誰が為のツバサ   作:パンド

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翼とツバサと夏祭り(3)

 

 

 

 ──こんな筈じゃなかったのに。

 

 伊吹翼は、目の前で起きていることが理解できなかった。

 昨日は、彼女にとって特別な日だった。

 ようやっと岩根勇吾──ユーゴ先輩にライブを観てもらえて、ライブを通して彼の力になれた気がして、それがとっても嬉しくて。

 だから、今日の夏祭りだって翼は全力だった。

 母に着付けてもらった浴衣に、父が用意してくれた下駄、兄はお面をくれて、姉はどうすれば男子をドキドキさせられるかを伝授してくれた──不意に手を握ったり、ちょっとしおらしくしてみたり、そうすると彼は顔を赤くして慌てるものだから、それがとっても新鮮で。

 そんな先輩を見ていると、自分も不思議な気持ちになってくる。

 胸がポカポカして、心がフワッと浮かびそうになって、事実彼女は浮かれていたのだろう。

 その感情の名前を、彼女はまだ知らない。

 知らないけれど、そこにある心地よさは変わらないから、伊吹翼は今日という日を全力で楽しんでいた。

 素晴らしい一日になるはずだった。

 なのに。

 それなのに。

 

「ユーゴ先輩!! どうしたんですか? ねぇってば!! 返事してくださいよ……っ」

 

 いつもみたいに、『なんだい伊吹さん』って、ちょっと困った風の表情で彼女の話を聞いてくれる先輩は──岩根勇吾は、どこにもいない。

 ここにいるのは顔を押さえて、苦しそうに呻いている、弱り果てて蹲ってしまった少年だ。

 翼は、これ以上ないほど混乱していた。

 こんな時、どうすればいいのかなんて知らない。分からないし、そもそも訳が分からない。

 彼と一緒にいるようになってから4ヶ月ほどになる翼だが、こうなった姿は見たことがない。落ち込んだり、悩んだり、元気がないことはあっても、こんなにも取り乱したりはしなかった。

 

「────あ、つい」

「あ、熱いの? でも……」

 

 そう言われて、ビッシリと汗のかいた彼の額に触れてみても、熱があるようには感じられない。

 祭りの熱気に当てられたとか、熱中症だとか、そういう症状ではない。

 

(どうしよう……どうしたら、わたし……っ)

 

 考えれば考えるほど、思考がドツボに嵌っていく。

 今までは、近くに頼れる人がいた。

 家には家族がいるし、学校には友達や先生がいる。アイドルを始めてからは仲間も増えて、どんなピンチも皆んなと乗り越えてきた。

 そして、皆んながいない時に、翼が迷っても──彼が、岩根勇吾が側にいて、必ず手を引いてくれた。

 だが、周りにあるのは夏祭りの喧騒だけ、誰もこちらに気付いてはいないし、電話で誰かを呼ぼうにも距離がある。

 だから。

 今、彼を助けられるとしたら。

 

(わたし、しかいない……わたしが、わたしがユーゴ先輩を助けなきゃ!!)

 

 しっかりしろ伊吹翼。と、自分に言い聞かせ、翼は集中する。彼を助けるために、必要な情報を精査する。

 スーッと、頭から余計な熱が消えていって、観るべきものと聴くべきものがおぼろげに感じられる状態へ、一種のトランスへと入っていく。

 こうなる前と、後とで条件が異なる箇所はないのか、それがトリガーを探す鍵になるはずだ。

 あの時、翼はステーキに夢中になっていた。好物のステーキを見かけて、このエリアに近づくと匂いもしてきて、先輩もステーキの匂いに釣られていた──ここまでは問題なかった。

 景色も、それほど変わったわけではない。強いて言うなら、焼き物の屋台が増えてきたようには見えたが。

 残る要素は、音くらいしか残ってない。音と言っても、それこそ肉の焼ける音がよく聞こえ始めて──

 

(ステーキ……焼き、もの?? 焼ける音──)

 

