誰が為のツバサ   作:パンド

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ツバサの気持ち

「おい岩根、なに死んだ魚みたいな目ぇしてんだ、不審者扱いされたいのか?」

「たった今不審者扱いされてた生徒によく言えるなその台詞!!」

 

 やれやれと肩を竦める永吉先生──永先と一緒に、僕は職員室を出て下駄箱に向かっていた。

 すれ違う生徒が、僕の顔を見てはヒソヒソ声で話しているのが目に入る。

 いや、まぁ……なんというか、今回ばかりは僕の自業自得的なところがあるので、致し方なしではあるのだけれど。

 ことの始まりは、夏休み明け初日にまで遡る。

 一文で言うと──伊吹さんが喫茶店に来なくなった。

 以前にも述べたが、別に僕達は毎回喫茶店で会う約束をしているわけでも、そこで落ち合う取決めを交わしていたわけでもない。

 なので、伊吹さんが来ないからって、僕がどうこう言う筋合いはない。

 だから僕は、それでも僕は、きっと前の時みたいに間が空いても、伊吹さんは来るだろうと思っていた。

 ……思っているうちに、一ヶ月が経ってしまった。

 

「いやしかしだ、俺は感心しているんだぞ。後輩の教室に乗り込むなんて、お前も大胆なことができるようになったんだな、あの小心者だった岩根がねぇ」

「……その結果がこれじゃ世話ないけどさ。あと、しみじみと悪口を付け加えるな」

 

 自分でも、よくあんなことができたなと驚いてるよ。

 一ヶ月が過ぎ、僕は思い立った。

 思い立ち、放課後伊吹さんのクラスを訪ねたのだ。

 けれど、すでに彼女の姿はなくて。

 そればかりか、空振りした上に、「最近の翼ちゃんは様子がおかしい」「元気がない」「原因はお前なんじゃないか」と疑いをかけられ、ちょっとした騒ぎになってしまったのだ。

 で、騒ぎを聞きつけた担任の先生に、職員室まで連行され取り調べを受けていたところ、我らが永先に拾われたというのがことの顛末である。

 

「でも、アレだぞ岩根。黙ってなにを言われても言われるがままでいる必要はないんだぜ?」

「それは……分かってるよ。分かってるさ、ただ──」

 

 彼女の──伊吹さんの様子がおかしいのが事実で、元気がないのも事実だとしたら……その原因が僕である可能性を、僕は否定することができなかった。

 あの時、夏祭りの最後、僕が北海道への進学を考えていると伊吹さんへ告げた、あの時に。

 伊吹さんは、僕に──なにかを伝えようとしていた。

 彼女自身が、なんでもないと言うから僕も深くは追求しなかったけれど、深追いしなかったけれども、今になって思えばすでに、伊吹さんの様子はおかしかったのかも知れない。

 

「悪い、時間取らせちゃって。助かったよ、永先」

「気にすんなって、これも仕事だ。ま、この先はお前と伊吹の問題ぽいし、俺は口を出す気も、顔を突っ込む気もない。けどな──伊吹の気持ちだけは、ちゃんと考えてやれよ」

「あぁ、うん。そうだよな……伊吹さんの、気持ち、か」

 

 あれ──?

 この言葉、前にも誰かに言われたような。

 靴を履き替え、校舎を後にしながら、僕はふと反芻した。

 伊吹さんの気持ち。

 彼女は今、なにを思っているのだろう。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「やぁ岩根くん、伊吹さんならまだ来てないよ」

「あの、マスター。僕まだなにも言って──いや、なんでもないです……」

 

 皆まで言うなと顔に浮かべたマスターの視線と、おしぼりを受け取りながら、僕は席に着いた。

 原稿用紙を広げて、設定についてまとめたノートを開き、ペンを手に持つ。

 こうしていれば、気が付けば、正面の席に当たり前みたいな顔で、伊吹さんが座ってくれる気がして。

 ……なんだか、自分で言ってて虚しくなってきた。さっきから伊吹さん、伊吹さんって、僕の頭の中は伊吹さんで一杯だ。ほんの一ヶ月会ってないからって──僕は、こんなにも弱い人間だったのだろうか。

 これが、僕のいつも通りのはずなのに。

 いつも通り、喫茶店に来て原稿用紙と睨めっこしながら、コーヒーを啜って、日が落ちたら帰る。 

 そして、日曜は街を散策して。

 それが僕の毎日だ。

 これまで、毎日そうしてきた。

 中学生になってから、ずっと。

 なのに。

 もとより一人で小説を書く時間で、それが元通りになっただけなのに。それなのに、何故だろう。

 どちらかといえば、この数ヶ月。

 伊吹さんと一緒にいた時間の方が、例外で、特例で、特別だったのに。

 何故こうも──僕は、寂しいと思っているんだろう。

 

