赤い髪の少女だ。
長い赤髪をツインテールにした、マスクをしているが恐らく同年代であろう少女である。
きっとこの先、一生涯拭えないであろう強烈なインパクトと共に、彼女は隣の席に着いた。
着席──してしまった。
つまりそれは、この赤髪の少女が僕の隣席のお客さんである決定的な証拠であった。
なんというべきか想像の十倍くらい、そして願望の百倍くらい濃い人が来てしまった。
どうすれば良いんだ、いやでも挨拶? をされた以上はこちらも返すのが礼儀だろう。
「えと、その……どうも、よろしくお願いします」
「はい!! えへへ、すみません騒いじゃって。今日が楽しみ過ぎて昨日からテンションMAXが止まらないんです〜!! 先週リリースされた桃子ちゃんセンパイのソロ曲を始めとしたライブ未歌唱の曲は勿論、今回のメンバーを考慮するとユニット曲の方も激アツですからね!! あっ、因みに今日のありさはジュリアちゃん推しです。アイドルちゃん達を分け隔てなく推していきたい所存ではありますが……ムフフ、今日の一推しは誰かと聞かれればジュリアちゃんと答えざるを得ないでしょう!!!! おっと、ごめんなさい。ありさばかり話しちゃって、あなたの推しアイドルちゃんの話も聞かないとですね!!」
一息で言い切った赤髪の少女は、目を爛々と輝かせ、鼻息を荒くして僕の回答を待っている。
す、凄い……一を言うと百が返ってくる感じだ。え、これ答えないとダメなやつ?? だいたい『おし』ってなんだ、おし……押し……いや、推し──?
なるほど、推しアイドル。つまり応援してるアイドルってことだろか。
しかし問われたところで、そう尋ねられたところで、僕が答えとして返せるアイドルは限られている。
「あーっと、僕は……伊吹さん、ですかね」
「ふぉ〜!! 翼ちゃん推しでしたか!! いいですよね翼ちゃん……よい……まず顔がいい!! スタイルがいい!! 歌がいい!! ダンスがいい!! そして性格もいい!!」
確かにいい性格をしているけども。
「それになんと言ってもあの表現力!! どんな曲でも自分流に歌い上げて、踊ってしまう翼ちゃん!! アレンジが効き過ぎてるなんて意見もありますが、あえて言いましょうそれが良いと!! ムフフ、分かりますよ〜一眼見て翼ちゃんに心を奪われてしまうそのお気持ち!! これだからアイドル道は止められませんっ」
……ちゃんと見たことなくてゴメンなさい。
少女の熱量にあてられて、僕はよく分からない罪悪感を抱きつつあった。そのつもりはないのに、なんだか騙しているような気分だ。
向こうは多分僕のことを御同輩だと、つまり765プロひいては『39プロジェクト』の熱烈なファンだと思って話している。だが、その正体は後輩を見に来たアイドル道のアの字も知らない素人である。
時間はあったのだから予習なりなんなりしてくれば良かった。お盆やら北海道やらスランプやらは言い訳だろう。
「そ・れ・にっ、翼ちゃんと言えば今月頭に行われたあのライブ!! ジュリアちゃんがぶっつけ本番でやると言い出した時は驚きましたけど、あんなステージを見せられちゃ誰も文句は言えないですよ〜!!」
話には聞いてるけどそれも見たことありません……いや、もう限界だ。これ以上は罪悪感でどうにかなってしまう。
「あとは──」
「あ、あのっ」
もはや勢いとどまるところを知らない少女の発言を、隙を見て止める。
キョトンとした表情でこちらを見つめる視線に、心が折れそうになるのを感じつつ、それでも僕は口を開いた。
「ご、ごめんなさい。僕、これが初めてのライブなんです」
「……え?」
周りの喧騒から取り残されて、僕たち二人を静寂が包み込む。
「その、ここのライブが初めてとか、そういうのでもなくて……アイドルのライブが初めてって意味で、あの……すみません、言い出せなくって」