 熱い、と岩根勇吾はそう言った。

 苦しそうに、でも何かを伝えようとして。

 彼は熱さを感じている。では、その原因は何なのか。

 

「音……そっか音だ。ユーゴ先輩、立ってください。わたしが何とかするから……っ!!」

 

 この辺りを境に、焼き物の屋台が増えている。だから、肉の焼く音がよく聞こえるようになった。

 彼を苦しめているのは、きっとこの音だ。

 そう判断した翼は、声をかけ両手を彼の両耳へと押し当てる。すると、心なし症状が落ち着いたのか、表情が苦悶から和らいでいく。立つように促すと、ヨロヨロとではあるものの、立ち上がってくれた。

 翼は屋台の隙間に脇道を見つけると、ゆっくり、ゆっくり、音から少しでも遠ざけようと歩き出した。

 二人の姿が、夏祭りから消えていく。

 けれど当の二人以外、誰もそのことに気がつかない。

 夏祭りは、まだ終わらない。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「──ごめん、伊吹さん」

 

 脇道を歩いて15分。

 顔色が落ち着いてきたので、一旦ベンチに座って3分程度。

 ようやく平静を取り戻した岩根勇吾は、覇気のない声でそう零した。

 

「ユーゴ先輩、今は大丈夫なんですか? 苦しくない?」

「うん、あの音が聞こえなければ、平気だよ」

「……よかったぁ、わたしビックリしちゃって」

 

 平気と言ったのは強がりではないようで、彼の様子はいつも通りに戻っていた。

 体は問題ない。

 しかし心まで平気かと聞かれれば、決してそうではなく。

 

「せっかく誘ってくれたのに、本当ごめん」

「もぉ〜、謝るの禁止ですっ!! そりゃ驚きましたけど、それだけだもん……」

「でも、僕が──」

「ユーゴ先輩??」

 

 翼は謝って欲しいわけではなかった。

 最初に出会った時、彼がノートを探していたのを手伝った、あの時みたいに。

 彼女は、自分がそうしたいという理由で行動しただけなのだから。

 今日だって、あの瞬間までは凄く楽しかったのに、そんな風に謝られてしまったら──まるで、これまでの楽しい時間が無かったことになってしまう気がして、翼はそれが嫌だった。

 それでも、なおも謝ろうとする勇吾の瞳を、ジッと見つめる。すると彼は観念したように項垂れ。

 

「──ありがとう、伊吹さん。おかげで助かったよ」

「どーいたしましてっ」

 

 調子を取り戻してきたのか、困ったような苦笑を浮かべる勇吾の姿に、翼は安堵した。

 大丈夫。

 まだ、大丈夫。

 これなら、自分たちの夏祭りは終わらない。こんなところで、終わらせたくない。

 

「ユーゴ先輩、ちょっと待っててください。わたし、食べ物とか買ってきますね」

「えっと、伊吹さん??」

 

 話が飲み込めていない勇吾へ、翼は安心して欲しくて笑いかける。

 自分たちの夏祭りは、まだまだ終わらないのだと知ってもらう為に。

 そうだ、そもそも──翼にとっての夏祭りは、彼と一緒に回りたいという気持ちから始まったのだから。別に祭りの会場に行けなくったって、二人でいられるのなら、それでいい。 

 そんな単純なことに、やっと気付けた。

 

「そしたら、一緒にご飯食べて、花火も観て──二人で夏祭りしたいなーって、だから行ってきます!!」

「あっ、ちょっと伊吹さん!!」

「すぐ戻りますから〜〜!!!!」

 

 きっと、ここからでも楽しい夏祭りになると信じて疑わずに、伊吹翼は駆け出した。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 焼きそばに、ステーキ、鈴カステラとプラカップに入ったジュース。

 あとはおまけで貰ったりんご飴。

 少し買いすぎた気もするが、二人で食べるのだからこのくらいは大丈夫だろうと、翼は両手にビニール袋を持ちながら、勇吾の待つ道を目指していた。

 

「えーっと、確かこの辺だったよね」

 

