誰が為のツバサ   作:パンド

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ツバサとドルオタ

 

 

 スランプ、という言葉をご存知だろうか。

 これは不調や不振を意味し、気力や体力が一時的に衰え気味となりモチベーションが激減する状態を指す英単語だ。

 現代においてもスポーツ選手などの数値と向き合いながら生活している人をはじめとし、大勢の人間を苦しめている。

 理由は身体的、精神的に情緒的と多岐にわたり、またそれらが複雑に複合化することもあって原因の解明は困難とされているらしい。

 さて、ここまで言ってしまえば、勘のいい人でなくても分かってしまうだろう。

 

「ユーゴ先輩、大丈夫??」

「あまり大丈夫じゃないかも……」

 

 僕──岩根勇吾は、絶賛スランプに陥っていた。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 8月末、である。

 以前から告知していた通り、765プロライブ劇場の定期公演はもう目前に迫っていた。なので、伊吹さんはこれまで以上に忙しそうで、そして楽しそうに準備中の出来事なんかを語ってくれる。なんでも、前回ぶっつけ本番で披露した曲の形を、より良いものにしようと奮闘中らしい。

 そんな中、僕はライブへの期待が昂まり過ぎてしまい、執筆に集中できなくなってしまっていた──訳ではない。そうではないのだ。

 確かにライブに対しての期待度は上がる一方だし、実際とても楽しみにしていることも事実であるけども、しかしそれが原因で小説に手がつかなくなる僕ではない。と、自負したい。

 

「でもでも、ユーゴ先輩もそういう風になるんですね〜。なんだか可愛いですよ?」

「可愛いは余計だ可愛いは、ったく人が真剣に悩んでるのに」

 

 公演間近であるにも関わらず、当たり前のように喫茶店へとやって来て、目の前に陣取った伊吹さんは、ケラケラと笑ってカフェオレを飲むと、僕のノートを指差して。

 

「ねぇユーゴ先輩、わたし途中でもいいから読んでみたいな〜、ダメぇ?」

「ダメです、絶対ダメ」

「むぅ〜、今ならいけると思ったのに」

「なんでいけると思ったかなぁ……」

 

 危ない危ない、油断も隙もない人だ。

 以前から時折、こうしてふとした瞬間に言質を取ろうとしてくる彼女を、今日もこうして避けていく。

 完成までは絶対に読ませるもんかと、僕は決意を固くした。

 ……まぁ、固くしたところで、肝心の執筆はここのところ全く進んでいないのだが。より正確には、三日前の夜からだ。

 そう、三日前の夜。

 あの晩、僕は母さんと通話をしていた。

 あの晩というか、ここのところ毎晩連絡を取り合っているんだけど。僕から連絡することもあれば、母さんからくることもあるし、基本的に毎日1時間ばかし話をしている。

 北海道で数時間語ったくらいじゃ僕たちの時間は埋まらない──なんて感傷的な話ではなく、単になんとなく部屋の子機で電話してみたら、なんとなく話が続いて、それがなんとなく続いているってだけの話だ。追記するのなら、僕と母さんは小説の趣味が合うらしく、最近は互いに薦めた本を読んだりして感想会じみたものを開いたりしている。

 だから三日前の夜も、僕はいつものように母さんとの通話を終え、リビングで父さんと過ごしていた。僕は小説を黙々と読み、父さんはパソコンを開いてお仕事だ。

 すると藪から棒に。

 

『今日も話していたのか?』

『ん? あぁ、母さんとね。もしかして聞こえてた?』

 

 主語のない問いかけだったが、そこは僕と父さんだ、意志の疎通に困ったりすることはなかった。

 

『少しな、にしてもここ数日毎日じゃないか』

『あはは……いや、なんか止まんなくって』

 