「…………」
水をぶっかけられた焚火ように、少女は押し黙ってしまった。そればかりか、今にもどこかへ殴りかからんと握りしめていた拳も膝の上に置いて、ただでさえ小柄な体を縮こませながら、彼女は言った。
「…………ご、ゴメンなさい。迷惑でしたよね、私」
そんなしおらしい声に、まっこと失礼ながら僕はこう思ってしまった。
えっ、誰だこの人。
■ □ ■
「…………」
「…………」
あれから、つまり僕が自分はライブ初心者であると打ち明けてから、少女はすっかり大人しくなってしまい、その憔悴っぷりは見ていて心を痛めるほどだった。
どうやら僕みたいなビギナー相手に捲し立てていたことが、彼女にとって相応なダメージであったらしい。
先ほどまでの含蓄を語っていた勢いは何処へやら、すっかり静かになってしまった赤髪の少女。
さりとて僕も僕で、かける言葉がなくなってしまい、微妙に気不味い空気が漂う。
で、やや経ってから、少女は重い口調でこう切り出した。
「……私、アイドルの話になると、どうしても舞い上がっちゃって。相手のことも考えずに、本当ゴメンなさい。困っちゃいますよね、あんな風に語られても」
「いや、そんなことないです」
ほとんど考えずに、僕はそう答えていた。
さっきの姿を、楽しそうにアイドルを語る姿を見ていた分、今の落ち込んだ少女を見ていられなかったからだ。
なんとかして励まそうと、いつもならあり得ない勢いで舌を回す。
「確かにびっくりはしましたけど、それだけですよ。その、アイドルことが好きなんだなって凄く伝わってきましたし……あー、僕は見ての通りの初心者なので、むしろ色々ご指南頂けると嬉しいな、とか。そんな風に思ってるぐらいなんで」
──と、そこまで言い切って、僕は少女の様子を伺った。
どうにか復活してくれと、天に祈った。
すると少女は、俯かせていた顔を上げ、おっかなびっくり──なんて使い古された擬音が、綺麗に当てはまる様子で、
「ほ、本当ですか? 気を使って無理したりしてませんか?」
「いえ、全然、全くこれっぽっちも。頼もしい人が来てくれたなって感謝してるところですよ」
本音を言うなら気遣い6割本心4割のニアミス黄金比ではあったが、今は彼女を第一に考えなければ。
「で、でしたら不肖このありさが、アイドルちゃんを応援する方法をレクチャーさせて貰いますね!!」
「よ、よろしくお願いしまーす」
良かった、調子が戻ってきたらしい。
「まず最初にお話ししておきたいんですが、はっきり言ってアイドルちゃんの応援に正解はないんです」
もちろん周りの迷惑になるような行為は駄目ですけど、と少女は話を続ける。
「なので、これはあくまで一般論として聞いてください。その上で、自分なりの応援をして貰えれば大丈夫ですよっ!!」
うーん、想像以上に深い教えだ。
つまりアイドルを応援する際の定石はあるにはあるけれど、それはあくまでも型の一つであって、それに囚われる必要はない。
他人の応援を邪魔しない範囲であれば、自分が思う応援が、自分にとっての正解になる。
彼女はそういうことを伝えたいのだろう。
「分かりました、心に留めて置きます」
「あはは、ありさみたいな若輩者が言うのもなんですけどね。では気を取り直して、メジャーな小道具を紹介しますよ〜」
そう言って少女が取り出したのは、光る棒だ。いや、光る棒としか言いようがない棒なのだ。長さは15cm程度であろうか、強い赤色に光っている。
更に辺りを見渡せば、周囲のお客さんも同じように光る棒を取り出しているのが目に入る。
「これはサイリウムとペンライトです。ライブ中にこれを振って応援すると、客席が一色に染まって綺麗になるんですよっ。ちなみに化学反応で光るのがサイリウムで、電池で光るのがペンライトです」