 記憶を頼りに、目当ての脇道を進む。

 これだけあれば、二人ベンチに座って、食べ物をつまみながら、いつものように取り止めのない会話をして、花火が始まるまでの時間を潰すには十分過ぎる量だ。

 花火が始まったら、二人で感想を語り合って、どっちの花火が好きかを言い合って、それで──

 

(今度こそ、わたしが綺麗だって言って貰ったり……えへへ)

 

 今も懐にしまってあるカワセミの飴細工には負けてしまったけれど、もし勇吾からそうやって言って貰えたら、翼は今日を最高の気持ちで終えられる気がしていた。

 祭りの始めに、半ば言わせてしまったような形の『綺麗』とは違う、繊細な飴細工にも、派手な花火にも負けない『綺麗』を。

 もし、受け取ることが叶ったのなら、伊吹翼は間違いなく幸せだ。

 そもそも。

 どうしてこうも彼に褒めて欲しいのか、翼は自分でもよく分かっていなかった。

 彼女がふわふわとした退屈感に悩んでいた頃に出会った、一生懸命な顔をしていた年上の男の子。

 話してみると結構面白い人で、自分が好きなものに夢中になっているセンパイ。

 翼がアイドルになるきっかけをくれた。

 勉強を教えてくれてたりもして、二人目の兄ができたみたいだった。

 そして、あの時。

 オーディションに落ちて、バックコーラスの練習も上手かなくて──翼が道に迷っていた、あの時に。

 彼に手を引かれて、翼はもう一度、自分がなぜアイドルをしているのかを憶いだすことができた。

 翼はアイドルが好きだ。

 アイドルは、自分の夢を叶えてくれるから。誰かを笑顔にできる自分を、そこに居させてくれるから。皆んなに幸せな笑顔を浮かべられる自分を、伊吹翼は誇りに思っている。

 なら、今。彼女は誰を一番笑顔にしたいのか──

 

「……あれ、もしかしてこっちじゃない?」

 

 ふと、翼は立ち止まった。

 記憶にある脇道へ入ったつもりが、進めど進めどそこで待っているはずの人が見つからない。

 確かに彼を脇道へ連れていった時は無我夢中で、記憶違いがあってもおかしくない。

 道を間違えたかも知れない。

 そんな予感は、誰も座っていないベンチを見つけたことで確信に変わった。

 

(でも、似たような道だったし……あっ)

 

 思い当たったのは、入っていった脇道の方向だ。

 最初、南から北へ伸びる道を歩いていた二人は、右側──つまり東側の脇道へ入った。

 その後、翼は買い物を済ませて歩き出し、同じように右側の脇道に入った。

 しかし、サークル状の広場に展開したエリアを回っているうちに──彼女は北から南へと続く道を歩いていた。

 そうなれば当然、その状態で右側へ行けば当たり前だが、行き先は西側だ。

 よって、翼は勇吾がいる道とは反対側へ来てしまっていたことになる。

 といっても、単純に方角を間違えただけなので、気付いてさえしまえばなんの問題もない、道を戻って正しい順路を進むだけの話だ。むしろ、正しい道を進んだはずなのに、居るはずの彼が居ない場合の方が大問題である。

 

(ちょっと時間かかっちゃうかもだし、急がないとっ)

 

 けれど、焦りがあったのだ。

 ユーゴ先輩を待たせているのだという、焦りが。

 翼は引き返すために振り返った。

 振り返って、元のお祭り通りを経由して、勇吾の待つ場所へと帰ろうと歩き出した。

 でも歩いているうちに、少しずつ早足になって。

 強いて言うなら、彼女は今日の祭りのために、馴れない下駄をはいていて。

 

 

「────えっ」

 

 下駄がアスファルトの割れ目に引っかかり、勢いよく転けてしまった。

 しかもだ。

 更に、運の悪いことに。

 翼は二人で楽しむはずだった、食べ物の入ったビニール袋を自分と地面の間に挟み込むような形で倒れた。

 結果は、最悪だ。

 

