「そうだ、あらためてになるけど──ライブお疲れさま。最高だったよ」
夏祭りの会場へと向かうバスに揺られ、カエルのお面を見ながら、僕はそう切り出した。ライブについて話そうと思えばキリがないけれど、当日は会えるタイミングがなく、お昼の時は伊吹さんの不意打ちに気を取られたりで、ライブの感動を、感想を伝えそびれていたからだ。
バスの中という密閉された場所ではあるが、周りの乗客もお喋りに夢中だし、これで身バレなんてことはあるまい。
まぁ、さっき手を握られたおかげでバクバクしてる心臓を、会話でもして落ち着かせたいってのもあるんだけど。
「わたしのこと、ちゃんと見ててくれました?」
「うん、見てた。最後まで全部」
「えへへ、カッコよく出来てましたよね!! 3人で頑張ったんですよ〜」
今はカエルのお面で半分隠れている為、僕からは伊吹さんの顔半分しか見えなかったが、それでも彼女があのライブを思い出しハイになっているのは分かった。
なんかもう目がホントに光って見えそうなくらいだ。
でも、気持ちとしては僕も同じだし、こうやってあの時の興奮と高揚を分かち合えるのは、とても得難いことだと思う。
出演者としての伊吹さんと、観劇者としての僕とで。
「ギターを弾いてた……ジュリアさんだっけ。あそこからの流れは、間違いなくあの日一番の盛り上がりだった」
「そこの演出も、プロデューサーさんと一緒に考えたんです。これまでで一番のアイルで魅せようって、わたし達の新しい最高を観てもらおうって」
だとしたら、彼女達とプロデューサーの目論見は、見事達成されたことになる。
僕は以前に披露された3人の曲──アイルを見たことはないけれど、それでも会場のブチ上がる瞬間を肌で感じた身としては、あれは最高だったと断じて言わせて欲しい、最高を塗り替えていたと断言させて欲しかった。
だからこそ、僕は問いかける。
「……伊吹さんは、どうだった?」
「わたしですか?」
「ああ、ライブは──アイドルは、楽しい?」
分かり切っている答えを、それでも本人の口から聞きたくて。
「さいっこーに楽しいですっ!! 当たり前じゃないですかぁ〜」
ニヤッとした勝気な笑みを浮かべて、伊吹さんはそう言った。言い切ってくれた。
やっぱり、そうなんだ。
あの時の、探し物をしていた君はもういないんだな。
今、僕の前にいるのは、見つけたものを、見つけた居場所で心から楽しんでいる、最高に輝く伊吹さんだ。
そんな彼女が、どうしようもなく眩しい。
「あ、そうだ。ユーゴ先輩って、このみさんと知り合いだったんですね」
すると、ちょっぴりセンチメンタルになっていた僕を現実へ引き戻すように、伊吹さんは話を振ってきた。
このみさん──馬場さん、馬場このみさん。
伊吹さんと同じく39プロジェクトに参加しているアイドルの一人で、昨日のライブに出演していた一人でもある。
「んー、知り合いっていうか、いや知り合いであることには違いないけど、馬場さん学生の頃にマスターのとこでバイトしてたらしくてさ」
「ライブが終わった後、岩根くんにヨロシクねって言われて、わたし驚いちゃいましたよ〜」
「そっか、そうだったんだ。こちらこそ、素晴らしいステージでしたって、伝えて欲しいくらいだよ」
小柄であるが、そんなことは些事であると言わんばかりに大人としての矜持を持った女性。というのが、僕が馬場さんに抱いていた印象で、昨日のライブを観ていて自分の目に狂いはなかったと、そう確信することができた。
MCでの進行はピカイチだったし、細かいファンサービスにも余念がなく、水面下のまとめ役って感じだった。
それになにより、歌だ。
馬場さんの歌。
大人の恋愛を、切なく歌い上げる馬場さん。
あの声と、表情と、手足の先まで使った表現力に、会場は圧倒されていた。
歌唱後に起きたのは大歓声──ではなく、消えることのない拍手の嵐だった。
情熱的ではなく、情愛的に。
感情的ではなく、感動に包まれて。
馬場さんのステージに、誰もが黙って拍手をする他なかったから。
「……それはイイですけど〜。わたしのこと、もっと褒めてくださいっ」