「ほら、そんな顔してないでさ。珈琲でも飲みなよ、今日は豆の配合をちょっと変えてみたんだ。奢りにしとくから、後で感想聞かせて欲しいね」

「あ、どうもです……いただきます」

 

 そんな顔って、どんな顔をしていたんだ僕は。そう思いマスターの持ってきてくれたコーヒーに口をつけると──なるほど、確かにいつもとは違う味だ。

 少し酸味が強くなった気がするが、それが逆に心地好い。

 不思議な味だった。

 以前にもマスターは豆を変えたことがあって、最初はいつもと違う味に驚いていたけれど、いつの間にか新しい豆の味が、僕にとってのいつも通りになっていて──

 

「────あっ」

 

 そっか。

 そういうことか。

 ふと、自分の中で合点がいった。

 これまで、無意識のうちに認めていなかったけれど。そう思うことが、なんだか烏滸がましいことのように思えてしまって。

 でも、いい加減認めよう。

 僕にとって、この喫茶店で一人小説を書くって言うのはもう、いつも通りじゃない。

 この喫茶店に来て、小説を書いて。

 それで──正面の席には伊吹さんがいて、駄弁っているのが、僕にとってのいつも通りなんだ。

 

「あの、マスター!! 僕──」

 

 残っていたコーヒーを飲み干して、道具を鞄に詰め込み、僕は立ち上がった。

 いても立ってもいられない。

 そしてマスターは、僕の信頼する大人は、穏やかな顔で背中を押してくれる。

 

「大丈夫、分かってるよ。今度は二人で来るのを待っているからね。伊吹さんの気持ちを、大事にしてあげなさい」

「はい、ありがとうございます」

 

 また、言われた。

 そして思い出した。一月前、僕が夏祭りに行く前に、父さんが同じ台詞を言っていたことを。

 伊吹さんの気持ちを、考えるべきだって。僕にそう伝えていたことを。

 彼女の気持ち。

 もし、もしもだけど。

 そうであったのなら、都合が良すぎるようにも思うけど。

 僕にとってのいつも通りに、いつの間にか、伊吹さんがいたように。

 それと同じように。

 彼女にとってのいつも通りに、その中に、僕がいたとしたら。僕を置いてくれていたのだとしたら。

 君は今──僕と同じ気持ちでいてくれるのだろうか?

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 一ヶ月ぶりの、765ライブ劇場(シアター)である。

 たった一ヶ月だ。

 なので、シアターの様子はまるで変わっていない。

 僕の心境は、僕達の距離は、変わってしまったのかもしれないけれど。

 しかしアレだな、勇んで来たはいいけれど、急ぎ足でやって来たはいいけれど、ここからどうすれば良いんだろう。

 伊吹さんがここにいるのは間違いない。

 彼女に耳にタコができるくらいには、スケジュールについて話し倒されていたからだ。

 水曜の夕方は固定のレッスンがあるので、伊吹さんはシアターにいる。それは分かってる、問題は僕がどうやって彼女の元へと辿り着くかだ。

 辿り着いて10分ほど経過し、色々考えてはみたものの妙案は浮かばない。

 これが休日なら、ライブがない日でも売店が開いているため問題なく入れるのに。

 いっそ馬鹿正直に突貫しようとも考えたけど、正面の扉にはインターホンなんてものは付いていなかった。となると裏口的なものを探すべきなのだろうが、客観的に見ると結構な不審者ムーブで──

 

「なぁ、あんた。あぁ──学生服のあんただよ。こんなところで、何やってるんだ?」

「えっ、あっ──」

 

 不意に、であった。

 突然声をかけられて、どこか聞き覚えのあるその声に、僕は振り返った。

 燃えるような赤髪と、深みのある青い瞳。

 パンクファッションを身にまとった彼女の名前を、僕は知っていた。

 

「ジュリア……さん」

「へぇ、あたしの名前を知ってるってことは──ふーん。悪いけど、売店は閉まってるぜ?」

 