「ウソ……」

 

 今日のために用意した着物は、焼きそばやステーキのソースにまみれ、溢れたジュースを盛大にかぶってしまった。

 別の袋に入っていた鈴カステラも、りんご飴も滅茶苦茶になってしまい、とてもじゃないが美味しく食べられそうにはない。

 そして、極め付けに。

 

「…………痛っ」

 

 それでも立ち上がろうとした翼は、自分が足首を痛めたことに気が付かざるを得なかった。

 骨に異常がある感触ではないけれど、捻挫していることは間違いないし、とてもじゃないが体重をかけて立ち上がるだなんてのは無理な話だ。

 浴衣はぐちゃぐちゃで、食べ物は全部ダメにしてしまい、足首は自由が効かない。

 もう、岩根勇吾の元へは戻れない。

 先ほどまで彼女が思い描いていた、二人の夏祭りが、音を立てて崩れていく。

 

「いやだ、なんで……わたし、わたしただ……」

 

 二人で、夏祭りを楽しみたかっただけ。

 そんな簡単な願いすら、今の彼女には叶えられない。

 そればかりか、大きなショックを受けたせいで、翼はかつてないほどネガティブな思考になりつつあった。

 『二人の夏祭り』

 これそのものが、自身のワガママだったのではないかと。

 先輩の気持ちを考えずに──いや、彼ならきっと喜んでくれると無責任な信頼を押しつけて、自分が一人で盛り上がって、その結果がこのザマなのではないのか。

 もっと彼に、どうしたいのか希望を聞いて、その上で動いていれば、自分にできることをきちんと考えていれば、こんな事にはならずに済んだんじゃないか。

 皮肉なことに、幸いなことに、今の翼にできることは一つだけ。

 懐のスマートフォンで、家族に助けを求めるしかない。事情を話せば、きっと直ぐに助けに来てもらえる。けれど、その先に待っているのは何なのだ。

 兄か父親に背負って貰って、その姿のまま勇吾を迎えにいく??

 あまりに惨めだ。

 あんな大見栄を張っておいて、転んで全部駄目にしちゃって、家族に来てもらいましただなんて、どの口で言えるのか。

 

(でも、それしかないんだもん……仕方ないよ……)

 

 誰に言い訳をしているのかと思いつつ、翼はスマホを取り出そうとして着物の懐に手を入れた。

 そのせいで、気がついてしまった。

 先輩が綺麗だと褒めていた、カワセミの、飴細工。

 

「あ──」

 

 彼に買ってもらった、懐にしまっていたそれすらもが、転んだ衝撃で粉々に砕けてしまったのだと。

 それを見て、見てしまって。

 自分と先輩との間にあった繋がりに、亀裂が入ったような気がして。

 

「あああぁ……いやだ、やだよ……」

 

 砕けてしまう。

 いっぱいいっぱいになっていた、彼女の──伊吹翼の心が。

 このまで頑張っていた、一途な想いが。

 積み上げてきた、彼との時間が。

 ただ、一緒に夏祭りへ行きたかった。

 それだけなのに。

 

 ──こんな筈じゃなかったのに

 

 非情な現実が、14歳の少女の心にヒビを入れて、目に入る惨状が──汚れた着物が、駄目になった食べ物が、砕けた飴細工が、ヒビを大きく成長させる。

 

「やだよ……助けてよ──」

 

 そして。

 そんな時、極限まで追い詰められた時、人は細かい理屈を取り去って、今その時に、一番に助けて欲しい人の名を口にしてしまう。

 あの人はここに来られない。

 翼はそれを誰よりも分かっている。

 分かっているからこそ、自分は一人で来たのだから。

 でも、そうだとしても。

 ありえないと知っていても。

 絶対に助けてはもらえないのだと理解していても。

 

 

「助けて、ユーゴ先──」

「────────伊吹さんっ!!!!」

 

 

 だとしたら、『絶対』なんてものは当てにならないんだと証明するために、彼は──岩根勇吾はそこへ来た。

 

 

 

 

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