「えぇ、まだ足りないのか?」
もう結構褒めた気でいた僕に、伊吹さんはカエルのお面を押し付けて来そうな勢いで迫ってくる。
あー、ダメだ。近づかれると集中できない。また心臓がうるさくなって来た。本当何なんだ今日に限ってこんな。
「このみさんの10倍褒めないとダメ〜っ、10倍ですよ、じゅーばい!!」
「何なんだ、その計算……」
鼓動を誤魔化そうとした、そんな気の抜けた僕の返事に、伊吹さんはちょっと不満そうな顔をすると、次の瞬間さも名案が浮かんだと言わんばかりの顔をして。
「そうだ、わたしばっかり褒められてたら不公平だし、先にわたしがユーゴ先輩のこと褒めますね!!」
「…………え????」
その理屈はおかしい。
なんで僕が褒められなくっちゃならないんだ。
「えっと、じゃあ先ずは──」
「いや、待て、待とう、待って伊吹さん。今言うから、ちゃんと言うって」
祭りの会場まで、残り五分。
僕は伊吹さんがどうやっても止まりそうにないことを察し、昨日のライブを脳裏に思い描きながら、彼女に口を開かせる間も与えまいと、残りの褒め言葉を探し始めた。
■ □ ■
人、人、人。
どこを見ても人だ。人だらけだ。
視界に人を収めない方が難しいくらいに、そこには人しかいなかった。社会から溢れて炙られがちな僕には辛い場所だ。
「────帰っちゃダメかな?」
「も〜、いつまで言ってるんですかぁ。早く行きましょうよ〜」
「夏祭りがこんなに混むだなんて思ってなかったんだよ……」
左右を屋台に挟まれた大きな道、その入り口で力尽きそうになっていると、伊吹さんがそう言いながら背中を突いてくる。
仕方なしに進み始めると、屋台の姿がきちんと見えるようになってくる。左の屋台では花を、右の屋台では飴細工を売っていた。
僕はてっきり、こういう場所では──べらぼうに高い焼きそばやら焼き鳥やら、味付きの炭酸水やらの屋台が延々と続くものだと思っていたので、正直驚いていた。
特にあの飴細工。
展示用に置いてあるのだろう犬や猫の飴細工も見事だが、僕の目を引いたのは、今まさに店主のお爺さんが作っている鳥の細工だった。
あれはカワセミだろうか。翡翠の体に、鋭い嘴、広げられた羽根は脈動的で、棒の先端に固定されているにも関わらず、今にも羽ばたきそうに錯覚してしまう。
「……綺麗だな」
「えっ? わたしがですか?」
「いや、あの飴細工が」
そう言うと、伊吹さんは唇を尖らせて。
「ユーゴ先輩ひど〜いっ、こういう時はちゃんと女の子を見てないと──わー、ホントだぁ!! お爺さん、それなんて鳥なんですか〜?!」
言ってる途中で自分の台詞を放り出し、飴細工の屋台に行ってしまった。
本当、鳥みたいに自由な人だ。
鳥の名前に、飴細工の作り方に、使っている道具の名前。
といった調子で矢継ぎ早に質問を投げかけてくる伊吹さんの勢いに、若干押され気味なお爺さんに加勢すべく、僕は財布から小銭を取り出して、屋台へと向かう。
「へぇ〜、カワセミって言うんですねっ。キレイだな〜。あっ、じゃあそっちの花は──」
「ほら伊吹さん、僕たちが居座ってたら他の人が見えないしさ。そのカワセミは僕が買うから、そろそろ行こう」
「いいんですか〜?! えへへ、ありがとうございま〜す!!」
買い取った飴細工をビニールの包みに入れてもらい、伊吹さんに手渡すと、彼女は上機嫌になって鼻唄を零しながら歩き出した。
そんな彼女の後ろについて、僕は歩く。
しかし、なにが気に食わなかったのか、僕が後ろを歩き出すや否や、伊吹さんは僕の方へと振り向き。
「ユーゴ先輩ってば〜、隣空いてますよ?」
なるほど、それでか。
僕が後ろにいることが不満だったらしい。
別に後ろにいても隣にいても、それで何かが変わるわけでもないだろうに。
そう思い、伊吹さんの隣に立って歩いてみる。
「……えへへ」
僕が隣に立つと満足してくれたようで、伊吹さんはまたまた嬉しそうな顔で歩き始めた。
ふと横を見てみれば、顔半分を覆うお面の隙間から、彼女の笑顔がチラリと覗く。
なんだろう。
なんでだろう。