 勇しさを感じる声に、僕は言葉に詰まってしまった。

 そうだ、向こうからして見れば、僕は僕自身が懸念していた不審者容疑をかけられてもおかしくない人間だ。

 これで向こうのことを知らなければ、つまり僕がジュリアさんを知らなければ、なにも知らない人がたまたま立ち寄ったと彼女も推測して、納得してくれたかもしれない。

 けれど、僕は自分がジュリアさんを知っていると──ここがどういう場所か知っているのだとカミングアウトしてしまった。

 普通に考えれば、売店が開いてないことだって、ここを知っている人間なら当然知っているはず。

 であるにも関わらず、ここにいる僕は誰なんだと、ジュリアさんは考えているんだ。

 でも、聞かれた以上は答えなくっちゃあならない。

 正直に、正しく、僕が何をしに来たのかを。

 

「その、僕……岩根勇吾って言います。伊吹さんに用事があって、それで」

「翼に? あぁ、その制服──なるほどな、だいたい分かった」

 

 一体、なにが分かったんだろう。

 事態を把握したと言わんばかりにウンウン頷くジュリアさん、すると彼女は矢のような視線で僕を射抜くと。

 

「どうするべきなんだろうな、この場合。あたしは」

「…………え?」

「マニュアル的に、つまり事務的に処理するんなら、責任者に取り次いでやるべきなんだろうけどさ──それだと、余計に話が拗れそうだし」

 

 多分、これは僕に語りかけているというよりは、自分で状況を整理するために話しているみたいな口調だった。

 ジュリアさんはいったん目を閉じ、しばし黙考すると、僕に言った。

 

「ユーゴって言ったっけか。これからあんたに一つ質問をする、即答できたら──翼のとこまで、あたしが責任持って案内するよ」

「えっと、もし答えられなかったら……?」

「その時は、帰ってもらう。そうした方が、お互いのためだろうしな」

 

 ……この人は一体、どこまで事情を把握しているのだろう。

 少なくとも、何かしらの事前情報がなければ、こんな立ち回りはできないはずだ。

 ジュリアさんのことが、分からない。

 話すのはこれが初めてなのだから、当然だ。

 けど、まぁ。

 少なくとも伊吹さんが、ジュリアさんを信頼していることを、僕は知っている。

 だったら、それで十分だ。

 

「分かりました、答えます」

「オーケー、少なくとも怖気つかなかったとこは認めるよ。じゃあ、質問だ」

 

 どんな問題が出るのだろう。

 皆目検討もつかない、あり得るなら伊吹さんの知り合いだって証明になるような質問とか?

 あまりに深い問いかけだと、手も足も出ない気がするが。

 一体全体、ジュリアさんはなにを以て、僕を見極めようと──

 

「──翼の悪いところを一つ挙げてくれ」

「人の話をあまり聞いてないとこですかね」

「よし合格だ。行こうぜユーゴ──あ、呼び方ユーゴでいいよな?」

 

 えっ。

 今のが質問? これでよいのか? 本当に?

 そう言うなり、スタスタと歩きだすジュリアさんの後ろを追いかけながら、僕は困惑していた。

 どういうことだ、伊吹さんの悪いところを挙げてくれって。

 

「だ、大丈夫ですけど……もういいんですか?」

「ん? まぁな、正直に言うと──名乗られた段階で『こいつが翼の言ってたユーゴ先輩か』って察しはついてたんだよ、だから今の質問は……そうだな、あたしなりの確認ってやつだ。意地みたいなモンだけどさ」

「確認、ですか」

 

 やっぱり、ジュリアさんは僕のことを間接的に知っていたのだ。

 僕が間接的に、伊吹さんを通して彼女のことを知っていたように。

 

「そう、確認。あんたが翼の力になれるのか、どうかのな。翼のやつ、ここんとこ全然集中できてなくてさ」

「……伊吹さん」

「今、翼が抱えてる問題は……たぶん、あたし達じゃ解決してやれない──力にも、なってやれない。それはなんとなく分かってたんだ」

 

 けどさ。と、ジュリアさんは仕方のなさそうな笑みを浮かべながら。

 

「それでユーゴに丸投げってのも、アレなんでね。悪いけど試させて貰った──翼のこと、よろしく頼む」

 

 頼まれて、しまった。

 まともに対面したのは、お互い今日が初めてのはずなのに。

 でも。

 僕は、伊吹さん越しのジュリアさんを知っていて。

 ジュリアさんは、伊吹さん越しの僕を知っている。

 不思議な感覚だ。そして、不可思議な関係だ。けれども、それは確かに成り立っている。

 だったら、ジュリアさんの質問に答えたように。この頼まれごとにも応えたいと、僕は思った。

 

「──はい、任せてください」

「ははっ、頼もしいね」

 

 だから伊吹さん、今から君のところに行くよ。

 君の気持ちを、確かめる為に。

 

 

 

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