い訳を聞こうじゃないか」
首筋を襲った冷たさに振り向けば、そこにはしてやったりと言わんばかりに赤い瞳を輝かせる、金髪の美少女──もとい、伊吹さんがいた。
片手に持ったアイスティーらしき液体が注がれたグラスを横目に、ジーっと目線を送りつけ弁名を待つ。
「えー、だってユーゴ先輩難しそうな顔してたから。そんな顔でライブに来たら、約束の投げキッスしてあげませんよ〜?」
「初耳だよそんな約束は!!!! というより、練習はどうしたのさ」
僕の記憶違いでなければ、彼女はライブの練習で忙しく、今だって絶賛レッスン中のはずだ。
そこで悪びれもなく、加えてとんでもないことを言い出した伊吹さんに、僕が再度尋ねると。
「今は休憩中でーす。1時間休憩だから〜、これ飲んだら戻りますね♪」
「えぇ……その為にわざわざ?」
確かにこの喫茶店と劇場はかなり近い立地であるが、にしたって往復すれば20分ちょいはかかる計算だ。
せっかくの休憩時間なのに、それで良いのだろうか。
「いいんですよー、来たくて来てるんだもん」
良いらしい。
まぁ、こちらにしたって止める謂れもないのだが。
「ところでユーゴ先輩、さっきからうんうん唸ってたけど、どうしたんですか?」
「……あー、えぇと」
聞かれて、僕は言葉に詰まった。
赤裸々に語る内容では、ないと思う。
というか急に話されたら、伊吹さんとて困るだろう。完全に身内の話だし、他人に語るには重い話だとも思う。
かと言って、このままダンマリでは気を遣ってくれた彼女に悪い気がして、まとめる前の言葉を溢してしまった。
「その、なんていうか。してもしなくても良いことなんだけど、自分の気持ちを決めかねているっていうか……」
あーもう、自分で言ってて支離滅裂だ。
勢いに任せて話すもんじゃない。
見ろ、伊吹さんも不思議そうに小首を傾げているじゃないか。
「だったら、しちゃえば良いんじゃないですか?」
「…………え?」
当たり前のことを諭すように、伊吹さんは言う。
「だって悩んでるってことは、しようかなって気持ちもあるんですよね? だったら、しちゃえば良いと思いまーす!!」
「気持ち、か……」
僕の、気持ち次第。
今回の件を、改めて考えてみる。
自分でも覚えていない事件で心を病んでしまった母親が、僕に会いたがっている。彼女は、どうして僕に会いたいのだろう。そして僕は、そんな母親のことをどう思っているのだろう?
しかしどれだけ考えたところで、母親に向ける気持ちが、いまいち定まらないのだ。
恨んでいた時期もあった。
それは確かにあった。
今更言い訳しようとは思わないし、客観的に見たって仕方のない感情のはずだ。
ただ、その辺の感情には2年前に決着をつけたつもりでいる。だから、今は別に恨んでない。恨んではないが、だったら今はどんな気持ちなのか。そこがハッキリとしない。
かれこれ10年以上も会っていないのだ。相手の顔は写真で知っているし、それが自分の母親であるという認識もあるけれど、そこから先に話が進まないのである。
……そっか、そりゃそうだ。
会ってないんだから、話が前に、気持ちが先に行けるはずがない。
だったら、どうするべきなのか。
答えは、目の前の少女が教えてくれたばかりだ。
「……そうだな、やってみるよ。ありがとう伊吹さん」
「えっへへ、どーいたしましてっ!!」
やるだけ、やってみよう。
そこにどんな結果が待っていたとしても。
にしたって、あんだけ悩んでいたのに、伊吹さんの後押し一つで決めてしまうというのは、我ながらちょろい気がしてきた。
でも、屈託のない笑顔を浮かべる彼女を見ていると、別にそれも悪くないように思えてしまう。
「ずるいよなぁ、そういうところ」
「ユーゴ先輩、なにか言いました?」
「いや、独り言だよ」
そう、ただの独り言だ。
言えるわけないじゃないか、君の笑顔を見ていると、不思議と勇気が湧いてくるなんて。
■ □ ■
案内されたのは、よくあるドアの前だった。
というか、北海道の祖父母の家の、その一室の扉の前である。空港からタクシーでやってきた僕は、一年ぶりの祖父母に挨拶を済ませたあと、ここに連れて来られたのだ。
……まさか、その日のうちに連れて来られるとは思ってなかった。母親の実家が空港近辺だったからとはいえ、とんでもない強行軍だ。
多分、父さんはこの日をずっと待っていたんだろう。僕と母親が会うこの日を。僕たちの関係は複雑に拗れてしまっているけれど、父さんにとっては二人ともが家族だから。
気を遣ったのか祖父母と父さんはすでに席を外しており、後は僕のタイミングでドアノブを捻って押せばいい。
この先で、母親が待っている。
実に10年ぶりだ。
もっとも、10年前のことは殆ど覚えていない僕にとっては、初対面と変わりないのであるけれど。少なくとも、母親目線だと10年ぶりに会う息子である。
──それは、一体どんな気持ちなのだろう。
正直、想像がつかない。向こうが僕に対してどんな感情を抱いているのか、予想ができないでいる。
どういう気持ちで、どういった感情で彼女は今、僕のことを待っているのか。
こんなこと、考えたって仕方がないのかも知れない。でも、一度脳裏をよぎったそれは、真綿のように僕の心を締め付けてくる。
これは僕が被害者で、あちらが加害者だとか、そんな分かり易い簡単な関係とは違う、もっと複雑な僕らの在り方にのしかかる重石だ。
だから僕は、その重石に今日ここで、正面から向き合わなきゃならないんだ。
一呼吸してドアノブに手をかけ、そのままガチャリと捻り扉を……扉を……
扉を、開かなきゃダメなのに。