隣同士、並んで歩いているだけなのに、なぜだか胸が、ドクンと強く脈を打つ。
彼女の仕草に、笑顔に、心を乱されてしまう。
このままじゃ不味いと、理由は分からないがとにかく不味いと、僕は思わず視線を外した。
『──わっ、目ぇ合っちゃった』
『ヤバいヤバいって』
で、外して5秒で後悔する羽目になった。
こちらを──僕の顔を見てヒソヒソ話をしていた人達が、面白いくらいに全員が顔を逸らして、僕らの横を通り過ぎていったからだ。
…………まぁ、分かってたさ。
こういう場所に来れば、そういう目で見られるってことくらいは。
だからこそ、今まで絶対夏祭りだとか、人の集まるイベントには行こうとしなかったんだから。
ただ、分かっていても、見当違いであったとしても、伊吹さんとの時間に水を差されたような、そんな気持ちにされてしまって。
ちょっぴり、いやだいぶ気持ちが下がってしまった。
なんて、僕の心情が顔に出ていたのか。
「ユーゴ先輩、大丈夫?」
心配されてしまった。
心配を、かけてしまった。
僕が悪い──わけでもないと思うけど、それでもやっぱり、申し訳ないとも思ってしまう。
伊吹さんは出会った時からずっと、火傷痕のことを全く気にしていない。だからきっと、僕が急に落ち込んだように見えたんだろう。
「ごめん、大丈夫。次行こうか」
そう言って、なけなしの笑顔を作ってみせる。だが、伊吹さんは全く納得していない様子で僕の目を覗き込むと。
「嘘。ユーゴ先輩、辛そうだもん」
「ホント平気だって、気にすることないよ」
わざわざ今の今まで触れてこなかった、そして見向きもしないでいてくれた火傷痕について、なにもこんなところで話したいとは思えなかった。
歩いてる人たちがちょーっと僕の顔見て面白がってるだけだよ、なんて言われても伊吹さんだって反応に困るだろう。
こんなことで、せっかくの夏祭りをふいにしたくない。
でも、今の伊吹さんを言いくるめられる気も全くしない。
これまでになく強い意志を秘めた瞳で、彼女は僕を見つめてくる。その純粋さと、ある意味ではこれが僕の独りよがりな我儘である後ろめたさから、つい目を逸らしてしまう。
──ああ、チクショウ
これじゃあまるで、さっきの人達となにも変わらないじゃないか。
そんな、どうしようもない僕に。
「ユーゴ先輩、あれっ、あれ買いましょうよー!!」
言うが早いか、伊吹さんは小走りで駆け出した。
さっきみたいに、バスへ乗った時のように、僕の手を引いて。
「えっ、ちょ、伊吹さん?!」
連れて行かれた先は、まぁ分かっちゃいたけど屋台だ。両側を屋台に埋められた道なんだから、当然だ。
「おばさーん、これくださーい!!」
「はい、まいど〜、300円だよ。いいねぇお揃いかい?」
「はい、センパイとお揃いでーっす!!」
そこは、お面の屋台だった。
動物やら、キャラクターやら、特撮やら、色とりどりのお面に囲まれた屋台。
伊吹さんはその中から青色の、カエルのお面を購入すると、それをずいっと差し出してきた。
「これ、飴のお返しです!! これでわたしとお揃い、ね?」
「…………」
──きっと、伊吹さんは分かってない。
僕が火傷痕のことで気を落としていたのも、僕がそれを彼女に悟らせまいとしていたことにも。
伊吹さんは分かっていたら口に出す。口に出して、言葉にして、きちんと心配してくれる。伊吹さんは、そういう人だ。そういう人なんだって、僕は信頼してるから。
けれど、だからこそ分かる。
彼女は分からないけど、分からないから、どうにか僕を元気付けようとしてくれたんだって。
「ありがとう、伊吹さん。すごい嬉しいよ」
「えへへ、やっと笑ってくれましたねっ」
受け取ったお面を、顔の右側を──火傷痕を隠すように着ける。
不思議と、それだけで気持ちが落ち着いてきた。
お面で顔を隠せるからとか、それだけじゃなくて。伊吹さんがこのお面くれたから、きっとそのことが大事なんだ。
お揃いのお面を身につけて、僕たちは歩き出す。
夏祭りの道は、賑やかな縁日は、まだまだ続いているのだから。
■ □ ■
一つだけ、ハッキリと言っておきたい。