「化学反応」
「そうなんですっ。こう両手で持ってポキっと折るような動作で圧を加えると、内部の化学物質が反応して光る仕組みになってます」
はぁ〜、そうなのか。確かにエントランスの売店で似たようなやつを売っていた気がする。
この光が客席全体を埋め尽くすとなると、結構壮観な感じになりそうではあるな。
「他にも大きな団扇に文字を貼り付けたりとか、ありさが着てるみたいなライブTシャツだとか、ライブ用タオルなんかもありますよ〜」
この辺りは追々ですね、と赤髪の少女。もう赤髪さんで良いだろうか。彼女にはどうも敬称を付けたくなる。
「とりあえず最初は多色ペンライトを一本持っておくと便利だと思うので、ありさの予備がありますから、今日はこれを使ってください」
「えっ、悪いですよそんな」
「心配ご無用ですっ!! ありさにはこれがありますから!!」
赤髪さんの視線を辿ると、彼女の腰にはホルスターのようなものが巻いてあり、そこにはついさっき説明してもらったサイリウムが大量に備えられていた。
何本あるんだこれ。
しかも赤髪さんのカバンからは腰にあるのと同じホルスターが覗いており、彼女の底知れなさを物語っている。
……大人しく受け取ろう、そうしよう。そうするのが正しい気がする。
「じゃあ、ありがたく使わせて貰いますね」
「どうぞどうぞ、右のボタンの長押しがオンオフで、点いた後は短押しで色が変えられます」
「どれ……お、こんな感じかな」
「ペンライトの使い方はこれでバッチリですね!! 今日のところはありさの色に合わせておけば問題ないと思います。基本的にアイドルちゃんのイメージカラーに合わせて色を変えるんですが、曲によってカラーがある場合もあるので、ここも追々で──あ、あと最初は色を合わせるのも大変でしょうし、もしステージに集中出来なくなりそうなら、無理にペンライトを使わないと言うのも手です!! それじゃあ本末転倒ですしね」
ギアが上がってきたのか、赤髪さんの台詞が長くなってきた。ただ、さっきの違い言ってる言葉の意味はなんとなく分かる。
「次はコールですねっ、曲によっては歌詞の合間にこちらが合いの手を入れたりするんです。色々なパターンがありますから、最初は周りに合わせて、少しづつ覚えていけばいいと思います、慣れてきたらライブ前に予習をするのも効果的ですよ〜」
「あー、音楽番組で時々聞こえるやつですかね?」
「ですです、でも番組では客席の音を絞ってることが多いですし、生のコールは迫力満点です〜っ!! もちろん、コールをせずに曲に集中したいって方もいますから、あくまで任意なんですけどね」
時折目にする週末の音楽番組を思い返しながら相槌を入れると、赤髪さんは満足気にそう補足した。
コールか。
そういうのもあるんだな。
アップテンポな曲にタイミング良く入れることが出来れば、やってる側も気分がよくなるのかも知れない。
「それに──」
赤髪さんが、話を続けようと口を開きかけた時だ。
ホールの照明が落ちた。
辺りがざわつくが、それは困惑ではなく歓喜を表すものであると、初見の僕にも分かる。
明かりが消えたことで、サイリウムの輝きがより一層際立ち、それはまるで客席をうねる光の波のようだった。
「ありさに伝えられるのは、ここまでみたいですね。でも、最後に一つだけ」
隣を見れば、出会ったときと同じくらいに瞳を輝かせる赤髪さん。
最初は彼女を元気付けようとしての頼みだったけれど、すっかりお世話になってしまった。お礼をしたいところだが、もう時間がない。
これまで以上に、それこそマスク越しにでも伝わるような晴れやかな笑顔を浮かべて、赤髪さんは言う。
「──楽しんでください、このライブを。心の底から!!!!」
こうして、僕にとって初めての、そして一生忘れられないライブが始まった。