 決して咎めるような言い方ではなく、むしろ嬉しそうな声ではあったけれども、軽い驚きを含んだ父さんの声色に、僕は苦笑する。

 そして、次に父さんはこう言った。

 あくまで軽く、それでいて真剣に。

 出来れば、頷いて欲しいと、そんか気持ちを滲ませて。  

 

 

『じゃあ、いっそのこと一緒に住むか? 母さんのことがあるから、俺達があちらに引っ越すことになるが』

 

 

 僕は、頷けなかった。

 けど、否定もしなかった。それも悪くないかもって、心の何処かで思ったからだ。父さんも今すぐ決めて欲しいってノリではなかったし、話は有耶無耶になったけど、あれは決して冗談ではなかったと思っている。

 それ以降、僕はずっと悩んでいる。悩み過ぎて、小説に手がつないくらいに。

 一緒に暮らせたら、きっとそれは素晴らしいことだ。僕が独り立ちするのが何年先になるかは分からないが、少なくともその日までは側に居られる。失っていた分まで、近くに居たい、居てあげたいと思う。

 でも、こっちにだって恩師である永先がいる、とても親身になってくれたマスターがいる。彼らがいない北海道に進学するってことがどういうことか、分からない僕ではない。

 それに──

 

「……ユーゴ先輩?」

「あぁ、ごめん。ちょっと考え事してて、もう時間だろ?」

 

 向かい合って、こちらを見つめる伊吹さんに、僕は反射的にそんなことを言ってしまい、案に仄かしてしまう。

 そろそろ劇場に戻った方が良いんじゃないのか? と。事実彼女は限られた時間を使ってここに来ていて、時計を見ればもう劇場に向かうべき頃合いではあったが、僕がそれを促したのは初めてのことだった。

 案の定、少し驚いた表情を見せる伊吹さん。

 

「そうですけど〜、わたしユーゴ先輩のことが心配で」

「心配してくれるのはありがたいけどな、コレばっかりは自分の問題だから」

 

 不安そうな顔をする伊吹さんの顔を見ていると、本当に僕のことを案じてくれているのだと伝わってくる。

 でもこれは僕の問題で、僕たち親子の問題だ。だから、ライブを控える彼女を巻き込みたくない。

 だったらそもそも不調を表に出すなという話になるけれど、あの話を意識するとどうしても筆が進まなかった。

 

「大丈夫だよ伊吹さん、こういうの前にもあったし、何とかなるって」

「…………」

 

 スランプはこれが初めてではない、というのはまるっきり嘘だったけど、伊吹さんに心配をかけたくない一心だった。

 すると彼女は納得してくれたのか、喫茶店の扉に手をかける。

 そして伊吹さんは扉を開けて、夏の日差しを受けながら、背中越しにこう言った。

 

「──私、頑張りますからね。ユーゴ先輩に私たちの可愛いところも、カッコいいところも、元気なところも、全部見てもらえるように」

 

 だから、と彼女はこちらに顔だけを振り向いて。

 

「私のこと、ちゃ〜んと観ててくださいね、ユーゴ先輩♪」

 

 不敵な笑みを浮かべながら、そう宣言したのだった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 伊吹さんの宣言から二日が経った。

 結局執筆は一行も進まず、けれど時間だけは確かに二日分進んで、とうとうこの日がやって来た。

 765プロライブ劇場、そこで行われる定期公演当日だ。

 僕がここを訪れるのは、伊吹さんのオーディションに付き添った時以来になるので、これが2回目となる。

 前回来たときは開館前だった為、当然のように伽藍堂であったエントランスホールも、今は若い世代を中心とした大勢の人達で溢れかえっていた。

 右を向けば売店にグッズを持ったファンの生み出した長蛇の列、左を向けば巨大ポスターの前でカメラを構えた人達が順番待ち。

 すごい光景だ。

 しかし生憎ながらグッズを買うお金も、カメラもスマホも持っていない僕には無縁な列である。中学生の身にはチケット代だけでも重たいのだ。

 お、あれが伊吹さんの言ってたフラワースタンドってやつか、思ってたよりだいぶデカい。僕はてっきり仏壇に添えられているような花束の、ちょっと大きなバージョンを想像していたのだけれど、あれじゃフラワースタンドというよりフラワーキャッスルだ。花が立っているのではなく、花で建ってる。