誰が悪いって話ではない。
ただ、運が悪かった。それだけの話だ。
僕も、伊吹さんも、母さんも、誰も悪くなんてない。
少しボタンを掛け違えていれば、こんなことにはならなかった。
だから、これは不幸な事故で、不運な出来事なんだ。
──そういう、そういう話だ。
■ □ ■
想像以上の予想以上に、僕は夏祭りってやつを楽しんでいた。
夏祭りって、もっとこう雑多に屋台が立ち並んでいるのだと思ってのだが、ここの祭りはコンセプト毎に屋台の配置が決められているらしく、僕らはストラックアウトや輪投げのあるゲームコーナー的なゾーンを歩いていた。
「おじさん、おじさん!! 次の弾くーださいっ!!」
「おいおい勘弁してくれ、これじゃあ商売にならんじゃないか」
歩いていたところ、運悪く天性の遊び屋である伊吹さんに目をつけられた射的屋が、店じまい寸前に追い詰められていた。
容赦ないなぁ、打つ弾打つ弾が景品を棚から押し落としていく。
見ていて気持ちが良いくらいだ。
もっとも、店主の顔は気持ちが悪そうな青色になっているけど。
すでに全弾を打ち尽くし、ついでに言うなら何も取れなかった僕は、目の前の一方的な搾取を他人事のように眺めていた。
「なぁ兄ちゃん、アンタこの嬢ちゃんの連れだろ?? 花火の穴場を教えるから、この辺で仕舞いにしてくれよ」
僕に言われてもなぁ……いや、でも花火か。伊吹さん、そういうの好きそうだし、聞いておいて損はないのかな。
それに、確かにそろそろ止めないと、景品を詰めた袋が膨らむばかりだ。
「伊吹さん、向こうの方は飯の屋台が多そうだし、食べに行こうよ。もう十分落としたろ?」
「え〜、まだ落とせますよ〜??」
「ついでに店の売り上げも落ちそうだな……あ、ほら、あの人達もあっちの屋台で買ってきたんじゃないか?」
と、すれ違ったグループの手元を視線で示してみる。凄いな、発泡トレイの上にステーキが乗ってるぞ。
「ステーキ!! ユーゴ先輩、早く行きましょうよ〜!!」
「助かったぜ兄ちゃん、8時になったら西側の脇道に行きな──さぁ射的だよ〜、見ての通り落とし易い!! 今なら弾一つオマケするよ〜」
「商魂たくましいなぁ!!!!」
ステーキに釣られた伊吹さんに連れられ、伊吹さんに絞られた分を取り返そうとする店主の声をバックに、フードコート的な様相を呈しているエリアへ進む。
大して離れていたわけでもないらしく、目当ての場所はすぐに見えてきた。
「ステーキ〜♪ アツアツステーキ〜っ!!」
目の色を変えてとはよく言ったものだが、今の伊吹さんは眼から光線でも放ちそうなくらいだ。
彼女の歌にあてられたのか、僕の方までステーキが食べたくなってきた。
「僕もステーキにしようかな……」
「えへへ、じゃあそっちもお揃いですね〜!
!」
「あー、確かにそうだけど……」
それだと、なんでもペアで一緒にしたがる人みたいじゃないか。
待てよ、側からみれば僕と伊吹さんも、同じようなものなのか……??
そんなことはないと思うけど、思いたいけど──お、良い匂いがしてきた。
まず最初にスパイスの効いた脂と肉の香りに、ソースやマヨネーズの香りが漂ってくる。コレだけですでに食欲が刺激されるが、やがて店の旗が目に付くようになり、辺りには思い思いの食事を手にした人が目立つようになってきた。
そして、ガヤガヤとした喧騒の中。人々の話し声も、足音も、水ヨーヨーを弾ませる音も、その全てを通り抜けて。
僕の耳にハッキリと。
肉の焼ける音が、届いた。
「────────っ」
「……センパイ?」
顔が熱い。
お面に隠れた、顔の右側が、燃えるように熱い。
僕はその場に蹲り、お面の内側に手を当てる。
熱くない。
熱くないはずがないのに、こんなにも顔が熱されているのに。なんで、なんでだ。
熱い。
熱い。
熱い。
「ユーゴ先輩っ!!!!」
誰かの声が聞こえる。
声に答えたい、応えたいけど、熱い。
目の奥がチカチカとして、視界がおかしくなりそうだ。
熱い、ただひたすら熱い。
熱い、熱い、熱い。
まるで顔を焼かれたかのように、火傷痕が熱い。
────────熱い。