おかしい、右手が強張って力が扉に伝わらない。ついでに言うと今更ながらに、僕は首筋を流れる汗を自覚した。
あぁそうか、緊張してるのか。僕は。
参ったな、こんなはずじゃないのに、覚悟は決めて来たはずなのに。
僕の体は捻ったままのドアノブと一緒に固まって、如何ともしがたい沈黙が続く。
「………………勇吾?」
そんな沈黙を破ったのは、小さな声だった。小さな声が、僕の名前を呼んでいた。
か細い、女性の声。
聞き覚えのない声だ。
しかし、部屋の中から声が聞こえたってことは、その主は一人しかいないわけで。
10年も聞いていなかったのだから分からなくても仕方ないとか、こんな声だったのかとか、そんな考えが頭の中を行ったり来たりする。
「本当に、来てくれたのね……」
「…………」
言葉が出ない。
言うべき言葉があって、言おうと思って来た話があって、それで、きちんと話をしなくちゃならないのに。
「…………ごめんなさい、急な話で。きっと、困ったわよね。今更、あなたに会いたいだなんて」
そんな僕の沈黙をどう捉えたのか、母親の声は微かに震えていた。震え声のまま、彼女は言葉を続ける。
まるで、こうなることを予期していかの如く。
「無理、しなくていいのよ。ここまで来てくれただけでも、私とても嬉しいの」
「…………」
「出来れば、本当はね、直接あなたの顔を見ながら、最近はどうしてるのか……なんて、そんなことを聞ければなって思っていて……それで、」
なんだ。
なんだよ、これ。
思ってたのと、全然違う。
そうだよ……ここに来るまで、なんだかそれっぽいことを心情として並び立てていたけど、正直ビビってたよ。
精神を病んだとか、僕の顔を見ると過呼吸になるとか、病院に通ってるとか言うからさ、てっきり僕は……僕は、この人だって本当は心のどっかで、僕には会いたくなくて、でも立場上会わないわけにもいかないから、自分の為にもこんな事を言い出したのかなって思って、それで……それでっ。
「──ちゃんと、あの時のことを、あなたに謝りたくて」
「………………っ」
でも、違うじゃないか。
声を聞いて、言葉を聴いてはっきりと分かった。
この人は、最初から自分のことなんてコレっぽっちも考えてなかったんだ。
彼女は、僕のことを考えていた。僕のことだけを、考えてくれていた。
自分自身、思うことがあって。とても苦しんでいて、辛いはずなのに。そんな姿を見せまいとして、気丈に振る舞って。
それは、それはまるで──
「もちろん、謝って許されることじゃないわ。でも、それでも……」
まるで、本に読んだ母親みたいだった。
「本当に、ごめんなさ──」
「あのっ!!!!」
反射的に、扉を開いていた。
さっきまでの、締め付けられているような感覚を振り切って、その先の言葉を聞きたくない一心で、僕は声を上げた。
何度か写真で見た顔が、そこにはあった。
写真の顔よりも少し歳をとっていて、ちょっと窶れたようにも見える。まさか入ってくるとは思っていなかったらしく、その顔は驚きに染まっていた。唇は震えていて、それでも必死に言葉を紡ごうとしていて。
なので、続きをぶった斬るべく、僕は言った。
「──母さん」
「────っ」
息を飲む音を立てて、彼女の……母さんの顔が固まる。これでようやく、たった今思いついた僕の言いたいことが言えそうだ。
「僕、幸せだから。これまで色々あったけど、今は元気にやってるよ」
さっきまで一言も喋れなかった分を清算するように、母さんに一歩ずつ近づいていく。
「確かに、全部なかったことには出来ないかも知れないし、するべきじゃないとも思う」
でもさ、折角こうやって会う機会ができて、面と向かって話せるようになったんだし……それに。
「僕、母さんに謝って欲しくてここまで来たわけじゃないんだよ?」
言いながら、母さんの手を握る。
細くて白い、僕は覚えてないけれど、10年前は毎日のように握っていたはずの手を。
そこが、分水嶺だった。
要は、謝罪の涙と。
「あ、ありがとう……勇吾っ。来てくれて、ありがとう」
感謝の、涙の。
見開かれていた瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちてくる。止まらずに次から次へと、頬を伝って落ちていく。
「元気に育ってくれて、ありがとうっ。あの人の側に居てくれて、ありがとう」
いかん、いかんなぁ。
そんなつもりはなかったのに、自然と目尻が熱くなってきた。似合いもしないキザな台詞を吐いた後で、自分が泣いてちゃ台無しだ。
今は僕がしっかりするべきタイミングだ。
分かってて母さんの涙腺を刺激したのだから、責任を取らなくちゃならない。
これ以上何を言われたって、どっしりと構えて──
「──生きててくれて、ありがとう」
……いや、ほら。我ながらね、よく耐えた方だと思うんだ。だから、だからさ。
────もう、泣いてもいいよね?
■ □ ■
結局、僕と母さんは涙腺がボロボロになるまで泣いて、泣き疲れて、それでもこれまでの話をした。
これまでの、10年間の話を。
一晩かけてひたすら話倒した。もうネタが無くなるってくらい、時間が過ぎるのも忘れて。
おかげで僕は自分の母さんがどんな人なのか何となく理解できたし、母さんもそうだと思う。
ただ、僕らの間にあった溝が、今日で完璧に埋まったとは思っていない。そんな簡単に埋まっていい溝じゃないし、それはこれから時間をかけて埋めていくものだから。
でも確かに今日、止まって錆び付いていた歯車が動き出したのは、紛れもない事実だ。
そう、歯車は動きだした。
僕や家族を、そして何故か伊吹さんも乗せてグルグルと、グルグルと。