 まぁ、そんな具合にホール内を一通り見て回ること数十分。パンフレットに記載されていた開場時間はもう直ぐのはずだが……

 

『あ、あー。御来場の皆様、本日は765プロライブ劇場(シアター)定期公演にお越し頂き、誠にありがとうございます。大変長らくお待たせいたしました、間も無く開場のお時間となります。御入場に際しましては、係員の指示に──』

 

 ちょうど良いタイミングで流れた、どこか聞き覚えのある声のアナウンス。すると待ってましたと言わんばかりに、先ほどまであちこち散っていた人達が、急に秩序立って動き始めた。

 どうやらスタッフの人達が席順を考慮し、順次場内に案内してくれるらしい。

 ……僕何番だったかな。

 慌ててチケットに書かれた席番を確認すると、すでに出来つつあった人の波に乗っていく。

 そして波に乗り、扉を潜ると、そこには数百人程度の観客を収めるに足るライブホールが広がっていた。

 ステージは二段構成で、カラフルな装飾が目に眩しい。こういった場に来るのは初体験である僕から見ても、立派なステージだと思えた。

 にしても、火傷痕のこともあるしで正直ここに来るまで緊張していたのに、この場にいる人達は恐ろしいほど僕に無関心であった。皆んなが皆んな、アイドル達のことしか眼中にないと言うべきか。座席に座った後も、彼ら彼女らは隣席のファン同士であーでもないこーでもないとアイドル論を繰り広げている。

 そうなってくると、たまたま後輩がアイドルになったというだけで、天下の765プロASは兎も角、その他のメンバーであるところの『39プロジェクト』の面々については未だに顔と名前が一致していない僕としては、早くも肩身が狭いように感じてしまう。

 話しかけられたらどうしよう。

 アイドル話に花を咲かせるなんてのは論ずるまでも無く、無論無理だし、これまで対人関係をドブに捨てて来た僕には、初対面の相手と気の利いた会話をこなせるスキルはない。

 幸い──というのが正しいかはさて置き、幸いにも僕は壁に接している端っこ席を割り当てられており、隣の席は空席であった為、先ほど心配したような状況には陥っていないが、これだって時間の問題だ。

 むしろ、通路の関係で端2席だけが、つまり僕とお隣さんの席だけが中央席が分断されていることを思えば、お隣さんのそのまたお隣さんからの助力を得るという名の、僕以外のメンツで盛り上がってもらう──なんて未来にも期待できそうにない。

 考えてみると、幸いでも何でもないな、これ。

 いっそのこと、このまま隣席が空席のままであってくれたら、僕の精神衛生面上非常に助かる。急な用事とかでさ。

 もう開演時間も迫ってきたことだし、これはワンチャンあるのではなかろうか。いや、隣に誰もいなければなんて贅沢は言うまい、せめて僕みたいなコミュ障拗らせた置き物が隣にいても苦にしなさそうな、普通の人が来てくれれば──

 

「セーーーーフ!! ギリギリセーフですよっ、いやぁまさかのアンコールで開場入りが遅れた時はどうなるかと思いましたけど、ありさの悪運は尽きてなかったみたいですね〜!! ムフフ、実に楽しみですね今日のライブ!! いえ、ライブが楽しみなのは毎回一緒ですけど、今回はあの伝説の曲が披露されるとの噂が経っているわけですから、この会場のざわつきも頷けるところでしょう!! 他のアイドルちゃんからも目が離せない最高の1日になりますよ〜!! あっ、どうもです、今日はよろしくお願いします!!」

 

 

 どうしよう、ワンチャンなかった上に凄い人が来てしまった。

 

 

 

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